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2008年11月 3日 (月)

サリーの帰還

サリーの帰還

  サリーは知人の飼い猫が産んだオスの雑種白ネコだった。その知人の女性は自宅でブリーダーまがいのこともやっているようだった。彼女の話によれば、母猫は血統書付きの純血種だったのに、ちょっと目を離した隙に野良猫と交配して、商品価値のない雑種を数匹産み落としたそうだ。そういうわけで、1匹でもいいから引き受けてくれないかと彼女は私に持ちかけてきた。私は狭いマンション暮らしだったので、それまで犬猫を飼ったことはなかったが、興味がないわけではなかった。御用聞きにきているクリーニング屋の話だと、「このマンションでは自分が出入りしているうちで、半分くらいの部屋で動物を飼っている」ということだったので、表向きの取り決めはともかく、動物飼育禁止にはできない実態があるらしかった。しかし一番の決め手は、その知人の女性というのが職場のお局様で、ご機嫌をそこねたくないという思惑だった。

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    生後数週間の仔猫のときに譲り受けたが、半年くらい経つと眼は透き通るようなブルー、真っ白な短毛系の体毛、長くてまっすぐなしっぽという大型の美しい猫にすくすくと育った。ネズミや鳥の羽のおもちゃをわたすと、何時間もひとりで遊んでいるような無邪気な性格だった。私が「サリー」と呼ぶと、家の中のどこにいても子犬のように走って私の前にやってきた。ただサリーにはちょっと風変わりな習性というか癖があった。最もリラックスしているときには、例えば頭は右、後足は左という風に、体を180度ねじって眠るのだ。人間だったらちょっとしたアクロバットだ。

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    そんなサリーだったがさすがにおもちゃにも飽きてきたのか、ガールフレンドを探しに行くのか、ときどきベランダの手すりづたいに外に遊びに行くようになった。私の部屋は3Fにあったので、並びの3Fの数軒のベランダのどこかに遊びに行っているのだろうと思っていた。ベランダに出るのは部屋飼いのネコにとって貴重な息抜きの時間なのだろう。サリーもベランダに出るとすぐノビをしてリラックスする様子だった。

  人間だって狭いオフィスに閉じ込められて仕事をしていると、たまには屋上にでも出てリラックスしたくなる。ネコはもともと巣を作って引きこもって生活するような動物ではないので、室内飼い自体が一種のストレスなのだろう。とはいってもベランダから外出するネコを放置していた私は、ネコ飼育の常識として、飼い主として失格だった。手すりから転落すると墜落死や大ケガの可能性があるし、なんとか無事だったとしても、道がわからなくなって帰れなくなるかもしれない。交通事故・喧嘩によるケガや感染症の危険もある。飼い主としてこのような外遊びを放置するのは許されることではない。

  しかし当時は隣家のベランダとの境界になっているバリヤの隙間をうめたり、3F全部屋に連続している手すりを完全に封鎖するというのは困難だと思って、ずるずると放置していた。日曜大工で境界封鎖などやっていると、隣人に変な人だと思われるという不安もあった。それにまさかサリーが1Fまで降りるとは想像できなかった。今でもどうやって降りたのかわからない。ベランダにはケヤキが枝を伸ばしているが華奢な細枝で、とてもネコがジャンプして飛び移り、伝って歩けるようなものではなかった。他の部屋のベランダの端の方にはやや太い枝が伸びていたが、そうは言ってもかなりの距離があり、飛びつくには相当なジャンプ力が必要なはずだ。まさかサリーにそんな能力があろうとは予測できなかった。やはり転落したのだろうか? そうだとすると猫らしからぬドジということになるが、それならよく大ケガをしないで生き延びたものだと思う。もうひとつの可能性は、他の部屋の窓が開いていてそこから侵入し、玄関のドアが開いたときに外に出たのかもしれない。知的障害がある子供がいる部屋があって、バタバタ扉を開けたり閉めたりしていたので、その家からこの方法で外出した可能性が一番高いと思った。

  最初の頃は外出してもすぐに帰ってきたが、それはまだ3Fのどこかの部屋のベランダにとどまっていたからだろう。ある時家出したまま、ついに数日経っても帰ってこなかった。いったん下に降りてしまうと地理の感覚が狂ってしまって、猫の知能ではもどるのは困難だろう。並びの3Fの住民の部屋はすべて訪問して確認したが、どこにもいなかった。その後数日かけて2Fと1Fの住人にも訊いてみたが、有益な情報は得られなかった。

  あちこち探していると、ある日近所の公園でベンチに座っている男から弁当を分けてもらっている白ネコをみつけた。間違いなくサリーだと思ったが、首輪が外れていて確認できなかった。思い切って話をしてみようと近づいたとき、男が立ち上がって歩き出した。すると、その白ネコも男の後をついて歩き出した。私は彼らの後をつけた。そしてたどり着いたのは、向かいのマンションの1Fの部屋だった。白ネコは男とドアの中に消えていった。リードもつけずに人の後をついていくとは、男と白ネコの関係はもはや相当深いとみるべきだろう。ただ首輪をしていないのがちょっと不安ではあったが・・・。私は首が太くなっても自力ではずせるよう、伸縮性のある青白ストライプの脱出首輪をサリーに装着していた。

  それから数日の間私はとても複雑な気分で、仕事も手につかず悶々と暮らした。しかし一週間・二週間と経つうちに、「あの男に可愛がられているのなら、それもサリーの運命。まあ仕方がないか・・・。それにあの猫がサリーだと確かめる方法もない」というあきらめの割り切りができて、男と白ネコを発見した公園や、飼い主の男の部屋には近寄らないようにしようと決断した。

☆ ☆ ☆

  サリーが私の部屋にやってきたのは冬だったが、季節が巡り、また冬がやってきた。窓から見えるケヤキの大木もほとんど落葉し、風が吹くたびに数枚の枯れ葉が殺風景なベランダでカサカサと音をたてていた。空を見上げるとオリオン座が南の空に輝いていた。勇者は2匹の犬を引き連れている。おおいぬ座のシリウスとこいぬ座のプロキオンは冬空を飾る宝石だ。私は電気を消してこんな冬空を窓からぼんやり眺めているのが好きだった。

  その日もこんな寒い夜だった。玄関の方でニャーニャーとうるさく鳴く声が聞こえるので扉を開けてみると、なんとサリー(いやあの白ネコ?)がぽつんと座っているではないか!「まあ入れサリー」と声をかける間もなくそのネコは玄関に突入し、さっさとリビングに走っていってコタツに潜り込んだ。うちにいた頃もよく潜り込んでいたコタツだ。「これは間違いなくサリーだ」と確信した瞬間だった。サリーは昏々と眠り続けた。久しぶりでエサと水とトイレをいそいそと用意した。次の日、会社を休むわけにはいかなかったので、眠り続けるサリーを残して出勤したが、サリーが病気じゃないかと気になって、そわそわと終業時間を待つだけの1日だった。しかしその心配は杞憂だった。帰ってみるとエサはすっかりなくなっているし、立派なウンチも確認した。サリーは家の中を何度もぐるぐる巡回して点検した。昔も1日2-3回は、家の隅から隅まで巡回していた。点検が終わると、またコタツに潜り込んでぐっすり眠る。そっと覗くと、なんと昔のように体を180度ねじっていた。

  サリーは私の知らない赤い首輪を装着していた。私は昔していたような青と白のストライプの首輪を購入し、赤い首輪をはずしてサリーに装着した。「そうそう、こうじゃないとサリーじゃないよな」と私はつぶやいた。今度はベランダから隣に逃げられないように、ディスカウントショップでパーティションを購入して、隣接するベランダとの境界に注意深くバリヤーを築いた。手すりからも移動できないように万全を期した。隣人がどう思おうが、そんなことは気にしないことにした。

  サリーがいない間は、帰宅するとただ黙って重い扉を開けるだけだったが、久しぶりで「ただいま、サリー」と挨拶しながら扉を開ける幸福にひたることができた。サリーは私がベッドにはいると、ぴょんとベッドの上に飛び乗って、私のふとんの中に潜り込んで眠るようになった。朝になると寝ぼけている私の顔をなめて、目覚まし時計の役を果たしてくれる。自宅に生き物がいるって、なんて素晴らしいことなのだろう。

  そんな日々がしばらく続いた後のこと、ある日酔って深夜に帰宅したとき、いつものように扉を開けると、ただいまの「た」も言わないうちに、何かの塊がすきまから飛び出した。サリーだと気がついたのは数秒後だった。一気に酔いがさめた。サリーはそのまま脱走し、朝まで近所を探し歩いたが見つからなかった。

  次の日は会社を休み、パソコンで写真入りの張り紙をつくって近所に貼って歩いた。それから毎日、帰宅するとネコ探しの日々だった。サリーを飼っていたと思われる男の部屋も訪ねてみたが出張なのか返事はなく、裏に回ってみても部屋に電気はついていなかった。男とサリーのいた公園にも毎日立ち寄ったが、男もサリーも居なかった。しかしある日、ついに男をみつけた。彼は公園のベンチに一人で座って、不機嫌そうに弁当を食べていた。話しづらい雰囲気だったが、私は思いきって男に声をかけた。

「すみません。以前に白いネコを飼っておられましたよね」

男はうさんくさそうにこちらに目を向けた。
私はあわてて「私はあの向かいのマンションの3階に住んでいる新井という者です」と付け足した。男はやっと重い口をひらいた。

「ああ、マサオのことですか・・・。家出して帰ってこないんですよ」と男は暗い表情で答えた。そしてさらに「マサオは昔この公園にいた野良猫で、うちに連れて帰ってしばらく飼っていたのですが・・・。ときどきまたここに来ないかとベンチで待っているんです。もし見かけたら教えてください」と男は私に名刺を差し出した。

  最後の望みが絶たれた気がした。なぜだか急に涙があふれてそうになってきたので「そうですか、わかりました」とだけ言って、私はその場を立ち去った。どんどん歩いてふと振り返ると、男はヒザをかかえ、うつむいてベンチの上にじっと座っていた。

  それから白い野良猫をみつけると、いつもサリーと呼びかけてみた。しかしいつからか、それも心の中で呼びかけるだけになり、年月を経て私の脳裏からサリーは離れていった。そしていま私の手元に残されたのは数枚の写真だけになった。それでもときにはアルバムを開いて私はサリーにそっと言うのだ。

「ただいま サリー」

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カラスの復讐

カラスの復讐

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  教会では人々が夜明け前から忙しく立ち働いていた。巨大なツリーに四方からはしごがかけられ、様々なデコレーションやイルミネーションが次々と飾られていく。2トン積みくらいの小型の幌付きトラックがゆっくりと構内にはいってきた。幌が開けられ、ドイツから到着したばかりの鐘が収納されているらしい木箱が、4人の作業員によって慎重に鐘楼に運ばれていく。空が明るくなってくる頃、鐘楼に鐘がとりつけられた。年配の司祭がよろめきながら鐘楼の階段を上っていく。やっと最上階までたどりついた司祭が、ふうと息を吐いてハンマーを握り、コーンコーンコーンと3回試打した。無垢な乾燥した音が響き渡る。信徒達から拍手と歓声がわき上がった。クリスマス・イヴのための準備が万端整った。

  教会の新しい鐘の音が9時を告げた。さすがにドイツ製の新品の鐘は響きの余韻が美しい。時を告げるのはカトリック教会のサービスだが、それはまた教会が人々の生活を支配していることのデモンストレーションでもある。私はその鐘楼の近くの建物の屋根にいた。冷たいピーンと張りつめたような空気が気持ちの良い朝だった。食事の時、私は母と行動を共にしていた。私たちの食事は多少の危険が伴うので、母が気を遣ってくれるのだ。やがていつも鐘楼の屋根の頂上に陣取っている母が飛んできて私を誘った。母はここいらのカラスの中では力強さで際だっていて、オス達も母には一目置いていた。

「さあ ごはんよ 行きましょう」 母が私に声をかけてくれた。

  人々がゴミを捨てにやってくるのは7時前から8時過ぎくらいがピークで、その後はゴミ捨て場は閑散とした感じになる。市役所がゴミを収集にくるのは10時の鐘が鳴ってからだ。その30分くらい前が私たちの勝負の時だった。母はいつも器用にゴミ袋を破ってくれる。私は母と共に残飯を探してくちばしでくわえる。そして安全な場所に飛び去って食べる。これを繰り返すのが私たちの毎日だった。

  その日もいつものようにエサを漁っていると、何か木陰で動く気配がした。そして見慣れない棒のようなものが見えたと思った次の瞬間、その棒が母の脳天に振り下ろされ、母は倒れた。私は大声で鳴いて飛び立った。上空から振り返って見ると、ステッキを持った人間が母を何度もたたき、最後は足で踏みつけて内臓が飛び出した。母は内臓が出たままつまみ上げられ、ゴミ袋に入れられた。私は動転したが、その人間の顔をしっかりと頭に焼き付け、必ずいつか復讐をしてやると心に決めた。

  しかし復讐の方法などを考える余裕はなかった。私はその日からエサ場を失い飢えた。恐怖で、もう私と母のテリトリーだったゴミ捨て場でエサをあさることができなくなってしまったのだ。あまりの空腹に遠くのゴミ捨て場までいってみた。しかしそこは他のカラスのなわばりで、エサをあさるどころか、逆に攻撃され深傷を負ってしまった。そして私は母の復讐を果たせないまま力尽きた。

☆ ☆ ☆

  私は物心ついたときには施設に居た。入り口の扉の前に、手紙もなく置き去りにされていたそうだ。だから私には人間の父母の記憶はない。そのかわり、教会の鐘楼の屋根から見下ろした美しい景色、ゴミ捨て場、振り下ろされるステッキ、無惨な母の死(そしてなぜかその母がカラスであるという鮮明な記憶)、ステッキを持つ男の顔、などが次々と浮かんでくる夢を毎日のように見た。その夢をみると、全身から血が噴き出してくるような怒りで目が覚める。

  施設を出て会社勤めをするようになって数年後、会社のルールで社員寮を出なければならなくなった。近郊で住居探しをしているときに、見覚えのある教会、見覚えのあるゴミ捨て場のある街に遭遇した。夢で見ていたのと同じ場所・・・。そんなことがあり得るのだろうか? それとも単なるデジャヴーなのか? 私は逡巡したが、どうしても奈落の底に吸い込まれるような強烈な運命の引力に逆らうことはできなかった。私はその街のアパートに住居を定めた。ここに住むことに決めた以上、私はもはや「母の仇を討つ」というさだめから逃れることはできないだろう。

  しばらくして街の自治会総会に出席したときに、私の頭に焼き付いている顔の男が自治会長になっていることがわかった。年月を経て顔に皺が刻まれていたが、私にはすぐわかった。私は復讐する前に、この老人がどのような人物であるのか知りたくなって、しばらく様子を見ることにした。彼の家は私の記憶にあるゴミ捨て場のすぐ近くにあり、いつも窓のカーテンの隙間からゴミ捨て場を監視していた。正規の時間外に捨てる人間がいると、こっそり尾行してダメだしの注意書きをその人の家のポストに投げ込んだ。不燃物と可燃物を間違えると、そのゴミを出した人の家の玄関まで、自分でそのゴミを持って返しに行った。そんなことを繰り返し、ゴミ捨て場の管理をやるのが彼の日常のようだった。

  ある日その自治会長が、袋を破ってエサを漁る野良猫をステッキで撲殺するところを目撃した。彼は猫が完全に動かなくなるまで何度も何度もステッキを振り下ろし、内蔵が飛び出したところで屍体を拾ってゴミ袋に入れた。はっきりと識別はできなかったが、そのステッキは古いもののようで、母を殺した凶器かもしれない。よく犯罪者は同じ手口で犯罪を犯しがちだといわれるが、これもそういうことなのだろう。私はそこまで残酷にはなれないという気がした。

  自治会長は週に何日か近所のコンビニに勤めていた。店員としては高齢でもあり、動作が緩慢な上に仕事の手際が悪くて、よく店長に叱責されていた。しかし自治会集会の時の彼の顔は見違えるように生気に満ち、まるで街の守護神のように輝いていた。彼は私の母を殺したことなど微塵も覚えていないだろう。彼の得意げな顔を見ると、私は不快でいたたまれない気分になった。

☆ ☆ ☆

  決行すべき時は偶然やってきた。台風の日の朝、土砂降りのなかを彼はゴミ捨て場の点検にやってきた。人間楽しいことのためには、こんなにも勤勉になれるものなのだろうか。私はある意味感嘆した。どうやら彼は手数料を支払ったという証拠のラベルが貼っていないまま出されている粗大ゴミをみつけたようで、ステッキを地面に置いて、ラベルが本当に貼られていないかどうか、大きな古い家具のまわりを1周しながら仔細に点検をはじめた。粗大ゴミを捨てるためには、あらかじめ市役所に電話して、サイズに応じた手数料を支払わなければならない。私は自分に「この瞬間を逃してはならない」と言い聞かせた。用意した軍手をはめて男のステッキを拾い上げ、思い切り後頭部に振り下ろした。倒れてからさらに2-3発頭を殴打し、ステッキを捨てて立ち去った。きちんと復讐するには、彼の内臓が飛び出すまで叩かなければいけないが、それは私にはできなかった。

  少し残念だったのは、あのステッキが母を殺したものと同じものかどうか判定できなかったことだ。そこまでの正確な記憶はなかった。できればそのステッキで復讐を果たしたかった。完璧な復讐ではなかったかもしれない。しかし私がカラスのままだったら、このような形での復讐はできなかっただろう。そのことには私は満足し、私を生まれ変わらせてくれた神に感謝した。

  私の復讐は犯罪としても完璧なものではなかった。近所のマンションの上層階から一部始終を見られていたのだ。土砂降りの日だったのでまさかとは思ったが、ゴミ捨て場を監視している人間がもうひとり居たとは不覚だった。私は逃亡はしなかった。復讐を果たしたという高揚感で心が満たされていたのと、もし逃亡すると私の神聖な復讐がスポイルされるような気がしたからだ。ほどなく私は逮捕された。

  警察にも、検事にも、弁護士にも、裁判官にも、私はきちんと自治会長を殺害した理由を述べた。もちろん彼らが私の言葉を信じるはずもない。何度も同じ話を繰り返しているうちに、誰も私の言うことなどまともに聞いてくれなくなった。それでも私は長期間拘束され、そんな寝言はいいかげんにやめて本当のことを話せと強要される。私はしだいに自暴自棄になり、わけのわからないことばかりわめくようになっていたようだ。結局、私は精神病院に強制的に収容されることになった。

  私は今措置入院させられた病院のベッドの上に座り、鉄格子の窓越しにぼんやりと青空を眺めている。これまでの私の人生のなかで、こんなに美しい空をみるのは初めてだ。いや空なんか見たこともなかったような気がする。私に「さだめ」を与え拘束していたのは神なのだろうか、それとも悪魔なのだろうか。今の私は解放され、意味もなく青空を眺めている。意味のない人生はのびのびと自由だ。もう私は生まれ変わることもないだろう。しばらくしたら、あの世で母と静かに暮らすのだ。

☆ ☆ ☆

  刑事は、あの犯人が精神病者であるとは、まだ心の中のどこかで信じられなかった。取り調べの際、特に最初の頃は、被疑者のしゃべることはある意味ハチャメチャだったが、ある意味すべて筋が通っていた。それもこれも、あの動機についての奇妙な供述が鍵になっている。犯人は自分の前世はカラスで、母カラスの復讐のためにこの世に生まれ復讐を果たしたと、何度も何度も繰り返した。そのたびごとに、刑事達はがっくり落ち込み脱力した。供述がまったくブレなかったので、そのうち誰も真面目に話を聞く気力を失い、ただストレスを解消するために被疑者をどなりつけるだけになった。そのうち被疑者もまじめに話す気がなくなったのか、荒唐無稽なウソ話をリピートするのが面倒になったのか、わけのわからないことばかりしゃべるようになった。

  裁判が終わってから、ある日ふと思いついて、刑事は自治会長殺人事件の目撃者の部屋を訪ね「例のゴミ捨て場の殺人の件なんですが、毎日チェックしていらっしゃったわけですよね。ひょっとして何か記録のようなものをつけてますか?」と訊いてみた。「ゴミ捨て場の記録なんてつけてないよ」と目撃者の住人は笑いながら言った。しかしもう一度考え直すように「でも日記なら昔から毎日書いているけどね」と言葉を続けた。

  刑事は犯人が「教会の鐘楼に新しいドイツ製の鐘がとりつけられた日に母が殺された」と供述したことを思い出した。日記をつけているのなら、記述があるかもしれない。

「昔の話ですが、教会の鐘楼にドイツ製の新しい鐘がとりつけられたことって書いてありますかね?」と刑事は目撃者に訊ねた。
「ドイツ製の鐘ねえ。それはなんとなく覚えているよ。ずいぶん昔の話だよ。私は実はカトリック教徒で、鐘が来たときには信徒がみんな集まってお祝いのパーティーをしたように思う。確かクリスマスイヴだったと思うね。もうあれから30年にもなるんだね。ちょっと待って」と答えて、目撃者はかなり長い時間あちこち探し回っていたが、押し入れの段ボールの中から古い日記の束を取り出し、さらに時間をかけて調べた。そしてついにあるページを探り当て「ああ これだ」と刑事に手渡した。

  刑事はそのページをみて目を疑った。その日に被害者がカラスをたたいて殺したことが記してあったのだ。日記の記述と照合すると、加害者の供述はきわめて正確だった。もちろんその日に加害者はまだ生まれていない。しかし供述が正確であればあるほど、そんな事件、すなわちカラスが人間に生まれ変わって復讐するなどということはあり得るはずがない。あり得ても裁判の対象にはなるはずもない。長い間じっと日記の同じページを見つめていた様子がおかしかったのだろう、持ち主が怪訝そうな眼で自分を見つめているのにふと気がついた。刑事は静かに日記を所有者に返し、丁重に礼を言ってから悄然と部屋を出てエレベーターホールの方に歩き出した。エレベーターホールまでの道のりがなんと長かったことだろう。足が地面についているような気がしなかった。それでもようやくエレベーターまでたどりつき、ふらつきながらもなんとか乗り込んだ。

  エレベーターのドアが閉じたとき、刑事は「終わりだ終わりだ。この件はもう終わりだ。クソ野郎」と吐き捨てるように叫んだ。エレベーターは静かに降りていった。

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転落

転落

  3月になってもまだまだ肌寒い日々が続いていた。今日は特に曇天で、雪もちらついている。いつも通り古ぼけた教授室のドアを開けて、朝9時に席についた。
パソコンに灯を入れると、いつものジャンクメールの洪水だ。まず必要なメールを残して、ジャンクメールを消していく。次に迷惑メールフォルダーを開けて、必要なメールがそこに落とされていないかどうかチェックする。やっぱり今日も1通大事なメールが迷惑メールフォルダーに落ちていた。それをホワイトメールに登録し、やっと返事を書く段取りだ。今朝は返事の必要なメールは2通だけのようだ。

  文面を考えていると、ドアをノックする音がした。
ドアを開けると、見慣れない顔の男子学生が一人立っている。
「どうしましたか」と声をかけると、学生はもじもじしながら
「あのう ちょっと・・・」と躊躇しているので、
「まあ 入りなさい。えー誰だっけ」と部屋に迎え入れながら、名前を訊いた。
「城戸です」と学生は小さな声で答えた。

  学生は椅子に黙って座り、うつむいている。何も話を始めないので、
「で 城戸君。 今日は?」と私が水を向けると、
「実は先生の講義の単位を落としてしまったんです」
とようやく口を開いた。
「それで?」
「それで卒業できなくなってしまったんです」
「しょうがないじゃないか」
私はそっけなく言った。
「昨年の夏に大学院の入学試験には受かって、もう研究テーマが決まっているんです」
「そんなことを言われても、私がどうこうできることじゃないだろう」
「試験の日を間違えて、当日の朝気づいてあわてて会場に来たんですが、動揺してしまってうまくできなかったんです」

私は相手のペースにはまっていると思いながら、彼の答案用紙を探した。成績は45点だった。合格には60点以上が必要だった。

「なんだ、城戸君。これは残念というレベルじゃないよ。全然点数が足りないじゃないか」とつきはなすが、彼は
「そこをなんとか・・・」とくいさがる。
「考えてもみろよ。君の点を15点も水増ししたら、1点差で落ちた学生はどう思うだろうね」
「そこをなんとか・・・」

  何を言っても「そこをなんとか・・・」と言って学生は席を立たないので、私はだんだん腹が立ってきた。「いくら粘ってもどうにもならないよ。今回の件はあきらめてくれないか」と私は引導を渡した。すると突然彼は私にしがみつき、泣きはじめた。私は動転した。「何のまねだ 出て行きなさい」と学生を抱えてもみ合いながら廊下に押し出した。数人の学生が怪訝そうな目で廊下を通り過ぎた。

最低の気分だ。
全く仕事は手につかなかった。

☆ ☆ ☆

  呆然と椅子に座っていると、昼過ぎになって本田という初老の教授が尋ねてきた。
彼は普段から私が挨拶しても無視するような、無愛想で尊大な性格という印象があって、少なくとも1対1では話をしたことがない人物だった。

「4月からうちの研究室にくることになっている城戸という学生のことなんだけどねえ。追試かなんかやって、単位をどうにかならんもんかねえ」
と本田教授はさっきの学生のことについて切り出した。
「まずいですよ それは」と私は口を濁した。
「いや 困るんだよ。彼は非常に優秀な学生でねえ。君の科目だけ失敗したんだよ。実はもう企業との共同研究で、いろいろ話は進んでいるんだよ。どうにかならんもんかねえ」と教授は粘り腰だ。
その後、何を言っても「どうにかならんもんかねえ」の一点張りだ。
このバカ教授あってのあのバカ学生かとあきれ果てた。
教授は最後に「君、アカデミックハラスメントというのもあるよ。目撃者もいることだし」と捨て台詞を吐いて立ち去った。

ふざけるんじゃない。

  そういえば昨日トイレに行ったとき、隣に学部長が来て「君、この頃単位が足りなくて留年する学生が増えて困るねえ。大学の体面というのもあるしねえ。まあ君の科目を落とす者は少ないと思うが」と独り言のようにつぶやいていたのを思い出した。ひょっとしてあの学生の件は、学部長まで話が通っていたのかという疑いが芽生えた。もう少し慎重に対処すべきだったかとも思ったが、まああれでよかったのだと自分に言いきかせた。

  夕方になると、追い打ちをかけるようにまずい知らせが届いた。院生のひとりが液体クロマトグラフィーの調子が悪いと言うのだ。この機械が動かないとうちの研究室は仕事にならない。ちょうど大学に来ていたメーカーのエンジニアに頼み込んで見てもらうと、部品の交換が必要ということだった。その部品の価格が60万円というのが大問題だった。はてどこから捻出すればいいのか・・・。

  途方に暮れて、家に帰る気もしないで部屋でボーッとしていると、電話がかかってきた。「ABC製薬の城戸といいまして、本田先生と共同研究をやらせていただいているものです。研究の進み具合によっては、先生のお力もお借りしたいと思っておりますのでお電話いたしました次第でございます」という話だった。話の内容は結構面白いものだったが、城戸という名前に嫌な予感がしたので「それは有難いお話ですので、是非検討させていただきます」とは言ったものの、会ってお話ししたいという申し出は、こちらからいずれ連絡するということでお茶を濁しておいた。電話を切ったらもう午後10時だった。無為の日だった。前に進んだ仕事はひとつもなかった。おまけに昼飯も食いはぐれた。

  部屋を出ると、廊下で隣の研究室の安藤教授に出会った。私の1年先輩だ。
「おお 秋山君。遅くまでがんばってるねえ」
私は今日1日有意義な仕事を何もやっていなかったので気恥ずかしかったが、生返事もしたくなかったので、
「実は液クロ(液体クロマトグラフィー)が今日故障しまして、てんてこまいでした」と半分ウソをついた。
「それは困るねえ。修理の方は大丈夫かい」
「それが60万くらいかかるみたいで・・・。中央機器費の余りで補填してもらうというわけにもいかないでしょうね」
「今はそういうのがまかり通る時代じゃないよ。それよりここだけの話だけど、4月からABC製薬と共同研究しないかと誘われているんだが、これが結構おいしい話なんだよ。なんでも4月に新研究所が発足するということで、うちの大学と関係を深めたがっているらしいんだ。君も一口乗りたいんだったら紹介するよ」
「ABC製薬からは私のところにも電話がかかってきたんですが、いろいろ事情があって保留してるんですよ」
安藤教授は「ほう」と怪訝そうに私の顔を見た。

  私は隣の研究室にまでABC製薬の触手が伸びてきているのを知って暗然たる気持ちになった。安藤教授とは地下鉄の駅までいっしょに歩いたが、ひょっとして私は学部の中で孤立してしまうのではないかという不安で頭がいっぱいで、今思い出そうとしても、道すがら彼と何を話したか覚えていない。翌日調べてみると、ABC製薬には城戸という取締役がいて、4月から新研究所の所長に就任する予定だということが判明した。しかもやはり彼の息子があの学生だった。ABC製薬はうちの大学に寄付講座をつくり、本田教授をトップに据える予定のようだ。

  今朝のニュースでは大分県教委の教員採用試験の点数改ざんが話題となっている。やはり点数改ざんや特定の学生に便宜をはかる度胸は私にはない。学生、本田教授、学部長、ABC製薬のいずれとも一切この件について話をするのはやめよう。「これでいいのだ」と私は自分に言い聞かせた。液体クロマトグラフィーの部品代はディーラーに借金することにした。

  廊下で学部長とすれちがったので、私は会釈したが、学部長はそっぽを向いて通り過ぎた。嫌な雰囲気がただよう。しばらくして私がアカハラ(アカデミックハラスメント)をやっているという怪文書がばらまかれ、インターネットのボードなどにも何者かが同じ内容の投稿を行った。真相が明らかになると敵も困るにきまっているのだから、そんな姑息な行為は無視していればよいはずだが、実際にはそういうわけにはいかなかった。私の研究室に3月には6人いた大学院生のうち4人がやめた。我が子同様に可愛がってきた院生が、たかが風評でやめるというのは大きなショックだった。これも私の不徳か・・・。いやおそらく本田や学部長が裏で引き抜き工作をやった違いない。

  4月になると、やめた院生のうち2人が安藤教授の研究室に転籍したことがわかった。やはり奴も敵の一味だったのか・・・。やめなかった2人は大いに評価したいところだが、彼らは博士課程の3年生だったので、今更研究の内容が変更されるのは困ると思ったのだろう。あるいは彼らには引き抜き工作がなかったのかもしれない。新規に加わる院生もなく、私はいよいよコーナーに追い詰められた。このまま手をこまねいているとノックアウトされるのは目に見えている。

  敵はとことん姑息だ。事務的なものも含めて、いろいろ重要な情報が私に伝えられなくなった。伝えられても期限ぎりぎりで、大慌てで取り組むような場合が多くなった。学部学生対象の研究室オリエンテーションなどは知らないうちに行われていて、後でスケジュールを知ることになった。オリエンテーションがなければ、どんな研究室かわからないので学生としては志望のしようがない。学生が来なければ研究室は事実上消滅する。自分はもうここには居るべき場所がないということを自覚せざるを得なかった。私は自分を教授に推薦してくれた恩師でもある元学部長のもとを訪れることにした。彼はもう引退して自宅にいるはずだ。これからのことを相談したかったし、何より今回のような事態になったことを謝らなければならない。助教時代、准教授時代には彼のために私もそこそこ尽くしているので、なんらかの方策を示してくれるかもしれないという期待もあった。

☆ ☆ ☆

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  元学部長は退職後鎌倉に転居していた。退職はしていたものの、いまだに隠然たる影響力を行使しているという噂はよく聞いていた。閑静な高級住宅街にあるその家は、よく手入れされた日本庭園風の庭に囲まれていた。庭の一角に池があって、色とりどりの鯉が悠然と泳いでいた。作務衣風の衣服で現れた師が、にこやかに茶室のような離れに案内してくれた。部屋から庭をみると、ししおどしがしつらえてあり、コトンコトンと音をたてていた。

  世間話をしていると、夫人が現れて抹茶を点ててくれた。正式な作法のようだったが、私は茶道にはまったく無知だったのでかなり緊張した。しかしそれは本題を切り出すきっかけにはなったようだ。私は現在自分が置かれている状況について、元学部長に縷々説明した。そして最後に「私は自分に落ち度があったとは思っておりませんが、今回のような事態に至って先生にご心配をかけてしまったことは本当に残念です。申し訳ありません」と謝罪した。

  元学部長はぎこちなく笑いながら、私から眼をそらして意外な言葉をつぶやいた。
「う~ん そうか・・・。いや そうことなら心当たりがないでもない」

  私が怪訝な顔でみつめていると、しばらく押し黙って庭を眺めていた元学部長だったが、ようやく話し始めた。「私が学部長になるまでは、次に教授ポストが空けば君の話に出てきた本田が埋める予定だったんだよ。まあ一応公募はするんだが、年功序列ということもあって、そういうコンセンサスはあったんだな。でもそうなると当分君の目がなくなってしまうので困るよね。本田という男は猿知恵を使ってコソコソ裏で動くタイプで油断のならない奴だよ。ああいうのを使ってると、いつ寝首をかかれるかわからないからねえ。彼のところにいた浜中という助教を知ってるだろう。浜中君に頼んで、本田が業者に預金している証拠になる裏帳簿のコピーを持ってきてもらったんだよ。預金が公になったらそれこそ新聞沙汰の大事だからね。それを使って本田に公募を辞退してもらって、君を推薦したというわけだ。大逆転だね。もちろんアフターケアは怠ってないよ。君も知っているとおり、浜中君はP大学の准教授に押し込んで、今は教授になっている。私が退職した後本田が教授になったとは聞いていたが、君がそんな目にあっていたとはねえ」

  私は凍り付いた。では私に対して今行われていることは・・・意趣返し?
「私はどうすれば良いのでしょうか?」
「だから言ったでしょう。アフターケアは怠らないってね。まあ1年がまんして待ちなさい」

☆ ☆ ☆

  ほぼ1年後、残った二人の大学院生に学位を取得させて研究室がからっぽになったところで、元学部長から電話があって、Q大学の公募に書類を出すように指示された。言われるままに応募すると、数十倍の倍率だったにもかかわらずすんなり採用されて、私はQ大学に移籍することができた。私が在籍していた大学でもQ大学でも、以前はガチンコの公募で教官を採用していたが、外国で共同研究をうまくやって大量の論文を一流雑誌に出版している人物を採用したところ、傍若無人なキャラで長年培われてきた大学の円滑な運営システムや決まり事をぐちゃぐちゃにされるという羽目に陥ったことがあって、今ではほぼ裏で話がついた後公募するというスタイルに逆行してしまっている。

  移籍後数週間経って、あるなじみの業者にゴルフに誘われた。接待ゴルフは自粛していたが、どうしてもというので、割り勘ならということで同行することにした。幸い快晴に恵まれ、緑がまぶしいコースを回っていると、この1年の間に次々とふりかかってきた不愉快な出来事が、きれいさっぱり消えていくような気分だった。ラウンドを終えて上機嫌でクラブハウスのソファーで休んでいたとき、業者が近寄ってきて、指を3本立てながら私に耳打ちした。「このたびはQ大学教授にご就任おめでとうございます。多田先生からお礼はこのあたりでと伺っております」 そう言うと彼はそそくさと車を出して帰って行った。

  多田先生というのは私の恩師である元学部長のことだ。はて指3本は30万円なのか300万円なのか、それとも・・・。私は万一ということを考えて、就任のご挨拶という名目で多田元学部長の自宅を訪ね、なけなしの300万を菓子折に包んで届けた。元学部長は「ご苦労様」と言って、にこやかな顔で受け取った。3000万じゃなくて良かったという安堵感につつまれて私は恩師の家を後にした。

  門を出ると、「もう引き返せない。私はこれで魑魅魍魎が跋扈する暗闇世界の住人になってしまったのだ」という転落感が襲ってきた。しかし私は背筋をピンと伸ばして、「これでよかったのだ」と自分に強く言い聞かせた。

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万福ファンタジー

万福ファンタジー

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  万福は百済宮廷お抱えだった仏師の家系に生まれた。子供の頃から卓越した絵画の才能を認められたが、当時最新の乾漆の技術に関心を持ち、祖父・父と同様仏師への道を歩み始めた。腕を磨くために寺に通ううちに、自然の成り行きで仏教徒となった。祖父も父も仏師であり、そして仏教徒でもあった。乾漆とは木と粘土で大まかに像の形をつくった後、麻布と漆と麦粉のペーストを重ねて丁寧に造形し、さらに漆と麦粉・針葉樹の葉などを混ぜ込んだペーストで細部を仕上げるという手の込んだ技術だ。

  子供の頃から万福の美術・造形の才能は抜きんでていて、住職である老師も寺に出入りする他の仏師とは桁違いであることを認めざるを得なかった。そのまま平穏に仕事を続けていれば、朝鮮半島の歴史に残る大芸術家として名を残したかもしれない。しかし運命は彼にその道を歩ませなかった。祖父の時代には隆盛を誇っていた百済も唐と新羅の連合軍に滅ぼされ、新羅の支配下でもがき苦しんでいた。万福の家もすっかり没落し、お抱え仏師だった頃の面影はなかった。百済の残党は何度も反乱を起こしたが、そのたびに鎮圧されていた。そしてまた百済再興をめざす独立派反乱軍が蜂起し、今回は万福の父もその中に巻き込まれていた。政府軍と独立派反乱軍の激しい戦闘で、あちこちで市街戦やこぜりあいが勃発していた。

  ある日万福がいつも通っている寺院から帰宅すると、家は焼失し父母兄弟の姿は見あたらなかった。政府軍の襲撃を避けて隠れていた近所の知人の話によると、独立派関係者が多く住んでいる万福の家の周辺には次々と火が放たれ、逃げ出す人々を政府軍の兵士が皆殺しにしたそうだ。万福の父母や兄弟も斬られたらしい。見覚えのある近隣の人々の悲惨な死体がいくつか放置されていた。万福は狼狽しながら家族を探そうとしたが、兵士が遠くから万福たちをみつけて、こちらに走ってくるのが見えた。万福は知人と共に必死に逃げざるを得なかった。兵士は矢を放ち、知人は背中から射貫かれて倒れた。万福は必死に走り続けた。振り向くと苦痛にゆがむ知人の顔が遠ざかる。しかし兵士達は迫り来る。知人を助ける余裕はなかった。

  やっとの思いで万福は寺に逃げ延びた。万福が老師に事情を話すと、しばらく思案していた老師は奥の部屋にこもって手紙を書き始めた。書き終えると老師は万福を呼んで、いつになく厳しい表情で言った。「政府軍の見境のない所行から見て、ここも安全とは言えない。寺は反乱軍が逃げ込む場所とみられているやもしれぬ。おまえは特別な才能を与えられた者。ここで命を落とすようなことがあってはならぬ。今しばらくは、私の知り合いの僧がいる倭国に逃れたほうがよいであろう。一筆書いたものを渡すから、これをその僧に見せて導いてもらうがよい」。

  万福は「そんな見知らぬ国に行くことはできません」と答えたが、老師はさらに「倭国は昔百済が新羅・唐の連合軍と戦ったときに援軍を派遣してくれた古い友人だ。それに倭国には百済にもない大きな都があると聞く。国は栄え、仏に帰依する人々も増えているそうじゃ。寺男の敏男がお前を倭国まで連れて行くと言っておる。敏男には武芸の心得もある。何も心配することはない。早く行くのじゃ」と強く諭した。

  万福は馬に乗り、敏男と共に間道を港の方に急いだ。振り返ると寺院の周辺にも火の手が上がっていた。矢に倒れた知人は亡くなったのか。老師は大丈夫だろうか。家族はどうなってしまうのか。しかし今はその思いも封印するしかない。やっと港に出て敏男が準備してくれていた小舟の帆を上げ、遙かな倭国に向かって出発した。敏男は漁師の家に生まれ、後に百済再興をめざす反乱軍に加わったが、敗戦の後寺に身を隠していたようだ。対馬までは行ったことがあるそうだが、その先は彼にも未知の世界だった。対馬に渡ると、初めて見る言葉の通じない倭国の人々がいたが、敏男は倭国の人々と片言で話せるようだった。彼の話では倭国の言葉は新羅の言葉より自分たちの言葉に近いそうだ。「倭国というのは多分われわれの祖先が昔海を渡って建国した国だろう」と敏男は言った。敏男の言った通りならそう恐れることはない・・・と万福は少し安堵した。

  対馬には百済や新羅の漁師が泊まる漁師小屋もいくつかあって、倭国の人々はそれを容認しているようだった。万福と敏男は百済人の漁師小屋に宿泊し、いよいよ九州に向かった。天が味方したのだろう。2日でふたりは倭国に上陸し、さらに1日歩いて太宰府にたどりついた。百済や新羅の商人が大勢いたのにはびっくりした。百済の商人のひとりに倭国の役人にとりついでもらい、万福は自分の作品である小さな仏像をプレゼントした。役人はそれを見て大いに感動し、部下のひとりを平城京までの道案内につけてもらうことになった。敏男も隠れ場所だった寺が焼失したとすると、もう半島には居場所がなく、倭国に永住したいというので都まで同行することになった。ほとんど海路での旅になったが、常に陸地が見える内海だったので、玄界灘を渡ったときのような心細さはほとんど感じなかった。むしろ旅人をもてなす港の宿屋などもあり、宿の主人と旅人達が車座になって酒を飲むこともあった。万福は異国の地で、人生ではじめて酩酊した。

☆ ☆ ☆

  平城京はうわさに違わぬ立派な都だった。さっそく老師の知人だという僧侶道源を訪ねると、大いに歓待され、寺に住まわせてもらうことになった。道源師の祖父の故郷は百済で、白村江の戦いで倭国と百済の連合軍が敗れた後、倭国に亡命してきたそうだ。倭国についていろいろ知るにつれて、百済と似ているものが多いことに気がついた。道源師は「万福よ、お前も百済の難民なら我らに協力してこの国の発展に力を尽くさねばならぬ。この国を、我々を追い出した半島の人間を見返してやるような、御仏に導かれた高い文化を持つ国に育てようではないか」と万福に言葉をかけてくれた。後になってわかったことだが、この国の都には難民やその2世・3世など、百済にかかわりのある人々が驚くほど多かった。

  道源は権力者の藤原不比等の娘である藤三娘という女性を万福に紹介した。師は敏男にも藤原家の警護員の仕事を紹介したようだった。藤三娘は熱心な仏教徒で、道源のために寺を建てたのも彼女だった。藤三娘は万福を屋敷に迎え入れ「そなたは有能な仏師と聞く。なら私の姿を描いてみよ」とモデルになった。仏像を制作するためには、角度を変えて多数のデッサンを描くことからはじめるのが万福のやり方だったので、もちろん絵画も得意とするところだった。藤三娘は万福の絵を大いに気に入って、褒美の反物まで与えてくれた。それから万福は藤三娘の屋敷にしばしば出入りするようになり、仏像や書画の制作のみならず、大工ような仕事や雑用も与えられたが、持ち前の器用さでなんとかこなすことができた。ときには重要な書類や手紙を役人にとどけるような役目までまかせられるようになった。藤原家に使いに出たときには敏男に出会うこともあった。彼によると老師は私たちが逃げ延びたあと、寺に火を放たれ焼死したらしいということだった。

  すっかり万福を信頼するようになった姫(藤三娘)は、雑事を黙々とこなしている万福に愚痴をこぼすようになった。姫は普通の女とは異なり、この国の実質支配者の娘らしく政事(まつりごと)にも深い関心を持っていたらしい。だからだろう「この国のやんごとなき男どもは皆陰謀や権力闘争に明け暮れ、国のまつりごとを真剣に考える余裕などないのだ。誠になさけないこと」などとよく嘆いていた。万福のような外国人から見ても倭国の政治はあまりうまくいっているようには見えなかった。闇の世界で陰湿な権力闘争が行われているらしく、今度は誰々が謀殺されそうだというたぐいの噂が毎日都を飛び交っていた。

  それからまもなく姫を不幸が襲った。母親が死去したのだ。姫はそれを悲しみ、供養のために興福寺にお堂を建てて、そこに仏像を安置しようと計画した。そしてその仏像制作責任者のひとりに万福を指名した。20才になったばかりの若い仏師にとっては大変な栄誉だった。むろん万福をはじめ、指名された者達は皆張り切って制作に取りかかった。

  しかし万福にはひとつ大きな問題があった。あの新羅の手先による放火と皆殺しの惨劇を経験して以来、自分で納得のいく仏像を一体もつくることができないのだ。他人が賞賛してくれても、自分はよく分かっている。あれ以来慈愛に満ちた仏の姿がまやかしのように感じられるようになってしまった。このことは誰にも打ち明けられなかった。しかし仏像の制作期限は一周忌までと定められている。このような重要な仕事をまやかしですませるわけにはいかない。かといって世話になった姫の依頼を断るなど到底考えられない。悩みに悩んだ末、万福はひとつの決断をした。それは姫をモデルとして像を制作するということだった。今の自分にはそれしかできない。それで叱責をうけることになっても仕方がないという結論に万福はたどり着いた。

  決断した後は早かった。手許にはすでに以前に肖像画を依頼されたときの数枚のデッサンがあり、それを立体化するのは万福にとっては通常のプロセスだった。得意の乾漆の技術を用いて、悩み悲しみながらも強く手を合わせ仏の道を歩もうとする姫の阿修羅像を、万福は万感の思いを込めて制作した。彼はもちろん姫を愛していたが、身分の差はその思いを遂げるには大きすぎる。姫への秘められた思いは阿修羅像をさらに輝かしいものにした。それだけに、完成した像を姫に披露するときは、どんな反応があるか心臓が止まりそうだった。しかし一方で万福は姫のさばけた性格を知っていた。密かに期待していた通り、姫は自らに生き写しの像を許してくれた。そればかりか、万福が製作した像の前で万福と共に一晩祈りをささげた。夜が明けると落涙しながら万福を抱きしめ、姫は「これはわが姿形ばかりか、わが心根をそのまま表したものぞ」と万福に礼を言った。

  共に仏像を制作していた同僚の仏師達も、あまりに当時の常識とは異なる破天荒な万福の作品に驚愕した。その姿が高貴な依頼者とそっくりだったからばかりでなく、その像の放つ激しい精神の力に圧倒された。像の目は遠い未来を予見しているような魔力を感じさせた。こんな像は万福以外誰も製作することはできない。皆それが分かっていたので、口に出して万福を批判する者はいなかった。その像に最も批判的だったのは万福自身だったかもしれない。万福はこの作品を狂おしいほど愛していた。しかしまたこの像には、自分の人間世界や仏道に対する疑念が込められている。そのことは自分が一番よく分かっているが、いずれ他人にも必ず見破られる。万福は「今回は奇策によって破滅はまぬがれたが、もう仏師としての自分の人生は終わっている」と明確に認識した。これからどうやって生きていったらよいのか・・・万福には全く見当もつかなかった。ともかくこのまま姫のお抱え仏師として生きていくことはできない。

☆ ☆ ☆

  万福は阿修羅像が安置された興福寺西金堂の完成と共に姫の元を去り、太宰府に行って故郷に帰るチャンスをうかがうことにした。風の便りによると、敏男は藤原家の命で長屋王の暗殺にかかわったそうだ。そして敏男も、暗殺を命じた藤原四兄弟すべても、長屋王の呪いで疫病にかかって死んだという恐ろしい話も聞いた。姫の悲しみはいかばかりだっただろうか。万福はあの像が少しでも彼女の苦痛をやわらげることができたら・・・と祈ることしかできなかった。

  

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スズメたちのアイドル

スズメたちのアイドル

  夏の街は緑が濃く、遠くに峻険な山々がかすみがかかって屹立するのが見える。
野の花や花壇の花も咲き誇ってまぶしいくらい美しい。野外劇場ではオーケストラが華やかに、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲やグスタフ・マーラーの第一交響曲を演奏する。街の中心にある広場には、黄金色に輝く王子の像がこの春に建立された。まばゆい太陽の光を反射して光り輝くその像は街の誇りだった。

  街の人々は広場を通るたびに立ち止まって像を見上げ、王子の美しい容姿にうっとりしていた。旅人たちもその像の前に立ち止まり、似顔絵描きに自分と王子像を並べて描いてもらう。夏のお祭りは広場で盛大に行われた。街の名士達が市長の演説を聴こうと集まっている。市長は像と並んで大勢の市民に誇らしげに挨拶し、この地方の名産物であるワインを巨大なグラスに注いで乾杯の音頭をとった。

  名士達はみずからの寄付金で造られた王子像を褒め称える。
「この光り輝く王子は、繁栄する街のシンボルとしてぴったりですな」
「おっしゃる通り、これは自慢できる出来映えだね」
役人も言う。
「この塵一つない美しい広場にふさわしい輝きといえましょう。花壇の花たちも王子を引き立てていますよ」
広場の掃除と花壇の世話は、その役人の役目だ。
市長は名士達を褒め称える。
「皆さんのご寄付のおかげで、私たちはこんな素晴らしい像を手に入れることができたのです。本当に感謝します」

  しかし少し離れた場所で職人達はひそひそ話をしていた。
「寄付金の額の割には、えらく代金を値切られて困ったね」
「どうみても勘定が合わないな」
「市長がネコババしたんじゃないか」
「赤字になるから金箔は薄めにしたけどね。こちとらも慈善事業じゃないんだから」

  賑やかなのは人間だけではなく、この高原の街にはいろいろな夏鳥たちが繁殖のためにやってくる。盛大なさえずりで1日中さわがしい。スズメたちにとって、騒然とした夏は緊張を強いられる油断のならない季節だった。夏鳥達はみんな縄張りを主張して激しく争い、肉食の猛禽類も空を舞う。

  パン屋の屋根裏に住むスズメたちは夏鳥達を「自分たちの場所を不作法に荒らしていく無法者」とみなしていたが、唯一の例外はツバメだった。ツバメは彼らのあこがれの的だった。スズメたちは植え込みの陰に潜みながら、小声で口々にツバメを賞賛した。

「パンくずやゴミ箱をあさって生きている俺たちに比べて、あの目にもとまらぬ早さで蛾を加えていく技はなんなのだろう」
「私もあんな風に、くるくるっと回転しながら餌を捕まえてみたいわ」
「蛾やトンボって、パンくずよりうんと美味しいのかなあ」

☆ ☆ ☆

  騒々しい夏がようやく終わって、紅葉に包まれた静かな街がもどってきた。ときおり山からから冷たい風が吹いてくる。ツバメたちは次々南の国に飛び立っていったが、最後に残った一羽だけは、なかなかこの町を去っていかなかった。

「どうしたのかしら あのツバメ」
「カラスの話では、どうやら王子様の命令であちこちの貧乏な人間達に王子様の持ち物を届けてるらしいわよ」
「大丈夫なのかしら ひとりだけここに残されて淋しくないのかしら」
「王子様って言ったって、今や動けない彫像でしょう。命令なんてほうっておけばいいのに」
「でも かっこいいわ ジョナサンって名付けましょう」
「よーし、ジョナサンの後についていって、飛んでる虫を捕まえる練習をしよう」
「あの通りに飛べばいいのよね」
「よーし みんなで競争だ」

A 

  スズメたちは懸命にジョナサンの後についていこうとしたが、何秒もしないうちにみんな脱落した。数日頑張ってみたが、いくらやっても無駄だった。ジョナサンは相変わらず王子の体の金箔を剥がして、王子の指示通りに人間に届けていた。

  そのうち寒い朝に初雪が降った。スズメたちは目覚めると、いつものようにパンくずをひろいに飛び立った。しかし何秒か後に、みんなパタパタと翼を翻して元の屋根裏に引き返した。あのジョナサンがふらふらと、自分たちの餌場のパンくずをつついていたからだった。雀たちは凍り付いたように、じっとジョナサンの様子をみつめていた。

  ジョナサンは次の日、王子の彫像の台座で死んでいた。スズメたちはみんな泣いた。

「ジョナサン かわいそう」
「王子様が悪いのよ こき使って殺したのよ」
「寒がりのツバメを こんなに寒い日まで引き留めるなんて悪魔よ」
「人間って私たちよりずっと頭がいいんでしょう。それなのにどうして施し物が必要なの?」「俺たちはその人間からの施しもので生きているんだが」
「そうじゃないわ。彼らが不必要で捨てた物で生きているんでしょう。言い方に気をつけて!」
「ともかく これはただではひきさがれないな」
「制裁だ 制裁だ 王子に制裁だ」

みんな王子様の像にとまって口々にののしったが、王子様は何も言わなかった。どうやらツバメとしか話が通じないようだった。

  非難しても何の反応もないので、スズメたちはみんなで王子の頭に糞をした。何日かたつと王子の頭はまるで帽子をかぶったように糞でいっぱいになった。以前は街の誇りだった王子様の像だったが、しだいに市民が目をそむけて通り過ぎるようになった。そのうちこの冬最初の吹雪がやってきた。ジョナサンの屍は風にあおられて台座の上から地面に転落した。

  吹雪の翌日は快晴になった。市民のクレームを受けて市会議員達が王子像の様子を視察に来た。王子像は糞の帽子をかぶり、体を覆っていた金箔は剥がれていた。市会議員達は王子像を見上げながら「こんな汚い彫像は街の恥だな」「早く取り壊さないと」などと思い思いに像の悪口を言った。同行してきた大学教授は「このままだと衛生上困ったことになりますな」と意見を述べた。

  彼らが帰った後、すぐに市役所の作業員がやってきて、ツバメの屍はゴミ箱に捨てられ、王子の彫像は台座から引きずり下ろされて解体された。しかし台座だけは、あまりに重かったからだろう、そのまま放置された。残された台座の前を通り過ぎる人は、誰一人として足を止めなかった。

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  毎日木枯らしが吹く長い冬がやってきた。スズメたちパン屋の屋根の上に集まって公園をみたが、もうどこにもツバメも王子もいなくて、ただ冷たい風が吹き抜けていた。スズメたちは、みんな無口になった。

参考:オスカー・ワイルド「幸福の王子」

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