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2020年1月27日 (月)

98.原腸と胚葉

 動物の発生を研究業績として残した最初の人はアリストテレスということになっています。彼が残した「De Generatione Animalium」という本は詳細な研究書で、アリストテレスがかなり熱心に動物の発生を観察した結果が記載されています。Arthur Platt が英語に翻訳して1910年に出版した本をウェブサイトで読むことができます(1、図98-1)。
 私は「De Generatione Animalium」を全部読むつもりはありませんが、例えば毛髪については「老化するにつれて少なくなるが、生命が存在する限り伸びる」と書いてありました。さらに「死後も伸びる」と書いてありますが、これは現在では皮膚がひからびるために「伸びたように見える」という錯覚に基づくものとされています。それにしても死後の毛髪まで観察しているとは、彼の観察意欲の旺盛さがうかがえます。

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図98-1 アリストテレスの著作 「De Generatione Animalium(動物の発生)」

 近代になって発生学を生物学の中でメジャーなものとしたのは、シュペーマンと彼の研究室の大学院生であったマンゴルトによるオーガナイザーの発見でしょう。彼らはイモリの原腸胚の原口背唇部(図98-2の橙色の部分)を反対側にも移植すると、反対側にも神経管・頭部が形成されて、いわゆるシャム双生児のような上半身がふたつある個体の生物が発生してくることを発見しました(2-3、図98-2)。しかし原腸胚の時期を過ぎると、移植してもそのようなことは起こりません(2)。またホストとドナーで違う色のイモリを使った実験で、ドナーのオーガナイザーはそれ自身が新たな体軸を形成するのではなく、ホストの組織を誘導して結合双生児を形成することを証明しました。
 このことは、原腸胚という特定の時期に、オーガナイザーという胚の中の小さな部域のはたらきによって、神経管、上半身、脳などの発生が誘導されることを意味します。すなわち発生は決して神秘的な現象ではなく、科学で追求できる現象であることが明らかになりました。ヒルデ・マンゴルトはこのような大発見をしたことによって、カイザー・ウィルヘルム生物学研究所で研究指導者のポジションを獲得し、私生活でも図98-2のように子供を設けて順風満帆の輝かしい未来が開けたわけですが、まさにその時にキッチンでのガスストーブの爆発事故によって、1924年にわずか25才で世を去りました(4)。誠に人生は理不尽です。一方ハンス・シュペーマンは72才まで生きて、1935年にはノーベル生理学・医学賞を授賞しました(5)。

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図98-2 オーガナイザーの発見 シュペーマンとマンゴルト 右下はオーガナイザー移植によって発生したシャム双生児のようなイモリ

 動物発生の最初に起こるべき事は体軸の形成ですが(6)、その次に起こるべき事は口から肛門に至る消化管という管の形成です。それまで球形だった胚を貫通するトンネルができるわけです。ウニなどの場合、シンプルに球の一部がへこんで、そのままへこみが拡大伸長してトンネルが形成されます。このトンネルが原腸です。原腸形成は、将来消化管となるトンネルができること以外にも重要な意味を持っています。
 すなわちへこんだ部分の細胞と外側に残った細胞では、それぞれ将来どのような生体構造を分化させるかという運命が違うことになります。へこんだ部分の細胞を内胚葉、外側に残った細胞を外胚葉といいます。これ以外に、卵割腔のなかに落とし込まれた細胞(図98-3のウニ卵の中の赤い細胞)が中胚葉を形成します。なお図98-3の一部はKasui's Family のサイト(http://y-arisa.sakura.ne.jp)から借用させていただきました。御礼申し上げます。
 カエルなどの場合少し複雑で、最初にへこんだ部分そのものが原腸になるわけではなく、その周辺の細胞が引きずられて内部に陥入し原腸を形成します(図98-3)。脊椎動物では一般に陥入した細胞は内胚葉を形成せず、中胚葉に分類される細胞群となり、分化して脊索という結合組織を形成して、それに沿って脊索の背側に神経管が誘導形成されます。ウニなどと違ってカエルの場合、卵の内部が原腸陥入以前から、かなり細胞で埋まっています(図98-3)。この内部を埋めている細胞が内胚葉を形成します。

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図98-3 原腸の形成と3胚葉(外胚葉・中胚葉・内胚葉)の分化

 原腸形成の契機となる原口の形成はどのようなメカニズムではじまるのでしょうか?

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図98-4 原口形成のメカニズム

 それは外胚葉の一部にボトル細胞群という部分があり、ここにある細胞(ボトル細胞)は最初は円柱状ですが、外側の外界と接している部分が収縮して縮まり、コルベンをさかさにしたような形(逆3角形)が形成されます(図98-4)。 この「へこみ」に沿って図98-4のように細胞が胚の内部に陥入していって原腸が形成されます。ボトル細胞底面の収縮は筋肉と同様F-アクチンとミオシンの相互作用によります(図98-4)。このことを解明したのは Jen-Yi Lee と Richard Harland です(7)。ハーランド研のホームページに Jen-Yi Lee の名前はありますが、残念ながら消息はつかめませんでした(8)。
 鳥類や哺乳類では原口(ブラストポア)ではなく、原条(プリミティヴストリーク)という渓谷状の構造ができて、そこに細胞群が落ち込んでいきます(図98-5、図98-6)。ジオメトリックな意味で、両生類とくらべて陥入の方向が90度回転し、かつ2方向に分かれています。落ち込んだ細胞は中胚葉を形成し、残った細胞は外胚葉を形成します。同時に内胚葉も形成されます(図98-6)。鳥類・哺乳類におけるヘンゼン結節(図6)は、両生類の原口背唇部(オーガナイザー)に相当します。図98-6はodontologi.wikispaces.com のサイトから借用しました(9)。

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図98-5 胚内部に陥入する細胞群  原口から、原条から

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図98-6 ヒト胚原条に陥入する細胞の流れと3胚葉の形成

 胚葉という概念はラトヴィア出身の発生学者クリスチャン・ハインリッヒ・パンダーによってもたらされました(10、11、図98-7)。彼はニワトリの発生の形態学的研究から、中胚葉から血管が発生することを発見しました。図98-7のニワトリ胚の血管の図はパンダ-が描いたものです(10)。彼はニワトリ発生の研究を深く掘り下げないで、後に動物化石の研究者になりました。ドイツにはパンダ-協会という組織がありますが、これは発生学者の会ではなく、考古学者の会です。
 しかし彼の発生学における業績は、エストニア出身の友人であるカール・エルンスト・フォン・ベーア(図98-7)によって引き継がれました。ベーアはヒトを含む哺乳類の卵を発見したほか、脊椎動物の特徴として、まず脊索ができるということを示しました。また動物は発生の初期ほどよく似ていて、発生が進むにつれて違いがでてくるという考え方を生み出しました(12)。これはベーアの法則「胚の形成において,ある群のすべての構成員にみられる器官の一般的な性質のほうが,その群の個々の構成員を識別する特殊な性質よりも前に出現する・・・他」の根幹をなす考え方です。
 フォン・ベーアは1828年に「Über Entwickelungsgeschichte der Thiere」という本を出版していて、この本はパンダ-に捧げられています(13)。倉谷滋はこの本を読んだらしく、評論しています(14)。少し引用させていただきます。ちなみにパンダーやフォン・ベーアはチャールズ・ダーウィンより十数年前に生まれています。この本が出版されたとき、まだエルンスト・ヘッケルは生まれていません。

(引用開始)・・・「進化の認識が標準となったヘッケル以前は、発生が「進化を反復する」のではなく、「生物の序列を反復する」と考えられた。アリストテレス以来、この世には「下等な長虫」から始まり、カエルやトカゲを経て哺乳類、さらにヒトへと至る序列があり、この順番とヒトの発生過程、化石が出現する順序に並行関係があると考えられた。しかも哺乳類の胎児は、硬骨魚や両生類の親と直接比較されていた。フォン=ベーアは、この古典的反復説を現代的バージョンへと改訂するための橋渡しをした人物である。
 本書のなかで彼は「発生法則」を提唱、ある動物の胚が別の動物の親ではなく、胚に似ること、動物の一般的特徴が個別的特徴よりも早く現れることなどを指摘した。そうして彼は、当時の反復説を「否定」していたのだ。ところが同時にフォン=ベーアの考えは、胚の発生過程が、脊椎動物→四足動物→羊膜類→哺乳類→霊長類→ヒトのように、分類学的入れ子の順序で進行することを主張するものでもある。これを系統的に焼き直せば、ヘッケルの反復説そのものになる。
 このようなわけで現代の我々には、反復説の父として、また、その否定者としてのフォン=ベーアがともに現われることになる。彼自身はあくまで「否定」しているつもりだった。が、歴史を振り返る機会を与えられている我々は、はっきりと「現代版反復説の父」として記憶にとどめるべきだろう。ちなみに本書は、ニワトリ胚に3つの胚葉があること(胚葉説)を記した最初でもある。これによって比較形態学は発生学的根拠を得、同時に前成説も力を失ってゆく。当時にあって、実に画期的に科学的な本なのである。」・・・(引用終了)

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図98-7 発生学の創始者達 パンダーとフォン=ベーア

 原腸形成と同時に生成された内胚葉・中胚葉・外胚葉から、その後の発生過程の中でさまざまな臓器や生体組織が形成されてくるわけですが、それぞれの胚葉からどんな臓器・組織ができあがってくるかリストアップしておきます(図98-8)。より詳細を知りたい方は文献(15)などを参照して下さい。3胚葉からそれぞれの臓器・組織が分化してくるというのは非常に伝統的な知見で、もちろん根拠はそれなりにあるのですが、実はそれ以外にX胚葉とかY胚葉というものを想定して、そこから分化してきたと考える方が実態に近い可能性も残されています。つまり3胚葉に分化する時期前後に、ある別の細胞グループが独自に発生運命を定められているという可能性はあります。例えば図98-8の外胚葉系に含まれる神経堤は別の胚葉とした方が良いという考え方もあります。

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図98-8 3胚葉から分化する組織・器官(脊椎動物の場合)

 神経堤(Neural crest)という言葉はいままで出てこなかったので、図98-9で説明します。両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類のグループは、原腸陥入によって陥入した細胞の一部が脊索という組織をを形成し、その脊索の誘導によって背側の外胚葉が第2の陥入を起こして神経管が形成されます。このとき陥入して神経になる細胞群と、とどまって表皮組織になる細胞群の中間の位置に、図98-9で緑色に彩色した細胞群があります。この細胞群は神経管が形成される途中で、堤防のような位置に存在することから神経堤とよばれることになりました(図98-9)。

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図98-9 神経管と神経堤の形成   外胚葉が脊索方向に落ち込んで神経溝を形成する際に、神経管になる細胞と表皮になる細胞の間に、神経堤細胞という別グループの細胞群が発生する

 神経堤細胞群は自身が様々な細胞に分化すると共に、他の細胞の分化を誘導する役目も果たしているとされています(16、図98-10)。この細胞群が神経節の原基であることを同定したのはウィルヘルム・ヘスです(17)。江戸時代が終わった1868年のことでした。その後さまざまな組織がこの細胞群にルーツを持つことが示されました。ウィキペディア(16)にしたがって、図98-10にそれら、およびこの細胞群が誘導する組織をリストアップします。

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図98-10 神経堤細胞が分化する組織および誘導する組織

 

参照

1)Aristotole「De Generatione Animalium」translated by Arthur Platt
Oxford at the Clarendon Press (1910)
https://archive.org/details/worksofaristotle512aris
2)Spemann, Hans und Mangold, Hilde (1924) Über Induktion von Embryonalanlagen durch Implantation artfremder Organisatoren. Archiv für mikroskopische Anatomie und Entwicklungsmechanik
, Volume 100, Issue 3–4,  pp. 599–638 (1924)
https://link.springer.com/article/10.1007%2FBF02108133
英訳:http://www.sns.ias.edu/~tlusty/courses/landmark/Spemann1923.pdf
3)シュペーマン&マンゴルトの方法で作成した双頭のオタマジャクシ
https://neurophilosophy.wordpress.com/2006/12/20/how-to-create-siamese-twins-or-an-embryo-with-2-heads/
4)Maria Doty, The embryo project encyclopedia. Hilde Mangold (1898-1924)
http://embryo.asu.edu/pages/hilde-mangold-1898-1924
5)Wikipedia: Hans Spemann
https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Spemann
6)http://morph.way-nifty.com/lecture/2017/12/post-1408.html
http://morph.way-nifty.com/grey/2017/12/post-7bba.html
7)Lee, J.; Harland, R. M. (2007). "Actomyosin contractility and microtubules drive apical constriction in Xenopus bottle cells". Developmental Biology. 311: 40–52. doi:10.1016/j.ydbio.2007.08.010. PMC 2744900 Freely accessible. PMID
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0012160607012559?via%3Dihub
8)Harland研究室のメンバー:http://mcb.berkeley.edu/labs/harland/formerpeeps.html
9)https://odontologi.wikispaces.com/Embryologi%2C+instuderingshj%C3%A4lp
(2005年から活動してきたこのサイトは2018年に閉鎖されました)
10)Christian Heinrich Pander, Beitrage zur Entwickelungsgeschichte des Huhnchens im eye. (1817)
https://books.google.co.jp/books?id=cEdfAAAAcAAJ&pg=PA1&lpg=PA1&dq=Beitr%C3%A4ge+zur+Entwicklungsgeschichte+des+H%C3%BChnchens+im+Eie&source=bl&ots=wY5sKluEHN&sig=tvPTHU-Fn2B7VggwjbJ7LkpbeQc&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiVpp3QrdnYAhVBErwKHbnvBzsQ6AEILzAB#v=onepage&q=Beitr%C3%A4ge%20zur%20Entwicklungsgeschichte%20des%20H%C3%BChnchens%20im%20Eie&f=false
11)The Embryo Project Encyclopedia. Christian Heinrich Pander (1794-1865)
https://embryo.asu.edu/pages/christian-heinrich-pander-1794-1865
12)The Embryo Project Encyclopedia. Karl Ernst von Baer (1792-1876)
https://embryo.asu.edu/pages/karl-ernst-von-baer-1792-1876
13)Karl Ernst von Baer, Über Entwickelungsgeschichte der Thiere. (1828)
https://archive.org/details/berentwickelun01baer
14)倉谷滋: 反復するのか、しないのか ー フォン=ベーアの反復説? (2005)
http://www.cdb.riken.jp/emo/clm/clmj/0510j.html
15)Life Map Discovery, Embryonic Development of the Primitive Streak
https://discovery.lifemapsc.com/in-vivo-development/primitive-streak
16)ウィキペディア: 神経堤
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%A0%A4
17)Full text of "Untersuchungen über die erste Anlage des Wirbelthierleibes : die erste Entwickelung des Hühnchens im Ei"
https://archive.org/stream/untersuchungen1868hisw/untersuchungen1868hisw_djvu.txt

 

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