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2020年1月26日 (日)

94.ノックアウトマウス

 1970年代後半から、遺伝子クローニングやDNA塩基配列解析の技術が飛躍的に進歩しました。それにともなって、構造はわかったが機能がわからない遺伝子がたまっていくことになりました。このような未知遺伝子の機能を解析するには、とりあえずその遺伝子を無効化して何が起こるか見てみたいわけです。
 1980年代になってエヴァンスらが胚盤胞の内部細胞塊から多分化能をもつ細胞株(ES細胞)の樹立に成功し(1、図94-1~3)、ES細胞由来のマウスを作成することが可能になりました。1985年には、スミティーズらが相同遺伝子組み換え法によって、ベータグロビン遺伝子領域に外来のDNAを挿入できることを示しました(2、図94-1~3)。そしてついに1987年になって、カペッキらは、ヒポキサンチン-グアニンホスホリボシルトランスフェラーゼ (HPRT)という酵素の遺伝子の一部に、ネオマイシン耐性遺伝子を組み込んだベクタ-を作成し、ES細胞内で相同遺伝子組み換えを起こさせてHPRTを欠損する細胞を作成しました(3、図94-1~3)。個体レベルでは、HPRTを欠損すると体内に尿酸が蓄積して痛風や腎不全が引き起こされます(4)。
 エヴァンス・スミティーズ・カペッキらによって開発された技術は一般化され、どの遺伝子でも人為的に欠損させてその機能を調べられるようになりました。この功績によって彼ら3人に2007年のノーベル生理学・医学賞が授与されました(5、図94-1)。
 マリオ・カペッキはイタリア人ですが、父親は戦死、母親は反ファシスト運動を行ったかどで、ドイツのダッハウ強制収容所に送られ、孤児となったカペッキは4才からヴェローナの街を放浪して、数年間コチェビのような生活(ストリート・チルドレン)をしていたそうです(6)。幸いなことに母親は殺害を免れ、必死の捜索を行って戦後息子と再会。叔父の援助で渡米し、マリオは米国で教育を受けてハーバード大学大学院に進学することができました。

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図94-1 ノックアウトマウスの開発

 ノックアウトマウス(KOマウス)作成の概要は次のようになります。まず標的遺伝子と似ているが不活化した遺伝子を含むベクターを用意します。通常この内部にはネオマイシン耐性遺伝子などの、組み換えが成功した細胞を選択するための遺伝子を挿入しておきます。このベクターを胚性幹細胞(ES細胞)を培養しているシャーレに投入して、電気ショックやリン酸カルシウム処理などで細胞内に侵入させ、標的遺伝子との組み換えを行なわせます(図94-2)。
 組み換えに成功した細胞はネオマイシン耐性などで選別します。生き残ったES細胞(相同遺伝子組み換えに成功した細胞)を胚盤胞に注入します(図94-2)。注入された細胞は、内部細胞塊の細胞と混ざって、これから生まれる個体の一部になります。つまりこの胚盤胞はキメラ動物になります。

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図94-2 ノックアウトマウスの作成1 遺伝子を組み換えた細胞を杯盤胞に注入

 ノックアウトマウスを作成するためには熟練した研究者がチームを組んで、緊密なチームワークで行わなければなりません。通常図94-2~4のような研究を行なう場合、分子生物学担当者、細胞培養・胚操作担当者、などとは別に動物実験担当者を決めておく必要があります。動物実験担当者はまず研究の進行状態にあわせて、パイプカット手術(無精子となる)をした♂と正常な♀を交配させて、偽妊娠状態の♀を作成しておきます。偽妊娠状態の♀に図94-2のような方法で作成した胚盤胞を移植して着床させます(図94-3)。こうして仮親となった♀から生まれた子供は、本来の親由来の細胞と外部から注入したES細胞由来の細胞の両者を持っており、いわゆるキメラの状態になります(図94-3)。

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図94-3 ノックアウトマウスの作成2 キメラマウスの作成

 キメラマウスの卵または精子のなかにはES細胞由来の遺伝子を持つものがあるはずで、そのような生殖細胞と正常な動物の生殖細胞が接合すると、ES細胞由来の遺伝子をヘテロで保有する動物が生まれてきます(図94-4)。そのヘテロ動物同士をかけあわせると、メンデルの法則に基づいて25%の確率でホモの生物が生まれます。このホモマウスは本来持つべき遺伝子を2本の染色体共に喪失しているので、当該遺伝子に関していわゆるノックアウト状態になります(図94-4)。このような状態のマウスをノックアウトマウスとよびます。

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図94-3 ノックアウトマウスの作成3 ノックアウトマウス(ヘテロおよびホモ)の作成

 相同組み換えを起こさせるために、通常はES細胞の培養系にベクターを投入するのですが、もともとは図94-5のように、受精卵の核にDNAを注射する(マイクロインジェクション)という方法も採られました。吸引用の毛細管で吸引することによって卵を固定し、反対側から注射用毛細管でDNAを卵核に注入します。難しい技術で効率もよくないのですが、この方法でもノックアウトマウス作成が可能です(図94-5)。

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図94-5 毛細管をもちいて受精卵の核に遺伝子改変用DNAを注入する

 そもそも遺伝子は必要であるからこそ代々受け継がれてくるわけで、ノックアウトすれば当然不都合が発生するはずです。特に日常的に必要とされるタンパク質をコードする遺伝子をノックアウトすると、胚または胎仔のうちに死亡して生まれてさえこないということになります。それでは遺伝子の機能解析ができません。
 そこで外部からなんらかのシグナルを送らない限り遺伝子の喪失がおこらないような生物が、ブライアン・ザウアーらによって考案されました(7-8、図94-6)。それはCre/loxPというシステムですが、このシステムのルーツはバクテリオファージP1にあります。このファージは環状化するためにloxPという配列(図94-6)を両端に持っており、この2ヶ所にCreというリコンビナーゼが結合し、その後それぞれのCreが結合することによって反応がはじまって、ホストDNAからファージDNAが切り出されて環状化します。
 ブライアン・ザウアーという人はもともと天文学者になりたかったそうですが、ウィスコンシン大学の数学科を卒業してから縁あってデュポン社の研究所で仕事をするようになり、そこで同僚がバクテリオファージのCre/loxPシステムを研究していたので、それを真核生物の研究に役立てる方法はないかと考えるうちに、遺伝子ノックアウトに使えるのではないかと思いついたそうです(9)。
 標的遺伝子と相同組み換えを行なうDNAの両端にloxP配列を入れておくと、そのDNAが標的遺伝子と同じ機能を持つとしても、Creが作用すればloxPにはさまれた部分は環状化してゲノムから切り離され、遺伝子機能は失われます(図94-6)。ここでCreを核内に侵入させる方法を考えます。あるシグナルがあると核内に移行するタンパク質があれば使えるかもしれません。たとえばエストロジェン受容体にCreを結合し、タモキシフェンを作用させるとエストロジェン受容体はCreと共に核内に移行します。そうするとCreはloxPと反応して標的DNAを切り出し無効化させることができます。すなわちタモキシフェンの投与によって、随時遺伝子をノックアウトできるのです(10、図94-6)。

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図94-6 Cre/loxPシステムによる標的遺伝子の切り出し

 このCre/loxPというシステムは大変便利なもので、Creの遺伝子をゲノムにあらかじめ組み込んでおき、その上流にあるプロモーターを組織特異的に機能するプロモーターに付け替えておくと、例えば筋組織だけで機能するプロモーターだと、筋組織だけである時期にCreが発現して遺伝子を無効化する生物を作成することができます(図94-7)。エストロジェン受容体を利用する方法だと任意の時間に遺伝子を無効化できるのに対して、この方法だと組織特異的に任意の遺伝子を無効化できるということになります。したがって個体全体の遺伝子を無効化すると死亡するような場合でも、ある組織だけだと死亡させないでその効果をみることができます。

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図94-7 遺伝子の組織特異的ノックアウト

 また、標的遺伝子をloxPではさみ、さらにレポーター遺伝子(たとえば細胞を緑色に光らせるGFP遺伝子など)をつないだ相同組み換えを行なったマウス(floxedマウス)を作成し、これとCreをゲノムに組み込んだマウスを交配するとCre/loxPマウスが作成できます(図94-8)。図94-8について説明すると、まずCreを遺伝子導入したマウス(左上)と、解析対象の遺伝子をloxPで囲み下流にGFP遺伝子を配置したマウス(右上)とを掛け合わせます。Creが発現した細胞(左下)では解析対象の遺伝子が排除されるため、仮にその遺伝子が発現すべき時には代わりに下流に導入したGFPが発現します。Creが発現しない細胞(右下)では元々の遺伝子が発現します。あとは上記の通り、時期特異的なり組織特異的なりの方法で、本来なら発現しているはずの遺伝子が発現していない場所を光らせてマーキングすることができ、このことを利用して遺伝子機能を解析することができます。
 実はこれらのプロセスのかなりの部分は、お金さえあればコンディショナルノックアウトマウス作製受託サービス業者に委託してやってもらうことも可能です(11)。また胚や精子を大学や業者に預けて保存してもらうことも可能です(12、13)。マウス以外の遺伝子をマウスゲノムに導入し、かつその外来遺伝子に対応するマウスにおける相同遺伝子を破壊するするような高度な技術を用いた実験も業者に委託することが可能です(11)。

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図94-8 Cre-loxPの下流にGFP遺伝子を導入したシステム

 

参照

1) Evans, M. J., and Kaufman, M. H. Establishment in culture of pluripotential cells from mouse embryos. Nature, vol. 292, pp. 154-156 (1981). doi:10.1038/292154a0
http://www.nature.com/articles/292154a0
2) Oliver Smithies, Ronald G. Gregg, Sallie S. Boggs, Michael A. Koralewski & Raju S. Kucherlapati., Insertion of DNA sequences into the human chromosomal β-globin locus by homologous recombination., Nature vol. 317, pp. 230–234 (1985) doi:10.1038/317230a0
http://www.nature.com/articles/317230a0
3)Thomas, K. R., and Capecchi, M. R. Site-directed mutagenesis by gene targeting in mouse embryo-derived stem cells. Cell, vol. 51, pp. 503-512 (1987).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2822260
4)Weblio辞書 レッシュ・ナイハン症候群
5)The Nobel Prizein Physiology or Medicine 2007 is awarded jointly to Mario R. Capecchi, Martin J. Evans and Oliver Smithiesfor their discoveries of “principles for introducing specific gene modifications in mice by the use of embryonic stem cells”
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2007/popular-medicineprize2007.pdf
6)Wikipedia: Mario Capecchi
https://en.wikipedia.org/wiki/Mario_Capecchi
7)Sauer, B. "Functional expression of the Cre-Lox site-specific recombination system in the yeast Saccharomyces cerevisiae". Mol Cell Biol. vol. 7 (6): pp. 2087–2096. (1987)doi:10.1128/mcb.7.6.2087. PMC 365329 Freely accessible. PMID 3037344.
8)Sauer, B.; Henderson, N. (1988). "Site-specific DNA recombination in mammalian cells by the Cre recombinase of bacteriophage P1". Proc. Natl. Acad. Sci. USA. vol.85 (14): pp. 5166–5170. (1988)  doi:10.1073/pnas.85.14.5166. PMC 281709 Freely accessible. PMID
9)DNA Learning Center, Biography 41: Brian Sauer
https://www.dnalc.org/view/16868-Biography-41-Brian-Sauer-1949-.html
10)D Metzger, J Clifford, H Chiba, P Chambon.,  Conditional site-specific recombination in mammalian cells using a ligand-dependent chimeric Cre recombinase. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., vol. 92(15); pp. 6991-6995 (1995) [PubMed:7624356]  [WorldCat.org]
11)(株)トランスジェニック
http://www.funakoshi.co.jp/contents/7812
12)(株)トランスジェニック
http://www.transgenic.co.jp/products/mice-service/modified_mouse/icsi.php
13)京都大学医学部附属動物実験施設報 第2号
http://www.anim.med.kyoto-u.ac.jp/NEW_ILA/reports/v2/2seijyou.htm

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