99.初期発生と情報伝達 I
ヒトは一人では生きられないといいますが、一般に多細胞生物の細胞は1個では生きられません。他の細胞が発したシグナルを受け取って、自分が何をすべきかを判断するというシグナル伝達のウェブのなかで多細胞生物の個々の細胞は生きています。情報はホルモン、フェロモン、サイトカインなどの生理活性物質、神経伝達物質、臭い、光などで細胞に伝えられますが、それらを細胞膜で受け取って細胞内に伝えるのがGタンパク質共役受容体(G protein coupled receptor = GPCR)であり、これは生命の本質と極めてかかわりの深い物質と言えます(1)。
GPCRはヘビのようにクネクネと分子を折れ曲がらせて細胞膜を7回貫通しているタンパク質で、糖鎖(N-グリカン)と脂質(パルミトイルグループ)を結合しています(図99-1)。細胞膜の外側にはみ出した部分に情報物質を受け取る受容体部分があり、ここにリガンドが結合することによってタンパク質全体が構造変化を起こして細胞内に情報を伝えます(図99-1)。現在ヒトでは約800種類のGPCRの存在が報告されています。ほとんどの動物は膨大なGPCR分子群を保持していると考えられています(1)。この分子を発見した功績でブライアン・コビルカとロバート・レフコヴィッツは2012年のノーベル化学賞を受賞しました(2、図99-1)。後に出てくる wnt (ウィント)もGPCRグループの分子です。
図99-1はウィキペディアから借用した図で、細かいことが色々掲載されていますが、とりあえずGPCRには細胞外につきだした部分、細胞膜に埋め込まれた部分、細胞内に垂れ下がっている部分の3つの領域があること、そしてペプチド鎖が細胞膜を7回貫通していることを見ておいて下さい。
図99-1 Gタンパク質共役受容体(GPCR)
幹細胞などの未分化な細胞に何ができるかというと、それは分化と増殖です。それともうひとつ、なにも変化しないでそのまま待機するというのも大事な役割ではあります。極限的な幹細胞は卵ですが、卵も受精するまではなるべく変化しないで待機しているのが普通です。そして受精すると一気に活性化します。受精したばかりの卵は細胞分裂を行なうと共に、あらゆる細胞に分化するポテンシャルを持っており、さまざまなシグナルによって制御されながら分化への道を歩み始めます。細胞を導くシグナルは多様ですが、とりわけ Wnt、TGF-β、FGFなどのグループに所属する分子群は様々な指示を細胞に与える情報伝達物質で、初期発生においても重要な役割を果たしています。
Wnt1は例えばマウスでは370個のアミノ酸からなる分子量41,086のタンパク質で、4ヶ所に糖鎖が結合し、1ヶ所に脂質が結合しています(3)。Wntシグナル伝達経路は単細胞生物・植物・カビ・細菌などにはみられませんが、海綿を含むほとんどの動物(メタゾア=後生動物)には存在すると考えられています(4)。また単細胞生物にもいくつかのモジュール(経路の一部)は存在するので、これらをうまく組み合わせることによって多細胞生物が成立し得たとも考えられます(4)。
Wntシグナルはショウジョウバエの wingless変異体をショウプ(Shope)が発見したことが発見の契機となったと様々な文献に書いてあるのですが(4-6)、オリジナルの引用はありません。ひょっとするとヒンディー語で書いてあるので引用できないなどということがあるのでしょうか? そういうわけで肖像写真も発見できず、図99-2に載せられなくて残念です。Wingless変異体群のなかにはWntだけでなく、dishevelled などさまざまなWntシグナル伝達経路の要素となる分子の遺伝子変異体が網羅されていました。
哺乳類の Wnt はショウジョウバエのホモログを探索してみつかったのではなく、図99-2に写真を掲載したヌッセとヴァーマスがマウスの乳がん原因遺伝子としてint-1をクローニングしたら(7)、それがたまたまショウジョウバエのwinglessのホモログらしいことがわかって、折半して Wnt-1と改名したのが真相のようです(8)。現在では哺乳類においては19種類のWntが同定されています(9)。
図99-2 Wntシグナル研究のパイオニア ロエル・ヌッセとハロルド・ヴァーマス
標準的なWntシグナル伝達系で重要な役割を果たすのが β-カテニンというタンパク質です。β-カテニン(β-Cat)は通常は構造タンパク質として図99-3の左図のように、カドヘリンに結合して細胞接着を実行する複合体の一部に組み込まれています。このとき余剰のβ-Catは分解複合体に吸収されてリン酸化され、これが目印となって分解されてしまいます(10、図99-3)。ところが Wnt シグナルが存在するとβ-Cat分解複合体が形成されず、細胞質に浮遊するβ-Cat は核にとりこまれて転写因子として機能します(11-12、図99-3)。同じ分子に全く異なる機能を持たせるというのは危険な選択だと思いますが、このようなやり方を生物は選択したわけです。
図99-3 Wntシグナル(標準型)の作用機構
Wntシグナル伝達系はβ-カテニンを介した転写制御以外にも、プロフィリンをはじめとするアクチン結合因子などを介して細胞骨格を制御する機能も持っています(13-15、図99-3)。胞胚から嚢胚に移行する過程で細胞は変形したり、テンションを与えたり、移動したりするので、Wntシグナル伝達系は様々な方法でこのようなプロセスを制御していると考えられます。Wnt に関してはNusseがWntホームページを運営しているようなので、わからないことがあれば訪問してみると良いかもしれません(16)。
Wntシグナル伝達系には標準的(canonical)経路以外に、いくつかの非標準的(noncanonical)なβ-Catを介さない経路も報告されています。発展途上の分野でもありこれらの経路について詳しく述べることはできませんが、アクチン結合タンパク質を介してアクチンの重合を制御し、細胞骨格の再編成をおこなうという効果をもたらす経路があるようです(17、図99-4)。胞胚から嚢胚に至る過程で、細胞はさかんに形態変化や移動を行なうので、活発な細胞骨格の活動は欠かせません。
図99-4 Wntシグナル(非標準型)の作用機構
さてWntシグナルに続いて重要な情報伝達系としてTGF-β スーパーファミリーが関与するものがあります。最初の発見者はアソイアンらとされています(18)。リチャード・アソイアンは現在ペンシルベニア大学で薬理学の教授をやっていますが、若い頃ニューヨーク市街をドライヴ中に銃撃され左目を失うという悲劇を経験しています(19)。運が悪かったのでしょうか、それとも命があっただけ運が良かったのでしょうか?
Wntと同様TGF-βも様々な多細胞生物にユニバーサルに存在し、23の異なる遺伝子がみつかっています(20)。アンドリュー・ヒンクによって、それらの分子進化的な関係も明らかにされています(21、図99-5)。
図99-5 TGF-βスーパーファミリーのメンバー
これらのTGF-β スーパーファミリーのなかから、まずBMPをみてみましょう。BMPはbone morphogenetic protein = 骨形成因子の略称で、ウォズニーらによって1988年に遺伝子が同定されて、TGF-β スーパーファミリーのメンバーであることがわかりました(22)。現在BMPと名前が付けられている分子はヒトでは12種類あるそうですが(図99-5でGDFという名前がつけられているものも含めると15種類)、それらが本当に近縁なグループではかならずしもありませんし(図99-5)、またすべてに骨形成活性があるわけでもありません。モノマーの分子量は多くは2~3万程度です。
このファミリーのタンパク質は wnt と同様、細胞の外から細胞膜の受容体に結合することによって生理作用を惹起するリガンドです。その受容体はwnt とはことなり、1回膜貫通タンパク質です(図99-6)。細胞内の領域にはセリン・スレオニンキナーゼの活性部位があります。BMPは骨形成促進作用とは別に、初期発生においても中胚葉の誘導などに重要な役割を果たしていることが示唆されています(23-25)
BMP受容体(レセプター)単分子には1型と2型があり、それぞれ2分子づつ合計4分子でリガンドを受け止めます(図99-6)。4つの分子が受容体のサブユニットのような形になっています。リガンドが結合すると2型のセリン・スレオニンキナーゼによって1型のGSボックスという部位がリン酸化されて、1型のセリン・スレオニンキナーゼ酵素活性部位が活性化されます(23、図99-6)。これによってsmad1、smad5、smad9がリン酸化され,次いでこれらがsmad4と複合体を作ることによって核へ移行し,転写活性を制御することになります。またsmad を介さない経路もあることがわかっています(23、図99-6)。
図99-6 BMPシグナル受容体と情報伝達
次にFGFについてもふれておきましょう。FGFはfibroblast growth factor = 繊維芽細胞増殖因子)の略称で、最初はフーゴ・アーメリンによって報告されました(26)。現在脊椎動物には22種類のFGFが報告されており、ヒトも22種類のFGFを持っています(27-28)。分子量は17kDa~34kDaで様々であり、FGFグループに所属する分子種間の相同性は高くないようですが、それぞれの分子種の動物種間での相同性は極めて高いそうです(28)。NCBIのデータバンクで fibroblast growth factor 遺伝子の塩基配列を検索すると33610件ヒットしたのでびっくりしました(29)。
FGF受容体は免疫グロブリンスーパーファミリーに所属するタンパク質で1回膜貫通タンパク質です。脊椎動物は4種類のFGF受容体を持つことが知られています。受容体分子は細胞外に免疫グロブリン様ドメインを2または3個持っています(オルタナティヴスプライシングによって変化する)。免疫グロブリンでは抗原を結合するサイトですが、FGF受容体ではFGFを結合します(29-30、図99-7)。
免疫グロブリンドメインは図7のようにβシートがいくつも折り重なったような構造になっています。FGF受容体は細胞内にチロシンキナーゼドメインを1分子について2個づつ持っており、これでさまざまな分子をリン酸化することによって最終的に転写因子を核内に送り込む役割を持つカスケードを発動します。
図99-7 FGFシグナル
参照
1)Wikipedia: G protein-coupled receptor
https://en.wikipedia.org/wiki/G_protein-coupled_receptor
2)Kungul. Vetenskapsakademien, Press release, The Nobel Prize
https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/2012/press-release/
3)UniProtKB - P04426 http://www.uniprot.org/uniprot/P04426
4)Thomas W. Holstein, The Evolution of the Wnt Pathway., Cold Spring Harb Perspect Biol. (2012) Jul; 4(7): a007922. doi: 10.1101/cshperspect.a007922
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3385961/
5)太田 訓正、河野 利恵、脳科学辞典「wnt」
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/Wnt
6)wikipathologica WntタンパクとWnt/βカテニン経路
http://www.ft-patho.net/index.php?Wnt%20protein
7)R Nusse, H E Varmus, Many tumors induced by the mouse mammary tumor virus contain a provirus integrated in the same region of the host genome. ,
Cell: vol. 31(1); pp. 99-109 (1982)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6297757
8)濃野勉 「Wntファミリーと形態形成」 現代医療 vol. 32, pp. 1912-1921 (2000)
http://www.kawasaki-m.ac.jp/molbiol/WntRevMS00.pdf
9)山本英樹 「Wnt シグナル伝達経路の活性制御と発がんとの関連」 生化学第80巻第12号,pp.1079-1093,(2008)
10)Liu C, Li Y, Semenov M, Han C, Baeg GH, Tan Y, Zhang Z, Lin X, He X. Control of beta-catenin phosphorylation/degradation by a dual-kinase mechanism. Cell Vol. 108: pp. 837–847. (2002)
http://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(02)00685-2?_returnURL=http%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0092867402006852%3Fshowall%3Dtrue
11)Miranda Molenaar et al., XTcf-3 Transcription Factor Mediates β-Catenin-Induced Axis Formation in Xenopus Embryos., Cell Vol. 86, Issue 3, pp.391–399, (2009)
https://www.morebooks.de/store/gb/book/role-of-tcf-in-body-axis-formation/isbn/978-3-8383-2052-6
12)Behrens, J., von Kries, J. P., Kuhl, M., Bruhn, L., Wedlich, D., Grosschedl, R., and Birchmeier, W., Functional interaction of beta-catenin with the transcription factor LEF-1. Nature 382, pp. 638-642. (1996)
13)Patricia C. Salinas, Modulation of the microtubule cytoskeleton: a role for a divergent canonical Wnt pathway., Trends in Cell Biology., Vol. 17, Issue 7, pp. 333–342, (2007) http://dx.doi.org/10.1016/j.tcb.2007.07.003
http://www.cell.com/trends/cell-biology/fulltext/S0962-8924(07)00136-5
14) Stamatakou E, Hoyos-Flight M, Salinas PC, Wnt Signalling Promotes Actin Dynamics during Axon Remodelling through the Actin-Binding Protein Eps 8.
PLoS One. 2015 Aug 7;10(8):e0134976. doi: 10.1371/journal.pone.0134976. eCollection (2015)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26252776
15)Akira Sato, Deepak K. Khadka, Wei Liu, Ritu Bharti, Loren W. Runnels, Igor B. Dawid, Raymond Habas, Profilin is an effector for Daam1 in non-canonical Wnt signaling and is required for vertebrate gastrulation., Development Vol. 133: pp. 4219-4231 (2006) doi: 10.1242/dev.02590
16)Roel Nusse:The Wnt homepage:
https://web.stanford.edu/group/nusselab/cgi-bin/wnt/node/269
17)Yuko Komiya and Raymond Habas, Wnt signal transduction pathways., Organogenesis. , Vo. 4 (2): pp. 68–75. (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2634250/#__sec4title
18)Assoian RK, Komoriya A, Meyers CA, Miller DM, Sporn MB, "Transforming growth factor-beta in human platelets. Identification of a major storage site, purification, and characterization". J. Biol. Chem. vol. 258 (11): pp. 7155–7160. (1983)
19)Todd S. Purdum, The New York Times, Professor loses eye in shooting on broadway., http://www.nytimes.com/1987/03/21/nyregion/professor-loses-eye-in-shooting-on-broadway.html
20)Wikipedia: Transforming growth factor beta superfamily.,
https://en.wikipedia.org/wiki/Transforming_growth_factor_beta_superfamily
21)Andrew P. Hinck, Structural studies of the TGF-βs and their receptors – insights into evolution of the TGF-β superfamily., FEBS Letters, Vol. 586, Issue 14, pp. 1860-1870 (2012)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0014579312004036
22)JM Wozney et al., Novel regulators of bone formation: molecular clones and activities., Science Vol. 242, Issue 4885, pp. 1528-1534 (1988)
DOI: 10.1126/science.3201241
http://science.sciencemag.org/content/242/4885/1528
23)三品 裕司、BMPシグナルの多彩な機能̶̶ 初期発生から骨格形成まで., 生化学 第89 巻第3号,pp. 400‒413(2017)
https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2017.890400/data/index.html
24)Mishina, Y., Suzuki, A., Ueno, N., & Behringer, R.R., Bmpr encodes a type I bone morphogenetic protein receptor that is essential for gastrulation during mouse embryogenesis. Genes Dev., vol. 9, pp. 3027‒3037. (1995)
http://genesdev.cshlp.org/content/9/24/3027
25)Beppu, H., Kawabata, M., Hamamoto, T., Chytil, A., Minowa, O., Noda, T., & Miyazono, K. , BMP type II receptor is required for gastrulation and early development of mouse embryos. Dev. Biol., 221, 249‒258. (2000) https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10772805
26)Hugo A. Armelin, Pituitary Extracts and Steroid Hormones in the Control of 3T3 Cell Growth., Proc Natl Acad Sci U S A., Vol. 70(9): pp. 2702–2706. (1973)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC427087/
27)Wikipedia: Fibroblast growth factor, https://en.wikipedia.org/wiki/Fibroblast_growth_factor
28)David M Ornitz and Nobuyuki Itoh, Fibroblast growth factors., Genome Biology vol. 2: reviews 3005.1 (2001)
https://genomebiology.biomedcentral.com/articles/10.1186/gb-2001-2-3-reviews3005
29)https://www.ncbi.nlm.nih.gov/nuccore/?term=fibroblast+growth+factor
30)Wikipedia: Fibroblast growth factor receptor,
https://en.wikipedia.org/wiki/Fibroblast_growth_factor_receptor
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