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2020年1月25日 (土)

89.ヒトゲノム

 ヒトゲノムについて語る前に、まずゲノム(英語ではジノム)とはなにか、どう定義するのでしょうか? これがなかなか一筋縄ではいきません。とりあえずウィキペディアの定義では下記のようになっています(1)。

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In modern molecular biology and genetics, a genome is the genetic material of an organism. It consists of DNA (or RNA in RNA viruses). The genome includes both the genes (the coding regions), the noncoding DNA and the genetic material of the mitochondria and chloroplasts.

拙訳:現代の分子生物学および遺伝学において、ゲノムはひとつの生命体の遺伝物質を指します。それはDNA(RNAウィルスではRNA)で構成されています。ゲノムは遺伝子(コーディング領域)、非コーディングDNA、ミトコンドリアと葉緑体の遺伝物質を含みます。
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 ところが日本語版のウィキペディアでは、たとえばヒトゲノムといった場合、ヒトのミトコンドリアの遺伝物質は含まないとも解釈できる記載があるので、英語版とは若干ニュアンスの違いが感じられます(2)。日本語版の方がわかりやすい感じもするので、ここではミトコンドリアのゲノムは含まないことにします。
 ここでコーディング、非コーディングという言葉が出てきました。コーディングDNAとは、その部分のDNAが転写されてmRNAとなり、さらに翻訳されてタンパク質となるDNAの領域を意味します。エクソンはコーディング領域と同義ではなく、エクソンのなかにもタンパク質に翻訳されない領域があり、また当然tRNAのエクソンはすべて翻訳されません。エクソン以外の部分はイントロンも含めてすべて非コーディングDNAです。非コーディングDNAには転写されてリボソームRNAやトランスファーRNAを生成するための領域、転写調節因子の結合部位、偽遺伝子、トランスポゾンなどを含みます。
 ではヒトゲノムにおいて、コーディング領域、非コーディング領域はそれぞれどのくらいの割合になっているのでしょうか? 図89-1をみてみましょう(図89-1は文献3、4などを参照して作成しました)。実際にその塩基配列がタンパク質と対応しているコーディング領域は全ゲノムの1.3%に過ぎません。ヒトをマシンとしてみると、非常に効率が悪いシステムです。それはもちろんヒトは誰かが設計して作った作品ではなく、進化の結果として様々な歴史をしょって生まれてきたからです。
 エクソン以外にイントロンは遺伝子の一部です。rRNA、tRNA、snRNA、miRNAなどさまざまなRNAに対応するDNAも遺伝子です。進化の過程で不要になり崩壊過程にある遺伝子は偽遺伝子です。また遺伝子を制御するために、転写因子と結合するDNAの領域もその意義が明確です。しかしこれら素性と意義が明確なDNA領域を全部たしても、ゲノムの半分にもなりません。ゲノムのそれ以外のほとんどの部分は機能のわからない未解明領域とトランスポゾンで構成されています。

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図89-1 ヒトゲノムの構成  遺伝子部分は34.3%しかなくトランスポゾンがより多くの領域を占めている

 トランスポゾンはその転移能力が活発に発揮されると、頻繁に遺伝子に割り込んだり非相補的な組み換えがおこったりしてホストが死んでしまうので、ある程度暴れたら転移能力を失ってホストと共存します。そうなった生き物しか生き残れません。ヒトのトランスポゾンもその原理は同様で、ほぼすべてのトランスポゾンにおいてトランスポゼースの遺伝子が壊れて不活化しているので、転移することはできません(5)。
 万一転移がおこってその細胞に不具合が発生しても、体細胞では代替する他の細胞がいるので、がんが引き起こされるような特殊な場合を除いては問題はおこりません。しかし生殖細胞ではそこに起源を持つ細胞がすべて転移したトランスポゾンを保有することになるので、深刻な疾病を引き起こす可能性があります。例えばAluの転移が原因とみられる疾病も数多く知られていますが(6)、それらのほとんどは遺伝病であり、遠い過去に起こったことが現在まで引き継がれていると考えられます。現在のAluに転移する能力はありません。ただしAluも含めてSineは生殖巣において転写されることが知られており、しかもホストにストレスがかかると意外にもその転写量が膨大になるそうです(7)。このことは何か意味がありそうな気がします。Aluの歴史については文献(7)を参照してください。
 コーディング領域の遺伝子については、ウィキペディアにグラフが出ていたので転載しておきます(8)。意外に構造タンパク質や酵素の割合は高くなく、転写因子・DNA結合因子・トランスポーターなどの遺伝子が多くの領域を占めていることがわかります。

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図89-2 タンパク質をコードする各種遺伝子の分類と割合

 ヒトゲノムという概念は抽象的なものですが、その実体は染色体にあります。染色体を顕微鏡で見て形態を観察する技術は19世紀から開発されており、サットンはそれによって20世紀初頭に遺伝因子=染色体という説を唱えました。しかしそれからヒトの染色体は何本あるかという結論までは50年以上の歳月を要しました。アルベルト・ルヴァンとジョー・ヒン・チョー(図89-3)がヒトの染色体は46本であると報告したのは、ワトソンとクリックがDNAの構造を解明してから3年も後の1956年でした(9)。
 ジェローム・ルジェーヌは体細胞の21番染色体が3本存在することによって、ダウン症候群が発生することをみつけました。

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図89-3 ヒト染色体研究のパイオニア達

 色素による染色で分別されたヒト染色体一覧を図89-4に示します。点線はセントロメアの位置です。X染色体とY染色体はあまりにも形態が異なっており、相同性が保たれている部分も短いので厳密には相同染色体とはいえませんが、細胞分裂の際には相同染色体のように行動します。

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図89-4 ヒトの染色体一覧

 古典的なギムザ染色法によって染色体を分別する方法をGバンド法といいます。図89-5にその例を示します。ATリッチな部位が濃く染まり、GCリッチな部位は薄く染まるとされています(10)。

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図89-5 Gバンド法およびAlu染色を行ったヒト染色体

 現在ではFISH(Fluorescent InSitu Hybridization)法によって染色体の分別がよくおこなわれます。この原理は図89-6で説明しますが、図89-5の下図ではAlu配列を標的として、緑色蛍光色素で染色しています(11)。Aluの多い場所が緑色に染色されます。Alu配列のある場所に大きな偏りがあることがわかります。21番の染色体セットは片方が染色され、片方は染色されていませんが(11)、これが実験上のエラーなのか実際にそうなのかはわかりません。
 それぞれの染色体には別の遺伝子が乗っているわけですし、遺伝子以外の決まった配列もそこそこあるわけですから、その相補性配列を持つDNAを合成して標識をつければ正確かつ容易に各染色体を分別できるはずです。図89-6のように相補性のDNAに例えばビオチンを結合させ、これに「アビジン+蛍光色素」を結合させると(ビオチンとアビジンは強力に結合する)、染色体をそれぞれ特異的に染色することができます。ビオチン-アビジンのセットでなくても、強力に接着する化学物質でDNAまたは蛍光色素と結合する組み合わせのセットなら使えます。
 それぞれ別の色に光る蛍光色素を使えば、23対の染色体をそれぞれ色で識別することができます(図89-6)。100年も四苦八苦して分別していた染色体を、科学技術のちょっとした進展によって、わずかな時間で正確に分別できるようになりました。

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図89-6 FISH法の原理とマルチカラーFISH

 遺伝病の中には遺伝子のミクロな変化に起因するもの他に、染色体の本数の異常などダイナミックな染色体の変化によるものがあり、それらは染色体検査によって診断できます。最も有名なのはダウン症候群で、この疾患の原因が21番染色体が3本ある(トリソミー)ことによることを解明したのはジェローム・ルジューヌでした(図89-3、図89-7の〇で囲んだ部分)。彼は敬虔なキリスト教徒で、生涯妊娠中絶に反対し、このため女性や遺伝学者らから強い反発をうけました。胎児の染色体を検査し、異常な場合には中絶を行う-という道を拓いたことを後悔していたのかもしれません。彼の人となりは映画になっており、DVDはジェローム・ルジューヌ財団から入手できます(12)。ジェローム・ルジューヌ財団はダウン症の親子をケアするための活動を行っています。
 日本では敬虔なキリスト教徒が少ないせいでしょうか、ルジューヌが恐れていたことがまさしく現出しています。ある調査では胎児の染色体異常が確定した886人の妊婦のうち819人が人工妊娠中絶手術で堕胎したということです(13)。
 ターナー症候群は通常女性が2本持つX染色体を1本しかもたない(もちろんY染色体はない)患者で(図89-7)、低身長で第二次性徴を欠くなどの症状を発症します(14)。ウィリアムズ症候群は第7染色体セットの1本のエラスチン遺伝子周辺の複数の遺伝子が欠失する病気で(図89-7)、知能低下などの精神遅滞・心臓疾患などを発症するとされています(15)。

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 遺伝子は各染色体に同じ密度で存在するのではなく、疎な染色体と密な染色体があります(16)。図89-8で塩基対(緑 Base pairs)の数に対して遺伝子の数(ピンク)が多い場合密ということになります。13番・18番・Y染色体が特に遺伝子がまばらにしか存在しない染色体であることがわかります。13番・18番の染色体は、図89-5ではAlu配列が特に少ない染色体であることがわかります。関連性があるようにみえますが、これは偶然なのでしょうか?

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図89-8 核染色体における遺伝子の密度(緑:DNAのサイズ、ピンク:遺伝子の数)

 さまざまな遺伝子の中でもリボソームRNAの遺伝子は特別です。なにしろリボソームRNAは、細胞内全RNAの60%の重量を占めるほど大量に存在し(17)、遺伝子も400コピーが存在するほどゲノムの中でメジャーな存在なのです(18、文献19では350コピーになっています)。リボソーム遺伝子は図89-9のような構造をとっています。すなわち18S、5.8S、28Sがスペーサーをはさんで連結しており、ひとつのオペロンを構成しています。このスペーサーはITSと呼ばれており、イントロンのように転写されます。オペロンとオペロンの間にはNTSという転写されないスペーサーが存在します。ヒト染色体においては13番・14番・15番・21番・22番染色体の短腕の大部分がリボソーム遺伝子領域とされています(20)。
 リボソームにはもう1種5Sタイプがありますが、これは1番目の染色体に遺伝子のクラスターが存在します(21)。図89-9のリボソーム遺伝子群はRNAポリメラーゼ I によって転写されますが、5SRNA遺伝子はRNAポリメラーゼ III という特殊なRNAポリメラーゼによって転写されることが知られています。
 トランスファーRNA遺伝子も、リボソームRNA遺伝子に次いでゲノムの大きな領域を占めていると思われます。ウィキペディアのよると「ゲノム中のtRNA遺伝子の数は生物により様々である。線虫C. elegansの核ゲノムには全部で19000遺伝子があるが、そのうち659がtRNAをコードしている。出芽酵母では275である。ヒトでは497個が知られており、アンチコドンごとに整理すると49種となる」とされています。これ以外の非コード領域には図89-10で示すようなもの(1から7まで)があります。

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図89-9 真核生物のリボソーム遺伝子

 細菌はゲノムのサイズが小さく、サーキュラーなので複製開始点がひとつでいいのですが、真核生物はゲノムのサイズが大きく、複数の直鎖状DNAからなるので、1本のDNAについて複数の開始点があることは必須で、図89-10の1のような形になります。メガネのような形になるので、レプリケーション・アイともいいます。
 複製開始点には多くのタンパク質が結合して鎖を大きくほどかなくてはなりません。したがって、このための塩基配列をDNAが用意しなければなりません。各遺伝子ごとに、それぞれ特に上流にはプロモーターやエンハンサーが必須で、ここにも特定の塩基配列が必要です。なかには下流にもエンハンサーをもつ遺伝子もあります。
 この他染色体組み換えに必要な構造、セントロメア、テロメア、相同染色体が対合するための構造、核膜や核の構造タンパク質にDNAを結合させる部位などに、コーディング領域ではない特定の塩基配列が必要です。このようなコーディング領域ではないのに特定の塩基配列が必要で、リボソームRNAやトランスファーRNAに対応したDNAの領域とは異なる部分を分類し、図89-10にまとめて示しました。

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図89-10 非コード領域で特定の塩基配列が必要な部位

 

参照

1)Wikipedia: Genome,  https://en.wikipedia.org/wiki/Genome
2)ウィキペディア: ゲノム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0
3)Research Map  悪のペンギン帝国
http://researchmap.jp/jo6z5r93q-17709/#_17709
4)Genomes 2nd ed.,  Chapter 1 The Human Genome
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21134/
5)西川伸一 JT生命誌研究館 ゲノムの解剖学 (2015)
https://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000011.html
6)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 209  (2015)
7)東京工業大学大学院 生命理工学研究科 進化・統御学講座(岡田研究室)HP:
http://www.fais.or.jp/okada/okada-past/research/keywords/m01_alu.html
8)Wikipedia; Human genome,  https://en.wikipedia.org/wiki/Human_genome
9)Joe Hin Tjio and Albert Levan., The chromosome number of man. , Hereditas vol. 42:  pages 1–6, (1956)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1601-5223.1956.tb03010.x/pdf
10)リンク切れ http://ipsgene.com/genome/dna/band-method
11)Wikipedia: Karyotype
https://en.wikipedia.org/wiki/Karyotype
12)ジェローム・ルジューヌ財団 https://lejeunefoundation.org/
または https://www.ds21.info/?p=8644
13)Abema Times ”9割が中絶を選択” 出生前診断を受け、「命の選択」を迫られた夫婦の苦悩 (2019)
https://times.abema.tv/posts/7000165
14)Wikipedia: Turner symdrome
https://en.wikipedia.org/wiki/Turner_syndrome
15)Wikipedia: Williams symdrome
https://en.wikipedia.org/wiki/Williams_syndrome
16)Wikipedia: Chromosome
https://en.wikipedia.org/wiki/Chromosome
17)小林武彦、赤松由布子 リボソームRNA 遺伝子の不安定性と生理作用-出芽酵母を中心にして 生化学 第85巻 第10号,pp. 839-844,(2013)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2014/06/85-10-03.pdf
18)奥脇暢 リボソームRNA 遺伝子と核小体構造の調節  生化学 第85巻 第10号,pp. 845-851,(2013)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2014/06/85-10-04.pdf
19)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 111 (2015)
20)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 2 (2015)
21)Timofeeva Mla et al.,  Organization of a 5S ribosomal RNA gene cluster in the human genome., Mol Biol (Mosk). vol. 27(4):  pp. 861-868. (1993)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8395649

 

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