生物学茶話@渋めのダージリンはいかが109: Pax6とクリスタリン
Pax6というタンパク質の遺伝子の変異によって、無虹彩症やペータース異常という目の病気が発生することは、昔から知られていました(1-4)。
Pax 遺伝子群はもともとマウスの胎生期に、組織や器官の発生において中心的な役割を果たす遺伝子ファミリーの1グループとして発見されていて(5)、Pax6 をコードする遺伝子はそのひとつです。Pax 遺伝子群がコードするタンパク質はそれぞれ転写因子であり、DNAに結合する部位をもっていて、転写を調節するという機能によって、発生の過程で組織や器官の位置を決めたり脳の領域わけを行なったりする作用があります。
Pax6 遺伝子をノックアウトすると、目だけではなく脳の異常も発生し、死産も増加します。また Pax6 は脳の発生過程で、興奮性ニューロンが集中する領域と抑制性ニューロンが集中する領域の境界部位を形成するうえで重要な役割を果たすと考えられています(3,6-8)。
Pax 6 の分子構造など詳細は、カール・パボの研究室で徐エリックらによって明らかにされました(9、図1)。ヒトやマウス・ラットばかりでなく、魚類にも類似した遺伝子があることが判明しました(図1)。
図1のようにヒトとマウスの Pax6 の遺伝子構造には若干の相違がありますが、生成されるタンパク質 Pax6 のアミノ酸配列を比較してみると、驚くべき事にヒトとマウスで一致しています(図2、ただしアイソフォームがあって、完全に一致しない分子もあるそうです)。これは珍しい例です。アカゲザル、ウシ、ラットともほぼ完全一致で、ゼブラフィッシュとも96.5%の一致です(図3)。これは勿論、Pax6がそのわずかなアミノ酸配列の変化も種の存続に関わるくらい構造の保存が必要な、そして重要なタンパク質だということです。
図3に示したように、Pax6および類似したタンパク質は鳥類、魚類、両生類、昆虫、線虫にも存在します(10、11)。Pax 遺伝子群について脳科学辞典を引用しておきましょう。
脳科学辞典からの引用: 「PAX遺伝子群:Pax 遺伝子群は動物の胎生期に、組織や器官の発生において中心的な役割を果たす遺伝子ファミリーである。脊椎動物ではPax1〜Pax9の9種類が同定されている(表)。Pax遺伝子群はDNA結合ドメインであるペアードドメイン(PD)と呼ばれる領域を共通に持っている。また、Pax遺伝子にはオクタペプチドモチーフ(OP)を持つものや、DNA結合ドメインであるホメオドメイン(HD)、もしくはホメオドメインの一部を持つものがある。このようなドメイン構造の差異から、Pax遺伝子群は4つのサブファミリーに分類される。Pax遺伝子群はヒトやマウスに於いて、病気の原因遺伝子として同定されたものが多い。例えば、眼の発生のマスター制御遺伝子であるPAX6は、無虹彩症の原因遺伝子である。(12) 」(引用終了)
図3にみられるようにPax6遺伝子はペアードドメインとホメオドメインという二つのDNA結合部位を持っており、それは脊椎動物から線虫まで共通の遺伝子構造です。アシュレイ-パダンらは、この遺伝子が眼が形成される際にまず表層外胚葉に発現し、それを契機としてレンズが形成されるとしました。
また彼らはCre-loxP法という時限的遺伝子破壊システムを用いて、Pax6がレンズ形成や網膜の配置などに必須であることを証明しました(13、14、図4)。図4に胎仔期マウス(左:9.5日、右15.5日)に発現している位置(紫色)が示してあります。ちなみにアシュレイ-パダンのボスだったグリュス(図4)は現在沖縄科学技術大学のプレジデント/CEOに就任しています。
おそらくPax6遺伝子は現存するほとんどの動物の共通祖先の時代にすでに存在していたはずで、もともとは眼の発生のためにできた遺伝子ではないと考えられます(図5)。眼のある生物は、神経の発生など本来他の目的で存在するこの遺伝子を、眼のために流用したものと思われます。図5および図6はカリフォルニア大学バークレイ校の教育プログラムの図です。
高度に発達した複雑な眼は、脊椎動物・節足動物・環形動物・軟体動物にみられるわけですが、それぞれの眼は図6で色分けしてあるように、独立に進化したと考えられています。
それでも節足動物と環形動物の眼が似ていたり、脊椎動物と軟体動物頭足類の眼が似ていたりするのは、一つは前記のようにPax6によって形成されたものであるということ、今ひとつはレンズの素材としてクリスタリンというタンパク質を用いていることと関係があると思われます。
クリスタリンを発見したのはウィリアム・ホルトとジン・キノシタです(15、図7)。ジン・キノシタは米国の National Eye Insutitute で研究を行なっていた方で、2010年に逝去されたとのことで研究所から弔辞もだされています(16)。しかしウィリアム・ホルトについては消息がわかりませんでした。またクリスタリンを精製して詳しく性質を調べた(17)リチャード・J・アレクサンダーという人物についても情報を得ることが出来ませんでした。彼は当時クリスタリンをBovine Corneal Protein (BCP) 54と命名していました。
哺乳類の主なクリスタリンはα、β、γ の3種類ですが、図8に示すように「α」と「β、γ」は一部分を除いては共通性に乏しく、別のグループのタンパク質と考えられています。卵白アルブミンの例をみればわかるように、タンパク質は通常透明な溶液であり、熱などで変性すると不透明な固体になります。レンズの素材となるタンパク質としては、当然変性しにくい性質を持つものが歓迎されるでしょう。
クリスタリンはもともと眼のレンズ(水晶体)や角膜のために出現したタンパク質ではなく、たとえばα クリスタリンは分子シャペロンという、他の分子の立体構造を保持したり修復したりする作用を持つ small heat shock protein family という分子群に所属します(18,19)。α クリスタリンはレンズにおいても、β-γ クリスタリンの構造修復に寄与していると考えられています(20)。レンズの細胞は、レンズが完成したあとは増殖能力を失い、固体の一生を通じて補充無し(細胞増殖無し)で機能するので、この修復機能は大変重要です。それでも80才くらいになると、ほとんどの人はクリスタリンの構造変化によって白内障を発症します(21)。
細胞の中に非常に高濃度のタンパク質が蓄積されるような細胞は、細胞分裂の装置が機能できなくなる場合が多いようです。たとえば表皮・毛髪・爪・赤血球などです。この様な場合、まだタンパク質の蓄積を行なっていない未分化な幹細胞を保存しておき、細胞の補充は幹細胞が行ないますが、レンズの場合はそれもなく、ただ細胞を維持するだけという特殊な細胞です。
β-γ クリスタリンはカルシウム結合蛋白質のスーパーファミリーに所属するタンパク質で、多くの細菌もこのタンパク質を持っており、機能は多岐にわたっていると思われますが十分には解明されていないようです(22)。レンズが機能を発揮するためには、高濃度になっても透明性や弾力が維持される必要があり(もちろん結晶化してはいけません)、光を散乱させないで、適度に光を屈折して網膜にフォーカシングしなければいけません。
各クリスタリンの立体構造を図9に示しました(23)。
哺乳類はα、β、γ クリスタリンがレンズの主成分ですが、他のグループでは他のクリスタリンを用いる場合も多いことが知られています(24、図10)。その場合も用いられたタンパク質は酵素など別の役割を果たしていたものを流用していることに変わりはありません。
ヒトの眼について簡単に概観したい場合、文献25が発生から白内障までうまくコンパクトにまとめてあるのでお勧めします(25)。
参照
1)Jordan T, Hanson I, Zaletayev D, Hodgson S, Prosser J, Seawright A, Hastie N, van Heyningen V., The human PAX6 gene is mutated in two patients with aniridia., Nat Genet., Vol.1(5), pp. 328 - 332. (1992)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1302030
2)難病情報センター 無虹彩症
http://www.nanbyou.or.jp/entry/5452
3)Davis LK1, Meyer KJ, Rudd DS, Librant AL, Epping EA, Sheffield VC, Wassink TH., Pax6 3' deletion results in aniridia, autism and mental retardation., Hum Genet., vol. 123(4) pp. 371-378. (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18322702
4)日本小児科学会 ペータース異常
http://www.japo-web.jp/info_ippan_page.php?id=page06
5)Walther, C., Guenet, J-L., Simon, D., Deutch, U., Jostes, B., Goulding, M.D., Plachov, D., Balling, R., and Gruss, P., Pax: a murine gene family of paired box containing genes. Genomics, vol. 11: pp. 424-434, (1991)
6)Jones L1, López-Bendito G, Gruss P, Stoykova A, Molnár Z., Pax6 is required for the normal development of the forebrain axonal connections., Development., vol. 129(21): pp. 5041-5052. (2002)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12397112
7)Laura A Cocas, Petrina A. Georgala, Jean-Marie Mangin, James M. Clegg, Nicoletta Kessaris, Tarik F. Haydar, Vittorio Gallo, David J. Price, and Joshua G Corbin., Pax6 is required at the telencephalic pallial-subpallial boundary for the generation of neuronal diversity in the post-natal limbic system., J Neurosci., vol. 31(14): pp. 5313–5324. (2011) doi:10.1523/JNEUROSCI.3867-10.2011.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3086773/pdf/nihms286466.pdf
8)MGI Alliance of genome resources., Pax6 gene detail.
http://www.informatics.jax.org/marker/MGI:97490
9)H. Eric Xu, Mark A. Rould, Wenqing Xu, Jonathan A. Epstein, Richard L. Maas, and Carl O. Pabo1., Crystal structure of the human Pax6 paired domain–DNA complex reveals specific roles for the linker region and carboxy-terminal subdomain in DNA binding., Genes Dev. vol. 15; 13(10): pp. 1263–1275. (1999)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC316729/
10)NCBI homologene https://www.ncbi.nlm.nih.gov/homologene/1212
11)NCBI homologene https://www.ncbi.nlm.nih.gov/homologene?cmd=Retrieve&dopt=AlignmentScores&list_uids=1212
12)脳科学辞典 「Pax遺伝子群」 https://bsd.neuroinf.jp/wiki/Pax
13)Ruth Ashery-Padan, Till Marquardt, Xunlei Zhou, and Peter Gruss., Pax6 activity in the lens primordium is required for lens formation and for correct placement of a single retina in the eye.
GENES & DEVELOPMENT vol. 14: pp. 2701–2711 (2000)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC317031/pdf/X3.pdf
14)Ohad Shaham a, Yotam Menuchin a, Chen Farhy a, Ruth Ashery-Padan., Pax6: A multi-level regulator of ocular development., Progress in Retinal and Eye Research vol. XXX. pp. 1-26 (2012)
http://asherypadan.medicine.mytau.org/wp-content/uploads/2013/04/Shaham_Pax6_Review_2012.pdf
15)William S. Holt, Jin H. Kinoshita., The soluble proteins of the bovine cornea., Investigative Ophthalmology & Visual Science., Vol. 12, pp. 114-126. (1973)
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0ahUKEwiQ-qCT3bTcAhUS9bwKHdkfDR8QFggtMAA&url=http%3A%2F%2Fiovs.arvojournals.org%2Fpdfaccess.ashx%3Furl%3D%2Fdata%2Fjournals%2Fiovs%2F932875%2F114.pdf&usg=AOvVaw2Z_aHRKYqdeaIVoEuTvHIm
16)NEI Mourns Jin H. Kinoshita.,
https://nei.nih.gov/news/briefs/kinoshita
17)Richard J. Alexander., Isolation and characterization of BCP 54, the major soluble protein of bovine cornea., Experimental Eye Research.,Vol. 32, Issue 2, pp. 205-216 (1981)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0014483581900099
18)Sharma KK1, Kumar RS, Kumar GS, Quinn PT., Synthesis and characterization of a peptide identified as a functional element in alphaA-crystallin. J Biol Chem., vol. 275(6): pp. 3767-3771. (2000)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10660525
19)田中直毅 シャペロンペプチドの開発と応用 -分子シャペロンのミニマル機構に基づくタンパク質凝集抑制ペプチドの設計- 高分子 vol. 56, pp. 178-181 (2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kobunshi1952/56/4/56_4_178/_pdf/-char/ja
20)https://en.wikipedia.org/wiki/Crystallin
21)日本白内障学会 水晶体の基礎研究
http://www.jscr.net/activity/page-002.html
22)Shanti Swaroop Srivastava, Amita Mishra, Bal Krishnan, and Yogendra Sharma., Ca2+-binding Motif of βγ-Crystallins., J Biol Chem. vol. 289 (16): pp. 10958–10966. (2014)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4036236/
23)Educational portal of protein data bank.
http://pdb101.rcsb.org/motm/127
24)Tomarev SI, Piatigorsky J., Lens crystallins of invertebrates--diversity and recruitment from detoxification enzymes and novel proteins., Eur J Biochem. vol. 235(3): pp. 449-465. (1996)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8654388
25)Joah F. Aliancy and Nick Mamalis, Crystalline Lens and Cataract., Webvision: The Organization of the Retina and Visual System (2017)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK476171/
| 固定リンク
最近のコメント