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2018年6月23日 (土)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが107: 視覚とは

脳は何のために必要だったのでしょうか? 多くのクラゲは海流に流されるまま、あるいは多少遊泳してエサを採り消化して、何億年も暮らしてきました。そういう生活をする生物にとっては、ある程度の情報統合は必要であっても、脳と言えるような多数の神経細胞の集積は必要なかったわけです。

脳はおそらく視覚から得た情報を統合・解析し、やるべき行動を指示するために必要だったのでしょう。クラゲの中にも高度な眼を持っているグループがいるので、一部は高度な情報処理をしているかもしれません。まず視覚のはじまりから考えていきたいと思います。

最近はヒトの食べ物としても注目されているミドリムシという単細胞の真核生物がいます。ミドリムシは長短2本の鞭毛を持っており、動き回って細菌を食べたりもしますが、一方で体内に葉緑体を保持していて光合成も行なうという一風変わった生き物です。この生物は眼点という赤い点の構造体を持っており、これが光感覚をになうと考えられていましたが、現在では本当の光受容体は鞭毛の基部付近にある傍鞭毛体(または副鞭毛体、図1の8)であることがわかっています(1)。

ミドリムシは光に集まる性質を持っています。それは彼らが光合成を行なうことから目的にかなった行動です。景色や生物を認識するための眼はカンブリア紀にできたと考えられていますが(2、3)、それよりずっと以前から、明るい場所に移動して光合成を行なうために、明るさを測定するための道具として眼がつくられたことは容易に想像できます。

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伊関らはミドリムシの傍鞭毛体にある光受容蛋白質をFADを含むフラビンタンパク質と同定し、このタンパク質がアデニル酸シクラーゼ活性を持つことを報告しています(1)。フラビンタンパク質を光センサーとして用いているのはミドリムシだけではなく、多くの植物で光屈性や気功の開閉などに関わっているフォトトロピンもフラビンタンパク質です(4、5)。数億年にわたる植物の進化の過程で、フラビンタンパク質は光センサーとして連綿と引き継がれてきたというわけです。

図1の右側にはミドリムシ(ユーグレナ)と似て非なるコナミドリムシ(クラミドモナス)という単細胞生物が描かれています。この生物もミドリムシと同様、エサがなくても栄養源を内包する葉緑体によって作りだすことができます。一方で酢酸を栄養源として従属栄養的に生きることもできます(6)。鞭毛は片方が小さくなることなく立派に2本あります(バイコンタ)。そして傍鞭毛体はなく、光は眼点で検知します。名前は似ていますし、独立栄養でも従属栄養でもいきられるという点でも似ていますが、ミドリムシ(ユーグレナ)とコナミドリムシ(クラミドモナス)は構造的には全く異なる生物です。

ユーグレナはフラビンタンパク質を光センサーとして用いていると前述しましたが、クラミドモナスやある種の古細菌(7)は私達と同じロドプシンを持っています。ロドプシンは分子の内部に補因子として、フラビンではなくレチナールを抱え込んでいて、レチナールの構造変換を光を感知する手段として用います(8、9)。ロドプシンについては後に詳述しますが、すべての動物の光センサーはロドプシン-レチナールの構造変換が基本となっています。

ユーグレナは眼点ではなく傍鞭毛体で光を検知すると前述しましたが、ではユーグレナの眼点は何のためにあるのでしょうか? 眼点にはカロテノイドという色素があり、傍鞭毛体への光のシェードのようになっています(図2A)。これによってどの方向から光がきているのか判定しやすくなり、鞭毛がどう動けば良いのか指示を出しやすくしていると考えられます(10、11)。

このような方式は、多細胞生物であるプラナリアの眼にも受け継がれており(図2B)、色素細胞によるシェードは光の方向を判断する上で重要な役割を果たしていると思われます。また複眼の一つ一つをカメラの1画素のように用いる生物、たとえばある種の環形動物(図2C)や昆虫などは複眼と複眼の間を色素細胞のカーテンで遮断しており、解像度が高められています。

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ロドプシンはこのブログでもお馴染みの7回膜貫通タンパク質(12、13)の1種です。通常膜貫通タンパク質は細胞外に化学物質の受容部位があり、細胞外から来た情報を細胞内に伝達する役割を持っています。ロドプシンはこの種のタンパク質ですが、ちょっと変わっているのは細胞外に化学物質の受容部位はなく、そのかわり分子内部にレチナールというビタミンA(レチノール)がアルデヒド化された光感受性物質を保持しており(図3)、この分子を使って細胞が受けた光情報を細胞内に伝達する役割を持っているところです。

レチナールがロドプシン分子から離れた場合、残されたタンパク質をオプシンと呼びます。すなわち、オプシン+レチナール=ロドプシンです。

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具体的には図4のように、シス型レチナールが光照射によってオールトランス型レチナールに変換され、その結果ロドプシンの立体構造が変化して、その後の連鎖的化学変化の起点となります。

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ロドプシンには大きく分けて、タイプ1(微生物型ロドプシン):原核生物、藻類に存在、およびタイプ2(動物型ロドプシン):真核生物以上に存在 の2種類があり、クラミドモナスなどにあるのは前者、私達にあるのは後者ということになります。このほか古細菌などにも別のタイプのもの(バクテリオロドプシン)があり、動物型ロドプシンはGタンパク質を使ってイオンチャンネルを開閉することによって細胞を過分極・脱分極させてパルスを発生し、神経細胞によって視覚情報を伝達する目的で使われています。微生物型はさまざまな目的で使われており、まとめて議論するわけにはいきません。

図5左に動物網膜の桿体細胞が示してありますが、この細胞の受光側(上側)は細胞膜の面積を増加させるべく折りたたまれたような構造をとっており、そこに多数のロドプシン分子が埋め込まれています。受光の結果オールトランス型となったレチナールは結局ロドプシン分子から解離してフリーとなり、ATPを消費するレチナールイソメラーゼの酵素作用によって11-シスレチナールに変換され、11-シスレチナールはオプシンと再結合してロドプシンが再生されます(14、図5)。

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図6(ウィキペディアより)を使って、動物の場合光照射によってなぜ神経にパルスが発生するかを時系列で箇条書きすると次のようになります。

1.ロドプシンが光照射を受けると、前述のようにレチナールが解離しオプシンとオールトランスレチナールとなります。

2.オプシンは3量体G蛋白質であるトランスデューシンを活性化します。この結果トランスデューシンは結合していたGDPを失い、代わりにGTPを結合します。

3.トランスデューシンのα サブユニットにGTPが結合すると、α サブユニットはβγ サブユニットから解離し、GTPを結合したまま単独行動をとります。

4.α サブユニット-GTP複合体はフォスフォジエステラーゼを活性化し、その結果細胞内の cGMP(サイクリックGMP) はGMPに転換し、cGMPの濃度が低下します。

5.この結果 cGMP の作用で開いていたナトリウムチャンネルが閉鎖されます。

6.ナトリウムチャンネルが閉鎖されているにもかかわらず、カリウムチャンネルは開いているのでカリウム(細胞内の濃度が高い)が細胞外に放出され、細胞は過分極状態となります。その後の過程で脱分極がおこります。詳細を知りたい方は文献14~16を参照して下さい。

図はクリックすると拡大できます。

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高度好塩菌は光照射によってロドプシンが構造変化をきたすことを利用して、細胞内の水素イオンを細胞外に能動輸送するというシステムを持っています(15、図7)。これはミトコンドリアでの電子伝達系と似たメカニズムで、水素イオンが細胞内にもどるときにATPを合成することができます。すなわちロドプシンを使って、光エネルギーを化学エネルギーに変換するメカニズムです。

真核生物はミトコンドリアを取り込んだので、ロドプシンはいらなくなったかもしれないのですが、それから数十億年後私達はロドプシンでいろんな物を見て識別しています。眼ができるまでにロドプシンが何をしていたのか、それに興味をひかれます。

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ロドプシンの発見などについて脳科学辞典に記載がありました(17)。以下引用しておきます。
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「ロドプシンについて初めて報告があったのは1876〜77年頃である。ドイツのFranz Boll (1849-1879)、続いてFriedrich Wilhelm (通称Willy) Kühne(1837−1900)がカエル網膜の桿体視細胞の外節にある赤い物質の感光性を報告した。 Kühneはこの色を“Sehpurpur”と呼び(英:Visual Purple, 日:視紅)その基となる化学物質をRhodopsin と名付けた。初期の視物質研究では視物質のことをVisual Purpleと呼んでいたが、しだいにRhodopsinが多く使われるようになり現在ではRhodopsinというのが一般的である。 ウシロドプシンの一次配列は1982年に決定され、その翌年にはクローニングされている。」
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発見者のボルとキューネ、および一次構造を明らかにしたオヴチニコフ(18)の肖像を図8に貼っておきます。なお遺伝子構造はネイサンスとホッグネスによって1983年に発表されています(19)。

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ボ-ルはカエルを暗いところに置いておくと網膜が赤くなり、光を当てると褪色することから光感受性物質の存在に気が付きました(20)。彼は30歳の若さで夭逝してしまったので、キューネが仕事を引き継ぐことになりました。彼らの業績は20世紀後半の分子生物学の勃興によって、花開くことになりました。

参照

1)伊関峰生 ミドリムシにおける光センシングの分子機構 Jpn. J. Protozool. Vol. 40, No. 2. , pp. 93-98 (2007)
http://protistology.jp/journal/jjp40/093-100Iseki.pdf

2)アンドリュー・パーカー 眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く 草思社 (2006)

3)渋めのダージリンはいかが 眼の誕生とカンブリア爆発1
http://morph.way-nifty.com/grey/2007/06/post_9cc6.html

4)Masayoshi Nakasako, Kazunori Zikihara, Daisuke Matsuoka, Hitomi Katsura, Satoru Tokutomi., Structural Basis of the LOV1 Dimerization of Arabidopsis Phototropins 1 and 2., Journal of Molecular Biology 381 (3), 718-733 (2008)
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2008/080821/

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%B3

6)高橋裕一郎、福澤秀哉 モデル生物として注目される緑藻クラミドモナス
蛋白質 核酸 酵素 vol.45, no.12, pp. 1937-1945 (2000)
http://www.molecule.lif.kyoto-u.ac.jp/pdf/pne2000.pdf

7)Bacteriorhodopsin, protein databank japan.,
https://pdb101.rcsb.org/motm/27

8)Oleg A. Sineshchekov, Kwang-Hwan Jung, and John L. Spudich., Two rhodopsins mediate phototaxis to low- and high-intensity light in Chlamydomonas reinhardtii., PNAS,  June 25, vol. 99 (13) pp. 8689-8694 (2002); https://doi.org/10.1073/pnas.122243399
http://www.pnas.org/content/99/13/8689?ijkey=9610ff22c274cb08d7b261283e27286899e851ee&keytype2=tf_ipsecsha

9)Hongxia Wang, Yuka Sugiyama, Takuya Hikima, Eriko Sugano, Hiroshi Tomita, Tetsuo Takahashi, Toru Ishizuka, and Hiromu Yawo., Molecular determinants differentiating photocurrent properties of two channelrhodopsins from Chlamydomonas. J. Biol. Chem. 284, 5685 - 5696. (2009)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19103605

10)https://en.wikipedia.org/wiki/Euglena

11)https://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/9e6b34a2218709d79a2024bec3f60ebb

12)http://morph.way-nifty.com/grey/2017/05/post-38c0.html

13)http://morph.way-nifty.com/lecture/2017/05/post-e9c6.html

14)https://en.wikipedia.org/wiki/Visual_phototransduction

15)https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2012/03.html

16)Stefano Costanzi, Jeffrey Siegel, Irina G. Tikhonova,1and Kenneth A. Jacobson., Rhodopsin and the others: a historical perspective on structural studies of G protein-coupled receptors., Curr Pharm Des. vol.15 (35): pp. 3994–4002. (2009)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2801150/

17)松山 オジョス 武、七田 芳則、 ロドプシン 脳科学辞典
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%B3

18)Yu.A. Ovchinnikov., Rhodopsin and bacteriorhodopsin: structure—function relationships., FEBS lett., vol.148, no.2, pp. 179-191 (1982)
https://febs.onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1016/0014-5793%2882%2980805-3

19)Nathans J, Hogness DS., Isolation, sequence analysis, and intron-exon arrangement of the gene encoding bovine rhodopsin., Cell., vol. 34 (3): pp. 807-814. (1983)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6194890

20)http://neuroportraits.eu/portrait/franz-christian-boll

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2018年6月10日 (日)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが106: 昆虫の微小脳

ウィキペディアに哺乳類の体重と脳重量のグラフが出ていました(1、図1)。脳が巨大だと知能が高いという単純な比例はありませんが(だとゾウやクジラはヒトより知能が高いはず)、グラフの斜めの実線より上ということは体重当たりの脳重量が比較的高いということを意味し、霊長類やイルカが線より上ということは脳/体重比はある程度の指標にはなるのかもしれません。

脳化指数=Kx(脳の重さ/体重の2分の3乗)などという指標を考えた人もいますが(2)、それが知能を比較する上できちんとした科学的根拠になるかというとそんなことはありません。通常ネコの脳化指数を1としてKを決めます。ウィキペディアによるとネコを 1 とすると、ヒトは 7.4-7.8 となるそうです。

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図1を哺乳類以外まで拡張したのが図2です。種も指定していないので精密な図ではありませんが、魚類を標準とすると(点線で囲まれたブルーの領域)、知能の高そうなヒト・カラス・イカや無脊椎動物でもアリ・ショウジョウバエ・ミツバチなどは上にきています。体重と脳重量について詳しくデータを出しているサイトがあります(3)。

注意すべきは、鳥類などは特に空を飛ぶために体重は極力軽くするように進化した動物です。ですからスズメの脳重量は体重の4%もあり、ヒトの2.4%よりも上ですが、だからといってスズメの方がヒトより知能が上というわけではありません。

ただ鳥類の中でも、カラスは針金を曲げて道具を作ってエサをとることができますし、秋にエサをとって隠しておき冬に食べる鳥もいます(長期記憶)。これらは霊長類に匹敵する能力といえます。

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アリやハチの脳は非常に小さいですが、なかでもアザミウマタマゴバチというアザミウマに寄生するハチは世界最小のハチで(体長<200µm)、脳も極端に小さいです(4~6)。このハチの脳にはニューロンがわずかに4600個程度しかありません。ちなみにミツバチの脳には85万個のニューロンがあるのだそうです(4)。寄生蜂でも普通このハチより一桁多いニューロンを保有しています。それでも形態は普通のハチと変わらず(羽の形は特殊ですが、図3)、ちゃんと宿主をさがして卵を産み付け、成虫になったら交尾して子孫をつくることができます。

驚くべきはアザミウマタマゴバチのニューロンのうち95%が細胞核を失っているということです(6、7)。私達の体にも核の無い細胞は結構あって、表皮・毛髪・赤血球などは核を持っていません(8、9)。表皮や毛髪の核は分解によって(8)、赤血球の核は細胞質分裂によって(9)核を失います。しかしニューロンはすべて核を持っています。アザミウマタマゴバチはさなぎの時代にはニューロンが核をもっており、羽化するときに核が分解します。

核が分解することによって細胞の容積は小さくなり、小さな脳に多数のニューロン(といってもたかだか4600個ですが)を詰め込むことが可能になります。このことは重要な事実を示唆します。つまり空を飛び、えさや水を採取し、交尾し、宿主を探し、卵を産み付けるという活動にはニューロンのDNAは無用かもしれないということです。それでも5%の細胞はDNAをもっているので断言はできませんが、おそらく分解しきれなかったというだけで不要なのでしょう。むしろそこまで特殊な処理を行っても、寄生蜂としての活動を行なうためには、最低でも4600個のニューロンの確保が必要だったと思われます。

クモの1種 Anapisona simoni は体長が0.6mmほどしかなく、頭に脳が入り切りません。そこで脚や胸まで脳がはみ出しているという報告があります(10、11)。このクモは体重の5%を脳の重量が占めており、脳/体重の比率はヒトの2倍です。昆虫の脳は非常に効率の良い構造になっていることが知られていますが、アザミウマタマゴバチやこのクモの脳は、これ以上小さいと種を保存するために必要な数のニューロンを収容しきれない限界を示していると思われます。

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こうしてみると、微小脳とはいえ多くの昆虫の脳には余裕の数のニューロンが存在していることがうかがえます。これらを使って昆虫が知的活動を行うとしても不思議ではありません。

昆虫が自分の巣のまわりの景色を記憶して帰巣することを証明したのはニコラース・ティンバーゲンでした(12、1952年)。彼が実験動物として使ったジガバチ科ツチスガリ属(digger wasp) のメスはえげつない生物です。まず地面に穴を掘っておき、巣穴が完成すると狩りに出かけます。エサとなる蝶や蛾の幼虫を毒針で刺して毒を注入し、麻痺させた状態で巣穴に持ち帰ります。獲物を巣穴に引きずり込み、その上に卵を産み付けます(13)。産み付けられた卵は孵化したあと、親が残してくれた獲物を食べて成長し「さなぎ」になり、やがて成虫になって飛び立ちます。

したがってジガバチの母親は、自分が掘った穴の位置を記憶しておかないといけません。ティンバーゲンはジガバチが巣穴で休んでいるときに、穴の周りに松かさを置きました(図4)。ジガバチは巣から出るときに数秒間巣の周りをぐるぐると飛び回り、「景色を記憶してから」飛び去りました。そのあとティンバーゲンは松かさを取り去り、それを同じ配列で少し離れた他の場所に置きました。やがてジガバチが獲物を捕らえて戻って来ると、本当の巣の入り口ではなく移動した松かさのサークル中心に着地しました。ジガバチは巣の入り口のまわりに松かさがあったことを覚えていたのです。

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ティンバーゲンはさらに、松かさの間に松のオイルを塗りつけたボードを配置しました。ひょっとするとジガバチは松かさのサークルを覚えていたのではなく、松の匂いにひかれたのかもしれません。この場合もジガバチは巣穴の近くに配置した松の匂いのするボードには戻ってこなくて、松かさのサークルの方に戻ってきました(図5)。このことからジガバチはやはり松かさの配置を記憶していたのだと考えられました。

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昆虫の形態(図6、ウィキペディアより 14)をみていると、4足歩行の哺乳類と同様、本当に素晴らしいボディプランだと感動します。彼らの唯一の弱点は肺を持たないということです。そのため今日のような酸素濃度の低い大気の中では小型の種しか生み出すことができません。

このことによって当然脳のサイズも制限されて、小型の脳=少数のニューロンで効率的に個体を制御するべく進化してきました。彼らの中枢神経の構造はプラナリアと同様、腹側に神経索(ヒトの場合は背側にあり脊髄と呼ばれる)が尾部まで伸びていて、頭部では消化管とクロスする形で背側に至る脳を形成しています(図6)。

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ここでもう一度系統樹をながめて復習してみましょう(15)。生物の中には数億年もの間、脳をもたずに生活してきた海綿動物や刺胞動物がいます。彼らの中には活発に海を泳ぎ回り積極的な摂食を行なうクラゲのような生き物もいますが、神経環のような脳に至らない統合組織で十分事足りる生活でずっと生きてきました。

プラナリア(扁形動物)は脳をもっていますが、系統樹の同じ幹の線形動物や環形動物は脳らしき臓器は持っていません。ただ彼らも感覚ニューロン・介在ニューロン・運動ニューロンは保持していて(16)、図7のように数としてはきわめて少ないニューロンによって活動を維持しています。このような生物に比べると、プラナリアは脳を発達させて革命的な進化を遂げたと言えます。

昆虫はプラナリアの幹とは別の幹に位置する節足動物のグループなのですが(15)、この幹で最初に脳を持ったのはどの門の生物なのかはよくわかりません。節足動物は素晴らしい脳を獲得して現代に至っています(図7)。

私達脊索動物の幹では脊椎動物が突出して発達した脳を持っていますが、脊索動物門の中でも頭索動物のナメクジウオは脊椎動物に比べるとわずかな数のニューロンしか持っていませんし(図7)、尾索動物は成体になる過程で中枢神経系が衰退してしまって脳を持ちません。尾索動物は進化の過程で中枢神経系が不要な生活様式を選択したため、中枢神経系が退化したといわれています(18)。

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図8はクロオオアリの脳の構造ですが、西川道子氏の図を模式化させていただきました(19)。昆虫の脳はヒトの脳と比べると随分形態が異なります。なかでも前部にキノコ体という奇妙な葉が左右に突出しています。ここでは何が行なわれているのでしょうか?

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ミツバチは脚や触覚が砂糖水に触れると、口吻を延ばして飲もうとします。そこで砂糖水を脚や触覚に触れさせる直前に特定の匂いをかがせることを繰り返すと、その匂いをかいだだけで口吻を延ばすという条件反射を行なうようになります。ところが冷却した針をキノコ体に刺してその活動を抑制すると条件反射は成立しません。このような実験を行なったメンゼルらは、キノコ体が匂いの記憶にかかわっていることを示唆しました(20、21、図9)。またショウジョウバエでもド・ベル、ハイゼンベルクらの研究によって、キノコ体を破壊すると記憶の能力を失うことがわかりました(22、図9)。

水波とシュトラウスフェルトは壁に模様をつけた小部屋にゴキブリを閉じ込め、床に熱い部分とそうでない部分をつくりました。ゴキブリは試行錯誤をくりかえして熱くない部分に集まります。何度も繰り返しているうちに、ゴキブリたちは短時間で熱くない部分にたどり着けるように学習します。ところが壁の模様を取り去ると、ゴキブリたちは目指す場所になかなかたどり着けなくなります。つまりゴキブリは壁の模様を記憶して場所を覚えていたわけです。ところがキノコ体を脳から切り離すと、いくらくりかえしても壁の模様を記憶できなくなることがわかりました。このことからキノコ体が視覚情報の記憶にかかわっていることがわかりました(23、図9)。

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参照

1)https://en.wikipedia.org/wiki/Brain-to-body_mass_ratio

2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E5%8C%96%E6%8C%87%E6%95%B0

3)http://akaitori3.web.fc2.com/nou.html

4)Dangerous Insects:
http://dangerous-insects.blog.jp/archives/7285835.html/%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%9F%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%82%B4%E3%83%90%E3%83%81

5)神無久 サイエンスあれこれ
http://blog.livedoor.jp/science_q/archives/1581784.html

6)Megaphragma mymaripenne:
https://en.wikipedia.org/wiki/Megaphragma_mymaripenne

7)Alexey A. Polilov, The smallest insects evolve anucleate neurons., Arthropod Structure & Development., vol. 41, pp. 29-34 (2012)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1467803911000946?via%3Dihub

8)Kiyokazu Morioka et al., Extinction of organelles in differentiating epidermis. Acta Histochem Cytochem., vol.32, pp. 465-476, (1999)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ahc1968/32/6/32_6_465/_article/-char/en

9)Hiromi Takano-Ohmuro, Masahiro Mukaida, Kiyokazu Morioka., Distribution of actin, myosin, and spectrin during enucleation in erythroid cells of hamster embryo., Cell Motil & Cytoskel., vol.34, pp. 95-107 (1996)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/%28SICI%291097-0169%281996%2934%3A2%3C95%3A%3AAID-CM2%3E3.0.CO%3B2-H

10)Rosannette Quesada et al., The allometry of CNS size and consequences of miniaturization in orb-weaving and cleptoparasitic spiders., Arthropod Structure & Development., vol. 40, pp. 521-529 (2011)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1467803911000727

11)William G. Eberhard., Miniaturized orb-weaving spiders: behavioural precision is not limited by small size. Proceedings of the Royal Society B., doi:10.1098/rspb.2007.0675  Published online
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download;jsessionid=1C3A5F0462B5FD66E9153209AEE260DC?doi=10.1.1.512.3545&rep=rep1&type=pdf

12)Paul Kenyon., Interactive learning activity: Home location by digger wasps.
http://www.flyfishingdevon.co.uk/salmon/year1/psy128ethology_experiments/wasp_learning_activity.htm

13)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%AC%E3%83%90%E3%83%81

14)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%86%E8%99%AB%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0

15)http://morph.way-nifty.com/lecture/2018/05/post-fca7.html

16)http://molecular-ethology.bs.s.u-tokyo.ac.jp/labHP/J/JNematode/JNematode03_circuit.html

17)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%AE%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%95%B0%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

18)有賀純 脳を捨てた動物たち 理研BSIニュース No.27 (2005)
http://www.brain.riken.jp/bsi-news/bsinews27/no27/network.html

19)https://invbrain.neuroinf.jp/modules/htmldocs/IVBPF/Ant/Ant_brain.html?ml_lang=ja

20)Menzel R., Erber J., Masuhr T., Learning and memory in the honeybee. in Experimental analysis of insect behaviour, ed Barton-Browne L. (Springer, Berlin, Germany), pp 195–217. (1974)

21)Martin Hammer and  Randolf Menzel., Multiple Sites of Associative Odor Learning as Revealed by Local Brain Microinjections of Octopamine in Honeybees. Learning Memory vol. 5, pp. 146-156 (1998)
http://learnmem.cshlp.org/content/5/1/146.full

22)Belle J.S., Heisenberg M., Associative odor learning in Drosophila abolished by chemical ablation of mushroom bodies. Science vol. 263: pp. 692–695. (1994)
http://science.sciencemag.org/content/263/5147/692?ijkey=3261ad7369a4512a5caec4d6b87f24c323039c90&keytype2=tf_ipsecsha

23)Makoto Mizunami, Josette M. Weibrecht, Nicholas Strausfeld., Mushroom Bodies of the Cockroach: Their Participation in Place Memory., The Journal of Comparative Neurology vol. 402(4): pp. 520-537  (1998)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/%28SICI%291096-9861%2819981228%29402%3A4%3C520%3A%3AAID-CNE6%3E3.0.CO%3B2-K
https://www.researchgate.net/publication/13426406_Mushroom_Bodies_of_the_Cockroach_Their_Participation_in_Place_Memory

 

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