2017年3月21日 (火)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが66: 多糖類

多糖類はタンパク質と異なり、その構造が遺伝子によって指定されていないので、例えばグリコーゲンといっても、同じグリコーゲン分子はないというくらい多様性があります。これはたとえばケヤキの幹や枝が同じ形の樹木がないのと似ています。それでもケヤキをクスノキや桜と識別できるように、多糖類も構成ユニットである単糖の種類、結合の様式などで分類することはもちろん可能です。1種類の単糖で構成されている多糖類をホモグリカン、複数の単糖で構成されているものをヘテログリカンといいます(1)。

まずホモグリカンの代表として、グルコースだけで構成される多糖類をみていきましょう。私たちが主食としている米や芋の主成分はでんぷんです。デンプンは主に植物によってつくられる多糖類で、α-1,4-結合でグルコースが直鎖状に重合したアミロースと、α-1,4結合だけでなく、ところどころでα-1,6-結合で分岐しているアミロペクチンがあります(図1)。

お米の場合、うるち米はアミロースとアミロペクチンがおよそ2:8なのに対して、「もち米」はアミロペクチンのみでアミロースを含んでいないので、枝分かれ構造のあるアミロペクチンがお餅の粘りのもとなのでしょう(3)。アミロースもアミロペクチンもα-D-グルコースだけが重合したもので、β-D-グルコースは含まれていません(図1)。

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デンプンは唾液や膵液に含まれるアミラーゼによって分解されますが、アミラーゼは1種類ではなく、図2のようなα型、β型、γ型、イソ型という4種類があります。α型はいわゆるエンドタイプの分解酵素で鎖の任意の位置で切断します。ただし切断できるのは 1,4 結合のみで、1,6結合(分枝する位置)は切断できません。グルコースダイマーのマルトースは切断できません。

β型は植物などに存在するエクソタイプで、鎖の末端から2つのグルコースをマルトースの形で切り離します。γ型は同じくエクソタイプで、鎖の末端からひとつづつグルコースを切り離します。ヒトの場合マルトースを2つのグルコースに分解する活性も高いとされていて、マルターゼあるいはグルコアミラーゼとも呼ばれています。1,4 結合のみならず1,6結合も分解できるので(4)、αタイプとγタイプのアミラーゼがあればデンプンをグルコースにほぼ分解できます。イソアミラーゼは植物などに存在する酵素で1,6結合を特異的に切断します。

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セルロースはβ-D-グルコースだけが重合した多糖類で、α-D-グルコースは含まれていません(図3)。セルロースは主に植物によって作られますが、草食動物はセルロースを主な栄養分としています。草食動物やシロアリは腸内細菌によってセルロースを分解しており、これらの細菌を体内に共生させることによって生体の素材やエネルギーを得ているわけです。

セルロースはβ-D-グルコースがβ-1,4-結合によって重合した直鎖状のポリマーですが、直鎖同士が非常に水素結合をつくりやすい構造になっているので、シート状の形態になります(図3)。構造は非常に安定で、熱水や酸・アルカリに溶けません。ヒトはこのことを利用して衣服(コットン)や紙を製造しました。

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細菌などが持つセルロース分解システムは複雑ですが、大まかには図4のような3種類の酵素の作用で行われます。このような分解系を利用してさまざまな有用物質を生産しようとする試みは盛んに行われています(5)。特にセルロースからエタノールを得てエネルギー源にしようとする試みは注目されています。セルロースというタイトルの専門誌も存在します(6)。

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植物がデンプンを貯蔵するのに対して、動物はグリコーゲンを貯蔵します。グリコーゲンはα-D-グルコースが α1,4 および α1,6結合で重合しているという意味ではデンプンと同じです。ただ分岐は非常に多く編目のような構造になっています(図5)。分岐が多いということの利点は、少ない容積に多数のグルコースを詰め込むことができるということです。

もうひとつグリコーゲンに特徴的なのは、最初にグリコジェニンという特異な酵素が働くことです。この酵素は自らが基質となり、自分のチロシンのOHにグルコースを結合させ、そこからグルコース鎖を延長させることができます(7、8)。

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グリコーゲンをつくるための最初の反応は
UDP-alpha-D-glucose + glycogenin ⇌ UDP + alpha-D-glucosylglycogenin

次の反応は
alpha-D-glucosylglycogenin + UDP-alpha-D-glucose ⇌ UDP + alpha-D-glucosylglycosylglycogenin

となります。グルコースにUDP(ウリジン2リン酸)がくっついているのは、反応を進行させるためにグルコースを活性化するというしかけです。

ある程度鎖が延長されるとグリコジェニンはお役御免となり、グリコーゲンシンテースや分岐酵素にバトンタッチして鎖延長や分岐が続行されます。グリコジェニンという奇妙な酵素はクララ・クリスマン、ウィリアム・ウェランらによって発見されました(9-12、図6)。クララ・クリスマンらはUDP-グルコ-スを14Cでラベルして肝臓抽出液に投入してインキュベートすると、トリクロル酢酸で沈殿する分画にラベルが移行し、これによってグルコースオリゴマーがタンパク質に結合していることを示唆しました。ウェランらはこの結合が共有結合であることを証明しました。グリコーゲンがタンパク質と共有結合しているかどうかは、昔激しい論争があったようで、ウェランも刺激的なタイトルの総説を書いています(11)。自分が基質になる酵素というのは他にないわけではなく、たとえばタンパク質分解酵素のなかには自己消化を行うものもありますが、それはある酵素分子が自分自身を消化するという意味ではありません。

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グルコースの誘導体のひとつとしてN-アセチルグルコサミンについては前回述べましたが、N-アセチルグルコサミンがβ-1,4-結合を繰り返してポリマーになったものがキチンです(図7)。節足動物の体表を被う外骨格の素材として用いられています。セルロースと同様に分子間の水素結合が強力で、丈夫な線維・シートを形成することができます。創傷治癒のための医療用品・化粧品・衣料・農薬などの素材に用いられています(13)。

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さて私たちオピストコンタと植物(プランタ=アーケプラスチダ)というかけ離れた分類学上の位置にある生物が似たような多糖類、すなわちデンプンとグリコーゲンをエネルギー源として貯蔵しているのはちょっとした驚きですが、両者と分類学上離れた位置にあり、ストラメノパイルというスーパーグループに属する昆布などはどのような多糖類を合成しているのでしょうか? 

ウィキペディアによると昆布は夏から秋にかけて重量の40~50%を占めるくらい大量のラミナランという多糖類を合成して貯蔵しておくそうです。それはやはりグルコースのポリマーなのですが、結合様式が β1,3結合 と β1,6結合 からなっていて、オピストコンタやプランタとは大きく異なっています(図8)。

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ヘテログリカンの代表としてヒアルロン酸を紹介しておきます。ヒアルロン酸はN-アセチルグルコサミンとグルクロン酸がβ-1,4-結合した2糖を基本単位として、これらがβ-1,3-結合で重合したものです(図9)。ヒアルロン酸は主に細胞外に放出されて、細胞間のマトリクスとして存在します。ぬめぬめしたゲルのような性質で、関節がなめらかに動くように機能しています。また皮下の結合組織や眼球の硝子体に多量に存在しますが、これはヒアルロン酸が水を保持する能力に優れ、組織や細胞をひからびさせないようにする作用があるためと思われます。

膝の関節に注入することによって疼痛を軽減できますが、徐々に分解されるので、ある期間が過ぎると追加が必要になります。経口ではほぼ効かないようです(14)。毒性がほとんどないのでシワとりなど美容整形にもよく用いられますが、この場合も徐々に分解することは避けられません。また間違って動脈に針が入ると、血管が詰まって悲惨なことになってしまうので、個人的にはあまりおすすめできません。

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参照

1)https://kotobank.jp/word/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3-764487

2)ホートン 生化学第3版 p.183 東京化学同人(2002)

3)JA全農やまぐち http://www.yc.zennoh.or.jp/rice/mamechishiki/mame01-4.html

4)酵素辞典 http://www.amano-enzyme.co.jp/jp/enzyme/4.html

5)三重大学 http://www.bio.mie-u.ac.jp/~karita/sub3.html

6)http://link.springer.com/journal/10570

7)畠山巧 ベーシック生化学 第11章 グリコーゲン代謝と糖新生

8)https://en.wikipedia.org/wiki/Glycogenin

9)Krisman CR, Barengo R., A precursor of glycogen biosynthesis: alpha-1,4-glucan-protein. Eur. J. Biochem. vol.52, pp. 117–23 (1975)  doi:10.1111/j.1432-1033. 1975. tb03979.x. PMID 809265

10)Whelan WJ., The initiation of glycogen synthesis. BioEssays vol.5, pp. 136-140 (1986)

11)Whelan WJ., Pride and prejudice: the discovery of the primer for glycogen synthesis., Protein Sci. vol.7, 2038–2041 (1998)  doi:10.1002/pro.5560070921. PMC 2144155Freely accessible. PMID 9761486

12)Whelan WJ., My Favorite Enzyme Glycogenin., IUBMB Life, Vol. 61, pp. 1099-1100 (2009)

13)キチン・キトサン利用技術: http://www.inpit.go.jp/blob/katsuyo/pdf/chart/fkagaku19.pdf

14)変形性膝関節症: http://www.jcoa.gr.jp/health/clinic/knee/koa.pdf

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2017年3月13日 (月)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが65: 糖質

生体は核酸とタンパク質だけでできているわけではなく、糖質や脂質ももちろんその構成要素です。糖質の構造の基本は19世紀末に、ここにも何度も登場しているエミール・フィッシャーによって明らかにされ、構造式の書き方も彼が考案したものが現在も使われています(1)。糖質でやっかいなのは異性体が非常に多いことで、きちんと整理しておかないと混乱します。

糖の話に入る前に、図1に異性体のおおまかな分類を示します。

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1.異性体:異性体(isomer)とは、同じ数、同じ種類の原子を持っているが、違う構造をしている物質のこと。

2.構造異性体:構造異性体(structural isomer)とは、組成式は等しいが原子の間の結合関係が異なる分子のこと。ブタンと2-メチルプロパン:組成式はともに C4H10 であるが、ブタンの構造式は H3C-CH2-CH2-CH3 であるのに対し、2-メチルプロパンは H3C-CH(CH3)-CH3 です。

3.立体異性体:立体異性体(stereoisomer)は、同じ構造異性体同士で、3次元空間内ではどう移動しても重ね合わせる(スーパーインポーズする)ことができない分子。

4.鏡像異性体:鏡像異性体(enantiomer)とは立体異性体のうち、左手と右手のように鏡に映した形の分子を意味し、鏡像異性体をもつ分子をキラル分子といいます。炭素原子が持つ4価の共有結合の相手がすべて異なる場合、必ず鏡像異性体があり得るので、このような結合を行っている炭素を不斉炭素(キラル炭素)といいます。例えばアラニンは不斉炭素にNH2、CH3、H、COOHという4種のグループが結合しているので、LアラニンとDアラニンという互いに鏡に映した形の鏡像異性体が存在します。

5.ジアステレオマー(Diastereomer):立体異性体のうち鏡像異性体でない分子。シス-トランス異性体などはジアステレオマーです。

糖類を代表する分子としてまずグルコースをとりあげましょう。グルコースは水溶液中では図2のように、α型とβ型の環状体と中央の鎖状体の3つの形が平衡状態にあります。鎖状体はα型またはβ型に対して構造異性体、α型とβ型は立体異性体ということになります(1、2)。α型とβ型を互いにアノマーであるという表現も用いられます。

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鎖状構造のグルコースの異性体に着目してみます(図3)。上から炭素に番号を付けると、2番目から5番目の炭素が不斉炭素です。ここで5番目の炭素の左右と下の構造を固定し(赤で示したOHが右にある)、上だけ可変とすると、図3のように8種類の異性体が考えられます。それぞれの異性体に鏡像異性体が存在するので16の異性体が存在します。5番目の炭素のOHを左側にもってくると異性体の数は32となります。それぞれの異性体には名前があります(3)。フィッシャーは当時の研究法で III がグルコースであることを示しました。

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グルコースには図2で示した3つの形があるので、32x3=96の異性体があることになります。さらにいす型やふね型の立体配座の異性体があるので(4)、それらをカウントすると、とんでもない数になります。糖質のおそるべき複雑さを垣間見ましたが、自然界に存在するグルコースはほとんどが図3-IIIの5番目のCの右側にOHがあるD体です(5)。アミノ酸の場合H2N-C-COOHと書いて、Cの下にHを書きます。これがL体。糖の場合H-C-OHと書いて、Cの下にCH2OHと書きます。これがD体です。歴史的には結晶に光を照射したときに、右にまがる(dextro-rotatory)か左にまがる(levo-rotatory)かで判定されました。もっと理論的な命名法がRS法ですが、ここでは説明しないので知りたい方は文献(6)を見て下さい。アミノ酸と糖に関してはDL法が一般的です。

グルコースのようにひとつの環でできている糖を単糖とよびます。単糖にはグルコースのように5つのCとひとつのOで構成される環が基本となっているヘキソースと、リボースやキシロースのように4つのCとひとつのOで構成される環が基本となっているペントースが存在します(図4)。この6員環(5C+1O)をピラン、5員環(4C+1O)をフランとよびます。ピラン環でもフラン環でもOと結合している炭素はO以外にC・H・OHと結合している場合不斉炭素であり、HとOHが上下逆のα型とβ型を生じます。リボースはRNAの構成成分ですが、2の位置のOHがHに変わったデオキシリボースはDNAの構成成分です。デオキシリボースのような糖を一般にデオキシ糖とよびます。

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グルコースの2の位置のOHはアミノ基と置換されることもあり、この場合はグルコサミンとよばれます。一般的にOHがアミノ基と置換された糖をアミノ糖といいます。またアミノ基がアセチル化された場合、N-アセチルグルコサミンとよばれます。グルコサミンやN-アセチルグルコサミンは後に述べる複合糖質・ヒアルロン酸・糖脂質の材料として重要な物質です。グルコサミンはサプリメントとしても有名ですが、関節症などに効くかどうかは疑わしいと考えられています(7)。

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鎖状の糖の上端に書かれたアルデヒドのOと下端のCH2OHのH2のうちひとつのHが失われて環状化するとラクトンが形成されます。グルコースの場合グルコノラクトンとなります。このグループの化合物にはビタミンC(アスコルビン酸)という人類には必須の物質があります(図6)。ビタミンCはグルコースからやや複雑な経路で合成されます(8)。ビタミンCは私たちの体の中でコラーゲン合成、スーパーオキサイドの除去などの重要な役割を果たしています。

私たちはビタミンCを体内で合成できません。私たちの祖先のサルが果実を主食としてビタミンCを日常的に外界から得ていたため、合成経路をになう酵素が突然変異したまま活性が失われたと考えられています。霊長類の中でも、キツネザル・アイアイ・ロリスという原始的なグループはビタミンCを合成することができますが、ヒトを含めたそれ以外のグループは合成できません。

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さて単糖だけでも膨大な異性体が存在するわけですが、これが2糖となるとそのかけ算となる上多彩な結合が存在しますから手に負えません。とはいえスキップするのもどうかと思うので、少しだけ紹介しておきます(図7)。グルコース+グルコースでできている麦芽糖(マルトース)は、デンプンがαまたはβアミラーゼによって分解されたときに生成する2糖類です。甘味料の他点滴にも使用されています。急激な血糖値の上昇を防ぐには2糖が有効です。麦芽糖はαグルコシダーゼの作用によって徐々に分解され、2分子のグルコースになります。

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ショ糖(シュークロース)はグルコース+フルクトース(フラクトース)で構成される、自然界に最も多量に存在する2糖です。自然界では植物だけが合成できる化合物です。動物はインベルターゼという酵素でグルコースとフルクトースに分解して利用することができます。

どうしてサトウキビやテンサイがショ糖を大量に蓄積するのか、調べましたがわかりませんでした。私が想像するに、ショ糖はデンプンなどと違って草食動物に対して歯を溶かすなどなんらかの毒性があり、サトウキビやテンサイを好んで食べる動物に危害を与えて、それらの動物に食べ尽くされるのを防いでいるのかもしれません。

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糖の正式な命名法は(9)を参照していただくことをおすすめします。ただIUPACが推薦する正式名称は、専門家が論文を書くときに使うくらいで、あまり普及しているとは言えないと思います。

参照

1)http://受験理系特化プログラム.xyz/organic/fischer-3

2)グルコースの構造式:
http://sci-pursuit.com/chem/organic/glucose_structure.html

3)32コの異性体:
http://ameblo.jp/apium/entry-10212514628.html

4)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%AD%E5%9E%8B

5)http://kusuri-jouhou.com/creature1/suger.html

6)立体配置の記述法:
http://www.chiral.jp/main/R%26S.html

7)Wandel, Simon; Jüni, Peter; Tendal, Britta; Nüesch, Eveline; Villiger, Peter M; Welton, Nicky J; Reichenbach, Stephan; Trelle, Sven (2010). “Effects of glucosamine, chondroitin, or placebo in patients with osteoarthritis of hip or knee: network meta-analysis”. BMJ 341. doi:10.1136/bmj.c4675. ISSN 0959-8138.
http://www.bmj.com/content/341/bmj.c4675

8)ビタミンCの真実:
http://www.vit-c.jp/vitaminc/vc-02.html

9)http://nomenclator.la.coocan.jp/chem/text/carbohy.htm

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2017年3月 6日 (月)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが64: 制御タンパク質他

数回にわたってタンパク質とは何かをざっくり述べてきましたが、最後に「制御因子他」のジャンルに属するものについてふれておきましょう。

酵素などは基本的には作られる量と壊される量によって制御されています。その他に他の酵素によって修飾されたり、ビタミンや生成物などの低分子物質によっても制御されます。しかし中にはわざわざ自分の活性を制御する専門のタンパク質が遺伝子として存在するようなラグジュアリーな酵素も存在します。ODC(オルニチン脱炭酸酵素)はそのひとつです。

オルニチンはすでに述べたように(1)、尿素サイクルに含まれる物質で、アンモニアを解毒し排出するうえで重要な位置にありますが、それ以外にODCによってオルニチンはプトレシンに代謝されます。

H2N-(CH2)3-CH(NH2)-COOH(オルニチン) → H2N–(CH 2)4–NH2 (プトレシン)+ CO2

プトレシンを起点として、いわゆるポリアミン類-スペルミジン・スペルミンが合成されます。ポリアミンは精液に多量に含まれますが、その機能は細胞増殖、イオンチャンネルの制御、DNAの安定化など多岐にわたっており、まだ完全には解明されていません(2)。ポリアミンは多すぎても少なすぎても生物が生きていく上で障害になるので、ODCの活性は厳密に制御されなければなりません。余談ですが、そういう意味ではオルニチンをサプリメントとして摂取するのは、体に負担をかけることになるのではないかと危惧されます。

そこで登場するのがODCアンチザイムという制御因子で、このタンパク質がODCに結合することによって、ODCは迅速に分解されます(図1、参照3)。結合状態での分子形態なども報告されています(4)。ODCアンチザイム自身がODCを分解するわけではなく、あくまでもODCの形態(コンフォメーション)を変化させて、タンパク質分解酵素が見つけやすいターゲットにするということです。アンチザイム自身は分解されないので、再利用されます。

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アンチザイムとは違うアロステリックモデュレーターとして機能する因子にもふれておきましょう。図2のように細胞膜を何度も貫通するタンパク質は数多く存在しますが、それらは外界からのシグナル(例えばホルモン)を受けて、分子形態が変化し、細胞内に出ている部分を使って外界からきたシグナルを細胞内に反映させるべく仕事をします。このような機能を正方向(+)あるいは負方向(-)に導くためのタンパク質性制御因子が存在します(図2、参照5、6)。このような制御因子(アロステリックモデュレーター)は膜貫通タンパク質等に結合することによって、その構造を変化させ、機能に影響を与えます。

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制御因子のなかにはDNAと結合して転写を制御しているものもあります。これらは通常転写因子(transcription factor)とよばれています。例えばbZipというタンパク質は、C末側でαヘリックスがロイシンなどを介して結合してダイマーを形成し、N末側ではトングのようにDNAをはさんで転写を制御します(図3)。2本のαヘリックスがジッパーのように重なりあって結合している部位をロイシンジッパーといいます。

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またZif268(またはEGR1)という転写因子は、分子内にジンクフィンガーという部位(図4A)を3ヶ所持っており、その特異な構造を使ってDNAに結合します(図4B)。ジンクフィンガーというのは名前の通り亜鉛原子を抱え込んだ構造で、図4Aでは2つのシステインと2つのヒスチジンが亜鉛原子と結合しています。2つのβシートと1つのαヘリックスを含んだ構造が亜鉛原子によって安定化されているようです(図4B 参照7)

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ロイシンジッパータンパク質やジンクフィンガータンパク質は数多く存在し、またそれぞれがさまざまな遺伝子を発現させるために必要なので、機能によって分類や命名ができないため、酵素などと違って暗号のような名前になっています。タンパク質分子をいくつかの領域に分けて、それぞれをドメインとよぶことがあります。その場合ロイシンジッパードメインとかジンクフィンガードメインなどとよばれます。

もうひとつ、bHLH(basic helix-loop-helix)というドメイン(図5A)をもつ転写因子について述べておきます。このドメインは図5Aのように、2つの短いαヘリックスがループ状の構造でつながっています。このグループを代表する転写因子はMyoDです。MyoDはE12という別の転写因子とヘテロダイマーを形成して2本足のような構造をつくり、塩基性アミノ酸を使ってDNAと結合します(図5B)。

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MyoDは R.L. Davis らが発見した元締め的転写因子で、筋肉形成という極めて複雑なプロセスにゴーサインを出すマスター制御因子とされています(8、9)。発生の途中で未分化細胞を筋細胞に分化させるだけでなく、例えば筋トレをしたときもこれが発現して筋肉が増強されると考えられています。将来工場で細胞を分化させて食糧を製造するというようなことがあるとすれば、MyoDはキーファクターとして使われるかもしれません。

転写因子にはこれらの他にも非常に多くの種類があり、きりがありませんが、細胞がそれぞれ特徴を出すためにどの道を行くか決めるハンドルのようなものです。ノーベル賞の山中4因子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)もすべて転写因子です(10)。これらはいったん来た道を逆行して元に戻るプログラムを進行させる因子とも言えます。

最初に 「制御因子他」 と書きましたが、「他」 というのは例えばヘモグロビンです(図6)。ヘモグロビンは(グロビン+ヘム)x4で構成されるタンパク質で、グロビンも含めると真核生物のみならず、酸素を利用する生物には細菌も含めて広範囲に分布しています(11)。このタンパク質は酵素でも、構造タンパク質でも、制御因子でもなく、酸素や二酸化炭素を運搬する担体として使われています。

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そのほかにもリボソームというタンパク質製造マシーンではRNAと共に100種類近いタンパク質が、そのパーツとして働いています。メッセンジャ-RNAを製造する工場であるスプライソソームでも多くのタンパク質がそれぞれ役割を果たしています。すなわち酵素・構造タンパク質・制御因子以外にも重要な役割を担っているタンパク質は数多く存在します。

参照

1)http://morph.way-nifty.com/grey/2016/05/post-8705.html

2)栗原新、ポリアミンのとても多彩な機能、生物工学会誌 vol.89,p.555 (2011)
https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/8909/8909_biomedia_3.pdf

3)村上安子, 松藤千弥、迅速なポリアミン制御を可能にするオルニチン脱炭酸酵素の分解系、化学と生物 Vol. 39, No. 3, pp.171-176 (2001)・・・アンチザイム
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/39/3/39_3_171/_pdf

4)Hsiang-Yi Wu et al., Structural basis of antizyme-mediated regulation of polyamine homeostasis. Proc Natl Acad Sci USA, vol. 112 no. 36, pp. 11229–11234 (2015)
http://www.pnas.org/content/112/36/11229.full.pdf

5)Lauren T. May, Katie Leach, Patrick M. Sexton, and Arthur Christopoulos, Allosteric Modulation of G Protein-Coupled Receptors
Annual Review of Pharmacology and Toxicology  Vol. 47, pp. 1-51 (Volume publication date 10 February 2007)
http://www.annualreviews.org/doi/10.1146/annurev.pharmtox.47.120505.105159

6)J.N. Kew, Positive and negative allosteric modulation of metabotropic glutamate receptors: emerging therapeutic potential., Pharmacol Ther. vol.104(3), pp. 233-244 (2004)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15556676

7)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%A%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC

8)Robert L. Davis, Harold Weintraub, Andrew B. Lassa, Expression of a single transfected cDNA converts fibroblasts to myoblasts.
Cell, Vol.51, Issue 6, pp. 987–1000 (1987)

9)Ma, P.C.,Rould, M.A.,Weintraub, H.,Pabo, C.O.Crystal structure of MyoD bHLH domain-DNA complex: perspectives on DNA recognition and implications for transcriptional activation. Cell vol.77, pp. 451-459 (1994)

10)iPSビズ ヤマナカファクターとは http://ips 細胞.biz/dic/30.html

11)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%A2%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3

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2017年2月28日 (火)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが63: 構造タンパク質

タンパク質をその役割で分類すると、最もおおざっぱには酵素、制御因子、構造タンパク質、その他ということになります。構造タンパク質を代表するものとして、アクチンとミオシンがあります(ミオシンは酵素でもありますが)。これらは筋肉の主成分であり、肉食動物はこの2種類のタンパク質を主な栄養源として生きています。人間は雑食ですが、多くの人々は穀物(炭水化物)の他に、特に南米などではアクチンとミオシンを主要な栄養源としています。日本人も次第にそのようなライフスタイルに近づきつつあります。動物を殺さなくても美味な食事ができるようになれば、人間はもう少し高尚な生物になれると思いますが、エミール・フィッシャーの夢はなかなか実現しそうにありません。

生物が生物であるためには、生物と外界との間に仕切りが必要ですが、それは脂質が中心となった細胞膜です。細菌や植物はその外にさらに多糖類でできた細胞壁という構造を持っています。細胞壁はいわゆる動物にはありません。脂質の膜は細胞の内部にもあり、コンパートメントや物質輸送の役を果たしています。

ではタンパク質は細胞の構造形成にどのような役割を果たしているのでしょうか。ひとつは家で言えば柱とか梁のような、細胞に一定の形をとらせることです。とは言っても静的な恒久構造ではなく、ダイナミックに変化します。例えば筋肉は休んでいるときと、力を出しているときでは形態が異なります。もうひとつは細胞分裂を実行する構造ツールとしてタンパク質が機能するということです。

これらに関与しているタンパク質はほぼ3つのグループ、すなわちチュブリン、アクチン、中間系線維(繊維でもよい)に分類できます。この3つのグループは、細菌・古細菌・真核生物のすべてに存在するユニバーサルなタンパク質です。

細菌では図1のように、チュブリン系のFtsZは細胞分裂の際にZリングという構造を作って細胞と細胞の仕切りを形成する役割を果たしています。

アクチン系のMreBは細胞膜の直下に、細胞の全長に及ぶ繊維構造からなる螺旋状のネットワークを形成しており、細菌がロッド状の形態をとるために必要な役割を果たしています。またある種の細菌では真核生物の場合と同様、収縮リングをつくって細胞分裂を実行する役割を担っているようです(図1)。

中間系繊維グループのクレセンチンは、細胞が三日月のある種の細菌に存在し、細胞を屈曲させる役割を果たしています(図1)。人間の胃に住んでいるヘリコバクター・ピロリ、いわゆるピロリ菌もこの仲間のようです。栄養リッチな環境に住んでいる細菌は、その場所から流されたくないので、ひっかかりやすい構造をめざしたのでしょうか? 細菌の細胞骨格については、ウィキペディアにもう少し詳しい解説があります(1)。

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真核生物におけるチュブリンは毛利秀雄(1930~、図2)によって発見・命名された分子量約5万の球状タンパク質で(2)、通常重合して微小管などの構造を形成しています。αチュブリンとβチュブリンは図3のようにヘテロダイマーαβを形成し、さらにそのヘテロダイマーが連結して線維状のプロトフィラメントを形成し、13本のプロトフィラメントが集合して管になったような形の微小管が形成されます(3)。微小管の直径は約25nmです。

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精子の鞭毛を輪切りにすると、中心にある1対=2本の微小管を、9ペア=18本の微小管が取り囲むという美しい規則的な構造になっています。微小管の周囲に存在するダイニンはATPが持つ化学エネルギーを運動エネルギーに変換することができるタンパク質(モータータンパク質)であり、これらの作用によって精子は鞭毛を動かし、泳いで卵に到達することができます(図4)

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アクチンはF.B.シュトラウプ(1914-1996、図2)によって発見された、分子量約4万2千の球状タンパク質です(4)。微妙に異なる6種類があり、冒頭で述べた筋肉を作るタイプのものとは異なるβ型アクチンは、重合してマイクロフィラメントという直径6nm前後の線維を形成し、微小管と同様細胞骨格の役割を果たしています(図5)。アクチン自体はモータータンパク質ではありませんが、ATPやADPと結合することによって線維形成が制御されています(5、6)。

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細胞形態がいかにチュブリンやアクチンに依存しているかということは、図6をみれば一目瞭然です。細胞質の中は微小管やマイクロフィラメントのジャングルジムのようです。これらの細胞骨格はジャングルジムと違ってフレキシブルで、次の瞬間には別の形になることもあります。微小管やマイクロフィラメントは常に多くの分子が参加したり離脱したりしているので、細胞の柱や梁といっても、非常に流動的なパーツではあります。

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細胞骨格にはもうひとつの要素、すなわち中間径線維があります。中間径というのは線維の直径が微小管とマイクロフィラメントの中間という意味で、約10nmのサイズになります。中間径フィラメントを構成するタンパク質には、ケラチン、ニューロフィラメントタンパク質、デスミン、ビメンチン、ラミンなどがあり、細胞の種類によって特異性があります。ミオシンもこのグループに近いタンパク質です。

中間径線維の代表としてケラチンに注目してみましょう。ケラチンは毛髪・爪・表皮・角・くちばし・ウロコなどの主成分となるタンパク質です。ケラチンはヒトのものだけでも54種類あり、まだ増えるかもしれません(7、8)。ケラチン分子は細長い線維性(フィブラス)の分子で、図7のように4量体(テトラマー)をつくり、それを基本単位としてタンデムに結合してマイクロフィラメントが形成されます。8本のマイクロフィラメントが集合してマイクロフィブリルを形成し、マイクロフィブリルがさらに集合して毛や皮膚などの細胞に充満しています(図7)。

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図8は私が撮影した毛の断面の電子顕微鏡写真で、まだ完全にケラチン線維で埋め尽くされていない未分化な下部の構造です。ケラチン線維の束(マイクロフィブリルまたはミクロフィブリル)の間に隙間がまだみられます。

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筋肉は中間径線維グループに近縁のミオシンと、全く別オリジンのアクチンなどのタンパク質が共同して作った驚異的な芸術的作品です。筋肉によって動物は歩行し、呼吸し、消化し、出産し、飛翔し、遊泳し、目のピントを合わせ、キーボードをたたくことができます。いずれまた話題になると思いますので、ここでは1枚の私が撮影した電子顕微鏡写真だけ貼っておきます(図9)。私の過去記事が(9,10)にありますので、お時間のある方はどうぞ。

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参照

1)こちら

2)Mohri H., “Amino-acid composition of Tubulin constituting microtubules of sperm flagella.”. Nature vol. 217, pp. 1053-1054 (1968)  PMID 4296139

3)Nogales, E., Wolf, S.G., Downing, K.H. , Structure of the alpha beta tubulin dimer by electron crystallography. Nature vol. 391, pp. 199-203 (1998)

4)Straub FB., Actin,  Studies Inst Med Chem Univ Szeged. vol.2, pp. 3–16 (1942)
http://actin.aok.pte.hu/archives/pdf/StudiesII_1.pdf

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3

6)Geoffrey M Cooper, Structure and Organization of Actin Filaments. The Cell: A Molecular Approach. 2nd edition. Sunderland (MA) (2000).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK9908/

7)http://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/~pathology/templates/keratin.html

8)片方陽太郎 ケラチン蛋白質の生化学 -構造、機能、そして遺伝子まで-、蛋白質 核酸 酵素 vol. 38, pp. 2711-2722 (1993)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1993&number=3816&file=sU0K8gPLUSkWylrPLUS03QAhjDig==

9)ミオシン  http://morph.way-nifty.com/grey/2011/01/post-0d3e.html

10)アクチンの系譜  http://morph.way-nifty.com/grey/2013/09/post-9bba.html

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2017年2月21日 (火)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが62: 酵素2

第二次世界大戦前までに、酵素はタンパク質であり、生命現象に必要なほとんどの化学変化は、酵素によって触媒される反応であることが明らかになりました。大戦後は酵素の作用機構や制御が主要な課題となりました。

エミール・フィッシャーの古典的な「鍵と鍵穴」説の検証と、新しい概念構築の中心になったのはジャン=ピエール・シャンジュー(1936-)でした。シャンジュー(図1)は学生の頃パスツール研究所のジャコブ&モノー研究室で過ごました。彼はそこでタンパク質は固定した形を持つものではなく、基質や様々な制御因子の影響、オリゴマーの形成などによって形を変えるフレキシブルな物質であることに注目し、アロステリック変化という概念を提出しました(1)。この理論はダニエル・コシュランド(1920-2007、図1)らによってさらに発展し、「誘導適合説」などが提唱されました。このあたりの事情を知るには、コシュランドが書いたレビューが出版されています(2)。コシュランドは第二次世界大戦中はマンハッタン計画に参加して、原爆製造の仕事にかかわっていました(3)。

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簡単に説明すると、図2のように「鍵と鍵穴」説ではもともと鍵にぴったり合った鍵穴があることになっていますが、「誘導適合」説では、基質の接近によって酵素が形態(コンフォメーション)を変えて、基質を取り込むということになります。

またこのコンフォーメーションの変化に伴って、ケミカルアタックを行うサイト(catalytic site、図2の赤のサイト) が基質と接近して活動を行うことができるようになります。このサイトは2ヶ所に分かれていて、サイト-基質-サイトという形で電子や原子の受け渡しを行ないます。

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では具体的にトリオースリン酸イソメラーゼを例にとって。酵素反応の機構をみていきましょう(4)。この酵素はジヒドロキシアセトンリン酸(DHAP)をD-グリセルアルデヒド3リン酸(GAP)に代謝するときに利用されます。これはグルコースをピルビン酸に代謝する解糖経路の要所にある重要な反応です。ケトンをアルデヒドに変換する反応のひとつという見方もできます(図3)。

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酵素のポケット(鍵穴)に取り込まれたDHAPは、まずグルタミン酸側鎖COO-の電子をうけとってC1とC2の結合を二重結合化します。このときC1とC2はそのままでは共に5価になってしまうので、C1はHをひとつ手放し、C2は酸素との二重結合を一重結合化します(図4、図5)。

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C2と二重結合していたOの解放された電子はヒスチジン側鎖のNHに攻撃を仕掛け、Hを奪い取ります(図5)。

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Hを奪い取られたヒスチジン側鎖のNはC1からHを奪い返します(図6)。

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C1は酸素との結合が二重結合になってしまうので5価となり、C2との二重結合を一重結合にします。この結果C2は3価となるので、グルタミン酸側鎖のカルボキシル基からHを奪って4価にもどします。

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因果は巡って、結局GAPが生成され、95番のヒスチジン側鎖と165番のグルタミン酸側鎖も元通りに戻ります。すなわち酵素トリオースリン酸イソメラーゼはもとのままで、DHAP→GAPの化学反応が遂行されました。

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これはわかりやすいですが単純化された仮説で、実際にはもっとさまざまな活性部位周辺のアミノ酸が反応に関与していると思われます。

さてすべての酵素は基質濃度だけに反応して、役目を果たすのでしょうか? 生命体に必要な生体分子の濃度は制御されているはずなので、基質をほとんど使い切るまですべての反応が進行するということは考えられません。実際酵素には阻害物質を利用して、反応生成物を適度な濃度で管理するという機構がしばしば存在します。

最も単純なのは図9のように、基質と同じ鍵穴にアクセスできる別の鍵があり、その鍵が先にはまってしまうと基質は鍵穴にアクセスできなくなるというメカニズムです。すなわち基質と阻害剤が同じサイトに競合してアクセスしようとするわけですから、どちらがアクセスできるかはそれぞれの濃度に依存します。したがってもし大過剰の基質を投入すれば、阻害剤の影響は無視できる程度に低下するはずです。このような単純競合の場合、タンパク質自体の立体構造の変換を伴わないので、アロステリック制御とは言えません。


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しかし図10の場合のように、阻害剤がアクセスする別のサイト(鍵穴)があって、そこに阻害剤がアクセスすると基質の鍵穴が変形して使用不能になるとすれば、これはアロステリック制御のひとつであり、このようなケースでは基質を大過剰にしても反応は抑制されることになります。この非拮抗阻害と呼ばれる方式ですと、阻害剤が高濃度に存在すると反応が完全に停止するので、反応を再開するには阻害剤が代謝されてしまうことが必要になります。


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阻害の様式にはもうひとつ、不拮抗阻害というのがあり(図11)、この場合フリーの酵素に阻害剤はアクセスすることができず、基質が結合した酵素にしかアクセスできません。阻害剤がアクセスに成功すると、基質結合部位がアロステリック効果により変形して基質が結合できなくなります。阻害剤がアクセスするまでの時間的余裕があるので、基質があればある程度反応は進行し、その後阻害されるということになります。

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阻害剤という反応進行に負の影響を及ぼす因子について述べてきましたが、このような阻害剤による負のアロステリック効果だけでなく、正のアロステリック効果も存在します(図12)。この場合、正のAE(アロステリックエフェクター)が酵素にアクセスすることが引き金になって、基質結合部位が形成され反応が開始します。

酵素反応は一般に無制限に進行することは許されず、特定のタイミングで適切な量の反応生成物を得ることを目的としています。細胞外に放出されるペプシンですら、胃に食べ物がないときには放出されないように制御されています。酵素反応をいかに制御するかということは、生命現象の本質と言えるでしょう。

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一連の酵素反応の結果生成された最終反応生成物が阻害因子となって、自らを生成した酵素反応カスケードを停止させるという場合があり、これをフィードバック制御といいます(図13)。例えばアスパラギン酸トランスカルバモイラーゼは最終反応生成物であるCTPによって阻害されます(5)。このような負のフィードバック制御が一般的ですが、なかには最終反応生成物が一連の反応を加速させる場合もあり、これは正のフィードバック制御です。途中で神経伝達が関与していますが、オキシトシンが分泌されて子宮収縮=分娩が促進されるような場合がその1例と考えられます。

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参照:

1)Monod, J.; Wyman, J.; Changeux, J. P. On the Nature of Allosteric Transitions: A Plausible Model. Journal of Molecular Biology. vol.12, pp.88-118 (1965). doi:10.1016/S0022-2836(65)80285-6. PMID 14343300.

2)Daniel E. Koshland Jr., The Key-Lock Theory and the Induced Fit Theory. Angewandte Chemie col.33, pp.2375-2378 (1995)

3)https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_E._Koshland_Jr.

4)http://www.proteopedia.org/wiki/index.php/Triose_Phosphate_Isomerase_Structure_%26_Mechanism

5)Berg JM, Tymoczko JL, Stryer L., Biochemistry 5th edn. Section 10.1, W. H. Freeman (2002)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK22460/

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2017年2月15日 (水)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが61: 酵素1

A酵素を誰が発見したのかというのは、やや難しい問題です。歴史をたどっていくしかないようです。

1752年、フランスの科学者ルネ・レオミュール(René-Antoine Ferchault de Réaumur、1683-1757、図1)は、消化されなかった食べ物を吐き出す習性があるトンビに目を付け、金網で囲った肉を食べさせて、はき出した金網の中の肉が溶けていたことを確認ました。さらにスポンジ(当時のことですから海綿)を食べさせて、はき出したスポンジから胃液を集め、その胃液に肉片を浸すことで肉片が溶けることも観察しました(1、2)。

この結果からレオミュールは、胃液には肉を分解する物質が含まれると考えました。

レオミュールという人は偉大な昆虫学者で、全六巻からなる大著「昆虫誌」(3)を出版しました。もちろんフランス語ですが、オープンライブラリーで閲覧可能なようです。

レオミュールの観察を受け継いだのは、イタリア人のラッザロ・スパランツァーニ(Lazzaro Spallanzani, 1729- 1799、図2)という人でした。

彼はレオミュールの実験をさまざまな動物で追試し、吐き出した海綿中に消化を行う物質があることは間違いないという確信を持ちました。それからが彼の異常なところで、1776年に同じ実験を自分自身の体を使って追試してみようと考えたのです。といっても思いつきでやってみたのではなく、イヌやヘビに布袋を飲ませようとしてかみつかれるなどの困難に直面した後の苦渋の決断だったようです。

A_2スパランツァーニはまず研究ず布袋にパンを入れて飲み込み、排泄された布袋の中からパンが無くなっていることを観察しました。

次に竹を削って木筒をつくり、そのなかにパンや肉片を入れ、小さな穴を開けた木筒を布袋に入れて飲み込みました。出てきた木筒の中の食物はなくなっていました。

これによって胃ですりつぶされて食物が粉々になったためになくなったわけではないことが証明されました。木筒に骨を入れた場合は、消化されずにそのまま出てきました。

このような実験を多数繰り返して、スパランツァーニは胃には鳥類の砂嚢のように食べ物を粉々にする作用はなく、胃液に含まれる因子によって食べ物が消化されるのだという確信を持ちました。

しかしもう一押し、胃液を取り出して、その中で食べ物が消化されるのを見たいと思うのは、科学者として必然のなりゆきでしょう。そこからがまた彼の凄いところで、指をノドに突っ込んで自分の胃液をはき出すトレーニングをして実行したのです。そして実際に自分の胃液の中で肉が消化されるのを観察しました。それは腐敗とは違うことも確認しました。さらに前記の肉片の入った木筒を飲み込み、しばらくして吐き出すという名人芸も会得し、中を調べてみると肉片が消化されかかっていました。

A_3スパランツァーニが一連の自分の体を使った人体実験から得た結論は、「消化は機械的粉砕や微生物による腐敗や発酵ではなく、胃液が促進する通常の化学反応だ」 というものでした。

彼の功績は「自分の体で実験したい」という本に詳しく記してあります(4)。この本の表紙を図3に示しました。布袋を飲み込みつつあるスパランツァーニの姿が表紙になっています。

この本にはスパランツァーニ以外にも、自分をモルモットにして命がけで実験をした大勢の科学者の業績が記されています。命を落とした人もいるということで合掌・・・・・。

18世紀におけるレオミュールやスパランツァーニの偉大な実験にもかかわらず、多くの科学者が酵素の存在を確信するまでには、さらに1世紀もの長い時間が必要でした。

19世紀に入ると、まずパヤン Anselme Payen (1795‐1871) とペルソ Jean Francois Persoz (1805‐68)(図4) が、麦芽抽出液からデンプンをグルコースに分解する酵素を分離しジアスターゼと名付けました(1833年、5)。これは現在ではアミラーゼと呼ばれています。

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スパランツァーニの研究もいくつかの研究室で引き続き発展しました。1834年ヨハン・エベールは乾燥させた胃の粘膜から消化能力のある溶液を調製することに成功しました。その溶液で処理すると、卵白アルブミンは溶けてしまうだけではなく、検出できなくなりました。

細胞説で有名なテオドール・シュワンはエベールの実験結果に注目し、1836年に胃液に含まれる成分がアルブミン以外のタンパク質も分解することを確認して、ペプシンと命名しました。しかしそのペプシンを精製することはできませんでした。

19世紀の生化学で優勢だったのは、パスツールが証明した「生物は生物からしか生まれない、そして発酵や腐敗は微生物によって行われる」という考え方で、消化もやはり微生物の作用あるいは何らかの生命力によると思われていましたが、一方でパヤン&ペルソらの酵素の作用による有機物の化学変化もまた無視できないという隔靴掻痒の状況にありました。

A_5そうした中で、1897年エドゥアルト・ブフナー(Eduard Buchner, 1860- 1917、図5)がすりつぶした酵母をろ過した抽出液(無細胞抽出液)の中で、糖が発酵してアルコールと二酸化炭素になることを発見したことは大きな衝撃でした(6)。すなわち生きた細胞がいなくてもアルコール発酵が行われることが証明されたことになります。

これで生気説は否定され、有機物の生成や分解も普通の化学変化にすぎないという考え方が勝利しました。ブフナーは1907年にノーベル化学賞を受賞しました。しかしその10年後に第一次世界大戦で従軍し、戦死しました。

最終的に酵素がタンパク質であるということが証明されたのは20世紀も深まってからでした。

1919年に米国の化学者ジョン・ノースロップ(John Howard Northrop, 1891- 1987、図6)はペプシンを単離して結晶化し、それがタンパク質であることを証明しました(7)。ノースロップは1946年にノーベル化学賞を受賞しています。

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結論的に言えば、酵素の発見は誰がというより、ここで述べた科学者達を中心とした多くの科学者達が、200年近くの歳月をかけてなしとげた業績です。

酵素の作用機構についてはすでに1894年からエミール・フィッシャーが「鍵と鍵穴」説を発表しており(8)、基本的には現在でも正しいと考えられています。

すなわち酵素には基質(=鍵)を凸とすると凹の形態を持った鍵穴があり、そこに基質を収納すると基質がケミカルアタックを受けて生成物に変化するという考え方です(図7)。

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この過程を、レオノア・ミカエリス(1875-1949)とモード・メンテン( 1879-1960)(図8)は次のような化学式で表現しました。

酵素 (E) + 基質 (S) ⇄   酵素基質複合体 (ES) → 酵素 (E) + 生成物 (P)
E: enzyme, S: substrate, ES: enzyme-substrate complex, P: product

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ここで重要なのはE+S⇄ ESの1段階目の反応は可逆的なのに、2段階目のES→E+Pという反応は不可逆的だということです。もしそうでなければ、デンプンを分解してブドウ糖を生成しエネルギー源として利用しようとしても、ブドウ糖がある程度たまるとデンプンに逆戻りしてしまうという不都合が発生します。ただし生成物が少量で良い時などには、フィードバック制御という別プロセスで酵素に阻害がかかり、反応が停止するということはあります。

酵素は触媒の1種ですが、金属触媒などを用いた無機化学反応と違って、基質濃度を上昇させてもあるところで頭打ちになってしまいます。基質濃度を横軸、反応速度を縦軸としてグラフを描くと図9のようになります。

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1913年にミカエリスとメンテンは、このグラフを数式で表現する、ミカエリス・メンテンの式を発表しました(図10、参照9)。

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図9において、最大反応速度はVmax、その2分の1の反応速度で反応が進行しているときの基質濃度をKmとしています。ミカエリス・メンテン式において、[S] = Km とすると、v = 0.5 x Vmax となります。

ミカエリス・メンテン式の導出のしかたについて興味がある方はサイト(10)を参照して下さい。

本稿でもうひとつ触れておきたいのは、酵素が化学変化の過程において、活性化エネルギーを低下させるということです。

物質Aは自然により自由エネルギーが低い物質Bに変化していくことは、熱力学の第2法則が示していますが、それでも物質Aが存在しているのは、物質Bに変化するために要する時間が無限大に近いことによります。

酵素は物質A(基質=S)が物質B(生成物=P)に変化するために必要な、自由エネルギーが両者より高い中間段階に持ち上げるための活性化エネルギーのレベルを下げる作用を持っています(図11)。このことによって変化に必要な時間を著しく短縮することができるので、生命現象に必要な化学変化を現実的な時間で実行することが可能になるわけです。

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参照:

1)こちら1

2)http://contest.japias.jp/tqj2005/80064/kousohakkenn.html

3)René-Antoine Ferchault de Réaumur, Memoires pour servir a l'histoire des insectes. A Paris : De l'imprimerie royale (1734) 
https://archive.org/details/memoirespourserv01ra

4)「自分の体で実験したい 原題:Guinea Pig Scientists」 Leslie Dendy and Mel Boring 著 梶山あゆみ訳、紀伊國屋書店 (2007)

5)A. Payen and J.-F. Persoz, "Mémoire sur la diastase, les principaux produits de ses réactions et leurs applications aux arts industriels" (Memoir on diastase, the principal products of its reactions, and their applications to the industrial arts), Annales de chimie et de physique, 2nd series, vol. 53, pages 73–92 (1833)

6)Eduard Buchner, “Alkoholische Gärung ohne Hefezellen (Vorläufige Mitteilung)”. Berichte der Deutschen Chemischen Gesellschaft vol. 30,  pp. 117–124 (1897)

7)Northrop J.H., Crystallin pepsin., Science vol. 69, p. 580 (1929)

8)Emil Fischer, Einfluss der Configuration auf die Wirkung der Enzyme. Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, Volume 27, pp. 2985–2993 (1894)

9)Michaelis, L.,and Menten, M., Die kinetik der invertinwirkung, Biochemistry Zeitung vol. 49, pp. 333-369 (1913)

10)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E5%BC%8F

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2017年2月 9日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが60: タンパク質の基本2

アミノ酸はアミノ基とカルボキシル基を持っているので、酸性溶液中ではアミノ基がNH3+となって塩基、アルカリ性溶液中ではカルボキシル基がCOOーとなって酸となります。

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図1は酸性の溶液にアラニンを溶解し、アルカリ(OHー)を加えて滴定したときのpH変化を示したものです。まずpH2あたりで勾配がゆるやかになりますが、このあたりではアラニンは

+HN-CHCH-COOH → +HN-CHCH-COO- + H+

のようになるので、加えたOH-はH+に吸収され、pHの上昇がゆるやかになります。もう1ヶ所、pH10あたりで勾配がゆるやかになりますが、これはこのあたりで

+HN-CHCH-COO- → HN-CHCH-COO- + H+

となってもう1個プロトンが放出されるので、pH上昇がもう一度ゆるやかになります。このような緩衝作用を2ヶ所で発揮するのが、両性電解質の特徴です。アミノ酸によって緩衝作用を発揮するpH領域は異なるので、アミノ酸の混合液は広い範囲にわたって、環境の変化に対してpHを一定に保つ働きがあり、生物に福音をもたらします。

+HNとCOO-が拮抗して存在するpHを等電点といいます。アラニンの場合6.00です。

タンパク質は1分子中に通常多数のアミノ基とカルボキシル基を持っているので、当然アミノ酸と同じく両性電解質です。ペプチド鎖のN末とC末以外のアミノ酸の種類によって、タンパク質の緩衝領域や等電点は著しく変化します。この変化に寄与するのは主として酸性アミノ酸(グルタミン酸とアスパラギン酸)と塩基性アミノ酸(アルギニンとリジン)です(図2)。

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この4種のアミノ酸が持つ側鎖の数によって、タンパク質の性質は大きく変わります。タンパク質の種類によって、例えば等電点には大きなバリエーションがあります(図3)。

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例えばリゾチーム(ニワトリ卵白)という酵素のアミノ酸配列をみますと、塩基性アミノ酸の数が酸性アミノ酸の数を上回っており、このような場合タンパク質は塩基性となります(図4)。図3に示されるように、リゾチームの等電点は11を少し上回っています。

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一方イヌのペプシンBのアミノ酸配列をみますと、酸性アミノ酸の数が塩基性アミノ酸の数を大きく上回っています。このような場合タンパク質は酸性となります(図5)。ペプシンの場合偏りが極端で、等電点が1となります。胃という特殊な環境で作用する酵素なので、特殊な構造をもっていると思われます。

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生化学実験では等電点の違いを利用してタンパク質を分離精製するという作業がよく行われます。タンパク質の混合液に電流を流して、酸性タンパク質は+側に、塩基性タンパク質は-側に移動するのを利用するわけですが、実際には自然拡散や振動の影響を回避するため、タンパク質が移動できる程度のゆるいゲルを用います(図6)。

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図6には両性電解質をゲルに溶かしておく場合を示していますが、ゲルを作成するときに予めpHの勾配を作ってあるのを購入して使うというのが簡便で、よく利用されます(1)。タンパク質は通常プラスかマイナスにチャージしているので、精製された分子同士は電荷の反発でくっつきにくいのですが、等電点周辺では分子としてはチャージがなくなるので接近しやすく、場合によっては沈殿が発生します。これは等電沈殿という現象で、等電点電気泳動を行う場合には注意しなければいけません。

等電点電気泳動法で分離した後、分子量の差を利用してさらに分離すると、少量とは言え、かなり純度の高いタンパク質が得られる場合が多いです(2、3)。もっと大量のタンパク質を精製する技術は、今でも生化学者の腕のみせどころで、非常に多くの方法が考案されています(4、5)。

タンパク質にはもうひとつ特徴的な性質があります。それはある条件で相転移を行うことで、典型的な例は熱変性です。図7のように生卵に熱を加えると、ある時点で不可逆的にゆで卵になります。これはαヘリックスやβシートというタンパク質の基本構造が、熱によって破壊されることが主な原因です。αヘリックスやβシートは弱い水素結合によって形成されているので、温度が上昇すると不安定になり、構造が破壊されてランダムに近い状態になってしまいます。これによって多数の分子がからまりあって集合し、不溶性のかたまりを形成します。ただしペプチド結合は破壊されないので、バラバラになることはありません(図7)。みずからバラバラにはなりませんが、タンパク質分解酵素で切断されやすい部分が露出して、分解されやすい状態にはなりやすいと思われます。

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タンパク質には完成後に化学的修飾を受けて機能を発揮する分子も少なくありません。非常に色々な修飾が報告されていますが、ここでもいくつか紹介します。まずリン酸化について見てみますと、セリン・スレオニン・チロシンのOHがリン酸化されてOPO3-となります(図8)。リン酸化されているかいないかということが、あるシリーズの生体化学反応の起動スイッチになっている場合が多く、タンパク質のリン酸化は情報伝達のキーとなるイベントになっています。この分野のパイオニアはジョージ・バーネットとユージン・ケネディでしょう(6)。最近話題の抗がん剤オプジーボのターゲットであるPD-1もリン酸化されることによってスイッチを起動するタンパク質のひとつです(7、関連参考文献8)。

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タンパク質のアセチル化も重要な化学修飾です。ヒストンの低アセチル化は転写が抑制されたヘテロクロマチン状態のマーカーとされています(9)。また癌抑制因子として最も有名なp53はアセチル化によって活性化あるいは安定化することも知られています(10-12)。すでに述べたシステインのSS結合や、糖の付加なども非常に重要な化学修飾であり(図9)、その他にも多数の化学修飾が知られています(13)。

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参照:

1)http://www.gelifesciences.co.jp/technologies/2d-electro/guide-3.html

2)http://www.gelifesciences.co.jp/technologies/2d-electro/guide.html

3)https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/9003/9003_yomoyama_2.pdf

4)http://www.jaist.ac.jp/~yokoyama/pdf/02_1analysis1.pdf

5)http://www.gelifesciences.co.jp/newsletter/biodirect_mail/technical_tips/

6)G. Burnett and E.P. Kennedy, The enzymatic phosphorylation of proteins, J. Biol. Chem. vol. 211, pp. 969–980 (1954) こちら

7)http://www.ft-patho.net/index.php?Programmed%20cell%20death%201

8)Joseph Schlessinger, Receptor Tyrosine Kinases: Legacy of the First Two Decades.  Cold Spring Harb Perspect Biol. vol. 6,  pp.1-13 (2014) doi: 10.1101/cshperspect.a008912.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3949355/pdf/cshperspect-RTK-a008912.pdf

9)https://www.cstj.co.jp/reference/pathway/Protein_Acetylation.php

10)http://www.cyclex.co.jp/resource/keyword/jkeyword_2.html

11)田中知明、転写因子p53の翻訳後修飾と転写活性化機構. 生化学第82巻第3号,pp. 200-209 (2010)

12) Nature ダイジェスト : http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/79254

13)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%BB%E8%A8%B3%E5%BE%8C%E4%BF%AE%E9%A3%BE

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2017年2月 2日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが59: タンパク質の基本1

タンパク質は生物の体を構成する要素として最も重要な物質であり、同時に栄養源としても重要です。タンパク質に含まれるアミノ酸の数をnとすると理論上20のn乗の種類のタンパク質があり得ますが、遺伝情報としてDNAに刻まれているのは、哺乳類では2万数千種類くらいです。それらは生物の歴史を反映したものであり、なかには細菌・古細菌・真核生物のすべてにおいて機能しているタンパク質も少なくありません。

これまでの復習もかねてタンパク質の基本構造を示すと、図1のようになります。まずアミノ酸がペプチド結合でつながった1次構造。すなわちつながるアミノ酸の順列が一番基本的な構造になります。次にαヘリックス・βシート・ランダムコイル・その他の規則的な構造などのローカルな共通構造を2次構造とよびます。数学で言う「次元」とは別の概念なので注意しましょう。

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αヘリックスやβシートなどを空間に3次元的に配置したものを3次構造とよびます。図1のリゾチームの図がそれにあたります。リゾチームは多糖類を分解する酵素です。3次構造で示した同じまたは異なるタンパク質が、特定の配置で集合したような場合、その集合体を4次構造とよびます。

タンパク質の3次元構造は、X線結晶解析によって解明されました(1、2)。この功績によりジョン・ケンドリュー(1917-1997)とマックス・ペルーツ(1914-2002)(図2)は1962年のノーベル化学賞を受賞しました。同じ年にワトソンとクリックもノーベル医学生理学賞を受賞したので、この年のノーベル賞は、タンパク質とDNAの構造解明者が同時に受賞するという、分子生物学の歴史上最大の出来事と言っても良いでしょう。

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ペルーツ自身はナチスが台頭する前にウィーンからイングランドに留学していたのですが、ナチスの侵略後は両親が難民となったため資金を絶たれピンチとなりました。しかしロックフェラー財団の援助で学業・研究を続けられたそうです。第二次世界大戦中は氷山空母を建造する計画に参加していました(3)。

ケンドリューは英国空軍の研究所でレーダーの研究をしていましたが、なぜかタンパク質に関心を持つようになって、生物物理学の分野にやってきた人です。ケンドリューとペルーツは二人ともケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所に在籍し、サー・ローレンス・ブラッグの高弟でした。ワトソンとクリックがDNAの構造を解明したのも、この研究所での仕事でした。

彼らが研究材料として用いたミオグロビンというタンパク質(図3)は、クジラなど海に棲む哺乳動物の筋肉に豊富なもので、酸素を強く結合して保管しておき、血液中の酸素濃度が低下したときに放出して、長い時間海に潜ったままで活動する彼らの生活をささえています。血液中の酸素リザーバーはヘモグロビンで、ミオグロビンと類似したグロビン分子4つで構成されています(図5)。ですのでミオグロビンはヘモグロビンよりかなりシンプルな構造であり、研究材料として好適だったわけです(4)。もちろんクジラからなので、サンプルが大量に確保できるという利点もありました。

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ただちょっと複雑なのは、ミオグロビンはアミノ酸が連結した鎖だけでできているのではなく、ヘムという非タンパク質の、いわゆる補欠分子族といわれる物質を含んでいます。ヘムはポルフィリン環と中央部の鉄原子からなり、この鉄原子は酸素分圧によって、酸素と結合したり分離したりします(図4)。この反応を利用してミオグロビンは酸素不足時に筋肉に酸素を供給しています。ミオグロビンは8つのαヘリックスをもつ安定な構造のタンパク質で(図3)、ヘムを組み込むことによって適切に酸素を組織に供給する役割を果たしています。

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ヘモグロビンはミオグロビンに類似したαグロビンとβグロビンを2個づつ組み合わせた4量体タンパク質で、前述の4次構造を持っています(図5)。それぞれのグロビンがひとつのヘムを持っているので、1分子のヘモグロビンには4個のヘムが存在します。ヘモグロビンのヘムは、ミオグロビンのヘムにくらべて酸素との親和性が低く、酸素を放出しやすい性質を持っています。ヘモグロビンやミオグロビンは単なるヘムの台座ではなく、必要な酸素を適切に供給できるようなシステムを提供していると言えるでしょう。

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ヘムはミオグロビンやヘモグロビン以外にもいくつかのタンパク質に含まれており、シトクロムcもそのひとつです(図6)。シトクロムcはαヘリックスを4つ持ち、アミノ酸約100個からなる小さなタンパク質ですが、酸素呼吸を行う生物(細菌から哺乳類に至るまで)にとっては必須の生体分子です。

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シトクロムcに含まれるヘムは、ミオグロビンやヘモグロビンのヘムbとは異なり、ヘムcという構造をとっています。ヘムcはタンパク質と硫黄原子を介して共有結合しています(図7)。ヘムについてより詳しい情報は文献(5)を参照して下さい。

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ヘム以外にも補欠分子族にはさまざまなものがあり、図8と図9に主要なものを示しました。タンパク質と頻繁に結合したり分離したりする分子の場合、常時タンパク質に結合している補欠分子族と区別して補酵素とよぶこともあります。補欠分子族や補酵素はタンパク質以外の物質であり、同様な機能をタンパク質が持つ場合、それはサブユニットとよばれるタンパク質の4次構造の一部または独立の制御因子とみなされます。

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補欠分子族・補酵素はビタミンと関係が深く、FMN・FADはビタミンB2から合成され、メチルコバラミン=ビタミンB12、ピリドキサルリン酸=ビタミンB6、ビオチン=ビタミンB7、チアミン=ビタミンB1、NAD+・NADP+はナイアシンから合成されます。

ミオグロビン・ヘモグロビン・シトクロムcはすべてαヘリックスとランダムコイルに近いペプチド鎖で構成されたタンパク質ですが、たとえばポリンのように、主要な構造がβシートで構成されているタンパク質もあります(図10)。ポリンは細胞膜にβシートが壁に相当するトンネルを埋め込んだような形で存在し、膜を通過する低分子物質の選別を行います。βシートはその通りシート状の構造や、かごのような構造をつくることもできます。

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αヘリックスやβシートとは異なる、あるいはバリエーション的な規則構造をもつタンパク質も存在します。絹フィブロインは昆虫の繭の成分ですが、 Gly-Ser-Gly-Ala-Gly-Ala というアミノ酸配列の繰り返しを多数持っていて、図11のようにこの構造の逆順鎖と隣接することによって、まるでファスナーのように側鎖がかみ合って、繊維状の構造を形成しています。この側鎖が大小大小と交互に並ぶ特殊なファスナー様構造によって、絹は非常にちぎれにくい丈夫な繊維になることができます。

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さまざまなタンパク質のアミノ酸配列およびその他の情報はデータベースに集積されており、誰でも閲覧することができます。たとえば pir=protein information resource (6)にアクセスして、上部のバーから search/analysis を選択してクリック、次の画面から text search を選択してクリック、そうすると選択と入力の窓がでてきますので、選択の方は protein name を選択、入力の方は globin と入力し、search をクリックします。検索結果画面の最初に Protein name and ID という欄がありますので、その HBA MOUSE をクリックすると、マウスのαグロビンに関する様々な情報が得られます。スクロールしていくと真ん中あたりにアミノ酸配列が記載してあります(図12)。

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またはゲノムネットにアクセスし(http://www.genome.jp/ja/)、DBget search を開いて swiss prot というデータベースを探してクリックします。でてきた入力の窓に mouse globin と入力し、リストの中から HBA MOUSE を選択すると同様なデータが得られます。Swiss prot では、最後(ローエンドまでスクロールする)にアミノ酸配列の情報が記載されています。

このようなデーターベースの情報を用いて、すべての動物が持っているタンパク質であるシトクロムcのアミノ酸配列を、さまざまな動物について打ち出してみると、興味深いことがわかります(図13)。

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左から3番目のアミノ酸をみてみますと、20種類の動物のうち16種類ではすべてバリンですが、七面鳥・鶏・鳩・王様ペンギンの4種類ではイソロイシンになっています。哺乳類はこのアミノ酸を魚類・両生類・爬虫類から引き継いでいますが、鳥類はある時点でバリンをイソロイシンに転換したということになります。これはたまたまなのか、何らかの意義があるのかよくわかりませんが、アミノ酸配列から進化系統について論ずることが可能であることが示唆されています。

もうひとつ興味深いのは4番目と46番目です。いずれもサル目のなかでクモザルだけが他と異なるアミノ酸になっています。ただし4番目の場合、爬虫類・鳥類・哺乳類のすべてがグルタミン酸(E)であるのにクモザルだけフェニルアラニン(F)となっています。対照的に46番目では爬虫類・鳥類・哺乳類のすべてがフェニルアラニン(F)なのに、クモザル以外のサル目の動物だけがチロシンとなっています。これだけのデータでも、サル目のなかでクモザルだけが独立したグループであることが示唆されます。一方で11~12番目をみると、クモザルを含めたサル目が、サル目以外の哺乳類・鳥類・爬虫類・魚類とは異なる共通配列を持っていることがわかります。

たった1種のタンパク質のアミノ酸配列を比較しただけでも、様々な生物の歴史や系統関係を調べる糸口になります。実際シトクロムcのアミノ酸配列を比較するだけで系統樹を記述することができたという論文もあります(7)。

参照:

1)John Kendrew et al., A Three-Dimensional Model of the Myoglobin Molecule Obtained by X-Ray Analysis., Nature vol. 181, pp.

662 - 666 (1958); doi:10.1038/181662a0

2)Max Perutz et al., Structure of Hæmoglobin: A Three-Dimensional Fourier Synthesis at 5.5-Å. Resolution, Obtained by X-Ray

Analysis., Nature vol. 185, pp. 416 - 422 (1960); doi:10.1038/185416a0

3)Reviewed by Richard E. Dickerson, "Max Perutz and the secret of life" by Georgina Ferry,
Protein Sci. vol. 17, pp. 377–379 (2008) doi:  10.1110/ps.073363908
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2222719/

4)Myoglobin: A brief history of structural biology. Video presentation.
http://www.richannel.org/myoglobin-a-brief-history-of-structural-biology

5)Shigekazu Takahashi, and Tatsuru Masuda, Analysis of Heme in Photosynthetic Organisms. 低温科学 vol.67, pp. 327-337

(2009)
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/39163/1/67-048.pdf

6)http://pir.georgetown.edu/

7)Robert M. Schwartz and Margaret O. Dayhoff, Origins of prokaryotes eukaryotes mitochondria and chloroplasts. Science,
Vol. 199, Issue 4327, pp. 395-403 (1978)

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2017年1月24日 (火)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが58: オリゴペプチド・ポリペプチド

タンパク質の話題に入る前に、構成要素であるアミノ酸の数が少ないだけの、いわば弟分にあたるオリゴペプチド・ポリペプチドについてみておきましょう。オリゴペプチドは数個、ポリペプチドは数十個までのアミノ酸で構成されています。

1928年アレクサンダー・フレミング(1881-1955)は、研究のために培養していたブドウ球菌の培養皿に青カビ(ペニシリウム)が生えていることに気がつきました。初歩的な失敗でしたが、よくみると青カビの周辺ではブドウ球菌が生育していないことに気がつきました。

フレミングはこの青カビの毒素を抽出・精製することに成功しませんでしたが、ハワード・フローリー(1898-1968)とエルンスト・チェイン(1906-1979)は1940年に、このブドウ球菌の生育を阻止する物質を精製し、いくつかの成分があることをつきとめました。それらを総称してペニシリンと言います。

これらは20世紀最大の医薬品であり、開発の功績によって3人は1945年にノーベル医学生理学賞を受賞しました(図1)。現在でもよく使われるセフェム系の抗生物質はペニシリンと構造が類似した、同じグループの医薬品です。

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ペニシリンのひとつであるペニシリンNの合成過程と構造式を図2に示します。アミノアジピン酸+システイン+バリンのトリペプチドであることがわかります。ただしアミノアジピン酸が遺伝暗号表にはないアミノ酸であること、青点線で示したような環状構造(β-ラクタム4員環+5員環)をつくること、バリンがもとはL型なのに、ペプチドに取り込まれたときにはD型になっていることなどの特異な性質を持っています。

ペニシリンはもともとペニシリウムが生存競争のために産生する毒素(アロモン)なので、生物が簡単には分解解毒できないように特殊な構造を持っていると考えられます。

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ペニシリンはペプチドですが、リボソームで作られるのではなく、細菌が持つ酵素によって合成されます。遺伝暗号表に書き込まれていないものは、リボソームでは合成できません。ペニシリンは細菌の細胞壁の合成を阻害する作用を持っていますが、真核生物にとっては基本的に毒物としての作用はありません。

ただもともと真核生物の体内に類似物質があるわけではなく、しかも特異な分子形態なので、強いアレルギー反応がおきやすいことがわかっています。私の父もペニシリンショックで命を落としました。当時は現在のような十分な配慮なく投与されていたと思われます。交通事故や医療事故で突然人生が終了するというのは誠に理不尽なことです。

米国NIHはペニシリンの効果と人体への安全性を確認するため、1946年から1948年にかけてグアテマラで人体実験を行ったことが、最近になって発覚しました。オバマ大統領は2010年にグアテマラに謝罪しました(2)。

A_3真核生物にもペプチド性の毒素を持つものは多く、例えばテングタケのα-アマニチンは8つのアミノ酸からなるオリゴペプチドです。α-アマニチンはRNAポリメラーゼIIに結合し、タンパク質の合成に必要なmRNAの合成反応を阻害します。蛇毒やヒキガエルの毒もペプチド性のものです。

α-アマニチンの構造を図3に示しました。まるで駐車禁止のマークのような奇妙な分子デザインです。

最初にいくつか毒ペプチドについて述べたわけですが、もちろんオリゴペプチドにも有用な生理作用を持つものは数多く存在します。まずグルタチオンについてみてみましょう。図3のようにグルタチオンはグルタミン酸+システイン+グリシンからなるトリペプチドです。青丸のHによって過酸化物や活性酸素を還元無毒化する機能があります。

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生物は酸素を利用するようになってから、酸素の毒性=あらゆるものを酸化しようとする(サビさせようとする)性質、からいかにして逃れるかが大きな課題だったわけですが、そのひとつの解決策がグルタチオンでした。

生体内に還元型のグルタチオンをためておいて、活性酸素が発生するとすばやく還元し、結果生成した酸化型のグルタチオンは、ただちにグルタチオンリダクターゼとNADPHの作用によってまた還元型にもどすというサイクルによって、体の「サビ」を防ぐことができます(図4)。

ただしグルタチオンは多量にあればあるほどよいわけではなく、代謝のバランスを保つことも必要ですし、タンパク質が持つSS結合を切断する作用もあるため、濃度は適切に調節される必要があります。

図4のグルタチオンの構造をよく見ると、一番左側にアミノ基とカルボキシル基があります。通常のペプチドだと左端はアミノ基、右端はカルボキシル基なので、これは普通ではありません。すなわちグルタミン酸の側鎖(γ位)のカルボキシル基を使って、隣のシステインとペプチド結合を形成しています。したがってL-γ-glutamyl-L-cysteinyl-glycineという名前が正式名になります。

ペプチド結合を切断する酵素は数多くありますが、ほとんどは側鎖を使った結合を切断することができないので、グルタチオンは切断されにくくなっています。ペニシリンと同様、グルタチオンもリボソームではなく専用の酵素によって合成されます。

オキシトシンはペニシリンやグルタチオンより多い、Gly-Leu-Pro-Cys-Asn-Gln-Ile-Tyr-Cys の9個のアミノ酸で構成されています。図5に構造式を示します。末端のシステインが中間部のシステインとSS結合を形成して環状構造になっています(3)。通常のペプチド鎖と異なり、カルボキシル末端が存在しません。

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オキシトシンの9個のアミノ酸の配列は遺伝子に刻まれており、ペニシリンやグルタチオンと違ってリボソームによってまず前駆体が合成され、複雑な加工の過程を経て図5のような構造の分子がつくられます。生体内では脳の視床下部でつくられ、脳下垂体からホルモンとして血流に放出されます。オキシトシンの作用によって、分娩時に子宮筋の収縮が促され、また出産後には乳腺の筋肉を収縮させ乳汁分泌が促進されます。

女性だけではなく男性でも分泌され、仲間内での親密さを増す作用があることが知られています(4)。一方で仲間でない者には反発心が強まるという副作用もあると言われています。右翼的心情のベースになる物質かもしれません。

ペプチドホルモンとしてはじめてオキシトシン・バソプレッシンを同定し構造解析と合成を行った功績で、ヴィンセント・デュ・ヴィニョーが1955年にノーベル化学賞を受賞しています(5)。脳がホルモンを合成するということで、当時は非常な驚きを持ってむかえられた研究でした(5)。タレントでもある脳科学者中野信子がオキシトシンの作用を研究していることでも知られています(6)。この他にもペプチド性のホルモンは多数知られています(下記)。ペプチドホルモンの作用機構などについては、いずれ稿をあらためて述べるつもりです。

天然のオリゴペプチド・ポリペプチドの代表的なものを並べてみますと、次のようになります。

1.ペプチドホルモン:インスリン、グルカゴン、オキシトシン、バソプレッシン、アンジオテンシン、成長ホルモン、ガストリン、セクレチン、TRH、GnRH

2.抗生物質:ペニシリン、グラミシジンS

3.真核生物の抗菌性ペプチド(7,8):マガイニン、タチプレシン、ディフェンシン

4.酵素阻害ペプチド:ロイペプチン, ペプスタチン,植物トリプシンインヒビター

5.神経伝達物質:エンケファリン、エンドルフィン、ダイノルフィン

6.毒ペプチド:アマニチン,コブラトキシン

7.細胞内還元剤:グルタチオン

TRH(甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン)やGnRH(性腺刺激ホルモン放出ホルモン 図6)はいずれも視床下部で放出されて、脳下垂体の機能を調節するホルモンですが、これらの構造決定についてはロジェ・ギヤマンとアンドリュー・シャリーの歴史的死闘とも言える競争があったことは業界では有名なお話でした。興味のある方はサイト(9)または書籍(10)を参照して下さい。なお二人とも1977年のノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

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人工甘味料のアスパルテームも N-L-α-aspartyl-L-phenylalanine 1-methyl ester というオリゴペプチドです(図7)。これは天然には存在しないものですが、無害の食品添加物として広く用いられています。

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参照:

1)Howard Markel, The real story behind penicillin.PBS newshour.(2013)
http://www.pbs.org/newshour/rundown/the-real-story-behind-the-worlds-first-antibiotic/

2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%9E%E3%83%A9%E4%BA%BA%E4%BD%93%E5%AE%9F%E9%A8%93

3)https://en.wikipedia.org/wiki/Oxytocin

4)上田 陽一、“オキシトシン”の多彩な生理作用 公益財団法人山口内分泌疾患研究振興財団 内分泌に関する最新情報 pp. 1-7 (2015)
こちら

5)Vincent du Vigneaud et al., The synthesis of an octapeptide amide with the hormonal activity of oxytocin. . Am. Chem. Soc., 

vol.75, pp 4879–4880 (1953)

6)http://morph.way-nifty.com/grey/2015/01/post-b78b.html

7)小林聖枝、抗菌性ペプチドMagainin 2 とTachyplesin Iの細菌選択的相乗効果 カクテル療法への可能性、YAKUGAKU

ZASSHI vol.122, pp. 967-973 (2002)

8)富田哲治・長瀬隆英、生体防御機構としてのディフェンシン、日老医誌, vol.38, pp. 440-443 (2001)

9)http://www.org-chem.org/yuuki/aminoacid/hormone.html

10)Nicholas Wade著 丸山工作・林 泉 訳、 ノーベル賞の決闘、岩波書店 (1984)  ISBN 978-4002601243

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2017年1月19日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが57: ペプチド結合・αヘリックス・βシート

Ahermann_emil_fischer2タンパク質はアミノ酸が脱水縮合して合成される物質です。このことを発見したのはエミール・フィッシャー(1852-1919、図1)です。エミール・フィッシャーはむしろ糖やプリン誘導体の研究者として有名で、それらにかんする研究業績を評価されて、1902年にファント・ホッフに続いて2人目のノーベル化学賞を受賞しています。

彼は有機化学・生化学の父とでも言うべき人で、糖やプリン誘導体以外にも多方面に業績があり、1901年にはエルネスト・フォルノー(1872-1949)と共に、グリシンとグリシンを脱水縮合させてグリシルグリシンを合成しています(1)。これがタンパク質化学のはじまりでしょう。

彼はその後18個のアミノ酸をつないで、ポリペプチドと言えるような高分子を合成することに成功しました。その性質は天然のタンパク質とよく似ていたそうです(2)。100年以上前の文献で私は読んでいませんが、現在でも7000円くらい支払えば読むことができます。

フィッシャーはタンパク質合成に成功したとき、これで近未来に人類の食糧問題は解決するだろうと考えましたが、残念ながら現代に至っても食糧問題は人類にとって深刻な課題のまま残されています。

フィッシャーは膨大な業績を残しましたが私生活には恵まれず、奥方は結婚後7年で病死、息子3人のうちひとりは戦死、ひとりは自殺で失っています。彼自身も1919年に自殺しました(3)。リヒテンターラーが彼の生涯や業績についてレビューを出版しています(4)。自殺の原因は不明ですが、彼自身が開発して糖の構造解析に用いていたフェニルヒドラジンによって、癌になったことが原因だという説があります。

アミノ酸の脱水縮合は図2のように、カルボキシル基COOHのOHとアミノ基NH2のHがH2Oとなって離脱し、残されたCOとNHがO=C-N-Hという形で結合し(ペプチド結合)、2つのアミノ酸を連結する形で行われます。したがって反応生成物はH2N-HCR-ペプチド結合-HCR-COOH(Rはそれぞれのアミノ酸によって異なる)という形になります。図3のように4つのアミノ酸が連結されるとH2N-HCR-ペプチド結合-HCR-ペプチド結合-HCR-ペプチド結合-HCR-COOHとなります。

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図3では具体的にバリン-グリシン-セリン-アラニンのテトラペプチドの構造を記してあります。連結されたアミノ酸の数が数十個以内の場合、タンパク質ではなくポリペプチドと呼ばれる場合が多いです。またより小数の場合オリゴペプチドとも呼ばれます。図3の青い丸印のついたCはアミノ酸が連結されたあとでも不斉炭素です。ポリペプチド(タンパク質)の両端はそれぞれアミノ基とカルボキシル基が露出していて、それぞれN末・C末(N端・C端)などと呼ばれることがあります。

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A_3タンパク質構造研究の次のエポックは、ライナス・ポーリング(1901–1994、図4)によって創られました。彼は貧困家庭の生まれで、ハイスクールを卒業できなかったそうですが、苦学してオレゴン農業大学を卒業しました。そして第二次世界大戦中に、マンハッタン計画の化学部門のヘッドにハントされるほどの量子化学部門での重鎮となりました(そのポストに就くのは断ったそうです)(5)。

ポーリングは化学結合に関する研究で1954年にノーベル賞を受賞していますが、タンパク質の構造については50才も近づいた頃から研究をはじめて、たちまちαヘリックス(6)やβシート(7)という概念を提唱するなど卓越した業績を残しました。これらの論文および現代的観点から見た解説は無料で読むことができます(8)。

ポーリングらがこれらの重要な発表を行った当時、米国ではマッカーシ-イズム(レッドパージ)が吹き荒れており、マンハッタン計画参加を断ったポーリングは反政府勢力とみなされてパージされそうになっていたのですが、これらの業績によって地位を保つことができたようです(8)。ポーリングはその後も反核運動を続けて、1962年にはノーベル平和賞を受賞しています。ノーベル賞を2回受賞した人は、マリ・キュリー(1903年に物理学賞、1911年に化学賞) 、ジョン・バーディーン(1956年と1972年に物理学賞) 、フレデリック・サンガー(1958年と1980年に化学賞) 、ライナス・ポーリング(1954年に化学賞、1962年に平和賞)の4人です。

A_4ポーリングはタンパク質の構造形成において水素結合が重要な役割を果たしていることを示しました。水素の原子核は小さく弱体で、保有する電子を強い(陽子の多い)原子核を持つ原子に奪われがちです。

水の分子における水素も原子を酸素に奪われがちで、その結果水素原子はプラスのチャージを持つようになります(図5左)。

一方酸素原子は過剰な電子でマイナスチャージを帯びるので、水分子は片側が+、反対側が-のチャージを帯び、水分子同士が引き合って安定した構造を保ち、その結果比熱が高くなって、熱を加えてもなかなか気体になりません(図5左)。

酸素分子以外でも水素は電子を奪われて+にチャージしがちなので、他の原子を引き寄せることができます。結果的に水素をはさんで他の2原子がブリッジをつくるような形になります(図5右)。これが水素結合です。

DNAの塩基対ATおよびGCは水素結合によって形成され、DNAを適度に安定化しています。水素結合は分子同士ばかりでなく、分子の内部でも形成されます。タンパク質の場合はそれによってαヘリックス(図6)やβシート(図7)が形成され、分子が安定化します。αヘリックスは1本のペプチド鎖によって形成されますが、βシートは2本のペプチド鎖によって形成されます。図7のように分子内で鎖が折れ曲がって行ったり来たりすることによって、同じ分子内でβシートを形成することが可能になります。

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水素結合のエネルギーは5~30KJ/モルであり、数百KJ/モルの共有結合と比べると非常に小さいので弱い結合と言えますが、DNAには分子が持つ塩基対の2~3倍の数の水素結合があるわけですし、タンパク質分子内にあるαヘリックスやβシートそれぞれにおいても非常に多数の水素結合があるので(図6、図7)、分子の安定性には相当寄与しています。

またDNAを読み取るには水素結合を引きはがして単鎖にしなくてはいけないわけですし、タンパク質が他の因子によって機能を制御されたり、自身が酵素の機能を発揮するような場合には分子の形を変えなくてはいけないので、水素結合が弱い結合であることにはそれなりに意義があるわけです(9)。

ポーリングは晩年癌のビタミンC大量投与療法の研究などでバッシングを受けて、研究ができないような状況に追いやられましたが、死後彼の研究を支持する結果も報告されて、名誉は回復されました(10)。

彼自身マキシマムヘルスを実現するため、マルチビタミンの摂取を実行し、現在でも「ライナス・ポーリン博士のスーパーマルチビタミン」「ライナス・ポーリン博士のビタミンC」などという商品が販売されています。

参照:

1)Emil Fischer and Ernest Fourneau, Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, vol.34, p.2868 (1901)

2)Emil Fischer, Synthese von Polypeptiden, Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, vol.36,pp.2982-2992 (1903) doi:10.1002/cber.19030360356.
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/cber.19030360356/abstract

3)Top 5 suicide chemists. 1) Emil Fischer (1852-1919)
http://syntheticenvironment.blogspot.jp/2007/04/top-5-suicide-chemists.html

4)Emil Fischer, His Personality, His Achievements, and His Scientific Progeny, Frieder W. Lichtenthaler, European Journal of Organic Chemistry
Volume 2002, Issue 24,  pages 4095-4122 (2002)
http://onlinelibrary.wiley.com/wol1/doi/10.1002/1099-0690(200212)2002:24%3C4095::AID-EJOC4095%3E3.0.CO;2-2/full

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0#.E7.94.9F.E4.BD.93.E5.88.86.E5.AD.90.E3.81.AE.E7.A0.94.E7.A9.B6

6)Linus Pauling, Robert B. Corey, and H. R. Branson、The structure of proteins: two hydrogen-bonded helical configurations of the polypeptide chain. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.37, pp.205-211 (1951)
http://www.pnas.org/content/37/4/205.full.pdf?sid=d8637919-9b62-43f1-b1f3-7e675806b4a5

7)Linus Pauling, and Robert B. Corey、The pleated sheet, A new layer configuration of polypeptide chains. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.37, pp.251-256 (1951)
http://www.pnas.org/content/37/5/251.full.pdf?sid=585970d7-d233-401b-84a1-c5a4668381d9

8)David Eisenberg、The discovery of the α-helix and β-sheet, the principalstructural features of proteins. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.100, pp.11207–11210 (2003)
http://www.pnas.org/content/100/20/11207.full

9)J. D. Watson et al., Molecular Biology of the Gene 6th edn, Chapter 5, Cold Spring Harbor Laboratory Press (2008)

10)Padayatty S, Riordan H, Hewitt S, Katz A, Hoffer L, Levine M (2006). “Intravenously administered vitamin C as cancer therapy: three cases”. CMAJ vol.174 (7), pp.937-942. PMID 16567755.

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2017年1月13日 (金)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが56: アミノ酸

しばらく核酸のお話がつづきました。かなりつっこみましたので、このあたりで少しタンパク質の話題にワープしようと思います。核酸とタンパク質は生命現象の両輪であり、バランス良く理解を進めることが必要です。

タンパク質は約20種のアミノ酸からなる生体高分子ですが、まずその構成要素であるアミノ酸のお話から始めましょう。最初にアミノ酸を発見したのはフランスの薬剤師・化学者ルイ=ニコラ・ヴォークラン(1763 - 1829)と彼の助手だったピエール=ジャン・ロビケ(1780 – 1840、図1)です。彼らは1806年にアスパラガスから高純度のアミノ酸を抽出し、その性質を研究してアスパラギンと命名しました(1,2)。またアンリ・ブラコノー(1780 - 1855、図1)は1820年にゼラチンの分解物からグリシンを発見しました(3)。

結局ほぼすべてのアミノ酸が発見されるまでには100年の歳月を要しました。日本のアミノ酸研究者としては池田菊苗(1864 - 1936)が有名です。彼はグルタミン酸の発見者ではありませんが、このアミノ酸のナトリウム塩が「だし」のうまみ成分であることを発見しました(4)。

A

A_2最初にタンパク質の一次構造、すなわちアミノ酸が並ぶ順番を解明したのはフレデリック・サンガー(1918 - 2013、図2)でした。これによって、アミノ酸のみがつながってタンパク質を構成していることもわかりました。

後になって、すでにふれたsnRNAや補酵素・補欠分子族などを分子に含むものも見いだされましたが、基本的にタンパク質はアミノ酸がつながってできています。

サンガーはこの業績によって1958年のノーベル化学賞を受賞しましたが、後にDNAの塩基配列を決定する方法も開発して、1980年に2度目のノーベル化学賞を受賞しています(5、6)。

サンガーが解明したのはインスリン分子におけるアミノ酸の配列ですが、その前にアミノ酸の略号による表記を図3に示しておきます。3文字を用いる場合と1文字を用いる場合があります。

A_3

図3の1文字による表記を使ってインスリン分子の構造を示したのが図4です。サンガーが使用したインスリンのサンプルは牛の膵臓から抽出して、何度も結晶化することによって精製されたものです。アミノ酸の配列は動物種によって多少異なります。ですからヒトなどほかの生物のインシュリンのアミノ酸配列が教科書などに出ている場合、この配列とは異なる可能性があります。

インスリン分子は単にアミノ酸がタンデム(直列)につながったものではなく、A鎖(21アミノ酸)・B鎖(30アミノ酸)の2列のアミノ酸が、システインのところでS-S結合(ジスルフィド結合)を形成し、接続された構造になっています(図4)。

A_4

タンパク質の構造については後に述べることとして、まずタンパク質の構成要素であるアミノ酸についてみていきましょう。生物に含まれるアミノ酸はいろいろバリエーションはありますが、基本的には図3に示した20種類です。すべてのアミノ酸分子は炭素原子を中心として、これにカルボキシル基(COOH)、アミノ基(NH2)、水素(H)、側鎖が結合しています(図5)。この4つの要素がすべて異なる場合、図6のように鏡像の構造体=エナンティオマー(対掌体)が存在し得ます。4つの要素の中心になる炭素を不斉炭素(アシンメトリックカーボン)と呼びます。

A_5

A_6

対掌体は光線を当てたときの回折方向が異なるので、以前は光学異性体と呼ばれていました。対掌体のふたつの化合物はそれぞれD体、L体と呼ばれます。アミノ酸の場合、生物はほぼL体のみを用いてタンパク質を合成します。ただ希にD体を使用する場合もあるので、DL変換を行なうアミノ酸ラセマーゼという酵素も存在します(7、8)。

アミノ酸のうちグリシンはRの部分が水素(H)なので、図7のように鏡像を構成する物質は120度回転すると同じになってしまいます。したがって対掌体は存在しません。またプロリンは通常のアミノ酸と構造が異なりますが、対掌体(光学異性体)は存在します(9)。

A_7

アミノ酸は側鎖Rの構造によって、異なる性質をもつグループに分類できます。図8に示したのは中性で疎水性のグループです。球形のタンパク質をつくる場合、外側の水と接する部分を親水性のアミノ酸、内側を疎水性のアミノ酸にすれば、うまく球状の分子構造を形成することができます。また細胞膜の外側と内側に親水性、細胞膜内部に疎水性のアミノ酸を配置すれば、細胞膜を貫通するタンパク質のデザインとして好適となります。疎水性のアミノ酸をさらに細かく分類すると、芳香族のトリプトファンとフェニルアラニン、それ以外の脂肪族のグループに分けられます。

A_8

次に中性で親水性のグループを図9に示します。1級アミド(CONH2)や水酸基など水と親和性が高い分子パーツを持っています。極性分子グループと分類されることもあります。

極性とは分子の片側に電子が偏って存在することを意味します。水も極性分子で、電子は酸素側に偏っています。したがって水に極性分子を混ぜると、電子が豊富な部位と、足りない部位が引き合ってうまく混合し、溶解度は高くなります。酵素は通常水に溶解した状態で作用するので、特に表層は親水性のグループで被われている必要があります。

A_9

図10には塩基性、図11には酸性のアミノ酸を示します。塩基性のアミノ酸は特に核酸との相互作用を行なう上で重要です。酸性のアミノ酸はその反応性の高さを利用するため、酵素の活性中心に位置する場合があります。

図11に示したプロリンは特異なアミノ酸で、アミノ基がありません。その代わり5員環のNHがアミノ基の役割をしていて、他のアミノ酸のカルボキシル基と反応して結合することができます。これによってアミノ酸鎖の角度を変えることができるので、球形分子などを形成するときには重要な役割を果たします。タウリンはカルボキシル基を持たず、代わりにスルホン基(-SO3H)を持っていますが、タンパク質には含まれず単独分子で機能します。

A_10

A_11

植物のような独立栄養生物はすべてのアミノ酸を自前で合成できますが、従属栄養生物はアミノ酸をエサとして取り込む必要があります。ヒトの場合一般に、図12に示される9種類のアミノ酸を外界から摂取する必要があります(10、11)。

ヒスチジンは体内で作られますが、急速な発育をする幼児の食事に欠かせないことから、1985年からこれも必要なアミノ酸として加わるようになりました(12)。なお、アルギニンは体内でも合成され、成人では非必須アミノ酸ではありますが、成長の早い乳幼児期では体内での合成量が十分でなく不足しやすいため、準必須アミノ酸とされています。

A_12

一般に肉食動物は自分とほぼ同じアミノ酸バランスの食事なので栄養的には優れていますが、それを続けていると次第にアミノ酸合成を行なう酵素に進化的欠陥が発生し、必須アミノ酸が増える可能性が高くなります。図13で猫とヒトを比較していますが、アルギニン・チロシン・システインなどについては、ヒトと比べて猫は要求性が高くなっているようです。

また猫はタウリンを合成できません。タウリンは、心臓の筋肉や目の細胞に多く含まれ、タウリンの欠乏は 網膜の異常(失明につながることもあり) 拡張型心筋症(発病すると死に至る…)や子猫の発育異常、免疫不全などの原因になります(13、14)。

A_13

とはいえ草食動物でも羊がシステインを合成できないなどということもあり、腸内細菌にアミノ酸合成を行わせる(草食動物の腸は長い)場合もあって、必須アミノ酸のお話もそう単純ではありません。アブラムシはその細胞内にブフネラという細菌を飼っていて、必須アミノ酸をつくらせているというような極端な場合もあります(16)。シロアリはなんと窒素固定細菌を腸内に飼っていて、空気中の窒素からアミノ酸をつくらせているそうです(17)。

参照

1)http://www.a-creation.jp/basic/history/

2)http://andantelife.co.jp/aminoacids/aminoacids.htm

3)https://glycine-corp.com/2016/08/11/what-is-glycine/

4)大越 慎一:うま味の発見と池田菊苗教授、東京大学理学部広報
http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/treasure/02.html

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC

6)Antony O. W. Stretton、The First Sequence: Fred Sanger and Insulin、Genetics vol.162, pp.527–532 ( 2002)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1462286/pdf/12399368.pdf
http://www.genetics.org/content/162/2/527

7)山根隆 D-アミノ酸の効率的合成に関係する酵素の構造と機能  Japanest NIPPON (2011)
http://japanest-nippon.com/jp/mbinfo/mb_detail1.php?cid=1&id=12

8)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%8E%E9%85%B8%E3%83%A9%E3%82%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BC

9)http://www.tennoji-h.oku.ed.jp/tennoji/oka/OCDB/Protein/proline.htm

10)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%85%E9%A0%88%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%8E%E9%85%B8

11)馬渕知子 タンパク質を構成する9種類の「必須アミノ酸」とは? 
http://www.skincare-univ.com/article/011704/

12)山口迪夫 食事:ヒスチジンが必須アミノ酸と考えられる理由
http://www.nutritio.net/question/FMPro?-db=question-bbs.fp5&-lay=main&-Format=detail.htm&hatugenID=97&-Find

13)岩田麻美子 猫の栄養学講座 タンパク質
https://allabout.co.jp/gm/gc/69259/all/

14)http://lifecuration.link/post-2725-2725

15)http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%B3_%E7%BE%8A

16)理化学研究所 プレスリリース(2009)
http://www.riken.jp/pr/press/2009/20090310_2/

17)理化学研究所 プレスリリース(2015)
http://www.riken.jp/pr/press/2015/20150512_2/

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2017年1月 5日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが55: mRNAへの道2

前稿「54」で述べたように、シャープやレダーらによって真核生物の遺伝子がイントロンによって分断されていることが明らかになり、これは真核生物の特徴であるとしばらく考えられていましたが、しばらくするとイントロンは細菌や古細菌にも存在することがわかりました(1)。このうち古細菌のイントロンはわが国の研究者達が発見したものです(2)。

図1に各種イントロンのリストをまとめて記しておきます。真核生物においてもミトコンドリアや葉緑体の遺伝子には細菌型のイントロンが存在します。またrRNAには細菌型の、tRNAには古細菌型のイントロンが存在します。細菌型のイントロンはイントロン自身が酵素の機能を持っていたり、イントロンの内部に酵素の遺伝子を持っていたりして、自力でスプライシングを行うことができます。

1a

細菌のイントロンには様々なものがありますが、いずれも構造は複雑です。本来は蛋白質である酵素の役割をRNAが代替しようというわけですから、それは当然と言えます。ここではウィキペディアからグループIIイントロンの構造を拝借して、図2として示しておきます。

2a

古細菌型のイントロンはリボヌクレアーゼとRNAリガーゼによってスプライシングが行われます。真核生物でもtRNAのイントロンでは古細菌型のスプライシングが行われますが、オルガネラやリボソーム遺伝子以外の大部分の遺伝子はスプライソソームというメカニズムでスプライシングが行われます。

イントロンというのはDNAの病気であり、スプライシングとはそのひとつの治療法です。DNAレベルでは治療不可能なので、転写されたときにRNAレベルで治療を行うわけです。参照文献(1)によると、クラミドモナスという藻類ではミトコンドリアのある酵素が1~2億年の間に核に移転したことがわかっていますが、その間に真核生物型のイントロンが、この酵素の遺伝子に15個も挿入されていたそうです。1000万年に1遺伝子あたり1個のイントロンが挿入されるという計算ですね。ヒトの遺伝子は約2万あるので、1000万を2万でわると500ですから、約500年にひとつイントロンが増加する計算になります。

えらい迷惑な話ですが、イントロンも長い間「ホスト」のDNAに棲み着いていると、その内部にエンハンサーが挿入されたり、イントロンの塩基配列が変わるとスプライシングに失敗したりするので、それなりに役割を主張しはじめる、言い換えれば進化的保存を要求することになります。

3ajoansteitz1941ともあれイントロンはタンパク質合成の際にアミノ酸配列として反映されることはないので、タンパク質をコードするRNA(すなわちmRNA)においては、必ずなんらかのメカニズムによって取り除かれなくてはいけません。

ジョアン・スタイツ(1941-、図3)らのグループは、small nuclear RNA という機能が不明だった核内のRNAが、タンパク質と複合体をつくって1群の small nuclear ribonucleoproteins (snRNP) をつくり、このsnRNPがmRNAのスプライシングにかかわっていることを示唆しました(3)。その後このsnRNP複合体はスプライソソームあるいはスプライセオソームなどとよばれています。

イントロンが取り除かれるプロセスを簡単に示したのが図4ですが、多くの場合イントロンはキャップ側の端がGU、ポリA側の端がAGとなっています。また中間部分に存在するAが重要な役割を果たします。その他ピリミジンリッチな配列とか、それぞれのsnRNPに親和性がある配列などがありますが、厳密には定められていません。

4a

第1のステップでは、キャップ側のGUがはずれて中間部のAと結合します。これはAの2の位置のOHがエクソン1右端の 3'-5' 結合を攻撃して切断し、AG結合をつくることによって実現します。この結果投げ縄のような構造が形成されます(図4)。第2のステップでは、エクソン1右端の3OHがエクソン2左端を攻撃して切断し、エクソン1とエクソン2が結合し、同時に投げ縄構造となったイントロンが切り離されます(図4)。

真核生物のイントロンは、細菌のような複雑な構造をとっているわけではなく、リボザイムではないので、図4のようなダイナミックな反応(スプライシング)は外部因子の力を借りて行われます。スプライシングを実行する外部因子とは U1、U2、U4、U5、U6 という snRNP で構成されるスプライソソームです。他の因子もかかわっていますが、ここでは省略します。詳細な知識が必要な方は参照文献(4)などを参照して下さい。

図5のようにまずU1がイントロンとエクソン1の境界部に結合します。U1はこの位置に結合するためのRNAを含んでいます。図ではぴったりイントロンのキャップ側(5' 側)の塩基配列と対合していますが、ぴったり対合する必要はありません。同時に中間部にあるAの近傍にU2が結合します。これにU4+U5+U6の複合体が結合してイントロンにテンションを発生させ、Aをエクソン1の右端に接近させてエクソン1とイントロンを切断します。

ここでU4がはずれ、U5+U6がエクソン1の右端とエクソン2の左端を接近させて連結させます。この反応によって、イントロンの投げ縄構造とそれに結合しているsnRNP群がはずれて、mRNAが完成します。

5a

こうして完成したmRNAですが、蛋白質合成に使用するためにはもう一手間かけなければなりません。それは核膜というバリアを抜けて、リボソームのある細胞質まで行かなければならないからです。核膜には核膜孔という関所のような穴があって、生体高分子はそこを通らないと核に入ったり核から出たりすることはできません。

ここを通過するためにmRNAが持つべき通行手形とその作成過程はまだ未知の部分があって、ワトソンの教科書などでもあっさりと通り過ぎています。Tapとp15という二つの蛋白質の複合体(ヘテロダイマー)が、mRNAにべったりくっつくことが重要だという説は正しいようですが(5)、まだわかっていない部分も多いと思われます。

参照

1)大濱武 遺伝子の中の厄介者、イントロンはどうしてなくならないか 生命誌 29号 (2000)
https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/029/ex_1.html

2)渡邊洋一、横堀伸一、河原林裕、原核生物遺伝子のイントロン 古細菌タンパク質遺伝子のイントロンの発見 蛋白質・核酸・酵素 vol.47, pp.833-836 (2002)

3)M.R. Lerner, J.A. Boyle, S.M. Mount, S.L. Wolin & J.A. Steitz, Are snRNPs involved in splicing? Nature vol.283, pp.220 - 224 (1980); doi:10.1038/283220a0
http://www.nature.com/nature/journal/v283/n5743/abs/283220a0.html

4)J.D. Watson et al. Molecular Biology of the Gene 6th edn.  (2008) or 7th edn (2013)

5)大阪大学大学院 米田研究室のサイト: 
http://www.anat3.med.osaka-u.ac.jp/research/research3_1.html

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2016年12月28日 (水)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが54: mRNAへの道1

細菌では転写が行われると、通常できたばかりのRNAにリボソームがくっついて翻訳(RNAからタンパク質へ)が開始されます。ですから鋳型DNAと転写されたRNAと翻訳工場のリボソームが一体化した状況の電子顕微鏡写真が撮影されています。

しかし真核生物ではそうはいきません。転写は核内で行なわれますが、リボソームは核の外の細胞質内にあります。従ってRNAを核膜を通過させて核の外に出し、そのRNAをリボソームまで導かなければなりません。

このようなプロセスを裸のRNAにやらせようとすると、リボソームにたどり着く前にヌクレアーゼで分解されて影も形もなくなってしまうでしょう。そこで転写されたRNAには直ちに5’側にはキャップ、3’側にはポリAテイルが付加されて、端からRNA分解酵素にかじられるのを防いだり、自らがmRNAであることのシグナルとして機能させたりという役割を与えられています(図1)。

キャップとテイルは翻訳領域に直接つけられるのではなく、それぞれ翻訳されない領域 (5'-UTR=5' untranslated region, and 3'-UTR=3' untranslated region) で隔てられた部分につけられます。つまりmRNAはその全域がタンパク質の情報として翻訳されるのではなく、翻訳領域の両側(上流・下流)に余裕を持って非翻訳領域を配置し、さらにその両端にキャップとテイルを配置するような構造になっています(図1)。

A

キャップの存在を発見したのは古市泰宏 で、当時の事情は彼自身が詳しいレビューを出版していますし(1)、日本語での自慢話も読めます(2)。

図2に示したように、転写されたRNAの5’末端ではリボース2つの2’の位置がメチル化されていて、さらに末端に7-メチルグアノシン3リン酸が5’-5’という奇妙な配位で結合しています。通常ヌクレオチドは5’-3’結合しかしないので、生化学的にこれは特殊な例と言えます。この構造のために通常のエクソヌクレアーゼはアクセスできなくなっています。

A_2

ポリAポリメラーゼはすでに1960年にエドモンズらによって発見されていましたが(図3、参照3)、ながらく何のためにあるのかわかりませんでした。転写されたRNAのテイルにポリAを付加するためだとわかったのは10年以上後になります(4,5)。転写されたRNAにキャップがかぶせられるのは数秒以内。テイルが付加されるのは30秒以内だとされています(6)。

EdmondsaポリAテイルがどのような役割を担っているかは現在でもホットな研究課題です。ポリAテイルに親和性をもつタンパク質は数多く、例えばPABP1というタンパク質ひとつとってみても、翻訳の開始、翻訳の促進、翻訳の抑制、mRNAの安定化、mRNAのターンオーバーなど驚くほど多彩なプロセスに関わっているようです(7)。

キャップとテイルでmRNAの加工は終わりかと思われていたのですが、1977年になって予想外の事態になりました。当時DNAとDNA、DNAとRNAを試験管の中で対面させて、相補的な塩基配列を持つ部分を結合させる(ハイブリダイゼーション)という技術が開発され、また電子顕微鏡で核酸分子を検鏡する技術も開発されました。

そこでアデノウィルスの完成された殻タンパク質をコードするmRNAと遺伝子DNAをハイブリダイズさせてみると、ぴったりとは符合せず、DNAに余ってループをつくる部分ができることがわかりました(8)。これは転写されたRNAの一部が切り離されたために、DNAの一部がハイブリッドを形成できなかったことを示唆します。

このような実験結果は、図4のような模式図によって説明できます。切り離される部分をイントロンといいます。イントロンの塩基配列は当然タンパク質の構造には反映されず、mRNAは残されたエクソンとキャップとポリAテイルによって構成されます(図4)。イントロンが切り離され、エクソンが結合されるプロセスをスプライシングとよびます。イントロンが切り離される前のRNAをプレmRNAとよびます。核に存在するmRNA、rRNA、tRNA以外のRNAをまとめてhnRNA(heterogenous nuclear RNA) とよぶこともあります。hnRNA がプレmRNAを意味する場合もあります。

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レダーらのグループはより明確にスプライシングの存在を証明しました。彼らはマウスのβグロビン遺伝子の塩基配列を完全解明し、どこからどこまでがエクソン、どこからどこまでがイントロンなどの詳しい研究結果を示しました(図5、参照9)。これによって遺伝子が内部のふたつのイントロンによって分断されていることがわかりました。福岡大学のサイトにβグロビン遺伝子の全塩基配列やエクソン・イントロンの位置などが示されています(10)。

A_4

細菌や古細菌にも遺伝子の分断はみられますが、一般的ではありません。真核生物でも酵母やカビにはごく少数しかみられませんが、ヒトやマウスでは遺伝子ひとつあたり平均7~8ヶ所の分断がみられます(11)。

参照:

1) Yasuhiro Furuichi,  discovery of m7G-cap in eukaryotic mRNAs. Proceedings of the Japan Academy, Series B
Vol. 91 (2015)  No. 8  p. 394-409
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjab/91/8/91_PJA9108B-01/_article

2)古市 泰宏  走馬灯の逆廻し:RNA研究、発見エピソードの数々|はじめに キャップ構造の発見
https://www.rnaj.org/component/k2/item/383-furuichi-1

3)Edmonds M, Abrams R., Polynucleotide biosynthesis: Formation of a sequence of adenylate units from adenosine triphosphate by an enzyme from thymus nuclei. J Biol Chem 235: 1142–1149. (1960)

4)Edmonds M, Vaughan MR, Nakazato H. 1971. Polyadenylic acid sequences in the heterogeneous nuclear RNA and rapidly-labeled polyribosomal RNA of HeLa cells: Possible evidence for a precursor relationship. Proc Natl Acad Sci 68: 1336–1340. (1971)

5)Darnell JE, Philipson L, Wall R, Adesnik M. Polyadenylic acid sequences: Role in conversion of nuclear RNA into messenger RNA. Science 174: 507–510. (1971)

6)JE. Darnell, Jr., Reflections on the history of pre-mRNA processing and highlights of current knowledge: A unified picture. RNA vol.19, pp. 443-460 (2013)
http://rnajournal.cshlp.org/content/19/4/443.full

7)Richard W.P. Smith, Tajekesa K.P. Blee and Nicola K. Gray, Poly(A)-binding proteins are required for diversebiological processes in metazoans. Biochem. Soc. Trans. vol. 42, pp. 1229–1237 (2014) doi:10.1042/BST20140111

8)Berget S.M., Moore C., Sharp P.A., Spliced segments at the 5' terminus of adenovirus 2 late mRNA. Proc. Nati. Acad. Sci. USA, Vol. 74, pp. 3171-3175, (1977)

9)Konkel DA, Tilghman SM, Leder P. The sequence of the chromosomal mouse β-globin major gene: Homologies in capping, splicing and poly(A) sites. Cell vol.15, pp.1125–1132. (1978)
http://www.cell.com/cell/fulltext/0092-8674(78)90040-5

10)http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/transcrp.htm

11)J.D. Watson et al. Molecular Biology of the Gene 6th edn p.416 (2008)

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2016年12月23日 (金)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが53: 転写2

転写1では細菌の転写について述べましたが、転写2では真核生物について述べます。細菌でも真核生物でもDNAの情報をRNAにコピーして、それを設計図としてリボソームでタンパク質を合成するという方式にかわりはありません。

まず細菌のRNAポリメラーゼと真核生物のRNAポリメラーゼ II を比較してみると(図1、参照1)、真核生物のRNAポリメラーゼ II は細菌の酵素の構成要素である5つのサブユニットと相同のサブユニットを保持していて(α2:RPB3&RPB11、β:RPB2、β’:RPB1、ω:RPB6)、さらに7つのサブユニットが追加されたような構造になっています。

A

これはゲノムのサイズが大きくなり、多種多様なタンパク質を適切な時期に発現させるという複雑なニーズに対応したものと考えたくなりますが、実は細菌よりゲノムサイズが小さめの古細菌(アーケア)のRNAポリメラーゼの構造は、細菌の酵素より真核生物のRNAポリメラーゼに圧倒的に近いということから(1,2)、この考え方は否定されます。古細菌は見た目は細菌と同じなのですが、生命現象の基幹的な部分が真核生物に近いという意味で、進化の最大の謎といっても過言ではありません。真核生物はこのグループから進化したと考えられていますが、その詳細は不明です。

古細菌も真核生物も構造は異なりますがクロマチンというDNAを保護する重層的な3次元構造を持っているため(3)、そのような障害を乗り越えて転写を行うためにサブユニットが増加したという考え方は可能でしょう。また真核生物は細菌より古細菌と近縁な関係にあることのひとつの強力な証拠でもあります。真核生物のRNAポリメラーゼ I および III は II よりもさらにサブユニットが増えており(1)、II を基本としてそこから派生したものと考えられます。

古細菌や真核生物においても転写に際しては細菌と同様なプロモーターが存在し、細菌の-10領域の配列を進化の中で引き継いだと思われるTATAボックスといわれる配列が存在します。この配列は厳密に指定されいるわけではありませんが、5'-TATA(A or T)A(A or T)G-3' のようにTATAという配列を含むものが多く、TATAボックスとかTATAエレメントなどと呼ばれています。

この配列は細菌ではシグマ因子が認識するわけですが、古細菌や真核生物ではTBP(TATA binding protein)という転写因子が認識します。TBPはRNAポリメラーゼのサブユニットではなく、真核生物の場合、TFIIDという巨大な転写因子のサブユニットとして機能します(図2)。図2にみられるように、真核生物の場合細菌よりも多数のプロモーターが存在し、転写開始点をまたいでいるものや、転写開始点より下流にあるものもあります。実は真核生物の場合、転写開始点からすぐ mRNA が読み取られるのではなく、mRNAの塩基配列はかなり下流からはじまるので、このようなことが起こりうるわけです。

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図2に示したように、それぞれのプロモーターにはその配列に結合する転写因子が存在し、GCボックス-Sp1、CAATボックス-NF-Y、BRE(B recognition element)-TFIIB、TATAボックス-TBP、Inr(initiator element)・DCE(downstream core element )I~III・DPE(downstream promoter element)-TFIID などという組み合わせになっています。

当初すべての生物に普遍的に存在するTATAボックス-TBPが特に重要と考えられていましたが、真核生物ではすべての遺伝子のうちTATAボックスを持っているのは20%以下という調査結果が報告されており(4~6)、さらに同じ生物の同じ遺伝子でも組織によって使用するプロモーターが異なるというデータもあります(7)。したがって古い教科書を書き換える必要性がでてきました。

TFIIDはTAF1~15とAF4B・AF9B、そしてTBPという多数のサブユニット(全部そろっているとは限らない)で構成される巨大な転写因子複合体で、転写開始に直接的にかかわっていると考えられます(8)。TATAボックスがなくTBPを欠いている場合は、転写開始の位置が正確ではなくなり、複数の位置から開始される場合があることが知られています。実際に転写が開始される場合、TFIIDだけでなく、TFIIA・TFIIB・TFIIFなども加わって、さらに巨大な転写因子複合体を形成し、RNAポリメラーゼを所定の位置に配置した後、RNAポリメラーゼの一部をリン酸化することによって複合体から解離させて転写を開始させることになります(図3)。

A_3

真核生物の場合、DNAはヌクレオソームにまきつき(後の稿で述べます)、クロマチンという3次元構造をとっているので、それらをほぐさないと転写ができませんし、外部からの指令もさまざまな形できますので、TFIIグループの転写因子複合体だけでは遺伝子発現の調節に対応できません。したがってDNAが3次元的に折れ曲がっていることを利用して、遺伝子から離れた位置にあるプロモーターやエンハンサー配列に結合する因子なども遺伝子発現に影響を与えることができるようなシステムになっています。

このため遺伝子発現を調節するためのタンパク質複合体は数メガダルトンという巨大なサイズになることもあります(図4)。このようなシステムは細菌や古細菌にはありません。

A_4

このようにして転写は進みますが、どこかで終結させなければなりません。古細菌ではすでに細菌が行っているρ因子やステムループを用いる転写終結をやめていて(9)、真核生物も別のメカニズムで転写を終結させています(10)。

真核生物の場合、例としてβ-グロビンの場合を図5に示してありますが、転写開始がmRNAの先頭からはじまるわけではないように、転写終結も終止コドンの位置で終わらず、さらに下流まで転写は継続します。そしてAATAAAというポリA付加シグナルという塩基配列があると、その少し下流の転写終結シグナルTTTT、TTGCのところで転写は終結します。このあたりは厳密には指定されてはおらず、例えばポリA付加シグナルの何塩基下流でとか、終結シグナルがひとつでもあれば必ず止まるとかというわけではありません。実際TTTTはスルーされています。転写されたRNA3'末端には、ポリAポリメラーゼという特殊なRNAポリメラーゼによって、鋳型なしにAが連続的に付加されます(図5)。

A_2

転写されたRNAをmRNAに加工するメカニズムは次稿で述べます。

参照:

1) Guy Drouin and Robert Carter, Evolution of Eukaryotic RNA Polymerases. eLS, DOI: 10.1002/9780470015902.a0022872
(2010).
http://www.els.net/WileyCDA/ElsArticle/refId-a0022872.html

2) 平田章, 古細菌の転写装置. 生化学 vol. 81, pp. 377-381 (2009)
こちら1

3) Tanaka T1, Padavattan S, Kumarevel T., Crystal structure of archaeal chromatin protein Alba2-dsDNA complex from Aeropyrum pernix K1. Jornal of Biological Chemistry, vol. 287, pp. 10394-10402 (2012), doi: 10.1074/JBC.M112.343210
http://www.riken.jp/pr/press/2012/20120224_3/

4) https://ja.wikipedia.org/wiki/TATA%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

5) Civán P1, Svec M., Genome-wide analysis of rice (Oryza sativa L. subsp. japonica) TATA box and Y Patch promoter

elements. Genome. vol. 52, pp. 294-297. doi: 10.1139/G09-001. (2009)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19234558

6) http://www.osc.riken.jp/english/activity/cage/achievements/

7) Paul Gagniuc1 and Constantin Ionescu-Tirgoviste, Eukaryotic genomes may exhibit up to 10 genericclasses of gene promoters. BMC Genomics , vol.13, pp.512-527 (2012), DOI: 10.1186/1471-2164-13-512
こちら2

8) Robert K. Louder,  Yuan He, José Ramón López-Blanco, Jie Fang, Pablo Chacón & Eva Nogales , Structure of promoter-bound TFIID and model of human pre-initiation complex assembly. Nature  vol. 531, pp. 604–609 (2016)
http://www.nature.com/nature/journal/v531/n7596/abs/nature17394_ja.html

9) 房富 絵美子 他 古細菌型転写終結因子NusAの結晶構造解析及びRNA結合解析
こちら3

10)杉本崇 真核生物mRNA3′末端プロセシング研究の新展開  生化学第86巻第1号,pp. 77~80(2014)
こちら4

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2016年12月16日 (金)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが52: 転写1

No.46:リボソームですでに述べたように、1960年頃にはすでにリボソームがタンパク質の製造工場であることはコンセンサスになっていました。トランスファーRNA(tRNA)の役割もわかってきていました。すなわちリボソームに存在するRNAの情報に基づいて、アンチコドンを持ちアミノ酸を運ぶ tRNAが、順次リボソームにアクセスすることによって、タンパク質が合成されることになります。

しかし当初リボソームが持つRNAは、それぞれのリボソームに特異的であり、そのリボソームがそれぞれ別々のタンパク質を合成するという考え方が一般的でした。ですからこの頃にはまだメッセンジャーRNA(mRNA)という概念はありませんでした。44:メッセンジャーRNAで、ブレナー・ジャコブ・メセルソンがDNAからリボソームに情報を運ぶ不安定なRNAが存在することを示唆する研究を行ったことを述べましたが、この1961年の研究を出発点としてDNAからmRNAを合成するメカニズムの研究が進展しました。DNAを鋳型としてmRNAが合成されるプロセスを転写(transcription) といいます。

ただ彼らの実験でmRNAの構造と機能が明らかになったわけではなく、あくまでもこれは端緒にすぎません。マシュー・コブ は「誰がmRNAを発見したのか?」という科学エッセイを発表していますが(1)、どうも明快な結論はないようです。ニレンバーグとレダーは大腸菌の無細胞系(大腸菌をすりつぶした抽出液)に、ポリUを入れるとフェニルアラニンがタンパク質にとりこまれることを証明しましたが、このポリUはまさしくmRNAなわけで、ニレンバーグとレダーが発見者という見方もできます。

また後にニレンバーグとマタイは大腸菌の無細胞系にさまざまなポリリボヌクレオチドを投入して、タンパク質合成がこれらのポリリボヌクレオチドに依存していることをみています(2)。コブはブレナーらの実験と共にこの仕事を重視しています。

Aleder_philアヴィヴとレダーの実験も完成品の美しさがあります。彼らはうさぎのグロビン(ヘモグロビンを構成するタンパク質)のmRNAをオリゴdTセルロース法という方法を使って精製し、がん細胞をすりつぶした抽出液の無細胞系で、うさぎのグロビンを合成することに成功しています(3)。

大腸菌の無細胞系とファージを使った実験というのはユニバーサリティに欠けると思います。ファージは生物ではありませんしね。グロビンmRNAの実験を行ったフィリップ・レダー(図1、1934~)は、ニレンバーグと共にコドンの最初の解読者であり、mRNAの機能を確定し、グロビンの遺伝子が分断されていることをも発見した(4)という卓越した業績の研究者であるにもかかわらず、ノーベル賞は授与されていません。遺伝子の分断の件でも。ファージのグループが受賞して彼ははずされました。全く理不尽なことだと思います。

リボソームRNA(rRNA)やトランスファーRNA(tRNA)が安定な物質であるのに対して、メッセンジャーRNA(mRNA)は壊れやすい不安定な物質です。rRNA・tRNAはハウスキーピングないつも必要なものであるのに対して、mRNAは必要なときだけにあればよいものだという意味で、この違いは合理的です。たとえばラクトースが周りに豊富にあるときには、大腸菌はラクトース分解系のタンパク質をコードするmRNAが必要ですが、ラクトースがなくなれば必要ありません。ジャコブとモノーは、リプレッサーが通常はオペレーター領域に結合していて、ラクトースの存在によってリプレッサーとDNAの結合が解かれ、RNA合成がはじまることを示しましたが、これは最も単純な例であって、実際のRNA合成の制御機構ははるかに複雑を極めるものです。

DNAを複製するのはDNAポリメラーゼであるのに対して、DNAを鋳型としてRNAを合成するのがRNAポリメラーゼです。DNAポリメラーゼが dATP, dTTP, dGTP, dCTP を基質とするのに対して、RNAポリメラーゼは ATP, UTP, GTP, CTP を基質とします。DNAポリメラーゼが 3'OH を起点として必要とするのに対して、RNAポリメラーゼは必要としません。ですからRNAポリメラーゼはRNA合成をはじめる基点を他の因子に決めてもらう必要があります。DNAポリメラーゼには多くの種類がありますが、RNAポリメラーゼは特殊なものを除いて細菌では1種類、真核生物では3種類しかありません。真核生物の3種類とそれぞれの役割は、RNAポリメラーゼ I:rRNAの合成、RNAポリメラーゼII:mRNAの合成、RNAポリメラーゼIII:tRNAと一部のrRNAの合成となっていて、さまざまなRNAを分業で合成しています。

まず大腸菌のRNAポリメラーゼについてみていきましょう(図2)。RNAポリメラーゼのコア酵素は5つのサブユニット(α、α、β、β’、ω)からなり、転写を開始する際にはσ因子が結合してホロ酵素の状態になります。σ因子が転写を開始する位置を指定します。細菌の場合、転写を開始する位置から上流側(鋳型鎖の3’側)に10ヌクレオチドおよび35ヌクレオチドあたりにσ因子と親和性の高い塩基配列(プロモーター配列)があり、σ因子はこのふたつのサイト周辺の塩基配列を認識してDNAと結合し、RNAポリメラーゼが転写を始める位置を指定します。このふたつのプロモーターサイトは-35領域、-10領域と呼ばれます。

A

プロモーター配列は厳密に決まっているわけではなく、一例を挙げれば TGTTGACA(-35領域)、TATAAT(-10領域)などがあります。これらにσ因子が結合することによってRNAポリメラーゼと隣接DNAの立体構造が変化して、閉じられていたDNAの2重鎖が開いて、鋳型鎖の情報をRNAポリメラーゼが読み取ることができる状況になります。そしてRNAポリメラーゼは+1の位置から転写を開始します(図3)。もちろんこのときリプレッサーはDNAからはずれていなければなりません。

A_2

大腸菌は7種類のσ因子を持っていることが知られており、分子量に応じて分類されています(例えば分子量約7万のものはσ70)。
σ19、σ24、σ28、σ32,σ38、σ54、σ70のうち、通常はσ70が使われています。σ28は鞭毛専用。ヒートショックを受けた場合はσ24・σ32、飢餓の場合はσ38など用途や状況によって使い分けているようです(5)。それぞれのσ因子によって、当然親和性の高いDNA塩基配列も異なります。単細胞の細菌でも7種類の転写部位を指定する因子があるわけですが、真核生物の場合このような細菌のやり方を拡張し、非常に複雑な転写指定を行うことによって細胞の多彩なニーズに対応するように進化しました。これについては後程述べます。

σ因子のはららきで転写を開始したRNAポリメラーゼですが、では転写を終結する位置はどのように指定されているのでしょうか? これには2つの方法があって、ρ因子依存性と非依存性と呼ばれています(6)。ρ因子は図4Aのように6個のρタンパク質がドーナツのように集合した因子で、Cが多い rut site という配列を認識してDNAに結合し転写を終結させます。ただし詳しいメカニズムはわかっていないようです。ρ因子非依存性の終結メカニズムは、転写されたmRNAがヘアピンのような構造をとることがポイントです。このような部分的二重鎖をつくるために、DNAおよびmRNAの一部に回文構造(パリンドローム)が形成されています。回文とは「竹藪焼けた」のように前から読んでも後ろから読んでも同じと言う文章ですが、塩基配列でこのようになっている部分(図4B赤線)がなっていない部分を挟んで存在すると、図4B右側の図のようにヘアピン構造を形成します。

A_3

ヘアピン構造のあとにUUUUUUUUという配列がありますが、このような場合DNAとmRNAの親和性が弱いことがわかっており、転写終結後、mRNAがDNAから離れるために有効であると考えられています。ここで述べてきたのは細菌の転写機構のお話です。真核生物については次の稿で。

参照:

1) Matthew Cobb, Who discovered messenger RNA?,  Current Biology 25, R523-R532 (2015)

2) M.W. Nirenberg  and J.H. Matthaei, The dependence of cell-free protein synthesis in E. Coli upon naturally occurring or synthetic polyribonucleotides. Proc Natl Acad Sci USA vol.47, pp.1588-1602 (1961)

3) H. Aviv and P. Leder, Purification of biologically active globin messenger RNA by chromatography of oligothymidylic acid-cellulose. Proc Natl Acad Sci USA vol.69, pp.1408-1412 (1972)

4) Konkel DA, Tilghman SM, Leder P. The sequence of the chromosomal mouse β-globin major gene: Homologies in capping, splicingand poly(A) sites. Cell vol.15, pp. 1125–1132. (1978)

5) https://en.wikipedia.org/wiki/Sigma_factor

6) J.D. Watson et al. Molecular Biology of the Gene 6th edn. pp.394-395 (2008)

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2016年12月11日 (日)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが51: オペロン説

フランソワ・ジャコブ(1920~2013、図1)がパリ大学の医学部に入学してしばらくした頃、ドイツでナチが台頭し、フランスに攻め込んでくる状況になりました。20世紀における分子生物学の爆発的進展は、二重らせんのワトソン&クリックと、岡崎フラグメントの岡崎以外は、多くはユダヤ人の業績なのですが、ジャコブもご多分に漏れずユダヤ人だったので、生命の危機を感じてロンドンに脱出しました。

A

しかし彼はそこで医学生として勉強を続けるのではなく、自由フランス軍の兵士として参戦する道を選び、衛生兵としてアフリカを転戦しているうちに負傷して入院生活をおくることになりましたが、回復後再び参戦し、今度はノルマンディー上陸作戦に参加しました(1)。ノルマンディーでの戦闘がどんなにすさまじいものだったかは、スピルバーグの「プライベート・ライアン 原題:Saving private Ryan」という映画をご覧になった方ならご存じでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=82RTzi5Vt7w
https://www.youtube.com/watch?v=Chzhf7gQxIg
https://www.youtube.com/watch?v=5v45or8lFWg
https://www.youtube.com/watch?v=ji8fQUn0OQE

ジャコブはこの戦闘で爆弾の破片が100個以上も体に突き刺さるという重傷を負い、九死に一生を得て野戦病院に収容され、戦争が終結してからパリに送られました。大学にもどるまでに治療とリハビリで4年もかかったそうです(2)。結局その後の研究も、体の中に摘出できなかった破片をかかえこんだままで行なわれました。

しかし長いブランクの影響は大きく、ようやく医師の資格は得たものの、臨床医としてやっていくモチベーションもなくしてしまい、軍隊時代の伝手でペニシリンセンターに就職して研究者としての道を歩み始めました。ところがそのセンターもまもなく倒産して路頭に迷ってしまいました。そしてまたなんとか伝手をたどってパスツール研究所にもぐりこみました。

ジャコブはルウォフの研究室に所属し、そこでモノーと出会うことになります。モノーも戦争中はレジスタンス軍の参謀としてパリで地下活動を行っていました。しかしジャコブの最初の重要な共同研究者はエリー・ウォルマンでした。エリーの両親ユージンとエリザベスは溶原性ファージ(細菌のDNAに組み込まれるファージ=プロファージ)を発見した研究者でしたが、実験室でゲシュタポに捕らえられ、アウシュビッツに送られてしまいました。エリーはそんな両親の衣鉢を継ぐために微生物の研究者になりました(3)。

エリーと共にジャコブは大腸菌に性因子が存在すること。それはオスの大腸菌の中で別荘のような小さな独立のDNAとして存在し(現在はプラスミドと呼ばれている)、接合の際に本家のDNAと共にメスに送り込まれるということを発見しました。このことが遺伝子の制御という生物学上の大問題を解決する糸口になろうとは、当初誰も考えていなかったのでしょう。

ジャコブと同じルウォフの研究室に所属していたジャック・モノー(1910~1976、図1)は、以前から大腸菌がラクトースを消化して栄養源とする過程を分析していましたが、大腸菌は普段はこのために必要な酵素をつくっていなくて、周りにラクトースが出現したときだけに合成するということを見いだしていました。ジャコブらの実験をみていたモノーは、ジャコブらと協力して、ラクトース分解酵素を合成できないメス株と合成できるオス株とを接合させ、オスのDNAがメスに取り込まれる過程を追って酵素活性を測定しました。

そうするとメスに遺伝子が移転された途端に酵素活性が上がりますが、30分後には活性が失なわれたのです。これはラクトース分解酵素とは別の因子がメスに存在し、この因子(リプレッサー)が酵素の発現を抑制したと想像されました。彼らはさらに研究を続けてオペロン説という遺伝子制御の基本となる理論を打ち立てました(4,5)。

オペロン説というのは図2Aのように、ラクトースが無い状態ではDNAにリプレッサーが結合していて、RNAポリメラーゼはプロモーターの位置にとどまり、DNAの情報を読み取れない状況にありますが、ラクトースが存在するとリプレッサーはラクトースと結合してDNAから離れ(図2B)、RNAポリメラーゼは情報を読み取り始めるという機構です。しかもラクトースの代謝に必要な酵素やタンパク質の遺伝子はオペレーター部位を先頭に並んでいて、まとめて制御されています(6)。

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DNA上に並ぶ遺伝子6、7、8(図2)がコードするタンパク質はそれぞれ、β-galactosidase (遺伝子名LacZ)、β-galactoside permease(遺伝子名LacY)、β-galactoside transacetylase (遺伝子名LacA)です。β-ガラクトシダーゼはラクトースをガラクトースとグルコースに分解する酵素(図3)。β-ガラクトシドパーミエースはラクトースなどを細胞に取り込むための細胞膜のタンパク質、β-ガラクトシドトランスアセチラーゼはラクトースなどにアセチル基を転移する酵素です。

A_3

リプレッサーを精製し、それがオペレーター領域に結合することはローゼンバーグらによって後に確認されました(7)。オペロン説はもうひとつ重要な課題を提起しました。それはリプレッサーがラクトースを結合することにより構造変化をおこして、DNAとの親和性に変化をきたすという考え方で、これはアロステリック効果と呼ばれるタンパク質化学において重要なテーマであり、その後もこのラクトースオペロンにおけるリプレッサーを材料としても、現代に至るまで詳しく研究されています(8,9)。

オペロン説は複数の遺伝子がひとつのオペレーター領域で制御されていることが注目されたため、そのようなことがほとんどない真核生物を含めると意義が薄れた感もありますが、むしろ遺伝子はタンパク質をコードする領域だけでできているのではなく、「プロモーターやオペレーターなどの制御領域とセットとなって一人前」という概念を提供したことに意義があると思われます。ジャコブ・モノー・ルウォフは1965年度のノーベル医学生理学賞を受賞しました。

参照:

1)Francois Jacob - Biographical.
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1965/jacob-bio.html

2)分子生物学の軌跡 野島博著 化学同人社刊 (2007)

3)Rudolf Hausmann, To grasp the essence of life -A history of molecular biology. Kluwer Academic Publishers (2002)

4)Francois Jacob and Jacques Monod, Genetic regulatory mechanisms in the synthesis of proteins., J. Mol. Biol. vol.3, pp.318-356 (1961)

5)http://libgallery.cshl.edu/items/show/74013

6)https://en.wikipedia.org/wiki/Lac_operon

7)J M Rosenberg, O B Khallai, M L Kopka, R E Dickerson, and A D Riggs, Lac repressor purification without inactivation of DNA binding activity. Nucleic Acids Res. vol.4, pp. 567–572. (1977)

8)Robert Daber, Steven Stayrook, Allison Rosenberg, Mitchell Lewis, Structural Analysis of Lac Repressor Bound to Allosteric Effectors. Journal of Molecular Biology, Volume 370,  Pages 609-619 (2007)

9)松下祐貴,島村香菜子,大石叡人,大山達也,栗田典之, ラクトースリプレッサーとDNA複合体へのアロステリック効果の解析:古典MD及びab initioフラグメントMO計算, 第37回情報化学討論会, P12, (2014)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ciqs/2014/0/2014_P12/_pdf

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2016年12月 7日 (水)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが50: DNA修復2

ジャン・ジャック・ワイグル(1901~1968)はもともとはスイスでX線解析などをやっていた物理学者だったのですが、なぜか米国に渡って微生物学者になりました。彼は1953年に不思議な現象を発見しました。彼が培養していたラムダファージを紫外線で不活化し(=殺し)、それを紫外線を照射した大腸菌にとりこませると、ファージは再活性化される(=生き返る)のです(1)。

ワイグルが発見した現象は、その後数十年かけて徐々にその全貌は解明されつつあります。驚くべきことに、この現象は細菌からヒトを含む真核生物に連綿と受け継がれた「DNA乗り越え修復 translesion DNA repair = TLS DNA repair」という機構に基づくものであることがわかりました。普段は隠れていたこの機構が、紫外線を照射されるという危機的な状況で表に現れ、生命を救うのです。ですからSOSリペアなどともよばれていました。

図1に示すように、DNA複製の際にDNAに損傷が発生し、DNAポリメラーゼがその位置で停止してしまうと、そこから先のDNAは複製されず、細胞はアンダー・コンストラクションの状態で死を待つことになります。通常2本鎖DNAの片側に損傷が発生した場合、その部分を切り取って、対面のDNA配列を利用して修復することができます(http://morph.way-nifty.com/lecture/2016/11/post-455d.html)。しかしDNA複製の際には複製フォーク(レプリケーションフォーク)が形成されているため、損傷部位の対面配列は離れた位置にあり利用できません(図1)。

A

この問題を解決するために、細菌は「DNA損傷乗り越え修復」という技を編み出しました。道で事故車が止まっていたときに、それをレッカー車で移動してから通過するのではなく、いったん歩道に乗り上げて事故車を通過するというような強引なやり方です。損傷部位に乗り上げたDNAポリメラーゼIIIは離脱し、RecAというタンパク質がATPを使ってRecA複合体を形成すると共に、DNAポリメラーゼVと共同して損傷部位の対面のDNAを延長します。

なぜこの酵素だと延長できるかというと、DNAポリメラーゼVは厳密にワトソンクリック型の対面ヌクレオチドを合成するのではなく、かなり特異性が低いという特徴をもっているからです。別の言い方ではフィデリティー(忠実度)が低いとも言います。ですから図2ー2または3にみられるようにTに対してGをもってきたりするわけです。

ですがフィデリティーの低さは逆に壊れているTも壊れていないヌクレオチドと認識することができるという利点があります。このためDNAポリメラーゼIIIが読めなくて停止するような場合(図2-1)でも、涼しい顔で通り過ぎることができるわけです。損傷部位を通り過ぎた段階でDNAポリメラーゼVはお役御免で、DNAポリメラーゼIIIにふたたびバトンタッチします(図2-4)。このプロセスを実行した結果間違った塩基配列が形成されたとしても、とりあえず細胞は死を逃れることができます。

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DNAポリメラーゼVは忠実度の低い酵素なので、通常は使われないよう厳しく管理されています。大腸菌に紫外線を照射して数十分後にようやくこの「DNA損傷乗り越え修復」という機能が発動します。つまり他の忠実性の高いシステムで修復を試みて、どうしても修復できない場合の最後の手段として使うという意味もあるようです。DNAポリメラーゼII や DNAポリメラーゼIV もDNA乗り越え修復の機能があるようですが、詳細は不明のようです(2)。

DNAポリメラーゼVなどのTLSポリメラーゼ(乗り越え修復DNAポリメラーゼ)は、細菌・古細菌で類似しているだけでなく、真核生物においてもその遺伝子構造が引き継がれており、ヒトも例外ではありません。このような祖先生物から複数の種に機能・構造が引き継がれている遺伝子をオルソログといいます。真核生物のTLSポリメラーゼにはイオタ、エータ、ゼータ、カッパがあります。大腸菌のPolIV・PolV、古細菌のDpo4、真核生物のPolイオタ・Polエータ・PolカッパはYファミリーとよばれるオルソログ、大腸菌のPolIIと真核生物のPolゼータはBファミリーというオルソログのグループを形成しています(2)。

このほかにも2本鎖がどちらも切断されたときとか、組み替え修復などの機構を生物は持っていますが、ここでは触れません。

いろいろなDNAポリメラーゼが話しの中に出てきて混乱するので、大腸菌と真核生物の各種DNAポリメラーゼをリストアップして、簡単な解説をつけることにしました。

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E.Coli(大腸菌)

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DNAポリメラーゼ I :

1956年に、アーサー・コーンバーグによって最初に発見されたDNAポリメラーゼ。この酵素が働かなくても大腸菌は生存可能なので、DNAの複製に必須ではありませんが、このような株は紫外線の感受性が高いことが知られています。またこの酵素はTSL型ではないため、主に各種除去修復の際のDNA合成に関与していると考えらています。この酵素の特徴はエキソヌクレアーゼ活性(3'→5')を持っていることで、そのことによって間違った塩基のペアができた場合、鋳型の上を逆走してそれらを分解し、DNA合成をやりなおすことができます。これは校正機能とよばれています。

また逆方向(5'→3')のエキソヌクレアーゼ活性も持っているため、おしりでDNA合成しながら頭でDNA分解を行うことができます。したがって頭の位置にあるDNAの断点(ニック)を、結果的に進行方向にずらしていくことが可能で、これをニックトランスレーションと呼びますが、この反応を行わせるときに放射性のヌクレオチドを入れておくと、DNAが放射能で標識されます。この機能を使えば手持ちのDNAをとりあえず標識できるので、研究上便利です。

この酵素がなくても大腸菌は生存可能とはいえ、あった場合はDNAの複製に関与すると言われています。ウィキペディアによるとRNAプライマーが分解されたあとのギャップを埋めるのに使われるとされています。
https://en.wikipedia.org/wiki/DNA_polymerase_I

この酵素は真核生物のミトコンドリアに存在するDNAポリメラーゼガンマとオルソログであり、Aファミリーを形成します。

DNAポリメラーゼ II :

この酵素はDNAポリメラーゼI と同様な校正機能を持っていて、しかも忠実度(フィデリティー)が非常に高いので、DNAポリメラーゼIIIが正しいペア形成に失敗したときに修正する機能があるとされています。ラギング鎖のDNA合成を行なうとも言われています。DNAにクロスリンクができてしまったときの処理に働いているという説もあります。バックアップ用の酵素かもしれませんが、まだ未解明な部分が多いと思われます。
https://en.wikipedia.org/wiki/DNA_polymerase_II

大腸菌のDNAポリメラーゼIIは古細菌から発見されたPol B1, Pol B3、真核生物の Polアルファ、Polデルタ、Polイプシロン、Polゼータなどとオルソログであり、Bファミリーを形成しています。細菌のDNA複製の主役はDNAポリメラーゼIII(Cファミリー)なのですが、古細菌や真核生物はこれを没にして、Bファミリーの酵素群を主役に抜擢しています。

DNAポリメラーゼ III :

トーマス・コーンバーグとマルコム・ゲフターによって1970年に報告されました。細胞増殖のために行われるDNAの複製を担う酵素としては、はじめて発見されたDNAポリメラーゼです。DNA合成を行うために他の多くの因子とDNAレプリソームという複合体を形成して働きます。3'→5'エキソヌクレアーゼ活性を持っており、校正機能があります。
https://en.wikipedia.org/wiki/DNA_polymerase_III_holoenzyme

DNAポリメラーゼIIのところで述べたように、この酵素ファミリー(Cファミリー)は古細菌や真核生物では用いられていません。非常に完成度が高かったため、生物の変化に対応できなかった可能性があります。

DNAポリメラーゼIV:

DNA損傷乗り越え修復を行なう酵素です。DNA合成が途中で停止したような場合に大量に出現し、合成を完了させるための損傷乗り越え修復を行ないます。この酵素を欠損する株では、DNAの損傷をひきおこすような薬剤を投与した場合に、突然変異の確率が高まることが知られています。
https://en.wikipedia.org/wiki/DNA_polymerase_IV

DNAポリメラーゼV:

DNAポリメラーゼIVと同様、DNA損傷乗り越え修復を行ないます。IVと共にYファミリーを形成し、古細菌や真核生物にも多くのオルソログが存在する大ファミリーです。Yファミリーの酵素は、忠実度を低くすることによって、鋳型(テンプレート)が損傷を受けてもDNA合成を継続させるのが仕事なのですが、それでも損傷を受けた鋳型に対して、正しい対面ヌクレオチドを選択するに超したことはありません。従って受けた損傷の形に応じて使う酵素を変えて、より正確な複製を行うために種類が増えたのかもしれません。
https://en.wikipedia.org/wiki/DNA_polymerase_V

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真核生物:

DNAポリメラーゼアルファ(α):

プライメースと複合体を形成して、DNA合成をスタートさせる役割を担っています。プライマーの末端3'OHからDNA鎖を延長していきますが、20ヌクレオチドあるいはそれ以内の鎖を合成したところで、デルタやイプシロンと交代します(3)。エキソヌクレアーゼ活性を持っておらず、校正機能が無いため、デルタやイプシロンほど正確な複製ができません。BファミリーのDNAポリメラーゼです。

DNAポリメラーゼベータ(β):

塩基除去修復に必要とされている酵素です。DNAポリメラーゼラムダやDNAポリメラーゼミューと同じXファミリーに所属します(4)。しかしラムダやミューはベータとは別の役割を果たしているようです(4)。細菌のDNAポリメラーゼXは研究が進んでいないようです。

DNAポリメラーゼガンマ(γ):

ミトコンドリアに存在し、ミトコンドリアのDNA複製に関与すると考えられています(5)。大腸菌のDNAポリメラーゼ I と同じAファミリーに所属しています。ミトコンドリアは活性酸素が多い環境なので、DNAはダメージを受けやすく、この酵素が校正機能を持っていることには大きなメリットがあります。

DNAポリメラーゼデルタ(δ):

DNAを複製および修復するときに用いられます。以前はラギング鎖のみ複製すると考えられていましたが、リーディング鎖の複製も行っているようです(6)。Bファミリーに所属し、校正機能を持っています。

DNAポリメラーゼイプシロン(ε):

DNAを複製および修復するときに用いられます。主にリーディング鎖の複製を行っていると考えられますが、これはデルタで代用できるようです。しかしそれ以外に、2重鎖になっているDNAをほどいてルーズな状態に変化させるヘリケースを活性化する機能があり、これによって複製フォークが形成されるようで、こちらの機能は代替不可だそうです(7)。Bファミリーに所属し、校正機能を持っています。

DNAポリメラーゼ ラムダ(λ)&ミュー(μ):

DNAの2本鎖が両方とも切れたときの修復(非相同末端結合)に使われるようです。また相同組み換えにも使われるようですが、まだ詳しく研究されていないようです(4)。いずれもXファミリーに所属しています。

DNAポリメラーゼ イオタ(ι)、エータ(η)、ゼータ(ζ)、& カッパ(κ)

いずれもこの記事で取り上げたDNA乗り越え修復に関与する酵素です。エータのようにチミンダイマーの対面をきちんとAAに修復できるエラーレスの酵素もあれば、エラーの確率が高い酵素もあります。ゼータはBファミリーですが、他の3つはYファミリーに所属します。

他にも特殊な酵素がいくつかありますが、ここでは述べません。文献(8、9)などを参照してください。

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参照:

1. J. J. WEIGLE, INDUCTION OF MUTATIONS IN A BACTERIAL VIRUS, Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.39, pp.628-636
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1063835/pdf/pnas01592-0060.pdf

2. M.F. Goodman and R. Woodgate, Translesion DNA polymerases., Cold Spring Harbor Perspectives in Biology, No.29, pp.1~20 (2016)
http://cshperspectives.cshlp.org/content/early/2013/07/08/cshperspect.a010363

3. L. Pellegrini, The Pol alpha -primase complex. Subcell Biochem. vol.62, pp. 157-169 (2012)

4. J. Yamtich and J.B. Sweasy, DNA polymerase family X: function, structure, and cellular roles., Biochim Biophys Acta. vol.1804, pp.1136-1150 (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19631767

5. R. Krasich1, W.C. Copeland, DNA polymerases in the mitochondria: A critical review of the evidence. Frontiers in Bioscience, Landmark, 22, pp.692-709 (2017)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27814640

6. R.E. Johnson, R. Klassen, L. Prakash, and S. Prakash, A Major Role of DNA Polymerase δ in Replication of Both the Leading and Lagging DNA Strands., Mol. Cell. vol. 59, pp.163–175. doi:10.1016/j.molcel.2015.05.038. PMC 4517859Freely accessible. PMID 26145172

7. T. Handa et al., DNA polymerization-independent functions of DNA polymerase epsilon in assembly and progression of the replisome in fission yeast., Mol Biol Cell, vol.23, pp.3240-3253 (2012), doi: 10.1091/mbc.E12-05-0339
https://www.bio.sci.osaka-u.ac.jp/newinfo/info72.html

8. 道津貫太郎、横井雅幸、花岡文雄、立体構造解析から見えてきた損傷乗り越えDNA複製の分子メカニズム. 放射線生物研究 vol. 46,pp. 1~14 (2011)
こちら

9. S. Doublie and K.E. Zahn, Structural insights into eukaryotic DNA replication. Frontiers in Microbiology. vol.5, pp.1~34 (2014)

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2016年11月30日 (水)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが49: DNA修復1

DNAはヌクレオチドがフォスフォジエステル結合を介して連結されていますが(図1)、このヌクレオチド同士の結合は化学的には非常に安定で、加熱・酸・アルカリなどの条件でも壊れません。ジフェニルアミン法でのDNAの化学的定量の際には過塩素酸の存在下でボイルして分解・染色します(1)。

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しかし生体内にはDNAを切断・分解する酵素が存在するので安泰とは言えません。また有機塩基は糖鎖やリン酸と比べると化学的に不安定で、加水分解でアミノ基がアンモニアとなってはずれてしまったり、塩基全体が糖からはずれてしまったり、アルキル化・酸化によって構造が変わったりします。これらの化学反応は酵素がなくても進行します。またDNAを合成する際に、間違った塩基(GCまたはATというペアを形成しない)が取り込まれてしまうこともあります。

細胞が本来維持している環境の中でのエラーやダメージ以外にも、外界の放射線や紫外線によって発生するダメージも深刻です。生物は太古の昔から、このようなさまざまな要因によるDNAの損傷を修復するべく知恵をしぼってきました。もちろんDNAの変異が進化をもたらしたことは事実ですが、毎日起きているDNAの損傷は桁違いで、ウィキペディアによると「DNAの損傷は、細胞内における正常な代謝の過程でも1細胞につき1日あたり 50,000~500,000 回の頻度で発生する」(2)となっています。

たった1ヶ所の変異によって、その部分の遺伝子情報によって作られている蛋白質の機能がゼロになったり、発がんの原因になったりすることもあります。ですから生物は様々なDNAの救急システム=DNA損傷修復の機能を持っているわけですが、それ以外にも私たちの体を見てみると、生きている細胞が露出しているのは乳頭くらいで、あとは皮膚表層の死細胞が紫外線から生きている細胞を保護しています。またヒト以外の動物では皮膚に加えて毛皮や甲冑で保護している場合が多くみかけられます。

生物がまだ水中で生活していた頃は、水によって放射線や紫外線が遮蔽されるので、内因的な損傷だけを修復すればよかったのですが、陸に上がったとたんに外界から激しい損傷をうけることになるので、浅瀬で暮らしている時代に十分な準備をしておかないと、上陸は不可能だったでしょう。これは陸地を歩ける足を準備するのと同じくらい重要な段取りだったと思われます。

さて皆さんは昨年(2015年度)のノーベル化学賞を、どんな人が受賞したか覚えているでしょうか? リンダール(1938~)・モドリッチ(1946~)・サンジャール(1946~)の3人です(図2)。

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彼らは皆それぞれ別の様式のDNA修復に関する研究で受賞しました(3)。彼らが発見した3種類のDNA修復は、大腸菌(原核生物)もヒト(真核生物)も、関与する因子の名前こそ違いますが、様式は基本的に同じで、おそらく10億年以上保存されてきたメカニズムだと思われます。生物は深海の熱水噴出口周辺で生まれたと思われますが、細菌はかなり早くから浅い海や地上で生きていたに違いありません。ですから彼らは優秀なDNA修復機構を太古の時代から持っていて、その後長い間海中で生活することになった真核生物も、彼らの業績を引き継いでいたということになります。ですからおそらく現在紫外線や放射線による障害を修復するメカニズムとして復活した機構も、進化の途中では別の目的で使われていた時代もあったのでしょう。

ここではノーベル賞を受賞した3人の科学者達の業績をたどってDNA修復の機構をみていきましょう。まずトマス・リンダールは塩基除去修復(base excision repair)という様式を発見しました(4)。例えばグアニン(G)が酸化されて8-オキソグアニン(G*)に化学変化したとします(図3)。

3a

まずこの異常な部位にグリコシラーゼがやってきて、異常な塩基である8-オキソグアニンと糖の結合を切断して、8-オキソグアニンを遊離させます。そうするとDNAに塩基のない空白部分(APサイト、apurinic apyrimidinic site)ができます(図4)。この状態を認識するAPエンドヌクレアーゼというDNA分解酵素がやってきて、AP部位のDNAを切断します(図4)。

DNAを切断する酵素を大きく分けると、一番端から順次内部に切っていく(鎖を短くしていく)酵素群をエキソヌクレアーゼ(exonuclease)と、鎖の内部を切断する酵素群(APエンドヌクレアーゼ AP endonuclease のように特定の部位だけ切断するものから、非特異的に滅多切りするものまでいろいろあります)があります。前者のエキソヌクレアーゼがAPエンドヌクレアーゼで切断されたDNAの断端をみつけて、ひとつヌクレオチドを切り離します(図4)。このエキソヌクレアーゼはヌクレオチドひとつ分だけしか切りません。

A_3
ヌクレオチドが切り離されると、専門のDNAポリメラーゼ(真核生物だとDNAポリメラーゼベータ)がやってきて、鋳型に対応するヌクレオチドをひとつ 3'OH に結合させます。例によってこれを 5'P と結合させることはできないので、DNAリガーゼがやってきて結合し、元のDNAへの修復が完成します(図4)。

次はアシス・サンジャールですが、彼はヌクレオチド除去修復(nucleotide excision repair)のメカニズムを解明しました(5、6)。彼はトルコでの裕福な医師生活を捨てて米国で勉強をやり直し、テクニシャンからはじめて、朝9時から深夜3時まで働くというハードワークで成功した人物です。

ヌクレオチド除去修復は、主にDNAが紫外線によって損傷を受けた場合に発動します。紫外線がDNAに照射されると、DNAの塩基配列上でチミンが二つ並んでいるところで、チミンダイマーが形成されます(図5)。

A_4

チミンダイマーが形成されると、周辺のDNAにひずみが発生します。これをUvrA+UvrBの複合蛋白質が認識し、ATPのエネルギーを使ってチミンダイマー周辺のDNAを変形させて塩基同士の結合をひきはがします(図6-2)。するとそこにUvrCがやってきて、チミンダイマーの両側でDNAを切断します(図6-3)。切断されるのはチミンダイマーの隣接部位ではなく、多少の余裕をみて数ヌクレオチド離れた場所で切断されます。チミンダイマーを含む単鎖DNAは遊離し、DNAにギャップが形成されます(図6-4)。この比較的広いギャップは、ヘリケースによってDNAポリメラーゼがアクセスできるように立体構造が整形され、真核生物の場合DNAポリメラーゼイプシロン(リーディング鎖の複製を行なう酵素)によってDNA合成が行われ埋められます(図6-5)。最後にDNAリガーゼによってDNAの端部が連結されて修復が完了します(図6-6)。

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ヌクレオチド除去修復に関連した因子が正常に機能しない場合、色素性乾皮症(xeroderma pigmuntosum)という生命に関わる重要な病気が発生することがあります。この病気は遺伝性で、患者さんは太陽に当たると癌が発生する危険性が高いので、一生暗い部屋で、外出するときは皮膚をすべて被うという気の毒な生活をしなければなりません。

最後はモドリッチですが、その前に一つ述べておかなければならないのは、すべての生物がDNAの複製に用いているDNAポリメラーゼは種類も多くありますが、すべて100%正確にG・C、A・Tのルール通りのDNA合成が可能かというとそうではありません。確率は低いですがエラーが発生して、例えば図7のようにGの対面が誤ってTになったとします。このエラーを放置すると、もう一度細胞分裂が起こった場合、Tの対面はAになって、ずっと先の世代まで間違ったDNAが引き継がれることになります。このようなエラーの修復法をモドリッチが解明しました(7、8)。ミスマッチ修復法と呼ばれています。

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ミスマッチが発生した場合、図7-1のようにMutSαというタンパク質がその位置を検出し、結合するとともにATPを使って構造変化を起こしてMutLαと結合します(図7-2)。MutLαはDNAに断点をいれる酵素(エンドヌクレアーゼ)で、ミスマッチの両側にNick(断点)をつくります(図7-3)。次にExo1という断点から5→3の方向に順次DNAを分解していく酵素(エキソヌクレアーゼ)が、もうひとつの断点までDNAを分解しギャップをつくります(図7-4)。真核生物の場合このギャップは主にDNAポリメラーゼデルタがDNA合成を行うことによって埋められます(図7-5)。そして最後はDNAリガーゼが 3'OH と 5'P を連結して修復は完了します。

以上3種類のDNA修復法について述べましたが、DNAの修復法は他にもあるので次回も続けます。

参照:

1)http://www.sci.keio.ac.jp/eduproject/practice/biology/detail.php?eid=00012

2)https://ja.wikipedia.org/wiki/DNA%E4%BF%AE%E5%BE%A9

3)DNA repair – providing chemical stability for life. THE ROYAL SWEDISH ACADEMY OF SCIENCES, 2015
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/chemistry/laureates/2015/popular-chemistryprize2015.pdf

4)Tomas Lindahl, Instability and decay of the primary structure of DNA. Nature vol.362, pp.709-715 (1993)

5)http://www.newsobserver.com/news/local/education/article51568735.html

6)Sancar, A. and Rupp, W. D., A Novel Repair Enzyme: UVRABC Excision Nuclease of Escherichia coli
Cuts a DNA Strand on Both Sides of the Damaged Region, Cell vol. 33, pp. 249–260 (1983)

7)Ravi R. Iyer, Anna Pluciennik, Vickers Burdett, and Paul L. Modrich, DNA Mismatch Repair: Functions and Mechanisms. Chem. Rev., vol. 106,  pp. 302–323 (2006)
http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/cr0404794

8)Lahue, R. S, Au, K. G. and Modrich, P., DNA Mismatch Correction in a Defined System, Science, vol. 245, pp. 160–164 (1989)

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2016年11月22日 (火)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが48: 岡崎フラグメント

Okazakireiji_2岡崎令治氏(1930~1975、図1)は20世紀の分子生物学の爆発的進歩に、戦後間もない日本(名古屋大学)で、日本人として最大の貢献を果たした科学者だと思います。広島に原爆が落とされたときに爆心地近傍で被曝されたとのことで、白血病で若くして亡くなったのは残念至極です。

奥様の恒子氏も科学者かつ共同研究者で、「岡崎フラグメントと私」という一文を生命誌ジャーナルに寄稿されています(1)。発見時の状況や苦労した点などを含めて記述されているので、DNAの複製に興味のある方は一読をお勧めします。もう少しアカデミックな記載としては、やはり岡崎恒子氏の「不連続複製機構を紡いだ日々」(2)という文献が、いまは亡き「蛋白質・核酸・酵素」という雑誌のバックナンバーに残されています。

生物は(ウィルスも生物だとすれば)一部のウィルスを除いて、すべて図2のようなレプリケーションフォークを作ってDNAを複製します。ラジオオートグラフィーなどで巨視的に見れば、DNAはY型のレプリケーションフォークを形成しつつ、両鎖が同時に複製されるようにみえるわけです。

そこで図2Aのように複製が行われるのであれば簡単なのですが、ひとつ問題があって、プライマーの 5'P 末端側からDNAを伸ばしていくDNAポリメラーゼがさっぱりみつからないのです。DNAポリメラーゼはどうも 3'OH からしかDNA合成を行えないとしか考えられません。

そこで岡崎らは図2Bのような複製様式を考えて(当時はプライマーの存在はわかっていなかったので、緑の線は後の知識を加えて描いたものです)、1966年に放射性チミジンが1000~2000ヌクレオチドの短いDNAの鎖(後に岡崎フラグメントと呼ばれることになる)に取り込まれることを発表しました(3)。つまり微視的にみれば、片側の鎖は逆方向に短い鎖として複製され、あとでつながるという方式です。

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しかし複製中のDNAを集めて単鎖に変性させると、多量のプライマーや岡崎フラグメントが採取できるかというと、そういうわけにはいきません。プライマーはどんどん分解され、DNAはどんどん接続されるので、無傷のプライマーや岡崎フラグメントは本当にわずかな量がわずかな時間にだけ存在するのです。

ここで救いの神となったのはDNAを接続する酵素であるDNAリガーゼの発見者である C. C. Richardson で、岡崎研にリガーゼが温度感受性となっているT4ファージの株をプレゼントしてくれたのです。その株で実験してみると、予想通りリガーゼが働かない高温条件だと、じゃんじゃん岡崎フラグメントが発生し、温度を下げるとそれらはつながることが証明されました(4)。岡崎らはさらに両鎖とも 5'→3' 方向に鎖の伸長が進むことを示しました(5)。

あとひとつ解決しなければならないことは、最初に不連続複製のモデルを提出した頃にはわかっていなかったプライマーの問題なのですが、ここにいきつくまでに令治氏は他界し、恒子氏率いるグループにに課題は残されました。

1979年に至ってようやく恒子氏のグループはプライマーRNAの構造を解明し(6)、図3のようなDNA不連続複製の全貌が明らかとなりました。すなわちリーディング鎖ではDNAの複製は連続的に行われ、ラギング鎖では逐次プライマーと岡崎フラグメント(a, b, c 等)が形成される逆方向の不連続複製が行われるということになりました。

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DNAの2本の鎖はそれぞれ別の様式で複製されるため、3’末端から複製される鎖はリーディング鎖、5’末端から複製される鎖はラギング鎖と名付けられました。ラギング鎖においては、リーディング鎖とはことなり、逆方向から岡崎フラグメント(a, b , c) をつくりながら複製が行われます。逆方向とは言っても、鋳型(テンプレート)が逆方向なわけで、DNAを合成する方向としてはどちらも 3'OH を起点として5→3方向に進んでいるのです。

図3の状態からさらにプライマー(緑)を取り去り、できたギャップを埋め、DNA鎖を接続するという作業が必要になります。これは概略図4のように行われます。図4におけるDNAの塩基配列は説明のために記載した任意のものであり、実際の配列とは関係ありません。

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1.岡崎フラグメント(矢印青)がDNAポリメラーゼによって伸長されるとプライマー(緑)の 5'P 側とぶつかります。DNAポリメラーゼは伸長DNA端の 3'OH とこの P を結合させることはできないので、ニック(切れ目)を生じたままそこで反応を停止します。

2.RNase HなどによってプライマーRNAが分解されますが、RNase Hはリボースとリボースの結合しか切れないので、リボースとデオキシリボースが結合している最後の1ヌクレオチド(緑のドット)は処理できません。

3.最後の1ヌクレオチドは 5'P 側からリボースとデオキシリボースの結合を切るヌクレアーゼが作用して、もとプライマーがあった部分が完全なギャップとなります。

4.このギャップはDNAポリメラーゼによって埋められますが(哺乳類の場合DNAポリメラーゼデルタ)、DNAポリメラーゼは 3'OH を認識してそこにヌクレオチドをくっつけていく酵素なので、赤矢印右端の 3'OH を既存の 5'P と接続することはできません。したがってニックができることになります。

5.このニックはDNAリガーゼ(英語ではライゲース)によって接続され、岡崎フラグメントは解消されて、ラギング鎖の新生DNAは連結されます。

6.そしてプライメースによってプライマーがつくられ、そこからDNAが合成され、1のステップにもどります。この1~6のステップを繰り返すことによって、ラギング鎖のDNA複製が行われます。

私はこの記事を書いていて、これまで岡崎令治氏は早逝されたのでノーベル賞を受賞できなかったと思っていたのですが、いろいろ難癖をつけられた岡崎フラグメントをさまざまな実験で世に認めさせた功績から言えば、岡崎恒子氏の貢献が大きいと思いました。すなわち岡崎恒子氏(および発見論文のファーストオーサーである坂部貴和子氏)こそ受賞すべき人なのではないでしょうか。

そしてもうひとつここでふれておきたいことがあります。DNAリガーゼは1967年に  Bernard Weiss と Charles Clifton Richardson によって発見された、DNAの断点(ニック)を接続したり、DNA同士を連結させる酵素です。 リチャードソンは現在もハーバード大学に研究室を構えているようですが、ワイスの消息は追跡できませんでした。リタイアしたのかもしれません。米国版も含めてウィキペディアへの記載もありませんでした。DNAを合成する酵素、DNAを切断する酵素については数人がノーベル賞を受賞していますが、遺伝子工学で頻繁に用いられるDNAを結合させる酵素=DNAリガーゼについては候補にもあがらないというのは不可解です。

参照:

1)「岡崎フラグメントと私」岡崎恒子、生命誌ジャーナル vol.9、no.3、pp.24-29 (2001)
http://brh.co.jp/s_library/interview/32/

2)「不連続複製機構を紡いだ日々」岡崎恒子、蛋白質核酸酵素 vol.48, no.6, pp.718-726 (2003)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=2003&number=4806&file=usD0LKftXwfjSwF9ietppw==

3)K.Sakabe and R. Okazaki, A unique property of the replicating region of chromosomal DNA. Biochim Biophys Acta. vol.129, pp.651-654 (1966)

4)R Okazaki, T Okazaki, K Sakabe, K Sugimoto, and A Sugino, Mechanism of DNA chain growth. I. Possible discontinuity and unusual secondary structure of newly synthesized chains. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol.59, pp.598-605 (1968)

5)T. Okazaki and R. Okazaki, Mechanism of DNA chain growth, IV. Direction of synthesis of T4 short DNA chains as revealed by exonuleolytic degradation. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol.64, pp.1242-1248 (1969)

6)T. Okazaki et al., Structure and Metabolism of the RNA Primer in the Discontinuous Replication of Prokaryotic DNA. Cold Spring Harb Symp

7)B Weiss and C C Richardson, Enzymatic breakage and joining of deoxyribonucleic acid, I. Repair of single-strand breaks in DNA by an enzyme system from Escherichia coli infected with T4 bacteriophage. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol.57, pp.1021–1028 (1967)

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2016年11月18日 (金)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが47: DNA複製機構

「DNAの半保存的複製」のところで、1956年にアーサー・コーンバーグがDNAの複製に関わる酵素DNAポリメラーゼを発見したことを述べました。世紀の大発見で、早くも1959年には彼にノーベル賞が授与されたくらいです。ところがそれから10年も経った1969年、DNAポリメラーゼ活性を失った大腸菌の変異株を分離したという驚天動地の報告が Nature 誌に発表されました(1)。これはアーサー・コーンバーグの酵素がなくても大腸菌は増殖できることを意味します。大ピンチに陥ったアーサー・コーンバーグでしたが、その後始末は息子のトーマス・コーンバーグ(1948~)や、共同研究者のマルコム・ゲフター、広田幸敬(1930~1986) らによって迅速に行われました。

ゲフターとトーマス・コーンバーグはすぐに、大腸菌抽出液中にアーサーが発見した酵素( pol I ) 以外に2種類のDNA合成酵素があることを発見し、それらを精製して pol II, pol III と命名しました。当時広田はDNA合成に関する温度感受性変異株を多数分離しており、ゲフターとトーマスは広田との共同研究によって、それらの温度感受性変異株と pol I のダブルミュータントを解析しました。そうすると pol II はどの株でも正常でしたが、ある株で pol III が強い温度感受性を示しました。この株では pol III が高温によって変性してしまたために、DNAが複製できなくなったのです(2)。このことは pol III がDNA複製を担う酵素であることを強く示唆しましたが、この酵素単独では複製能力が低く、DNAの複製はそんなに簡単にいくものではない、すなわち未知因子がかかわっていることも示唆されました。

閑話休題、トーマス・コーンバーグはチェリストでもあり、著名なピアニストのエマニュエル・アックスとベートーヴェンのチェロソナタを見事に演奏している様子が YouTube にアップされています(3)。広田幸敬先生の講義は聴いたことがあります。気さくで親しみやすい方との印象でした。「大腸菌の性因子に関する研究が、ちょっとした差でジャコブの手柄になって非常に残念だった」というようなことを話されていたことを記憶しています。若くして亡くなられたのは誠に残念でした。

さて、ではDNA複製にどんな因子がかかわっているのでしょうか? この後アーサー・コーンバーグ研究室のすさまじい逆襲がはじまりました。多くの有能な若手研究者や学生を集めて、毎月複数の論文が出版されるほどの精力的な研究が進められました。しかもジェラルド・ハーウィッツの研究室も小うるさく参戦してきました。

彼らはまず試験管内無細胞系のDNA合成システムを完成させました。温度感受性変異株は高温下ではこのシステムでも当然DNA合成はできません。これに正常株の抽出液を加えるとDNA合成は回復します。そこで正常株の抽出液をクロマトグラフィーなどによって幾つかの画分に分け、どの画分を加えると回復するか調べます(相補性テスト)。これを繰り返すことによって画分に含まれる成分は減少し、最終的にある精製された1種のタンパク質を加えると回復するということが判明します。別の株で同様な操作を行うと、また別種のDNA合成にかかわるタンパク質が精製されます。このような相補性テストで精製されたタンパク質はそれぞれ DnaX (X は任意のアルファベット)という名前が付けられ、それぞれの機能が解明されていきました。

なぜそんなに多くの因子が必要かということを考える上で、とりあえずDNAポリメラーゼができることを図1に示します。DNAポリメラーゼは2重鎖と1重鎖の両方をの部分を持つDNAにしかアクセスできません。しかも1重鎖(プライマー)の 3'OH が端でない方に露出している必要があります。プライマーの3'OH末端、 鋳型DNA、そしてデオキシヌクレオシド3リン酸が存在したとき、DNAポリメラーゼはデオキシヌクレオシド3リン酸からピロリン酸を切り離し、鋳型DNAに適合したデオキシヌクレオシド1リン酸の5'Pを3'OH末端に結合させて、DNAの鎖長をのばすことができます。これ以外のことはできません。鎖長を連続的に延長させるためには、もちろん dATP、dTTP、dGTP、dCTP の4種のデオキシヌクレオシド3リン酸が必要です。

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ですから2重鎖だけのDNAや1重鎖だけのDNAがあってもこの酵素はDNA合成はできません。実際細胞内にはそのようなDNAがまま存在するので(たとえば紫外線でDNAが切れた場合とか、ウィルスが感染した場合とか)、意味のない、あるいは有害なDNAをどんどん増やさないために、DNAポリメラーゼの機能が厳しく制約されていることには生理的意義があります。ただDNAの損傷修復に用いられるDNAポリメラーゼの中には、そのような制約を受けないものもあるようです。

図1ではDNAになっていますが、プライマーは通常RNAです。ですからプライマーをつくるプライメースはRNAポリメラーゼの1種です。RNAポリメラーゼは一般的にプライマーを必要としない酵素です。

図1から想像できるように、DNAの複製は DnaX タンパク質群やさまざまな酵素などのお膳立てや後始末があって、はじめて可能になるわけです。コーンバーグらが研究を続けていくと、pol III 以外の多くの種類のタンパク質や酵素がDNA合成にかかわっていることがわかってきました。DNAポリメラーゼIII (pol III) 自体も、現在では多くのタンパク質が結合したDNAポリメラーゼⅢホロ酵素のかたちで、DNA複製を実行することがわかっています(図2 ウィキペディアより)。図2で pol III (コア酵素)は α と表示されています。

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DNAは通常2重らせん構造をとっているので、上記したようにDNAポリメラーゼがアクセスすることは不可能です。ですからまずDNAの鎖をほどいて1本鎖の塩基側を露出させ、かつ酵素がアクセスするに十分なスペースをつくらなければいけません。

DNAはある決まった位置から複製が開始されます。開始位置領域には oriC という名前がつけられ、そこに大腸菌の場合8つの DnaA タンパク質の結合部位(TTATCCACAなど)が存在し、ここに DnaA が結合することによって、周辺に存在するATリッチな部分の2重ラセンをほどき、DnaB と DnaC がアクセスできるようにします。DnaB (helicase) と DnaC は協力してDNAの単鎖構造を安定化させ、DNA複製のお膳立てをします(参照5、図3)。

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こうして作られたアクセス可能な部位にDNA複製酵素がやってきて、すぐに複製を開始するかというと、そのような生物は見つかっていなくて、ほとんどの生物ではまずプライマーという短いRNA(生物によってはDNA)が作成され、そこを起点としてようやくDNA複製が開始されます(図1)。

大腸菌の場合、まず塩基の数にして11±1のRNAフラグメント(プライマー)がプライメース(primase)という1種のRNAポリメラーゼによって作成され、その3’末からDNA複製がはじまります。

プライマーのRNAフラグメントは後に別の酵素によって取り除かれます。この別の酵素というのが RNase H やアーサー・コーンバーグが発見したDNAポリメラーゼ I(pol I)だとされています。このときには pol I はRNAを分解する酵素としても働くという2面性を持った特異な酵素です。そうして取り除かれたあとの空白をDNAで埋め戻し、最後に残された5'Pと3'OHの断点をDNAリガーゼ(DNA ligase)で接続してようやくDNA複製は完了します(5)。DNAの合成はDNA複製のときだけではなく、DNAがダメージをうけたときにも行われます。アーサー・コーンバーグの酵素はそのような際にはDNAポリメラーゼとしても作用します。

大腸菌の場合ゲノムはサーキュラーで複製開始点はひとつですが(図3)、真核生物ではゲノムはリニアで多数の複製開始点があります(図4)。酵母で複製開始点を同定したデータをみますと、一定間隔であるわけでもないし、いっせいに複製が開始されるわけでもないようです(6)。DNA複製が行われている部分のことを replication bubble とか replication eye などと呼ぶことがあります。

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参照:

1)Paul de Lucia, John Cairns, Isolation of an E.Coli strain with a mutation affecting DNA polymerase. Nature vol.224, pp.1164-1166 (1969)

2)Malcolm L. Gefter, Yukinori Hirota, Thomas Kornberg, James A. Wechsler, and C. Barnoux. Analysis of DNA Polymerases II and III in Mutants of Escherichia coli Thermosensitive for DNA Synthesis. Proc Natl Acad Sci U S A. vol.68, pp.3150-3153 (1971)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC389610/

3)https://www.youtube.com/watch?v=81rk7_I4-zY

4)http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/replicat.htm

5)Molecular Biology of the Gene. 7th edn., J.D.Watson et al., Cold Spring Harbor Laboratory Press (2008)

6)大阪大学大学院升方研究室 研究紹介
http://www.bio.sci.osaka-u.ac.jp/bio_web/lab_page/masukata/research/index.html

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2016年11月13日 (日)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが46: リボソーム

mRNA、tRNA、リボソームなどは生命現象を維持するために必須のアイテムであり、細菌からヒトまですべての生物が持っているものです。これらを使ってタンパク質合成を行うというやり方をはずれた生物は1種もみつかっていないので、地球上の生命体はすべて同じルーツという考え方には説得力があります。

リボソームの話に入る前に、生化学者にとっては今でも大切な細胞分画法について述べましょう。真核生物の細胞内には核・ミトコンドリア・葉緑体・ミクロソーム・リボソーム・リソソーム・細胞骨格など不溶性の構造体が数多く含まれます。

Douncehomogenizerwhe_2細胞をまずホモジェナイザー(図1、Wheaton  社のサイトより)を使って壊します。図1のホモジェナイザーは先端のテフロン部分が円柱状になっており、ダウンス型といいますが、その他先端のテフロンがボール状のポッター型もあります。

ガラス容器のなかに細胞懸濁液を入れ、ステンレス棒をテフロンブロックに埋め込んだベスルを、回転させたり上下にピストン運動させたりして細胞を壊します。

ガラス容器とテフロンの間にわずかな隙間があり、細胞のサイズや堅さに応じて、その隙間の幅を変えて使います。ガラスとテフロンの膨張率は異なるので、通常4℃で隙間の幅は設定されています。

ホモジェナイザーで作成した細胞破壊液を遠心機にかけて、沈殿と上清にわけ、上清をさらに強い遠心力を使って沈殿と上清にわけるというやりかたで、さまざまな細胞内構造体を分離するのが細胞分画法で、アルバート・クロード(1899~1983)が創始した方法です(図2、参照1)。

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遠心力の強さ(+遠心時間の長さ)によって、沈殿してくる細胞内構造体は変わります。上記の方法では、段階的に遠心力を強めて異なる細胞内構造体を採取できるようにしています。

3georgepaladero0331_2リボソームは細胞分画法で得たミクロソーム画分にあります。

ジョージ・パレード(1912~2008)は1955年に出版した論文で、電子顕微鏡を用いてリボソームを観察し、それがミクロソーム(エンドプラズミック・レティキュラム=ER)に結合していることを報告しました(2)。

パレードはルーマニア人ですが、米国ロックフェラー研究所のアルバート・クロード研究室のポストドクとなり、クロードが開発した「生物を電子顕微鏡で観察する手法」を発展させました。母国では現在でも切手になっています(図3)。

アルバート・クロードとジョージ・パレードの師弟2人は、リソソームの発見者であるクリスチャン・ド・デューブと共に1974年度のノーベル医学生理学賞を受賞しました。

リボソームはタンパク質を製造する工場であり、巨大なRNAと多数のタンパク質の集合体です。直径が20~30nmくらいあるので、容易に電子顕微鏡で粒子として見ることができます(2)。

リボソームは分子としては非常に巨大で、例えば真核生物では分子量420万というような値になるので、種類の違いやサブユニットの区別のためには通常沈降係数で表記されます。

沈降係数S=Vt(沈降速度)/負荷された加速度、つまり遠心力を強くかけたときに沈降速度がどの程度増加するかという単位がS(スヴェドベリ)ということになります。細菌と真核生物のリボソームはいずれも鏡餅のように2つの分子集合体からなりますが、サイズや構造は微妙に異なっています(図4)。

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例えば真核生物の60Sサブユニットは5.8S、5S、28Sの3種類のリボソームRNAと49種類のタンパク質で構成されています。他のサブユニットもすべてリボソームRNAとタンパク質の複合体です。

ウィキペディアにでている立体構造の図などを見るとわかるように(3)、リボソームはリボソームRNA(rRNA)で構成された骨格に、さまざまなタンパク質が結合した複合体で、そのタンパク質の種類の多さからみても非常に複雑なメカニズムで稼働していることが想像されます。

しかもタンパク質合成にかかわっているタンパク質はリボソームを構成しているもののみではなく、フリーのものもあります。分子生物学の教科書「Molecular  Biology of the Gene」 Cold Spring Harbor Press  」でも、リボソームにおけるタンパク質合成のメカニズムについて数十ページを費やしているくらい複雑で、ここですべて説明するのは無謀です。詳しく勉強したい方は上記の教科書を読むか、無料の論文なら参照(4)を推奨します。

キーポイントだけ述べますと、リボソームはmRNAをトラップするとともに、tRNAをトラップする2つのサイトがあります(図5)。

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Pサイトにはポリペプチドを結合した tRNA がつながれています。Aサイトにはアミノ酸をひとつ持った tRNA がやってきて、Pサイトのポリペプチドの根元にあるCOOを攻撃して、ここにペプチド結合(CONH)を作ります(5図左)。

その結果ポリペプチドはAサイトの tRNA に移行し、Pサイトの tRNA はフリーになってリボソームから離れます(5図右)。すなわちポリペプチドの長さは1アミノ酸分だけ長くなります。そしてこの延長されたポリペプチドを持ったAサイトの tRNA はPサイトに移行し、mRNAも1コドン分移動します。そしてまたAサイトに新たな tRNA がトラップされます。

この反応をアニメ化したものがウィキペディア「リボソーム」の項目の最後にあります(5)。ちょっとコマ送りが早いですが、よくみるとポリペプチドの合成の様子をわかりやすく表現しています。

参照:

1)Albert Claude, THE CONSTITUTION OF PROTOPLASM. Science vol.97, pp.451-456 (1943)
https://www.ganino.com/games/Science/science%20magazine%201940-1957/root/data/Science_1940-1957/pdf/1943_v097_n2525/p2525_0451.pdf

2)George E. Palade, SMALL PARTICULATE COMPONENT OF THE CYTOPLASM. J.Biophysc. and Biochem. Cytol. vol.1, pp.59-68 (1955)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2223592/pdf/59.pdf

3)https://en.wikipedia.org/wiki/Ribosome

4)Dmitri Graifer and Galina Karpova, Interaction of tRNA with Eukaryotic Ribosome. Int J Mol Sci. vol.16 pp.7173?7194 (2015)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4425011/

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%A0

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2016年11月10日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが45: トランスファーRNA(tRNA)

DNAが遺伝情報の本体で、それが mRNA として読み取られるというところまでとりあえずきました。では mRNA が持っている情報は、どのようにタンパク質とつながっているのでしょうか。タンパク質はアミノ酸が連結したものなので、合成されるときにどのような順にアミノ酸が連結されるのかが重要です。この mRNA が持っている順番の情報を、どうやってアミノ酸が連結する順番として反映するのかというのが難題で、これを解決するために生物はトランスファーRNA (tRNA)というギミックを生み出しました。DNAからmRNAをつくるプロセスを転写(transcription)、mRNAからタンパク質をつくるプロセスを翻訳(translation)といいます。

Paulzamecnik1966_2特定のアミノ酸と結合し、タンパク質合成工場であるリボソームまでアミノ酸を運んで、mRNA に指定された順にリボソームに送り込む物質が存在しなければ翻訳を行うことはできません。

ポール・ザメクニック(Paul Zamecnik 1912~2009、 図1)らは、ラットの肝臓を使って試験管内無細胞系でタンパク質合成が行われる実験系を開発し、ATPの存在下で、各アミノ酸と結合する可溶性のRNAが存在することを証明しました(1)。この可溶性RNAが現在トランスファーRNA(tRNA)として知られているものです。

このような重要な発見であるにもかかわらず、mRNAの場合と同様、tRNA の発見者にもノーベル賞は授与されませんでした。少なくとも、この研究の中心となったポール・ザメクニックには授与されるべきだったと思うのは私だけではありません(2)。

とはいえ tRNA の構造を解明したロバート・ホリー(図2)には1968年にノーベル賞が授与されています。ロバート・ホリーらが研究を始めた頃には、すでにザメクニックらによって、各アミノ酸は tRNA 末端のアデノシンに結合することがわかっていたので、構造が異なる tRNA がアミノ酸の種類だけ存在すると想像できました。つまりアラニンにはアラニン専用の tRNA、リジンにはリジン専用の tRNA 等々というわけです。

Robert_holleyホリーのグループはクレイグの向流分配法(3)を4年がかりで最適化することによって、さまざまな tRNA を分離することに成功しました。彼らは特にうまく分離できたアラニン-tRNAをまず分析しました。140kgのパン酵母から1gの精製されたアラニン-tRNAを得るのに3年を要しました。1961年には、この tRNA は約80個のヌクレオチドが連結した単鎖であることがわかりました(4)。ホリーらの仕事は、本格的な構造決定作業の前に、7年もの準備作業を要したわけで、その間の予算を維持するのが大変だったことでしょう。

彼らは精製したアラニン-tRNAをRNA分解酵素で切断してフラグメントをつくり、カラムクロマトグラフィーで各フラグメントを分離して、それぞれの構造を決定しました。そしてついに1965年にアラニン-tRNAの全構造を解明しました(5、図3)。すでに発表されいたRNAの2次構造に関する FRESCO-ALBERTS-DOTY モデルを参考にアラニン-tRNAの2次構造を描くと、美しいクローバーリーフ状の構造になりました。そしてその中央の葉の先端の3つの

塩基がmRNAに対応することもわかりました。この3つの塩基はmRNAが指定するコドンの裏側の配列であり、アンチコドンと呼びます。その他のアミノ酸に対応する tRNA の構造も、その後次々と同様な方法で解明されました。

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以前にDNAは2重らせん構造をとるのに対して、RNAは基本的に単鎖と書きましたが、短い2重鎖をつくることは可能で、特に tRNA の場合には顕著です。これによって tRNA は複雑な構造をとることが可能です。トランスファーRNAの一般的な構造を図4に示します。上方にアミノ酸の結合部位があります。下方の赤の部分のアンチコドンに対応したアミノ酸が結合します。おおざっぱには、2重鎖構造をとっている4本の幹と、単鎖の3つのループ、そして短い枝のような部分(ガンマ)からできています。

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左側にDループ、右側にT(またはTΨC=TプサイC)ループがあり、これらの構造の違いによって別々の酵素がそれぞれの tRNA にアクセスし、適切なアミノ酸を結合させることができます。下方のAループ(アンチコドンアーム)にはアンチコドン領域があり、ここで mRNA のコドンを認識します。ここでもう一度コドンのリストを見て下さい(図5)。

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DNA・mRNAは3つの塩基でアミノ酸を指定しており、4x4x4=64種類のアミノ酸に対応できますが、アミノ酸は20種類ほどしかなく、複数のコドンがひとつのアミノ酸に対応するようにせざるを得ません。

たとえばフェニルアラニン(Phe)の場合、UUUとUUCが対応します。ロイシン(Leu)の場合、CUU・CUC・CUA・CUG の4つのコドンが対応します。なかにはメチオニン(Met)やトリプトファン(Trp)のように、対応するコドンがひとつしかないものもあります。

全体をみていくと、最初の2つの塩基は各アミノ酸に特異的であり、3つめはしばりがゆるくなっていることがわかります。コドンのなかにはアミノ酸を指定しないものが3つあり(UAA・UAG・UGA)、これらはここでタンパク質合成を停止せよというシグナルのストップコドンです。

図6はAループの先端のアンチコドン領域を示したものです。アンチコドンを形成する3つの塩基のうち2つは厳密なワトソン・クリック型の対応(AU・GC)なのですが、残りのひとつ(アンチコドン側からいえば1番目の塩基)はルーズになっており、たとえばイノシン(I)はA・U・G・Cのどれとも塩基対を形成できるので、GUA・GUU・GUG・GUCのコドンに対して、アンチコドンはIACの1種類で対応し、バリンが指定されます。

このように生物はイノシンを用いるなどの巧妙な方法で厳密なワトソン・クリック型の塩基対を回避し、64種(ストップコドンを除けば61種)のコドンで20種のアミノ酸を指定するという難題を解決しているのです。

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酵母のフェニルアラニン tRNAの塩基配列をウィキペディアからお借りしました(図7)。tRNAはmRNAのようにA・U・G・Cだけからできているわけではなく、その他のいろいろな塩基を含んでいます。mはメチル化されていることを示します。Ψはシュードウリジンで、ウリジンとは構造が異なります(図8)。たとえばフェニルアラニン tRNAはバリン tRNAと間違えられると困るので、酵素が認識しやすいようにさまざまな修飾がほどこされていると考えられます。

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tRNAの 3'OH側の端は必ずCCAという塩基配列になっています(図7)。この一番端のAがついているリボースにアミノ酸が結合するわけです。ここにアミノ酸を結合させるためには、まずアミノ酸をアミノアシルAMPにしなければなりません。すなわちアミノ酸 NH2-R-COOH を NH2-R-CO-AMPという形にしなければなりません(アシル化とはR-COをくっつけること この場合Rはアミノ酸の種類の数だけ存在)。この形になると以下の反応が可能となります。

NH2-R-CO-AMP+tRNA → NH2-R-CO-tRNA+AMP 
(アミノ酸-AMP + tRNA = アミノ酸-tRNA + AMP)

この反応を触媒する酵素は、最低でもアミノ酸の種類の数だけ(20種類以上)存在し、例えばアラニンtRNAには必ずアラニンを結合させるようになっています。この酵素はアミノアシルtRNA合成酵素と呼ばれますが、核酸の持っている情報を使ってタンパク質を合成するというのはすべての生物がやっていることなので、どの生物でも各アミノ酸に対応して最低20種類はもっていなくてはいけません。これは無生物から生物が誕生する上で大きな壁で、ここを突破してはじめて生物なるものが登場し得たわけです。

こうしてできたアミノ酸-tRNAがタンパク質製造工場であるリボソームに運ばれて、タンパク質が合成されます。その状況はウィキペディアでうまく表現されていたので、図9にコピペしておきます。リボソームについてはあらためて述べますが、とりあえずtRNA(図ではTRNAと表記されています)がアミノ酸を運んできて、mRNAの指示通りの順にリボソーム内でアミノ酸を結合させ、アミノ酸を手放したtRNAはまたリボソームから去って行くというメカニズムだと理解できます。

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tRNAの3D立体構造については、例えば文献6などに美しいイラストが掲載されています。

参照:

1)Mahlon B. Hoagland, Mary Louise, Stephenson, Jesse F. Scott, Liselotte I. Hecht, and Paul C. Zamecnik., A SOLUBLE RIBONUCLEIC ACID

INTERMEDIATE IN PROTEIN SYNTHESIS., J. Biol. Chem. vol.231, pp.241-257 (1958)

2)Thomas H. Maugh II, Dr.Paul Zamecnik dies at 96; scientist made two major discoveries.
http://www.latimes.com/nation/la-me-paul-zamecnik19-2009nov19-story.html

3)https://wikimatome.org/wiki/%E5%90%91%E6%B5%81%E5%88%86%E9%85%8D

4)Holley R.W., Apgar J., Merrill S.H., Zubkoff P.L. Nucleotide and oligonucleotide compositions of the alanine-, valine-, and tyrosine-acceptor

soluble ribonucleic acids of yeast. J. Am. Chem. Soc., vol.83:pp.4861~4862 (1961)
http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ja01484a040)

5)HOLLEY RW, APGAR J, EVERETT GA, MADISON JT, MARQUISEE
M, MERRILL SH, PENSWICK JR, ZAMIR A. STRUCTURE OF A RIBONUCLEIC ACID. Science, vol.147, pp.1462-1465 (1965)

6)Masahiro Naganuma, Shun-ichi Sekine, Yeeting Esther Chong, Min Guo, Xiang-Lei Yang, Howard Gamper, Ya-Ming Hou, Paul Schimmel, and

Shigeyuki Yokoyama. "The selective tRNA aminoacylation mechanism based on a single G・U pair". Nature, 2014, doi:10.1038/nature13440
http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140623_1/



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2016年11月 6日 (日)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが44: メッセンジャーRNA(mRNA)

1aa1956年にエリオット・ヴォルキンとローレンス・アストラハン(Elliot Volkin and Lawrence Astrachan)は興味深い実験を行いました。

彼らによると、T2ファージを大腸菌に感染させたときに放射性のリンをとりこませて、その後RNAを分析すると、大部分のRNAには取り込まれないが、一部のRNAには顕著に取り込まれるという結果になりました(1)。

その後彼らは研究を進めて、このリン酸をとりこんだRNAの寿命は極めて短く、かつファージのDNAと極めて塩基組成が似ていることを確認しました。

野村眞康らはこのRNAがタンパク質製造工場の一部であるリボソームRNAやアミノ酸を運ぶトランスファーRNAとはサイズが異なり、マグネシウム濃度が高い場合はリボソームに結合しているが、マグネシウム濃度が低い場合は解離することを発見しました(2)。

シドニー・ブレナー(1927~)とフランソワ・ジャコブ( 1920~2013)(図1)らは大腸菌を15Nと13Cの重い元素からなる培地で培養し、ファージに感染させてすぐ、14Nと12Cの軽い元素からなる培地に移しました。そうして作られたRNAを超遠心分析装置で調べました。そうすると半減期が16分で、軽い元素からなる新種のRNAが合成され、これは重い元素からなる安定なRNAが含まれるリボソームに結合することがわかりました。これこそがメッセンジャーRNA(mRNA)だったわけです(3)。

共同研究者のメセルソンはこの実験を行うために13Cのガスをロシア(当時はソ連)からシビアな交渉を経て取り寄せ、炭酸ガスに変換したあと藻類に吸収させて、光合成によって大腸菌の培地に入れる素材を作ったそうです(4)。

この実験で、メッセンジャーRNAの存在を証明したことは非常に重要な研究だと思いますが、なぜかブレナーとジャコブは別件でノーベル賞を受賞し、メセルソンに至っては、すでに述べたメセルソン-スタールの実験でDNAの半保存的複製を証明したばかりか、メッセンジャーRNAの存在を証明したのにノーベル賞をもらえなかったという気の毒な運命でした。

DNAに含まれる有機塩基A・G・C・Tは、T・C・G・Aという新たなDNAの鋳型になりますが、同時にU・C・G・AというmRNAの鋳型にもなり得ます。チミン(T)とウラシル(U)は5の位置にメチル基がついているかついていないかだけの違いです(図2)。

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DNAとmRNAにはもうひとつ違いがあって、それは前者の骨格となる糖はデオキシリボースであり、後者はリボースであるということです。2の位置がHかOHかという違いです(図3 青丸がDNAに含まれるデオキシリボース2の位置のH、赤丸がmRNAに含まれるリボース2の位置のOH)。ウラシルはチミンより不安定、リボースはデオキシリボースより不安定という化学的特性があります。

DNAが世代にわたって安定であるべきなのに対して、mRNAはDNAからその時に必要な情報を読み取るためのツールなわけですから、用が済めばすみやかに消滅することが望ましいのです。

シトシンはときどきウラシルに変わってしまうことがあって、もしDNAの成分にウラシルがもともと含まれているとすると、DNAを修復するシステムがシトシンから変わったウラシルなのか、もとからあるウラシルなのか判別できず困ってしまいます。DNAにはウラシルがないと決まっていれば、問答無用にウラシルを除去してシトシンに変えれば良いのですから、それは可能です。このこともウラシルがDNAに含まれないことの理由と考えられます。

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DNAは特別な場合を除いて二重らせん構造をとっていますが、mRNAは上記のような構造上の違いで通常一重鎖となっています。mRNAが二重鎖になってしまうとリボソームに結合してタンパク質を合成することができなくなるので、一重鎖であることは重要です。

DNA → mRNA →  (リボソーム&トランスファーRNAと連携作業) → タンパク質

という基本的な情報の流れについての図式を描くことができます。後に詳述しますが、リボソームはタンパク質合成工場、トランスファーRNA(tRNA)はアミノ酸を運ぶ運搬体、mRNAはDNAからの情報の運搬体と、とりあえず理解しておいてください。

DNAがDNAポリメラーゼという酵素によって複製されるように、mRNAはRNAポリメラーゼという酵素によってDNAから読み取られます。このことを転写(トランスクリプション)といいます。その状況を図4に示しました。

DNAの二重らせんの一部がほどけて、そこからmRNAのリボンが伸びてくるというイメージです。伸びたmRNAのリボンはリボソームと結合してタンパク質合成に利用されます。細菌の場合はそうなのですが、真核生物の場合、mRNAは核で加工された後、細胞質に送り出され、細胞質でリボソームと結合してタンパク質合成を行います。


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図4は見てきたような話なのですが、1970年になって本当にそのような画像が電子顕微鏡によってキャッチされました(参照5、図5)。DNAの電子顕微鏡写真は特殊な方法によって撮影されますが、開発した Miller Jr らの業績は素晴らしいと思います。

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これはまた後に出てきますが、DNAのすべてが遺伝子の情報で隙間無く満たされているわけではありません。実際には 中間部分-遺伝子-中間部分ー遺伝子という構造になっています。mRNAは遺伝子の部分にしか対応していないので、DNAのすべての部分に対応した mRNAが存在するわけではありません。しかし中間部分には遺伝子の発現を制御する領域などが含まれており、重要な部分も存在します。

参照:

1)Volkin E and Astrachan L. Intracellular distribution of labeled ribonucleic acid after phage infection of Escherichia coli. Virology Volume 2, Issue 4, pp. 433-437 (1956)

2)Nomura M., Hall B.D. and Spiegelman S. Characterization of RNA synthesized in Escherichia coli after bacteriophage T2 infection.Journal of Molecular Biology vol.2(5), pp.306-326 (1960)

3)Brenner, S., Jacob, F., & Meselson, M. An Unstable Intermediate Carrying Information from Genes to Ribosomes for Protein Synthesis. Nature 190, pp.576-581 (1961).

4)http://sickpapes.tumblr.com/post/51016848003/brenner-s-jacob-f-and-meselson-m-1961-an

5)O. L. Miller Jr., Barbara A. Hamkalo, C. A. Thomas Jr., Visualization of Bacterial Genes in Action. Science, Vol. 169, Issue 3943, pp. 392-395 (1970)
http://science.sciencemag.org/content/169/3943/392.full.pdf+html

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2016年11月 1日 (火)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが43: DNAの半保存的複製

ワトソン-クリック式DNAモデルをもう一度別の観点で図1(ウィキペディアより 以下同)に示します。中央にATおよびGCの塩基対があり、両側にデオキシリボースがリン酸で連結された鎖(バックボーン)があります。この鎖の端の構造をみると、左側の鎖の上端はデオキシリボースの5の位置にリン酸がつながった形で終了し、右側の鎖の上端はデオキシリボースの3の位置に結合したOHで終了しています。そして下端は左鎖は3ーOH、右鎖は5ーリン酸で終了しています。つまり鎖には方向性があり、両鎖の向きは逆になっています。

Dna_chemical_structur

5-リン酸で終わっている方を5’エンド(5プライムエンド)、3-OHで終わっている方を3’エンド(3プライムエンド)といいます。DNAは二重らせんの立体構造をとっていますが(図2)、しめ縄とは少し違って、ひと巻きごとに太い溝(major groove)と細い溝(minor groove)が交互に出現します。つまり二回り分がユニットとなって積み重なったような構造になっています。

Photo_2

必ずA-T、G-Cのペアで構成されているということは、遺伝にとっては好都合です。Aの相方Tが細胞分裂で失われても、また相方Tを見つければ元の遺伝情報が保存されることが期待できます。
800pxarthur_kornberg

DNAを合成する酵素は1956年にアーサー・コーンバーグ(1918~2007 図3)によって発見されました(3)。この酵素は

ヌクレオシド3リン酸+DNA(n) → ピロリン酸+DNA(n+1)  n:鎖の長さ

という反応を触媒します。DNAの末端にある3’OHがヌクレオシド3リン酸にアタックしてピロリン酸を解離させ、残ったヌクレオシド1リン酸を3’OHに結合させるわけです。これによってDNAの鎖は1ヌクレオチド分だけ長くなり、繰り返しによってさらに長い鎖をつくることができます。この酵素の発見によってコーンバーグは1959年度のノーベル医学・生理学賞を授与されました。酵素の名前は DNA polymerase ということになりました。

ワトソン・クリックが受賞したのは1962年ですから、アーサー・コーンバーグの場合異常に早く受賞したことがわかります。ただコーンバーグの発見した酵素は、大腸菌のゲノムを複製する機能を持つ酵素ではなく、DNAに発生したエラーを修復する酵素だったのです。ゲノムを複製するメインの酵素は1972年になってから、次男のトーマス・コーンバーグによって発見されました(4)。本来なら親子でノーベル賞をもらうべきだったかもしれません。ちなみに長男のロジャー・コーンバーグは RNA polymerase の研究でノーベル化学賞を受賞しています。DNAの複製については別稿で詳述します。ここではメセルソンとスタールの歴史的な実験についてだけふれておきます。

A-T、G-C塩基対の構造をもう一度みてみると(図4)、NとNまたはNとOとの間に水素原子がはさまれています。このような化学結合を水素結合といいます。この化学結合をはがすために必要なエネルギーは、N-H・・・Oの場合8KJ/モル、N-H・・・Nの場合13KJ/モルで(1)、共有結合の場合と比べて1~2桁くらい小さなエネルギーでひきはがせる弱い結合です。例えば水分子のHとOをはがすには、463KJ/モルのエネルギーが必要です(2)。

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弱い力で二本の鎖が結合しているのなら、何かジッパーのような機構でDNAの二重らせんがはがされて一重となり、そこからまた相方のらせんが合成されて二重になることが証明されれば、非常に都合良く遺伝情報の複製が説明できます。このアイデアはロマンティックですが証明されなければなりません。

DNAの複製の様式には3つの可能性が考えられます(図5)。ひとつは分散型。両方の鎖に親由来の素材と新しい素材が併存する二重らせんが2本形成されることになります(図5A)。半保存的複製では、すべて親由来の素材でできている単鎖とすべて新しい素材でできている単鎖がまきついてできた二重らせんが2本形成されることになります(図5B)。最後に保存的複製では、両鎖とも親由来のものと、両鎖とも新素材のものとの2重らせんが形成されます(図5C)。

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メセルソン(1930~)とスタール(1929~)は大腸菌をN15(重い窒素)の培地とN14(普通の窒素)の培地でそれぞれ培養します(図6、参照5)。それぞれのフラスコから大腸菌を集めDNAの重さを遠心分離で測定すると、N15の培地で育てた場合は茶色で、N14の培地で育てた場合はオレンジ色で表してありますが、当然N15の場合の方が重くて下に沈みます。N14の場合は軽いので上の方の画分に浮いています。

N15の培地で育てた大腸菌を、N14の培地に移して、20分で1回細胞分裂を行うような条件で培養します。20分経過した大腸菌のDNAを分析すると、茶色の位置とオレンジの位置の中間の重さ(密度=densityで測定)の位置(赤)にひとつのバンドが現れました。この結果、親由来のDNAのみでできている茶色のバンドがないことが判ったので、保存的複製ではあり得ません。

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次に40分経過してからDNAを分析すると、中間の位置のもの(赤)が50%、軽い位置のもの(オレンジ)が50%になりました。分散型の複製なら、すべてのDNAは同じ重さ(密度)のはずなので、このように2本のバンドができることはあり得ません。

半保存的複製と考えると、図7の一番右側に示すように、2回細胞分裂が起こった場合、親由来素材と新素材が1:1の二重鎖が2本と、新素材のみの二重鎖が2本できるので、実験の結果をうまく説明できます。

分散型複製あるいは保存的複製では、図7に示すようにこのような実験結果にはなりません。前者ではどんな場合もバンドは1本、後者では20分では重(茶)1:軽(オレンジ)1、40分では重1:軽3となり、中間の重さのもの(赤バンド)はできません(図7)。

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このような結果から、メセルソンとスタールはDNAの複製は半保存的に行われると結論しました。そしてジッパーの役割はDNAポリメラーゼ( DNA polymerase )が果たすということになりますが、実際のメカニズムはDNAポリメラーゼ以外にも多くの因子が関与していて、これについてはいずれ稿を改めて述べます。

メセルソンとスタールの実験結果は、DNAの構造が相補的な二重らせんであることとよく符合します。細胞が分裂するときには、DNAの2本鎖が1本鎖にわかれ、それぞれが相方のDNAの鋳型になることによって遺伝情報の複製が行われると考えると、細胞増殖や遺伝という現象がうまく説明できます。

参照

1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%B4%A0%E7%B5%90%E5%90%88

2)http://mh.rgr.jp/memo/mq0110.htm

3)Arthur Kornberg. The biologic synthesis of deoxyribonucleic acid, Nobel Lecture, December 11, (1959)
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1959/kornberg-lecture.pdf

4) Kornberg T, Gefter ML. Deoxyribonucleic acid synthesis in cell-free extracts. IV. Purification and catalytic properties of deoxyribonucleic acid polymerase III.,  J. Biol. Chem. vol. 247 (17): pp.5369-5375 (1972)

5)Matthew Meselson & F. W. Stahl. "The Replication of DNA in Escherichia coli",Proc Natl Acad Sci USA,Vol.44,p.671-682 (1958)
https://en.wikipedia.org/wiki/Meselson%E2%80%93Stahl_experiment

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2016年10月28日 (金)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが42: 二重らせん

アーウィン・シャルガフ(1905年~2002年 図1)は現在のウクライナで生まれたユダヤ人です。ベルリン大学で研究をしていましたが、ナチの台頭でフランスに逃れ、さらにニューヨークのコロンビア大学に職を得て、40年間勤めました。

シャルガフはもともと核酸の研究者ではありませんでしたが、1944年に発表されたエイヴリーの論文の結論「遺伝物質はDNAである」(やぶにらみ生物論41に詳述)に「筆舌に尽くしがたい衝撃」を受け、それまでやっていた研究を全部やめて核酸の研究にのめりこんでいきました(1)。

発表された当初、多くの研究者がエイヴリーの論文に衝撃を受けたというわけではなく、シャルガフによればほとんどの科学者が関心を持たなかったそうです。それは彼の言葉によれば「みな権力の回廊で自らのコマ廻しに忙しすぎたので見逃してしまったから」ということになりますが(1)、当時の知識では、DNAの種特異性がわかっていなかったので、あまり重要なことではないとみんな注目しなかったのでしょう。

180pxerwin_chargシャルガフにとって幸運だったのは、ちょうど1944年にペーパー・クロマトグラフィーという分析技術が報告され、DNAに含まれる4種の有機塩基をきれいに分離することができるようになった上に、同時期に紫外線分光光度計が売り出され、各塩基の検出も簡単にできるようになったことです。

シャルガフと共同研究者達はこれらの先進的な技術を使って、様々な生物のアデニン(A)・グアニン(G)・シトシン(C)・チミン(T)の量を測定し、それらの比率が生物の組織・器官では同じですが、種によって様々に異なることを示しました(図2)。

これは当時主流であったエイヴリーのテトラヌクレオチド仮説の理論には相反するものでした。しかし彼はさらに研究を進めて1950年に、

A=T、G=C、しかし A=G=C=Tではない

という驚くべき法則を発表しました(2)。

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生物種によってA・G・C・Tの割合はまちまちですが、AとTの比率およびGとCの比率は極めて1に近いということがわかりました。シャルガフもこのことを論文に書くのは怖くて、結局校正の段階で追加して発表したそうです。

この発表は主にDNAの構造をX線解析によって研究していた人々の注目を集め、実際英国のウィルキンスをはじめ何人かの研究者にDNAのサンプルを譲渡したそうです(1)。

シャルガフは1952年に英国のケンブリッジ大学に行って、ジェームス・ワトソン(1928年~)とフランシス・クリック(1914~2004)(図3 ウィキペディアより)にこの法則について説明したそうですが、その時の詳しいいきさつは文献(1)に詳述してあります。ワトソンの著書にもこのことは書いてあって、シャルガフの法則はDNAの分子モデルを考える際に大いに参考になったと思われます。

シャルガフはこの時に二人かららせん構造についての話しを聞いていたのですが、彼はDNAの特異性に関してはトポロジーが重要だとは思っていたものの、らせん構造については余り興味を持たなかったようです。

シャルガフはAとT、およびCとGが構造的に隣接しているという考え方を以前にしていたことがあるが、それは廃棄したとこの会談で述べたことを記してします(1)。その廃棄した理由が、本の説明(1)では私にはよくわかりませんでした。ワトソンとクリックも廃棄する十分な理由はないと考えたと思います。

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結局この会談はシャルガフが、ワトソンとクリックはふたりとも化学のど素人だと判定した段階でうまくいかず、気まずく終わったようです。シャルガフのもっと重要な用はパリでの国際会議で、そこではハーシーとチェイスがDNAが遺伝物質であるという決定的な証拠を示し(詳細はやぶにならみ生物論41に記述)、いよいよDNAが分子生物学の主戦場となることは明らかになりました。

その頃英国ではDNAの構造研究の中心は、ワトソンとクリックがいたケンブリッジ大学ではなく、ロンドン大学のモーリス・ウィルキンス(1914~2004)の研究室でした。そこでは若手研究者だったロザリンド・フランクリン(1928~1950)とボスのウィルキンスが激しく仲違いをして、プロジェクトがうまくいっていませんでした。

その間隙を縫ってワトソンとクリックはDNAの3重らせんモデルを考案し、フランクリンに見てもらったのですが、リン酸がらせんの内側にあると水分子を置くスペースがなくなると即座に否定され、彼女におもちゃを使って遊んでいるバカ者共という印象を与えてしまったのです。これでふたりはDNAの研究から手を引かされるという羽目に陥りました(3)。

しかし二人にとって、ここで思わぬ幸運が舞い込んできました。それは1953年に当時生体物質の構造化学では第一人者であるライナス・ポーリング(1901年~1994年)が、二人が考案したものに近い間違った3重らせん構造のモデルを提出したことでした。しかも彼のモデルではリン酸基がイオン化しておらず、それじゃあ核酸は酸じゃないのかというおまけまでついていて、これでワトソンとクリックは俄然勢いづきました。

彼らはロンドン大学のグループにもう一度らせん構造を考えてみようと説得に行き、ウィルキンスにフランクリンの学生であるゴスリングのX線回折写真を見せてもらうことに成功しました。それはまさしくらせん構造を示す回折像だったのです(3)。ところがこれはフランクリンの許可を得ていなかったため、後に問題になりました。

ウィルキンスに写真をみせる権限があったことはわかりますが、フェアーなやり方とは言えません。またフランクリンが書いた非公開の年次レポートを、閲覧する権限のあるペルーツが部下のクリックに渡したとされており(4)、これもさらにフェアーとは言えません。ただこのようなことは研究の世界では日常茶飯事であることもまた事実です。

ワトソンはアデニンとチミン、グアニンとシトシンがそれぞれペアで存在するために可能な構造を示し(図4)、それを見たクリックは鎖が逆向きの2重らせんの構造をすぐに思いついたそうです(図5)。このモデルは直ちに Nature 誌に投稿され、受理されました(5)。

ワトソン・クリック・ウィルキンスは、「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」に対して、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。ロザリンド・フランクリンは1958年に37才の若さで亡くなっていたので、受賞対象にはなりませんでした。

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ワトソンとクリックにしてみれば、フランクリンは執拗にDNAのモデル構築に反対して、まるで自分たちの仕事が妨害されたように見えたでしょうし、フランクリンにしてみれば荒唐無稽なモデルをもてあそんでいる彼らとまともにつきあう必要はないと考えたというのもうなづけます。ただフランクリンの写真を見なければ正しい分子モデルはできなかったはずで、DNAの二重らせんモデルはこの3人に等しく栄誉が与えられるべきだったと思います。

ロザリンド・フランクリンの業績については友人のアンネ・セイヤーが1975年に本を出版しており(6、図6)、最近ではきちんと評価されています。また最初に鮮明なDNAのX線回折写真を撮影したレイモンド・ゴスリング(1926~2015)は、当時博士課程の学生だったので蚊帳の外になってしまいましたが、その後も素晴らしい写真を撮影して、大いにDNAの分子モデルの作成に貢献しており、本当は彼もノーベル賞をもらうべきだったのかもしれません。

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参照:

1) 「ヘラクレイトスの火 (Heraclitean Fire)」 アーウィン・シャルガフ著 村上陽一郎訳 岩波書店 (1990)

2) Chargaff, Erwin; Chemical specificitiy of nucleic acids and mechanism of their enzymatic degradation. Experientia vol.6, pp.201-209 (1950)

3) DNA: The secret of Life. James D. Watson and Andrew Berry, Arrow Books, 2004.  邦訳:青木薫 講談社刊

4) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B6%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3

5) J.D. Watson and F.H.C. Crick: Molecular structure of deoxypentose ribonucleic acids. Nature vol.171, pp.737-738 (1953)
http://www.nature.com/nature/dna50/watsoncrick.pdf

6) Rosalind Franklin and DNA, written by Anne Sayre, W.W. Norton New York and London (1975)

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが41: 遺伝情報を担う物質は何か?

フレデリック・グリフィス(1879年 - 1941年)は第一次世界大戦中に設立された英国保健衛生省の病理学研究室で研究を行いました。彼の仕事は多くの患者から肺炎菌を集めて培養し、分類を行うことでした。

この仕事を進めているうちに、グリフィスは菌の種類・株によってホストの免疫機構に対する耐性が大きく異なることに気がつきました。細菌のなかには細胞壁(セルウォール)の外側に莢膜(カプセル)というオーバーコートをかぶっているものがあり、これらの菌は感染した際に、ホストの免疫機構によって排除されにくいのです。この理由としてカプセルの主成分である多糖類がタンパク質に比べて抗体との反応が弱いということがあげられますが、その他にもカプセルをもつ細菌は、白血球やマクロファージに食べられにくいという性質があります。後者の理由は正確にはいまでもわかっていないようです。

カプセルを持つ菌はヒス染色(ゲンチャナバイオレットという色素で染色する方法)という方法で識別できます。カプセルを持っている場合、菌体は強く紫色に染色され、そのまわりでピンク色で囲まれているような感じに染色されます(1)。

肺炎菌のR株(図1青)はカプセルを持たず病原性がありませんが、S株(図1赤)はカプセルを持っており病原性があります。S株は熱処理によって病原性を失いますが、この熱処理したS株と非病原性のR株を同時にマウスに投与すると、意外にも病原性が復活してマウスは死亡しました。グリフィスは死んだS株の形質転換因子(transforming principle) がR株の形質を転換し(transform)、病原性を与えたと説明しました(2)。この形質転換因子こそDNAだということが後にわかるのですが、当時は全くわかりませんでした。

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1形質転換のメカニズムを解明しないまま、グリフィスはナチス・ドイツによる1841年のロンドン・ブリッツ(ロンドン大空襲)によって不慮の死をとげてしまいました。

彼が実験室で爆撃を受けたという説がありますが、研究によって、自宅に居たときの空爆で死亡したということになったそうです。

1941年のランセット5月3日号には obituary (=死亡記事、参照3)が掲載されています。それによるとグリフィス(図2)は犬の散歩が趣味の、大変慎重な人で、一生涯 「Almighty God is in no hurry - why should I be?」 という主義を貫いたそうです。

同じページに、彼の同僚で著名な細菌学者のウィリアム・スコットも空爆で死亡したという記事が掲載されています。

2グリフィスが残した課題はオズワルド・エイヴリー(1877年 - 1955年、図3)によって引き継がれました。

彼はグリフィスが言う形質転換の原因は細菌がまわりの環境から遺伝物質をとりこむことができるからだと考えました。

そこでS菌の細胞を破壊し、内容物をタンパク質分解酵素で処理してR菌の培養液に加えました。するとこの処理が無効だったことがわかり、タンパク質は形質転換に関与していないことが示唆されました。

ところがDNA分解酵素で処理すると、R菌は形質転換を起こさなかったのです。これはDNAが形質転換に関与していることを強く示唆しました(4)。

この論文が発表されたのは1944年ですからエイヴリーはすでに67才でした。しかも太平洋戦争の真っ最中です。日本ではほとんどの学術雑誌が休刊していましたが、米国では発行されていて、しかもこのような重要な基礎研究の論文が発表されていたということです。私はこれは国力の違いもありますが、さらに文化の違いもあると思います。基礎科学の振興が民族・国家さらには人類にとって決定的に重要だということは、現在の日本人にも浸透していないと思います。

とは言っても、当時はDNAが遺伝物質だなんて考えている人は極めて少数だったので、エイヴリーの実験結果もそれほど注目されるには至りませんでした。

ハーシーとチェイス(図4 左:アルフレッド・ハーシー 1908年 - 1997年、右:マーサ・チェイス1927年 - 2003年)は大腸菌に感染するT2ファージ(ある種のウィルス)を使って実験しました。このときチェイスはまだ博士号を取得していませんでしたが、共同研究者の扱いになっています。T2ファージはタンパク質とDNAだけからなっており、大腸菌に感染すると菌内で増殖して、菌細胞を破壊して外界に出て、また大腸菌に感染するというライフサイクルを行います。ですから子孫をつくるための情報はタンパク質かDNAのどちらかが持っているはずです。

彼らが以下の実験をしてみようと思ったきっかけは、トーマス・アンダーソンが撮影したT2ファージが足で細菌の表面に付着している電子顕微鏡写真をみたのがきっかけだそうです。

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そこで彼らはまずシャーレAの培地に放射性のリン(P32を含むオルトリン酸)を加え、もうひとつのシャーレBには放射性の硫黄(S35を含む硫酸マグネシウム)を加えてT2ファージと大腸菌を培養します。それらからP32を含むファージとS35を含むファージを分離します。

DNAは硫黄を含まず、ファージのタンパク質はリンを含まないので、シャーレAから分離したファージはDNAが放射性Pを含み、シャーレBから分離したファージはタンパク質が放射性Sを含んでいます。それぞれを大腸菌に加えて感染させます(図5)。ファージは細菌にくっついて自らの遺伝物質を細菌に注入します(図5の1)。

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感染したタイミングを見計らって、培養液をブレンダーに入れて激しく攪拌し(図5の2)、ファージを菌体から引きはがします。次に遠心分離法によってファージと菌体を分離します(図5の3)。上清がファージで沈殿が菌体というかたちで分離できます。

そして沈殿から回収された菌体に含まれる放射性物質を検査するとそれはP32で、S35は含まれていませんでした。すなわち遺伝情報の担い手はDNAであり、タンパク質ではないことが示されました(図5の4、参照 5)。この研究はエイヴリーが提唱していた<<DNAが遺伝情報の担い手である>>という説を強くサポートするものであり、この研究などによってハーシーは1969年にノーベル医学生理学賞を授与されています。一方チェイスは離婚や痴呆症のため後半生はよい人生を送ることができなかったようです。

ウィルスによって被害を受けるのは細菌だけではなく、哺乳動物なども被害を受けるわけですが、哺乳動物に感染するウィルスはT2ファージのようにDNAを細胞に注入するというような方法ではなく、細胞に吸着したあと、そのまま細胞に食べられるというような形で取り込まれるとか、ウィルスの外殻と細胞膜が融合して、中身が細胞内にはき出されるとかさまざまな形で細胞に侵入します。メカニズムの詳細は現代医学においても重要な研究課題です。

参照:

1) http://www.mutokagaku.com/products/reagent/bacterialstain/hisstain/

2) Frederick Griffith, THE SIGNIFICANCE OF PNEUMOCOCCAL TYPES. Journal of Hygiene, vol.XXVII, pp.113-157, (1928)
  https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2167760/

3) Obituary, The Lancet vol.237, no.6140, pp.588-589, (1941)   http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0140673600951742

4) Oswald T. Avery, Colin M. MacLeod, and Maclyn McCarty, STUDIES ON THE CHEMICAL NATURE OF THE SUBSTANCE INDUCING TRANSFORMATION OF PNEUMOCOCCAL TYPES. Journal of Experimental Medicine vol.79, no.2, pp.137-158, (1944)   https://profiles.nlm.nih.gov/CC/A/A/B/Y/_/ccaaby.pdf

5) A. D. HERSHEY AND MARTHA CHASE:INDEPENDENT FUNCTIONS OF VIRAL PROTEIN AND NUCLEIC ACID IN GROWTH OF BACTERIOPHAGE. The Journal of General Physiology vol.36, pp.39-56 (1952)
http://jgp.rupress.org/content/jgp/36/1/39.full.pdf

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2016年10月21日 (金)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが40: 核酸構造解析のはじまり

Photo_10アルブレヒト・コッセル(図1)はミーシャーが生化学・生理学を学んだホッペ=ザイラーの研究室、といってもチュービンゲンではなくてストラスブール(現在はフランス)にあった研究室で1877年から1881年まで助手をしていました。

当時ホッペ=ザイラーはミーシャーが発見した奇妙な酸性物質ヌクレイン(後に核酸と呼ばれる)に関心を寄せていて、コッセルも巻き込まれることになりました。その後ベルリン大学、大学、マールブルク大学、ハイデルベルク大学で教鞭をとりながら研究を進めました。

19世紀末から20世紀初めにかけてコッセルは、化学の手法のみによって、エミール・フィッシャーをはじめとする多くの研究者の協力を得て、核酸(DNA)が4種類の成分、アデニン・グアニン・シトシン・チミンと糖を含むことを証明しました(図2)。

現在では低分子物質の化学構造は分析機器によって簡単に判るわけですが、当時は大変な作業で、いろいろと紆余曲折を経てようやく構造決定にこぎつけました。アデニン・グアニン・シトシン・チミンはまとめて核塩基と呼ばれます。

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コッセルはこの業績によって1910年にノーベル賞を受賞しています。受賞講演の中で彼は、「核酸などの生体分子はビルディング・ブロックにたとえられる部品(ある種の原子のグループ)の集合体で構成されており、部品の段階で体内に吸収されて、体内で計画に基づいて生体分子が形成される」という考え方を述べています(1)。これは非常に先進的な考え方であり、コッセルのセンスの良さを感じます。

もうひとつの核の塩基ウラシルは、1900年にアルベルト・アスコーリによって酵母の核酸から発見されました。現在ではウラシルはDNAにはほとんど含まれず、もうひとつの核酸であるRNAの成分であることが知られています。現代的表現の構造式を図3に示します。

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コッセルは核酸には糖が含まれることを見いだしましたが、糖と核塩基との関係、さらにミーシャーが核酸の成分としているリン酸との関係は明らかではありませんでした。これらの構造的関係を明らかにしたのがフィーバス・レヴィン(図4)です。

レヴィンは1905年にニューヨークのロックフェラー医学研究所の研究室長に抜擢され、ずっとそこで研究を続けました。当時この研究所には野口英世も在籍していました。

Photo_5レヴィンは1909年に核酸に含まれている糖がリボース(D-ribose)であるとし、1929年にはこれがデオキシリボース(2-deoxy-D-ribose)であると修正しました。

現在ではDNAの成分がデオキシリボース、RNAの成分がリボースであることが判っています。ここにいたってようやく ミーシャーのリン酸、コッセルの有機塩基、レヴィンのデオキシリボースというDNAのすべての構成要素が出そろったわけです。

 

レヴィンのもうひとつの大きな業績は糖・核塩基・リン酸の構造的関係を明らかにしたことです。

 

図5で示されるように、リン酸-デオキシリボース-塩基が化学結合し、核酸の基本的な構成ユニットとなっていることをレヴィンは解明しました。このユニットはヌクレオチド(nucleotide)と命名されました。

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ここまではよかったのですが、レヴィンはこの構成ユニットがどのように連結されているかについて、テトラヌクレオチド仮説という誤った仮説を発表し、大きな混乱をもたらしました。彼の仮説によると、アデニン-糖-リン酸、グアニン-糖-リン酸、シトシン-糖-リン酸、チミン-糖-リン酸という4つのユニットが図6のように連結されて核酸を構成していることになります。レヴィンの業績については文献(2)にまとめられています。

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テトラヌクレオチド仮説に対する決定的な反論はスウェーデンの科学者、スヴェドヴェリ(Theodor Svedverg 1884-1971、参照3)によって行われました。スヴェドヴェリは超遠心機を開発し、分子の沈降速度からその分子の大きさを計測しました。それによれば、DNAはテトラヌクレオチドのような分子とは比較にならないくらい巨大な分子であることがわかりました。

このほかもしレヴィンの説が正しければ、アデニン・グアニン・シトシン・チミンは常に1:1:1:1で存在しなければなりませんが、測定が精密になればなるほどそうではないことが明らかになってきました。こうして謎が深まる一方の状況で、レヴィンは1940年に亡くなってしまい、世界は第二次世界大戦に突入します。

最後にヌクレオチド関連物質の命名法について述べておきましょう(図7)。

5炭糖(炭素原子5個を含む糖、時計回りにそれぞれの炭素原子に1~5の番号がつけられています)のデオキシリボースまたはリボースは、炭素原子4個と酸素原子1個からなる複素環の5の位置にもう一つ炭素原子が結合した形になっています。1の位置の炭素が有機塩基(図7では Base と書いてあります)の窒素と結合してC-N結合でつながっています。このデオキシリボース(またはリボース)と有機塩基が結合した分子をヌクレオシド(nucleoside, ヌクレオサイド)と呼びます。

ヌクレオシドの5炭糖の5の位置の炭素にリン酸が結合した分子をヌクレオチド(nucleotide, ヌクレオタイド)と呼びます。ヌクレオチドにはリン酸が1個または2個または3個結合する場合があり(図7)、区別が必要な場合はそれぞれ、ヌクレオシド1リン酸、ヌクレオシド2リン酸、ヌクレオシド3リン酸と呼びます。

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ヌクレオシドには塩基として、アデニン、グアニン、チミン、シトシンが結合している分子があり、糖の2の位置がHだった場合、それぞれデオキシアデノシン、デオキシグアノシン、(デオキシ)チミジン、デオキシシチジンと呼びます。糖の2の位置がOHだった場合は、それぞれアデノシン、グアノシン、RNAの場合にはチミンでなくウラシルが結合していて、この場合ウリジンと呼びます、そしてシチジンです。チミジンの場合、ウリジンと判別が容易なので、頭にデオキシをつけないことがあります。

次にヌクレオチドですが、例えばアデノシンに3つのリン酸が結合している場合、アデノシン3リン酸(ATP=adenosine triphosphate)と呼びます。2つのリン酸が結合している場合はアデノシン2リン酸(ADP=adenosine diphosphate)、ひとつだとアデノシン1リン酸(AMP=adenosine monophosphate) ということになります。これらの物質の名前は、生化学を学ぶときには嫌と言うほど頻繁に登場します。

5炭糖の2の位置の炭素にHが結合する場合デオキシリボース、OHが結合する場合リボースと呼びます。DNAに構成要素はデオキシリボースです。アデニンとグアニンをまとめてプリン、チミンとシトシンとウラシルをまとめてピリミジンと呼ぶことがあります(図7)。

参照:

1)アルブレヒト・コッセルのノーベル賞受賞講演
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1910/kossel-lecture.html

2)レヴィンの業績:PHOEBUS AARON THEODOR LEVENE 1869-1940、Proc NAS USA XXIII  pp.75-126 (1943)
http://www.nasonline.org/publications/biographical-memoirs/memoir-pdfs/levene-phoebus-a.pdf

3)https://en.wikipedia.org/wiki/Svedberg

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2016年10月17日 (月)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが39: DNAの発見

Friedrich_miescher_2フリードリッヒ・ミーシャー(1844-1895 図1)の父親はスイスのバーゼル医科大学解剖学・生理学の教授でした。ミーシャーは父の跡を継いでバーゼル医科大学を卒業し、耳鼻科の医師になるトレーニングをはじめましたが、子供の頃からの難聴のせいで診察はうまくいきませんでした。

また彼自身はもともとそんなに医師への興味はなく、むしろ生命現象の科学的解明に強い関心を抱いていたので、ドイツのチュービンゲン大学ホッペ=ザイラー教授の下で1868年から生理学の研究をはじめました。

ミーシャーは畑違いなので勉強していなかったと思いますが、1866年にはメンデルが遺伝の法則を発表しており、また同じ年にエルンスト・ヘッケルは遺伝情報が核にあるという説を発表していました。後者はおそらくミーシャーも知っていたと思われます。

ミーシャーは当初から生命現象を化学によって解明しようという目的で、生化学の創始者であるホッペ=ザイラーを師に選んだのです。ホッペ=ザイラーの研究室は中世からあるチュービンゲン城を改装した場所にあり、図2はミーシャーの研究室の有名な写真です(ウィキペディアより)。この部屋は中世には厨房として使われていたそうです。

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ミーシャーはまず細胞の化学組成を解明しようと考えました。選んだ細胞はシンプルな球形で、遊離細胞であるリンパ球です(図3)。最初はリンパ球を実験動物のリンパ節やヒトの血液から採取しようとしましたが、採取できる量が少なすぎたため、ホッペ=ザイラーの助言に従って、患者の膿(うみ)から採取することにしました。当時は消毒もいいかげんで、負傷者や手術した患者の包帯から大量の膿がとれたので、実験は軌道に乗りました。

膿というのは、若い人の中には見たことがない人もいるかもしれませんが、生体防御反応のひとつで、細菌を殺すために出動した白血球やリンパ球およびそれらの崩壊産物が主成分です。

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ミーシャーの実験プロトコルは次のようなものでした。

1: 当時核の未知タンパク質が遺伝物質ではないかというヘッケルらの考えがあったので、ミーシャーはまずこのアイデアが正しいかどうか検討することを目的として、核と細胞質の分離を試みました。

試行錯誤の結果、ブタの胃の抽出物に含まれるペプシンというタンパク質分解酵素を含む液に、膿の細胞を数時間浸しておくと、細胞が溶けて核が分離できることがわかりました。ペプシンはあの細胞説で有名なテオドール・シュワンが1836年に発見していました。

2: こうして得られた核を弱いアルカリで処理し、抽出した物質の溶液に酸を加えると、未知物質の沈殿が生じることを見つけました。同じような物は肝臓、睾丸、酵母、鳥の赤血球からも抽出可能でした(哺乳類の赤血球には核がない)。ミーシャーはこの物質が、それまで知られていたどのタンパク質とも異なることを確かめ、ヌクレインと命名して1869年に学会で発表しました(論文出版は1871年(1))。

このヌクレインが、現在の知識に照らせばまさしくDNAだったわけです。論文(1)はホッペ=ザイラーが出版する雑誌に投稿されましたが、ホッペ=ザイラーは1年間かけて、自分ですべて追試した上で掲載を許可しました。当時としてはリン酸が多量に含まれていたり、強い酸性だったりすることがなかなか信じてもらえなかったわれです。そのくらい異常で重要な意味のありそうな論文だと、ホッペ=ザイラーも感じていたと思われます。

3: 彼はヌクレインの元素分析を行ない、通常タンパク質が含む炭素、水素、酸素、窒素以外にリンを含むことを明らかにしました。ミーシャーはヌクレインの成分に多量のリン酸が含まれることから、ひょっとするとこれはタンパク質ではないかもしれないとは考えていたようです。

その後ミーシャーはバーゼル医科大学の生理学の教授となってヌクレインの研究を続けましたが、講義は苦手で研究環境としてはあまり良くなかったようです。さらに彼のヌクレインのサンプルは単に普通のタンパク質に無機リンが混入しただけだろう、という批判にはっきり答えられなかったため、しだいに忘れられそうになっていました。しかしそれでもミーシャーはこつこつとヌクレインの精製法の改良を続け、材料として理想的な鮭の精子から、かなり純粋な段階にまで精製することに成功しました。

細胞の染色法やミトコンドリアの発見で知られているリヒャルト・アルトマンは、タンパク質をほとんど含まない画分にヌクレインが存在することを確かめ、ヌクレインを核酸 (nucleic acid) と改名することを提唱し、この物質がタンパク質とは異なることをアピールしました。残念ながらこのアルトマンの論文はみつかりませんでした。ヌクレイン=核酸の精製法の進展はミーシャーの死後、シュミーデベルクによって論文にまとめられています(2)。

彼らは核酸をバラエティーのない固定した構造の物質と考えていたので、大きなバラエティーが必要な遺伝子の担い手としては不適切だと考えざるを得ませんでした。しかしいろいろな時代的制約などによる限界がありましたが、もちろんミーシャーやアルトマンと共同研究者達こそがDNAの発見者であり、彼らの萌芽的研究から20世紀の輝かしい分子生物学の歴史が誕生したことに疑いの余地はありません。ミーシャーの業績は Ralf Dahm によってまとめられています(3)。

P_04717322ミーシャーにはヌクレインの精製以外にもうひとつの業績があります。それは鮭の精子からプロタミンを発見し、精製したことです(4)。

プロタミンは塩基性のタンパク質で、ヌクレインの酸性を中和する役割が考えられました。現在から見ても、核の基本的な構成要素であるヌクレオソームは核酸とヒストン(またはプロタミン)の複合体であり、重要な知見であると言えます。

鮭の精子から採取されたDNAは現在でもよく研究用に使用されます(図4)。精製されたDNAは白い繊維状のもので、使うときはピンセットで一部を引き裂いて使います。

スイスのバーゼルにはミーシャーの名を冠した ”Friedrich Miescher Institute for Biomedical Research” が1970年に設立され、現在も活発に活動しています(5)。またチュービンゲンのマックス・プランク研究所には Laboratory of Friedrich Miescher があります(6)。

参照:

1) Miescher F. Uber die chemische Zusammensetzung der Eiterzellen. Med.-Chem. Unters. 4, 441-460 (1871)

2) Schmiedeberg O., and Miescher F. Physiologisch-chemische Untersuchungen uber die Lachsmilch. Arch. Exp. Pathol. Pharm. 37, 100-155 (1896)

3) Ralf Darm, Friedrich Miescher and the discovery of DNA. Develop. Biol. 278, 274-288 (2005)

4) Miescher F. Das Protamin - Eine neue organische Basis aus den Samenfaden des Rheinlachses. Ber. Dtsch. Chem. Ges. 7, 376 (1874)

5) http://www.fmi.ch/

6) http://www.fml.tuebingen.mpg.de/

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2016年10月 9日 (日)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが38: ハエ部屋

メンデルの法則と染色体の挙動を結びつけたサットンの業績は大きかったわけですが、まだメンデルの言うエレメント=遺伝子が染色体上にあるという証明にはなっていません。染色体の上にあると考えるとメンデルの法則をうまく説明できるというレベルです。

サットン廃業のあとを受け継いで染色体説を発展させたのはトーマス・ハント・モーガンです。モーガンはもともと遺伝学者ではなく、発生生物学者でプラナリアなどの再生や発生を研究していました。プラナリアというとよく教科書に出てくる、頭を切れば頭が生えてくる、尾を切れば尾が生えてくるというあの生物です(図1)。モーガンは再生に必要な物質の勾配という概念を提出し、それは最近になって阿形らによって証明されました(1)。

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Tsuda_umekoモーガンは若い頃ブラインマーカレッジという女子大学で教鞭を執っており、この頃の彼の学生の中には後に津田塾大学を創設する津田梅子(図2)もいて、彼女にはカエルの発生の研究をやらせていたそうです(2)。

発生生物学をやっていると、遺伝学者の考えていることが単純すぎるようにみえることは理解できます。というのは、たいして特徴のない受精卵から、さまざまな組織・器官が時間の経過と共にできてくることを観察していると、形質というものはどんどん動的に変化するもので、遺伝子で単純に規定される静的なものではないという考え方になりがちだからです。

しかし当時はメンデルの再発見で大騒ぎとなっており、彼がウィルソンに呼ばれて来たコロンビア大学にはサットンという減数分裂を目視した俊英の大学院生がいました。モーガンがメンデルの法則や染色体説の真偽に関心を抱いたのは当然でしょう。モーガンはまたド・フリースの突然変異説に傾倒し、ダーウィンの自然選択が成立するためには突然変異が重要な役割を果たすものと考えました。そして1907年頃から、それらの課題を研究するために最適な実験動物としてキイロショウジョウバエを選択しました。

キイロショウジョウバエ(図3)はいわゆるコバエの一種であり、体長2~3ミリで、乾燥酵母・オートミール・蔗糖などで手軽に飼育することができます(図4)。メスが10日で成熟して、一度に50個前後の卵を産むことができるというのが研究上の魅力です。モーガンはこれで飛躍的に研究が進むと期待したのでしょうが、最初の頃はまったくうまくいきませんでした。それは突然変異体を検出するのが非常に難しかったからです。何千何万という小さなハエを観察して変異を同定するのは骨が折れます。

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しかし1910年になって彼の前に救世主が現れました。それは白眼の突然変異体(ミュータント)で、これを野生型のメス(赤眼)と交配させるとF1はすべて赤眼となりますが、F2のオスは50%の確率で白眼になることがわかりました(図5、参照3)。

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この少し前にウィルソンとスティーヴンスはショウジョウバエのメスは2本(1対)のX染色体を持つが、オスはX染色体を1本しか持っていないことを観察していました。このことを考え合わせて、オスの1本のX染色体に変異が発生すると白眼になり、それはメンデルのいう劣性変異のため2本の性染色体を持つメスでは発現しないとするとうまく説明できます。すなわちこの白眼の変異は性染色体Xと挙動を共にすることがわかりました。

ショウジョウバエはヒトと同じくメスはXX、オスはXYという性染色体をもっていますが、オスが父親から引き継ぐY染色体には眼の色にかかわる遺伝子は存在しないので、この場合考慮しなくていいのです。

この研究結果によってモーガンは染色体説に強固な根拠を与えることになりました。モーガンの研究室にはスターティバント、ブリッジス、マラーなどの多くの優秀な学生が集結するようになり、人海戦術でショウジョウバエのミュータントを解析すると、次々と変異が見つかり(図6)、モーガン研究室はまさしく世界の遺伝学の中心となっていきました(4)。

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カルヴィン・ブリッッジスは突然変異体を探し出す特異な才能があり、1925年にカタログ記載された突然変異体365種類のうち240種類は彼が発見したものだそうです(5)。モーガンが最初の2~3年全く突然変異体を検出できなかったことを考えると、これは驚異的です。

そのほかにもブリッジスはいろいろと研究室発展の基盤となるような知見や技術を開発しました。ただ彼は知り合った女性すべてを口説くというドン・ジョバンニのような男で、ドン・ジョバンニはつきあった女性のカタログを従者につくらせていましたが、彼は自分でつくっていたそうです。そして寒い日にカブリオレでデートして心臓麻痺をおこし、若死にしてしまいました。

ショウジョウバエの染色体はわずか4対で、しかもそのうち1対は非常に小さなもので(図7の中央あたりにみえる)、わずかな遺伝子しか乗っていません(図7)。ですから2つの形質に着目したとき、それらが同じ遺伝子に乗っている確率はほぼ30%で、23対の染色体を持つヒトなどと比べると非常に高い確率です。すなわちメンデルの独立の法則が成立しない場合が非常に多いということです。

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図8のようにAとbという形質が同じ染色体に乗っていれば、遺伝の際にまるで一つの形質のように行動を共にするはずなのですが、時にそれが分かれてしまうことがあります。このことについて、1909年にベルギーの生物学者ヤンセンスが、減数分裂で4つの染色体が集合した際に、それぞれの染色体の1部が交換されるということを発見していました。Aとbの形質の間で染色体がちぎれて、a、Bの相方と交換されるとAB、abという新しい連鎖が成立します。染色体の一部が交換されてできた新たな染色体を組み替え型染色体といいます(図8)。

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ここでアルフレッド・スターティバントは考えました。染色体がランダムな位置でちぎれるとすると、染色体上で離れた位置にある遺伝子は別れやすく、近傍にある遺伝子は分かれにくいと想定されます。すなわち「組み換え型染色体ができる確率は遺伝子A、Bの染色体上の距離に比例する」という公式が成立します(図9)。ですから組み替え型染色体ができる確率を多くの遺伝子について調べれば、遺伝子地図の作成が可能であることに気がついたのです。

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例えばAという形質とBという形質に注目したとき、両者が組み替えによって別れる確率が10%であるとします。そしてBとCは5%だとすると、さらにAとCについて検査してみると15%だった場合、A、B、C という形質は染色体上に図9に示されるような順と距離で配列されているということが推定されます。

組み替え確率の%を距離に置き換えて、センチモルガンという単位を使用します。染色体全体を100センチモルガンとして、多くの形質について上記のような検査を行うと、原理的には何百何千という遺伝子を染色体上に並べることができます。こうして染色体地図を製作することができます。これは遺伝子が染色体上にあるということの決定的な証明となりました。

ハーマン・マラーはX線照射によって突然変異が誘起されることを発見し、遺伝学・放射線医学生物学の進歩に大きな足跡を残しました。彼は筋金入りの共産主義者で、一時期レニングラード(現サンクトペテルブルク)に移住して、ソ連の科学アカデミーで活躍していたこともあるそうです。しかし彼の理想とは裏腹に、次第にソ連の遺伝学界はルイセンコに汚染され、彼を招いてくれたヴァヴィロフも獄死しました。

「ハエ部屋」と呼ばれていたモーガンの研究室からは、モーガン自身以外にも上述のマラーや後で登場するビードルというノーベル賞受賞者をはじめとして多くの遺伝学者が輩出し、スターティバントの弟子のデルブリュックやルイスもノーベル賞を受賞しました。

「非凡な農民:http://www.agr.ryukoku.ac.jp/teacher/nakamura_george_beadle/chapter5.html」 というサイトに興味深い記述があったので、最後に引用させてもらいました。

以下引用:
モルガンと彼の学生達が生み出す知的なエネルギーは物理的な環境の劣悪さをものともしなかった。コロンビア大学構内のシェルマホーン・ホールの6階に位置する彼らの仕事場は16 x 23 フィートの広さの一部屋で、そこには8つの机が所狭しとばかりに詰め込まれていた。コロンビア大学はまだ大きな居住用アパート群に囲まれてはおらず、実験室からは近くの牧草地で草を食むヤギの群れが見えた。訪問客は即座に部屋の汚さと乱雑な様子に気づいて驚くのだった。中でハエが飛び回るガーゼで蓋をしたガラス瓶が紙切れや終了した実験から出た屑ゴミで溢れた机と棚の空間を奪い合っていた。ハエ・グループの神秘的雰囲気の一部は、ハエを収めるミルク瓶が近くの家々の玄関先から収穫されたものではないかという疑いから来ていた。ハエは割り当てられたミルク瓶に閉じ込められてはいたが、あらゆる隙間と割れ目に潜むゴキブリがハエの餌や他の食物の残り滓の上を自由に這いずり回っていた。もちろんネズミが部屋の汚物置き場に集まった残り物の中から食物を探して運動会をしているような有様だった。部屋には酵母と腐りかけたバナナの匂いが漂っていた。時折、建物の友人や同僚達が壁を飾るバナナの茎をもらいにやって来たりした。
:引用終了

ヒトが生活している中で、最もめざわりで迷惑な生物はハエ・ゴキブリ・マウス・ラットなどですが、それらが大変有用な実験動物として利用されていることは、一般の人々に理解して欲しいことです。迷惑動物を材料に使って研究しているからといって、白い眼で研究者をみるのは無知の証明です。

図の多くはウィキペディアから借用させていただきました。

参照:

1)http://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/news_data/h/h1/news6/2013/130725_1.htm
The molecular logic for planarian regeneration along the anterior-posterior axis. Umezono et al. Nature 500, 73-76 (2013)

2)http://argmyntbk.exblog.jp/9395215

3)https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Hunt_Morgan

4)「細胞学の歴史 生命化学を拓いた人々」 Arthur Hughes 著 西村顕治訳 八坂書房 1999年刊

5)http://www.agr.ryukoku.ac.jp/teacher/nakamura_george_beadle/chapter5.html

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2016年10月 5日 (水)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが37: 染色体説

Birthofthドイツの生物学者シュライデンとシュワンが細胞説(生物の体は一般に細胞から成り立っている)を発表したのは1838・1839年ですが、1832年にベルギーの生物学者デュモルティエが細胞分裂を報告しているにもかかわらず、シュライデンとシュワンは細胞の増殖については正しい理論に到達しませんでした(1)。

ドイツの病理学者ルドルフ・フィルヒョウが「すべての細胞は細胞から生じる」という理論を提唱したのは1958年であり、メンデルが1860年代に遺伝の法則を発表する直前でした。その頃にはまだフィルヒョウの考え方が一般に認められていたわけではないようです。

ドイツの生物学者テオドール・ボヴェリはウニの発生の研究から、正常な胚発生のためには分裂した細胞それぞれにすべての染色体が存在することが必要であることを示しました。また染色体が異常になることが「がん」の原因であるという学説を提唱しました(2)。すなわち生物の形質には染色体が大きな影響を与えることを示唆したわけです。

細胞説誕生に関する詳細は文献(3、表紙は図1)に詳しい記述があると思われます(私は未読)。

Suttonメンデル再発見直前の1898年、ウォルター・サットン(図2)はカンザス大学の細胞学者クラレンス・E・マクラングの学生として染色体研究を始めました。

1900年からはマクラングの勧めでニューヨークのコロンビア大学に移り、細胞学の大家であるエドマンド・B・ウィルソンの元で博士課程の大学院生として研究を行いました。

Photoマクラングはバッタ Brachystola magna (図3)において性染色体を発見し、その研究を行っていました。このバッタは染色体が大きく、観察しやすいという細胞学研究上の利点がありました。

サットンはこの昆虫のオスの精子形成では、生殖細胞に特異的な細胞分裂=減数分裂の過程にある染色体が大きくはっきりと観察できることを見いだし、その観察を行いました。

彼はこの研究をウィルソンの研究室で発展させ、減数分裂における染色体の挙動はメンデルの法則に従うとする「染色体説」を提唱しました (4,5)。

もしメンデルの言うエレメントを母親からひとつ、父親からひとつ受け継ぐとすると、F1のもつエレメントは2つです。そうするとF2は4つ、F3は8つのエレメントをもつことになり、もしエレメントに物理的実体があるとするとすぐに膨大な数になって理論は破綻します。親が持つエレメントの数を常に同じ数にするためには、生殖細胞(動物の場合は精子と卵子)のエレメント数は親の半分でなければいけません。

サットンは精子形成過程において、この減数がおこなわれているのではないかと考え、顕微鏡で熱心に観察しました。皆さんも中高時代にムラサキツユクサ(図4)などで観察したことがあると思います。

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この結果図5のように精子の染色体の数は体細胞の半分で、これは精子形成過程で減数分裂という特殊な細胞分裂が行われることを示しています。親細胞と同じ娘細胞が2個できる通常の体細胞分裂と違って、減数分裂では染色体の数が半分の娘細胞が4個できることがわかりました。

このことからサットンは体細胞はメンデルの言うエレメント=染色体を2セットずつ持っており、精子は1セットづつ持っていると考えると、それまで概念的な理論であったメンデルの法則が染色体という実体をともなってうまく説明できると考えました。簡単に言えばこれがサットンの「染色体説」です。サットン自身の記述を引用しておきましょう(4より)。
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I may finally call attention to the probability that the association of paternal and maternal chromosomes in pairs and their subsequent separation during the reducing division as indicated above may constitute the physical basis of the Mendelian law of heredity.
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きちんと述べると次のようになります。

1.メンデルの言うところの”要素=エレメント”は卵や精子(花粉)のような配偶子を通じて次世代に伝達される。卵と精子には均等に要素が含まれる。

2.細胞核の構成成分のうち、染色体は細胞分裂のとき娘細胞に均等に分配される。”要素”は卵と精子が均等にもっているはずなのに、卵の細胞質は巨大で、精子の細胞質は非常に乏しいことから、細胞質ではなく核(染色体)に要素が含まれると考えられる。

3.染色体は核の中で、メンデルの考えた”要素”という考え方に沿ったかたちで、対になって存在する(相同染色体) → ”要素”は染色体の上に乗っていることが示唆される。

4.卵や精子がつくられるときは、通常対になっているはずの染色体が分離し、そのうちの一つづつがランダムに選ばれて卵や精子に受け継がれる。たとえば体細胞がAaBbCcという要素をもっているとすると、卵や精子は、ABC, ABc, AbC, Abc, aBC, aBc, abC, abc の2の3乗通りの種類が考えられる。人の場合だと23組なので2の23乗通りの卵と精子が存在する。

5.染色体の数に比べて要素の数は非常に多いので、ひとつの染色体に多数の要素が相乗りしており、これらの相乗りしている要素についてはメンデルの独立の法則は成立しないと予測できる。

これは大発見であり、サットンは生物学を担う次代のホープと期待されました。しかし生来の熱血漢である彼は、あまり薄暗い実験室で顕微鏡を覗いてばかりというような生活は、自分の性格や生きていくポリシーと合わないと考えたのでしょう。大学院時代に歴史的論文を2編発表した後、研究をやめてカンザスにもどり外科医に転業します。そして第一次世界大戦のときにはヨーロッパに渡り、フランスで兵士の治療にあたっています。サットンの面目躍如というところです。

デンマークの遺伝学者ウィルヘルム・ヨハンセンは1909年にメンデルの「エレメント」を遺伝子(gene) と呼ぶよう提唱しました。そして形質という漠然とした概念をはっきりと「遺伝子型 genotype」と「表現型 phenotype」にわけて定義しました。

ヨーロッパから帰還してまもなく、サットンは虫垂炎にかかってしまいます。そしてこの手術が失敗に終わり、わずか39年の生涯を終えることになりました。もう少し生きていれば、間違いなく1901年からはじまったノーベル賞を受賞していたと思われるので、誠に残念な悲劇でした。彼の遺骸はサットン家の立派な霊廟に眠っています。

減数分裂について、より詳しい知識や顕微鏡写真に興味がある方はサイト(6~8)を参照されることをお勧めします。

参照:

1) 細胞説:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E8%83%9E%E8%AA%AC

2) ボヴェリ:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2247478/

3) 「The birth of the cell」 by Henry Harris, Yale University Press, 1999
https://www.amazon.com/Birth-Cell-Professor-Henry-Harris/dp/0300073844/ref=mt_hardcover?_encoding=UTF8&me=#reader_0300073844

4) W. S. Sutton. "On the morphology of the choromosome group in Brachystola magna" Biological Bulletin, 4:24-39, 1902.
公開されています--- http://dev.esp.org/foundations/genetics/classical/wss-02.pdf

5) W. S. Sutton. "Chromosomes in heredity" Biological Bulletin, 4:231-251, 1903.

6) 細胞分裂と細胞周期 http://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textbook/celldiv.htm

7) ムラサキツユクサを使った減数分裂の観察 http://www.aichi-c.ed.jp/contents/rika/koutou/seibutu/se22/gensuubunretu/gensuubunretu.html

8) 走査型電子顕微鏡による減数分裂の観察: 鈴木晶子、高橋正道 香川生物(Kagawa Seibutsu)(19):53-58,1992.   閲覧できます→AN00038146_19_53.pdf

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2016年10月 4日 (火)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが36: メンデルの再発見

「メンデルの再発見」というのは科学史上の大事件ですが、「再発見」というのに少しひっかかります。昔の論文の追試をしたら、その通りの結果が出たとも言い換えられるわけで、そんな実験結果が次々と発表されたのが1900年という年だったのです。

中沢信午氏の著書「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」(1)を読むと、メンデルの論文が発表された1866年から、再発見される1900年まで、誰もがメンデルの研究を忘れていたわけではないそうです。実際メンデルの論文はスウェーデン・ロシア・ドイツ・USAの科学者達によってい引用され、ブリタニカ百科事典第9版(1881~1895)にも紹介されているそうです。

気にしていた科学者はそこそこいたのですが、きっちり検証しようとした人は少なかったということでしょう。ド・フリースはケシの花色について、メンデルを意識した実験を行いました。そうすると花色の遺伝の様式がメンデルの法則にきっちり合っていることがわかり、さらに他の多くの例を追加して、メンデルの正しさを証明しました。

普通ならド・フリースがメンデル再発見の栄誉をひとりじめできたのかもしれませんが、彼はちょっとした失敗をしてしまいます。1900年に彼は研究結果をほぼ同時にフランス語とドイツ語の論文にして発表したのですが、そのフランス語の論文にメンデルの論文が引用されていなかったのです。後の検証によって、これは編集上のミスだったとされています。家族の不幸のためにきちんと校正をやってなかったらしいです。

しかしこのフランス語の論文を読んだチェルマクとコレンスはびっくりしました(彼らのところに送られてきたのはフランス語の論文でした)。彼らもメンデルの実験の追試をやっており、メンデルの正しさを確認していましたが、コレンスは追試なので発表するほどの価値はないと思って、データをしまっていたのです。まるでド・フリースが自分でメンデルの法則を発見したかのような論文の書き方に、彼らが激怒したのは理解できます。しかもチェルマクは1898年にド・フリースを訪問しており、そのときにド・フリースがメンデルの研究を知っていることを確認していました。コレンスはあわてて論文をまとめて発表しました。チェルマクもも同じ年に論文を発表しました。このような事情によって、この3人がメンデルの再発見者ということになっています(図1)。

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メンデルの法則が動物にも適用できることをはじめて証明したのはカイコ研究の泰斗である外山亀太郎です。農学関係者は誰でも知っていることですが、意外に他分野の研究者には知られていません。若い頃は設備がなく自宅で研究していて、カイコのエサは窃盗で調達していたそうです。もうすこし設備があれば1900年までに研究が発表できて、あの3人に並んで再発見者になれたのにと悔やんでいたとのこと(1)。メンデルに関しては公益財団法人日本メンデル協会という組織があって、雑誌 Cytologia 刊行・講演会・展示会など活発に活動しています(3)。

メンデルの論文「雑種植物の研究」は、はやくも1928年に小泉丹によって翻訳されて岩波文庫で出版されています。私が持っているのは第14版ですが(図2左)、これはさすがに旧仮名遣いで読みにくいので、  岩槻 邦男 ・須原 凖平 によって再翻訳され1999年にやはり岩波文庫で再出版されました(図2右)。

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Trofim_lysenko_portraitメンデルの理論はその後染色体説などによって補強され、遺伝の原理として認められましたが、1934年にルイセンコ(図3)が獲得形質の遺伝を主軸とした反メンデル理論を発表し(4)、これがスターリンや、第二次世界大戦後もフルシチョフ、毛沢東、金日成などによって支持され、特にソ連(現ロシア)ではメンデル支持者の投獄や処刑が行われるという、まさしく焚書坑儒のような悲惨な事態を招くことになりました。

ここまでひどくはありませんでしたが、欧米や日本でもメンデルに固執する学者は守旧派で、遺伝を説明する新しい理論を求めるのが新時代の科学者という風潮はひろがっていました。これを見事に粉砕したのがワトソンとクリックによるDNAの構造解明で、これによってメンデルの正当性に分子生物学による基盤が付与されることになりました。この点については後にふれることがあると思います。

参照:

1) 「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」 中沢信午著 新日本新書 1998年刊

2) 外山亀太郎が興したカイコの遺伝学の今日的意義  嶋田透 第33回東京大学農学部公開セミナー
http://www.a.u-tokyo.ac.jp/seminar/33-yousisyu.pdf

3) 日本メンデル協会HP: http://square.umin.ac.jp/mendel/

4)こちら

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが35: メンデルの法則

メンデルは純系のエンドウマメを作成し、それらを親(ペアレント)として交配しF1(雑種第1代)を作成しました。F1は花粉と胚珠(おしべとめしべ)からそれぞれ遺伝情報を伝えられているので、両者の情報がF1でどのように発現しているかは遺伝学の超基本です。

優劣の法則とは、花粉と胚珠から伝えられた遺伝情報は、平等にF1の形質に反映されるわけではなく、どちらかが優先的に発現し、片方は隠されることになるという法則です。図1のように紫色の花のマメと白色の花のマメを交配すると、F1はすべて紫色の花のマメになります。メンデルは親はそれぞれ AA、aa という情報を持っており、これらを交配するとF1はすべて Aとa という2種類のエレメント(メンデルは遺伝情報の単位をこう呼びました)を保有することになります。このときに a は隠され、Aが優先的に発現するわけです。遺伝学ではAをドミナント(優性)、a をリセッシヴ(劣性)といいます。この場合紫色の花がドミナント、白色の花がリセッシヴということになります。

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ではAaのF1同士を交配させると、白色の花のマメはもう現れないのでしょうか。いえ実は25%の確率で現れるのです。このことを説明するのが分離の法則です。

Aとa という2種類のエレメントを持っているF1の配偶子(花粉または胚珠)はAを持つ可能性が50%、a を持つ可能性が50%としますと、これらを交配するとAA:25%、Aa(50%)、aa (25%)ということになり、白色の花のマメ(aa)が現れる確率が25%であることが説明できます(図2)。

もしF1の体内でAとa が混じり合ってしまうと、このようなことは起こりえません。すなわち a という形質はF1において隠されているだけで、そのままの状態で保管されていなければなりません。そうすればAとa がF2で分離して、紫色の花と白色の花の両者が発現することが可能となります。これが分離の法則です。

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メンデルはエンドウマメの多くの形質について、分離の法則を確認する実験を行っており、その結果はほぼF2において優性形質の発現:劣性形質の発現=3:1であることが証明されました(図3)。どうしてぴったり3:1にならないのかという疑問があるかもしれませんが、それはひとつは統計上のゆらぎであり、いまひとつはサヤにマメがほとんど含まれていない場合や小さいマメが多数含まれている場合などに、それらのデータを棄却したことが影響していると思われます。実験に関係のない要因で異常が発生したと思われるときにデータを棄却するのは妥当なことだと思います。

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最後に独立の法則ですが、これはランダムに2種類の形質に着目し、例えば(丸い種・しわの種)と(緑のさや・黄色のさや)という形質を取り上げた場合、丸い種のものは緑のさやになりやすい、あるいは黄色のさやになりやすいなどという傾向があるのか、それともランダムなのかということを検証してみたところ、図4のようにF2において両形質はお互いに影響を与えず、(丸い種・緑のさや):(丸い種・黄色のさや)黄色のバック:(しわの種・緑の種)赤い波線:(しわの種:黄色のさや)黄色のバックかつ赤い波線=9:3:3:1となることがわかりました。

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メンデルの法則は物理学の法則のように、あらゆる事象にあまねく適用できるというものではなく、むしろ一定の法則が適用される場合を選んだという意味もあるので、物理学の法則とは少し違う意味合いがあります。非常に複雑そうに見える遺伝という現象のなかに、あるシンプルな法則に従う場合があることを示したことが、以後の遺伝現象研究の突破口になったという意味で重要なのです。

むしろメンデルの法則が適用できない場合は無数にあるわけですが、それぞれなぜ適用できないかということの探求が遺伝現象の本質を解明する手がかりとなります。生物の形質はひとつの遺伝子によって決まるという場合はむしろ少なく、複数の遺伝子がからんでいる場合が普通です。その場合当然メンデルの法則は単純には適用できません。

AAとAaでは、例えばAの実体が酵素であった場合、AAはAaの2倍酵素があるという場合もあるわけで(すなわち a は酵素が活性を失った変異だとしましょう)、2倍あれば赤い花、1倍ならピンクの花ということもあり得ます。この場合優劣の法則は成立しません。また生物は染色体を複数持っていますが、同じ染色体にのっかっている遺伝子は、当然F1でもF2でも一緒に行動するわけで、独立の法則は適用できません。メンデルの時代には染色体上に遺伝子が並んでいることなどわかっていなかったわけですから、独立の法則を適用できない場合があることは説明が不可能でした。

ヒトを例にとるとメンデルの法則を単純に適用できる形質を見つける方がむしろ大変で、例えば富士びたい(優性)、耳たぶがない(劣性、図5)、舌を巻いてU字型にできる(優性)などがあり、これらはひとつの遺伝子で決定される形質と思われます。

メンデルは研究結果をブルノ自然研究会会誌第4号pp4~37(1866)に発表しました(1)。タイトルは「植物雑種の研究(Einleitende Bemerkungen)」でした。この雑誌は500部印刷され、各地の大学や図書館に配布されていて、多くの学者は簡単にみることができたはずですが、全く注目されませんでした。実はその論文は数式が頻繁に出てくるような、当時の生物学者としては見慣れない書き方だったので、多くの生物学者は理解できないと思って読むのを放棄したのではないかと考えられています。

メンデルは修道院の院長に選挙で選ばれ多忙な中で、さまざまな生物の遺伝について自分の理論があてはまるかどうか精力的に研究を続けたのですが、エンドウマメほどきれいな結果が得られず、失意のうちにその生涯を終えました。高名な作曲家であるヤナーチェクはメンデルの修道院で聖歌隊の指揮をしており、メンデルの葬式にあたっては、ヤナーチェクの指揮で荘厳なミサが行われたそうです。

1) http://www.mendelweb.org/Mendel.plain.html

全体的に参考にした文献:

「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」 中沢信午著 新日本新書 1998年刊

「コンドルは飛んでいる メンデルは跳んでいる」 こんどうしげる
http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/skondo/saibokogaku/mendel.html

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが34: 19世紀のヨーロッパ

突然ですが、話は19世紀のヨーロッパに飛びます。現代生物学の基礎を築いたのは、19世紀のヨーロッパで活躍した科学者達です。図1の5人はその中でも卓越した業績を残し人々です。

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英国のダーウィンは、生物は限られた資源を個体で争ううちに、生存に有利な変異を行った個体が子孫にその変異を伝えることによって進化がおこるという「自然選択説」を提唱し、生存中にこの理論は人々に受け入れられて、亡くなったときには国葬まで行われました。またパスツールは医学に貢献したほか、自然発生説の否定、牛乳を日持ちさせる方法の開発など社会に大きく貢献する業績があって、存命中から大変有名な科学者でした。

しかし残りの3人、ミーシャー・アルトマン・メンデルは全く無名で、論文もあまり注目されないまま亡くなりました。ダーウィンもメンデルの仕事を知っていたふしはあるのですが、獲得形質の遺伝というラマルク的な間違った理論を信奉していたくらいです。しかしDNAを発見したミーシャーとアルトマン、遺伝の理論を確立したメンデルは20世紀以降の生物学の根幹となる圧倒的に重要な業績を残したと言えます。

3人の業績について述べる前に、ここではパスツールとダーウィンに少しだけ寄り道したいと思います。パスツールの業績は多岐にわたっていますが、生物学の観点からみると、生命の自然発生説を否定したことが際立っています。生命はもちろん20億年以上前に自然発生したわけですが、19世紀の生物が自然発生するわけがありません。さすがにパスツールの時代には、ネズミがゴミ箱に自然発生するというような説は否定されていましたが、微生物は自然発生すると思われていました。パスツールはこれに反論するため、有名な「白鳥の首フラスコ」の実験を行いました(図2)。

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フラスコの中に肉汁を入れて煮沸滅菌し、そのままフラスコの口をバーナーで熱して伸ばし、図のような湾曲した細い管にします。フラスコと外界は細い管でつながっていますが、このような状況でフラスコを放置しても肉汁は腐敗しませんでした。

自然発生派は煮沸滅菌した密閉容器で腐敗が発生しないのは、腐敗菌に必要な外気が供給されないからだと言っていたわけですが、この実験によって外界との通路が確保されていても腐敗はおこらないことが証明されました。

ところが白鳥の首を根元から折ったり、一番低い部分に無菌液をいれて(この状態だと左の入り口から液に落下菌がたまる)、しばらくしてからフラスコに流入させるとたちまち腐敗が誘導されました。つまり上から落下してくる菌がフラスコの中の液にはいると腐敗することがわかりました。菌は肉汁から自然発生するのではなく、空気中から落ちてきて増殖することが判明したわけです。

これで自然発生説は否定されたように見えましたが、肉汁の代わりに干し草の抽出液をいれると、煮沸滅菌しても枯草菌が自然発生してしまいました。ティンダルは枯草菌が芽胞という耐熱性の状態になる場合があるため、煮沸滅菌しても死ななかったということを解明して、ようやくこの問題に決着がつきました(1)。現在では完全に滅菌するためにはオートクレーヴという料理で使う圧力釜のような装置を使って、120°C、2気圧で15分以上処理します。

ダーウィンの自然選択説はいろいろ修正を加えられながらも、現在ではほぼすべての生物学者に認められた考え方です。しかし例えば2016年に米国の共和党大統領候補選挙に出馬して、そこそこ人気があったテッド・クルーズなどは進化論否定論者ですし、米国では進化論と同時に「インテリジェント・デザイン説=何らかの知的な存在がすべての生物を創造した」も学校で教えなければならないという勢力が健在で、激しい論争が続いています。現在(2016年)でも米国人の1/3強は進化論を否定しています(2)。

メンデルの法則もソ連(現ロシア)などでは20世紀になってからも激しい抵抗があり、ルイセンコ(1898年~1976年)は農業技師ミチューリン(1855年~1935年)の仕事(寒いロシアに適応した栽培品種をつくる研究、寒さに晒した種子は寒さに強い品種となり、それから採れる種子も寒さに強い品種になっている)を評価し、メンデルを否定しました。つまり、獲得形質の遺伝(ラマルク説)を支持したわけです。ルイセンコは政府にとりいりメンデル支持派を粛清・シベリア送りにしました。まさか自分の理論を支持したために処刑される人がでるとは、メンデルも墓の中で腰を抜かしたことでしょう(3)。

メンデルはチェコのブルノ市郊外の農家で生まれました。彼は大変苦学してオロモウツ大学付属の哲学学校に入学し、ここで宗教・ラテン語・自然科学などの勉強をして、宗教家・科学者としての基礎を身につけました(4)。オロモウツ大学は1576年創設で、日本では織田信長の時代です。いかにチェコの学問研究の土壌が古くから培われてきていたかということがわかります。哲学学校を卒業したメンデルは、1843年にブルノ修道院に修道士見習いとして就職します。日本は江戸時代でしたが、1839年にはすでにブルノ~ウィーン間に鉄道が敷設されていました。地名とその位置については図3を参照してください。これは高速道路地図ですが、チェコの西側(ボヘミア)の中心はプラハ、東側(モラヴィア)の中心はブルノであることがよくわかります。ブルノ修道院の現況は図4に示します。

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当時の修道院は宗教の中心であるのみならず、科学技術の中心でもありました。1840年にはブルノ修道院が主催してドイツ農業技術会議という大規模な学会が開催されています。院長のナップはメンデルの優秀さを認め、修道院の植物園を管理し、ブルノ哲学学校の教授でもあったクラーツェルにつけて植物学の研究をやらせようとしました。これがメンデルの生物学者としてのキャリアのはじまりだったわけです。

クラーツェルは1848年までメンデルと共に、修道院の植物園を管理し、植物学の実験研究をやっていたそうです。しかしクラーツェルは当時チェコを支配していたウィーン政府からのチェコ独立を指導する反逆者として追放され、後に米国に渡って客死しますが、彼はダーウィンの「種の起源」を読んでいて信奉していたので、メンデルも当然影響を受けていたと思われます。つまりダーウィンはメンデルを知りませんでしたが、メンデルはダーウィンをよく知っていた可能性が高いということです。

メンデルは植物学のキャリアは積みましたが、決して優秀な修道士ではありませんでした。教員資格試験に落第し、看護師の仕事をさせると評判が悪いということで、困ったナップは彼をウィーン大学に留学させることにしました。

当時のウィーン大学は世界最高クラスの科学者が集まっていた大学で、メンデルは多くの知識や考え方を学ぶことができたのでしょう。特に植物生理学者のフランツ・ウンガーはメンデルの法則の基礎となるような考え方をすでに持っていて、メンデルに影響を与えたと思われます。またメンデルはカール・ゲルトナーの植物の交配に関する実験結果を熱心に勉強していたようです。ゲルトナーは交雑一代目は親のどちらかの性質を受け継ぎ、交雑二代目に、交雑に用いた元の植物のそれぞれの性質が現れることをすでに見いだしており、このことは後のメンデルの法則の基盤になる知見です。

メンデルはもともと記述的な生物学が得意ではなくて(だから教員資格試験に落第した)、物理学や数学が好きだったようです。ブルノに帰ったメンデルは遺伝という現象をなんとか数式で表現できないものかと考えて実験計画を練り上げました。メンデルはまず次のような仮説をたてました。

メンデルの仮説: 生物体は各種の遺伝子の組み合わせで出来ており、その組み合わせに対応して形質が発現する。この過程は何らかの数学的な法則に従う。

1)この仮説を検証するため、メンデルは遺伝的に均一な(つまり雑種ではない)エンドウマメを自家受粉を2年間繰り返して作成し、こうしてできた純系のエンドウマメを出発点として交配を行い、上記の仮説の数学的法則があるかないかを検討しました。

2)メンデルはエンドウマメの形質のなかから、解析しやすいものを慎重に選択しました。メンデルは遺伝子のはたらきが現れた表現形質の集合体が生物だと考えていました。

3)メンデルが偉大だったのは、ひとつの形質はひとつの遺伝子によって決定されるものではなく、ある遺伝子とその対立遺伝子の優劣や相互作用によって決定されると考えたことです。これはあとでわかったことですが、実際に遺伝子は多くの場合ペアとなる染色体にひとつづつ存在し、それらのはたらきによって形質が決定されます。

次回はメンデルの法則についてみていくことにしましょう。

参照:

1) こちら1

2) こちら2

3) こちら3

4) 「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」 中沢信午著 新日本新書 1998年刊

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが33: 私たち以外の人類

今回は人類の歴史について考えてみます。私たちはホモ・サピエンスという学名の1属1種の生物ですが、私たちがチンパンジーとの共通祖先から進化する過程で、多くの種が生まれては消えていったと考えられます。少なくとも数万年前までは私たちホモ・サピエンス=現生人類とは異なるホモ・ネアンデルターレンシス=ネアンデルタール人が生きていました。ネアンデルタール人が2~3万年前に絶滅して以来、人類は1属1種となりました。

スミソニアン研究所がアップしている人類系統図(1)を簡略化して示したのが図1です。これによると人類は4つのグループに大別され、私たちはホモ・グループに属するとされています。他の3つのグループは100万年前以前に絶滅したため、最近100万年の間に生きていた人類はすべてホモ・グループ(ホモ属)ということになります。

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ネアンデルタール人とわれわれ現生人類はおそらく共通の祖先を持つ近縁種だと考えられます。ネアンデルタール人の遺伝子はかなり詳しく調べられていて(2,3)、現生人類とは80万年前に分岐したとされています。分岐はアフリカで行われましたが、ネアンデルタール人の祖先は40~30万年前にアフリカを出てヨーロッパで繁栄しました。彼らの化石は主として南欧・南ドイツ・東欧の南部・中東から発掘されています。

ネアンデルタール人と現生人類の頭蓋骨を比較すると(図2)、まずネアンデルタール人の頭が前後に長いということがわかります。もうひとつは眉の部分が張り出し、眼窩上隆起を形成しているということです。このことで思い出すのはキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロック共演の映画「スピード」で、バス運転手を演じていたホーソーン・ジェイムスです。彼の顔が画面に登場したとき、「うぁネアンデルタール人じゃないか」とのけぞりました(4)。

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図3が復顔されたネアンデルタール人です(ウィキペディアより)。もちろん顔はひとそれぞれですから、こんな人もいたんだなということですが。

Photo_3_2現生人類=ホモ・サピエンスは25万年前に東アフリカで誕生したとされていますが、彼らはネアンデルタール人よりかなり遅れて10万年前くらいにヨーロッパや中東に進出したようです。

その後ネアンデルタール人と現生人類の祖先、そしてシベリアに住んでいたデニソワ人が小規模ながらも混血して、われわれ現在の現生人類が生まれたようです。デニソワ人はネアンデルタール人から分岐した人類であるとされています。

現在のメラネシア人はデニソワ人固有の遺伝子を4~6%保有していることがわかっています。また現生人類の遺伝子を持ったネアンデルタール人もロシアとモンゴルの国境付近で発見されています。

これはひとつの学説ですが、ネアンデルタール人が絶滅したのはイタリアの火山の噴火のためかもしれません。人口が激減して、サピエンスとの交配が可能なら、次第にネアンデルタール人の血が薄まってしまったと考えられます。

すなわち現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人は別種であるにしても、交配して生殖能力がある混血の子孫をつくることができたということです。あるいはこれらの人類はすべてホモ・サピエンスであり、亜種レベルでの違いとすべきであるという主張も可能です。

21世紀になってからもう1種の人類、ホモ・フローレシエンシス=フローレス人がインドネシアのフローレス島の洞窟で発見されました(図4)。当初は1万2000年前まで生きていたとされていましたが、現在では5万年くらい前まで生きていたということになっています(5、6)。考古学の世界は Nature のような雑誌に投稿された論文でも、すぐにひっくり返ってしまいます。ホモ・サピエンスがフローレス島に上陸したのが5万年前とされているので、ホモ・フローレシエンシスは現生人類=ホモ・サピエンスに滅ぼされたという可能性が高いということになりました。

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フローレス人は骨の構造が現生人類とは大きく異なるので、体が小さい(大人でも身長1mくらい)のは小人症などではなくて、ホモ・ハビリスが島嶼化によって小型化したと考えられています。島嶼化というのは、島に隔離された生物は食糧が乏しいことと、天敵がいないことで体が小さくなる傾向があるというという動物学の概念です。一方で国立科学博物館の海部陽介氏らは、ホモ・エレクトゥスの亜種であるジャワ原人がフローレス人の祖先であると主張しています(7、8)。

いずれにしてもフローレス人も洗練された石器や火を使っていたらしいので、彼らなりに独自の進化を遂げていたと思われます。フローレス人の復元像は国立科学博物館で見学できるそうです(私はまだ見ていません)。

参照:

1) http://humanorigins.si.edu/evidence/human-family-tree

2) K. Prufer et al., The complete genome sequence of a Neanderthal from the Altai Mountains. Nature  505, 43-49 (2014)

3) http://www.nytimes.com/2013/12/19/science/toe-fossil-provides-complete-neanderthal-genome.html?_r=0

4) こちら

5) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/033100119/

6) スミソニアン研究所のサイト http://humanorigins.si.edu/evidence/human-fossils/species/homo-floresiensis

7) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20130529/352350/

8) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20130530/352490/

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが32: 現代の大絶滅

800pxlacanja_burn生物学茶話では、ここのところずっと生物の歴史を俯瞰してきました。そのなかで、ほとんどの生物が死滅してしまうという危機が何度か地球に訪れたということを見てきました。代表的なのはペルム紀末と白亜紀末の大絶滅ですが、どうやら現在の私たちはそれら以上の大絶滅のまっただ中にいるようです。

現在地球上では、ひかえめにみて毎日100種を超える生物が絶滅しています。絶滅というのは、その種に属する個体がすべて死ぬということですから、半端じゃありません。例えば広島に原爆が投下されたときにも、広島市民全員が死亡したわけじゃありません。それよりも何千・何万倍もおぞましいことが毎日おこっているというのが現代です。

種が絶滅したとすると、その種に食べられていた生物が異常発生してしまったり、その種を主食としていた生物が道連れ絶滅したりする可能性があり、どんな人間にとっての不都合が発生するかは計り知れません。

Jurriaan M. De Vos博士らの試算によると、現代の種消滅速度はバックグラウンドの約1000倍で、このままいくと将来10000倍までその速度があがるそうです。

<<Estimating the normal background rate of species extinction>>
Jurriaan M. De Vos et al
Conservation Biology, Volume 29, Issue 2, pages 452-462, April 2015
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/cobi.12380/abstract;jsessionid=78F8B9C7E39C7F662636CB049B9D4E71.f02t01

生物の大絶滅によって、自然の秩序が失われ、地球の自然浄化作用も失われて、地球環境は加速度的に悪化し、私たちが住めなくなるようなひどい状態が来るのはここ100年以内の話しかもしれません。

レッドブックに記載された生物を救うことは大事ですが、最も重要なことではありません。種の異常な速度による消滅は地球環境悪化のサインであり、そのことに気がついて、その消滅速度を遅くすることが重要です。ではどうすれば、遅くできるのか?

今地球で普遍的に行われている資本主義は、投資したお金が増えて返ってくることを前提としています。すなわち生産活動の拡大が必須となります。このために人も企業も国も努力するわけです。それを阻害しようとする勢力は排除されます。これをやっている限り、森林伐採(写真 ウィキペディアより)・自然破壊・環境汚染は避けられず、地球によって人類は報復されます。その報復が「適度」なうちに気がついてやめればいいのですが、このままでは人類はきっと最後まで資本主義をやめません。結局無数の生物種を道連れにして、人類は消滅するのでしょうか?

私はCO2排出の協定なんて、極地の氷が溶けてメタンガスが出始めた今となっては意味がないとは言いませんが、手遅れの可能性が高いとおもいます。とりあえず企業の生産活動の拡大を制限する国際的ルールを定めるくらいのことはやらないとダメでしょう。

まず<<世界中すべての株式市場を閉鎖する>>ということからはじめたらどうでしょうか。これによって企業による生産活動の拡大はかなり防げると思います。これすら中国や米国の反対でできないのなら、もうお手上げです。

そうなったら、大部分の人類が滅びても自分たちだけは生き残る・・・という方策を探すしかありません。ちょっとした大雨による北海道や東北のインフラ破壊を修復するめどがたたない日本政府に、そんな芸当ができるでしょうか? ダメだろうね。要するに彼らは企業活動を拡大するために死にものぐるいになっているので、自分たちが生物大絶滅時代を加速して自殺行為を行っていることなど、全く頭の片隅にもないのです。

キーポイントはマスコミです。「景気をよくしろ」とか「株価をあげよう」とか「生産活動を拡大しよう」とかの方向でマスコミが発信している限り、資本主義という<<生産活動が拡大しないとなりたたない>>制度を廃止することはできません。これは日本だけやっても意味ないので、世界レベルでのマスコミの発信が必要になります。そのためには、まず新聞記者やTVプロデューサーと環境問題専門家による国際会議を行うことが必要でしょうね。

<<米国自然史博物館からの警告>>

NATIONAL SURVEY REVEALS BIODIVERSITY CRISIS - SCIENTIFIC EXPERTS BELIEVE WE ARE IN MIDST OF FASTEST MASS EXTINCTION IN EARTH'S HISTORY
http://web.archive.org/web/20070607101209/http://www.amnh.org/museum/press/feature/biofact.html

1)我々は生物大絶滅時代のまっただ中にいます。このことは多くの生物学者が認めていることです。

2)生物多様性の消滅によって、地球が本来もっている空気や水の自浄作用が失われることになります。

3)生物大絶滅は次の世紀における人類の生存を危うくするほどのものなのに、多くの人々はそのことに気がついていない。

<<企業活動と生物多様性>>

ネスレ社がキットカットをつくるために大規模な森林破壊を行ったことで、バッシングを受けましたが、このサイトはそれだけでなく、多方面から生物多様性について分析しています。

http://agrinext.jp/archive/tayousei/chapter1/
http://agrinext.jp/archive/tayousei/chapter1/page02.html
http://agrinext.jp/archive/tayousei/chapter1/page03.html

<<Geographic range did not confer resilience to extinction in terrestrial vertebrates at the end-Triassic crisis>>
by Alexander M. Dunhill & Matthew A. Wills
Nature Communications 6, Article number: 7980 (2015)

http://www.nature.com/articles/ncomms8980

著者たちは三畳紀末の大絶滅に注目しています。この大絶滅は火山の大噴火によって発生したのですが、最初は火山周辺の生物が絶滅しましたが、そのうち地球全体の生物が影響を受け、多くの種が失われました。このときの状況が現在と類似していると著者は警告しています。

<<ミツバチの減少は何をもたらすか >>

多くの植物は、ミツバチによって花粉を運んでもらっています。ミツバチが死滅すると、困るのは人間です。

http://matome.naver.jp/odai/2141000414380297701
http://cosmo-world.seesaa.net/article/127471528.html
http://threebirch.exblog.jp/25737158/

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2016年9月29日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが31: 古第三紀以降の生物2 サル

サル目の別称に霊長目という呼び方がありますが。これはサルを生物の頂点と考える思想が根幹にあると思われるので、ダーウィン以降の生物学者にとっては不本意な命名でしょう。つまり今生きている生物はすべて、生命の起源から命を連綿と続かせている者達で、すべて同じ長さの歴史を持っているという意味ではそれぞれ同一線上にあるという見方にたつと、霊長という名は排除すべきなのでしょう。というわけで、ここではサル目という呼称を採用します。まずサル目の進化についての分岐図(図1)を示します。

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DNAの解析などからサル目の生物は白亜紀から存在したとされていますが(図1および文献1)、実際にサルと非常に近いとされるプルガトリウス(図2、ウィキペディアより)という生物の化石が、6600万年前の白亜紀地層から発見されています。プルガトリウスは体長10cmくらいの一見トガリネズミのような生物ですが、歯の種類と配列(上下顎骨それぞれに6本の門歯、2本の犬歯、8本の小臼歯、6本の大臼歯 = 全部で44本の歯)がサルと同じなので、サル目の始祖と考えられています(2)。

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また5500万年前の地層からは、メガネザルと極めて近いサルの化石が発見されています(3、4)。この生物はオマキザル上科に属するマーモセットの特徴も兼ね備えていることから、メガネザルのグループと、ヒトなどのグループ(オマキザル・オナガザル・テナガザル・ヒト)の分岐点に位置する生物と考えられます(図1参照)。

さて図1をみると、サルはもっともおおざっぱに分けるとヒト・メガネザル系とキツネザル・ロリス系に分かれます。キツネザル・ロリス系の共通祖先は白亜紀に他のサルと分岐したと考えられています。彼らの共通祖先として、化石生物であるアダピ形類(5)が知られています。キツネザル・ロリス系のグループを曲鼻猿類と呼称することもあります。曲鼻とは鼻腔が屈曲して鼻孔が左右に離れて外側を向いていることを意味します。

キツネザルは現在マダガスカル島にしか住んでいませんが、ロリスは世界各地に分布しています。ワオキツネザルの写真を貼っておきます(図3 市川動物園で撮影)。ワオキツネザルの顔をみていると、プルガトリウスがサルからかけはなれているとも言えないような気がしてきます。

アイアイも曲鼻猿類のひとつでマダガスカル島の特産です。絶滅が危惧されていますが上野動物園の小獣館で見ることができます。完全空調でライトコントロールもされていてかなり元気です。ただし非常に暗いところで飼育されているので、写真撮影は困難です。キツネザルは競合種や天敵が少ないことから大繁栄していたようですが、人間が上陸してからは地上から追い払われ、絶滅が危惧される状態にまで追い詰められました。

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曲鼻猿類は私たちがイメージする「猿」とはやや異なる風貌をしていて、最近まで猿とはされていなかったものも含まれています。また以前はメガネザルもキツネザルやロリスのグループに入れられていましたが、最近の分子生物学的研究の成果によって、オマキザルやヒトなど真猿類に近いことが明らかになりました。

メガネザル類と私たち真猿類を合わせて直鼻類と呼称します。直鼻とは鼻腔がまっすぐで鼻孔が左右そろって前方ないし下方を向いているという意味です。曲鼻猿類・直鼻猿類ともに、分類学上は亜目ということになります。

フィリピンメガネザル(図4 ウィキペディアより)は体長わずか12cm程度の世界最小の猿です。「スターウォーズ」に出てくるヨーダのモデルといわれています。手の指が妙に人間ぽい感じです。古第三紀にはいってすぐという非常に古い時代(約6000万年前)に他の直鼻猿類と分岐したので(図1)、風貌はむしろ曲鼻猿類に似ています。夜行性です。

絶滅危惧種ですが、セブ島近郊のボホール島で観光名物にされていて、ツァーもあるようです。ただそれで得たお金で保護されているというので致し方ありません。

Photo_4再び図1をみますと、4000万年前を少し過ぎたあたりでオマキザル上科が分岐しています。新世界猿とも呼ばれるグループで、主に南米に分布します。サキ(図5 シロガオサキ フリーフォトサイト「足なり」より)、クモザル、オマキザルなどがこのグループに所属します。

オマキザル科には、マーモセット、タマリン、オマキザル、リスザルなどが所属します。特にオマキザル属のサルは、チンパンジーにも匹敵するくらい知能が高いと考えられています。道具を使ったり、絵を描いたりすることもできるそうです(6)。

ナキガオオマキザル(7)は、5才の少女(マリーナ・チャップマン)を仲間の一員として迎え、彼女に教育をほどこして共同生活をしていた記録があります(8)。この本は私も購入して読むことにしました。

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オマキザル上科と対照的にオナガザル上科のサルはアジア・アフリカに分布していて、旧世界猿とも呼ばれます。おなじみのニホンザル(図6)もオナガザルのグループに所属しています。尻尾が短いじゃないかといわれるかもしれませんが、それは彼らが北限の猿と言われているように寒い地域で生活するうちに適応したと思われます。長くてあまり使わない尻尾はしもやけになってしまうかもしれません。

オナガザルはニホンザル・マンドリル・マントヒヒなどオナガザル亜科のグループと、テングザル・キンシコウ・コロブスなどのコロブス亜科に分かれています。オナガザル上科とヒト上科(ヒト科とテナガザル科)が分岐したのが、2600万年前あたりとされています。

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最後に残ったヒト上科はテナガザル科とヒト科からなっています。ヒト上科に属するサルを類人猿と呼ぶこともあります。テナガザル科とヒト科が分岐したのは2000万年前あたりとされています(9)。テナガザルは東南アジアに棲息する樹上性・昼行性のサルで、上野動物園などで見ることができますが、野生のものは絶滅危惧種が多い状態となっています。

ヒト科の現存生物はオランウータン・ゴリラ・チンパンジー・ボノボ・ヒトです。これらの系統分岐図を図7に示します。

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オランウータンは他のヒト科グループと1300万年前くらいに分岐しました。オランウータン属はアジアに棲息するわずか2種(ボルネオオランウータンとスマトラオランウータン)からなります。ゴリラやチンパンジーと違って、手でこぶしを作って歩くナックルウォークをしません。樹上生活者ですが、地上を歩くこともあり、その時には指の腹側を地面に接触させて歩きます。

市川動物園でオランウータンの母子を観察したことがありますが、子供が段ボールをちぎって頭に乗せるという遊びを、じっと楽しむように見つめている母親が印象的でした(図8)。母子はずっと一緒にいて、とても親密な感じです(図9)。

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ゴリラはヒト・チンパンジーのグループと700万年前くらいに分岐し、現在はアフリカに子孫を残しています。以前は1種だけだと考えられていましたが、(西ローランドゴリラ+クロスリバーゴリラ)ともうひとつのグループ(東ローランドゴリラ+マウンテンゴリラ)の遺伝的差違が大きいことから2種となっているようです(ウィキペディア、10)。ゴリラは地上に降りたサルで、しかも昼行性です。地上に降りた以上、猛獣に襲われることもあり得るわけで、実際ヒョウに食べられたという例も報告されています。

チンパンジーもアフリカのみに棲息する生物で、1属2種(チンパンジーとボノボ)です。樹上生活者で昼行性ですが、ボノボはかなり地上でも活動するようです。チンパンジーがヒトから分岐したのは、ミトコンドリアDNAの全塩基配列解析から487万年前±23万年とされています(11)。言い換えれば、このときから、ヒトという属あるいは種の歴史が始まったとも言えます。600-700万年前に生きていたとされるサヘラントロプス(トゥーマイ)は、年代から言ってヒト属ではありません。むしろヒトとチンパンジーの共通祖先かもしれません。

ボノボは非常に高い知性をもっており、ヒトと最も近い生物だと言えるでしょう。何しろパックマンでちゃんと遊べるそうですから(12)。ボノボはチンパンジーとは性行動が非常に異なるようです(13)。また争いを好まない平和的な生物だそうで、この点ではヒトよりも進化しているのかもしれません。

最近何万年かの間にヒトは大発展して、現在では環境破壊によって他のサルを絶滅に追いやっているような状況ですが、それまでの時代、ヒト科の生物はマイナーな存在だったと言えます。だいたいオランウータン・ゴリラ・チンパンジ-・ヒトすべて種の数が少なすぎます。それぞれ1属1種か2種という地味さで、これでは世界各地の様々な環境に適応して、各地で繁栄するというわけにはいかないでしょう。例えばオナガザル上科の生物の方が圧倒的に種も頭数も多くて、優位に立っていたと思われます。ヒト科の生物の骨が稀少なのは、それなりに理由があるわけです。ヒトが農業や工業を発展させて大繁栄したというのは、地球の歴史の中で非常に特殊な出来事です。

参照:

1) 「系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史」 長谷川政美著 ベレ出版 (2014)

2) http://www.seibutsushi.net/blog/2007/04/204.html

3) http://www.cnn.co.jp/fringe/35033430.html

4) The oldest known primate skeleton and early haplorhine evolution. Xijun Ni et al., Nature 498, 60–64 (2013)

5) https://en.wikipedia.org/wiki/Adapiformes

6) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%82%B6%E3%83%AB%E5%B1%9E

7) https://www.youtube.com/watch?v=DFV49Ko0o3k

8) 「失われた名前 サルとともに生きた少女の真実の物語」 マリーナ・チャップマン著 宝木多万紀訳 駒草出版 (2013)

9) 「人類歴史年表」 http://www.eonet.ne.jp/~libell/sinkakeitouzu.html

10) 「ヒト科の出現 中新世におけるヒト上科の展開」 國松豊 Journal of Geography 111(6) 798-815 (2002) : https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/111/6/111_6_798/_pdf

11) https://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_c2.html

12) https://www.youtube.com/watch?v=Rh8gfIcjQNY

13) http://bbs.jinruisi.net/blog/2013/06/1147.html

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが30: 古第三紀以降の生物1 哺乳類・犬・猫

白亜紀に続く時代は古第三紀です。古第三紀は6600万年前から2300万年前までの時期です。白亜紀末におこった巨大隕石衝突による大災害で鳥類以外の恐竜は死滅し、一方で哺乳類はかなりの種が生き残りました。

やぶにらみ生物論29で、哺乳類の母乳による育児や雑食性について述べましたが、彼らが生き残った理由には、他にもペルム紀大絶滅の時と同様、穴居生活を習慣とする者がかなりいたことや、冬眠・夏眠ができる能力がある者が多かったことが決め手になったのかもしれません。また穴にもぐることと、夏眠・冬眠することとは密接に関連しています。

哺乳類や他の生物についても数千万年も経過した化石のDNAは系統進化の研究に利用できませんが、哺乳類や鳥類の場合、化石しかない絶滅生物群と違って、現在も多数の種が生きているという大きなメリットがあります。この点が古第三紀以降とそれまでの違いです。

現存生物のDNAやタンパク質を比較することによって、それらの姻戚関係の遠近が推定されますし、グループ分けも可能です。またいつそのグループが分岐したのかについても推定できます。もちろん哺乳類・鳥類以外の現存生物、魚類・昆虫・爬虫類・植物などについても同様です。

大絶滅によって鳥類以外の恐竜が絶滅したことは、生き残った哺乳類にとって望外の幸運でした。1億数千万年にわたって恐竜によって閉め出されてきた地上のニッチの大部分がフリーになったわけですから、あっという間にそれらは哺乳類、特に先進的な有胎盤類によって埋められました。樹上生活、穴居生活、夜行性などの条件付きで生きてきた哺乳類が昼間の地上を闊歩し始めたというわけです。ウィンタテリウムやピロテリウムなどの大型草食獣が草食恐竜に代わって出現しました。ネコ・イヌの祖先である肉食獣や絶滅したアンドリュウサルクスなどもいました。私たちの祖先であるサルは相変わらず樹上で生活していました。

図1の進化系統図は M.S.Springer らがまとめたものですが(1)、多くの研究者の研究成果が含まれています。普通の進化系統図と違うのは絶対時系列で分岐点が示されていることです。翻訳した上に簡略化したので、詳しい情報を得たい方は原著(1)をご覧下さい。

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ここでちょっと驚くのは霊長類がすでに白亜紀に棲息していて、しかもメガネザル・キツネザル系のグループと、それ以外のグループに分岐していたという点です。霊長類についての詳細は稿をあらためて述べたいと思いますが、白亜紀の終わり頃には、かなりバラエティーに富んだ哺乳類が棲息していたことが示されています。そしてその多くのグループが、白亜紀末の大絶滅を乗り越えて、現在まで命をつないでいるのです。

しかし数多い哺乳類のすべてにここで言及するのは無理なので、犬猫類(本稿)と人猿類(次稿)については少し詳しく、その他は簡潔に述べたいと思います。

図1によると犬と猫が意外に近縁の生物であることがわかります。彼らは第三紀にはいってかなり経過してから分岐しました。

では犬と猫の共通の祖先はどんな生物だったのでしょうか? その候補はミアキス・ヴルパヴス・ドルマーロキオンなどですが、生きた化石のような生物がマダガスカルにいます。それはフォッサです(図2 ウィキペディアより 以下同)。マダガスカルは白亜紀に大陸から分離して孤島になったので、当時の動物がそのままに近い形で生き残っていたとしても不思議ではありません。

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図2をみるとちょっと感動します。体長が60~80cmのこの動物は、容姿が犬のようでもあり、猫のようでもあります。鼻はイヌっぽい感じですね。手足が頑丈に見えます。肉食獣で、樹上に住み、夜行性だそうですが、子供は地上の穴などで育てていたようです。上野動物園で実物を見ることができます。絶滅危惧種なので、無事に生き延びることを祈りたいと思います。

白亜紀には地上はほぼ恐竜に支配されていたので、哺乳類は昼間は樹上か穴で生活し、必要なら夜に地上を徘徊してエサを探すという生活をしていたのでしょう。上野動物園の小獣館地下には、当時を想像させる小型の夜行性哺乳類が飼育されており、その薄暗がりでの敏捷性には驚かされます。フォッサの生態についてはウェブサイト(2)に動画があります。彼らがいかに上手に樹上を移動するかがよくわかります。

恐竜は基本的に2足歩行であり、4足歩行する恐竜は大型草食動物がほとんどだったため、彼らにとって樹上での生活は困難だったと思われます。鳥類は歯を失ったうえに、飛翔に最適化した軽量な体に進化したため、ある程度体重のある哺乳類なら襲われる可能性は少なかったのでしょう。子供は授乳で育てるので、親がある程度守ることができます。ミーアキャットなど集団生活をする哺乳類は、見張りをおくこともできます。

犬と猫が分岐した後、ネコの系統の方にはニムラブス科(ネコ科と近縁ですが、同じではありません)の様々な生物が登場します。ディニクティスの図を貼っておきましょう(図3 Robert Bruce Horsfall の復元 ウィキペディアより)。ヒョウのような生物です。犬歯(牙)が長いので、サーベルタイガーのようでもあります。ニムラブスとネコは耳の構造に大きな違いがあるとされています。しかしその点と犬歯の長さを除外すれば、非常に現在のネコ科の生物と似ていると言えます。

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イヌと分かれたあと、最初期のネコ科の生物にはメタイルルスというピューマのような生物がいます(3)。これははやくもサーベルタイガーのような犬歯を持っており、これが進化とともにどんどん大きくなって、一般にも良く知られているスミロドンのようになったと思われます。ただしメタイルルスがスミロドンの直接の祖先とは考えられていません。ツシマヤマネコがメタイルルスの子孫だという説はあるようです。

スミロドンの犬歯はあまりにも巨大で、却って邪魔だと思いますが、これをどのように使ったのかについては議論があって、まだ定まってないそうです。私の想像では、スミロドン系のネコは中小型のすばしっこい動物を捕らえるほどの俊敏さ、またはスピードがなく、また集団で狩りをするタイプでもなかったので、比較的大型の草食獣にいどみかかるしかなかったため、犬歯が異常に発達したのではないかと思います。

スミロドンのグループは絶滅しましたが、ネコファミリーの中でもうひとつの犬歯を巨大化させなかったグループは、現在も図4のようにトラ・ライオン・ジャガー・カラカル・オセロット・家庭猫・ヤマネコ・チータ・ピューマなど多くの種が生きています。

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さて、では最初期のイヌはどのような生物だったのでしょうか? 土屋氏の著書(4)にしたがって紹介します。最初期のイヌを代表する生物としてヘスペロキオンが知られています(図5 Robert Bruce Horsfall の復元 ウィキペディアより)。まだイヌというよりシベット猫(5)に似ています。ヘスペロキオンは後ろ足の指が5本あり、現在の飼い犬の後肢の指は4本なので、それなりに原始的な生き物ではありました。糞の化石を調べたところ齧歯類(ネズミなど)を食べていたようで、俊敏なハンターであったことが想像できます。

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とりあえずイヌ科の系統図を示しておきます(図6)。ヘスペロキオンの次に出現したレプトキオンは、どちらかといえばキツネに近い生物のように思えます(6)。しかしこの生物の仲間の子孫から、キツネ・タヌキのグループとオオカミ・イヌのグループが分岐したと考えられています。

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オオカミ・イヌのグループの中にもキツネという名前の付いた生物がいます。クルペオキツネなどはがそうですが、彼らはキツネよりひとまわり大きな体で、DNAの研究によって、キツネ・タヌキのグループではなく、オオカミ・イヌのグループに属しているとされています(図6)。図7をみると、風貌はコヨーテ(図8)に似ている感じです。

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見た目からすると、コロコロした体型で泳ぎが得意なヤブイヌと、チータのように草原を快速で疾走するタテガミオオカミが近縁だというのは意外ですが、DNAはウソをつかないのでしかたありません。ヤブイヌは埼玉こども動物自然公園やよこはまズーラシア動物園で見ることができるそうです(7)。タテガミオオカミは上野動物園にいます。先日見に行ったときは、ずっと寝ていたため本領発揮の姿はみられませんでした。残念。

参考文献とリンク先

1) M.S. Springer et al. The historical biogeography of mammalia.  Phil. Trans. R. Soc. B, vol. 366, pp.2478-2502 (2011)
2) http://www.alpacapacas.com/archives/845
3) https://www.youtube.com/watch?v=M72BwXh0Si8
4) 土屋健著 「古第三紀・新第三紀・第四紀の生物」上 技術評論社 (2016)
5) https://en.wikipedia.org/wiki/Civet
6) http://dinosaurs.about.com/od/mesozoicmammals/p/Leptocyon.htm
7) http://matome.naver.jp/odai/2142294579556745401

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2016年9月28日 (水)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが29: 白亜紀の生物4

「白亜紀の生物」の最後に、恐竜・鳥類・哺乳類以外の生物について概観したいと思います。白亜紀の海の生物の化石は、レバノンから数多く発掘されるそうです。当時のレバノンは温暖な内海で、多くの魚類やその他の海の生物が数多く暮らしていたようです。「Memory of time」 のサイト(1,2)や本のPDF(3)に、美しい化石の写真が数多く展示されています。

魚類としてはエイの仲間の軟骨魚類、バラエティに富んだ条鰭類のほか、肉鰭類の化石も出ています。キクロバティス(図1)というエイの化石が売られていました(4)。大変珍しい9500万年前のタコの化石もみつかっています(5)。白亜紀後期の超巨大なイカとタコの化石は北海道羽幌町からも出土しています(6)。オウムガイやアンモナイトも健在。

1白亜紀には浅海底の珊瑚礁が奇妙な二枚貝に駆逐されるという事件がおこりました。その二枚貝は厚歯二枚貝という動物の角のような形の不思議な貝です(7)。

海洋の大型動物としては首長竜や魚竜も健在でしたが、魚竜は白亜紀の半ばで絶滅してしまいます。代わってモササウルスという海棲爬虫類が登場します(図2)。体長15m前後の巨大生物で、凶暴な肉食生物だったようです。モササウルスは恐竜ではなく、現生生物ではオオトカゲに近縁のようです。

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恐竜全盛時代にも、ワニは堂々と水辺のテリトリーを確保していたようです。ヘビはおそらく白亜紀に誕生したと考えられています(ジュラ紀の化石がない)。カメが海洋に進出したのも白亜紀のようです(8)。空には有名な巨大翼竜のプテラノドン(図3)が飛んでいましたが、翼竜は次第に鳥類にニッチを奪われていき、白亜紀末期にはごくわずかしかいなくなっていたようです。

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ジュラ紀末期か白亜紀初期に被子植物が登場して、地球は花が咲く惑星となりました。しかしその美しい地球に、突然の悲劇がおとずれました。それは小惑星が6550万年前にユカタン半島に激突したことにはじまります。

激突したときにできたクレーターは現在でも確認できます(9,図4)。この衝突を契機として世界各地に地層の境界が確認され。それはK-T境界と呼ばれています。衝突時のエネルギーは広島型原爆の10億倍。津波の高さは300メートルという想像を絶する規模の災害で、カンブリア紀以来では2番目の規模の生物大絶滅が発生しました(最大規模はペルム紀末の大絶滅)。

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ルイス・W・アルバレツらは1980年にK-T境界(白亜紀と第三紀の境界)に、地球表層にはほとんどないイリジウムが多量に含まれていることから、小惑星の衝突による「衝突の冬」説を提唱しました(9)。

衝突地点がユカタン半島だということを発見したのは、ボホールとセイツで、1990年のことでした。この説は現在多くの研究者によって認められているそうです。この衝突地点には硫黄が多く含まれた岩石があり、衝突で粉砕されて毒や酸性雨として地球全体にふりそそいだほか、エアロゾルとして太陽光を遮断しました。

この災害によって、鳥類以外の恐竜、翼竜、首長竜、モササウルス、アンモナイト、厚歯二枚貝などは地球から姿を消しました。生き残った生物がなぜ生き残ったかというのは謎です。体重25kg以上の生物は全滅したという指摘があります。エサを多量に必要とする生物が不利だということは理解できます。

多くの被子植物はこの災害で数を減らし、一時的にシダ類に取って代わられたことからも、まず植物食の生物が餓死し、そしてそれらをエサとしていた肉食獣も餓死したのでしょう。しかし体重25kg以下の生物が無事だったわけではありません。ほとんどが小型だった哺乳類も35%の種を失いました(10)。哺乳類が生き延びたのは、その雑食性と母乳で子供を育てられたことが有利だったのかもしれません。

ワニやカメは長期間エサがなくても生きられるという特技があり、これは災害時の生存には有利だったのでしょう。実際あまりダメージは受けませんでした。また昆虫はサナギの状態のものは生き延びた上に、腐った樹木や動物の遺体を食べて生き延びた者も多かったのでしょう。一部のセミのように、十数年も地中で生活するような昆虫は圧倒的に有利だったでしょう。

翼竜は絶滅したのに、鳥類が生き延びたのはなぜでしょう? しかも鳥類の中でも、孔子鳥、エナンティオルニス、ヘスペロルニス、イクチオルニスが絶滅し、現生鳥類の祖先だけが生き延びたのはなぜでしょう? これは未解決の謎です。アイデアすらわいてきません。

海では表層ほど環境が悪かったので、特にアンモナイトなど卵が海面に浮く生物は不利だったようです(8)。石灰質の殻をもつプランクトンも大打撃を受けたため、この災害を最後に石灰質が地層に蓄積されることはなくなりました。すなわち白亜紀の終了です。

参照:

1) http://www.memoryoftime.com/home

2) http://www.memoryoftime.com/fossils

3) こちら

4) http://www.master-fossil.jp/product/detail/FILeC-0001/

5) 「白亜紀の生物」上巻 土屋健著 技術評論社 2015年刊

6) http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1503/06/news083.html

7) http://pokesplicing24.tumblr.com/post/140671560133/ommanyte-so-whilst-the-initial-pok%C3%A9mon-sun

8) 「白亜紀の生物」下巻 土屋健著 技術評論社 2015年刊

9) Alvarez LW et al.,  Extraterrestrial cause for the cretaceous-tertiary extinction. Science. 1980 Jun 6; 208(4448):1095–1108.

10) 「生命進化の物語」 Richard Southwood 著 垂水雄二訳 八坂書房 2007年刊

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが28: 白亜紀の生物3

本稿「白亜紀の生物3」では、まず哺乳類の進化についてみてみます(図1)。哺乳類は三畳紀にサイノドンから分岐したようです。まず単孔類のような生物が生まれ、その後ジュラ紀に有袋類と有胎盤類(真獣類)が出現したと考えられています。

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哺乳類(哺乳形類)の化石は今のところ2億2500万年前(三畳紀後期)に生きていたアデロバシレウスが最古とされています。アデロバシレウスはサイノドンと哺乳類の中間的な生物かも知れません。アデロバシレウスやその他の三畳紀の原始的哺乳類(哺乳形類)の復元図はすでに示しました(1)。哺乳類は単系統とされているので、私たちすべての哺乳類の祖先がアデロバシレウスかもしれません。ただ三畳紀のサイノドンは、かなり哺乳類に近い顎や耳の骨を持つように進化してきていたので、いくつかの系統から哺乳類が進化してきた可能性は残されているのではないかと私は思っています。

哺乳類の遺伝子解析によれば、単孔類と有袋類・有胎盤類が分岐したのは、2億3100万~ 2億1700万年前(三畳紀中期から後期)と推定してされています(2)。これは系統図におけるアデロバシレウスの位置決めにとっては微妙です。2つの系統がわかれる前の生物だったのか、それとも後だったのかがわかりません。専門家は哺乳形類(原始的哺乳類の意味)という枠を設けて、そこにとりあえず放り込んでいます。

単孔類に属するカモノハシとハリモグラ(図2 ウィキペディアより 以下同)はいまでもオーストラリアとパプアニューギニアに生きています。彼らは尿道・生殖道・結腸の出口が共通で、この点が有袋類や有胎盤類と異なります。カモノハシは卵生で、鳥類などと同様、親が抱卵して暖めますが、ハリモグラは繁殖期にできる育児嚢のなかに卵を産み、そこで孵化するまで育てます(2)。単孔類の母親は乳首は持っていませんが、乳腺はもっており、孵化した子は母乳によって哺育します。中生代の単孔類にはよい化石がなく、復元も困難だそうです。新生代の化石からは歯を持ったカモノハシがみつかっています(3)。

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有袋類は現在でも多数の種類がオーストラリア、パプアニューギニア、北南米に生きています。彼らは尿道・生殖道は一体ですが、肛門が分化して結腸の出口は別になりました。また胎盤をもっていないか、胎盤が未発達なため、非常に未熟な段階で子供を産み落とし、育児嚢のなかで育てることになります。内温動物でありますが、気温により保ちうる体温が変動するなど、有胎盤類や多くの鳥類に比べ、体温調節能力は低いとされています。

有袋類の中生代の化石は稀少ですが、1億2500万年前(白亜紀前期)のシノデルフィスという生物の化石が中国でみつかっています。これはかなり良い状態で、毛皮の存在までわかる全身(全長約15cm)の化石で、オポッサムのような感じです(図3)。BBCニュースの復元図です(4)。川崎悟司氏も復元図を描いています(5)。

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有胎盤類は現在主流となっている哺乳類で、ヒトももちろん含まれます。有胎盤類(真獣類)で特筆されるのは、ジュラマイアという1億6000万年前の生物の化石が見つかっているという点です。現存生物のDNAを比較すると、有袋類と有胎盤類が分岐したのは1億6000万年前くらいということですので(6)、ジュラマイヤは分岐したばかりの有胎盤類といえるでしょう。ジュラマイヤはマウスくらいの大きさの生物で、樹上生活に適した前肢の構造が認められるそうです(6、7)。昼間は安全な樹上で休み、夜間に地上で昆虫を捕食するなどの活動していたのかもしれません。

ジュラマイヤよりさらに完全な化石が2013年に中国で発掘されました(8)。これはハラミヤという、やはり1億6000万年前に生きていた、現在で言えばハタネズミのような感じの生物ですが、リスのような樹上生活をしていたと考えられています。硬い木の実を食べられるような歯をもっていました。多丘歯類(あとで登場)と近縁とも言われています。この復元図(図4)は出所不明なので、問題があれば下のコメント欄をクリックしてご指摘下さい。その際は直ちに削除します。

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同時期にやや毛色の違うカストロカウダというビーバーに似た生物も生きていました(図5)。体長約45cmで、水中で魚を補食していたと思われます。サイノドンと哺乳類の中間的な生物のようです。樹上とか河川などは恐竜があまり得意でないニッチで、われわれの祖先はそのような場所を見つけてしぶとくジュラ紀・白亜紀を生き抜いたのでしょう。

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やはり1億6000万年前の地層から、ルゴソドンという多丘歯類(齧歯類に近い)の化石もみつかっています。ラットとリスの中間的な印象ですが、雑食性の樹上生活者だったようです。くるぶしが180℃回転するという、樹上生活に適した体の構造を持っていました。この後白亜紀大絶滅も生き延びて、多丘歯類は哺乳類の中ではかなり繁栄したグループと言えます。最終的には類似した齧歯類との生存競争に敗れたと思われ、現存している種はありません。ルゴソドンについては、美しいイラストと詳しい解説が文献(9)にあります。

ジュラ紀・白亜紀に恐竜とまともにニッチを争って生きていた哺乳類は少なかったと思われますが、ゴビコノドン類(トリコノドンタ)はまさしくそのような生き方をしていたと考えられています。体長1mくらいのものもいたようで、レペノマムスは恐竜の幼体を襲って食べていた証拠もみつかっています。図6としてウィキペディアに出ていたゴビコノドンの復元図を貼っておきます。すばらしいイラストですが、耳が妙に人間的なのが気になります。

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1億2500万年前のエオマイヤの化石も美しく印象的です(図7)。全身がまるごとみられることと、明らかに体毛が化石として残っているのがすごいところです。哺乳類やサイノドンは体毛を持っていたと考えられていますが、実際に化石として残っているのは、これが今のところ最古でしょう。この生物も原始的な有胎盤類と考えられています。復元イラストは文献(10)を参照してください。ジュラマイヤが発見されるまで、この生物の化石が最古の有胎盤類でした。

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哺乳類は樹上を自分たちのニッチとして獲得したと思われるのですが、それ以外にも重要な点があります。それは彼らが夜間の行動を得意としていたことです。その名残は現在でもみられます。恐竜の末裔である鳥類は4原色の非常にカラフルな世界で生きていますが、「とり目」と言われるように多くの鳥類は夜が苦手です。一方哺乳類はほとんどの種類がモノクロに近い世界で生きていて、一部の霊長類だけが3原色の色彩世界で生きています。もともと夜行性の生物は色彩の認識は不用で、むしろ光に対する感度を高める方が重要でした(11)。

夜行性ということは、私たち哺乳類の特性と密接に結びついています。上記の目の感度上昇、耳の感度上昇、においの感度上昇、これらは脳の機能の発達と関係があります。体毛を持つ内温動物であることも、寒い夜に行動するには大きなメリットです。感覚毛(ヒゲ)の発達も、暗闇で目鼻を傷つけないため大事でしょう。

参照サイトおよび文献:

1) http://morph.way-nifty.com/grey/2016/06/post-12e9.html

2) http://www.seibutsushi.net/blog/2008/02/404.html

3) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8517/

4) http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/3311911.stm

5) http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/sinoderufisu.html

6) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4773/?ST=m_news

7) http://blogs.scientificamerican.com/observations/jurassic-mammal-moves-back-marsupial-divergence/

8) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9710/

9) http://science.sciencemag.org/content/suppl/2013/08/15/341.6147.779.DC1/Yuan-SM.pdf

10) http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/eomaia.html

11) 「恐竜vsほ乳類」NHK恐竜プロジェクト著 監修:小林快次 ダイヤモンド社(2006)

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが27: 白亜紀の生物2

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図1は私が中生代の生物に関する記事を書く上で、一番頼りにした教科書(1)の表紙です。

復元されている動物は、鳥類以外で最初に羽毛が発見された恐竜で、白亜紀前期に生きていた、体長1メートルくらいの「シノサウロプテリクス」というコエルロサウルス類の一種です。

コエルロサウルスは獣脚類の1グループで、このなかから鳥類の祖先であるマニラプトルの生物群が生まれてきました。

化石に羽毛が認められたので、当初シノサウロプテリクスは鳥だと考えられ、発見された中国では「中華竜鳥」とよばれているそうです。ちなみにシノサウロプテリクスという名前は支那の竜の翼という意味です。

長い尻尾があるとか、飛ぶための羽がないとか、歯があるとか、シノサウロプテリクスは明らかに鳥類ではありませんが、それでも羽毛だけでなく、ステゴサウルス・イグアノドン・トリケラトプス・ティラノサウルス・デイノニクスなどのスター恐竜たちとは異なり、見た目全体的に鳥っぽい感じになっていて、恐竜と鳥のミッシングリンクが埋められたという直感的な印象はあります。

シノサウロプテリクスの羽毛化石が発見されたのは1996年ですが、その後続々と羽毛恐竜の化石が発見され、ついに2014年にはロシアで鳥盤目のクリンダドロメウスの羽毛化石がみつかって、恐竜において羽毛は特定の系統の生物だけが持つものではないという考え方が一般的になりました。

鳥盤目の生物は、鳥類とは系統的に非常に離れた存在であるからです。最も原始的な羽毛はおそらく三畳紀に生まれ、ジュラ紀・白亜紀を通して、かなりの系統の生物に受け継がれ進化して、ついに飛翔の道具として使う鳥類が生まれたのでしょう。羽毛の起源や進化については私の過去記事も参照してください(2)。(2)の系統図では図2のアヴィアラエに相当するところが Paraves となっていますが、この Paraves というカテゴリーはほぼエウマニラプトルと同義と考えてよいと思います。

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さて図2はコエルロサウリア→マニラプトラ→エウマニラプトラと進化してきた系統が、ついに広義の鳥類であるアヴィアラエを生み出してから、現生鳥類へつながっていく系統図です。

アヴィアラエの根元に近い生物がアーケオプテリクス(始祖鳥)です(図3)。アーケオプテリクスはジュラ紀後期の地層から発見され、現在では多数の標本が発掘されています。長い尾を含めて50cmくらいの体長で、第1指が他の指と対向していないので、枝に止まるという行動は苦手で、地上を走って勢いをつけてから飛翔していたと思われます。写真で判るように羽にはまだ指があり、歯ももっていることがわかっています。

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アーケオプテリクスは今まで述べてきた羽毛恐竜とは異なり、羽毛を体温保持のためだけでなく、空を飛ぶために使用していたと思われます。それは彼らが現在の鳥類が持っているのと同様な羽軸に対して非対称な羽毛を持っているからです。保温のためだけなら、このような特殊な羽毛は必要ありません。アーケオプテリクスだけでなく、アヴィアラエに属する生物は一般にこの種の特殊な羽毛を持っています(2)。なぜと言われると、それを説明するには、流体力学などについての深い知識が必要なので、私にはできません。

白亜紀前期になるとコンフシウソルニス(孔子鳥)が登場します。ブリタニカが美しいイラストをのせています(3)。サイズはカラスくらいの生物で、羽にはまだかぎ爪がみられますが、歯は失っており、尾骨の萎縮もはじまっています。ブリタニカのイラストでは、第1指は他の指と対向していて木の枝に留まれそうですが、羽ばたくだけで静止位置から飛翔することはできなかった考えられています。

孔子鳥はくちばしを獲得した最も古い鳥類ですが、口からくちばしへの進化は何度も繰り返し行われており(たとえば鳥盤類・カモノハシ・イルカなど)、遺伝子の変化に一定のパターンがあると思われます。くちばしから口へはもどれないようです。多分歯を形成するための遺伝子が失われるからでしょう。鳥は手を失った代償として、口をくちばしに代えて、獲物をつかまずに丸呑みし砂嚢ですりつぶすという方式にするほかなかったのでしょう。

しかし鳥類のメインストリームは孔子鳥のグループではなく、分岐したオルニソソラセス(鳥胸類)です。オルニソソラセスは2つの大きなグループ、エナンティオルニテス(エナンティオルニス、反鳥類などの呼び方もある)とオルニスラエ(真鳥類)に分岐します。エナンティオルニテスに属する鳥の復元図がウィキペディアにありましたので、貼っておきます(図4)。

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ジュラ紀から白亜紀に多くの種類が存在し、サイズ的にはスズメからカモメくらいのものまでいたようです。このグループは第1指が他の指と反対向きについているので、容易に木の枝に留まることができたと考えられています。また翼を完全に体にくっつけてたためるようになりました。

オルニスラエとの違いは見た目にはよくわかりませんが、ウィキペディアによると「肩甲骨と烏口骨の関節面において烏口骨側が瘤状に突出し、肩甲骨側が皿状に窪んでいることーを指している。現生の鳥類ではこの凹凸の組み合わせが逆になっている」となっています。まだ歯がある種が多かったようです。食性は多種多様だったようです。白亜紀末の大絶滅によりエナンティオルニスは絶滅し、オルニスラエは生き延びたわけですから、もっと大きな違いがあってもよさそうですが謎はつきないのです。

そして鳥類の最後にオルニスラエ(真鳥類)が登場するわけですが、図2にヘスペロルニスという名前があります。これは真鳥類なのに。まだ歯を捨てていないグループで、骨格図を示します(図5)。

Photo_4この Hesperornis regalis という種は体高が1.8メートルもある、巨大なペンギンのような生物で、白亜紀後期に生存し、主に海にもぐって魚をとっていたと考えられています。

とはいってもペンギンの祖先ではなく、白亜紀末に絶滅しました。

より現生鳥類に近いイクチオルニスは鳩くらいのサイズで、やはり白亜紀後期に生存し、アジサシのように海中にダイヴして魚を捕っていたと考えられています。イクチオルニスも歯を持っていました(図6)。イクチオルニスの子孫も現在みつかっていません。結局生き残ったのは現生鳥類のグループのみということです。

現生鳥類はすでに白亜紀に、シギ・ダチョウ・カモ・キジなどある程度分岐したグループをつくっていたようです。ならばそれらは白亜紀末大絶滅を生き残ったのに、どうしてイクチオルニスも、ヘスペロルニスも、エナンティオルニテスも、孔子鳥も絶滅してしまったのでしょう? それはまだ誰も答えられません。

Photo_5白亜紀を2で終わらせるつもりだったのですが、全然終わりませんでした。

まだ哺乳類について何も述べていません。稿を改めて3で述べることにします。さらにその他の生物や大絶滅について言及すると4まで膨張しそうです。

白亜紀の生物2(鳥類スペシャル)の終わりに、現生鳥類の代表として、うちにくるヒヨドリ=ジョージ2世の写真を貼っておきます。

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参照:

1) 「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 Fastovsky, Weishampel 著 東京化学同人 2015年刊
2) http://morph.way-nifty.com/grey/2014/04/post-fcbc.html
3) https://global.britannica.com/animal/Confuciusornis

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが26: 白亜紀の生物1

ジュラ紀につづく白亜紀(Cretaceous period)は1億4500万年前から6600万年前までの時代です。ジュラ紀と白亜紀の境界には絶滅などのイベントはありません。この時代に有孔虫・サンゴ・貝類などが繁栄して、彼らが残した石灰石のために地層の色が白くなって、このような名前が付けられました。この時代にパンゲア大陸はさらに細かく分裂し、現在とほぼ同じ大陸が形成されました。気候が比較的安定していた上に、大陸が海で隔てられたことにより、生物の多様化が進行しました。生物にとって住みやすい時代だったと言えますが、それは総論であって、個体にとっては油断するとあっという間に他の動物のエサになってしまうという危険な時代でもありました。

生存競争を勝ち抜いて、地上を制覇したのは爬虫類であり、とりわけ竜盤類と鳥盤類が目立つ存在となりました。竜盤類のなかでも竜脚類は巨大な草食生物となり、獣脚類は雑食または肉食生物の道を歩むことになりました。一方鳥盤類は基本的に草食生物ですが、特異な武器や防具を進化で獲得し、獣脚類に対抗しました。

鳥盤類の系譜は図1のようになります。ただしこれはもちろんファイナルバージョンではなく、研究者の意見も異なりますし、数年後には科学の進展に伴って改良された分岐図が発表になるかもしれません。

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ピサノサウルスは三畳紀の最初期の鳥盤類とされていますが、骨格は部分的にしか発掘されていません。レソトサウルスはジュラ紀初期の鳥盤類で、植物食で2足歩行を行っていたようです。体長は1mくらい、体高は40cmくらいです。白亜紀には分岐図右下の鳥脚類がメインとなりました。鳥脚類を代表する恐竜イグアノドン(図2 ウィキペディアより 特に断らない限り以下同)は、19世紀から化石が発掘され、古くから研究されています。体長7~9mの巨大な4足歩行の植物食の恐竜で、巨大竜脚類と同様な生き方をめざしていたようです。竜脚類のような長い首はありませんが、歯は竜脚類より優秀な、すりつぶしに適した臼歯を多数持っていました。

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また周飾頭類を代表するトリケラトプス(図3)も白亜紀を生きた恐竜としては有名です。イグアノドンと同じくらいの大きさの4足歩行植物食恐竜ですが、大きく異なるのは顔面に巨大な角があることと、顔の周りにフリルがついていることです。角は人間で言えば鼻の頭と眉毛の部分に計3本あって、トリケラトプスの名前の由来となっています。この武器は肉食獣脚類と戦うのに十分役に立ったでしょう。フリルも防具として役だったと思います。

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さてもう片方のグループ竜盤類です。竜盤類は主に竜脚形類と獣脚類からなります。竜脚形類についてはジュラ紀のところで説明したので、ここでは獣脚類について述べますが、まず分岐図(図4)を見て下さい。初期の獣脚類の例として、三畳紀のコエロフィシスがよく研究されています(図5)。米国ニューメキシコのゴーストランチで大量の化石が発見され、彼らは群れで暮らしていたことがわかりました。この写真は親が子に1本の骨を与えているところのようで、彼らの社会性を強調するディスプレイでしょう。

コエロフィシスは完全2足歩行で(すなわち手が存在する)、手足の指は4本ずつあり、獣脚類を特徴付ける中空の部分がある脊椎骨と四肢骨を持っていました。すでに三畳紀において獣脚類の基本は確立されていたわけです。しかもこれらの特徴は、現在の鳥類にも受け継がれています。

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獣脚類の特徴として、後肢が体の真下についていて、まっすぐ前に踏み出せたということがあります。ファッションモデルの歩行のように、足跡が1直線になっている化石もあります。現在の鳥類にもこのような歩き方をするものは少なくありません。このような特徴によって、他の爬虫類より足が速いというアドバンテージを得ることができました。

図4を見ていただくと、コエロフィシスらと分かれてテタヌラエというグループがあり、その根元の分岐にスピノサウルスという名前があります。スピノサウルスは白亜紀に棲息した獣脚類ですが、かなりユニークで特筆すべき生物です。まずその大きさですが、なんと体長が15~17mもある、ティラノサウルス以上の巨大な肉食生物で、私も国立科学博物館で全身骨格をみて驚きました(図6)。

水中で獲物をとるワニのような生き方をしていたと考えられています。また背中に「帆」を持っていました。多くの獣脚類が羽毛をもっていたと考えられていますが、スピノサウルスの場合水中では羽毛は役立たないので、帆を進化的に獲得したものと思われます。あるいは、このような巨大生物の場合、温暖な環境で激しく動くと体温が上昇しやすく、熱を逃がすことが必要で、帆はラジエーターの役割を果たしていたのかもしれません。いずれにしてもスピノサウルスは完全な内温動物ではなかったと思われます。

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スピノサウルスなどと分岐したアヴェロポーダというグループが獣脚類のメインストリームです。コエルロサウリアに属する白亜紀の小型恐竜シノサウロプテリクス(図7 幕張メッセにて撮影)は、恐竜としてはじめて羽毛の化石が見つかった生物で有名です。それは1996年のことですから、そんなに古い話ではありません。

その後化石にメラノソームが含まれることがわかったり、メラニンの化学分析などがすすんで、図7の毛色には多少の科学的根拠があります。獣脚類は一般に肉食と言われていますが、ティラノサウルスやマニラプトルを分岐する前のコエルロサウリアは植物食だったそうです(1)。マニラプトルがすべて肉食だったわけでもないようです。

またシノサウロプテリクス以来、続々と羽毛の化石が発見され、コエルロサウリアやその子孫は一般的に羽毛恐竜であったと考えられています。私が2012年に幕張メッセでシノサウロプテリクスを見たときに書いた記事がありますので、参照して戴ければ幸いです(2)。シノサウロプテリクスの羽毛の化石を再掲しておきます(図8)。この過去記事の分岐図(2)と、ここで示した分岐図(図4)には違いがありますが、どちらが正しいかは今後の研究をまたなければなりません。

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コエルロサウルスの仲間から進化した生物の中に、最も有名な恐竜であるティラノサウルス(またはティランノサウルス 図9)がいます。スピノサウルスには及びませんが、体長は11~13mの巨大なハンターで、白亜紀後期における百獣の王に相当する生物であったことは間違いないでしょう。進化の系譜からみてティラノサウルスも羽毛を持っていたと考えられています。ただし巨体だったので、生体には無用の長物で幼体だけにあったという説もあります。白亜紀前期の地層からティラノサウルスをそのまま小型にしたようなラプトレックスも発掘されています。手が小さくて指が2本、頭が巨大というようなティラノサウルスらしい特徴を持っていました。

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ティラノサウルスが優秀なハンターだったかどうかについては意見が分かれていて、極端な例ではその走行速度は時速4kmだったという人もいます(3)。体が巨大なので、2本足で速く走るには物凄い量の筋肉が必要だそうです。それに彼らはハンターとしては異常に幅広く巨大な歯を持っていて、しかも3t~8tの異常に強力な噛み砕く力も持っていた事が知られています。しかも手にはエサを切り裂くような構造がありません。このことから、彼らはひからびてコチコチになった屍体を噛み砕いて食べていたのではないかと推測する人もいます(3)。

最近の研究によると、ティラノサウルスの仲間は知能は低いが、聴覚・嗅覚・視覚は優れていたとされています(3)。私の想像では、彼らは巨大草食恐竜のコロニーを襲って、幼体をエサにしていたのではないかと思います。獲物の親は鈍足なので、逃げる際に特に速く走る必要もありません。ただし尾によるムチ攻撃は避ける必要があります。そのためには就寝中に襲い、大きな口と歯で一気に幼体の息の根を止めて屍体をくわえて逃げれば、それほどリスクを背負わずに食事ができたのではないでしょうか。同じコロニーを何度も襲うのはリスクが大きいので、草原をさまよい、鋭い聴覚・嗅覚・視覚でコロニーを探知して新たな獲物をさがす毎日だったのでしょう。もちろん他の肉食動物が食べ残した骨をかじって飢えをしのいだこともあったのでしょう。

中にはティラノサウルスは時速50kmで走ることが可能だったと言っている人もいて、まだまだティラノサウルスの謎は未解決です。

ティラノサウルスの化石の中に、生化学的に解析可能なコラーゲンが残っていたらしく、アミノ酸配列を解析した研究者がいて、彼らによるとそれがニワトリとよく似ていたと報告しています(4)。しかし解析した領域が少ないことから異論も多く、まだ賛同者は多くはありません。DNAを解析すればいいのではないかと思いますが、さすがにこれだけ古い時代のDNAは信頼できる形で残ってはいません。あるとすれば、ジュラシックパークでやっていたように、恐竜の血を吸った蚊がコハクに閉じ込められたのをみつけるとか、かなり特殊な方法でないと解析はできません。

コエルロサウルス類の子孫の中で、ジュラ紀に上記のティラノサウルス類という巨大肉食恐竜に進むグループとは別の道を選んだグループがマニラプトラです。マニラプトラはティラノサウルスとは逆に、小型の体型で雑食性の生き方を選びました。ジュラ紀の生物2(5)で示したアンキオルニスはマニラプトラの基部に近い生物のひとつだと思われます。マニラプトラはオヴィラプトラとエウマニラプトラに分岐します。オヴィラプトラを代表するオヴィラプトルは体長2mくらいの生物ですが、抱卵している状態の化石がみつかっており、しかもその卵にはヒナが認められることから、現在の鳥類と同様卵を温めて孵化させていたと考えられています。そのためには彼らは当然内温動物だったということになります。しかし彼らは鳥類の直系の祖先ではなく、もう一つの分岐であるエウマニラプトラが鳥類の直系の祖先です。

図4の分岐図を見ていただくと、エウマニラプトラはふたつのグループに分岐し(おそらくジュラ紀に分岐したと思われます)、片方はトロオドン・ドロマエオサウルス・デイノニクスらのグループ、もう片方は現在も繁栄している鳥類のグループです。前者を代表する生物のひとつがデイノニクス(ドロマエオサウルスと近縁)です。私が幕張メッセで撮影したパネルの写真を貼っておきます(図10)。上は羽毛恐竜説が一般的になる前の復元で、下が現在の復元です。デイノニクスは白亜紀前期に生きた体長2.5~4mの中型恐竜ですが、時速50kmで走ることができたと考えられています。デイノニクスと近縁で白亜紀後期の生物にヴェロキラプトルというのがいて、ジュラシックパークにも登場しますが、実は映画でヴェロキラプトルという名で登場する生物のモデルはデイノニクスです。

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2009年に中国のジュラ紀の地層から風切羽をもつトロオドン類の生物が発掘されました。このことはエウマニラプトラがふたつのグループに分岐した頃から、一部の生物は風切羽を持っていて、滑空・飛翔の方向に進化し始めていたことが示唆されます。図11は白亜紀前期のトロオドンの一種(ジンフェンゴプテリクス)ですが、きわめて鳥類に近いことがわかります。このような絵をみると、素人目には分岐図においてトロオドン類をもっとアーケオプテリクスに近い位置にしたほうがよいのではないかと思いますが、さてどうなのでしょうか。最後に残った鳥類の進化、そして哺乳類については次稿にしたいと思います。

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参照:

1) こちら

2) http://morph.way-nifty.com/grey/2014/04/post-fcbc.html

3) 「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 Fastovsky, Weishampel 著 東京化学同人 2015年刊

4) http://news.nationalgeographic.com/news/2008/04/080424-trex-mastodon_2.html

5) http://morph.way-nifty.com/grey/2016/07/post-6720.html

分岐図は文献3)を参考にして作成しました。

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2016年9月24日 (土)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが25: ジュラ紀の生物2

地球史の中での生物多様性の推移を示した図1(ウィキペディアより)を見てください。カンブリア紀・オルドビス紀に順調に増加していた生物多様性が、デボン紀(矢印A)から三畳紀(矢印B)の2億年弱の間、徐々に低下しています。しかしジュラ紀にはいると反転して上昇をはじめています。これは生物が住む環境が豊かになったことを意味していると考えられます。

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ジュラ紀・白亜紀の豊かな環境の中で、地上で最も繁栄したのが竜盤類(竜盤目)です。鳥盤類と竜盤類が分岐したのは三畳紀と考えられ、その後図2(管理人作成)に示すように、原始的な竜盤類から獣脚類のグループと、竜脚類・古竜脚類(まとめて竜脚形類)のグループに分かれました。

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竜盤類の中で最も鳥盤類との分岐点に近い生物は、今のところテコドントサウルス(図3 ウィキペディアより 以下同)が第一候補でしょう。竜脚形類に所属します。彼らは三畳紀に生きていた体長2m程度の小型恐竜です。初期の鳥盤類と似ています。三畳紀に生きていた恐竜では、プラテオサウルスもよく知られています。

ひとつ問題があって、それはテコドントサウルスもプラテオサウルスも後ろ足の指が4本で、5本の指を持つ竜脚類とは直接つながらないということです。そういうわけで、これらはとりあえず古竜脚類として別枠におさめられています。またエオラプトルも以前は獣脚類に近いとされていましたが、竜脚形類のグループに属するのではないかとも言われています。竜盤類や竜脚形類のルーツについては、まだまだ議論の余地があります。

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哺乳類が肺の拡張や横隔膜収縮、すなわち胸郭周囲の筋肉による呼吸を発達させたのに対して、鳥類は気道に気嚢というポンプを設置し、空気の吸い込みと押し出しを複数のポンプによって効率化していることが知られています。鳥類の祖先である竜盤類も気嚢システムを持っていたのではないかと推測されていて、多少の証拠もあります(1,2)。

鳥類の直接の祖先である獣脚類はもちろんですが、竜脚類は巨大化した種が多かったので、体温が上がりすぎるのを防ぐためのラジエーターとしてや、また重すぎる骨の重量を軽くするための空洞として利用するなど、より切実に気嚢システムが必要だったのではないかと思われます。空を飛ぶ鳥は、竜脚類とは別の理由で体重を軽くするために骨を空洞化して、気嚢システムの一部として利用しています。鳥類の呼吸システムは哺乳類より優秀で、標高1500メートル(ほぼジュラ紀の酸素濃度)ではほぼ2倍の効率で酸素をとりこめるそうです(4)。鳥類の中にはヒマラヤ山脈を越えて渡りをする者もいるので、呼吸システムの優秀さは哺乳類をはるかに凌駕しています。

恐竜の中で、竜脚類(科と目の中間の分類群)は基本的に植物食です。ジュラ紀のはじめ頃に生きていた原始的な竜脚類としてヴルカノドン(図4)があげられます。背中が人の身長くらいの控えめなサイズの竜脚類です。後ろ足の指は5本で、ヒトと似ています。ジュラ紀も中盤以降になると、やはり原始的なタイプであるマメンキサウルスなども巨大化してきます。

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新しいタイプの竜脚類であるディプロドクス(図5)やアパトサウルス(図6)も登場します。これらは全長20メートル以上の巨大草食恐竜です。キリンのように高い位置の葉を食べるために首が長くなったという説もありますが、そのためには血圧を非常に高く上げる必要があり、現実的ではないという説が有力です。足は動かさず、首だけ動かして食事するほうが省エネだからというのが新しい考え方のようです。

ただこれだけ巨大になったのは、やはり肉食の獣脚類に食べられないためだったのでしょう。長いしっぽはムチとして使えば、かなり強力な武器になったと思われます。草食恐竜はいくら巨大化したといっても、子供の時代はあるわけで、集団生活で子供を守ることはマストだったのではないでしょうか。

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獣脚類は三畳紀のヘレラサウルスなどが根元にあたる系統のグループで、多くの種は肉食で2足歩行でした。ジュラ紀になって草食恐竜が巨大化するにしたがって、肉食恐竜も巨大化せざるを得なくなりました。ジュラ紀の獣脚類を代表するのは、やはり当時の食物連鎖の頂点に君臨していたと思われるアロサウルス(図7)でしょう。全長は8.5mくらいの凶暴な肉食獣で、後足は5本指ですが1本は地面につきません。前足はかぎ爪つきの3本指で、2足歩行をしていたため、ほぼ手として使っていたのでしょう。ディロフォサウルスやケラトサウルスもジュラ紀を代表する獣脚類です。

今のところはアロサウルスは図7のような復元になっていますが、鳥盤類のクリンダドロメウスが羽毛を持っていたことから、ひょっとすると彼らも羽毛を持っていたかもしれません。それが証明されれば、かなりイメージチェンジされた復元がなされなければならないことになります。

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1990年以降、中国の遼寧省から発掘される獣脚類の化石の中に羽毛の痕跡が残っているものが多数あることがわかって、獣脚類が羽毛を持っていたことは動かしがたい事実となりました。すでにジュラ紀にして、ニワトリと見まがうようなアンキオルニス(図8)という獣脚類が現れました。色素タンパク質も調べられていて、体はほぼモノクロですがトサカが茶系統だったことが示唆されています(5)。始祖鳥も出現しました。白亜紀にはこれらの仲間から、鳥類への進化を行う系統のグループが出現します。

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空飛ぶ爬虫類の翼竜も健在で、ダーウィノプテルスというダーウィンの名前が付いた種の形態が注目されました。彼らは三畳紀の頭が小さく尾が長い翼竜と白亜紀の頭が大きく尾が短い翼竜の中間的な形態をとっており、まさしく進化の道筋をリンクさせる存在です。

哺乳類も恐竜の陰に隠れて、さまざまな進化を遂げて生き延びていました。ビーバーのように水かきや平たい尾をもつカストロカウダや、モモンガのように滑空するヴィラティコテリウムなどが知られています(6)。さらに中国遼寧省の1億6000万年前の地層から、真獣類(発達した胎盤をもつ)の化石もみつかっています。体長5cm~10cmの小さな生物でジュラマイア(図9)と名付けられました。

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さて陸から離れて海をみると、まず三畳紀にひきつづいて魚竜が繁栄していました。ステノプテリギウス(図10)は全長4m弱であり、イルカとそっくりな形態で、出産途中の化石が発見されたことから胎生であるとされています。首長竜もプレシオサウルス(図11)などが健在でした。ネッシーのモデルになった動物ではないでしょうか(7)。魚類も健在で、条鰭類のリードシクティスは体長8.9m~16.5mの巨大な魚でした(6)。

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1) http://dinosaur-fan.net/naruhodo/news/29/

2) http://www.dino-paradise.com/news/2013/07/a-new-sauropod-dinosaur-from-the-early-cretaceous-oftunisia-with-extreme-avian-like-pneumatization.html

3) http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0608/dinosaur.html

4) 「恐竜はなぜ鳥に進化したか」 ピーター・D・ウォード著 文藝春秋社刊 2008年 p.264

5) Li, Q. et al (2010). "Plumage color patterns of an extinct dinosaur". Science 327, No.5971, pp.1369–1372.

6) 「ジュラ紀の生物」 土屋健著 技術評論社 (2015)

7) https://www.youtube.com/watch?v=c2A4_Leh67A


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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが24: ジュラ紀の生物1

三畳紀末の大絶滅を経て、時代はジュラ紀(2億年前~1億4500万年前)に突入します。三畳紀には唯一の超大陸だったパンゲアが、この時代に北部のローラシア大陸(中国・ロシア・欧州)と南部のゴンドワナ大陸(南北アメリカ・アフリカ・オーストラリア・南極)に分裂しました。これによって赤道付近の海流が両大陸のまわりに流れるようになって、海洋性の温暖な地域が増えました。動植物にとっては生活しやすい気候になりました。ただ酸素濃度は三畳紀後期のどん底にくらべれば改善されたとは言え15%弱くらいの低濃度だったようです。

三畳紀に地上の覇権を競っていたクルロタルシ、サイノドン、オルニソディラですが、三畳紀末の大絶滅によって、クルロタルシはワニ類などごく一部のグループみが生き残って地上の覇権は放棄しました。またサイノドンもそのひとつのバリエーションである哺乳類やトリティロドンなどのごく1部を残して絶滅し、生き延びたサイノドンの子孫たちは、覇権を狙わない目立たない生物としてジュラ紀を生き延びました。そしてジュラ紀はオルニソディラが地上の主役となりました。

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ジュラ紀に繁栄したオルニソディラの系譜を図1に示します。それまで空は昆虫の独壇場だったのですが、ついに翼竜という脊椎動物が参入してきました。彼らは三畳紀に恐竜の祖先と分岐し、独自の進化を行って三畳紀末の大絶滅を乗り切り、ジュラ紀に繁栄しました。空を飛べるというのは、エサをみつけるには圧倒的なアドバンテージがあります。彼らは第4指と足の間に皮膚の膜をはって(もちろん羽毛ではない)翼をつくり飛翔しました。現存の哺乳類であるコウモリのような方法で空を飛んだわけですが、コウモリほど1~3指は退化していなかったので(第5指は退化)、4足歩行もできたようです。

ジュラ紀の翼竜を代表してプテロダクティルスを図2(ウィキペディアより)に示します。4足歩行しているイラストです。翼を全開したときの幅は種によって異なり、25cm~2.5mくらいの幅があります。彼らはまだ確定的ではないものの、なんらかの毛を持つ内温動物であったと考えられています。浜辺でゴカイなどをあさったり、魚を捕らえて食べたりしていたようです。

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翼竜を分岐したあとのオルニソディラは、鳥盤類(鳥盤目)と竜盤類(竜盤目)からなる恐竜に進化しました。鳥盤類の起源については、恐竜学の教科書(1)によると、竜盤類から分岐したのではなく、鳥盤類・竜盤類ともに派生的であり、どちらが先に生まれたのかはわからないとしています。

鳥盤類と竜盤類は図3のような骨盤の構造の違いによって分類されています。すなわち鳥盤類では恥骨の一部が座骨に寄り添って平行に後ろに伸びているのに対して、竜盤類では恥骨と座骨は別方向を向いています。このほか鳥盤類は前歯骨という下あごの前端の骨を持っているという特徴があります。恥骨が後ろに追いやられることによって、大きな胃とか長い腸を収める場所ができるという利点があります。植物を消化するには有用です。前歯骨はくちばしをサポートしており、このグループがくちばしのような構造を持っていたことと関係があります。

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昨年国立科学博物館でクリンダドロメウスの骨格と復元を見ることができました(2、図4管理人が撮影)。クリンダドロメウスは全長1.5mほどのジュラ紀を生きた鳥盤類ですが、なんと羽毛を持っていました。羽毛は竜盤類から鳥類へ受け継がれたものと私は理解していたので、これはショックでした。このことは三畳紀に生きていた鳥盤類・竜盤類の共通の祖先が、すでに羽毛を発明していたことを暗示します。単弓類のサイノドンが体毛を獲得していたのと同時期に、双弓類も羽毛を獲得していたのかもしれません。それだけ三畳紀が内温性を必要としていた時代だったのかもしれません。

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鳥盤類は恐竜の大スターであるステゴサウルスを生み出しました(図5 ウィキペディアより)。ステゴサウルスはジュラ紀から白亜紀にかけて生きていた体長7mくらいの草食恐竜です。彼らは背中にたくさんの板をしょっていますが、これらはどんな役割を果たしたのでしょうか? 

林昭次氏は国立科学博物館や世界各地の博物館にある実物を切断するという快挙をなしとげ(3)、この板に血管ネットワークがはりめぐらされていて、体温調節に役立ったことを示唆しました。これはペルム紀の盤竜類と同じで、彼らが少なくとも完全な内温性を獲得していなかったことを示唆しています。また中身がスカスカであることや倒れないことから、アーマー(防具)としては役立たないことがわかりました。また思春期に急激に大きくなることから異性へのディスプレイである可能性も指摘しています。

しっぽにある4本のスパイクは、肉食獣との戦闘に役立ったようです。数年前に幕張で恐竜展をやっていたとき、背骨にこのスパイクがささったあとがある肉食恐竜の骨がディスプレイされていました。

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もう1種鳥盤類の動物を紹介します。やはりジュラ紀に棲息していたフルイタデンス(図6 ウィキペディアより)です。多くの鳥盤類が植物食であるなかで、このグループは雑食性だったと考えられています。中型犬くらいのサイズで、鳥盤類の中では最小クラスでした。ちいさなサイズの内温性動物は、大きなサイズの動物にくらべて熱を失いやすいので、ハイカロリーな食事を必要とします。

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鳥盤類はジュラ紀から白亜紀にかけて多くの種類を繁栄させましたが、白亜紀最後の大絶滅によって世界から消え去り、現在では化石でしかみることができません。鳥盤類はくちばしをもっているなど、現在の鳥類に似た点もありましたが、鳥類は彼らが生み出したものではなく、もうひとつの恐竜のグループである竜盤類が生み出したものです。竜盤類などについては次回に解説します。

1)「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 Fastovsky, Weishampel 著 東京化学同人 2015年刊

2) http://morph.way-nifty.com/grey/2016/04/post-d6d5.html

3) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20141003/418474/?P=5

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが23: 三畳紀の生物2

ペルム紀に出現したとされるサイノドンはP-T境界を乗り越えて、三畳紀に命をつなぎました。三畳紀が始まった頃は砂漠のような場所が多く、酸素濃度も15%以下に低下するなど、非常に厳しい環境で生きなければいけませんでした。彼らはリストロサウルスのようにもっぱら省エネ(穴居と長期睡眠)で生きるという徹底的に消極的な作戦ではなく、やや積極的な進化戦略を実行しました。それは、1)横隔膜を使う呼吸法の獲得・・・これによって積極的に空気を出し入れして呼吸が楽になりましたが、腹部の肋骨という内臓を防御する道具を捨てなければなりませんでした。

次に、2)トカゲやワニのように足を横に張り出して体をクネクネとひねりながら歩く方法だと、ひねるたびに肺が圧迫されて呼吸が妨害されます。腕立て伏せをしながら歩いている感じなので、体重を支えるのが大変でもあります。これを避けるために、サイノドン達は足をなるべく体の下にまっすぐつけて、前後に動かすだけて移動するという方法を採用しました。このことは歩行のスピードを上げるにも有効です。体をくねらせて移動するというのは、カンブリア紀以来魚類が獲得してきた遊泳技術に基づくものであり、地上の歩行には適さない方法です。

3)あごの骨の一部を進化させて、聴力を強化しました(図1)。これは危険を察知する上で、特に夜行性の動物には重要です。サイノドンはあごの奥の方ある様々な骨を徐々に、角骨→鼓室骨、関節骨→槌骨、方形骨→砧骨という耳の骨に変成させて、耳の構造を確立させていきました。爬虫類から鳥類のラインも聴覚を発達させましたが、サイノドンから哺乳類のラインとは全く別の進化過程であったことが判っています(1)。

Photo4)内温性を確立すると共に体毛と感覚毛を発達させ、温度が下がる夜の活動に備えました。感覚毛は暗闇でも目鼻を傷つけないために重要な役割を果たしました。サイノドンが生きていた時代のオルニソディラはおそらく外温性であり、クルロタルシも当然外温性(ワニはいまでも外温性)だったと考えられるので、夜間・冬期・寒冷地帯ではサイノドン達が優位に立てたのでしょう。

5)卵ではなく、子供を産んで親が授乳して育てるという繁殖方式を確立しました。食糧不足だった三畳紀初期には、成獣は夏眠・冬眠すればいいのですが、それができない新生仔に与えるためのエサを確保するのが困難だったため、授乳というのは非常に有用だったと思われます。サイノドンは三畳紀の環境圧力に耐えて生き抜くため、この5つの方向に進化していったわけです。

サイノドン達は三畳紀中期に出現した新興勢力である恐竜類や、それより前からの仇敵であるクルロタルシ達と弱肉強食の戦いを行う中で次第に劣勢になりますが、上記の5つの戦略をすすめて、ついに三畳紀後期には哺乳類を誕生させました。つまりサイノドン達は爬虫類から哺乳類へ進化するさまざまな中間点と言えます。ですから最初の哺乳類が何かというのは、学術用語の定義上は大事ですが、それ以上の問題ではありません。

サイノドンについてはすでに「三畳紀1」で、トリナクソドンとエクサエレトドンについて紹介しましたが、彼らのなかの1グループであるプロバイノグナシアが後に哺乳類を誕生させることになります。プロバイノグナシアに属する生物を一種紹介します。プロベレソドンです(図2)。これは中型犬くらいのサイズの生物です。三畳紀後期に、このグループから最初の哺乳類(不完全な哺乳類という意味で哺乳型類とよぶべきだと主張する人もいます)が誕生したとされています。

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最初期の哺乳類として、2億2500万年前の地層から発掘されたアデロバシレウス(図3)が知られています。モルガヌコドン(図4)やメガゾストロドン(図5)もよく知られています。いずれもネズミくらいのサイズの動物です。特にアデロバシレウスは、今生きているトガリネズミ(2)と外見がよく似ています。トガリネズミも白亜紀から生きている動物なので、関係があるのかもしれません。いずれにしても、哺乳類はネズミのような生物から出発したことは確かなようです。

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クルロタルシ(目と綱の中間の分類群)はサイノドンやオルニソディラをしのいで、三畳紀に繁栄したグループです。現在でもこのグループの直系子孫であるワニ類が生きています。クルロタルシの祖先はペルム紀からプロテロスクス(図6、体長1.5m)などが棲息していました。このグループはP-T境界を生き延びることができました。その理由は彼らが水中で多くの時間を過ごしていて、火砕サージをまぬがれ、また「噴火の冬」時代にエサを水中に求めることができたからだと思われます。

https://en.wikipedia.org/wiki/Proterosuchus

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もう一例ペルム紀のクルロタルシであるプロテロチャムサを図7に示しますが、見た目が現在のクロコダイルとほとんど同じです。三畳紀にはこれと近縁の種から生まれたクルロタルシ類が適応放散していろんなタイプが生まれましたが、結局現在まで生き残ったのは原型に近いもので、進化の過程ではよくある現象です。

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では三畳紀のクルロタルシをいくつかみていきましょう。ポストスクス(図8)は体長4~5mの肉食獣で、当時食物連鎖のトップにいたとされています。ワニよりも足が長く直立していて、以前には恐竜の祖先とされていたこともあったそうです。ワニのように待機していて一瞬のアクションでエサを仕留める感じではなく、エサを求めて歩き回り、追いかけて仕留めることができるような体型です。これと類似した種は世界各地に分布していて、三畳紀の百獣の王はまさしくこれらのクルロタルシでした。

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同じクルロタルシの仲間で草食獣も繁栄していて、例えばデスマトスクス(図9)などは強力なアーマーを装備して、そのスパイクで敵を倒せそうです。

三畳紀の初期(2億5000万年前)には恐竜の祖先動物も登場しました。プロロトダクティルスという祖先動物の足跡は有名です。土屋健著「三畳紀の生物」(3)には復元図も掲載されています。猫くらいの大きさの足の長いトカゲという感じです。しかしその後2億2800万年前のエオラプトル(図10)まで情報がありません。同時代の地層からパンファギアやエオドロマエウスも発見されていて、後者はティラノサウルスにもつながる肉食恐竜(獣脚類)の始祖と考えられています。

恐竜は大きく分けて鳥盤目と竜盤目がありますが、上記の生物は竜盤目の根元に相当すると思われます。しかし2億2300万年前の地層からは、鳥盤目に分類されるピサノサウルスが発掘されています。三畳紀の半ばには、恐竜を構成するふたつの目が出そろったことになります。そして三畳紀の終わり頃には、レッセムサウルスという体長18mにも及ぶ巨大な草食恐竜が出現しました。三畳紀の後期には恐竜やクルロタルシとは別系統の爬虫類である首長竜も出現しました。これについてはジュラ紀で言及します。

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P-T境界の大絶滅の被害も癒えて、再び地球が活気を取り戻した三畳紀でしたが、2億100万年前にまたもや大絶滅が起こります。これはP-T境界のような破滅的なものではありませんでしたが、単弓類では哺乳類以外は絶滅し、クルロタルシ類ではワニ以外は絶滅しました。この三畳紀末の絶滅の原因は、まだ特定されていないそうです。そしてどうしてここで恐竜が優位を確立したかもよくわかっていません。

1) http://www.riken.jp/pr/press/2015/20150422_2/

2) こちら

3) 「三畳紀の生物」 土屋健著 技術評論社 2015年

(図はウィキペディアからお借りしました)

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2016年9月22日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが22: 三畳紀の生物1

カンブリア紀から現在に至るまでで最大の絶滅が発生したP-T境界(ペルム紀-三畳紀境界、1)から、恐竜の時代であるジュラ紀がはじまるまでの期間、2億5千100万年前から2億年前までの約5000万年の期間を三畳紀とよびます。種のレベルで90~95%の生物が絶滅したと言われるペルム紀末の大絶滅により、個体のレベルではほぼ100%生物は死滅し、ごくわずかの生き残りから再出発することになりました。

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ではどんな生物が生き残ったのでしょう? 図1に三畳紀前期の状況を示します。ペルム紀に繁栄していた単弓類はほとんどが死に絶え、リストロサウルス・バウリア・サイノドンなどわずかなグループが生き残りました。リストロサウルス(図2 以下の図はウィキペディアより拝借)は見た目武器も防具も持たない平凡な草食動物のようですが、穴を掘って夏眠(冬眠)することができる動物だったとされています(2)。体長も数十センチの小型動物です。まず地下に住んでいたため火砕サージなどの直撃を免れたこともあるかもしれませんが、その後火山灰が降って植物も消え去り、砂漠のようになった大地で、彼らはわずかな食糧で生き延びることができたはずです。

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リストロサウルスはエネルギーをごくわずかしか使わずに生きるという術を持っていたことが幸いしたのでしょう。バウリア(図3)はリストロサウルスと同様、平和的な外見の草食動物ですが、二次口蓋(のどまで続く鼻の穴)が発達するなどかなり哺乳類に近い生物だったようです。二次口蓋があるということは、食事しているときの呼吸が格段に楽になるというメリットがあります。草食動物にとってこのことは特に重要です。ウィキペディアのバウリアの項目にはヒゲまで描いてあります。おそらくリストロサウルスと同様省エネ生活が得意だったのでしょう。噴火後2~3ヶ月生き延びられれば、草原がある程度復活して、最低限の食糧は確保できたのではないでしょうか。

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これらの生き残った草食動物は、さらにわずかに生き残った肉食動物にとって貴重な食糧となり、生態系の維持に大きな役割を果たしたと思われます。私たちのご先祖様であるサイノドンもいくつかのグループが生き残ったようで、サイノドンが全滅していればもちろん人類を含めた哺乳類は出現していないはずです。そうなると現在の地球の状況も随分違ったものになっていたでしょう。

サイノドンはおそらく内温動物で、三畳紀前期は酸素が15%くらいあるいはそれ以下しかなかったので、さすがにウォードが言っているように低酸素環境が圧力となって内温性が進化したのでしょう。内温性の進化はミトコンドリアの質的・量的発達を意味しているので、同時に呼吸の効率化が進み、低酸素に適応できたと思われます。

サイノドンでは門歯と臼歯がはっきり分かれて分業し(異歯性の確立)、二次口蓋が完成し、脳が発達してきました。また腹部の肋骨が退化してきました。これは横隔膜による呼吸をはじめたことによります。横隔膜で呼吸するためには、腹部はでたりひっこんだりしなければならないので、肋骨は邪魔になります。おそらくリストロサウルスなどのディキノドングループは横隔膜による呼吸法を獲得できなかったと思われます。彼らは腹部の肋骨を維持しています(4)。

トリナクソドン(図4)は代表的な三畳紀前期のサイノドンで、昆虫などを食べていた猫くらいの大きさの生物です。リストロサウルスなどと同様に多くの時間を穴の中ですごしていたと考えられています。顎骨に多くの穴が開いており、ヒゲの毛根を収納していたと思われます。私はヒゲがある生物はすべて体毛も持っていたと考えています。このほかプロガレサウルス(5)などもよく発掘されるようです。

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2010年に六本木ヒルズで「地球最古の恐竜展」というのをやっていて、私も見てきたのですが、そこにサイノドンの1種として知られているエクサエレトドンの全身骨格があったのには感動しました(6)。三畳紀前期の地層から発掘されたもので、復元図はかなり凶暴な雰囲気ですが、実は草食動物だったそうです。

ここまで単弓類について述べてきましたが、双弓類もP-T境界で大打撃を受け、大変数が減ってしまいました。三畳紀後期には恐竜が登場するので、その祖先動物は生き残ったはずですが、明らかにはなっていません。恐竜や翼竜も含めて、これらのグループをオルニソディラとよびます。

オルニソディラの基部に近い位置にある動物で、三畳紀の中期に生きていた動物はいくつかしられています。アシリサウルス(図5)は体長1~2mの大型で、マラスクスは猫くらいのサイズです。これらの生物は恐竜ではなく、共通の祖先から派生した動物だとされています。それにしても素晴らしくスマートな生物で、クルロタルシなどに狙われたときの逃げ足も速かったのでしょう。彼らより古い三畳紀前期に生きていた類似動物としてプロロダクティルスが知られていますが、残念ながら足跡しか化石が見つかっていないようです。オルニソディラの系統樹基部・恐竜の起源などについては、まだまだ謎が多いのです。

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湖沼や河川で生活していた生物は、完全に陸上に上がった生物に比べると、P-T境界を生き延びるチャンスが大きかったようです。この代表はクルロタルシ類で、上記のオルニソディラとは別系統の双弓類です(図1)。オルニソディラでは鳥類だけが現存し、クルロタルシではワニ類だけが現存しています。これにカメおよびその祖先動物を加えて主竜類とよぶこともあります。クルロタルシ類については次回で述べることにします。

主竜類以外の双弓類では、魚竜が三畳紀前期から出現していました。このグループの起源はよくわかりません。化石はみつかっていないようですが、おそらくペルム紀の頃から存在して、P-T境界を生き延びたと思われます。首長竜はオルニソディラやクルロタルシではなく、魚竜とも別のルーツを持つ双弓類のグループで、ペルム紀・三畳紀前期にもその祖先が存在していたことは想像されますが、証拠がみつかっていません。

せっかく肺を獲得して地上で生活していた動物が再び海をめざすということは複雑な話ですが、我々哺乳類においてもクジラやイルカはそういう運命をたどりました。三畳紀前期の魚竜の中で、ウタツサウルス(図6)は宮城県の歌津というところ(現在は南三陸町)で発掘されました。ウタツサウルスは初期の魚竜ですが、足はすでにヒレに変化しています。魚竜は白亜紀で絶滅しており、現在では生きている生物をみつけることができません。

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両生類もP-T境界で大きなダメージを受け、ほとんどの種が絶滅してしまいました。リネスクスというトカゲっぽいグループ、クロニオスクスというワニっぽいグループ(もちろんワニではない)などが生き残りました。ペルム紀の生物とどうつながっているかはわかりませんが、三畳紀初期にトリアドバトラクス(図7)という、カエルの始祖と思われるような生物が新たに登場しました。まだ短い尾がついています。現在のカエルには尾はありません。


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ペルム紀末の大絶滅によって、海洋の生物も大きなダメージを受けました。三葉虫・棘魚類・フズリナは絶滅してしまいました。絶滅はしないまでも、その後ずっとマイナーな生物として生き延びたグループとしては腕足類やウミユリなどがあげられます。棘魚類以外の魚類はなんとか生き延びることができました。

アンモナイトは大打撃をうけながらも、ごく一部がしぶとく生き延びて、2億3000万年前くらいまでにはペルム紀をしのぐほどの大復活をとげました。彼らは白亜紀大絶滅まで生き残ります。彼らの祖先生物と思われるオウムガイは、これらの大絶滅を乗り切って現在も生き続けています。また三畳紀には2枚貝が繁栄しました。アサリ・シジミなどの2枚貝は現在も繁栄を続けています。昆虫は非常に絶滅しにくいしぶといグループですが、それでもペルム紀に22目あったのが、P-T境界で14目に減りました。生き残った目に属する生物は、その後復活して現在に至っています。

1) http://morph.way-nifty.com/grey/2016/06/post-dd7b.html

2)「三畳紀の生物」 土屋健著 技術評論社 2015年

3)C. A. Sidor and R. M. H. Smith. 2004. A new galesaurid (Therapsida: Cyndontia) from the Lower Triassic of South Africa. Palaeontology vol.47, pp535-556

4) http://biggame.iza-yoi.net/Therapsida/Dinocephalians.html

5) http://viergacht.deviantart.com/art/Progalesaurus-lootsbergensis-438381312

6)http://morph.way-nifty.com/grey/2010/08/post-beb8.html


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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが21: ペルム紀の生物2

ペルム紀の中期から後期にかけて、おそらく2億7000万年前前後に地上の主な四肢動物は盤竜類から獣弓類に入れ替わった、というより様々な系統の四肢動物のなかから獣弓類が主役に躍り出たということがわかっています。ペルム紀前期を代表する単弓類であるエダフォサウルスやディメトロドンは背中に帆を持っていて、これを日光で暖めて活動していたと思われますが、獣弓類にはそのような生物はいないこと、またその他のいくつかの理由から、獣弓類は内温性だったのではないか、それによって他の系統の生物との生存競争に勝利したのではないかと考えられています。

それでは内温性とはいったいどういうものなのでしょうか? 実はその科学的解明や説明がとても難しいのです。そもそもエサを食べる(従属栄養の)生き物は、エサに含まれる分子を分解して、そのエネルギーを使ってATPという高エネルギー化合物を生成し、ATPを利用して筋肉を動かすなどの活動を行っています。そしてその際にすべてのエネルギーを化学エネルギーとして利用できるわけではなく、一部は熱となって放出されます。この意味で、従属栄養の生物はすべからく内温性であるとも言えます。独立栄養の生物だって、光エネルギーを利用するにしても、生命活動を行うには必ず発熱反応を伴います。

食物を分解して得るエネルギーは、真核生物がATP生産工場としてミトコンドリアを飼い慣らすことによって、圧倒的に増加しました。したがって熱の発生量も増加しました。それでも足りないので、エダフォサウルスやディメトロドンは帆を発達させたのですが、そのほかの解決策もあります。ミツバチやマグロは運動の活発さを調節することによって、体温を一定に保っています。またミトコンドリアの活動を高めたり、数を増やすことで熱の発生量を増やすこともできます。ミシガン大学のベネットは、ラットと何種かの爬虫類のミトコンドリア呼吸関連酵素の活性を比較すると、ラットの方が5倍くらい活性が高いということを発見しました。そして顕微鏡で両者の肝臓などの組織をみると、何とラットの方が明らかに多数のミトコンドリアをもっていることがわかりました(1)

その後アクメロフ(2)やハルバート&エルス研究室(3)らが、内温性の哺乳類と外温性の爬虫類のミトコンドリアをさらに比較研究し、内温性の哺乳類においては、量的のみならず質的にも高い活性をもつミトコンドリアを持っていることがわかり、この点で獣弓類は旧来の四肢動物を凌駕することができたと示唆されました。このほかミトコンドリアには脱共役タンパク質という、ATPの産生が過剰なときに合成を低下させて、熱としてエネルギーを逃がす作用がある物質が存在し、これも進化の過程で発展してきた代謝システムだとされています(4,5)。ただ哺乳類と爬虫類でどう違うかという文献はみつかりませんでした(あるかもしれません)。

1) A. F. Bennett. Comparison of activities of metabolic enzymes in lizards and rats.  Comp. Biochem. Physiol., 1972, vol. 42B, pp. 637-647

2) R.N. Akhmerov. Qualitative difference in mitochondria of endothermic and ectothermic animals., FEBS lett., 1986, vol.198, pp. 251-255

3) M. D. Brand et al., Evolution of energy metabolism. Proton permeability of the inner membrane of liver mitochondria is greater in amammal than in a reptile. Biochem. J. 1991 vol. 275, pp. 81-86

4) 稲葉(伊東)靖子・斉藤茂.熱産生における脱共役タンパク質の役割と適応進化. 化学と生物 2008, vol. 46, pp. 841-849

5) http://d.hatena.ne.jp/kuiiji_harris/20081129/1227941781

私はピーター・ウォードのように、ペルム紀後期に酸素が低下してきた(それでも18%くらいはあった)ことに適応して、内温性が発達してきたとは思いません。パンゲア大陸は極地方から赤道地方まであったので、闘争に敗れた獣弓類などのグループが極地方に敗走し、そこで内温性という代謝システムを育てて、ついには大繁栄していた盤竜類を打倒して取って代わったという説を支持したいと思います。ただ三畳紀については別途考えたいですね。

ペルム紀後期には陸上ではディキノドン類、ディノケファルス類、ゴルゴノプス類、テロケファルス類などの単弓綱・獣弓目の生物が大繁栄しましたが、双弓綱の生物も劣勢とはいえちゃんと生き延びていました。例えばヨンギナという体長40cmくらいのトカゲに似た生物(https://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=11079022977&GroupCD=0&no=)がいました。類縁のタデオサウルスの復元図がウィキペディアに出ていたので、お借りして貼っておきます(図1)。

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ペルム紀の代表的な化石としてフズリナというのがあります。これは海洋単細胞生物なのですが、1cmくらいのサイズがあり、石灰の殻を持っていいるので死後も形を残すことができます(図2)。高知の海岸などでみられる星砂も近縁の生物が残した死骸です。アンモナイトもペルム紀の代表的な海の生物です。

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魚類は軟骨魚類・硬骨魚類共に繁栄し、棘魚類もまだ生き残っていました。三葉虫も Proetida 目がまだ生き残っていました。ウミユリ・ウニ・ヒトデなどの棘皮動物は繁栄していたようです。

このように百花繚乱の生物でにぎやかだったペルム紀後期の地球だったのですが、ペルム紀末にそれらのほとんどが死滅してしまいます。カンブリア紀から現在に至るまでの地球の歴史の中で、空前絶後の絶滅を引き起こした原因は何だったのでしょうか? 現在一番有力視されているのが、シベリアでの火山噴火です。この噴火は通常のものではなく、地殻の下にあるマントルが上昇して噴き出したとされていて、その溶岩の分厚さは3000~6000mに及び、広さは西欧を飲み込むくらいというとてつもないスケールでした。この累積した溶岩層をシベリアトラップといいます(図3)。

この異常な噴火によって大量の火山ガスと粉じんが噴き出して空を被い、「噴火の冬」が訪れました。日照不足・酸性雨・硫化水素・オゾン層の破壊などの影響で、地上植物・海洋プランクトンが死滅し、酸素も失われるという悲劇の連鎖が発生したのです。このペルム紀末期の大絶滅は古生物学におけるP-T境界という境目をつくり、ここで生物相が大幅に入れ替わり、ペルム紀を最後とする古生代は終了し、三畳紀からはじまる中生代に移行します。

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シベリアトラップについて
http://siberia.mit.edu/research

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが20: ペルム紀の生物1

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ペルム紀の話を始める前に、ひとつ紹介しておきたい本があります。それは「哺乳類型爬虫類 ヒトの知られざる祖先」 金子隆一著 朝日新聞社 1998年 (図1)です。

少し古くなって修正が必要な部分が出てきましたが、私はこの本によって古生物への興味をかき立てられました。単弓類についてこれほど詳しく解説した本はありません。残念ながら、現在ではおそらく中古本しか入手できないと思います。

一節だけ引用しておくと「哺乳類型爬虫類は、われわれヒトを含むすべての哺乳類の祖先である。そして、恐竜王朝が地上を支配するよりも前、古生代石炭紀後期から中生代三畳紀中期まで、彼らはまぎれもなく地上でもっとも繁栄した生き物たちだった。しかし、にもかかわらず、われわれは自らのご先祖様を地球の王座から追い落としたライバルである恐竜ばかりをスター扱いしているのである。これは実に、理不尽な仕打ちと言わなければなるまい」

私は哺乳類型爬虫類という言葉はそんなに嫌いじゃないのですが、現在の考古学者達はお気に召さないらしく、あまり使われなくなりました。爬虫類じゃないのに爬虫類とはおかしいというわけですが、では虫じゃないのに爬虫類というのはおかしいでしょう。これだけでなく、特に化石生物を含む爬虫類の分類は5年経ったらどうなっているかわからないという難しい分野ですから、専門家以外はあまり神経質に考えなくてもいいと思います。

とりあえず

無弓類 (両生類から分岐したばかりの陸生の四肢動物で、側頭窓がない生物)
単弓類 (盤竜類:ペルム紀に絶滅した諸系統の初期単弓類、獣弓類、哺乳類)
双弓類 (首長竜、ムカシトカゲ、カメ、ワニ、恐竜、鳥類など)
中竜類 (メソサウルスなど)

とでもわけておきましょう。

さて石炭紀に続くのは古生代最後のペルム紀(2億9,900万年前から約2億5,100万年前まで)です。ペルム紀の初頭には超大陸パンゲアが完成しており、気候は寒冷でした。多くの湿地帯が凍結して、両生類は一部の温暖な地域にしか住めなくなり、陸上で生活できる爬虫類のなかでも特に単弓類(単弓綱)が適応放散しました。

寒冷期の生存競争に勝つためのひとつの方法として、単弓類はエダフォサウルスやスフェナコドンという背中に帆を持つグループを生み出しました。背骨を変形させて突起を出し、その間の皮膚に血管を通して体温を調節するというシステムです。内温性(内熱性)動物がいない時代には、この方法は圧倒的に有利で、スフェナコドン類を代表するディメトロドンは食物連鎖の頂点に立っていたと思われます。なぜなら帆を日光であたためて、朝早くからすばやく活動できるので、肉食動物としては動きの鈍い動物をエサにしやすいからです。体長が3メートル以上あった Dimetrodon grandis は下図のような生物です(図2 以下化石生物の図はウィキペディアより借用しました)。

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このスフェナコドンのなかから、獣弓類(獣弓目=テラプシダ)に進化した種が生まれたと考えられています。ウィキペディアによると、現在知られうる最古の獣弓類は、2億6,880万年~2億5,970万年前に生息したテトラケラトプスとしています(図3)。体長50~60cmで顔に4本の角があります。白亜紀にトリケラトプスという恐竜がいましたが、これとは全く関係ありません。

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獣弓類には大別して異歯亜目(ディキノドン類・ディノケファルス類)と獣歯亜目に分類されます。ディキノドン(図4)は異歯亜目を代表する生物の一つで、体長1.2mくらいの植物食の生き物でした。ペルム紀最後の大絶滅で姿を消しましたが、大絶滅後近縁のリストロサウルスが繁栄し、中生代三畳紀を代表する生物となりました。ディノケファルスの例としては、モスコプス(図5)が有名です。彼らも植物食で体長は最大5mくらいある巨大な生物で、頭骨が分厚い(~10cm)のが特徴です。ディノケファルス類はペルム紀最後の大絶滅で、すべて姿を消しました。

異歯とは歯が1種類ではなく、用途に応じて分化していることを示します。たとえばディキノドンは2本の犬歯を持っています。獣歯類はさらに哺乳類に近い歯を持っていました。つまりエサを殺戮するための牙、切り裂くための切歯、かみ砕くための臼歯などを備えていて、肉食に便利な歯の分化がおこったわけです。

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獣歯類を代表する生物としては、ゴルゴノプス(図6)とテロケファルス(図7 Moschorhinus kitchingi)、そして哺乳類の直近の祖先と考えられているサイノドン(キノドン)があげられます。ゴルゴノプスは体長2mくらいの、ペルム紀後期を代表する肉食獣でしたが、ペルム紀末の大絶滅時代を生き延びることができませんでした。

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ゴルゴノプスでひとつ注目したいのは、あごの骨に多くのくぼみがあり、これが洞毛(ひげ)の毛根を収納するためのものだったのではないかと考えられることです。そのような観点から頭部を復元した図がウィキペディアにでています(図8)。

洞毛は哺乳類の場合1)栄養を供給するための血洞で毛根を囲む 2)感覚神経が毛の動きを検出できるよう接触する 3)任意に動かせるように随意筋がくっついているなどの特徴がありますが、毛の構造自体は体毛と同じなので、洞毛があると言うことは体毛もあると考えてよいと思います。

したがって、ゴルゴノプスには体毛があり、内温動物だったと想像できるということです。体毛は熱を逃がさないためにあるので、内温動物ならではの器官だと考えられます。

テロケファルスには図7のような肉食性の者以外に、草食性の生物もいたようです。彼らおよびサイノドンについては次回に譲ります。

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが19: 石炭紀の生物2

最初期に現れた爬虫類として考古学者に認められているのは、3億1500万年前の地層から発見されたヒロノムスというトカゲに似た生物です(図1 ウィキペディアより)。ウィキペディアによると30cmくらいの体長があったようです。初期の爬虫類は当時の両生類が獲得していた聴覚を失っていたようで、より原始的な両生類から進化したのかもしれません。

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ヒロノムスはヒトにも存在する距骨を持っていました。これは足と指を連結する足首の骨で、爬虫類型両生類では3つに分かれていたのがひとつになったものです(図2)。大地を力強く踏みしめて歩くには必要な進化だったのでしょう。

彼らがどんな卵を産んでいたか、あるいは卵胎生だったか、などについては全くわかっていません。石炭紀後期に両生類から陸上生活に適応するものが出現する過程で、さまざまな試行が行われ、それらの中から恐竜・カメ・ワニ・ヘビ・鳥に進化するグループと哺乳類に進化するグループが分岐して出現したと思われます。

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上陸したばかりの初期の爬虫類であるヒロノムスなどの場合、頭蓋骨に開いている穴は鼻(2)、眼(2)、頭頂(1)の5つで、それ以外の穴(側頭窓)はありませんでした(図3)。このような原始的な爬虫類をまとめて無弓類と呼びますが、特に分類学的にまとまっているわけではないそうです。不思議なことに、このあと哺乳類に進化するグループは側頭窓が2つ(片側1つ)、恐竜などに進化するグループは側頭窓が4つ(片側2つ)あるものに限定されることになり、前者を単弓類、後者は双弓類と呼びます(図3)。これらにはいずれも綱という分類学上の階級が与えられています。

各グループの頭蓋骨の形状を図3に示します。ただし現代に生きている鳥やヒトでは、これらの側頭窓は失われています。側頭窓の機能としては、アゴの筋肉を付着させて咀嚼力を高めるとされていますが、ピーター・D・ウォードなどは頭部を軽くするためとしています。

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最古の単弓類として、石炭紀後期の3億1130万年から3億920万年前に生息していたアーケオシリスが知られています(図4)。あるいはディアデクテスが単弓類の原型だという考え方もあります。同時期には最古の双弓類であるペトロラコサウルス(図5)も生きていました。しかし石炭紀後期からペルム紀に圧倒的に優勢になったのは単弓類でした。単弓類のひとつのグループである盤竜類は石炭紀後期からペルム紀前期にかけて大繁栄し、多くの種を出現させました。

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図6は石炭紀の代表的な盤竜類(後に登場する獣弓類以外の単弓類を便宜的にまとめた呼称)で、アーケオシリスと近縁のオフィアコドン、スフェナコドン科の Ctenospondylus casei 、エダフォサウルスの再現図をウィキペディアから借用して示します。背中にある帆のような突起物は、ここに血液を循環させて太陽熱であたため、朝なるべく早く活動できるようにするためと思われますが、さてどうでしょうか?

 石炭紀後期からペルム紀に至る単弓類全盛の時代には、双弓類は原型に近いトカゲのような形態を保って、地味に生き延びていたようです。彼らが適応放散して繁栄するのは中生代まで待たなければなりません。

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両生類と陸上生物についてばかり述べてきましたが、石炭紀当時の海はどうなっていたのでしょうか? ウミユリという棘皮動物、つまりウニやヒトデと同じ門の生物が大繁栄していました。ウミユリはカンブリア紀から現代までずっと生息しつづけている生物ですが、石炭紀の頃が量的にも多様性からも最も繁栄したと考えられています。現代で知られているのはインドネシアのコモド国立公園で、美しいウミユリが名物になっているようです(https://www.pinterest.com/pin/359865826448697713/)。

石炭紀の海も、海底が色とりどりの草原のようで美しかったことでしょう。魚類ではサメが勢力を拡張しました。ウィキペディアの図(図7)を貼っておきますが、上の3匹は Echinochimaera で、下の4匹は Harpagofututor という奇妙なサメです。

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石炭紀末からペルム紀初頭に至る200万年の間、氷河期が到来しました。ゴンドワナ大陸には2000万平方キロメートル(日本の面積の数十倍)の氷河が存在したそうです。同時にパンゲアすなわち地球上で唯一の巨大大陸が完成し、乾燥した気候がつづいて石炭紀の大森林が衰退しました。余り知られていませんが、ウェゲナーの大陸移動説の証明には古生物学が大いに貢献しました。どの時代にどのような陸上生物の化石がどの大陸でみつかるかという結果を詳しく分析すれば、どの大陸がいつ分離したかということがわかります。

参考書: 

「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」  ピーター・J・ウォード著 垂水雄二訳 文藝春秋社 2008年

「石炭紀・ペルム紀の生物」 土屋健著 技術評論社 2014年

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが18: 石炭紀の生物1

デボン紀に続く石炭紀は3億5900万年前~2億9900万年前の時代です。まず図1をみてみましょう。デボン紀の後期にFーF境界という謎の絶滅があって、しばらくしてから石炭紀になります。絶滅時代に13%くらいに落ちていた酸素濃度は石炭紀の初期には17%くらいにまで回復し、その後ペルム紀初期にかけてどんどん上昇していきます。生物の多様性はこの間全体的には進行していないことが読み取れます(赤いカーブ)。石炭紀の中央あたりに青▼の絶滅マークがありますが、これについてはよくわかっていません。二酸化炭素の減少に植物がまだ対応できなかったのか、あるいはゴンドワナ大陸とローレンシア大陸が衝突するという地殻変動の影響があったのかもしれません。

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デボン紀から石炭紀にかけて、陸上にはじめて森林が形成されました。現在の大気中の二酸化炭素濃度は 0.037% (370ppm) ですが、デボン紀はじめには 3600ppm 以上あった濃度が、石炭紀の中頃には現在と同じくらいの濃度にまで低下してしまいました。すなわちデボン紀・石炭紀の空気中の二酸化炭素は植物によって固定され、植物の死骸が土に埋もれて石炭になってしまって、空気中には戻らなかったのです。これはシアノバクテリアによって大気に酸素が放出されて以来の、生物による自然環境の激変と言えるでしょう。

http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2009/03/504.html

図2は石炭紀の風景です

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ここで疑問が湧いてくるのは、巨大な草食恐竜を育てるのに十分な森林があったジュラ紀・白亜紀などに起源を持つ石炭が少ないのはなぜか? これはよくわかっていないようですが、仮説はいろいろあります。石炭紀には未だセルロースやリグニンを分解して利用する微生物が少なかった(あるいはいなかった)ためとか、当時の樹木は根が浅くてすぐに倒れたとか、本当かどうかはわかりません。

ピーター・J・ウォードの本(1)を読んでいると、石炭紀後期には酸素濃度が30%くらいあったので、落雷があるごとに火事になっていたという記述があって、それなら微生物は分解利用する暇が無いし、植物の死と再生のサイクルが早くて、石炭ができやすかったのかなと思いました。これも単なる想像なので、とりあえず石炭ができやすい地球環境があったとしか言えません。

参考書(1): 「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」 ピーター・J・ウォード著 垂水雄二訳 文藝春秋社 2008年
↑この本の日本語タイトルは内容と異なっており(原題は Out of thin air)、実はカンブリア紀からの生物と環境の関係を記述してある本です。

酸素濃度が非常に高かったということは、石炭紀後期は肺を持たない節足動物にとっては好適な環境でした。メガニューラというトンボのなかには、羽を広げたときの幅が70cmくらいある種もいました(図3)。彼らをはじめ多くの昆虫が、石炭紀に陸地に上陸したばかりか、空を飛ぶ機能まで獲得したことは、それまでの静かな陸地の状況を一変させました。その他体長1メートルあるいはそれ以上のヤスデやサソリもいたようです。ロバート・ダドリーによると、酸素濃度を高くした環境でショウジョウバエを育てると、体の大きなショウジョウバエが発生するそうです。

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デボン紀にいたイクチオステガやアカントステガという、まだ主に水中で生活していたと思われる生物(一応両生類とされている)から、陸上主体の生活をする両生類が出現するまでの間に相当する石炭紀前期の地層から全く両生類の化石が発見されず、そのことを指摘したローマ-にちなんでこの期間は「ローマ-の空白 Romer's gap」と呼ばれていましたが、ジェニファー・クラックが2003年にペデルペス(前回のデボン紀2の記事に図があります)というミッシング・リンクを発見して少し落ち着きました。

ただ3億6000万年前から3億3000万年前までの期間は、両生類にとっては細々と生き延びていた雌伏の時期だったのでしょう。ピーター・ウォードの仮説によれば、デボン紀の大量絶滅から石炭紀前期の「ローマ-の空白」期に至るまでの期間、酸素が不足していたため、陸上にはほとんど動物がいなかったということになっています。

そして石炭紀中・後期にどんどん酸素濃度が上昇するとともに、上記の昆虫全盛期が訪れ、四肢動物もいよいよ陸上に進出しました。四肢動物が上陸を果たすには、これまでにも述べてきたように、浮力の無い地上でも歩き回れるような筋肉をもつ四肢、空気中の酸素を利用するための肺が必要でしたが、必要なのはそれだけではありません。水中での生活と縁を切るためには、胎生を獲得するか、殻付きの乾燥しない卵を地上に産むかという新機軸を獲得しなければなりません。

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図4は卵生と胎生のメカニズムを図示したものです。両生類や魚類の卵はイクラをみればわかるように、子供と栄養(卵黄)をゼリーで被い、さらに卵膜で囲んであります。ゼリーや卵膜はアンモニアを透過するので、水中に生む場合は子供の尿(アンモニア)は拡散によってまわりに排出されるので大きな問題はありません。

ところが陸に卵を産んだり、母体で育てる場合には、アンモニアをどうするかが大問題となります。アンモニアはさわるとヤケドをするくらい危険な物質ですし、神経毒性もあって、とても体内にため込んではおけません。より毒性が低い尿素や尿酸に代謝する必要があります。爬虫類や鳥類は外界に殻付きの卵を産む場合が多いので、アンモニアを尿酸に代謝して尿膜腔という袋にためこみます。哺乳類は尿膜を胎盤と一体化させ、胎児が排出したアンモニアを胎盤を通して母親の体内に移して、母親が尿素に変換するというやり方で問題を解決しています。

しかしここで一つ疑問があります。爬虫類は最初から殻付きの卵を産んでいたのでしょうか? 両生類が産むような卵に、単に殻をつけて陸上に産んでしまうと、子供は尿毒症で死んでしまいます。その前にアンモニアをどうにかする代謝経路や、子供を包んで乾燥を防ぐ羊膜や尿をため込む袋とか構造的なものも準備しなくてはなりません。

内部が羊水で満たされた羊膜は爬虫類・鳥類・哺乳類が持っているもので、両生類にはありません。そこで爬虫類・鳥類・哺乳類をまとめて有羊膜類といいます。初期の爬虫類はおそらく羊膜をかぶせた胎児を羊水で満たされた羊膜腔で育てていたのではないでしょうか(胎盤はなくても胎生あるいは卵胎生)。アンモニアの代謝は現代魚類はある程度行っているので、初期の爬虫類もある程度できたのではないでしょうか。

今生きている爬虫類のなかにも、イエローベリー・スリートード・スキンク(Saiphos equalis)などのように、同じ種で胎生と卵生を行う場合があるので(下記の記事を参照)、結構胎生と卵生の変換そのものは、進化の過程でそれぞれの準備ができていれば、そんなに困難ではないと思われます。たとえば羊膜に包まれた卵を湿地に産んだり、干上がってしまったら産まずに体内にとどめるなどということもあり得たと思います。

そのうちに尿膜腔を獲得し、輸卵管からの分泌で殻をつくる術を獲得しという順で進化が進んで、典型的な卵生の爬虫類が誕生したと想像できます。

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3081/?ST=m_news

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哺乳類の場合胎盤を発達させて、これを通して胎児への栄養供給と老廃物処理を行うようにしたので、卵黄と尿膜腔はいらなくなりました。尿膜腔は胎盤と一体化したと述べましたが、卵黄嚢は別の用途で利用しています。それは胎児型赤血球の産生で、肝臓・脾臓・骨髄などの造血器官がまだ整備されていない胎児は、卵黄嚢などでつくられた赤血球を利用します。図5はエコーでみるヒト胎児の卵黄嚢です。

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図6はアンモニア・尿素・尿酸の構造式です。アンモニアと尿素は水に良く溶けますが、尿酸は難溶性です。尿素は水に良く溶けるので、濃度が濃くなると浸透圧が高くなって、子供の体から水を奪うことになります。このため殻付きの卵では、尿酸に代謝することが必要になります。

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図7はアンモニア無毒化のために私たちが使っている代謝経路で、尿素回路と呼ばれています。私たちだけでなく、一般的に魚類・両生類・哺乳類はこの回路を利用し、そしておそらく初期の爬虫類も尿素回路を使ってアンモニアを無毒化していたと思われます。

水生無脊椎動物はほとんどのものがアンモニアを排出します。硬骨魚類が排出する窒素化合物の大部分はアンモニアですが、尿素を淡水魚では全窒素の10%~20%、海水魚では20%~40%排出します。軟骨魚類のサメやエイは主として尿素を排出します。肺魚は水生生活の時、アンモニア(65%)と尿素(35%)を排出しますが、夏眠中は全てを尿素として体内に蓄積し、夏眠が覚めると一気に排出します。オタマジャクシはアンモニア排出動物ですが、変態してカエルになると尿素排出動物となります。

図1、図2: 国立科学博物館のプレゼン

図3: ウィキペディアより

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2016年9月17日 (土)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが17 デボン紀の生物2

デボン紀1で記したように、デボン紀初期には陸上に植物が繁茂し、しかも空気中の酸素が25%もあったので、肺を持たないにもかかわらず節足動物はすでに陸地に進出していました。彼らの仲間はもともと海底を歩いていた者が多かったので、陸地での生活への適応は容易だったとおもわれます。ただそれは酸素濃度が濃い場合の話で、中期には13%まで濃度が減ってしまったので、この環境変化に彼らの多くは耐えられませんでした。昆虫はポンプで酸素を体内に循環させるという心肺機能をもたず、気管内の拡散にたよっているため、現在の環境(酸素濃度20%)でも小さなサイズのものしか生きられません。13%という数値は、非常に厳しいといえます。

一方で当時の脊椎動物はほとんどが泳いで生きるというライフスタイルだったため、デボン紀初期の上陸のチャンスを逸してしまいました。しかしその後の酸素濃度の低下に適応して、効率よく空気中の酸素を利用できる肺を発明したことが、デボン紀中後期における上陸の基盤になりました。ときどき水面まであがって、空気を吸うという生き方です。空気中には 200ml/L の酸素があるとして、水中の飽和酸素量は 20°C で 30ml/L くらいですから、肺があれば有利です。

http://d.hatena.ne.jp/Rion778/20110814/1313248269

条鰭類は肺を獲得したにもかかわらず、その後の乾燥による河川や湖沼の環境悪化のため、海に戻らざるを得ませんでしたが、一部の肉鰭類はエラを手足に変化させて歩き始め、ついには陸上でも生きていけるようになります。しかしその過程は非常に困難なものでした。デボン紀後期には気候変動や隕石墜落による大絶滅時代が存在し、彼らはその時代を生き抜かなければなりませんでした。

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図1は肉鰭類の肺魚が四肢を獲得するまでの過程を示したものです (from wikipedia 以下同)。この左下に最も初期に四肢動物の兆候を示したユーステノプテロンがいます。化石は3億8500万年前(デボン紀中期から後期)くらいの地層から発掘されました。彼らは普通の魚類のようにみえますが(図2)、その胸びれ・腹びれには私たちと同様上腕骨・尺骨・橈骨が認められます(http://palaeos.com/vertebrates/sarcopterygii/eusthenopteron.html)。彼らは自分たちが住んでいた河川・湖沼が干上がる兆候をみせたとき、この強靱な胸びれ・腹びれを使って陸地を移動できたと思われ、これが当時の環境において適者生存を勝ち得たのでしょう。

Eusthenopteron

図1のユーステノプテロンの上に描いてあるのがデボン紀後期に出現するパンデリクチスです。ユーステノプテロンはまだ見た目魚類の感じですが、パンデリクチスになると、魚類とは違和感があります。その要因は彼らは背びれと体の下側の腹びれを失っていることです、手足に相当するひれしかないので、見た目にも四肢動物の祖先という雰囲気が漂っています(図3)。彼らは浅い沼のようなところで生活するのに適しており、目は上向きについていますし、頭頂に呼吸孔があって、そこだけ出ていれば水底の泥の中にかくれていてもエラ呼吸ができたようです。

Panderichthys12db

図1でパンデリクチスの右側にいるのがティクターリクで、この生物に関する記載は2006年に発表されました。デボン紀後期(3億7500万年前)のワニっぽい感じの動物で、2.7mの体長があると示唆される化石が発見されています。彼らには首があり、左右に振り向くことができたようです。また骨盤が発達してきていて、いよいよ後ろ足を使って歩く準備が進んできたことを示しています。そして彼らの時代からデボン紀大絶滅がはじまりました。デボン紀末の大絶滅は、その原因や期間を含めてまだはっきりしないことが多いようですが、板皮類・棘魚類・無顎類の多くの種が絶滅したことは明らかです。もうひとつわかっていることは、海の動物にくらべて、河川・湖沼の動物は影響が軽微だったということです。

そのためでしょうか、普通大絶滅があると生物相がガラッと変わって紀がかわるのですが、デボン紀の大絶滅期は、終了後もデボン紀です。終了後はデボン紀末期ということになります。

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そういうわけで魚類の四肢動物化は順調に進み、デボン紀末期(3億6500万年前)のアカントステガ(図4)に至ります。彼らは明らかにヒレではない腕と足を持っており、しかもその先端には8本の指が認められます。サイズは60cmくらいだったようです。いつもは水中に生活していて、エサをとるために上陸したと考えられています。同じ時期にイクチオステガという後肢7本指(前肢不明)のよりがっちりとした体格の大型生物(体長1.5mくらい)も生きていました。彼らのような明らかな四肢動物と、ティクターリクなどの肉鰭魚類との中間的な動物もみつかっており、デボン紀後期~末期には、四肢動物あるいはその前駆的な動物は多様化が進んでいたと思われ、そのなかから石炭紀前期の両生類ペデルペスへとつながっていったのでしょう(図5)。

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図1の右下にいるシーラカンスは不思議な生き物で、肉鰭類の魚なのですが、条鰭類と同様、いったん肺を獲得したにもかかわらず海に帰ったグループです。条鰭類は肺を浮き袋にして生き残りましたが、シーラカンスは浮き袋を獲得することはできず、そのかわり肺を脂肪で満たしたり、骨を軟骨にして深海で生き延びました。こうした風変わりなグループが、デボン紀の大絶滅はもちろん、ペルム紀や白亜紀の大絶滅も乗り越えて数億年の間そのままの形で生き残り、図1にみられるその他のグループはすべて絶滅しているというのはこれもまた進化の妙でしょう。

最後に魚類・四肢動物以外の生物に触れておきます。軟体動物については腕足類やオウムガイは健在で、アンモナイトに近い種も出現しました。節足動物については、まずシルル紀に大繁栄したウミサソリは、シルル紀ほどではなくても健在。カブトガニも命脈を保ち、彼らはウミサソリが絶滅した現在でも生き続けています。サソリはデボン紀に陸上にあがり、やはり現在も健在です。三葉虫はシルル紀には低調でしたが、デボン紀には結構繁栄をとりもどしたようです。板皮類などに簡単に食べられないようにトゲなどで武装する種が増えました。

ダニやリニエラ(トビムシ)はデボン紀前期には陸上で生きていたようです。特に後者は昆虫の祖先と考えられています。クモの祖先であるワレイタムシ(トリゴノタルビーダ)も生きていたようです。ワレイタムシの化石からは書肺というクモがもつ空気呼吸用の臓器も発見されているそうで、すでにデボン紀前期に彼らが上陸していたことが示唆されます。レピドカリスというエビもデボン紀前期の地層から数多くみつかっています。

参考書:「デボン紀の生物」土屋健著(技術評論社 2014年刊)

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