半島のマリア 第2話:ペギーズハウス
夏の間は海水浴客や別荘族で賑わう街も、秋風が吹き始めると嘘のように閑散としてくる。目抜き通りも人影はほとんど無く、時折思い出したように車が数台走り抜ける。それとシンクロするように薬局の店先の漢方薬のノボリがぱたぱたと音をたてる。砂塵がさっと舞い、そしてまた午後の静かな日差しがもどってきた。県道沿いの山側には古ぼけたコンドミニアム、海側には雑木林の間にヨットハウスが軒をのぞかせている。ウェブでみつけた不動産屋はこの先にあるはずだった。
棕櫚の木が揺れるコンドミニアムの前を通り過ぎ、200メートルほど進むと信号のある交差点が見える。その角にベンチを店の前に出している和菓子屋があった。近づいていくと、その和菓子屋の筋向かいに目指す不動産屋があることに気づいた。だが急ぐ旅ではない。店先のベンチで一休みしていこう。達矢は和菓子屋に入り、律儀そうだが陰気な感じのおやじから、うぐいすもちと黄身しぐれをひとつづつ買った。外に自販機があったので、そこで冷茶を買ってどっかりとベンチに座りこんだ。
9月になってもまだまだ暑い日が続いている。俺が死ぬのと地球が温暖化して破滅するのとどちらが先か、などとぼんやり考えているうちに和菓子を食べ終えていた。つい最近までサラリーマンだった自分は、ほとんど何も自分で決めなくても自動的に事が運んでいく毎日だったということを、やめた今になってつくづく思う。会社員時代は自分に与えられた仕事をなんとかこなして、ただ挫折しないよう頑張るだけだった。しかし退職した今は、すべて自分で決めていかなければ事がひとつも進まない。若い頃には当然のように独身寮に住み、家庭を持ってからは社宅に住んだ。今は住む場所も自分で決めなければならない。そして年をとってしまったということは大きな問題だ。ここでベンチから腰を上げることすら、気合いとちょっとしたエネルギーが必要だ。こんなことで、これからちゃんと生きていけるのだろうか。
角の不動産屋の前までいくと、その先にもう一軒別の不動産屋の看板がみえた。角の店は総ガラス張りの小綺麗なつくりで、中で数人の中年男が談笑している様子が窺えた。先にあるもう一軒の方は、ところどころ剥がれた白ペンキ塗りで、古ぼけてはいるがアーリーアメリカン風の風情のある店だった。なんとなくそちらの方に足が向いた。店の前に立つとドアは開放したままで、ドア脇の白地の看板に「不動産ペギーズハウス」と青ペンキで書いてあり、その下に黒ペンキでREAL ESTATE <PEGGY’S HOUSE>と小さく英語の表記があった。歴史のある保養地には、かえってこちらの方がふさわしい佇まいのように思われた。
ソフトウェア開発の現場から子会社にとばされたのは、確かに大きな衝撃だった。会社の創生期から30年近く開発一本でやってきて、嘗ては飛ぶように売れたソフト開発にもかかわってきたという自負はある。50歳を過ぎてから、もうお前のようなクズはいらないといわんばかりに切り捨てるとはなんとしたことか。いままでにもそんな例はなかったとは言わないが、「まああの人なら仕方がない」と多くが納得する人事だったと思う。それが今度は俺だというのは、達矢には到底納得がいかなかった。しかし、しばらく時が過ぎて冷静に考えてみれば、今のご時世仕事があるだけでもましな方かもしれないし、別に陰湿なイジメにあったわけでもない。一般常識として、退職するほどの理由はなかった。
いろいろ軋轢はあっても子会社でなんとか頑張ればよかったのだろう。結局これが潮時と判断して自分がやめのだ。3年前に妻に先立たれてから、そのことは時々頭をかすめていた。子供は二人とも結婚あるいは独立し、帰宅しても空虚な空間が存在するだけだった。ときどき嵐のような虚脱感に襲われることもあった。ずっと会社人間でやってきたが、会社は報いてはくれなかった。達矢たちの世代の居場所は確実にになくなりつつあった。子会社の社長も事情があって、このお払い箱の中高年社員を受け入れてくれたのだろう。ならば歓迎ムードじゃないのも当然だろう。
ともかくこの状況から抜けださないと、心のバランスが崩壊してしまうような気がした。とりあえず考えついたのは、鬱滅とした自宅会社往復の無限反復空間から逃げ出すことだった。何も変わらないかもしれないが、ひょっとすると何かが変わるかもしれない。それでも定年まで数年を残して退職届を出すことは非常に勇気が必要だったが、達矢はその道を選択した。もう元には戻れない。30年勤務した会社から出向になったときには、永年勤務した社屋を振り返ってしばらく手を合わせて一礼した。あれはいったい何に手を合わせたのだろうか。一礼した後に涙が止まらなくなり、慌てて下を向いてまるで競歩のように地下鉄の駅に急いだことを覚えている。しかし出向先を退職した今回は何の感慨も無くさばさばしたものだった。
白ペンキの不動産屋にはいると中は薄暗く、若い男が事務机に向かって書類をめくっていた。古いエアコンが喘ぐような音を立てていたが、むしろ天井の大きな扇風機がきいているのか、思ったより涼しい。もう一人奥の方のソファーで女が所在なげにタバコをふかしていた。先に達矢に気がついた女の方が「物件をお探しですか」とこちらにやってきてソファーに案内した。達矢はボロ家でいいから土地付きの一軒家、つまり不動産屋サイドからいえば古家つきの土地を紹介してほしいと告げた。交通は不便なところでもいいし、海が見える場所とかの贅沢は言わないということで、一千万円台なら有難い旨さらに付言した。若い男が女を姉さんとよぶので二人は姉弟らしい。見たところ弟は20台後半、姉は30才前後というところか。店構えの古さから考えると、多分親の代からやっているのだろう。
「君たちは二代目なの」と訊いてみた。
「いえいえ、祖父の代からここでやってるんですよ。ボクはもちろんまだ生まれてない時代の話ですが、祖父は戦後しばらくはよく外国人の案内なんかもしていたみたいですよ」と弟らしき方が答えた。
「そういえば昔このあたりの別荘を米軍が接収して、将校などを住ませていたという話は聞いたことがあるね。それで××不動産なんて無粋な名前じゃくて、こんなこじゃれた名前の店になったというわけか」
弟が店の名前の故事来歴を語ろうとしたとき、「セカンドハウスをお探しなんですか」と姉が遮るようにビジネスに引き戻した。多分このあたりにはマーガレットをよく見かけるので、その愛称を店の名前にしたのだろう。
「別荘が欲しいというわけじゃないんだ。そんな悠々自適じゃないんだよ。ただもう東京に住むのに飽きてねえ」と姉の方に向かって言うと、姉は数秒指を額に当てて考えた後「則夫、あの若松さんのところはどう」と弟に目を向けた。「ああ、あれね。ちょっと待ってください」 則夫とよばれた弟はファイルをパラパラとめくった。
「これです。小規模な農業をやっていたところなんですが、ちょっとご覧になりますか」
達矢がうなづくと、前に開いたファイルが置かれた。「ここから車で15分くらい奥に入ったところで、まあ便利なところとはいえないかもしれませんが、車があればどうってことないですよ」。達矢はまあ狙ってた線かなとファイルをしげしげとながめた。気がつくと姉がすぐ後ろに立っていて「ご案内致しますよ」と声をかけてきた。達矢が頷くと間髪を入れず「則夫、ご案内して」と話を進めてきた。
則夫という男は結構なおしゃべりだった。車で物件に向かう途中、あれは某芸能人の別荘だ、あれは某政治家の別荘だなどとあれこれ解説してくれた。しかし車が海を離れ、舗装されているとはいってもかなり細いつづら折りの道を登っていくと、すっかりリゾートの雰囲気はなくなり、雑木林と小さな畑が交互に現れる山村風景になった。おしゃべりもとぎれ、則夫はカーラジオのスイッチをいれた。ラジオからはボサノバが流れてきた。のどかな日だ。こんな日が続くなら、ずっとこの車を運転してどこかに(天国でもいい)連れて行ってくれないかと則夫に頼みたいところだ。そろそろ尾根の頂上に近いかなという頃、則夫は路肩に車を止めた。
「この上をちょっと見てください。灯台が見えるでしょう。今はもう灯台としては使ってないみたいですが、いい目印にはなります」達矢も見上げてみると、道路から数十メートル程離れた高台に設置された灯台の上半分くらいが見えた。則夫は「灯台と周りの土地は、最近国からアメリカに移管したという噂です。軍の関係者だと思いますが、うちで扱ったわけじゃないしよくわからないんですよ。軍服を着た人間が出入りしているという話も聞きませんし」とコメントをつけた。
則夫は「ここからちょっと下るんですよ」と言って、車を降りてドアを開けた。則夫は路肩から派生している細い山道に入って行く。達矢も彼に続いた。雑草が生い茂って、まるで道というより踏み跡と言った方がいいような道を少し下ると小さな荒れた段々畑に出て、そのあぜ道をさらに2ー3分下っていくと、少し開けた場所に出た。3DKくらいと思われる平屋がぽつんと佇んでいた。古い家だったが綺麗に使ってあったようで、則夫の話によれば、風呂場などの水回りを少し補修すれば問題なく使用できるとのことであった。ガスはプロパンだが、電気も水道もきているようだ。
「以前に畑をやっていた若松さんという人が亡くなりまして、その後畑は放置してあるんですが、田所さんは農業には興味ありますか」とまじめに訊いてくるので、「いやあ、都会育ちには無理だろうなあ」と達矢は苦笑しながら答えた。しかし心中では困ったらやってみようかと考えていた。
「そうですかあ。残念だなあ。やる気があれば結構使えるいい畑かもしれませんよ」
「だからって、ここが気に入らないってわけじゃないんだよ」と達矢は答えた。
「まあ今は関心なくても、いずれということもありますし。駐車場は上の道を2-3分先に歩いたところにあります。うちで契約できますよ」と則夫は付け加えた。
結局他にも2-3カ所あたってみたが、すべて家が古すぎて、とても住む気がおこらない代物だった。かといって壊して新築するには懐が不安だった。まさか農業をやってローンを支払うわけにもいくまい。とりあえずその日は最初の物件の手付けを置いて引き上げたが、結局半月後にはその一軒家を購入することになり、2ヶ月後には引っ越しを完了した。新居の入り口から舗装道路を5分ほど先の方に歩くと、2軒のホテルと何軒かの民宿などが並ぶちょっとした集落があり、コンビニなどもあって、これからの生活には大いに役立ちそうだった。ホテルがあるあたりは海の眺望があって気持ちの良い場所だった。
海沿いの道に出るには、ホテルと反対側に歩いて近道を通っても1時間くらいかかりそうだという話だったし、バスも二時間に一本くらいの間隔でしか通ってなくて、あまりあてになりそうもなかった。確かに不便な場所だ。車は必須だ。温泉と家の間に不動産屋が言っていた小さな駐車場があり、契約することにした。
鴨長明の方丈記を読むと、隠者はどうやってメシを食えばいいかについては詳しい説明がないが、住居についてはかなり具体的な解説がある。この家は長明が住んでいた小屋よりはかなり広そうなので、これから長命よりはかなりリッチな生活をすることになる。引っ越して二週間くらいして、息子が一晩泊まりにきた。「こんな山の中で、古ぼけた家にほんとに一人で暮らすつもり? 親父が東京に住んでれば出張旅費が浮くのになあ」とあきれ顔で帰っていった。
水回りや屋根の補修、草刈り、ペンキ塗りなどで瞬く間に1ヶ月が過ぎ去った。業者に頼むのは最小限にしてこつこつと励んだおかげで、たいした金もかけずにそこそこ小綺麗な感じの住処ができた。窓を開け放して畳の上に転がっていると、東京での鬱滅とした日々との落差に、ちょっとした感慨を感じないわけにはいられない。かすかに潮の香りがする爽やかな空気に満たされたこの地は、どんなに深く傷つけられた心も浄化する不思議な力を持っているようだ。だがこれはただ今だけ刹那のことで、遠からぬ未来にまたあのいやな感じ、あえて説明するとすれば憂鬱や虚脱感の塊で頭が締め付けられるような、あるいは悪霊のエネルギーの嵐のような感覚が襲ってくるのだろうか。ショパンの「雨だれ」を聴くと、ひょっとすると彼もこの悪霊に悩まされていたのかと思う。まあそれでもいい、それまで束の間の解放感に浸ろうじゃないか。
達矢はそのいやな感じがやってくる前に、もう一度方丈記を読んでみた。そして気がついたのは、鴨長明は琵琶を演奏することでずいぶん救われているに違いないということだった。達矢も学生時代にはバンドのメンバーでギターを弾いていたこともあった。メンバーが社会人になってからも、数年の間はたまに集まってセッションを楽しんだりしていたのだが、そのうちみんな忙しくなって立ち消えになってしまった。そういえばあのギターはどこに行ってしまったのだろう。引っ越しに紛れてなくしてしまったのか。しかし気になりだすと止まらない。孤独を慰めるのはギターだというのが、ひとつのドグマのように頭にこびりついて離れなくなった。結局はるばるお茶の水まで出かけて、中古のちょっと値の張るアコースティックギターと新品のストラトタイプのエレクトリックギター、それにピックやカポタストなどの小物と数点の楽譜を買い求めてきた。ただ問題は長命は琵琶演奏の達人だったが、達矢はもはやほとんど演奏を忘れてしまっているということだ。
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