カテゴリー「生物学・科学(biology/science)」の記事

2017年12月14日 (木)

やぶにらみ生物論96: クリスパー(補足)

前稿「やぶにらみ生物論95.クリスパー」(1)で、「クリスパーシステムを用いた遺伝子治療を行なうには、プラスミドかウィルスにCAS-クリスパーを潜入させて、標的になる細胞にとりこませなければなりません。受精卵は大きいのでマイクロインジェクションで注入できますが、体細胞にはこのやり方は向いていません。このあたりがなかなか難しいところです。」と記述しました。

これは動物に関する話ですが、植物の場合この困難をうまく乗り越えられる方法があります。アグロバクテリウムというグループの土壌細菌は、植物の根に感染すると、自分の遺伝子を植物細胞のゲノムの任意の位置に組み込む性質を持っています(2、図1)。この細菌にCas9(タンパク質)とsgRNAをとりこませ(またはこれらの遺伝情報を持ったプラスミドをとりこませ)植物に感染させると、任意の位置ではなく、狙った植物の遺伝子に変異を導入して無効化することができます。

Agrobacteriumgall_2この方法でALS(アセト乳酸合成酵素)の遺伝子を無効化すると、除草剤耐性の植物ができあがります。最初はジャガイモで成功しました(2)。最近では、Cas9の代わりにシトシン→チミンの変換を行なう酵素を使って(TargetAID)、除草剤耐性のイネを作成したという報告があります(3、4)。このような除草剤耐性を付与されるタイプの作物は需要が大きいらしく、次々と製造されると思われますが、それぞれの除草剤の安全性チェックが形ばかりで実質後手になる可能性が大きく、このために折角の叡智であるクリスパーが十把一絡げで悪者になってしまうのはあまりにも残念です。

モンサント社のラウンドアップを農家が大量散布したため、土壌が汚染された上に耐性雑草が蔓延してどうにもならなくなったという歴史に学ぶ必要があります(5、6)。これでラウンドアップをやめたのはいいけれど、次々に新しい農薬で汚染に汚染を重ね、多剤耐性の雑草が蔓延するような世界はみたくありません。モンサントも会社が立ちゆかなくなり、バイエルに買収されるという話がありましたが難航しているようです(7)。

もうひとつの大きな問題は殺虫剤耐性植物の蔓延です。これは過度の殺虫剤散布を誘発し、その結果ミツバチやその他の花粉を運ぶ昆虫の激減を招くことになります。ミツバチの減少はすでに報告されています(8)。これは虫媒花を持つ現在の地球でメインの植物の繁殖に大きな影響があり、生態系の異常な変動を招く恐れがあります。またネオニコチノイドなどの薬剤は人体にも影響があることがしられています(9)。

現在クリスパーを利用した品種改良はほとんど特定の位置で遺伝子に変異を導入するという形(NHEJ)で行なわれており、遺伝子組み換えはありません(10)。これはほぼ今まで行なわれてきた品種改良と同じで、遺伝子組み換え作物と比べて安全性は高いと思われますが、ひとつ心配なのはその改良の速度が速すぎて安全性のチェックが後手に回る恐れがあることです。現に2016年時点での遺伝子組み換え作物の日本への輸入量は約1471万トンということで(10)、商品の表示とはほど遠い数値であり、人体実験をやりながら食事をしているような状況でしょう。いずれクリスパーで改良した作物由来の食品はもっと大量に輸入されるでしょうし、この種の作物は国内でも生産されるでしょう。

クリスパーは本来医学でも活用されるべきものであり、特に遺伝病の治療や予防に有効だと思われます。ただそれを理想的に行なうには今の技術には足りない部分が多々あり、特に人工遺伝子の移入にはもっと新しい技術が求められます。私はそれが完成したときに、はじめて遺伝子編集という言葉を使っても良いと思います。

そのような技術が完成した際には、当然親が子のゲノムのデザインをやってもいいかという議論になるとおもいますが、私はそれには「否」を唱えます。ただ重篤な遺伝病がみつかったときには、治療してから受胎するという行為は許容されるべきです。私達には病気を治療する権利があり、それは卵や胎児にもあると思うからです。どこまで遺伝子の変換を認めるかかというのは、厚生労働省がガイドラインを作成して医師に守らせるように指導するしかありませんし、守らない医師は処罰することも必要でしょう。

参照

1)http://morph.way-nifty.com/grey/2017/12/post-0ba2.html

2)Nathaniel M. Butler, Paul A. Atkins, Daniel F. Voytas, David S. Douches., Generation and Inheritance of TargetedMutations in Potato (Solanum tuberosum L.)Using the CRISPR/Cas System., PLoS ONE 10(12):e0144591.(2015) doi:10.1371/journal.pone.0144591
http://journals.plos.org/plosone/article/file?id=10.1371/journal.pone.0144591&type=printable

3)http://www.kobe-u.ac.jp/research_at_kobe/NEWS/news/2017_03_28_01.html

4)Nishida, K., T. Arazoe, N. Yachie, S. Banno, M. Kakimoto, M. Tabata, M. Mochizuki, A. Miyabe, M. Araki, K. Y. Hara, Z. Shimatani and A. Kondo: Targeted nucleotide editing using hybrid prokaryotic and vertebrate adaptive immune systems. Science, 10.1126/science.aaf8729 (2016).

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97#ラウンドアップ耐性雑草の世界的な問題

6)深刻化する除草剤耐性雑草~傾向と対策
http://www.foocom.net/column/gmo2/6839/

7)Bayer to Acquire Monsanto. Cautionary Statements Regarding Forward-Looking Information.
https://www.advancingtogether.com/en/disclaimer-b/

8)消えるハチ Bees in decline
http://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/pdf/201404_BeesInDecline.pdf

9)猪瀬聖 ガラパゴス化する日本の食品安全行政
https://news.yahoo.co.jp/byline/inosehijiri/20150623-00046911/

10)石井哲也 ゲノム編集を問う-作物からヒトまで 岩波新書 (2017)

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2017年12月 5日 (火)

やぶにらみ生物論95: クリスパー

遺伝病は遺伝子のたった一組の塩基対の異常によっても発生し、それが原因で落命するということもあり得ます。有名なのは鎌形赤血球貧血症で、一対の塩基対の異常によってヘモグロビンベータのグルタミン酸がバリンに代わり、ヘモグロビンの機能が低下して貧血になります。どの遺伝子のどの塩基対が変異をきたしても病気になる可能性があるので、遺伝病のバラエティは無数にあります。

これらの遺伝子を正常にもどして病気を治療するというのは、分子生物学者にとってのひとつの夢でした。当初考えられたのは、レトロウィルスベクターを使って正常な遺伝子を細胞に注入するというやり方でした。

しかしそこで予想もしなかった事態が発生しました。まず1999年にゲルシンガー事件というのがおこりました。患者のゲルシンガー氏の免疫系がベクターに異常に強い反応を起こして、患者が死亡してしまったのです。

2000年代のはじめには、X連鎖重症複合型免疫不全症(SCID-X1)と呼ばれる疾患に対して、20人の小児患者が遺伝子治療を受けましたが、そのうちの5人が白血病を発症し、1人が死亡するという事件が起きました。この原因は患者のゲノムに挿入された治療用遺伝子が「がん遺伝子」を活性化したためと考えられています(1、2)。現在ではレトロウィルスベクターのかわりに、より安全性を担保されたレンチウィルスベクターが用いられ、ウィルスベクターによる遺伝子治療が再出発しています(3)

しかしこのようなウィルスベクターによる治療にはいつくか問題点があります。ひとつは遺伝子が挿入される場所を指定できないので、何が起こるか判らないという怖さがあること。いまひとつはハンチントン病のように、変異遺伝子が生成する異常タンパク質が、正常なタンパク質の作用を妨害するような場合には無効であることです(4)。

したがって、そのようなウィルスベクターによる治療に危惧を抱いていたグループの中では、前稿でとりあげたカペッキやスミティーズの相同遺伝子組み換え技術によって、異常遺伝子を正常遺伝子に組み換えるという可能性を追求しようという機運がひろがっていました。

そもそも相同遺伝子組み換えというのは、真核生物では主に減数分裂の時におこる現象ですが、どのようなメカニズムで行なわれるのでしょうか? このそもそも論に取り組んだのがジャック・ショスタクです。彼はテロメア・テロメラーゼ関連でノーベル賞を受賞しましたが、それ以外の仕事でもその天才ぶりを遺憾なく発揮しました。

DNAは常に放射線・紫外線・化学物質などにさらされており、日常的に損傷を受けています。損傷のタイプは大きく分けて二つあり、ひとつは1本鎖の切断で、これは修復機構が数多く知られています(5、6、図1)。いまひとつは2本鎖の切断で、1本鎖の切断の場合と異なり、断点でDNAが生き別れてしまうおそれがあるという生命にとって極めて危険な状況が発生します(図1)。しかし生命はあえて損傷時以外にも、減数分裂時には染色体の組み換えを行なって、遺伝子のシャフリングを行なっています。そのためには2本鎖の切断と修復が必要です(図1)。

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ショスタクらは1983年に、2本鎖切断を修復する機構のモデル(仮説)を発表しました(7、図2)。今見てみると非常に味わい深いモデルだと思いますが、発表された当時はあまりに都合の良いことを単純につなぎ合わせたような気がして、信じ難い感じがしました。多くの研究者が当時はそう思っていたのではないでしょうか。しかし現在では着々とその正しさが証明されつつあります(8)。

2本鎖の断点から、まず1本鎖が断点の5’側からエクソヌクレアーゼによってかじられ(タンパク質がとりつくスペースを空けるためでしょう)、かじられなかったもう1本の鎖にRAD51(図2の赤丸)というタンパク質がとりつきます。これとRAD54(図2のオレンジ楕円)などが協力して相同染色体の対応部位をさがしてとりつきます。ここで相同染色体にある塩基配列を利用して図2のような修復を行ないます。結果的に染色体の組み換えが行なわれていることに注意して下さい。修復に利用された相同染色体側から見れば、染色体の一部が切り取られて移動しただけですが、2本鎖切断を受けた側の染色体では、極めて複雑なプロセスがあることがわかります。このプロセスの全貌はまだ解明されていません。

重要なのは、生物が本来持っている遺伝子組み換え機構を発動するには、DNA2本鎖切断、相同染色体、DNA加工酵素、相同部位を探すために必要なタンパク質、の4者が必要だということです。

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DNAの2本鎖修復が、切断を受けたDNA以外のDNAを利用して行なわれることの証拠をはじめて示したのはマリア・ジャシンらでした。彼女らは18塩基配列を認識して2本鎖DNAを切断する特殊なエンドヌクレアーゼをマウスに導入し(マウスにはこ18塩基配列がないため、ずっと発現していても何もおこらない)、18塩基配列をマウスゲノムに埋め込むとともに、この配列に相補的なDNA断片を供給すると、約10%の細胞が相同組み換えによってDNAを修復することができました(9)。

この記事「クリスパー」の主役であるジェニファー・ダウドナはショスタクの研究室で博士号を得ているので、当然相同遺伝子組み換えには関心を持っていたはずですが、ポストドクはコロラド大学のトム・チェックの研究室でリボザイムの研究を行なっていました。しかし彼女が就職してから最初に取り組んだのは、「細菌の免疫機構」というテーマでした。

参照(4)によると、2006年のある日会ったこともないジリアン・バンフィールド(ジル)という研究者から電話がかかってきて、共同研究のオファーがあったそうです。よくわけがわからなかったそうですが、ダウドナはその熱意にほだされて会って話を聴くことにしました。ジルはあらゆる細菌DNAが規則的にとびとびに並んだクラスター状の回文反復配列を持っており、その反復配列の間に異なる配列がはさまれているという話をしました(図3、灰色部が反復配列、赤・青・緑がそれぞれ異なる配列)。

この回文反復配列は、もともと別の大腸菌遺伝子の研究をしていた石野良純がその隣接領域に発見して報告していたものです(10、図3の赤枠の中)。当時はこの配列の重要性に誰も気づきませんでしたが、かなり後になって、この配列が多くの細菌・古細菌にみられるということをフランシスコ・モヒカらが報告しました(11)。ウィキペディアによれば、配列決定された原核生物のうち真正細菌の4割と古細菌の9割に見出されているそうです。この配列は2002年にルート・ヤンセンらによってCRISPR(クリスパー=Clustered Regularly Interspersed Short Palindromic Repeats)と命名され、この近傍にはCAS遺伝子群(CRISPR-associated genes)が存在することも明らかになりました(12)。


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ダウドナがジルに会う少し前に、アレグザンダー・ボロティンらが、反復配列にはさまれた赤・青・緑の領域がウィルスの塩基配列とホモロジーがあることを発表していました(13)。さらにジルはダウドナにマカロヴァらの最新の論文を見せ、そこにはクリスパーが細菌の免疫機構のひとつであることが示唆されていました(14)。 ダウドナは自分がそれまで研究していたRNA干渉(mRNAの相補配列をもつRNAが転写を制御する機構)が、原核生物の免疫に関与しているという話に驚愕し、ただちに食いつきました(4)。ダウドナの本には、海中の細菌の40%が毎日ウィルス感染によって死んでいると書いてあります。細菌にはすごい増殖能力があるので、ウィルス感染なんて「へ」でもないというわけにはいかないようです。

ちょうどその頃、ロドルフ・バランガウらはウィルス抵抗性を獲得した細菌のクリスパーを調べて、新規にそのウィルスのゲノム配列がスペーサー部にコピーされていることを発見し、クリスパーが細菌の獲得免疫をになう機構であることを証明しました(15)。この免疫機構が素晴らしいのは、いったん獲得するとそれが子孫にも受け継がれるという点です。

2008年になりスタン・ブロウンズらは、まずクリスパー全体が転写され、次に転写されたRNAがリピート部分でRNA分解酵素によって切断されて、各スペーサー部分と相補的なRNA分子が生成されることを示しました(図4、16)。この短いRNAはウィルスゲノムと相補的な構造をもっているため、ウィルスを不活化することができると考えられます。しかしそのメカニズムはそのようなものなのでしょうか。最近の研究ではこのメカニズムは大きくわけて大腸菌などに適用される I 型と レンサ球菌などに適用される II型があることがわかっています。

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ダウドナの研究室では2011年頃までは主に特異性の低いクリスパー I 型について研究していたのですが、プエルトリコのカフェで偶然エマニュエル・シャルパンティエと出会って共同研究を始めた頃から、特異性の高い II 型の研究に重心を移しました(4)。エマニュエルは II 型クリスパーシステムを持つレンサ球菌のCAS9を研究していて、この遺伝子の突然変異によって免疫機構が失われることをみつけていました。ダウドナ研ではエマニュエルの研究室の他各地から人材を集めてCAS9の機能分析を行ないました。中心となったのはダウドナ研のマーティン・イーネック(Martin Jinek) とシャルパンディエ研の クシシュトフ・チリンスキ(Krzysztof Chylinski)です(図5)。二人ともポーランド語を話せたので意思疎通はうまくいったようです。

当初はクリスパーRNAとCAS9でファージDNAを切断できると思っていたわけですが、実はそれ以外に tracrRNA(trans-activated RNA)というもうひとつの役者が必要であることがわかりました。このRNAはクリスパーRNAと相補配列をもち、ハイブリッドを形成してCAS9を分解すべきDNAの特定部位に導きます。PAM配列という生物種や関連分子種によって異なる特異配列が誘導に介在しています。CAS9がDNAの2本鎖をこじ開けると、クリスパーRNAがその片側と結合します。その状態でCAS9のふたつのヌクレアーゼサイトを同時に使って2本鎖の両方を同時に切断します(17、図5)。

ダウドナ研で tracrRNAとクリスパーRNA(crRNA)を人工RNAで接続し1分子(キメラ分子)に統合してもCAS9を切断部位に誘導できることが示され、図5のようにクリスパーをツールとして用いるときは、このようなキメラ分子を使うのが便利ということになりました(図5)。この人工キメラ分子はsgRNA(シングルガイドRNA)と名付けられました。

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図6はクリスパーの基礎研究を主導した3人の女性研究者です。彼女たちは研究者としてのみならずマネージャーとしても一流で、多額の研究費を得て大規模な研究室を維持し切り盛りしています。ちょっとバークレイのダウドナ研のサイトをのぞいてみましたが(18)、主要メンバーはほとんど中国系で驚かされます。まもなくノーベル賞を受賞しようかという研究室にもかかわらず、ポストドク、学生のなかに日本人がみあたらないのは残念です。CAS-クリスパーシステムのもう少し専門的または詳しい日本語解説をみたい方は(19)などを参照されるとよいでしょう。

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CAS-クリスパーシステム(sgRNA+Cas)と挿入用のDNAを使えば、正確な位置にDNAを挿入することができます(図7)。といっても遺伝子をまるごと挿入できるわけではありません。ダウドナはその著書のなかで「CRISPRは私たちに生命の分子そのものを思うままに書き換える手段を与え」と述べていますが、それはちょっと大げさです。たとえば2種類のsgRNAを用いてひとつの遺伝子を両端で切断してとりはずし、別の遺伝子と入れ換えるなどということはできません。ただ遺伝子に突然変異を導入する効率は飛躍的に進歩しました。

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CAS-クリスパーシステム(sgRNA+Cas)を使ってDNAを切断すると、2本鎖切断がおきるので、鋳型に依存しない通常不正確な修復機構によってDNAがつながります。この結果しばしば遺伝情報のフレームシフト(横ずれ)によってコードが意味をなさなくなり、遺伝子の機能が失われます(図8)。

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マウスの受精卵にCAS-クリスパーシステム(sgRNA+Cas)を注入し、胚盤胞まで培養して仮親に育てさせると、狙った遺伝子が図8のような機構で無効化し、ノックアウトマウスを作成できます(図9)。また同時にオリゴDNAを注入すると、そのオリゴDNAをゲノムDNAにとりこんだ動物ができます。たとえば点突然変異を持つ動物を作成できます(20、図7)。

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ある遺伝子に変異を導入して病原菌のターゲットにならないように遺伝子を改変するというのは、CAS-クリスパーシステムの特異とするところです。うどんこ病に抵抗性のコムギなどは大きな成功でしょう(21)。このシステムでは狙った特定の位置に正確に変異を導入できるので、X線・ガンマ線・化学物質などを使ってランダムに導入された変異などとはわけが違う、素性のはっきりした品種改良であり、これは私達が慎重さを確保した上で受け入れるべきものでしょう。

ダウドナの本(4)は非常によくまとめられていて、著者の頭の良さをうかがわせますが、同時にクリスパーのプロパガンダの本でもあります。クリスパーはもともとウィルスのDNAを破壊するためのシステムであり、特定の配列を認識してDNAを切断することはできますが、これを遺伝子編集というのはかなりおおげさな表現だと思います。クリスパーシステムが制限酵素のシステムと違うのは、ひとつはウィルスのDNA配列を記憶しておけるということ。もうひとつは制限酵素よりはるかに長い配列(20塩基)を認識できるので、自分のDNAを間違って切断する心配はない(したがってメチル化による保護は不要)ということです。

クリスパーシステムを用いた遺伝子治療を行なうには、プラスミドかウィルスにCAS-クリスパーを潜入させて、標的になる細胞にとりこませなければなりません。受精卵は大きいのでマイクロインジェクションで注入できますが、体細胞にはこのやり方は向いていません。このあたりがなかなか難しいところです。

参照

1)免疫不全症の遺伝子治療 AASJ
http://aasj.jp/news/watch/2281

2)遺伝子治療の現状と課題 PMDA科学委員会
https://www.pmda.go.jp/files/000156275.pdf

3)遺伝子治療の再来 北青山Dクリニック がん遺伝子治療センター
https://cancergenetherapy-dclinic.info/knowledge/treatment/457/

4)ジェニファー・ダウドナ、サミュエル・スターンバーグ著 櫻井裕子訳 「クリスパー 究極の遺伝子編集技術の発見」文藝春秋社(2017)

5)http://morph.way-nifty.com/grey/2016/11/post-4728.html

6)http://morph.way-nifty.com/grey/2016/12/post-1ebc.html

7)Jack W. Szostak , Terry L. Orr-Weaver , Rodney J. Rothstein , Franklin W. Stahl., The double-strand-break repair model for recombination., Cell Vol. 33, Issue 1,  pp. 25-35 (1983)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0092867483903318

8)黒沢綾、足立典隆 ヒト細胞における DNA 二本鎖切断の修復 Isotope News  2014 年 5 月号 No.721、 pp. 8-14
https://www.jrias.or.jp/books/pdf/201405_TENBO_KUROSAWA_ADACHI.pdf#search=%27%E9%BB%92%E6%B2%A2%E7%B6%BE%E3%80%81%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E5%85%B8%E9%9A%86%27

9)Philippe Rouet, Fatima Smih and Maria Jasin., Expression of a Site-Specific Endonuclease Stimulates Homologous Recombination in Mammalian Cells., Proc. NAS., Vol. 91, No. 13, pp. 6064-6068 (1994)
https://www.jstor.org/stable/2365114

10)Ishino, Y., Shinagawa, H., Makino, K., Amemura, M., and Nakata, A. (1987) Nucleotide sequence of the iap gene, responsible for alkaline phosphatase isozyme conversion in Escherichia coli, and identification of the gene product. J. Bacteriol. 169, 5429-5433.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC213968/pdf/jbacter00202-0107.pdf

11)Francisco J. M. Mojica, Cesar Díez-Villaseñor, Elena Soria, Guadalupe Juez., Biological significance of a family of regularly spaced repeats in the genomes of Archaea, Bacteria and mitochondria., Molec. Microbiol., vol. 36, Issue 1, pp. 244–246 (2000)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1046/j.1365-2958.2000.01838.x/full

12)Jansen R, Embden JD, Gaastra W, Schouls LM.,  “Identification of genes that are associated with DNA repeats in prokaryotes”. Mol Microbiol vol. 43 (6): pp. 1565–1575. (2002) doi:10.1046/j.1365-2958.2002.02839.x. PMID 11952905

13)Bolotin A, Quinquis B, Sorokin A, Ehrlich SD., Clustered regularly interspaced short palindrome repeats (CRISPRs) have spacers of extrachromosomal origin., Microbiology. vol. 151(Pt 8): pp. 2551-2261. (2005)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16079334

14)Makarova KS, Grishin NV, Shabalina SA, Wolf YI, Koonin EV., A putative RNA-interference-based immune system in prokaryotes: computational analysis of the predicted enzymatic machinery, functional analogies with eukaryotic RNAi, and hypothetical mechanisms of action.,  Biology Direct, 1:7, (2006)  doi:10.1186/1745-6150-1-7
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16545108

15)Rodolphe Barrangou et al., CRISPR Provides Acquired Resistance Against Viruses in Prokaryotes., Science vol. 315, Issue 5819, pp. 1709-1712 (2007)
DOI: 10.1126/science.1138140
http://science.sciencemag.org/content/315/5819/1709.long

16)Brouns SJ et al., Small CRISPR RNAs guide antiviral defense in prokaryotes., Science. vol. 321 (5891): pp. 960-964. (2008)  doi: 10.1126/science.1159689.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18703739

17)Jinek M, Chylinski K, Fonfara I, Hauer M, Doudna JA, Charpentier E., A programmable dual-RNA-guided DNA endonuclease in adaptive bacterial immunity.,
Science vol. 337(6096):  pp. 816-821. (2012)  doi: 10.1126/science.1225829. Epub 2012 Jun 28.

18)http://rna.berkeley.edu/people.html

19)新海暁男  CRISPR-Casシステムの構造と機能 生物物理 vol. 54(5),pp. 247-252(2014)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/54/5/54_247/_pdf

20)H Wang et al., One step generation of mice carrying mutations in multiple genes by CRISPR/Cas-mediated genome engineering., Cell vol. 153 pp. 910-918 (2013)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3969854/

21)Yanpeng Wang et al., Simultaneous editing of three homoeoalleles in hexaploid bread wheat confers heritable resistance  to powdery mildew., Nature Biotechnology, vol. 32, pp. 947-952  (2014 ) DOI: 10.1038/nbt.2969

 

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2017年11月26日 (日)

やぶにらみ生物論94: ノックアウトマウス

1970年代後半から、遺伝子クローニングやDNA塩基配列解析の技術が飛躍的に進歩しました。それにともなって、構造はわかったが機能がわからない遺伝子がたまっていくことになりました。このような未知遺伝子の機能を解析するには、とりあえずその遺伝子を無効化して何が起こるか見てみたいわけです。

1980年代になってエヴァンスらが胚盤胞の内部細胞塊から多分化能をもつ細胞株(ES細胞)の樹立に成功し(1、図1))、ES細胞由来のマウスを作成することが可能になりました。

1985年には、スミティーズらが相同遺伝子組み換え法によって、ベータグロビン遺伝子領域に外来のDNAを挿入できることを示しました(2、図1)。そしてついに1987年になって、カペッキらは、ヒポキサンチン-グアニンホスホリボシルトランスフェラーゼ (HPRT)という酵素の遺伝子の一部に、ネオマイシン耐性遺伝子を組み込んだベクタ-作成し、ES細胞内で相同遺伝子組み換えを起こさせてHPRTを欠損する細胞を作成しました(3、図1)。個体レベルでは、HPRTを欠損すると体内に尿酸が蓄積して痛風や腎不全が引き起こされます(4)。

エヴァンス・スミティーズ・カペッキらによって開発された技術は一般化され、どの遺伝子でも人為的に欠損させてその機能を調べられるようになりました。この功績によって彼ら3人に2007年のノーベル生理学・医学賞が授与されました(5)。マリオ・カペッキはイタリア人ですが、父親は戦死、母親は反ファシスト運動でダッハウ収容所に送られ、4才から放浪して数年間コチェビのような生活(ストリート・チルドレン)をしていたそうです(6)。

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ノックアウトマウス作成の概要は次のようになります。まず標的遺伝子と似ているが不活化した遺伝子を含むベクターを用意します。通常この内部にはネオマイシン耐性遺伝子などの、組み換えが成功した細胞を選択するための遺伝子を挿入しておきます。このベクターを胚性幹細胞(ES細胞)を培養しているシャーレに投入して、電気ショック・リン酸カルシウム処理などで細胞内に侵入させ、標的遺伝子との組み換えを行なわせます(図2)。

組み換えに成功した細胞はネオマイシン耐性などで選別します。生き残ったES細胞(相同遺伝子組み換えに成功した細胞)を胚盤胞に注入します(図2)。注入された細胞は、内部細胞塊の細胞と混ざって、これから生まれる個体の一部になります。つまりこの胚盤胞はキメラ動物になります。

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通常図2のような操作を行なう場合、分子生物学担当、細胞培養・胚操作担当、などとは別に動物実験担当者を決めておき、担当者はまずパイプカット手術(無精子となる)をした♂と正常なメスを交配させて、偽妊娠状態の♀を作成しておきます。偽妊娠状態の♀に図2で作成した胚盤胞を移植して着床させます(図3)。この仮親となった♀から生まれた子供は、本来の親由来の細胞とES細胞由来の細胞の両者を持っており、いわゆるキメラの状態になります(図3)。

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キメラマウスの卵または精子のなかにはES細胞由来の遺伝子を持つものがあるはずで、そのような生殖細胞と正常な動物の生殖細胞が接合すると、ES細胞由来の遺伝子をヘテロで保有する動物が生まれてきます(図4)。そのヘテロ動物同士をかけあわせると、メンデルの法則に基づいて25%の確率でホモの生物が生まれます。

このマウスは本来持つべき遺伝子を2本の染色体共に喪失しているので、当該遺伝子に関していわゆるノックアウト状態になります(図4)。このような状態のマウスをノックアウトマウスとよびます。

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相同組み換えを起こさせるために、通常はES細胞の培養系にベクターを投入するのですが、もともとは図5のように、受精卵の核にDNAを注射する(マイクロインジェクション)という方法も採られました。

吸引用の毛細管で吸引することによって卵を固定し、反対側から注射用毛細管でDNAを卵核に注入します。難しい技術で効率もよくないのですが、この方法でもノックアウトマウス作成が可能です(図5)。

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遺伝子は必要であるからこそ代々受け継がれてくるわけで、ノックアウトすれば当然不都合が発生するはずです。特に日常的に必要とされるタンパク質をコードする遺伝子をノックアウトすると、胚または胎仔のうちに死亡して生まれてさえこないということになります。それでは遺伝子の機能解析ができません。

そこで外部からなんらかのシグナルを送らない限り遺伝子の喪失がおこらないような生物が、ブライアン・ザウアーらによって考案されました(7、8、図6)。それはCre/loxPというシステムですが、このシステムのルーツはバクテリオファージP1にあります。このファージは環状化するためにloxPという配列(図6)を両端に持っており、この2ヶ所にCreというリコンビナーゼが結合し、その後それぞれのCreが結合することによって反応がはじまって、ホストDNAからファージDNAが切り出されて環状化します。

ブライアン・ザウアーという人はもともと天文学者になりたかったそうですが、ウィスコンシン大学の数学科を卒業してから縁あってデュポン社の研究所で仕事をするようになり、そこで同僚がバクテリオファージのCre/loxPシステムを研究していたので、それを真核生物の研究に役立てる方法はないかと考えるうちに、遺伝子ノックアウトに使えるのではないかと思いついたそうです(9)。

標的遺伝子と相同組み換えを行なうDNAの両端にloxP配列を入れておくと、そのDNAが標的遺伝子と同じ機能を持つとしても、Creが作用すればloxPにはさまれた部分は環状化してゲノムから切り離され、遺伝子機能は失われます(図6)。ここでCreを核内に侵入させる方法を考えます。あるシグナルがあると核内に移行するタンパク質があれば使えるかもしれません。

たとえばエストロジェン受容体にCreを結合し、タモキシフェンを作用させるとエストロジェン受容体はCreと共に核内に移行します。そうするとCreはloxPと反応して標的DNAを切り出し無効化させることができます。すなわちタモキシフェンの投与によって、随時遺伝子をノックアウトできるのです(10、図6)。

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このCre/loxPというシステムは大変便利なもので、例えばCreの上流にあるプロモーターを組織特異的に機能するプロモーターに付け替えておくと、例えば筋組織だけで機能するプロモーターだと、筋組織だけでCreが発現して遺伝子が無効化する生物を作成することができます。

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また、標的遺伝子をloxPではさみ、さらにレポーター遺伝子(たとえば細胞を緑色に光らせるGFP遺伝子など)をつないだ相同組み換えを行なったマウス(floxedマウス)を作成し、これとCreをゲノムに組み込んだマウスを交配するとCre/loxPマウスが作成できます(図8)。あとは上記の通り、時期特異的なり組織特異的なりの方法で遺伝子機能を解析することができます。これらのプロセスのかなりの部分は、お金さえあれば業者に委託してやってもらうことも可能です(11)。また胚や精子を大学や業者に預けて保存してもらうことも可能です(12、13)。

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参照

1) Evans, M. J., and Kaufman, M. H. Establishment in culture of pluripotential cells from mouse embryos. Nature, vol. 292, pp. 154-156 (1981). doi:10.1038/292154a0
http://www.nature.com/articles/292154a0

2) Oliver Smithies, Ronald G. Gregg, Sallie S. Boggs, Michael A. Koralewski & Raju S. Kucherlapati., Insertion of DNA sequences into the human chromosomal β-globin locus by homologous recombination., Nature vol. 317, pp. 230–234 (1985) doi:10.1038/317230a0
http://www.nature.com/articles/317230a0

3)Thomas, K. R., and Capecchi, M. R. Site-directed mutagenesis by gene targeting in mouse embryo-derived stem cells. Cell, vol. 51, pp. 503-512 (1987).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2822260

4)レッシュ・ナイハン症候群
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4_%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

5)The Nobel Prizein Physiology or Medicine 2007 is awarded jointly to Mario R. Capecchi, Martin J. Evans and Oliver Smithiesfor their discoveries of “principles for introducing specific gene modifications in mice by the use of embryonic stem cells”
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2007/popular-medicineprize2007.pdf

6)https://en.wikipedia.org/wiki/Mario_Capecchi

7)Sauer, B. "Functional expression of the Cre-Lox site-specific recombination system in the yeast Saccharomyces cerevisiae". Mol Cell Biol. vol. 7 (6): pp. 2087–2096. (1987)doi:10.1128/mcb.7.6.2087. PMC 365329 Freely accessible. PMID 3037344.

8)Sauer, B.; Henderson, N. (1988). "Site-specific DNA recombination in mammalian cells by the Cre recombinase of bacteriophage P1". Proc. Natl. Acad. Sci. USA. vol.85 (14): pp. 5166–5170. (1988)  doi:10.1073/pnas.85.14.5166. PMC 281709 Freely accessible. PMID

9)https://www.dnalc.org/view/16868-Biography-41-Brian-Sauer-1949-.html

10)D Metzger, J Clifford, H Chiba, P Chambon.,  Conditional site-specific recombination in mammalian cells using a ligand-dependent chimeric Cre recombinase. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., vol. 92(15); pp. 6991-6995 (1995) [PubMed:7624356]  [WorldCat.org]

11)http://www.funakoshi.co.jp/contents/7812

12)http://www.transgenic.co.jp/products/mice-service/modified_mouse/icsi.php

13)http://www.anim.med.kyoto-u.ac.jp/NEW_ILA/reports/v2/2seijyou.htm

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2017年11月17日 (金)

やぶにらみ生物論93: ES細胞とiPS細胞

哺乳動物はプラナリアのように分断してもまた個体が再生されるという生物ではありません。トカゲのようにしっぽを切ったらまた生やすという能力もありません。成体のカエルも哺乳動物と同様足を切ったらまた生えてくるわけではない生物ですが、1958年にガードン( J. B. Gurdon )が、カエルの腸の細胞の核を、予め除核した卵に移植すると、低い確率ですがカエルが発生することを発見していました(1)。

すなわち成体のカエルはプラナリアのように体を切り刻んでも個体の再生はできないけれど、少なくとも一部の体細胞には発生の全過程をサポートする能力のある遺伝子が残っているということが示されました。この実験は後に ワブル(M. R. Wabl )らによって検証され、たまたま腸に残存していた多能性幹細胞の核が採取されたのではなく、実際に分化が完了している細胞のDNAに発生の全過程をサポートする遺伝情報が存在することが証明されました(2)。また哺乳類でもテラトカルシノーマという癌は内部に様々な分化した細胞を内包することは昔から知られていました(3)。これらのことは組織や臓器を培養容器内で生成しようとする人々に勇気を与えました。

1996年になって、キース・キャンベルとイアン・ウィルムット(Keith Campbell and Ian Wilmut )らは羊の乳腺細胞を通常の血清濃度の1/20で培養して多能性を復活させ、別の個体から得られた未受精卵の核を除去して、多能性復活処理した乳腺細胞と電気刺激で融合させました。さらにその細胞を胚盤胞まで体外で育て(図2)、代理母の子宮に移植すると子羊が誕生しました。

この子羊は乳腺細胞を採取した羊のクローンであり、ドリーと名付けられました(4,図1)。ドリーは哺乳類初のクローン個体であり、その誕生は畏怖の念をもって世界から注目されました。ノーベル文学賞のカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」(2005年刊)でも、ヒトのクローンがとりあげられました。

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同じ方法ではありませんが、クローン動物は優秀な種牛の保存などに実用化されました。ペット(イヌ・ネコ)を復活させようという試みも成功しています。遺伝子は同じでも全く別の個体なので、こんな技術は倫理的にも問題があり無用という人もいますが、私もペットを飼育しているので、永年寄り添って生きてきたペットが死んだ後、姿形だけでも同じ個体が再生できるというのは心がさわぎます。

学術的な見地からは、絶滅危惧種の保存などには有用でしょう。哺乳類成体の組織から幹細胞を採取してドリーのようなクローンをつくる技術は、非常に成功率が低い上にヒトに応用するにはあまりにも倫理的な問題が大きすぎて、その後華々しく発展することはありませんでした。とはいえ多能性幹細胞を採取して研究しようという試みの際には、常にバックグラウンドとなっていることに間違いはありません。

医学的な応用や分子生物学的な研究のためには、やはり多能性幹細胞を培養器の中で制御しながら分化させていくという技術が必要です。さて組織や臓器を培養容器内で高い効率で作成するには、その種になる細胞をどこから採ってきましょうか?

哺乳類の場合図2のように、受精した卵はまず不規則に卵割し桑実胚という細胞の集塊を形成します。その後細胞は2つのグループに分かれ、片方は栄養細胞層、他方は内部細胞塊を形成します。その際に卵割腔という空洞も形成されます。実験技術上の観点や実用的な観点から言えば、その多能性幹細胞をシャーレで培養し、何らかの方法で筋肉や皮膚などの組織を誘導できれば有難いわけです。

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少しさかのぼりますが1981年、マーチン・エヴァンス のグループと彼の弟子である ゲイル・マーチン は、独立にそれぞれヒト胚の内部細胞塊から細胞を取り出して培養し、さまざまな細胞に分化させることに成功しました(5、6、図2、図3)。

女性が生涯に生み出せる卵子は400個くらいですが、そのひとつをもらって人工受精させ、培養容器内で胚盤胞(図2)まで発生させます。この胚盤胞の中にある内部細胞塊は、このあとヒトの様々な組織をつくる未分化な細胞群です。マーチン・エヴァンスはこの未分化細胞にレトロウィルスベクターを用いて遺伝子を導入し、代理母の子宮で育てさせてトランスジェニックマウスの作成に成功しました。マーチン・エヴァンスは2007年にノーベル生理学医学賞を授賞しました。

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エヴァンスやゲイル・マーチンが開発した多能性幹細胞培養技術を飛躍的に進化させたのはジェームス・トムソン(James A. Thomson、図3)でした。トムソンはまずサルの内部細胞塊からES細胞(胚性幹細胞 embryonic stem cell)の株を樹立することに成功しました(7)。細胞株というのは、長期間にわたってシャーレ内で細胞分裂を繰り返しても、分化して分裂を停止することなく、そのままの状態で継代しながら培養可能な細胞のことです。

通常癌化した細胞を継代培養して樹立されますが、哺乳類の多能性幹細胞でこのような株がつくられたのははじめてのことです。トムソンはこれですぐ誰かがヒトのES細胞株をつくるだろうと予想したそうですが、意外にも誰も手を出さず、ならばと自分でとヒトES細胞株を自作しました(8、9)。トムソンの株は8ヶ月培養しても変化なく、カリオタイプも安定していて優秀な細胞株でした。

トムソン自身は医学的利用にはあまり関心がなく、この細胞株を使ってヒトの発生過程における遺伝子発現の変化などを研究しようと考えていたようです(9)。一方でこれで様々な組織や臓器を作成して、病気の治療に利用しようとするグループは勢いづきました。クローン人間も容易に制作できそうでした。そのためこの分野の研究に危機感を抱くグループ、特に宗教関係者からは激しい拒否反応がおきました(9)。胚を実験に使うのは殺人行為で許されないという主張です。ジョージ・ブッシュ大統領はこの勢力に同調し、2001年にはES細胞研究には助成金を出さないことを決定しました(10)。この措置はオバマ大統領に代わるまで継続しました。

もし胚の細胞ではなく、成体の幹細胞から株を作成できれば反対派の主張を回避できます。乳腺細胞からクローン羊ができたわけですから、そのような細胞株ができても不思議ではありません。ここで登場したのが黄禹錫(ファン・ウソク)です。黄禹錫事件に興味のある方は私の過去記事(11-13)などを参照して下さい。黄禹錫の実験の概要は、成体の幹細胞(体性幹細胞)の核を除核した受精卵に移植し、電気ショックを与えるとES細胞ができるというものでした(図4)。

彼の論文は続けざまにサイエンス誌に掲載され、世界の大注目を浴びましたが、これが捏造論文だということがわかって、韓国のみならず世界の科学界は底知れぬ衝撃を受け、かつ信用を失ってしまいました。

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黄禹錫事件の影響もあって、ヒト胚の幹細胞を使って研究や医療技術の開発を進めることは困難になってきました。そうなると幹細胞は成人の組織にひそんでいるものを探し出すか、それともすでに分化が進んだ細胞を幹細胞に若返らせるかしかありません。

それを実現したのが奈良先端科学技術大学院大学の山中グループでした。徳澤佳美(図5)は初期胚や多能性幹細胞で強く発現している Fbx15 という遺伝子に注目し、この遺伝子をDNAから除外して、その場所にネオマイシン耐性遺伝子を挿入したノックインマウスを作成しました。

このマウスは多能性幹細胞をつくることができず、マウスは胎仔期に死亡することが期待されましたが、予想に反して健康に成長し、子孫をつくることもできたのです(14)。残念な結果でしたが、このようなことはままあることで、生物はフェイルセーフ機能を持つ場合があって、ある遺伝子が損傷をうけても他の遺伝子が機能を代替することがあります。この場合は Fbx15遺伝子を喪失しても、他の遺伝子が機能を代替したわけです。重要な機能であればあるほどその可能性は高まります。

機能が代替されるとはいっても、Fbx15遺伝子は初期胚や多能性幹細胞で発現しているので、Fbx15遺伝子の上流には多能性幹細胞が生成する物質を関知して、Fbx15に置き換えられたネオマイシン耐性遺伝子を活性化する領域が存在します。したがって、細胞に様々な候補遺伝子をレトロウィルスベクターを用いて投入し、遺伝子が多能性幹細胞の出現や維持に関係あれば、ネオマイシンを含む培地で生存できるというテストシステムとして使えます。

その頃には多能性幹細胞に関係がありそうな候補がかなり報告されていたので、高橋和利(図5)は24の遺伝子を選んで、それぞれひとつづつを線維芽細胞(真皮の細胞)に導入し徳澤のテストシステムにかけてみましたが、すべての細胞はネオマイシン培地で生き残ることができませんでした。

そこで高橋は24遺伝子を全部挿入したらどうなるか試してみました。24遺伝子を同時に導入すると(といっても全部が挿入されるわけではなく、ランダムにいくつかの遺伝子が導入される可能性が高い)、一部の細胞はネオマイシン培地で生き延びました。そこで高橋は24遺伝子から順次ひとつづつ遺伝子を減らした23遺伝子を挿入するという手法で、Oct3/4・Klf4・Sox2・c-Mycの遺伝子導入が多能性幹細胞形成に必須であることを示しました。つまりこの4因子のひとつを欠くと、多能性幹細胞ができないわけです。実際この4因子を導入すると、0.1%以下の低い確率とはいえ、見事に人工多能性幹細胞(iPS細胞=induced pluripotent stem cell)が生成されました(15)。2006年のことです。

徳澤はアッセイシステムを作成したばかりでなく、マウスES細胞を用いてKlf4が多能性幹細胞の維持に必要であることを示していたので、当然参照論文15の共著者になるべきだったと思いますが、山中によれば自分が黄禹錫のようになった場合を恐れて除外したそうです(16、17)。私はこの件についてはもっと裏があるような気がします。

この論文発表(15)の翌年には、山中グループはヒトの線維芽細胞を用いて、同様な方法で ヒトiPS細胞 の作成に成功しました(18)。ローマ法王庁は受精卵を破壊しない山中の手法を絶賛するコメントを発表しました(19)。山中伸弥はJ.B.ガードンと共に2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

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iPS細胞の一般的作製法をウィキペディアからコピペしたのが図6です。成体から採取した細胞を培養してある程度シャーレで増殖したら、必要な遺伝子を組み込んだベクターを投入して細胞内にとりこませ、薬剤耐性テストでとりこんだと確認された細胞をフィーダー細胞(シャーレの底に張り付いて、増殖をサポートする細胞)の上で培養し、増殖させてコロニーを形成させます。一つのコロニーを取り上げて別のシャーレで培養することにより、継代培養が可能なiPS細胞の株ができたことになります。

さまざまな微量成分を含むフィーダー細胞や血清を利用すると、それらが放出する、あるいはそれらに含まれているどんな成分が培養に必要なのかというのがブラックボックスになるので、できれば使いたくないのですが、それほど細胞培養はデリケートなものであるということは言えます。山中伸弥は「京都の水を使ったからできたなどと言われないようにしよう」と言ったそうです。

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ES細胞やiPS細胞は未分化で無限増殖能を持つわけですが、これを様々な組織に分化誘導するにはどうすればよいのでしょうか? 神経系の細胞に誘導するのは簡単で、血清や増殖因子無しで培養すると、自然に神経系細胞に分化します。上谷らは細胞内における誘導因子としてZpf521というタンパク質を同定しました(20)。高橋らによると網膜細胞はDkk-1 と Lefty-A という因子を培養に添加することによって分化誘導できるそうです(21)。

最近ではシステマティックな誘導も部分的には可能になっているようです(22)。すでにヒトiPS細胞を心筋細胞に分化させるキットなども販売されています(23)。このような方法で作成した細胞のシートを組織や器官にはりつけると、細胞は自然に組織や器官の一部となって再生医療ができる場合があります。京都大学のiPS細胞研究所では3次元的な心臓組織の作成にも成功しています(24)。このような直接治療に関わる利用以外にも、ES細胞やiPS細胞は薬剤が有効かどうか、どのような副作用があるかなどのさまざまな試験を、実験動物を使用しないで行なうことができるというメリットもあります(25)。

iPS細胞作成に必要な山中4因子のうち c-Mycは癌を発生させる可能性がある危険な因子ですが、その後 Glis1という因子を代わりに使用することができて、こちらのほうが効率が良く、癌化の危険性も少ないということがわかりました(26、27、図7)。

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iPS細胞を使った治療は、本人のiPS細胞を用いるのが理想なのですが、それには多大な費用が必要で普及させることは困難です。免疫拒否反応について配慮されたストックを使うという道が現実的です。他人のiPS細胞から誘導された網膜の移植によって滲出型加齢黄斑変性の治療を行なうという手術がすでに行なわれており、現在経過観察中だそうです(28)。良い結果となることを期待したいですね。

 

参照

1)Gurdon, J. B.; Elsdale, T. R.; Fischberg, M. (1958). "Sexually Mature Individuals of Xenopus laevis from the Transplantation of Single Somatic Nuclei". Nature. 182 (4627): 64?65. doi:10.1038/182064a0. PMID 13566187.

2)Wabl, M. R.; Brun, R. B.; Du Pasquier, L. (1975). "Lymphocytes of the toad Xenopus laevis have the gene set for promoting tadpole development". Science. 190 (4221): 1310?1312. doi:10.1126/science.1198115. PMID 1198115.

3)http://news.livedoor.com/article/detail/12531644/

4)Campbell K. H.,  McWhir J.,  Ritchie W. A., Wilmut I., "Sheep cloned by nuclear transfer from a cultured cell line". Nature. vol. 380 (6569): pp. 64–66. (1996) Bibcode:1996Natur.380...64C. PMID 8598906. doi:10.1038/380064a0.

5)Evans M, Kaufman M., “Establishment in culture of pluripotent cells from mouse embryos”. Nature vol. 292 (5819): pp. 154–156. (1981) doi:10.1038/292154a0. PMID 7242681.

6)Martin G., “Isolation of a pluripotent cell line from early mouse embryos cultured in medium conditioned by teratocarcinoma stem cells”. Proc Natl Acad Sci USA vol. 78 (12): pp. 7634–7638.  (1981) doi:10.1073/pnas.78.12.7634. PMC 349323. PMID 6950406.

7)Thomson, J. A., Kalishman, J., Golos, T. G., et al., Isolation of a primate embryonic stem cell line. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol. 92, pp. 7844–7848. (1995)

8)James A. Thomson et al "Embryonic Stem Cell Lines Derived from Human Blastocysts", Science, vol. 282, 5391, pp. 1145-1147 (1998)

9)クリストファー・スコット著 矢野真千子訳 「ES細胞の最前線(原題: Stem Cell Now)」 河出書房新社 (2006)

10)井樋三枝子 ES 細胞研究に関連する法案の動向 外国の立法 vol. 230 pp. 167-175 (2006)
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/legis/230/023008.pdf

11)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯1
http://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_5a4b.html

12)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯2
http://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_5dd2.html

13)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯3
http://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_aab3.html

14)田中幹人編著 「iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるのか」 日本実業出版社 (2008) 

15)Kazutoshi Takahashi, Shinya Yamanaka., Induction of Pluripotent Stem Cells from Mouse Embryonic and Adult Fibroblast Cultures by Defined Factors., Cell Vol. 126, Issue 4,  pp. 663–676 (2006)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0092867406009767

16)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E6%BE%A4%E4%BD%B3%E7%BE%8E

17)せるてく・あらかると iPS細胞の樹立--若い力がもたらした幸運 (特集 iPS細胞が与えた衝撃). 細胞工学 28(3), 242-244, (2009)
http://gakken-mesh.jp/journal/detail/9784879624949.html

18)Takahashi, K.; Tanabe, K.; Ohnuki, M.; Narita, M.; Ichisaka, T.; Tomoda, K.; Yamanaka, S.,  "Induction of Pluripotent Stem Cells from Adult Human Fibroblasts by Defined Factors". Cell. 131 (5): 861–872. (2007)  PMID 18035408. doi:10.1016/j.cell.2007.11.019.

19)万能細胞とバチカン 科学に問う生命の根源 朝日新聞 2008年01月13日
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200801130045.html

20)理研プレスリリース ES細胞から神経細胞へ分化開始させるスイッチ因子を解明
http://www.riken.jp/pr/press/2011/20110217/

21)http://kankyo-j.sakura.ne.jp/kuma2-iPS-RPE1.html

22)iPSポータル(株)のサイト
http://ips-guide.com/induction/

23)ヒト多能性幹細胞を心筋細胞に分化させるキット  PSdif-Cardio Cardiomyocyte Differentiation Kit
http://www.funakoshi.co.jp/contents/7324

24)理研プレスリリース ヒトiPS細胞から3次元的な心臓組織を作製し、 致死性不整脈の複雑な特徴を培養下に再現することに成功
http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/171023-160000.html

25)iPS細胞とはなにか 朝日新聞大阪本社科学医療グループ (2011)

26)Maekawa M, Yamaguchi K, Nakamura T, Shibukawa R, Kodanaka I, Ichisaka T, Kawamura Y, Mochizuki H, Goshima N, Yamanaka S.,  "Direct reprogramming of somatic cells is promoted by maternal transcription factor Glis1". Nature. 474 (7350): 225–9. (2011)  doi:10.1038/nature10106. PMID 21654807. Lay summary – AsianScientist.

27)前川桃子助教インタビュー 工夫を重ねて出会えたGlis1 が見せてくれた可能性
http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/html-newsletters/201106/#page_4

28)https://mainichi.jp/articles/20170329/k00/00m/040/124000c

 

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2017年11月 7日 (火)

やぶにらみ生物論92: 幹細胞

幹細胞という言葉はES細胞や i PS のおかげですっかり世の中に定着しました。しかし改めてきちんとその意味をここで復習しておきましょう。

すでに述べたように、多細胞生物は不死の生殖細胞系列と死を運命付けられた体細胞系列からなります。確かに体細胞は死する運命にありますが、なにしろヒトの体細胞は数十兆個あります。まず大量の細胞をつくらなければなりません。その上で細胞分裂を繰り返しながら3つのグループ(外胚葉・中胚葉・内胚葉)に分かれ、それぞれがまた小グループに分かれて表皮・骨格・消化管などになります(図1)。

体細胞は分裂を繰り返すごとに自分の可能性を狭めていき、最終的にひとつの目標に到達します。これは小学校ではまだ無数の可能性を秘めていた少年が、やがて進学校に合格、受験勉強を経て医学部に入学して卒業し医師免許を取得、医師として一生働くというようなことでしょう。

体細胞は人為的な操作を加えない限り、可能性を狭めることはできても広げることはできません。これは至極当然で、皮膚の中に突然消化管が現われては困るわけです。

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脳神経細胞や心臓の筋細胞などは終末分化した細胞の典型例で、幼少時に分化した細胞はそのまま死ぬまで同じ場所で働きます。ここでひとつの疑問が生じます。なぜ大人になっても髪の毛は伸びるのでしょうか? 

ヒトの毛髪は3日で約1ミリメーターくらい伸びるわけですが、細胞は高さが数マイクロメーターくらいの大きさなので、髪の毛の中の細胞縦1列について3日間で200個弱くらい新しい細胞が生み出されていることになります。1日60個とすると1時間で2.5個の細胞が毛根で生み出されていることになります。これは縦1列の分だけですから、毛1本分ではその数百倍の細胞ができているわけです。

このように多細胞生物が体を構築するシステムは、必要な体細胞を最初に大量に作っておいて、あとはそれらが分化して死んだら個体も死ぬという単純なものではなく、同じ体細胞でも途中で自己複製し補充しながら成人の体をささえていくような細胞も存在します。毛髪・皮膚・爪・血液・小腸などは特に毎日大量の細胞をつくっています。

これらの元になる自己複製しながら組織の細胞を供給していく細胞が幹細胞といわれるものです。幹細胞は細胞分裂が可能な若い細胞なのですが、かといって毛髪の幹細胞から爪や赤血球ができては困ります。各組織の幹細胞は、それぞれ運命が限定されています(1)。

図1のように受精卵は成体のあらゆる細胞を製造する能力を秘めていますが、やがて生殖細胞系と体細胞系というグループにわかれ、体細胞系は外胚葉・中胚葉・内胚葉という能力が限定されたグループにわかれ、それぞれから様々な臓器が生まれてくるわけです。

このとき例えば脳の中に爪になる細胞が混じっているとか、筋肉の中に腎臓の細胞が混じっているなどということは避けなければならないので、細胞分裂が可能な細胞は、分化が進行するあるときにデジタル的に自分の運命をはっきりと決定しなければなりません。これが図2のA、B、Cのプロセスです。

色がついている細胞は実際に分化した細胞ではなく、白い細胞に比べて分化する可能性が限定された細胞を意味します。A、Bの過程だけだと白丸で示した未分化細胞がなくなってしまうので、細胞がダメージを受けたり老化が進んだ場合、組織や臓器が必要とする細胞を補充することができません。脳神経細胞や心筋細胞は一生同じ細胞を使う場合が一般的なので、AやBのプロセスを経た色つきの細胞集団に近いと言えます。

一方毛髪など生きている間は常時補填が必要な臓器はCやDの自己複製が可能な細胞(幹細胞)を維持していかなければなりません。幹細胞を定義すればCのように、細胞分裂した際に自分自身のコピーと分化していく運命にある娘細胞を作り出す細胞ということになりますが、実際には幹細胞のある場所にはCとDが共存していると思われます。

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成人の体にも自己複製できる細胞が存在することは容易に想像できたわけですが、それを科学的に証明するのはなかなか困難でした。それを最初に行なったのはカナダの研究者Till と McCullochで、1961年のことでした。放射線医学・生物学分野の研究者なら、Till と McCulloch の業績は誰でも知っていますが、意外に若い分子生物学の研究者達は知らないのではないでしょうか。幹細胞の研究は長い間、ごく一部の研究者しか興味を持たないような不遇の時代が続いたという事情があります。

Till と McCullochの実験の概要を図3に示します。致死量の放射線を当てたマウスは造血ができなくなって、脾臓も紙のように薄くなって死亡します。マウスはヒトなどと異なり、骨髄でも造血しますが、より主要な造血器官は脾臓です。放射線を当てたマウスが死亡する前に、他のマウスの骨髄細胞を注射すると、脾臓に「こぶ」のような細胞の固まり=コロニーができて造血を行い、本来なら死亡するはずのマウスが生き延びることを彼らは実証しました(2、図3)。つまり他の個体の骨髄に含まれていた造血幹細胞から、図8にみられるような様々な血液細胞が生成されて生き延びることができたということになります。

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JohnsonとMetcalf はさらに造血幹細胞をシャーレの中で培養し、シャーレの中で1個の細胞からコロニーを作らせることに成功しました(3、図4)。そのコロニーの中に、様々な血液細胞が生成されていました。その後血液幹細胞を培養するという実験は大流行し、そこからES細胞(胚性幹細胞)へと研究がつながっていったわけです。

ES細胞やiPS細胞は血液細胞だけでなく、あらゆる細胞に分化する能力を持っています。幹細胞の分野ではES細胞や iPS細胞の作成で複数の研究者がノーベル賞を受賞していますが(4、5)、これらはむしろ応用技術であり、幹細胞の存在を証明したというルーツの業績を残した人々、すなわち Till、McCulloch、Johnson、Metcalf が授賞しないというのは納得できないところです。応用技術というのは次々と技術革新が行なわれることによって乗り越えられていくものですが、ルーツを作ったあるいは原理を証明したという業績は永遠に残るものです。

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ヒトの体内にはさまざまな幹細胞が存在します。表皮の幹細胞のように表皮にしかならないもの、毛髪の幹細胞のように毛髪だけでなく、やけどをしたときは表皮も再生できるもの、造血幹細胞のように赤血球、血小板、白血球、リンパ球など様々なタイプの細胞をつくりだせるものなど様々ですが、そのまま個体を再生できる体細胞はありません。

生物学の研究材料としては比較的ポピュラーな、プラナリアという生物がいます。水の綺麗な小川の底石をはがすとみつかることがあります。長さが1cmくらいの扁平な生き物です。プラナリアは体を切断すると、断片から個体を再生できます(図5)。このことは究極の幹細胞、すなわちあらゆる成体の組織を新生できる能力を持つ幹細胞を、彼らは多数体内に維持していることを意味します。

体を細かく分断しても断片から全体を再生できるというのはいわゆる無性生殖であり、彼らは有性生殖も行なうので、進化の途上で体細胞に含まれる全能性の幹細胞を失わなかったというのが彼らの生き方です。ES細胞や iPS細胞はヒトのプラナリア化を可能にする技術とも言えます。

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一方線虫の1種であるシー・エレガンス(Caenorhabditis elegans)は私達と同じく、体細胞は細胞分裂を繰り返すにつれてその可能性を狭めていき、最終的には特定の臓器に分化して死ぬという運命を持っています。違うのは成人が数十兆個の細胞を持っているのに対して、シー・エレガンスの大人(雌雄同体)は959個の細胞しか持っていません。それらの細胞は受精卵から終末分化するまで、まるで家系図のように出処進退が明らかにされています。

シー・エレガンスの個体も細胞も固定されているわけではなく、発生の過程で複雑に動くので、それぞれをきちんと最後まで見届けるのは途方もない作業ですが、John Edward Sulston と共同研究者達は、細胞に色をつけたりして綿密に追跡し、ついにそれを成し遂げました(6、図6)。56ページの長大な論文ですが、専門外にもかかわらず、私はコピーして手元に置いています。まさに人類の宝のような論文です。ウェブサイトにも公開されています(7)。サルストンは2002年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。図6の右下の系譜は大幅に省略した記載です。

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サルストンらの驚異の業績と比べると小さな知見ですが、ヒトの造血幹細胞の分化系譜も明らかになってきました。まず古典的な系譜を示します(図7)。この図では、造血幹細胞はリンパ系の細胞と骨髄系の細胞に分かれます。骨髄系の細胞は好酸球・好中球・好塩基球のグループと単球(マクロファージ・樹状細胞)のグループ、そしてそれらとは別の系譜の赤血球・血小板系のグループに分かれたあと、それぞれの細胞系譜に分化していきます。

赤血球・血小板系以外の細胞はすべて免疫関連細胞で、異物を排除するためのシステムに所属しますが、赤血球・血小板系は全く異なる役割を持っており、赤血球は呼吸=ガス交換、血小板は血液凝固=傷対策という機能を果たしています(1)。ただし、リンパ系のT細胞と骨髄系の単球に分化できる細胞(赤矢印)が存在するとの報告もあります(8)。この件について河本宏と桂義元が日本語で詳しく解説しています(9、10)。最近ではT細胞系は他の細胞と別系列だという考え方が主流のようです。

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骨髄にはおそらく図2のA~Dタイプの細胞が棲み着いており、条件によってコントロールされた増殖・分化を行なっていると思われます。最近の知見に基づけば、T細胞系の前駆細胞は骨髄に定着するB細胞とは離れた細胞系列で、胸腺に定着して増殖・分化してT細胞を生成するとされています。T細胞は抗体(イムノグロブリン)を産生する以外のさまざまな免疫機能(たとえば細菌に感染した細胞を殺すなど)を持っています。B細胞は抗体を産生する細胞で、B細胞とT細胞をまとめてリンパ球と称するのは正しくないようです。

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ES細胞や iPS細胞については次回に述べます。

参照

1)森岡清和著 「素顔の赤血球-その生いたちと運命をさぐる」 金原出版(1994)

2)Till JE, McCulloch EA: A direct measurement of the radiation sensitivity of normal mouse bone marrow cells. Rad. Res. 14, 213-222 (1961)

3)Johnson GR, Metcalf D: Pure and mixed erythroid colony formation in vitro stimulated by spleen conditioned medium with no detectable erythropoietin. Proc. Natl. Acad. Sci. USA pp. 3879-3882 (1977) 

4)https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2007/evans-bio.html

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E4%BC%B8%E5%BC%A5

6)J.E. Sulston, E. Schierenberg, J.G. White and J.N. Thomson., The Embryonic Cell Lineage of the Nematode Caenorhabditis elegans., Developmental Biology vol. 100: pp. 64-119  (1983)  doi: 10.1016/0012-1606(83)90201-4

7)http://www.wormatlas.org/SulstonembCellLin_1983/SulstonembCellLin1983.html

8)http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/18591

9)河本宏・桂義元 “リンパ球系列” という既成概念からの解放 科学 vol. 79, no.6, pp. 605-613 (2009)
http://kawamoto.frontier.kyoto-u.ac.jp/common/images/contents_for_researchers/d_03/kagakusousetu.pdf

10)河本宏 免疫細胞はどこで、どんな細胞からつくられるの? 
http://www.jsi-men-eki.org/general/qa_pdf/kawamoto.pdf

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2017年10月29日 (日)

やぶにらみ生物論91: 有性生殖

細菌も真核生物も常時活性酸素や環境毒素や放射線・紫外線によってタンパク質・核酸・脂質が変質する(老化)という危機にさらされており、これをどう乗り越えて若々しい個体を維持していくかということが、生物にとって大きな課題です。

細菌はコンパクトで無駄のないゲノムを保持し、高速度の増殖能によって、突然変異の蓄積でダメになった細胞を棄てても、種としては生き残れるという生き方を選択しました。それに加えてDNAの高度な修復システムやプラスミドの移動なども生存に役立っています。

真核生物の中でも多細胞生物の生存戦略は細菌とは全く異なっていて、個体の大部分の細胞(体細胞)を使い捨て、一部の細胞だけを変質要因からなるべく遠ざけて、生殖細胞系(ジャームライン)として保護して子孫に伝えるという生き方を選択しました。

細菌は主として点突然変異によってゲノムの多様性を維持するという戦略をとっていますが、真核生物は生殖細胞系で減数分裂を行ない、その際の組み換えによってゲノムの多様性を維持するシステムを選択しました。減数分裂によって多様性を獲得したゲノムは1倍体なので、もとにもどるには2倍体にならなければなりません。そこで受精というメカニズム、すなわち有性生殖が誕生したと思われます。

有性生殖について語るには、まずトレーシー・ソネボーン(図1)の業績からはじめるべきでしょう。彼は分子生物学が華やかに進展した20世紀の半ばに、近所の池にいるゾウリムシと顕微鏡と培養容器だけで素晴らしい成果を得た研究者です。

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ゾウリムシは他の繊毛虫同様、体軸方向の前後の部分に分かれるようにして細胞分裂するするというのが通常の増殖の方式で、これは無性生殖です。有性生殖としては細胞の接合が行われます。接合に先立ち大核(転写が主目的の栄養核)が消失するとともに生殖核である小核が減数分裂を行い、4つの核に分かれます。このうち3つは消失し、残った1つがさらに2つに分裂し、このうち1つの核を、接合した細胞が互いに交換します(図2)。その後、それぞれの細胞内の2核が融合することで接合は完了します。大核はこの後それぞれの細胞で新規につくられます(1)。

興味深いことに、この4つの生殖核のうち3つが消失するというのは、ヒトのメスの卵母細胞が減数分裂したときに生まれた4つの卵細胞のうち3つは極体として消滅するというのと似ています。無駄をはぶくということなのでしょうか。

ソネボーンはゾウリムシをエサが枯渇した条件に置くと、上記のような接合だけでなく、図2のようにひとつの細胞の中でnの核とnの核が融合して2nの核ができるオートガミーという現象を発見しました(2)。エサを常に十分に与えておくと、ゾウリムシは接合やオートガミーという有性生殖を起こさず無性生殖で増殖しますが、それらは次第に老化して全滅します。

エサが十分にあるのに死滅してしまうというのは、一見種の存続に不利なように感じますが、ひとつの池に大量発生すると、いずれエサ不足で全滅することになるので、それほど問題にならないかもしれません。それよりこのような寿命のある細胞があることが、多細胞生物出現の基盤になったと思われます。

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接合にせよオートガミーにせよ、有性生殖を行うと細胞はリセットされて若返り、集団(クローン)全体が老化するということはありません。つまりときどきエサが枯渇するような条件でゾウリムシを飼育すると、寿命とは関係なく長期間飼育できるということになります。オートガミーでは同じDNAを交換するのですから、遺伝情報は全く変わりません。にもかかわらずこのある種の有性生殖を行うことによって細胞は若返り、新しい生命史をきざむことができるのです。

すなわち有性生殖を行なう生物は、有性生殖を行わなかった細胞には寿命があって必ず死ぬということを意味します。このことから寿命とは「有性生殖の後、非可逆的な変化を経て死に至るまでの期間」と定義できます(3)。余談になりますが、満年齢というのは出産を寿命のはじまり(0才のつもりが実は1才)としているので生物学的には正しくなく、むしろ数え年のほうが受精をはじまりとしているので正しいと言えます。

ゾウリムシがなぜ有性生殖をするか、その理由のひとつは大核と小核に分業をさせることにしたからでしょう。大核はハウスキーピングな転写を常に行っていて、DNAに変異をきたしやすい、いわば消耗品であるのに対して、小核は遺伝子の保存を主目的としているため日常は使われません。このことによって遺伝子を修復するという負担が著しく軽減されるのが大きなメリットです。

多細胞生物に進化することによって、核の分業は細胞の分業に進化し、生殖細胞と体細胞が生まれました。このことにより、生殖細胞には寿命がなく、体細胞には寿命があるというはっきりとした区別が発生しました。

ところが多細胞生物にも例外的に個体全体をリセットできるものがいることがわかっています。そのひとつはベニクラゲです(4、7、図3)。久保田信氏はこのクラゲに100回くらい針で刺すと、彼らは死期を予感するのか若返るそうです。そうして世代を引き継ぐ培養を行ない、2年間で10回も若返らせることに成功しました(5、6)。もちろんそのような人為的な操作を行なわなくても、死期が迫ると彼らは若返ります(7)。まさしく自らを多能性幹細胞に還元して、新しい世代を作成するわけです。

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ところで読者の皆さんは、では細菌の接合は有性生殖なのかという疑問を抱かれると思います。それは現在では真核生物のトランズポゾンの伝播と同様、遺伝子の水平伝播と考えられています(8)。しかしこれはそう単純には決められないことでもあります。有性生殖を遺伝情報の多様化とする見方からすると、細菌の接合は薬剤耐性を獲得したり、有機化合物に対する分解活性を付与するなどの遺伝情報の受け渡しに貢献しているので、有性生殖の1種と考えられないわけではありません。

という訳で、定義上は細菌の接合も有性生殖としてもいいのですが、真核生物は通常2n(2倍のゲノム情報)とn(1倍のゲノム情報)の世代を持っていて、2n→(減数分裂)→n(生殖細胞)→受精→2n というライフサイクルを繰り返します。細菌はnだけなのですが、どこかでこれがまず2倍になって細胞分裂も2n→4n→2n+2nにならなければなりません。これはニワトリが先か卵が先かという話ではなく、nが先なのはわかっているので、どこで2nの細胞になったかという話です。

2nになると不利なことがあります。それは突然変異がおきても、スペアのDNAが代替してまずいところがすぐ表に出ないので、進化のスピードが著しく低下するということです。そこを乗り越えて減数分裂という作業で組み換えを行ない、ようやく進化のスピードを上げることができるのです。

この細菌:1倍体→古細菌:1倍体→古細菌:2倍体→減数分裂→受精:真核生物というプロセスの中で、2倍体の古細菌というのがミッシングリンクになっています。ひょっとすると適者生存の圧力がほとんどかからなかったと思われる深海の海底に、このような生物がいるのかもしれません(9)。ただ原生生物の中には、ある種の粘菌のように、接合や受精とは関係なくnと2nの細胞が現われる例もあるようです(10)。ですから、ひょっとすると原生生物に進化してから2n世代が出現したのかもしれません。

皮肉なことに2nになってみたものの、前記したように2nの生物は進化上の不利が生じます。これを回避するため、彼らはときどきn世代の生物に回帰する必要が生じたと考えられます。

高木由臣は図4のような細胞分裂の様式を考えています(3)。2n→4n→2nで細胞分裂を繰り返している生物が、あるとき2nの細胞が分裂した際に、ランダムに染色体を娘細胞に分配し、n、n、2n、染色体無しの娘細胞ができることを仮定します。nの細胞ができるのは染色体に蓄積された突然変異が生存に役立たない場合、それを排除するためと考えます。

nの細胞は致命的な遺伝的欠陥が生じるとバックアップの遺伝情報がないため、ただちに死滅し、これによって有害な突然変異を排除することができます。たとえば図4で遺伝子Aが突然変異を起こして遺伝子aができたとします。遺伝子aが生存に不利な変異だった場合、右端のaしかもたないn世代細胞は死滅するでしょう。

このような細胞分裂様式を獲得した生物のなかから減数分裂・受精を行なうものが現われて、現在の標準的な真核生物に進化したというわけです。減数分裂の際の組み換えシステムを確立した生物は、おそらく2n世代での選別でも事足りるようになったので、n世代をなるべく短くするような方向に進化しているようにみえます。

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前期のゾウリムシは減数分裂と接合(ある種の受精)を行なっているわけですが、ここから多細胞生物に進化すると、このシステムは非常に有効に機能します。それは生殖細胞と体細胞という分業を行なうことによって、体細胞は動いたり、栄養をとりこんだり、見たり、聴いたり、感じたりと様々な機能を持って活動し、生殖細胞はひっそりと遺伝子を守ることに専念します。これによって多細胞生物は驚異的な進化を遂げることができました。体細胞の遺伝子はきちんと守る必要がなく、どんどん使って(増殖と分化)ボロボロになれば棄てればいいのです。ここで体細胞の寿命が発生しました。そのかわり生殖細胞の遺伝子はきちんと守って、次の世代に引き継ぐという生き方になります。

最近有性生殖は減数分裂によって遺伝子を混ぜ合わせると言う意義だけではないことが証明されました。ゴミムシダマシというと見たことがない方が多いと思いますが、幼虫はミールワームといわれて、ペットのエサなどに利用されているポピュラーな昆虫です。この生物を使って、アリソン・ラムリーらは多数のオスが少数のメスを争う環境と少数のオスが少数のメスを争う環境を設定し、同系(遺伝子のエラーが蓄積しやすい近親)の集団を7年にわたって飼育してみました。するとオスが交配するメスを争わなくて良いグループは近親交配による弊害で10世代で絶滅したのに対して、厳しくメスを争ったグループは20世代まで生き延びたという実験結果を得ました(11、12、図5)。

ラムリーらは「自身のライバルを効果的に打ち負かし、争いのなかで生殖のパートナーを見つけるためには、個体はあらゆる分野で優秀でなくてはなりません。このため、性淘汰は種の遺伝的優位性を維持・改善する、重要で効果的なフィルターとなります」と結論しています。平たく言えばオスがいかにしてメスに持てようかと努力することが、生物の生存と進化にとって重要であるということでしょう。

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有性生殖は遺伝子のまぜあわせによって進化するために必要と思われますが、より短期的には進化と言うより感染あるいは寄生しようという生物にとりつかれないために変化することが必要なのだという考え方があります。

ウィキペディアによると 「ウィリアム・ハミルトン(図6)は1980年から90年にかけて、M・ズック、I・イーシェル、J・シーゲル、R・アクセルロッドらと共に、遺伝的多様性が適応や進化の速度を向上させるという従来の説を種の利益論法だと批判し、多くの生物で遺伝的多型が保持されているのは多型を支持するような選択圧が常に働いているためで、その選択圧をもたらす者は寄生者であると主張した。種やその他の集団レベルにおける進化を認めてきた古典的な理論とは対照的に、赤の女王効果は遺伝子レベルでの有性生殖の利点を説明することが可能である」 の記載があります(13)。

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「赤の女王」とはルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物で、彼女が作中で発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」という台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられています。

サイエンスライターのマット・リドレー(図6)は、1993年の著書「赤の女王 性とヒトの進化」(14)の中で、「有性生殖の有利さは、常に変化するような環境に棲む生物で発揮される。有性生殖する生物にそのような環境の変化をもたらす者は寄生者(寄生虫、ウイルス、細菌など)と考えられる。寄生者と宿主の間での恒常的な軍拡競争において、この具体例が確認できる。一般に寄生者はその寿命の短さにより、より速く進化する。そのような寄生者の進化は、宿主に対する攻撃方法の多様化を招く(つまり、宿主にとって環境が変化する)。このような場合、有性生殖による組み替えで常に遺伝子を混ぜ合わせ短期間で集団の遺伝的多様性を増加させ続けることは、寄生者の大規模な侵略を止める効果を果たすと考えられる。

実際、ボトルネック効果(15)などによって遺伝的多様性が失われた個体群は感染症に弱いことがわかっている。通常分裂(無性生殖の一つ)を行う生物(ゾウリムシや大腸菌など)でも環境によっては接合(有性生殖の一つ)によって遺伝子を混ぜ合わせることは可能である。すなわち寄生者との間で周期的な軍拡競争を行っている生物では、性が寄生者に対する抵抗性を維持するための仕組みであると考えられる。赤の女王仮説は性の起源を説明する理論ではなく、性が維持されるメリットの一つを説明する理論である」と述べています(14)。

 

参照

1)ゾウリムシの生命サイクル
http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms/LifeRh/02/98Bio02Paramecium.html

2)John R. Preer, JR., Biographical Memoir:Tracy Morton Sonneborn, National Academy of Sciences (1996)
http://www.nasonline.org/publications/biographical-memoirs/memoir-pdfs/sonneborn-tracy.pdf

3)高木由臣著 有性生殖論 「性」と「死」はなぜ生まれたのか NHKブックス(2014)

4)https://en.wikipedia.org/wiki/Turritopsis_dohrnii

5)Shin Kubota, Repeating rejuvenation in Turritopsis, an immortal hydrozoan (Cnidaria, Hydrozoa). Biogeography vol. 13, pp. 101-103.101-103. (2011)

6)太田出版 ケトルニュース 「若返り」を研究する京大准教授 クラゲを若返らせることに成功
http://www.ohtabooks.com/qjkettle/news/2013/01/28111848.html

7)Piraino S, Boero F, Aeschbach B, Schmid V., “Reversing the Life Cycle: Medusae Transforming into Polyps and Cell Transdifferentiation in Turritopsis nutricula (Cnidaria, Hydrozoa)”. The Biological Bulletin 190 (3): 302-12. (1996)
http://www.journals.uchicago.edu/doi/pdfplus/10.2307/1543022

8)接合 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A5%E5%90%88_(%E7%94%9F%E7%89%A9)

9)日本語版:ガリレオ-矢倉美登里/高橋朋子
https://wired.jp/2008/08/05/%e3%80%8c%e3%81%bb%e3%81%a8%e3%82%93%e3%81%a9%e6%ad%bb%e3%82%93%e3%81%a7%e3%81%84%e3%82%8b%e3%80%8d%e7%94%9f%e7%89%a9%e3%80%81%e6%b5%b7%e5%ba%95%e5%9c%b0%e4%b8%8b%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%8f%a4%e7%b4%b0/

10)R. R. Sussman AND M. Sussman., Ploidal Inheritance in the Slime Mould Dictyostelium discoideum: Haploidization and Genetic Segregationof Diploid Strains., J . gen. Microbial.,  vol. 30, pp. 349-355 (1963)
http://www.microbiologyresearch.org/docserver/fulltext/micro/30/3/mic-30-3-349.pdf?expires=1509070562&id=id&accname=guest&checksum=AD51BC0EA0609F7EBD6956F7F7A46D94

11)Alyson J. Lumley, Lukasz Michalczyk, James J. N. Kitson, Lewis G. Spurgin, Catriona A. Morrison, Joanne L. Godwin1, Matthew E. Dickinson, Oliver Y. Martin, Brent C. Emerson, Tracey Chapman & Matthew J. G. Gage., Sexual selection protects against extinction., Nature vol. 522, pp. 470–473 (2015)  doi:10.1038/nature14419
https://www.researchgate.net/publication/276849836_Sexual_selection_protects_against_extinction

12)Wired News: オスの存在理由、実験で証明される
https://wired.jp/2015/06/15/sexual-reproduction/

13)赤の女王仮説 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E4%BB%AE%E8%AA%AC

14)The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature, (1993) 長谷川真理子訳 『赤の女王 性とヒトの進化』 翔泳社 (1995)

15)ボトルネック効果
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8A%B9%E6%9E%9C

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2017年10月21日 (土)

やぶにらみ生物論90: 染色体の数と性

いろいろな生物で染色体の数はさまざまですが、それには意味があるのでしょうか。また性染色体の数や種類が性によってどう定まっているかについてもみてみましょう。染色体の数について論じる上で、よく話題になるのがホエジカです。

ホエジカ属(ムンチャック Muntjac) のシカは東南アジア、中国南部、インドなどに分布しています。図1左はインドホエジカ、右は中国ホエジカ(キョン)で、とても良く似た動物です。キョンは房総半島や伊豆大島で野生化し、食害が問題になっています(1)。もともと日本にはいなくて、人間が持ち込んだ動物なので、駆除というのもひどい話です。

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ホエジカ(Muntiacus)属はウシ科のダイカー(https://en.wikipedia.org/wiki/Duiker)から分岐したグループです。分岐はミトコンドリアDNAから推定されました(2)。染色体の数が近縁種でも著しく異なることで有名です(図2)。図2の学名のあとについている数字は、さまざまな亜種があることを意味します。

M.reevesi は更新世初期(100万年以前)に化石がみつかっていますが、M. muntjak と M. feae は更新世中期(50~100万年前)からしか化石がみつかりません。たかだか50万年くらいの間に染色体数が変化し、新しい種が生まれたことになります。

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インドホエジカとキョンのカリオタイプを比較すると図3のようになります(3)。キョンは私達ヒトと同じ46本の染色体を持ち、そのなかにメスはXX、オスはXYという性染色体が含まれます。ところがインドホエジカはメスは6本、オスは7本の染色体を持ち、オスに余分にある1本がY染色体に相当すると思われますが、最近の文献(4)にY2などという記載があるように、一筋縄ではいかないようです。

いずれにしても染色体の数が劇的に変化しても、同じ遺伝子のセットが存在すれば、それほど生物の特徴に変化は発生しないということは結論できそうです。ただ、もしY染色体が単独の染色体であるとすると、減数分裂の際の組み換えの可能性がゼロになるので進化上不利になるのは否めません。

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前のパラグラフで「染色体の数が劇的に変化しても、同じ遺伝子のセットが存在すれば、それほど生物の特徴に変化は発生しない」と述べましたが、性に関する染色体の問題は特別です。

ヒトではメスはXX、オスはXYという組み合わせの染色体が性を指定しています。他の動物ではどうでしょうか? 図4のように大きく分けてXY型(オスがヘテロ)とZW型(メスがヘテロ)があります(5、図4)。

有羊膜類では哺乳類・単孔類がXY型、鳥類・ヘビ類がZW型です。おそらくペルム紀にZW型の爬虫類からXY型の哺乳類型爬虫類が分かれたと思われますが、真偽は定かではありません。XY型というのはここではXY型=メスXX&オスXYまたはXO型=メスXX・オスXOまたはXnYn型またはXnO型を含む総称です。

カモノハシは雄・・・X1Y1X2Y2X3Y3X4Y4X5Y5:雌・・・ X1X1X2X2X3X3X4X4X5X5 という奇妙なカリオタイプですが(XnYn型)(6)、XY型の1種とされています。

ZW型にはメスZW・オスZZというタイプと、メスZO・オスZZというタイプがあります。O(オー)というのは染色体がないという意味です。

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現在生きているヘビ以外の爬虫類は、環境の温度によってオスかメスかが決まる場合が多いようです(図5)。たとえばカミツキガメ(Chelydra serpentina) では、20°C以下の低温と30°C以上の高温の環境ではメスが産まれ、中間の22~28°Cでは主にオスが産まれます(7)。アオウミガメの場合は、28℃以下ならオス、28~29℃ならオスメス半々、30℃以上の高温だとメスとなります(7)。

一般に遺伝子にバラエティーをつくるより、ともかく種の絶滅を防ぐことを優先しなければならないときは、メスを増やすのが得策です。ただそれぞれの生物が生きている環境によって、オス・メスどちらを優先的に作成すべきかは微妙に異なるでしょう。

図5の最も古いタイプの爬虫類に似ていて生きた化石といわれるムカシトカゲが、性染色体による性決定を行うとしてありますが、ウィキペディア(8)をみると、「21℃では雌雄比は半々だが、22℃では80%がオスになる。さらに20℃では80%が、18℃でほぼ100%がメスになる。ただしムカシトカゲの性決定は環境要因(温度)だけでなく遺伝子要因も関係している複雑なものらしいという説がある」 と記載してあるので、ウィキペディアを信頼すべきだと思います。おそらくムカシトカゲも温度依存性の性決定を行なうのでしょう。

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図4に示したように、哺乳類ではXXはメス、XYはオスという染色体型によって性が決定されますが、性を決定する遺伝子はアンドリュー・シンクレア、ピーター・グッドフェローらによって解明されました(9、図6)。彼らによればY染色体上のSRY遺伝子が精巣形成を決定しているということです。クープマン、ラベル=バッジらは、さらにマウスXX胚にSRY遺伝子を導入すると、本来メスになるべきXX胚がオスになることを証明しました(10、図6)。

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性決定遺伝子の発見はめざましい業績だと思いますが、図6の4人はノーベル賞にはとどいていません。その理由はいろいろあると思いますが、ひとつはSRY遺伝子の上流に別の遺伝子があるかもしれないということです。すなわちその遺伝子がまずONになって、その遺伝子産物がSRY遺伝子を活性化するのかもしれません。性決定に関連する遺伝子も数多くあることがわかってきました(11)。もちろんSRY遺伝子の下流には、性ホルモンの産生など実際に精巣を形成するためにかかわっている遺伝子群が働いているでしょう。

驚くべき事に、トゲネズミという日本にだけ棲息する絶滅危惧種3種のうち、アマミトゲネズミとトクノシマトゲネズミは染色体がXO型で、Y染色体が存在しません(12)。黒岩麻里氏によると、これらのネズミはY染色体の一部に変異が生じて、減数分裂がうまくいかなくなり、性決定関連部位がX染色体に転移することによって生き延びたそうです(13)。その転移の際にSRY遺伝子は失われ、CBX2という遺伝子が機能を代替することになったようです。

図7のように、XX/XY型の一般的な哺乳類と同じ性決定様式だったオキナワトゲネズミからアマミトゲネズミやトクノシマトゲネズミが派生したと考えられます。

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ショウジョウバエは哺乳類と同じくメスはXX、オスはXYの染色体型ですが、性決定のメカニズムは全然違うことがわかっています。Y染色体にはSRYのような性決定遺伝子がなく、常染色体とX染色体の比率で性が決定されます。すなわちショウジョウバエの染色体は2n=8本ですが、Aを常染色体としますと、AAAAAAXX or AAAAAAXXY=♀(A:X=3:1)、AAAAAAXYor AAAAAAXO=♂(A:X=6:1)、のようにA:Xの比が大きい場合(ここでは6:1)は♂、小さい場合は♀となります(ここでは3:1)(14)。

哺乳類の場合原則的にY染色体が1本あればオス、鳥類の場合W染色体が1本あればメスになります。魚類は爬虫類と近いところがあって、性決定遺伝子は存在しますが(メダカでDMY遺伝子がみつかっている)、一筋縄ではいきません。たとえばヒラメはXX/XY型の性決定機構を持っているものの、XX稚魚を18°Cで飼育するとすべてメスになり、同じXX稚魚を20°Cで飼育するとすべてオスになることがわかっています(15)。

またベラは一夫多妻制ですが、その家族のなかで1匹のオスが死ぬと、一番大きなメスがオスに性転換することが知られています(15)。よくテレビなどに登場するコブダイはタイではなく、ベラ科の魚です。このように魚類では遺伝要因よりしばしば環境要因が優先されます。

ソードテイルは一度稚魚を産むと、オスに性転換するとされています(図8)。

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性は2種類というのが私達の常識ですが、繊毛虫(原生動物)のなかには10種類あるいはそれ以上の性をもつものがいるそうです(16)。こうなると交配する相手を見つけるのが大変だと思いますが、それはフェロモンで解決しているようです。原核生物にも性は存在し、たとえば大腸菌で性を担う遺伝子は、Fプラスミドという形でゲノム本体からは分離独立して存在し、接合(conjugation)の際に相手の細胞に注入されます。

 

参照

1)キョン房総で大繁殖14年で50倍5万頭 農業被害拡大
https://mainichi.jp/articles/20170413/k00/00e/040/242000c

2)Wen Wang, Hong Lan., Rapid and parallel chromosomal number reductions in muntjac deer inferred from mitochondrial DNA phylogeny., Molecular Biology and Evolution, vol.17, pp.1326-1333 (2000)
https://doi.org/10.1093/oxfordjournals.molbev.a026416

3)Doris H. Wurster, Kurt Benirschke., Indian Momtjac, Muntiacus muntiak: A Deer with a Low Diploid Chromosome Number., Science  Vol. 168, Issue 3937, pp. 1364-1366 (1970)
DOI: 10.1126/science.168.3937.1364

4)http://crancot-nature.blogspot.jp/2016/08/le-sambar-et-le-cerf-aboyeur-deux.html#!/2016/08/le-sambar-et-le-cerf-aboyeur-deux.html

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93

6)生物史から、自然の摂理を読み解く カモノハシの不思議?
http://www.seibutsushi.net/blog/2008/02/386.html

7)https://matome.naver.jp/odai/2138201788384062201

8)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%88%E3%82%AB%E3%82%B2

9)Sinclair AH, Berta P, Palmer MS, Hawkins JR, Griffiths BL, Smith MJ, Foster JW, Frischauf AM, Lovell-Badge R, Goodfellow PN (1990). “A gene from the human sex-determining region encodes a protein with homology to a conserved DNA-binding motif”. Nature vol. 346: pp. 216-217. (1990)   doi:doi:10.1038/346240a0. PMID 1695712.

10)Koopman P, Gubbay J, Vivian N, Goodfellow P, Lovell-Badge R,  “Male development of chromosomally female mice transgenic for SRY”.,  Nature vol. 351: pp.117-121. (1991) doi:10.1038/351117a0. PMID 2030730.

11)諸橋憲一郎 性の決定に働く遺伝子たち 季刊誌「生命誌」通 巻24号
https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/024/ss_4.html

12)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F%E5%B1%9E

13)黒岩麻里 Y 染色体をもたない哺乳類の性決定メカニズム 生化学 第84巻 第11号 pp. 931-934 (2012)

14)啓林館 生物 I :
http://www.keirinkan.com/kori/kori_biology/kori_biology_1_kaitei/contents/bi-1/2-bu/2-3-4.htm

15)長濱嘉孝、小林亨、松田勝., 魚類の性決定と生殖腺の性分化/性転換 タンパク質・核酸・酵素 vol. 49, no. 2, pp. 116-123 (2004)

16)高木由臣著 有性生殖論 「性」と「死」は何故生まれたのか NHKブックス (2014)

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2017年10月13日 (金)

やぶにらみ生物論89: ヒトゲノム

ヒトゲノムについて語る前に、まずゲノム(英語ではジノム)とはなにか、どう定義するのでしょうか? これがなかなか一筋縄ではいきません。とりあえずウィキペディアの定義では下記のようになっています(1)。

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In modern molecular biology and genetics, a genome is the genetic material of an organism. It consists of DNA (or RNA in RNA viruses). The genome includes both the genes (the coding regions), the noncoding DNA and the genetic material of the mitochondria and chloroplasts.

拙訳:現代の分子生物学および遺伝学において、ゲノムはひとつの生命体の遺伝物質を指します。それはDNA(RNAウィルスではRNA)で構成されています。ゲノムは遺伝子(コーディング領域)、非コーディングDNA、ミトコンドリアと葉緑体の遺伝物質を含みます。
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ところが日本語版のウィキペディアでは、たとえばヒトゲノムといった場合、ヒトのミトコンドリアの遺伝物質は含まないとも解釈できる記載があるので、英語版とは若干ニュアンスの違いが感じられます(2)。日本語版の方がわかりやすい感じもするので、ここではミトコンドリアのゲノムは含まないことにします。

ここでコーディング、非コーディングという言葉が出てきました。コーディングDNAとは、その部分のDNAが転写されてmRNAとなり、さらに翻訳されてタンパク質となるDNAの領域を意味します。それ以外の部分はすべて非コーディングDNAです。非コーディングDNAには転写されてリボソームRNAやトランスファーRNAを生成するための領域、転写調節因子の結合部位、偽遺伝子、トランスポゾンなどを含みます。

ではヒトゲノムにおいて、コーディング領域、非コーディング領域はどのくらいの割合になっているのでしょうか? 図1をみてみましょう(図1は3、4などを参照して作成)。実際にその塩基配列がタンパク質と対応している、狭い意味でのコーディング領域、すなわちエクソンは全ゲノムの1.3%に過ぎません。ヒトをマシンとしてみると、非常に効率が悪いシステムです。それはもちろんヒトは誰かが設計して作った作品ではなく、進化の結果として様々な歴史をたっぷりしょって生まれてきたからです。

エクソン以外にイントロンは遺伝子の一部です。rRNA、tRNA、snRNA、miRNAなどさまざまなRNAに対応するDNAも遺伝子です。進化の過程で不要になり崩壊過程にある遺伝子は偽遺伝子です。また遺伝子を制御するために、転写因子と結合するDNAの領域もその意義が明確です。しかしこれら素性と意義が明確なDNA領域を全部たしても、ゲノムの半分にもなりません。ゲノムのそれ以外のほとんどの部分はトランスポゾンで構成されています(図1)。

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トランスポゾンはその転移能力が活発に発揮されると、頻繁に遺伝子に割り込んだり非相補的な組み換えがおこったりしてホストが死んでしまう可能性が高いので、ある程度暴れたら転移能力を失ってホストと共存します。そうなった生き物しか生き残れません。ヒトのトランスポゾンもその原理は同様で、ほぼすべてのトランスポゾンにおいてトランスポゼースの遺伝子が壊れて不活化しているので、自発的に転移することはできません(5)。

万一転移がおこってその細胞に不具合が発生しても、体細胞では代替する他の細胞がいるので、がんが引き起こされるような特殊な場合を除いては問題はおこりません。しかし生殖細胞ではそこからうまれた細胞がすべて転移したトランスポゾンを保有することになるので、深刻な疾病を引き起こす可能性があります。

例えばAluの転移が原因とみられる疾病も数多く知られていますが(6)、それらのほとんどは遺伝病であり、遠い過去に起こったことが現在まで引き継がれていると考えられます。

Alu も含めてSine は生殖巣において転写されることが知られており、しかもホストにストレスがかかるとその転写量が膨大になるそうです(7)。このことは何か意味がありそうな気がします。

コーディング領域の遺伝子については、ウィキペディアにグラフが出ていたので転載しておきます(8)。意外に構造タンパク質や酵素の割合は高くなく、転写因子・DNA結合因子・トランスポーターなどの遺伝子が多くの領域を占めていることがわかります。

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ヒトゲノムという概念は抽象的なものですが、その実体は染色体にあります。染色体を顕微鏡で見て形態を観察する技術は19世紀から開発されており、サットンはそれによって20世紀初頭に遺伝因子=染色体という説を唱えました。しかしそれからヒトの染色体は何本あるかという結論までは50年以上の歳月を要しました。アルベルト・ルヴァンとジョー・ヒン・チョー(図3)がヒトの染色体は46本であると報告したのは、ワトソンとクリックがDNAの構造を解明してから3年も後の1956年でした(9)。

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色素による染色で分別されたヒト染色体一覧を図4に示します。点線はセントロメアの位置です。X染色体とY染色体はあまりにも形態が異なりますが、この点については次回の記事に書く予定です。

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古典的なギムザ染色法によって染色体を分別する方法をGバンド法といいます。図5にその例を示します。ATリッチな部位が濃く染まり、GCリッチな部位は薄く染まるとされています(10)。今ではFISH(Fluorescent InSitu Hybridization)法によって染色体の分別がおこなわれます。この原理は図6で説明しますが、図5の下図ではAlu 配列を標的として、緑色蛍光色素で染色しています(11)。Alu の多い場所が緑色に染色されます。Alu配列のある場所に大きな偏りがあることがわかります。21番の染色体セットは片方が染色され、片方は染色されていませんが(11)、これが実験上のエラーなのか実際にそうなのかはわかりません。

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それぞれの染色体にはそれぞれ別の遺伝子が乗っているわけですし、遺伝子以外の決まった配列もそこそこあるわけですから、その相補性配列を持つDNAを合成して標識をつければ正確かつ容易に各染色体を分別できるはずです。

図6のように相補性のDNAに例えばビオチンを結合させ、これに「アビジン+蛍光色素」を結合させると(ビオチンとアビジンは強力に結合する)、染色体をそれぞれ特異的に染色することができます。ビオチン-アビジンのセットでなくても、強力に接着する化学物質でDNAまたは蛍光色素と結合する組み合わせのセットなら使えます。

それぞれ別の色に光る蛍光色素を使えば、23対の染色体をそれぞれ色で識別することができます(図6)。100年も四苦八苦して分別していた染色体を、科学技術のちょっとした進展によって、わずかな時間で正確に分別できるようになりました。

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遺伝病の中には遺伝子のミクロな変化に起因するもの他に、染色体の本数の異常などダイナミックな染色体の変化による者があり、それらは染色体検査によって診断できます。最も有名なのはダウン症候群で、この疾患の原因が21番染色体が3本ある(トリソミー)ことによることを解明したのはジェローム・ルジューヌでした(図3、図7)。

彼は敬虔なキリスト教徒で、生涯妊娠中絶に反対し、このため女性や遺伝学者らから強い反発をうけました。胎児の染色体を検査し、異常な場合には中絶を行う-という道を拓いたことを後悔していたのかもしれません。彼の人となりは映画になっており、DVDはジェローム・ルジューヌ財団から入手できます(12)。ジェローム・ルジューヌ財団はダウン症の親子をケアするための活動を行っています。

日本では敬虔なキリスト教徒が少ないせいでしょうか、ルジューヌが恐れていたことがまさしく現出しています。ある調査では胎児のダウン症が確定した346人の妊婦のうち97%が人工妊娠中絶手術で堕胎したということです(13)

ターナー症候群は通常女性が2本持つX染色体を1本しかもたない(もちろんY染色体はない)患者で(図7)、低身長で第二次性徴を欠くなどの症状を発症します(14)。ウィリアムズ症候群は第7染色体セットの1本のエラスチン遺伝子周辺の複数の遺伝子が欠失する病気で(図7)、知能低下などの精神遅滞・心臓疾患などを発症するとされています(15)。

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遺伝子は各染色体に同じ密度で存在するのではなく、疎な染色体と密な染色体があります(16)。図8で塩基対(緑 Base pairs)の数に対して遺伝子の数(ピンク)が多い場合密ということになります。13番・18番・Y染色体が特に遺伝子がまばらにしか存在しない染色体であることがわかります。13番・18番の染色体は、図5ではAlu 配列が特に少ない染色体であることがわかります。関連性があるようにみえますが、これは偶然なのでしょうか?

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さまざまな遺伝子の中でもリボソームRNAの遺伝子は特別です。なにしろリボソームRNAは、細胞内全RNAの60%の重量を占めるほど大量に存在し(17)、遺伝子も400コピーが存在するほどゲノムの中でメジャーな存在なのです(18、文献19では350コピーになっています)。

リボソーム遺伝子は図9のような構造をとっています。すなわち18S、5.8S、28Sがスペーサーをはさんで連結しており、ひとつのオペロンを構成しています。このスペーサーはITSと呼ばれており、イントロンのように転写されます。オペロンとオペロンの間にはNTSという転写されないスペーサーが存在します。ヒト染色体においては13番・14番・15番・21番・22番染色体の短腕の大部分がリボソーム遺伝子領域とされています(20)。

リボソームにはもう1種5Sタイプがありますが、これは1番目の染色体に遺伝子のクラスターが存在します(21)。図9のリボソーム遺伝子群はRNAポリメラーゼ I によって転写されますが、5SRNA遺伝子はRNAポリメラーゼ III という特殊なRNAポリメラーゼによって転写されることが知られています。

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トランスファーRNA遺伝子も、リボソームRNA遺伝子に次いでゲノムの大きな領域を占めていると思われます。これ以外の非コーディング領域には図10で示すようなものがあります。

細菌はゲノムのサイズが小さく、サーキュラー(円形)なので複製開始点がひとつでいいのですが、真核生物は一般にゲノムのサイズが大きく、複数の直鎖状DNAからなるので、1本のDNAについて複数の開始点があることは必須で、図10の1のような形になります。細菌でも真核生物でも、複製開始点には多くのタンパク質が結合して鎖をほどかなくてはなりません。このための塩基配列をDNAが用意しなければなりません。

遺伝子の特に上流にはプロモーターやエンハンサーが必須で、ここにも特定の塩基配列が必要です。この他染色体組み換えに必要な構造、セントロメア、テロメア、核の構造タンパク質にDNAを結合させる部位などに特定の塩基配列が必要です。

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参照

1)https://en.wikipedia.org/wiki/Genome

2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0

3)http://researchmap.jp/jo6z5r93q-17709/#_17709

4)https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21134/

5)西川伸一 JT生命誌研究館 ゲノムの解剖学 (2015)
https://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000011.html

6)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 209  (2015)

7)東京工業大学大学院 生命理工学研究科 進化・統御学講座(岡田研究室)HP:
http://www.fais.or.jp/okada/okada-past/research/keywords/m01_alu.html

8)https://en.wikipedia.org/wiki/Human_genome

9)Joe Hin Tjio and Albert Levan., The chromosome number of man. , Hereditas vol. 42:  pages 1–6, (1956)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1601-5223.1956.tb03010.x/pdf

10)http://ipsgene.com/genome/dna/band-method

11)https://en.wikipedia.org/wiki/Karyotype

12)ジェローム・ルジューヌ財団 https://lejeunefoundation.org/
または https://www.ds21.info/?p=8644

13)https://mamanoko.jp/articles/26383

14)https://en.wikipedia.org/wiki/Turner_syndrome

15)https://en.wikipedia.org/wiki/Williams_syndrome

16)https://en.wikipedia.org/wiki/Chromosome

17)小林武彦、赤松由布子 リボソームRNA 遺伝子の不安定性と生理作用-出芽酵母を中心にして 生化学 第85巻 第10号,pp. 839-844,(2013)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2014/06/85-10-03.pdf

18)奥脇暢 リボソームRNA 遺伝子と核小体構造の調節  生化学 第85巻 第10号,pp. 845-851,(2013)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2014/06/85-10-04.pdf

19)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 111 (2015)

20)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 2 (2015)

21)Timofeeva Mla et al.,  Organization of a 5S ribosomal RNA gene cluster in the human genome., Mol Biol (Mosk). vol. 27(4):  pp. 861-868. (1993)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8395649

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2017年10月 6日 (金)

「二重らせん」 by James D. Watson

Photo基礎科学研究の危機が叫ばれるなか(参照:最後の点線下のパラグラフ)、予算配分の問題もさることながら、大学や研究所の雰囲気も大事です。

ジェームス・D・ワトソンが書いた「二重らせん」(上の図、講談社文庫)を読むと、当時の英国の大学や研究所の雰囲気がビビッドに描かれていて、その自由でフレンドリーな雰囲気こそが、革命的な科学の進歩を生み出したとわかります。

研究者の方々も、研究室の雰囲気をどのように作り上げていけば良いかを考える上で、大いに参考になると思います。アングロサクソン民族や戦後のフランス人が作り上げた自由闊達な雰囲気の中でこそ、ユダヤ人達も実力を発揮できたのだと思います。ワトソンとクリックは例外的にユダヤ人ではありませんでしたが。

ここに書いてあるのは主にキングスカレッジとキャベンディッシュ研究所という英国の状況ですが、米国ではもっと自由な雰囲気だったのでしょう。日本でも昔は大学や研究所は自由な雰囲気がありました。夕方に出勤して夜明けに帰る人、学生との議論はかならず喫茶店で行う教授、学会でも会場には決して行かず、談話室でずっと話している人、スカートを翻して夜中に塀を乗り越えて帰る女性研究者、2日遅れで配達される新聞を読みながらこたつで構想を練る人里離れた研究所の面々、など様々でした。そんななかから多くの優れた研究者が出現しました。ワトソンも朝だけ仕事をして、昼からはテニスという日々もあったようです。

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「二重らせん」によれば近隣のレストランで議論を戦わせる場面も多くて、そういう雰囲気もいいなと思いました。パーティーなども頻繁に開かれていたようです。知り合いを増やす機会が多いというのは重要です。

他の研究者との風通しも良く、ワトソンがヌクレオチドの配位に正しい答えを得たのも、結晶学者であるジェリー・ドナヒューが、教科書に書いてあるチミンとグアニンの構造式(エノール型)が実は誤りで、両者ともケト型だと教えてくれたおかげで、それがなければワトソンとクリックは悪戦苦闘して誤った結論に達していたかもしれません(下の図)。

若手研究者に研究に打ち込める環境と雰囲気を作ってあげることは重要です。

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国立大学に所属する研究者には、毎年少額とは言え研究費が支給されてきました。そのお金で研究室の電気代や水道料を支払ったり、実験動物を維持したり、標本や資料の保存、調査費・旅費などに充当してきました。しかし、その状況が大きく変わろうとしています。

「古屋准教授(徳島大学)談:2018年度からは『重点クラスター』と呼ばれる学内の特定の研究グループにだけ配分することになった。残りの人はゼロです。重点クラスターの選択基準は端的に言って、医療技術や医薬品開発など直接役に立つかどうかです。恐れていた最悪の事態がついに来ました。」

これによって、これまで積み上げてきた貴重な実験動物の系統や標本・資料の維持ができなくなり、研究室は半廃墟と化します。人件費もなくなるため期限付き研究員や秘書を解雇しなければなりません。すべて自公政権=晋三の責任でしょう。

https://news.yahoo.co.jp/feature/766






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2017年9月30日 (土)

やぶにらみ生物論88: トランスポゾン2

今回はトランスポゾンの種類や構造について述べます。細菌から私達人類まで、あらゆる生物はウィルスの脅威にさらされています。しかしウィルスは細胞に感染するとすぐに増殖して細胞を破壊するようなタイプのものばかりではなく、なかにはホストのDNAに組み込まれてプロファージの状態となり、あたかもホストのDNAの一部であるように振る舞うタイプもあります(1)。

すなわち太古の昔から、素性の知れない外界DNAをホストのDNAの中に埋め込む生化学的システムは存在したと考えられます。そのために必要な最小限のメカニズムには、ホストのDNAと親和性を持った塩基配列、ホストのDNAに切れ目を入れるエンドヌクレアーゼ活性、ホストのDNAと接続するためのDNAリガーゼ活性などが含まれているはずです。

ホストのDNAに埋め込まれたウィルスのDNAの一部に突然変異が生じて、例えば殻のタンパク質をコードする遺伝子が使えなくなってしまったらどうなるでしょう。もはやウィルスはホストの外では活動できません。ただDNAを切り出したり、埋め込んだりする活性が残っていればホストのDNAの中で移動することは可能かもしれません。

真核生物の場合は、このようなDNAを遺伝物質として持つウィルス以外に、RNAを遺伝物質として持つレトロウィルスが感染する場合があります。この場合レトロは「昔の」という意味ではなく、「逆の」という意味です。普通の生物がやっているDNAからRNAへの転写ではなく、レトロウィルスはRNAを鋳型として、逆転写酵素によりDNAを合成する(=逆転写)ことができます。

レトロウィルスとは、ヒトに感染するものではインフルエンザウィルス、HIV、はしかウィルス、ムンプス(おたふくかぜ)ウィルス、B型以外の肝炎ウィルスなどがそうです。この場合も逆転写されたDNAがホストのDNAに組み込まれてプロウィルスの状態になることがあります。

プロファージと同様、プロウィルスも細胞に感染するための遺伝子が変異して役立たなくなることはあり得ます。このように感染力を失ったファージやウィルスは、本来持っていた1)細胞に外から感染するシステム、2)遺伝子を殻内部にパッケージングするためのシステム、3)遺伝子を包む殻、4)細胞を破壊するためのシステムなどはあっても無用または有害になるので、遺伝子には全く残そうという選択圧力がかからなくなり、荒れ放題(変異放題)となります。

ただしホストの細胞内でずっと遺伝子を残す手立てはあります。たとえば細菌や一部の真核生物の場合はプラスミドとなって、ずっと細菌体内で存続することができます。細菌のDNAに組み込まれた状態でも、そのまま存続できる場合があります。他のすべての遺伝子を失っても、DNAを切り出す活性とDNAに組み込む活性が保存されていれば、ホストのDNAを移動することができますし、切り出されている間にDNAを複製して増殖することすら可能です。哺乳類の場合、プラスミドとして生き残るものは多分ないと思いますが、ホストDNAの一部としては残留することができます。

細菌のトランスポゾンはすべてDNAトランスポゾンですが、真核生物のトランスポゾンにはDNAトランスポゾンとレトロトランスポゾンが存在します。まずDNAトランスポゾンからみていきましょう(2、図1)。

DNAトランスポゾンには両端にダイレクトリピート(DR)という同方向を向いた反復配列がある場合があります。これはターゲットのDNAにトランスポゾンを挿入する際に使われると考えられます。ダイレクトリピートの内側にITR(inverted terminal repeat)、またはTIR(terminal inverted repeat)という逆向きの反復配列があります(図1)。これは図3であらためて説明しますが、トランスポゾンのDNAを切り出すときに認識する配列です。

これらの反復配列以外に、DNAトランスポゾンはDNAトランズポゼースの遺伝子をもっており、この他にこの遺伝子を転写するために必要な配列があれば、最小限の構成を確保できます(図1)。なお図1の塩基配列は1例であり、実際の配列とは関係ありません。実例についてもっと詳しく知りたい方は文献(3、4)などが参考になると思います。

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細菌のトランスポゾンはDNAトランズポゾンですし、植物の中には稲のようにゲノムの大部分がDNAトランスポゾンで構成されているものも多いと思われるので、おそらく世界で一番多い遺伝子は「DNAトランスポゼースの遺伝子」でしょう。DNAトランスポゾンには図2のように2つのタイプがあり、ひとつは二重鎖ごとカットして他の部位にペーストする移動型、いまひとつは一重鎖のみ切り出して、複製して二重鎖としてから他の部位に挿入する複製型です。複製型の場合、切り出された一重鎖の部分は残された鎖を鋳型としてホストの酵素で複製されるので、結果的にコピー&ペーストとなり、トランスポゾンが2倍に増幅されます(図2)。

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Inverted terminal repeat ( ITR 、図1) がDNAトランスポゾンの両端にあることは、DNAトランスポゼースの作用機構と密接な関連があります。図3のようにDNAトランスポゼースはダイマーとしてそれぞれがITRを認識して働く、すなわちDNAを切断するので、ITRがトランズポゾンの両端にあることは都合が良いのです。このことはトランスポゾンのエリアを2つのITRにはさまれた部分という認識を酵素が行う上でも重要です(5)。右図はプロテイン・データバンク・ジャパンのイラストです。DNAトランスポゼースとDNAの関係を3Dで表現したものです。

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DNAトランスポゾンをDNAに挿入するときに、ギャップができることがわかっており、ここがダイレクトリピート(DR)あるいはターゲット・サイト・デュプリケーション(TSD)と呼ばれるサイトと考えられています(5)。この部分は当然修復されDNAの接続(ライゲーション)が行われなければなりません。

図4にみられるように、トランスポゾンが挿入されたあと、ホストの細胞が持っている酵素によってギャップは修復されます(6)。修復された部分はトランスポゾンの両端に存在し、同じ方向を向いた同じ配列となります(ダイレクトリピート)。次にこの位置のトランスポゾンを切り出すときに、ダイレクトリピートを置いていくと、DNA上に昔トランスポゾンがあったという痕跡が残りますし、持ち出すとダイレクトリピート付きのトランスポゾンができます。

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ここまでDNAトランスポゾンについて述べてきましたが、トランスポゾンにはもうひとつレトロトランスポゾンというジャンルのものがあります。これはDNAの一部が別の位置に移転するという結果は同じなのですが、メカニズムはまったく異なります。細菌にはこのタイプのトランスポゾンはみられず、真核生物だけに存在するものです。レトロトランスポゾンの場合、普通の遺伝子のようにいったんRNAに転写され、そのRNAを鋳型として逆転写によってDNAが合成され、さらにその単鎖DNAを鋳型として二重鎖DNAが合成され、ホストのDNAに埋め込まれます(7、図5)。

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大変複雑なように見えますが、実はありふれたウィルスであるインフルエンザウィルス、HIV、B型以外の肝炎ウィルス、おたふく風邪ウィルス、はしかウィルスなどはみんな遺伝子はRNAの形でホストに感染し、ホストの細胞の中で逆転写によって相補的なDNAを合成してホストDNAにプロウィルスという形で埋め込まれた状態で潜伏し、転写によって遺伝子RNAと必要なタンパク質を合成してウィルス粒子を作り、ホストを破壊して外に出るという生活史を繰り返します。

細菌のプロファージの場合と同様、ホストのDNAに必要な遺伝子のセットを埋め込んだまではいいものの、その一部が壊れてしまったらどうなるでしょう。ウィルス粒子を作って他の細胞に感染することができなくなるので、プロウィルスのままホストのDNAにとどまるしかありません。いったんとどまってしまったら、プロウィルスとして存在するための遺伝子を除いて、他の遺伝子は壊れ放題になってしまいます。そうなるとプロウィルスは原型をとどめないトランスポゾンとなってしまいます。これをレトロトランスポゾンといいます。

レトロトランスポゾンの中で、一番ウィルスの原型をとどめているのはLTR型レトロトランスポゾンで、図6に示すように、両端にLTR(long terminal repeat)という構造を持っています。ロングと言っても数百から数千塩基対というバラエティーがあって、その機能は十分には解明されていませんが、レトロウィルスはこの部位を利用してホストDNAに逆転写したDNAを組み込んでいることは間違いなさそうです(8)。

そのレトロウィルスの機能を使ってトランスポゾンをホスト内部で移動させようというのが、LTR型レトロトランスポゾンです。このトランスポゾンは内部にエンドヌクレアーゼ(DNAを切断する酵素)と逆転写酵素(リバーストランスクリプターゼ)の有効な遺伝子を保存していますが、他の構造タンパク質などの遺伝子(gag、env など)は変異して無効になっています(図6)。

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そのウィルスの遺産であるLTRを失った長鎖トランスポゾンをLine(long interspersed nuclear elements)といいます。LTRのかわりにやや長いTSDがあり、さらに長い非翻訳領域が3’と5’の両端にTSDに続いて存在し、何らかの形でLTRのかわりにトランスポゾンのDNA組み込みのメカニズムにかかわっていると思われます。LineはLTR型と同様内部にエンドヌクレアーゼとリバーストランスクリプターゼの遺伝子を持っており、それゆえに短くはなれません。だいたい4,000~10,000塩基対(bp)となっています。

これに対してSine(short interspersed nuclear elements)はLTRのみならず、内部のエンドヌクレアーゼとリバーストランスクリプターゼの遺伝子も失っており、そもそもレトロウィルスを起源とするものかどうかも定かではありません。内部にtRNA、5SrRNA、7SL-RNAなどの機能RNAの一部に類似した塩基配列を持っており、3’末にはLine相同な配列とポリAテイルがあります。おそらくレトロウィルスとは関係なく二次的に発生したものなのでしょう。転移するための酵素がないので、Lineなどが持っている酵素の支援がなければ転移することができません。構造に大きなバラエティーがあるのも特徴です(9)。

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霊長類は霊長類にしかないAluエレメントというSineの1種を持っています。Aluエレメントという名は、Aluという制限酵素で切断される部位があることから名付けられました(図8)。ヒトの場合、全ゲノムの11%がAluエレメントだとされています(10)。なぜこんなに大量の特殊なトランスポゾンがヒトのゲノムにあるのかは謎です。このトランスポゾンは7SL-RNAという、タンパク質を細胞外に分泌するためのメカニズムの一翼をになうRNAの遺伝子と共通な配列の断片を数多く持っています(図8)。

図8に両者のフルシーケンスを示しましたので、目をこらして比較してみて下さい。Aluエレメントを発見したのは、カール・シュミット(Carl W. Schmid )とプレスコット・ダイニンジャー(Prescott Deininger) (11、図8)ですが、こんな特殊なトランスポゾンがヒトのゲノムに大量にあるとわかって、さぞかしびっくりしたことでしょう。

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さまざまな生物のなかには、DNAトランスポゾンを多く持つグループとレトロトランスポゾンを多く持つグループがあります(12、図9)。この中で注目したいのは、Entamoeba histolytica という哺乳類に感染する赤痢アメーバはレトロトランスポゾンを圧倒的に多く持っている一方で、Entamoeba invadense という爬虫類に感染する赤痢アメーバはDNAトランスポゾンが圧倒的に多いという研究結果です。

つまりトランスポゾンが蔓延するために要する期間は、進化のスケールで考えるとかなり短いのではないかということが示唆されています。

実際ショウジョウバエのPエレメントというDNAトランスポゾンは、ほとんどの自然界のハエが持っているにもかかわらず、古くから飼い継がれている実験用のハエにはどれにも全くみられないということが知られており、この場合数十年の内にPエレメントが自然界で蔓延したと思われます(13)。

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参照

1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B8

2)Transposons: Mobile DNA
http://grupo.us.es/gfnl/dna/genetic_ingeniering/transposons.htm

3)  Kosuke Yusa, piggyBac Transposon., Microbiolspec, vol. 3 no. 2  (2015) doi:10.1128/microbiolspec.MDNA3-0028-2014
http://www.asmscience.org/content/journal/microbiolspec/10.1128/microbiolspec.MDNA3-0028-2014

4)Narayanavari SA, Chilkunda SS, Ivics Z, Izsvák Z., Sleeping Beauty transposition: from biology to applications., Crit Rev Biochem Mol Biol.  vol.52, no.1, pp. 18-44. (2017) doi: 10.1080/10409238.2016.1237935. Epub 2016 Oct 4.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27696897

5)JD Watson, Molecular Biology of the Gene., 6th edn., pp.334-370, Cold Spring Harbor Laboratory Press (2008)

6)Jennifer McDowall, Transposase.
http://www.ebi.ac.uk/interpro/potm/2006_12/Page1.htm

7)https://en.wikipedia.org/wiki/Retrotransposon

8)http://what-when-how.com/molecular-biology/long-terminal-repeats-molecular-biology/

9)http://sines.eimb.ru/Help.html

10)Prescott Deininger, Alu elements: know the SINEs.,  Genome Biol. 2011; vo. 12(12): pp. 236-248. Published online 2011 Dec 28.  doi:  10.1186/gb-2011-12-12-236

11)Schmid CW, Deininger PL  "Sequence organization of the human genome". Cell. 6: 345–358. (1975)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3334610/

12)Leslie A. Pray, Transposons: The Jumping Genes, Nature Education vol.1(1), p. 204 (2008)
https://www.nature.com/scitable/nated/article?action=showContentInPopup&contentPK=518

13)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%82%BE%E3%83%B3 (具体例のセクションを参照)

 

 

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