カテゴリー「生物学・科学(biology/science)」の記事

2022年5月25日 (水)

続・生物学茶話179: 頭と胴尾、脳と脊髄

オットー・マンゴルトはシュペーマンの弟子で、その仕事を受け継いで発展させた功労者です。ドイツ動物学会の会長まで務めた著名人ですが、教科書などで取り上げられる場合も少なく、ウェブサイトの情報は多くありません。これは彼がナチの協力者であったことが影響していると思われます。Second.wiki や de.zxc.wiki などには少し情報があります(1-3)。

オットー・マンゴルトはシュペーマンと共にオーガナイザーの研究を行ったヒルデ・プレショルトと結婚しましたが、新婚のヒルデはキッチンでのガス爆発が原因で亡くなりました。さらに息子は第二次世界大戦で戦死するという家庭的には悲運の人です。彼はシュペーマンと同様両生類の胚を使って、原口背唇から外胚葉の裏側に潜り込んだ組織がその後どのような役割を果たすかについて研究を行いました(図179-1)。

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図179-1 オットー・マンゴルトとイモリ胚

原口背唇部は原腸形成後、原腸の天井に位置することになりますが、オートー・マンゴルトはその周辺領域(ルーフ)に、将来頭部・胴部・尾部を形成する活性が前後に順に並んで存在することを証明しました(4、5、図179-2)。すなわちルーフの前部を他の個体のルーフに移植するとその部分に2次的な頭部ができ、中央部を移植すると2次的胴体、後部を移植すると2次的尾部が形成されます(尾は肛門より後ろの胴体のことです)。つまりそれぞれの部分にヘッド/トランク/テイルのオーガナイザーが存在するというオットー・マンゴルトのモデルです(図179-2)。

その後ニューコープらはマンゴルトらがみつけた誘導現象はワンステップではなく、まず原口背唇部・ヘンゼン結節・ノード・ノトコードなどによって外胚葉が前脳になるような誘導 (activation) がかかり、その後側板中胚葉などから中脳・後脳・脊髄への誘導 (activation) がかかるという理論=Activation-Transformation theory を唱えました(6)。この理論は若干の修正はあるものの現在でも概ね正しいとされています(7)。前脳とは脳科学辞典の記述によれば「大脳(扁桃体、海馬などの辺縁皮質を含む)、中隔核、乳頭体、視床前核、嗅球といった大脳皮質外の構造、視床、視床上部、視床下部などからなる領域」ということになります。

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図179-2 オットー・マンゴルト、ピーター・ニューコープの理論

シュペーマン、オットー・マンゴルト、ニューコープらは両生類の胚を実験材料として使っていましたが、それと共により私たちに近いマウス、ニワトリ、ゼブラフィッシュの胚の予定領域を並べて見ると驚くことがあります。それはマウスやニワトリなどの有羊膜類では、対応する発生ステージにおいて予定脊髄領域が著しく小さいことです(8、図179-3の黄色の部分)。

哺乳類と鳥類には羊膜がありありますが、魚類や両生類にはありません。しかしこのことが予定脊髄領域のテリトリーに関与しているかどうかはわかりません。ただ前者は後者に比べて脳が格段に発達しているので、ともかく発生段階から脳と視・聴・嗅覚を先に発達させて、胴部・尾部は後回しというボディープランになったと想像できます。

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図179-3 脊索動物胚背部の予定運命

頭部優先で発生を行うためには、原溝(原条)は前後平等であってはいけません。実際原溝最前部にはヘンゼン結節(鳥類)・ノード(哺乳類)など特に活発な活動を行う部位があり、ここから落ち込んだ原外胚葉細胞を中心に頭部形成の準備を始め、それが一段落してから原溝は後退して、体節中胚葉や脊髄の前駆細胞を送り出します(8、図179-4)。

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図179-4 ニワトリ原溝の消長と体節・脊髄の形成

ツァキリディスらは2014年に細胞培養などの手法を用いて、多分化能を持つエピブラスト(原外胚葉細胞)がWntの作用によって体節中胚葉と神経細胞などの限定分化能をもつ幹細胞に変化し、さらに体節中胚葉を形成する細胞と、脊髄を形成する細胞を生み出すことを報告しました(9)。

すなわちヘンゼン結節やノードには分化の可能性は限定されつつも、自己増殖あるいは不等分裂によって自分自身を保存しながら分化した細胞を生み出すことができる幹細胞が存在し、その働きで幹細胞を温存しつつ予定体節細胞や予定ノトコード・予定神経細胞を結節外に送り出し、順次体節や脊髄の形成に資することができるわけです(10、図179-5)。

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図179-5 ヘンゼン結節またはノードには幹細胞がある

図179-6では単純化していますが、実際には自己複製と単一の分化しか行わない細胞(図179-5)以外に、このような体節にも神経にも分化できる細胞が実際にありそうだとされています。Sox2は神経系細胞のマーカー、Brachyury は中胚葉細胞のマーカーで、バイポテンシャルな前駆細胞には両者が存在します(10)。

ただ原外胚葉細胞からは他のタイプの幹細胞・前駆細胞も形成されていると思われますし(たとえば多分化能を持つ細胞)、それぞれの分化誘導機構も様々でしょうから、実際にはコンピュータでしか答えが出せない複雑なメカニズムが潜んでいることは容易に想像できます。

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図179-6 2種類の細胞に分化できる幹細胞

ここで忘れてはならないのは脊索(ノトコード)の存在です。ここまでの説明では脊索がこの種の前駆細胞とどのようにかかわっているかはわかりません。脊索が脊髄を誘導することは昔からしられていますが、新しい考え方が出てきたからには再検討が必要になります。中胚葉系の細胞群と神経系の細胞群を制御統括するのが脊索であることが示唆されていますが(11)、このあたりの問題は次の機会にとりあげたいと思います。

参照

1)second.wiki: Otto Mangold
https://second.wiki/wiki/otto_mangold

2)Qw: Otto Mangold
https://de.zxc.wiki/wiki/Otto_Mangold

3)The Embryo Project Encyclopedia: Otto Mangold (1891-1962)
https://embryo.asu.edu/pages/otto-mangold-1891-1962

4)Mangold, O., Uber die Induktionsfahighkeit der verschiedenen Bezirke
der Neurula von Urodelen. Naturwissenshaften vol.21: pp.761-766.(1933)
https://link.springer.com/article/10.1007/BF01503740

5)Claudio D. Stern et al., Head-tail patterning of the vertebrate embryo:
one, two or many unresolved problems? Int. J. Dev. Biol. vol.50: pp.3-15 (2006)
doi: 10.1387/ijdb.052095cs
https://web.mit.edu/7.72/restricted/readings/Stern%20et%20al.pdf

6)Nieuwkoop, P. D. and Nigtevecht, G. V., Neural activation and
transformation in explants of competent ectoderm under the influence of
fragments of anterior notochord in urodeles. J Embryol Exp Morphol vol.2: pp.175-193. (1954)
https://journals.biologists.com/dev/article/2/3/175/49249/Neural-Activation-and-Transformation-in-Explants

7)Fraser, S.E., and Stern C.D., Early rostrocaudal patterning of the
mesoderm and neural plate, In Gastrulation: from cells to embryo, C. D. Stern,
ed. (New York: Cold Spring Harbor Press), pp. 389-401. (2004)
http://gastrulation.org/

8)Ben Steventon, and Alfonso Martinez Arias, Evo-engineering and the cellular and molecular origins of the vertebrate spinal cord., Developmental Biology vol.432, pp.3-13 (2017)
https://doi.org/10.1016/j.ydbio.2017.01.021
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0012160616305103

9)Anestis Tsakiridis et al., Distinct Wnt-driven primitive streak-like populations reflect in vivo lineage precursors. Development vol.141, pp.1209-1221 (2014) doi:10.1242/dev.101014
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24595287/

10)Domingos Henrique, Elsa Abranches, Laure Verrier and Kate G. Storey
Neuromesodermal progenitors and the making of the spinal cord
Development vol.142, pp.2864-2875 (2015) doi:10.1242/dev.119768
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/26329597/

11)Nitza Kahane and Chaya Kalcheim, From Bipotent Neuromesodermal Progenitors to
Neural-Mesodermal Interactions during Embryonic Development., Int. J. Mol. Sci., vol.22, no.9141, (2021) https://doi.org/10.3390/ijms22179141
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8431582/

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2022年5月13日 (金)

続・生物学茶話178: ラウバーの鎌

ニワトリ胚の卵割については、私は学生実習でもやったことがないので簡単に復習しておきます。カエルのような両生類は単に水中に卵を産み落とすだけですが、陸上生活をすることになった生物は殻付きの卵を産む爬虫類・鳥類のグループと、胎盤を形成する哺乳類に分かれました。殻と卵白に包まれた鳥類の胚は大部分が栄養成分である卵黄で形成されているため、卵割する胚本体は卵黄にへばりつくような薄く小さなスペース(胚盤 直径2~3mm)しか与えられていません。このため盤割とよばれるタイプの、まず薄いシート状に細胞が増殖することから発生がはじまります(図178-1)。

この胚盤周辺には学術的な名前がつけられていて、卵黄部分は Area pellucida (暗域、不透明域)、細胞部分は Area pellucida (明域、透明域)、中間部分は Marginal zone (境界域)とされています(1、図178-1)。Area の代わりに Zone が使われることもあります。

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図178-1 ニワトリの卵割

Area pellucida が細胞のシート(エピブラスト=胚盤葉上層)で埋まる頃、まだ卵白も殻もついていない卵は輸卵管を移動し始めます。このときに移動方向の前後がそのまま胚の前後となるそうです(2)。このとき後方にあたる部分のエピブラストの裏側にラウバーの鎌と呼ばれる構造ができます(図178-2)。

ラウバーの鎌(Rauber's sickle)というのは、図178-2のように胚の後方からハイポブラスト=胚盤葉下層となる細胞が増殖し始めた形が鎌に似ているからですが、コラーの鎌 (Koller's sickle)ともいうことがあるそうです。ウィキペディアによれば発見者がラウバー (August Rauber 図178-3、3)なので、ラウバーの鎌というのが適切かと思います。そのあたりの事情はおそらく Atlas of Chick Development という本(4)に詳しく書いてあると思われますが、Marc Callebaut and Emmy van Nueten の文献(5)によると、ラウバーが1876年にこの構造を発見しましたが、そこから原条が発生することを記載したコラーにちなんでコラーの鎌と呼ばれるようになったそうです。この文献の著者らはラウバーの鎌と呼んでいます。

胚盤葉上層の裏側には上層から剥離した細胞が落ち込んでいますが、後方からの増殖で伸びてきたラウバーの鎌はこれらの細胞をひろって結合し。最終的には最前方の胚盤葉上層まで到達して閉じた構造になります(6)。ラウバーの鎌が多少なりとも脚光を浴びたのは Marc Callebaut と Emmy van Nueten がウズラの鎌をニワトリに移植すると第2の原始線条(primitive streak) が発生したことを報告してからでしょう(5)。これはラウバーの鎌が両生類のオーガナイザーに相当することを意味します。

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図178-2 ラウバーの鎌と胞胚の形成

ラウバーはウィルヘルム・ヒスの弟子でドイツ人ですが、エストニアのタルトゥー大学で仕事をした発生学者です(図178-3)。タルトゥー大学は知らなかったので調べると、なんと江戸時代初期の1632年設立で、現在も150のビルを擁するエストニア最大の大学だそうです。それでも辺境の学者だったせいか、ラウバーの鎌(コラーの鎌)の発見は100年以上も前の業績にもかかわらず、発生生物学の教科書にはよくてちょっぴりふれてあるというのが普通で、私はその種の学科の出身ですがまったく習いませんでした。スコット・ギルバートの教科書(第7版)にもラウバーの名はありません(Koller's sickle という記載はあります)。

オーガナイザーに相当するラウバーの鎌は、そこに含まれる細胞から増殖した細胞群が原始線条 (primitive streak) やヘンゼン結節 (Hensen's node) を誘導するというはたらきがあり、ニワトリの胞胚・嚢胚形成=形態形成はここからスタートすると言っても良いような重要な組織です。

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図178-3 アウグスト・ラウバー

ラウバーの鎌を構成する細胞群の予定運命を Bachvarova らの知見に基づいて図示しました(7、図178-4)。ラウバーの鎌は自らが活発に増殖するとともに胚盤葉上層細胞を誘導してヘンゼン結節と原始線条を形成し、中胚葉や脳神経組織などに分化します。また下部の細胞は内胚葉となります。生殖三日月環は、原条形成期に内胚葉細胞の増殖によって胚盤葉下層の細胞群(黄色)が前方に押されてできた形態ですが、それ自身は臓器に分化するわけではありません。しかしこの領域は生殖細胞の前駆細胞を含んでおり、これらの前駆細胞は将来血流によって生殖巣に運ばれることになります(6)。

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図178-4 ラウバーの鎌の発生予定運命

ステージが進むとラウバーの鎌部分はテイルバッドと呼ばれるようになりますが、囊胚期になってもこの領域は、筋・骨格・神経などに分化する幹細胞(neuromesodermal progenitors)のニッチとして重要な役割を果たすことになります(8)。


参照

1)ボヘミアンへこっち 存在の耐えられない軽さ ニワトリ初期発生のまとめ
https://kohecchi.hatenablog.com/entry/2019/04/06/184733

2)東中川徹・八杉貞夫・西駕秀俊編 「ベーシックマスター 発生生物学」オーム社 p.53 (2008)

3)Wikipedia: August Rauber
https://en.wikipedia.org/wiki/August_Rauber

4)Ruth Bellairs, Mark Osmond “Atlas of Chick Development”Elsevier (2005) 新版(2014)
https://www.amazon.co.jp/Atlas-Chick-Development-Third-Bellairs/dp/0123849519

5)Marc Callebaut and Emmy van Nueten, Rauber's (Koller's) Sickle: The early gastrulation organizer of the avian blastderm., Eur. J. Morphol. Vol.32, No.1, pp.35-48 (1994)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/8086267/

6)Scott F. Gilbert “Developmental Biology”7th edn Sinauer Associates Inc., p.355 (2003)

7)Rosemary F. Bachvarova, Isaac Skromne and Claudio D. Stern, Induction of primitive streak and Hensen’s node by the posterior marginal zone in the early chick embryo., Development vol.125, pp.3521-3534 (1998) doi: 10.1242/dev.125.17.3521.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9693154/

8)Charlene Guillot, Yannis Djeffal, Arthur Michaut, Brian Rabe, Olivier Pourquie, Dynamics of primitive streak regression controls the fate of neuromesodermal progenitors in the chicken embryo., eLife vol.10: e64819. (2021) DOI: https://doi.org/10.7554/eLife.64819
https://elifesciences.org/articles/64819

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2022年5月 2日 (月)

続・生物学茶話177: 神経幹細胞の源流

ニワトリの発生図はどんな生物学の教科書にも記載してあると思いますが、ここでも教科書(1)を参考にして模式図を描いてみました。トリの場合原溝前端の盛り上がった部分をヘンゼン結節と呼びます。マウスの場合は単に結節(ノード)です。原溝は原条と区別せず原条と表現することもあります。結節より前で頭部形成の準備が行われ、結節部分から後方で脊髄形成の準備が行われます。脊髄形成に先立って結節周辺から体節が形成されます。

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図177-1 ニワトリの発生

ニワトリの卵割が盤割であるのに対して、マウスなど哺乳類は等割で初期発生が行われるので、初期胚の形はかなり違うように感じますが、図177-2(参照文献2に基づいて作成)でニワトリの図を上から見て時計回りに90度回転し、さらに正面から見て時計回りに90度回転すると似たような感じになります。頭部を形成するための細胞がまず大量に蓄積し、脊髄などの尾部は後回しになっていることがわかります。ですからこの頃の体は2等身くらいの感じです。

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図177-2 マウスおよびニワトリの中枢神経発生

マシスとニコラスは初期胚における幹細胞が、発生が進むにつれてどこに移動し、どのような運命をたどるかを解析するため、伝統的なβガラクトシダーゼとX-galによる青色の発色が偶発的な相同組み換えによって発動するというシステムを考案しました(3、図177-3)。このシステムの利点は遺伝子レベルでの置換なので、細胞を通常の方法でラベルすると増殖することによって「ラベルが希釈されてしだいに判別困難になる」という弱点がないことです。プロモーターとしては神経系細胞特異的に機能するエノラーゼのプロモーターを使用します(図177-3)。

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図177-3 相同組み換えで発色させる仕組み

マシスとニコラスはこの方法を用いて中枢神経系をつくる幹細胞の動態を解析しました(4)。彼らの方法の難点のひとつは偶然に頼るということですが、それでも3000個の胚を調べて、163のクローンのデータを得ることができました。そのなかの2つの例を図177-4に示しました。Aのクローンは脳の全域に分布していますが、体幹部には分布がみられませんでした。Bのクローンは脳には見られず体幹部のみにみられました。これは発生初期に中枢神経の中でも脳部分を受け持つ細胞と、脊髄部分を受け持つ細胞が分岐するということを意味しています。

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図177-4 神経幹細胞クローンの可視化

163のクローンのすべてについてまとめたデータが図177-5に示してあります(4)。これは彼らのオリジナル図そのものですが、この右下の二等辺三角形領域が空白の奇妙な図を見て、私は最初意味がわからず1時間くらい呆然とみつめていて、あるときやっと意味が理解できました。

まずマウスの中枢神経系を頭から尾まで64等分して、最前部(頭)を1、最後部(尾)を64と番号付けします。たとえば左上に中空きの赤点が集中していますが、その左上隅X=1、Y=64の位置にあるクローンは、64等分した端から端まで広範囲に発色細胞が分布していることを意味します。このクローンは予定中枢神経細胞ができてすぐに発色可能になった幹細胞からできたクローンというわけです。著者はこのようなクローンを very long clone と表現しています。つまり最初から頭部を作る幹細胞と脊髄をつくる幹細胞が別々に生まれるのではなく、最初はどちらにでも移動・分化ができる幹細胞ができるというわけです。

次に中埋めの赤点群がグラフ中央上部にありますが、これらのクローンは X=1~24のいわゆる頭部には発色細胞がみられないタイプのクローンです。つまりこのタイプのクローンをつくる幹細胞は頭部をつくることはなく、脊髄をつくることを運命づけられた後の幹細胞であると言えます。逆に左下の黄色い部分のクローンは脳をつくることを運命づけられた後の幹細胞がつくったクローンです。空白部分との境界線である斜め45度のライン上のクローンは狭い領域に限定されたクローン(short clone)で、移動または細胞分裂終了間近で発色可能となったと考えられます。水色の領域のクローンはすべて脊髄を構成する細胞です。

ここでひとつ注目すべきは、斜めのはしごで示された領域の大部分がクローンがほとんどみられないことです。これは何を意味するのでしょうか? 著者が言う long clone と short clone の中間のいわば middle clone が極めて少ないということは、発生のある時点で急激に幹細胞の移動が制限される(25をまたいだ移動は困難)と考えれば理解できます。特に脳の方向に移動した細胞は体前部、尾の方向に移動した細胞は体後部のみで移動・増殖をおこなうようになることが示されています。

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図177-5 予定中枢神経幹細胞クローンの分散性の検証

マシスとニコラスは図177-5にみられるクローンの動向を解析し、頭部に展開する幹細胞と尾部に展開する幹細胞の分岐は胎生6.5日目前後に起きるものと推定しています(図177-6 参照文献4にもとづいて作成)。胎生8日目くらいにはそれぞれの幹細胞は移動先に定着して増殖・分化をおこない、中枢神経系の構築に中心的役割を果たすものと思われます。

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図177-6 神経幹細胞の胎生時の動向

 

参照

1)Scott F. Gilbert 「Developmental Biology」7th edition, Sinauer Associates, Inc., Publishers, Sunderland, Massachusettd, 2003

2)Ben Steventon, Alfonso Martinez Arias, Evo-engineering and the cellular and molecular origins of the vertebrate spinal cord., Developmental Biology vol.432, pp.3-13 (2017)
http://dx.doi.org/10.1016/j.ydbio.2017.01.021

3)Luc Mathis and Jean-Francois Nicolas, Autonomous Cell Labeling Using a laacZ Reporter
Transgene to Produce Genetic Mosaics During Development., A. Cid-Arregui et al. (eds.), Microinjection and Transgenesis, Springer-Verlag Berlin Heidelberg 1998
https://rd.springer.com/chapter/10.1007/978-3-642-80343-7_24

4)Luc Mathis and Jean-Francois Nicolas, Different clonal dispersion in the rostral and caudal mouse central nervous system., Development vol.127, pp.1277-1290 (2000)
https://journals.biologists.com/dev/article/127/6/1277/41116/Different-clonal-dispersion-in-the-rostral-and

 

 

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2022年4月18日 (月)

続・生物学茶話176: Prdmファミリー

DNAはタンパク質の情報を記述した辞書であり、どの情報をいつ発現させるかという統合されたシステムが生命の本質です。このシステムのひとつの根幹は、DNAという辞書に状況によってあるいはタイミングによって読める部分と読めない部分をつくるという作業であり、そのためにはDNAを包装するタンパク質を部分的にはがす機構が重要となります。どうやってはがすかというと、それは包装タンパク質を化学修飾して構造を変化させるというメカニズムによります。ひとつの卵から生命体ができあがっていく過程では、必要なタンパク質は時間によって変化するので、はがした包装を埋め戻すという作業も必要になります。

塩基性タンパク質であるヒストンに多く含まれるリジンやアルギニンのメチル化はそのひとつのメカニズムです。まずその化学変化を復習しておきましょう(1)。アルギニンのメチル化はPRMT(Protein Arginine N-methyl transferase)ファミリーの酵素によって行われ、反応産物は図176-1に示した3種類となります。リジンのメチル化はやはり反応産物が3種類となりますが、アルギニンの場合より単純で、側鎖のアミノ基にひとつメチル基がつくとMe1、2つがMe2、3つがMe3と表現されます(図176-1)。この反応を触媒する酵素はSETファミリー(Protein Lysine N-methyl transferase)と呼ばれます。酵素活性に必須なSETドメインがショウジョウバエの3つのタンパク質 Su(var )3-9、Enhancer of zes t (EZ)、Tri thorax(TRX) でみつかったことから、それぞれの頭文字をとってSETという名前になりました。

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図176-1 アルギニン、リジンのメチル化

Protein Lysine N-methyl transferase (Histone methyl transferase) の反応基質はSアデノシルメチオニンとヒストンN末のいくつかのリジン残基です(2、図176-2)。ヒストンをメチル化する酵素があるのだから、これが転写の調節をやっているのなら当然メチル基をはずす酵素もあるはずです。しかしヒストンの脱メチル化酵素については、21世紀になってようやくその存在が確実になりました(3、4)。ここでは2編しか引用していませんが、2007年に一気に10報くらい論文が出版されたそうです。

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図176-2 リジンメチル化の基質

SETドメインを持つタンパク質は真核生物にはユニバーサルに存在しますが、遺伝子の調査によって細菌や古細菌にも存在することが明らかになっています(5、6)。このなかにはもちろん真核生物に感染したり、共生したりする関係でヒストンの修飾を行なう場合も含まれていると思われますが、少なくとも古細菌の場合には真核生物のタンパク質の祖先型の存在が示唆されています(7)。

ダントン・イワノチコはSETファミリータンパク質の分子系統樹を作成しました(8、図176-3)。この図で黄色の枝のタンパク質群は細菌・古細菌・真核生物にいずれにも存在しますが、青色の枝のタンパク質群は真核生物のなかでもメタゾア(いわゆる動物)にしか存在しないという特徴をもっています。したがって当然メタゾアにしかない形態形成や生理機能の維持に関与していると思われます。

この青色グループの分子群はPrdmファミリーと呼ばれ、SETドメインと相同なアミノ酸配列を含むPR(PRDI-BF1 and RIZ)ドメインを持つタンパク質です。相同と言っても配列ホモロジーが20%台のものもありますが、そのような場合であっても図176-3のようにSETファミリーとPrdmファミリーに属する当該分子の3次元構造は類似しているようです(7)。

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図176-3 SET/PRDMファミリーの分子系統樹と構造比較

PrdmファミリーはSETファミリーから派生したグループですが、特徴的なのはこのグループの分子種のほとんど(Prdm 11 以外)がZnフィンガーをもっていることです(9-11)。Prdmタンパク質のなかにはリジンのメチル化を介して機能するものもありますが、むしろZnフィンガーなど他のDNAやタンパク質と結合するドメインを介して転写制御をしている場合が多いようです(12)。木滑(きなめり)らはPrdmファミリー各タンパク質のZnフィンガードメインの位置を一覧表にして供覧しています(13、図176-4)。彼らが表題でプロトオンコジーンと言っているのは、この遺伝子の変異によって癌が発生する場合があるからです。増殖や分化に関係している遺伝子なのでそれは普通のことです。アステリスクがついている分子は主として神経組織に存在するもので、このグループが神経の発生・分化・機能発現に深く関わっていることを示しています。

図176-4のリストには Prdm 7 に関する情報がありませんが、後の報告により Prdm 7 はアイソフォームAとBがあり、AはZnフィンガーを含まずBは4つ含むこと、このタンパク質はH3K4(ヒストンH3のN末から4番目のリジン)をメチル化することなどが明らかになっています(14)。FOGは血液細胞の分化にかかわる因子でPrdmファミリーのメンバーであることが知られていますが、イワノチコの論文ではPrdmのナンバーがつけられていないので別扱いなのかもしれません(7)。

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図176-4 Prdmファミリータンパク質の構造

Prdmファミリ-はSETファミリーから派生したとはいえ、その歴史は古く海綿動物や平板動物にも存在することが知られています(10、図176-5)。これらの動物は神経を持たないので、神経の発生や維持のためにこのファミリーが生まれたわけではありません。酵母やカビには存在しないとされています。脊索動物は一般に十数種類のPrdmファミリーを持っていますが、例外的に尾索動物(ホヤなど)では数が少なくなっています。尾索動物は脳を持たないので、脳形成や維持に関連したこのファミリーの遺伝子が消失したものと思われます。

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図176-5 各動物門および脊索動物門の種におけるPrdm遺伝子の数

コアヒストンと呼ばれるヒストンH2A・H2B・H3・H4はヌクレオソームを構成しますが、H3のN末はヌクレオソームの内部に収納されないで外部に出ているので、転写制御の主たるターゲットとして使われています。この部分に様々な化学修飾が行われますが、図176-6ではSETおよびPrdmファミリーによるメチル化部位を示してあります(文献15を参照して作成)。ここで示されていないPrdmファミリーの因子は、ヒストンメチル化活性を失っているか、まだ知られていないと推測できます。Me1、2、3というのは図176-1で示したメチル基をいくつ転移するかという標識です。Prdmファミリーの酵素はH3以外のヒストンをメチル化することはできないようです。

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図176-6 SET/PRDMファミリーの酵素によって直接メチル化されるヒストンのリジン残基

Prdm の機能や作用機構については多くの研究が行われていますが、私的に興味をひかれた仕事をひとつ紹介します。江口りえこ氏はPrdm遺伝子群の発現をアフリカツメガエル初期胚で観察し報告しています(16、17)。カエルの卵は哺乳類と違って体外で発生しますしサイズも大きいので、このような研究目的に適しています。普通カエルは池と陸地が必要なのですが、このカエルは一生水の中で生活するので水槽で飼えるというのが大きなメリットです。研究室内に池と陸地をつくって実験動物のカエルを飼うというのは困難です。しかしデメリットもあります。このカエルのゲノムは近い過去に2種類のカエルが交配して全ゲノム重複が起きたという、4倍体とも言えるような特殊な構成なので、ポピュラーな実験動物なのに全ゲノム解析が2016年までかかったという変わり種ではあります。

江口らによれば、まず初期発生過程におけるそれぞれのPrdm遺伝子の発現を半定量PCR法で測定したところ、「Prdm 1, 2, 4, 9 は発生初期から一定に発現し、Prdm 3, 11, 13, 16 は発生が進むにつれ発現量が増加していた。さらに、Prdm 1, 2, 4, 9, 11, 15 は Stage 6-7 の胞胚期から発現していたため、母性由来の mRNA の存在が示唆された」(16)という結果となりました。さらにフォールマウント in situ hybridization 法によって各Prdm遺伝子の発現を調べた結果、図176-7ABC のような結果になりました。この図は私が勝手に一部を抽出したものであり、不適切である可能性があります。正確な情報を得たい方は是非文献16および17をご覧になることをお勧めします。

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図176-7ABC アフリカツメガエル発生過程におけるPrdm遺伝子の発現

全体的に脊索・脊髄・頭部のに発現している場合が多いようですが、Prdm 3,12 のように腎臓領域に発現するもの、Prdm 3, 4, 10 のように鰓に発現するもの、Prdm 16 のように臭板や咽頭囊に特異的に発現するもの、Prdm 12, 13 のように初期発生時に神経堤に発現するものなどバラエティーもあります。全体的に神経堤細胞に起源をもつ組織や神経系の細胞に発現しているように見受けられました。

参照

1)ウィキペディア:メチル化
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%81%E3%83%AB%E5%8C%96

2)Wikipedia: Methyltransferase
https://en.wikipedia.org/wiki/Methyltransferase

3)束田裕一 ヒストンのメチル化と脱メチル化 ―脱メチル化を中心に―
生化学 vol.79, no.7 pp.691-697 (2007)
https://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2018/12/79-07-09.pdf

4)Shun-ichiro Kageyama,Hiroki Sonehara,Masao Nagata and Fugaku Aoki, Expression of Histone Methylases and Demethylases during Preimplantation Development in Mice., J. Mamm. Ova Res.Vol.24,pp.126-131 (2007) DOI: 10.1274/jmor.24.126
https://www.researchgate.net/publication/232686018_Expression_of_Histone_Methylases_and_Demethylases_during_Preimplantation_Development_in_Mice

5)Raúl Alvarez Venegas, Bacterial SET domain proteins and their role in eukaryotic chromatin modification., Frontiers in genetics, vol.5, article 65. (2014)
doi: 10.3389/fgene.2014.00065

6)Karishma L. Manzur, Ming-Ming Zhou, An archaeal SET domain protein exhibits distinct lysine methyltransferase activity towards DNA-associated protein MC1-a., FEBS Letters vol.579, pp.3859–3865 (2005)
https://ur.booksc.me/book/16783560/2b3556

7)Danton Ivanochko, Structural and Functional Elucidation of PRDM Proteins., Ph.D thesis, Department of Medical Biophysics, University of Toronto, (2021)
https://tspace.library.utoronto.ca/bitstream/1807/105025/4/Ivanochko_Danton_202103_PhD_thesis.pdf

8)Yanling Niu, Yisui Xia, Sishuo Wang, Jiani Li, Caoyuan Niu, Xiao Li, Yuehui Zhao, Huiyang Xiong, Zhen Li, Huiqiang Lou, and Qinhong Cao, A Prototypic Lysine Methyltransferase 4 from Archaea with Degenerate Sequence Specificity Methylates Chromatin Proteins Sul7d and Cren7 in Different Patterns., J. Biol. Chem., vol. 288, no. 19, pp.13728–13740, (2013)
DOI 10.1074/jbc.M113.452979
https://www.researchgate.net/publication/236081740_A_Prototypic_Lysine_Methyltransferase_4_from_Archaea_with_Degenerate_Sequence_Specificity_Methylates_Chromatin_Proteins_Sul7d_and_Cren7_in_Different_Patterns

9)Irene Fumasoni, Natalia Meani, Davide Rambaldi, Gaia Scafetta, Myriam Alcalay and Francesca D Ciccarelli, Family expansion and gene rearrangements contributed to the
functional specialization of PRDM genes in vertebrates., BMC Evolutionary Biology, vol.7:187 (2007) doi:10.1186/1471-2148-7-187
http://www.biomedcentral.com/1471-2148/7/187

10)Michel Vervoort, David Meulemeester, Julien Be´hague, and Pierre Kerner, Evolution of Prdm Genes in Animals: Insights from Comparative Genomics., Mol. Biol. Evol. vol.33(3): pp.679–696 (2015) doi:10.1093/molbev/msv260
https://www.researchgate.net/publication/283729937_Evolution_of_Prdm_Genes_in_Animals_Insights_from_Comparative_Genomics

11)Emi Kinameri, Takashi Inoue, Jun Aruga, Itaru Imayoshi, Ryoichiro Kageyama, Tomomi Shimogori, Adrian W. Moore, Prdm Proto-Oncogene Transcription Factor Family Expression and Interaction with the Notch-Hes Pathway in Mouse Neurogenesis., PLoS ONE, vol.3, issue 12, e3859 (2008) DOI:10.1371/journal.pone.0003859
https://www.semanticscholar.org/paper/Prdm-Proto-Oncogene-Transcription-Factor-Family-and-Kinameri-Inoue/a627bb67e7dd4bfc5e8c80d139fe124ee1e96f9f

12)Erika Di Zazzo, Caterina De Rosa, Ciro Abbondanza and Bruno Moncharmont, PRDM Proteins: Molecular Mechanisms in Signal Transduction and Transcriptional Regulation., Biology vol.2, pp.07-141, (2013) doi:10.3390/biology2010107

13)Emi Kinameri, Takashi Inoue, Jun Aruga, Itaru Imayoshi, Ryoichiro Kageyama, Tomomi Shimogori, Adrian W. Moore, Prdm Proto-Oncogene Transcription Factor Family Expression and Interaction with the Notch-Hes Pathway in Mouse Neurogenesis., PLoS ONE vol.3, issue 12, e3859 (2008) DOI:10.1371/journal.pone.0003859
https://www.semanticscholar.org/paper/Prdm-Proto-Oncogene-Transcription-Factor-Family-and-Kinameri-Inoue/a627bb67e7dd4bfc5e8c80d139fe124ee1e96f9f

14)Levi L. Blazer, Evelyne Lima-Fernandes, Elisa Gibson, Mohammad S. Eram, Peter Loppnau, Cheryl H. Arrowsmith, Matthieu Schapira, and Masoud Vedadi, R Domain-containing Protein 7 (PRDM7) Is a Histone 3 Lysine 4 Trimethyltransferase., J Biol Chem., vol.291(26): pp.13509–13519. (2016) doi: 10.1074/jbc.M116.721472
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4919437/

15)Cell Signaling Technology, Epigenetic Writers and Erasers of Histone H3. (2018)
https://www.cellsignal.jp/pathways/epigenetic-histone-h3-pathway

16)江口りえこ 学位論文「動物発生過程におけるPrdm遺伝子群の発現と機能に関する研究」
九州大学学術情報リポジトリ (2015)
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1500526/sls0139.pdf

17)Eguchi R, Yoshigai E, Koga T, Kuhara S, Tashiro K., Spatiotemporal expression of Prdm genes during Xenopus development., Cytotechnology., vol.67(4): pp.711-719. (2015)
doi: 10.1007/s10616-015-9846-0.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/25690332/



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2022年4月 6日 (水)

続・生物学茶話175:神経堤のデラミネーション

胚表層の外胚葉から神経板ができるときのキーとなる分子は、外胚葉を表皮へと誘導するBMP4の作用をブロックする Noggin/Chordin/Follistatin の3つであることが知られています(1)。予定表皮と予定神経管の中間にある神経堤の領域ではBMP4と Noggin/Chordin/Follistatin の2大勢力が均衡していて、表皮にも神経管にも分化できないまま取り残された状態といえます。

皮膚や神経管が形成され始めると、ようやく取り残された神経堤領域にも動きが出て、一部は神経管の一部を構成する位置に移動し最背部のルーフプレート(蓋板)になりますが、取り込まれなかった部分はG1/S転換、剥離(デラミネーション)、移動(マイグレーション)を開始します。ルーフプレートの細胞も遅れて同様な行動をとります(2)。このような変化の模式図を図175-1に示しました。

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図175-1 神経堤の模式図 左は19世紀のヘンリー・グレイの教科書の図 右はウィキペディアの図を加工したもの

図175-1には19世紀の解剖学者ヘンリー・グレイ(図175-2)の教科書の図も掲載しておきました。多分ニワトリの図だと思いますが、わかりやすく描いてあります。この教科書グレイズアナトミーは1858年の初版以来、多くの解剖学者の手によって改訂がおこなわれ、現在でも解剖学の教科書として使用されています(図175-2右上)。日本語版もあります(3、図175-2右下)。この教科書の人気が出たのは、イラストを担当したヘンリー・ヴァンダイク・カーターの功績が大きかったとウィキペディアには記載してあります(4)。図175-2右上の現行版にはそのヘンリー・カーターの名前が表紙に出ています。ヘンリー・グレイは31才の時に上記の本を出版しましたが、天然痘でわずか34才で夭逝しています(4)。余談ですが、グレイズ・アナトミーというタイトルの医療テレビドラマが米国で人気で、日本でもWOWOWで放映されています。

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図175-2 グレイズアナトミー(初版と現行版)と著者

BMP4は表皮形成の司令塔でしたが、時間が経過すると神経堤由来細胞のG1/S転換・剥離・移動を促すという別の用途に再利用されます。これは神経堤由来細胞群の環境の変化によって、noggin による抑制がはずれることによって実現します(2、5)。おそらく新しくできた体節細胞からなんらかの noggin を抑制するシグナルがでると考えられています。BMP4の抑制が外れたからといってそこに表皮ができるわけではなく、BMPのシグナルを受け取る細胞内外の環境が時間の経過=発生のステージによって変化しているので同じシグナルでも結果は異なります。すなわち神経管が完全に落ち込んだステージでは、図175-3のようなシグナルカスケードを通じて神経堤細胞のデラミネーションと移動の準備が行われます。

G1/S転換はデラミネーションや移動とは独立に行われるようです。たとえば神経堤細胞から直接デラミネーションのフェイズにはいる細胞はG1/S転換の状態ですが、ルーフプレートの細胞はM期に入った状態でデラミネーションが起こります(2、5、6)。デラミネーションの前段階としてNカドヘリンが阻害され、かつタンパク質分解酵素(ADAM10)によって分解されることが必要です。新たに形成されるカドヘリン6Bや7はクラシックカドヘリンで細胞のブランチングを促します(7、8)。カドヘリン6Bは神経管と神経堤細胞の分離を促しますが、神経堤細胞のデラミネーションはそのカドヘリン6Bの分解が引き金となるようです(9)。

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図175-3 神経堤細胞の移動に必要なシグナル伝達

神経堤という組織の解体すなわちデラミネーションはNカドヘリンの分解だけですむのではなく、NCAM(neural cell adhesion molecule)やタイトジャンクションを解体しなければ実現しません。これはマトリックスメタロプロテイナーゼ群(MMPs)によって実行されます(10、図175-4)。図175-4のオリジナルはウィキペディアですが、実はこのウィキペディアの図では上が dorsal 下が ventral と記載してあるのですが、これは誤りで 上が ventral、下が dorsal が正しいと思われます(11)。Basal lamina は basement membrane ではありません。ですから図175-4では dorsal および ventral の表示は抹消しました。

MMPsはさまざまな生物にユニバーサルに存在する亜鉛を含む酵素群で、カルシウム依存的にマトリックスタンパク質などを分解し、細胞の移動を含むさまざまなプロセスで機能するとされています(12)。

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図175-4 神経堤細胞のデラミネーション

デラミネーションと移動の問題はまだすべてが解決したわけではありませんが、細胞の集団的移動経路とそれにかかわる様々なシグナル伝達因子(リガンド)とその受容体のうちのいくつかはみつかっており、図175-5に示しました(13)。頭部は複雑なので後で取り扱うとして、ここでは体幹部の場合だけ示してあります。神経堤細胞の移動経路は大きく分けて 1)体の中央(navy blue)あるいは筋節にそってアーチ状に腹側に移動する(blue) 2)背側から側方に移動する(pale blue) のふたつに分けられます。

体の中央から腹側に移動する細胞は交感神経とグリア、さらに副腎髄質の組織に分化し、アーチ状に移動する細胞は主として後根神経節に分化します。背側から側方に移動する細胞は主として色素細胞に分化しますが、色素細胞は腹側に移動する細胞からも生じるそうです(13、14)。神経堤細胞の移動経路は誘引性物質(緑)と忌避性物質(赤)でコントロールされています(13)。

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図175-5 神経堤細胞の移動経路

図175-5は Céline Delloye-Bourgeois and Valérie Castellani(13)のレビューにあった図がもとになっていますが、彼女らの図のレジェンドには 1.AMは図にない、2.Adの説明がない、3.Meの説明が2回繰り返されている という3ヵ所も誤りがあり、したがってレジェンドはここでは無視して別途日本語化しました。ポストドクが書いたのしょうが、指導教官も雑誌のレビューアーもエディターもみんなちゃんとチェックしていないからこのような凡ミスが見逃されて出版されてしまうことになるわけで残念至極です。ただイラスト自体は美しく、わかりやすいと思います。

 

参照

1)脳科学辞典:神経誘導
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E8%AA%98%E5%B0%8E

2)Eric Theveneau, Roberto Mayor, Neural crest delamination and migration: From epithelium-to-mesenchyme transition to collective cell migration., Developmental Biology vol.366, pp.34-54 (2012) doi:10.1016/j.ydbio.2011.12.041
https://discovery.ucl.ac.uk/id/eprint/1337167/2/1337167.pdf

3)アマゾン グレイの解剖学
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%81%AE%E8%A7%A3%E5%89%96%E5%AD%A6&i=stripbooks&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=1ARZCKY3AQK21&sprefix=%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%81%AE%E8%A7%A3%E5%89%96%E5%AD%A6%2Cstripbooks%2C177&ref=nb_sb_noss_1

4)ウィキペディア:ヘンリー・グレイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4

5)Burstyn-Cohen, T., Stanleigh, J., Sela-Donenfeld, D., Kalcheim, C., Canonical Wnt activity regulates trunk neural crest delamination linking BMP/noggin signaling with G1/S transition. Development vol.131, pp.5327-5339. (2004) doi:10.1242/dev.01424
https://www.researchgate.net/publication/8258260_Canonical_Wnt_activity_regulates_trunk_neural_crest_delamination_linking_BMPnoggin_signaling_with_G1S_transition

6)Burstyn-Cohen, T., Kalcheim, C., Association between the cell cycle and neural crest delamination through specific regulation of G1/S transition. Dev. Cell vol.3, pp.383?395. (2002) https://doi.org/10.1016/S1534-5807(02)00221-6
https://www.cell.com/developmental-cell/pdf/S1534-5807(02)00221-6.pdf

7)脳科学辞典:カドヘリン
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%AB%E3%83%89%E3%83%98%E3%83%AA%E3%83%B3

8)Sarah H. Barnes, Stephen R. Price, Corinna Wentzel, and Sarah C. Guthrie1, Cadherin-7 and cadherin-6B differentially regulate the growth, branching and guidance of cranial motor axons., Development. vol.137(5): pp.805–814. (2010) doi: 10.1242/dev.042457
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2827690/

9)Alwyn Dady, Jean-Loup Duband, Cadherin interplay during neural crest segregation from the non-neural ectoderm and neural tube in the early chick embryo., Dev.Dyn. vol.246, Issue 7, pp.550-565 (2017) https://doi.org/10.1002/dvdy.24517
https://anatomypubs.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/dvdy.24517

10)Wikipedia: neural crest
https://en.wikipedia.org/wiki/Neural_crest

11)Roberto Mayor and Eric Theveneau, The neural crest., Development, vol.140, issue 11, pp.2247–2251., (2013) https://doi.org/10.1242/dev.091751
https://journals.biologists.com/dev/article/140/11/2247/45713/The-neural-crest

12)Wikipedia: matrix metalloproteinase
https://en.wikipedia.org/wiki/Matrix_metalloproteinase

13)Céline Delloye-Bourgeois and Valérie Castellani, Hijacking of Embryonic Programs by Neural Crest-Derived Neuroblastoma: From Physiological Migration to Metastatic Dissemination., Front Mol Neurosci., vol.12, no.52, (2019) DOI: 10.3389/fnmol.2019.00052
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30881286/

14)脳科学辞典:神経堤
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%A0%A4

 

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2022年3月30日 (水)

新版 生物の分類

私たちが学生の頃に学んだのはヘッケルの3界説で、これが最も大雑把な生物の分類でした。この表をみるとヘッケルの3界説は100年以上も揺るぎなく君臨していたわけです(1、図1)。

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図1 生物の最も大雑把な分類法の遷移

それが遺伝子解析が進むとともに、20年くらい前にスーパーグループという概念が生まれて、真核生物を動物・植物・原生生物などと分類してはいけないこととなりました。それはなぜかと言えば、原生生物と一括されていた生物の中には動物と植物以上に分類学的にはるかに遠く離れたグループが存在することが明らかになったからです。さらに昆布などの海藻を植物と呼ぶには、これらが陸上植物とはあまりにも遠いかすかな関係しかなく、適切でないということもわかりました。

そのスーパーグループも最近ではすっかりリニューアルされて、15年前の名残りは星印のものしかなく、同じ地位を与えられているのは Archaeplastida しかありません(2、図2)。図2では色分けしているグループが当時のスーパーグループに相当するとして確定されたものです。Excavates はおそらく今後解体されて複数のスーパーグループになると思われます。

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図2 最新の分類法(クリックして拡大して見てください)

私たちが日常語で動物と言っている生物は Amorphea というスーパーグループに含まれます。この中にはアメーバ、襟鞭毛虫、私たちがその一員である Opisthokonta(オピストコンタ)などが含まれています。日常語で植物と言っている生物は、Archaeplastida というスーパーグループのなかの Chloroplastida という分類群に所属することになります。

オピストコンタとは鞭毛が体の後方にあるという意味で、ヒトの場合も精子をみると後方に生えた1本の鞭毛を使って前方に進むという生物であることがわかります。オピストコンタの中には菌類(カビやキノコ)なども含まれているので、日常語で動物と呼ばれる生物群は、生物学ではオピストコンタのなかの分類群のひとつメタゾア (Metazoa) ということになります。

参照

1)ウィキペディア:生物の分類
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E

2)Fabien Burki et al., The New Tree of Eukaryotes, Trends in ecology and evolution., Vol.35, Issue 1, PP.43-55, (2020) DOI:https://doi.org/10.1016/j.tree.2019.08.008
https://www.cell.com/trends/ecology-evolution/fulltext/S0169-5347(19)30257-5

 

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2022年3月17日 (木)

続・生物学茶話174: 皮膚と神経板の境界領域

ウィキペディアのウルバイラテリアンの項目を見ると、始原的左右相称動物の2つのモデルが掲載されています(1、図174-1)。おそらくこの2つのモデルより前に本当の意味でのウルバイラテリアが存在したと思いますが、それはそれとして、体節が存在すると言うことが重要で(2)、眼で移動方向を確認しながら各体節の付属器で移動するというのが、大部分の前口動物・後口動物の共通祖先として考えやすいと思います。背中に棘のないハルキゲニアのような生物、つまり左側のモデルがウルバイラテリアと近いのではないでしょうか。右側のモデルでは左右相称である必然性に乏しいと思います。むしろ固着型刺胞動物の祖先のようにも感じます。眼を使って移動するには、運動神経系をつかって体を動かさなければいけませんが、散在神経系でそれが可能なのでしょうか? 眼を明暗とその方向を知るために使うなら左右相称であることは却って不利です。海底の泥を吸って栄養分を吸収し、また移動して泥を吸うというような生活をするなら左右相称である必要はありません。

もうひとつの可能性としては、前口動物のうち主に脱皮動物系と後口動物の共通祖先としてウルバイラテリアがあり、それよりかなり前に図174-1のプラニュロイド系のような祖先動物が分岐して、冠輪動物(らせん動物)系の前口動物が生まれたという考え方もできるのではないでしょうか? 妄想に過ぎませんが、このふたつのモデルを見て、そんなことも想像させられました。

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図174-1 始原的左右相称動物の2つのモデル

なぜ左右相称というボディープランが好ましいかと言えば、左右の眼によって指定された位置をめざして特定の方向に移動するためには、左右の筋節および足などを利用して直線的に接近するのが効率的だからでしょう。そのためには左右の末梢神経系とそれらを統合する中枢神経系が存在するウルバイラテリアが前口動物と後口動物の共通祖先として存在していたに違いありません。まさしく図174-1の左側のモデルです。

このようなタイプの生物の発生はどのようにして行われるかというと、まず外胚葉の正中線あたりに中枢神経となる予定の組織が形成され(前口動物では腹側、後口動物では背側)、まわりの将来皮膚となる予定の組織との区別が行われます。次に予定皮膚と予定中枢神経の境目に特殊な領域が形成され、そこから末梢神経が発生するというのが前口動物・後口動物で共通のメカニズムです(3)。後口動物の場合、この境目の領域が神経堤を形成した後デラミネーション、すなわち細胞が結合して組織を形成していた状態が崩れて自由に動けるような変化をおこして移動し、特定の場所に移動定着して分化するという役割を持つ幹細胞を生み出す方向に進化したと考えられます(4、図174-2)。頭索動物ではまだデラミネーションは行われず、そのレベルから進化した脊索動物と尾索動物の共通祖先がこの幹細胞の移動・定着・分化というメカニズムを獲得して、魚類と円口類はそれを発展的に引き継いだというわけです(4、図174-2)。

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図174-2 York と McCauley の論文(4)にしたがった、神経板と皮膚の境界領域の進化

Yongbin Li らは後口動物だけでなく、センチュウ、ハエ。ゴカイなどの前口動物についても神経板と予定皮膚の境界領域について研究を行い、Msx/Vab-15 遺伝子が調査したすべての生物について境界領域に発現し、しかもすべての生物において感覚神経細胞の形成に不可欠であることを示しました(3、5、図174-3)。この Msx ファミリーの遺伝子は左右相称動物以外の生物も持っているユニバーサルなホメオボックス遺伝子で、生物の発生に深く関わっている遺伝子です。このファミリーの一部が突然変異することによって、ヒトにおいて歯・口蓋・唇・爪が異常になることがわかっています(6)。おそらく予定表皮領域と神経板領域の分化、中間領域の特殊化、中間領域からの末梢神経の形成までは前口動物と後口動物で共通のメカニズムで行われていると想像できます。


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図174-3 境界領域に発現する Msx/vab-15

Msx ファミリーがユニバーサルであることが Li らによって示された一方で、Zhao らは様々な生物の中間領域において、発生に関わる基本遺伝子が多様な発現をしていることを報告しています(7、図174-4)。なかには Msx の発現が見られない場合も散見されます(チマキゴカイ、ヒモムシ、ミズワムシ)。もっとも近縁の遺伝子で測定にひっかからない発現があるのかもしれませんが。かと思えば脊椎動物と、左右相称動物ではないイソギンチャクにおける Msx、Pax3/7、Zic、 Nk6 などの発現が酷似しているという不思議な現象も見られます。ミズワムシに至っては Nk6 しか記載されていないなどまだデータが不十分な感じの部分もありますが、それはそれとして、形態形成の初期の段階においても著しい転写調節因子発現の多様性がみられることには驚かざるを得ません。

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図174-4 様々な生物で予定皮膚・神経板境界領域に発現する転写調節因子

参照

1)Wikipedia: Urbilaterian
https://en.wikipedia.org/wiki/Urbilaterian

2)Jean-Pierre Cornec et Andre Gilles, Urbilateria, un etre evolue ? Urbilateria, a complex organism ? Med Sci (Paris) vol.22, no.5, pp.493-501 (2006)
https://doi.org/10.1051/medsci/2006225493

3)Yongbin Li et al, Conserved gene regulatory module specifies lateral neural borders across bilaterians., proc natl acad sci USA, E6352-E6360 (2017)
www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.1704194114
https://www.pnas.org/doi/pdf/10.1073/pnas.1704194114

4)Joshua R. York and David W. McCauley, The origin and evolution of vertebrate neural crest cells., Open Biol. 10: 190285 (2020).
http://dx.doi.org/10.1098/rsob.190285

5)筑波大学プレスリリース 平成29年7月19日
線虫から脊椎動物まで共通して保存されている発生メカニズム ~進化的に広く保存された感覚神経細胞が作られる仕組みの解明~
https://www.tsukuba.ac.jp/journal/images/pdf/170719horie-2.pdf

6)Hirokazu Takahashi, Akiko Kamiya, Akira Ishiguro, Atsushi C. Suzuki, Naruya Saitou,
Atsushi Toyoda, and Jun Aruga, Conservation and Diversification of Msx Protein in Metazoan Evolution., Mol. Biol. Evol. vol.25(1): pp.69–82. 2008 doi:10.1093/molbev/msm228
http://www.saitou-naruya-laboratory.org/assets/files/pdf/Takahashi_MBE07.pdf

7)Di Zhao1, Siyu Chen, Xiao Liu1, Lateral neural borders as precursors of peripheral nervous systems: A comparative view across bilaterians., Develop Growth Differ., vol.61: pp.58–72. (2019)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30575021/

 

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2022年3月 9日 (水)

続・生物学茶話173: 神経堤の進化

ウルバイラテリア(始原的左右相称動物)から分枝した前口動物・後口動物という二つの幹の生物群は現在どちらも繁栄していますが、カンブリア紀には節足動物、オルドビス紀には軟体動物という前口動物が食物連鎖の上位にいたと考えられています。後口動物は無顎魚類・筆石などの目立たない生物たちが命脈を保っていました(1、2)。

後口動物がシルル紀以降に大繁栄したのは、神経堤の細胞が独自に移動し分化することによって顎や新しいタイプの頭部が形成されたことに起因したと考えられます。内胚葉・中胚葉・外胚葉からそれぞれ消化管・臓器・皮膚が形成されるという動物の古典的定則に加えて、神経堤由来細胞からのバリエーションが加わることになったのが脊椎動物の特徴です(3)。3胚葉はいわば大工、神経堤は左官の仕事にたとえられるでしょう。

マウスの神経堤細胞をシャーレで培養すると、図173-1のような様々な細胞に分化させることができます。また未分化なまま維持することもできます(4)。

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図173-1 神経堤細胞の多彩な分化

確認のために、もう一度脊索動物の系統樹を示します。脊索動物は頭索動物・尾索動物・脊椎動物の3つのグループからなり、それぞれの関係は図173-2に示されています。後口動物というのはこれ以外に半索動物(ギボシムシ)と棘皮動物(ウニ・ヒトデ)があるだけで、脊椎動物以外はとても地味な生物群であることがわかります。

なぜそのような格差が生まれたかと言えば、それは脊椎動物が神経堤細胞を一つの組織としてとどめ置かず、分散させて(デラミネーション)、移動した場所で革新的な組織を形成させるという新機軸を生み出したからです。ナメクジウオは神経堤を持ちますが、デラミネーションには至りませんでした。最初に成功したのはホヤの祖先だと思われますが(5)、ホヤは魚類のような生活を捨てて固着する生活を選んだため多くの機能が退化し、遺伝子も廃棄しました。なので進化の道筋を知るには不適切な材料と言えます(これは個人的な感想です)。

したがってここでは神経堤細胞デラミネーションの基点に近い生物として円口類(ヤツメウナギとヌタウナギ)に着目しました(図173-2)。円口類はウナギという名前がついていますが、れっきとした硬骨魚類であるウナギとは全く異なる生物で、顎がなく、歯の主成分はケラチンであり、左右対称の胸びれや腹びれはありません。魚類のウナギは腹びれは退化していますが、胸びれはちゃんとあります(6)。ヤツメウナギは体の片側に7つの鰓口があり目と合わせて8つとなることからヤツメウナギと名付けられたのでしょう(7)。ヌタウナギでは鰓口の数は種によって異なるようです(8)。

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図173-2 円口類の進化上の位置

脊椎動物の祖先生物に近いと思われるナメクジウオ、脊椎動物の中で最も古いタイプの生物に近いと思われるヤツメウナギ、そして私たち有顎の脊椎動物の3つのグループについて、神経堤遺伝子ネットワークの主な分子メンバーをリストアップしてみました(図173-3)。データは文献9-11によります。

まず外胚葉において皮膚・中間領域・神経の3つの領域への差別化が行われるのですが、どの領域でもBMP、Fgf、Wnt、Delta/Notch というリガンドが、それぞれの濃度と相互作用によって、おそらくパラクライン的に作用して各領域に所属する細胞に特徴を付与し、それぞれの予定運命を維持していると思われます。その結果予定神経堤領域(中間領域)に発現する転写因子は、Zic、Msx、Dlx、Pax3/7 などで、ナメクジウオ・ヤツメウナギ・有顎動物で驚くほど一致しています。これはこの3つのグループの生物が同じメカニズムで神経堤を形成していることを示す証拠で、これらの生物が同じルーツを持つことを強く示唆しています。

この3つのグループの内でナメクジウオが特に始原的な特徴を持っていることは、分化した神経堤という組織に発現する主な転写因子が Snail のみであることに起因するのかもしれません。Snail はおそらく神経堤が中胚葉に落ち込むために必要な因子で、これはほかのふたつのグループでも発現しています。ただ他の2つのグループはその他に多彩な転写制御因子を発現していて、これらが神経堤という組織の解体(デラミネーション)とその後の細胞の運命に関与していると思われます(図173-3)。

単純に考えると有顎動物で発現している Twist や Ets-1 が顎の形成に関与していると思われますが、これについては稿を改めて取り扱いたいと思います。ヤツメウナギと有顎動物で神経堤に発現している因子が極めて類似していることは、この2つのグループがナメクジウオよりさらに近縁であることを示唆しています(図173-3)。

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図173-3 ナメクジウオ・ヤツメウナギ・有顎動物における神経堤遺伝子発現ネットワークの比較

一般的に胞胚期には予定神経堤領域はみられず、BMPやWntがハイレベルで存在する予定皮膚領域と、それらのインヒビター(Delta/Notch)とFgfがハイレベルで存在する予定神経領域にわかれています。しかし発生が進んで囊胚になるとその中間に、FgfやWntは存在するがBMPのレベルはインヒビターにより低下している中間領域が出現し、これが予定神経堤領域となります(11、12、図173-4)。Wnt の濃度は前後軸によって異なります(図173-4)。

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図173-4 予定表皮域と予定神経域の中間に新領域が出現する

最近の研究結果をまとめたタワニとグローブスの総説(11)にしたがって、発生の進行と共に発現する転写制御因子をみていくと、表皮・神経堤(プラコード)・神経管に分化するために必要な因子がわかります。表皮は図173-5のように胞胚から囊胚・神経胚に至るまで同様なセットで分化を進めていくようですし、神経板→神経管への分化も Sox2/3 を中心として進行させていくようです。神経堤の細胞はこれら2者に比べると、様々な異なる細胞に分化しなければいけないので、メカニズムは複雑です。さらに移動する、分化する、増殖する、原基をつくるという予定表皮や予定脊髄とは別次元の仕事をこなさなければならないので、単にシグナル伝達因子を羅列するだけでは情報過疎ですが、経路の変わった様々な因子が出現することはこの表からでもわかります(図173-5)。

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図173-5 脊椎動物胚における外胚葉の分化と転写因子

ここでは少し話を単純化しているので、より詳細な情報に接したい方は最近の総説などをお読みになることをお勧めします(13)。結局細胞分化に伴う化学変化は複雑な四次元のマップなので、人間の脳で全体像を把握することは無理で、完全にメカニズムが解明されたとしてもコンピュータの力を借りなければ表現したり、理解したりすることは不可能な領域だと思います。ただその概略を単純化することによって理解していることは生物を理解する上で必要でしょう。

参照

1)カンブリア紀の生物 II
http://morph.way-nifty.com/lecture/2020/01/post-a26294.html

2)オルドビス紀の生物
http://morph.way-nifty.com/lecture/2020/01/post-c05a7b.html

3)Joshua R. York and David W. McCauley, The origin and evolution of vertebrate
neural crest cells., Open Biol. vol.10, no.190285 (2020)
http://dx.doi.org/10.1098/rsob.190285

4)Bao H. Nguyen, Mamoru Ishii, Robert E. Maxson, Jun Wang, Culturing and Manipulation of O9-1 Neural Crest Cells., J. Vis. Exp. (140), e58346 (2018)
doi:10.3791/58346
https://www.jove.com/t/58346/culturing-and-manipulation-of-o9-1-neural-crest-cells

5)堀江健生 筑波大学プレスリリース 脊椎動物の「頭」の起源に迫る ~ホヤから脊椎動物への進化の一端を解明~ (2018)
https://www.tsukuba.ac.jp/journal/images/pdf/180801horie-1.pdf

6)Private Auarium ニホンウナギ
https://aqua.stardust31.com/unagi/unagi-ka/unagi.shtml

7)ウィキペディア:ヤツメウナギ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%84%E3%83%A1%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%AE

8)ウィキペディア:ヌタウナギ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%AE

9)Jr-Kai Sky Yu, The evolutionary origin of the vertebrate neural crest and its developmental gene regulatory network – insights from amphioxus., Zoology vol.113, pp.1-9, (2010) https://doi.org/10.1016/j.zool.2009.06.001
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0944200609000683

10)Tatjana Sauka-Spengler and marianne Bronner-Fraser, , Insights from a sea Lamprey into the evolution of neural crest gene regulatory network., Biol. Bull., vol.214, pp.303–314, (2008) https://doi.org/10.2307/25470671
https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.2307/25470671

11)Ankita Thawani and Andrew K. Groves, Building the border: development of the chordate neural plate border region and its derivatives., Front Physiol, vol.11, no.608880, (2020)
doi: 10.3389/fphys.2020.608880
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/33364980/

12)Xiao Huang, Jean-Pierre Saint-Jeannet, Induction of the neural crest and the opportunities of life on the edge., Develop. Biol., vol.275, pp.1-11 (2004)
doi:10.1016/j.ydbio.2004.07.033
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/15464568/

13)Megan L. Martik and Marianne E. Bronner, Regulatory logic underlying diversification of the neural crest., Trends Genet., vol.33(10): pp.715–727. (2017) doi:10.1016/j.tig.2017.07.015.
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0168952517301324
https://www.cell.com/trends/genetics/pdf/S0168-9525(17)30132-4.pdf

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2022年2月23日 (水)

続・生物学茶話172: ハイコウエラ

脊椎動物がカンブリア紀に生息していたかどうかという問題は、古生物学上重要な問題で永年議論されています。ハイコウエラ、ユンナノゾーン、ミロクンミンギアなどはその候補ですが、ここではとりあえずナメクジウオつながりで、ハイコウエラにフォーカスしたいと思います。ハイコウエラの化石は中国雲南省澄江(チェンジャン)で発掘されています。図172-1はグルノーブル自然史博物館所蔵のもので、多数の個体がまとまって化石となっています(1)。これは彼らが群れを作って行動していたことを示唆しています。

1体ものとしては、Palaeos Life Through Deep Time というサイトに素晴らしい化石の写真があります(2)。興味がある方は是非リンクをご覧ください。シンプルですが可愛いイラストがウィキメディアコモンズにあったので図172-1下部に貼り付けました。背中や尾の突出は魚類の鰭とは違って、筋組織が充填されている構造と考えられています。ナメクジウオと違って眼があります。

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図172-1 ハイコウエラの化石とイラスト

図172-2は古生物学者 Jun-Yuan Chen が発表したハイコウエラの解剖図です(3)。顎はありませんが、それ以外はかなり脊椎動物に近い感じのボディープランを持つ生物であったことがうかがえます。中枢神経系と鰓弓があり、プロトタイプの脊椎まであります。ヒトの背骨の役割としては 1.身体を支える(支持性)、2.神経の保護 が考えられているようですが(4)、カンブリアの海を泳いでいた彼らがなぜ脊椎を作り始めたかというのは謎です。活発に泳ぐには脊索と筋肉とひれ状の構造があれば十分で、彼らはひれは未発達だったかもしれませんが、脊索と筋肉はしっかりと保有してたと考えられます。

脊椎らしきものを彼らが作り始めたには(作り始めた者が生き残ったには)、なにか非常に重要な理由があるはずです。それは神経や神経鞘の保護のためかもしれませんが、私はひとつの仮説を考えました。カンブリア紀は多くの生物が眼を持つようになって、餌をさがして食べるというライフスタイルを持つ生物が繁栄し、毎日生活する場所が弱肉強食の戦場と化しました。こんななかで多くの弱い生物はなんらかの対策を講じました。それは敏捷に移動する、体を堅い殻で被う、棘を生やす、隠れて生活する、大量の子孫をつくる、など様々でした。ハイコウエラは体長数cmの小さな生物で、アノマロカリスなど大型の節足動物のエサとなっていても不思議はありません。それで骨を食べたアノマロカリスは、これはエサとして適切ではないと感じたのではないでしょうか? 平たくて薄い骨は刃物となってアノマロカリスの消化管を損傷したかもしれません。

現存するナメクジウオは、ハイコウエラに比べると退化していると思われる部分がありますが、そのひとつはこのプロトタイプの脊椎で、ナメクジウオではほとんど痕跡的になっています。それは彼らのライフスタイルがベントス(底生生物)に近くなったからかもしれません。ハイコウエラは真正魚類の登場によってニッチを奪われ絶滅しましたが、ナメクジウオは主に有機堆積物やプランクトンを食べるベントスに近い生活をしていたために、異なるニッチで生き残ったと考えられます。動くエサを捕らえたり、俊敏に泳いだりする機会がなければ、眼も退化してかまわなかったのでしょう。

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図172-2 ハイコウエラの体の構造

現存するナメクジウオは見た目明確に識別できる脳はありません。ただ電子顕微鏡観察や分子生物学的解析によれば、中枢神経系の一部に脳に相当する部分はあるようです(5-7、図172-3C、D)。ハイコウエラはより明確にふくらんだ脳らしきものが中枢神経の前端にあります(8、図172-3B)。これはバトラーが描いたいわゆるセファレートという脊椎動物のプロトタイプ(9、図172-3A)に似ています。前口動物と後口動物が分岐する前に脳のプロトタイプが形成されていたことが示唆されます。ナメクジウオの場合眼を使わなくなって、中枢神経系が退化したと思われます。そのかわり体中に光受容器があって眼とは全く異なる光の感知を行っているようです(10)。

図172-3の脊椎動物の脳の基本形はウィキメディアコモンズの図(11)を元に製作したもので、Telencepharon(終脳)の部分は、ハイコウエラやナメクジウオにはおそらく存在しません。それでもハイコウエラは眼をもち、エサや天敵を認識して行動していたと思われ、プロトタイプの脳を使って記憶とか意識を持って生きていたのでしょう。カンブリア紀にしてすでにエサを探して口から食べ、消化して腔門から排泄し、自在に泳いで移動し、敵が来れば逃走し、痛覚や触覚をもち、ホルモンで体調を維持し、雄雌で繁殖行動を行い、記憶や意識を持って、つまりかなりの部分私たちと同じように毎日を生きていたご先祖様がいたらしいことにはちょっと感動します。

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図172-3 ハイコウエラとナメクジウオの脳のかたち

ナメクジウオやハイコウエラのような生物から、どのように脊椎動物が分岐してきたかというのは興味深い課題です。ナメクジウオ(頭索動物)も脊椎動物も、将来皮膚となる外胚葉から神経堤が盛り上がり、その中央部(神経板)が落ち込んで神経管が形成されることに変わりはありません(12、図172-4)。しかし大きな違いは、脊椎動物の場合、神経堤の細胞が神経板とともに中胚葉に落ち込み、そこから各方面に分散して組織を形成するようになったことです。このようにもともと外胚葉性だった細胞が中胚葉細胞化することを上皮間葉転換(epithelial-mesenchymal transition=EMT)といいます(13)。

このように中胚葉化した細胞は脳や顔面の一部、神経鞘、骨格筋、平滑筋、軟骨、骨、血管壁、色素細胞、神経節、副腎髄質、その他の様々な細胞に分化し、まさしく脊椎動物において第二の発生とも言えるような構造形成を行います。そのうちのひとつが顎の形成で、頭索動物は顎の形成ができないということは、神経堤細胞が上皮間葉転換を行なわないことに起因しています(図172-4)。

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図172-4 ナメクジウオと脊椎動物の神経堤

図172-5は Meulemans と Bronner-Fraser がまとめた表(14)の一部ですが、全体的には頭索動物(Amphioxus)と脊椎動物で明らかに類縁関係が認められます。特に神経板に発現している因子はほとんど同じなので、中枢神経系の形成については特に強いホモロジーが認められます。大きく異なるのは、頭索動物の場合神経堤が形成されてもそれが神経管だけに分化し、中胚葉系細胞への分化を行わないことで、それと関連して Fox をはじめとするさまざまな転写因子の発現がありません。このあたりが脊椎動物への進化の鍵になっています

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図172-5 表皮・神経堤・神経管形成に関連するシグナルと転写制御因子

 

参照

1)File:Haikouella lanceolata Museum Grenoble 03082017.jpg (from Wikimedia Commonds)
http://palaeos.com/vertebrates/chordata/haikouella.html

2)Palaeos Life Through Deep Time. Chordata : Chordata (3), Haikouella lanceolata.
http://palaeos.com/vertebrates/chordata/haikouella.html

3)Jun-Yuan Chen, The sudden appearance of diverse animal body plans during the Cambrian explosion., Int. J. Dev. Biol. 53: 733-751 (2009) doi: 10.1387/ijdb.072513cj
http://www.ijdb.ehu.es/web/paper.php?doi=072513cj

4)特定非営利活動法人 兵庫脊椎脊髄病医療振興機構 せぼねの豆知識
http://hosd.or.jp/tips

5)デンジソウ 遺伝子で脳の進化を探る-形の進化とゲノムの変化―ナメクジウオが教えてくれること
http://denjiso.net/?p=12150

6)Èlia Benito-Gutiérrez et al., The dorsoanterior brain of adult amphioxus shares similarities in expression profile and neuronal composition with the vertebrate telencephalon. BMC Biol vol.19(1): no.110 (2021) doi: 10.1186/s12915-021-01045-w.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8139002/pdf/12915_2021_Article_1045.pdf

7)Jun-Yuan Chen, Early Crest Animals and the Insight They Provide Into theEvolutionary Origin of Craniates., Genesis vol.46, pp.623-639 (2008)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/epdf/10.1002/dvg.20445

8)Todd E. Feinberg and Jon Mallatt, The evolutionary and genetic origins of consciousness in the Cambrian Period over 500 million years ago., Frontiers in Psychology vol.4, article 667 (2013)
https://www.researchgate.net/publication/257600431

9)Ann B. Butler, Chordate evolu-tion and the origin of craniates:an old brain in a new head. Anat.Rec. vol.261, pp.111–125. (2000)
https://web.mit.edu/~tkonkle/www/BrainEvolution/Meeting1/Butler%202000%20AnatRecord.pdf

10)窪川かおる ナメクジウオの生物学 The Journal of reproduction and development., vol.47, no.6 (2001)
http://reproduction.jp/jrd/jpage/vol47/470603.html

11)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:EmbryonicBrain.svg

12)Linda Z. Holland, The origin and evolution of chordate nervous systems., Phil. Trans. R. Soc. B 370: 20150048. (2015)
http://dx.doi.org/10.1098/rstb.2015.0048

13)脳科学辞典:神経堤
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%A0%A4

14)Daniel Meulemans and Marianne Bronner-Fraser, Gene-Regulatory Interactions Review in Neural Crest Evolution and Development., Developmental Cell, Vol. 7, pp.291–299, (2004)
https://core.ac.uk/reader/82595000

 

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2022年2月 5日 (土)

続・生物学茶話171: ヌタウナギ

脊索動物門が頭索動物・尾索動物・脊椎動物の3つのグループからなり、ルーツは頭索動物(ナメクジウオ)に近い祖先動物であることを前回述べました。今回はその脊椎動物のルーツに関するお話です。ここで一部の動物学者達が昔から注目してきたヌタウナギという生物が登場します。ヌタウナギは5メートルから270メートルの海底に住む、一見ウナギやヤツメウナギに似た生物で食べられそうではありますが、韓国だけで食材として使われているそうです。ヌタとは彼らが分泌する粘液を意味するようです。

ウィキペディアにあったヌタウナギ、ヤツメウナギ、ウナギの図をまとめてみました(1-3、図171-1)。このなかでウナギは顎があってこの開閉で餌をかみ砕いて食べますが、ヌタウナギやヤツメウナギは顎がないので、餌に吸い付いて剥ぎ取る感じの食事になります。昆虫の幼虫も吸い込んで餌にしているようです。イールスキンの財布とかをお持ちの方もおられると思いますが、あれはウナギの皮ではなくヌタウナギの皮です。

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図171-1 ヌタウナギ、ヤツメウナギ、ウナギの外観

私たちが学生だった頃、ホルマリン漬けのヌタウナギを一匹づつ渡されて組織標本を作って観察するよう先生に言われましたが、当時はこの生物の重要性をあまり認識していなかったので、通り一遍のレポートを作って終わりにしてしまいました。もう少し深い関心を持って観察すべきだったと、今になって後悔しています。思い出深い生物ではあります。

アイヤーズとジャクソンは1901年にヌタウナギの形態について詳細な研究を行った論文を発表しましたが、その中で痕跡的な背骨が認められることを記しているそうです。この論文は現在でもお金を支払えばウェブサイトで閲覧できます(4)。しかしヌタウナギは背骨を持たず視力もほとんどないとされ、21世紀になるまで発生の様子も観察できなかったので、永年とりあえず脊椎動物とは異なる外群の生物として棚上げされてきました。

理研の太田欽也は島根の漁師柿谷氏と協力してヌタウナギの採卵を行い、発生の観察を行ったところ、なんと胚の存在を確認できるまでに5ヶ月を要したそうです。この発生の異常な遅さに誰も気づかなかったことが100年間の研究遅滞を招いたようです。彼と共同研究者が発生の観察を行い、アイヤーズとジャクソンの観察の再確認を含めて詳細を発表してからヌタウナギの研究が再開されました(5、6)。

大石康博の学位論文によれば、ヌタウナギの腺性下垂体は従来内胚葉由来とされてきましたが、実は脊椎動物やヤツメウナギと同様外胚葉由来だそうです(7、図171-2)。ヌタウナギとヤツメウナギは図171-2に示されているように、鼻孔の位置がそれぞれ前と上(背側)で異なっていますが、腺性下垂体とは繋がっており、腺性下垂体が口の一部となった魚類とは大きく異なっています。魚類のような連続した脊椎がないことや、顎がないことはヌタウナギとヤツメウナギに共通の特徴であり、これらがひとつのグループ(クレード)を形成することを示唆しています。ウナギはれっきとした硬骨魚類であり、顎も脊椎も立派なものを持っています(図171-2)。サメも古代型のものは口が前にあって円筒形の体で、形態はウナギと大して差はありません(8)。ただし現在も過去もサメは軟骨しか持っていません。

ヌタウナギのひとつの特徴は鼻孔と消化管が喉の奥で繋がっていることです。このことが何の役に立つのかはわかりません。私たちヒトの鼻孔は喉の奥で消化管とつながっていますが、もし鼻孔がヤツメウナギや魚類のように盲管なら、鼻からは空気が吸えないので餌を食べながら口から空気を吸わなければならないことになります。ヌタウナギはもちろん鰓で呼吸するので、鼻孔は盲管でいいわけですが、さて何かわけがあるのでしょうか? 鼻孔が前方先端にあるのは、視力が弱い代わりに匂いで餌を嗅ぎ分けて食べるには必須なのかもしれません。1712a

図171-2 ヌタウナギ、ヤツメウナギ、サメ、ウナギの頭部断面 (Sagittal section)

ヌタウナギの背骨については、2011年に理研が再確認のプレスリリースをしています(9、図171-3)。タイトルに「背骨の痕跡を発見」とありますが、実際は再発見なのでこれはちょっと厚かましい感じがしますが、尾部にはっきりと軟骨が並んでいるのがわかります。ヤツメウナギも明確な脊椎は持たず弓形の軟骨が並んでいるだけです。理研は様々な研究を行って、ヌタウナギの分類学的な位置の確定に貢献しました。

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図171-3 ヌタウナギには萌芽的あるいは痕跡的な背骨がみとめられる

そして決定的な結果はダートマス大学のハイムバーグらの研究によって得られました(10、図171-4)。生物のゲノムには遺伝子をコードする部分以外にも機能を持つ部分があり、そのような場所で転写されるマイクロRNA(miRNA)はメッセンジャーRNAの機能を抑制するという機能を持っていて、発生や分化など生命現象の基本的な部分にかかわっています(11)。ヤツメウナギおよび有顎脊椎動物に存在する46種類の miRNAのうち、miR-1329および miRー4541の2種類以外はすべてヌタウナギにも存在していました。そしてヤツメウナギとヌタウナギは、有顎脊椎動物にはない miR4542、miR4543、miR4544、miR4545 を持っていました。ヤツメウナギと有顎脊椎動物が共有していて、かつヌタウナギは持っていない miRNA はありませんでした。

彼らはまた miR-19に着目して、ヌクレオチドの置換状況を調べました。このマイクロRNA遺伝子にはすべての脊椎動物が持っている2つのパラログと、円口類すなわちヤツメウナギとヌタウナギだけが持つ3つめのパラログがあります(図171-4)。これらのヌクレオチド置換状況を調べると、ヤツメウナギと有顎脊椎動物が置換を共有し、ヌタウナギは共有していないという例はありませんでした。ほとんどの場合ヒトとゼブラフィッシュは置換を共有し、ヤツメウナギとヌタウナギも置換を共有しています。このような実験結果から、ヌタウナギとヤツメウナギは同じ円口類(Cyclostomata)というクレードにまとめることができることが強く示唆されました。

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図171-4 マイクロRNAパラログにみられるヌクレオチド置換

理研のグループは形態学的な解析から、デボン紀中期の化石生物 Palaeospondylus がヌタウナギの祖先生物であるとし、ヌタウナギとヤツメウナギの分岐はデボン紀初期であるという仮説を提出しています(12)。シルル紀にはもう顎と歯をもつ魚類が登場していたので、ずいぶんのんびりとした進化のように思えますが、彼らはおそらく当時からやわらかい屍体や生体にとりついて栄養分をこそぎとるという生き方をしていたので、歯や顎を使って堅いものをかみ砕いたり、運動性能を高めて餌を捕獲する必要はなかったのでしょう。その他の形態学的、遺伝学的な解析からもヌタウナギとヤツメウナギは近縁で、有顎動物(顎口類)とは別のグループとしてまとめるのが適切であり(13)、痕跡的とは言え脊椎を持つので脊椎動物には含まれるとして図171-5の新系統樹で示したような分類が妥当ということになりました。1715a

図171-5 脊索動物の新旧系統樹

余談になりますが、図171-6は私が所有している19世紀の半ば頃描かれたナメクジウオとヌタウナギの絵です。描いた人はおそらく、ナメクジウオとヌタウナギが私たちの直系祖先と深い関係があると予感していたと思います。この2種の生物はペルム紀・白亜紀の大絶滅時代を生き延びて、現在まで太古の面影を残した形態で私たちと共存しています。

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図171-6 19世紀に描かれたヌタウナギとナメクジウオ

参照

1)ウィキペディア:ヌタウナギ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%AE

2)ウィキペディア:ヤツメウナギ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%84%E3%83%A1%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%AE

3)Wikipedia: Eel
https://en.wikipedia.org/wiki/Eel

4)Ayers, H. & Jackson, C. M. Morphology of the myxinoidei. I. Skeleton and
musculature. J. Morphol. 17, 185–226 (1901)
https://www.deepdyve.com/lp/wiley/morphology-of-the-myxinoidei-i-skeleton-and-musculature-wPnh6L0XX9

5)太田欽也 ヌタウナギの発生学 (2007)
https://www.zoology.or.jp/html/04_infomembers/04_gakkaisyourei/senkoukekka/2007_ota.htm

6)Kinya G. Ota, Satoko Fujimoto, Yasuhiro Oisi & Shigeru Kuratani., Identification of vertebra-like elements and their possible differentiation from sclerotomes in the hagfish., Nature Communications vol.2, no.373, (2011) DOI: 10.1038/ncomms1355
https://www.nature.com/articles/ncomms1355.pdf

7)大石康博学位論文 ヌタウナギの頭部発生から脊椎動物の頭部形態の進化を読む
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/D1005717

8)ラブカ(古代サメ)を見る事ができる水族館の場所や値段、アクセスについて
https://hi1987.net/2019/03/17/rabuka_same/rabuka_same-3883

9)理化学研究所プレスリリース 背骨を持たない脊椎動物「ヌタウナギ」に背骨の痕跡を発見 -脊椎骨の形成メカニズムの進化について新しい仮説を提唱-
https://www.riken.jp/press/2011/20110629/index.html

10)Alysha M. Heimberg, Richard Cowper-Sal·lari, Marie Sémon, Philip C. J. Donoghue, and Kevin J. Peterson, microRNAs reveal the interrelationships of hagfish,lampreys, and gnathostomes and the nature of the ancestral vertebrate., PNAS, vol.107, no.45, pp.19379–19383 (2010)

11)ウィキペディア:miRNA
https://ja.wikipedia.org/wiki/MiRNA

12)Tatsuya Hirasawa, Yasuhiro Oisi and Shigeru Kuratani, Palaeospondylus as a primitive hagfish., Zoological Letters vol.2, no.20 (2016)
DOI 10.1186/s40851-016-0057-0

13)Naoki Irie, Noriyuki Satoh and Shigeru Kuratani, The phylum Vertebrata: a case for
zoological recognition., Zoological Letters vol.4, no.32 (2018)
https://doi.org/10.1186/s40851-018-0114-y

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