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2017年4月28日 (金)

やぶにらみ生物論71: 解糖

17世紀の英国の化学者ジョン(ヨハネス)・メイヨー(1640~1679、図1)は、密閉容器にねずみとろうそくを入れ、ろうそくを燃やすと、まずろうそくが消えて、そのあとねずみが死ぬことを発見しました。ろうそくを燃やさないと、ねずみは燃やしたときと比べてもっと永く生きられました。

ボイルがすでに燃焼には空気が必要であることを主張していましたが、メイヨーは燃焼および生命現象には、空気の成分の1部だけが必要であるとし、その要素を酸素と命名しました。彼は肺が空気から酸素をより分けて血液に供給していると考え、さらに筋肉の活動も体温維持も酸素の燃焼によって行われていると考えていました(1)。メイヨーの慧眼には恐るべきものがあります。

メイヨーの学説はほぼ100年後に、ジョゼフ・プリーストリーとアントワーヌ・ラボアジェ(1743~1794、図1)によって再発見され、特にラボアジェは当時流布していたフロギストン説(「燃焼」はフロギストンという物質の放出の過程である)を否定し、物質と酸素が結合することが燃焼の本質であることを証明しました。彼はこのことを契機に質量保存の法則をみつけました。

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ラボアジェはメイヨーの考えを正しく引き継ぎ、生命の本質とは、呼吸によって体内に取り込まれた酸素によって、体内の物質を燃焼させることであると考えました。彼の著書 "Elements of Chemistry" は英文版もあり、無料でダウンロードして読むことができます(2)。業績をわかりやすくまとめたサイトもあります(3)。

彼は炭の燃焼を研究し、その本質が炭素と酸素の結合によって二酸化炭素が発生することであることを発見しました。さらに人間の呼吸もこれと類似した現象で、体内にとりこまれた酸素が、体内の炭素と結合して炭酸になることであるとしました。図2はラボアジェと共同研究者達が人の吐く息を集めて、成分を分析する実験を行っているところです。一番右でノートをとっているのが彼の妻マリー・アンヌで、彼女は実験ノートをとるだけでなく、実験器具や実験を実施している状況を正確に絵に描いたり、実験の手伝いや英語の論文の翻訳など八面六臂の大活躍で、世界最初の女性科学者とされています(4)。

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ラボアジェは徴税請負人の仕事で研究費を稼いでいました。この仕事は当然恨みを買う仕事であり、フランス革命において断罪され処刑される結果となりました。彼の名はもちろんエッフェル塔に刻まれています。

さて、ではラボアジェの酸素と結合して燃焼する生体物質とは何なのでしょうか? この答えを得るために大きな貢献をしたのがクロード・ベルナール(1813~1878、図3)でした。彼はエネルギー源となる物質はブドウ糖であること、ブドウ糖はグリコゲンという形で肝臓に貯蔵され、グリコゲンは必要時にブドウ糖に分解されることなどを証明しました。このほかにも膵液がタンパク質や多糖類を消化する、胆汁は脂質の消化を助ける、など栄養学の基盤となるような現象を次々と解明しました(5)。ただベルナールの時代には実験動物の取り扱いが悲惨なものだったので、彼の家族は動物実験に反対してみんな出て行ってしまいました(3)。国葬までされた偉大な科学者でしたが、プライベートは寂しい人生だったようです。

クロード・ベルナールは科学哲学者でもあり、松岡正剛がまとめた彼の言葉(6)から少し引用してみました。

● 実験は客観と主観のあいだの唯一の仲介者である。
● 実験的方法とは、精神と思想の自由を宣言する科学的方法である。
● われわれは疑念をおこすべきなのであって、懐疑的であってはならない。
● 実験的見解は完成した科学の最終仕上げである。

ベルナールの「実験医学序説」は私も学生時代に読んだ記憶があります。現在も岩波文庫で出版されているようです(7、図3)。

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エネルギー源がブドウ糖であることがわかったので、次はブドウ糖がどのように代謝されてエネルギーが生み出されるのかという問題でした。この問題を解明したのはグスタフ・エムデン(1874~1933、図4)とオットー・マイヤーホフ(1884~1951、図4)でした。

エムデンとマイヤーホフは共にユダヤ人だったので、ヒトラーが台頭してからは悲惨な人生でした。エムデンはヒトラー・ユーゲントの乱入で講義を妨害され、自宅に引きこもって失意のうちに病死、マイヤーホフはフランスからピレネー山脈を越えてスペインに逃れ、さらにアメリカに亡命しました。このあたりの事情は木村光が詳細を記述しています(8)。彼の文章を読むと、マイヤーホフがアメリカに亡命できたのはまさに奇跡であったことがわかります。

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エムデンとマイヤーホフと彼らの協力者達が解明したブドウ糖からピルビン酸への代謝経路を図5に示します。現代的知見では、この経路で1分子のブドウ糖の代謝によって4分子のATPが生成され、2分子のATPが消費されます。またNADHが2分子生成されます。図5で計算が合わないと思われる方もおられるかもしれませんが、グルコース1分子からグリセルアルデヒド-3-リン酸2分子が生成されるので計算は合っています。この代謝経路は解糖におけるエムデン-マイヤーホフ経路と呼ばれています。エムデンとマイヤーホフはまさしくライバルであり、非常に仲が悪かったようです。

エムデン-マイヤーホフ経路は、多少のバリエーションはありますが、細菌・古細菌・真核生物のドメインを問わない共通の代謝経路です。酸素がなくてもATPを産生できるので、地球の大気に酸素がなかった時代から完成していたと思われます。地球の生物がひとつのファミリーであることの証左でもあります。ちょっと文字が小さいですが、ご不便の際はウィキペディアの「解糖」の項目をご覧下さい。

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エムデン-マイヤーホフ経路の解明だけでは、もちろんラボアジェの「酸素と結合して燃焼する生体物質」は明らかになっていません。ラボアジェに答えるためには、ATP(アデノシン3リン酸)の発見と機能の解明、およびミトコンドリアにおけるクエン酸回路と電子伝達系の解明が必要でした。しかしそれもこれもエムデンとマイヤーホフが解明した解糖系でピルビン酸が生成されるということが出発点になっています。

ATPを誰が発見したのかということについては杉晴夫が詳しい調査を行っています(4)。彼の結論によると、ATPの発見者はカール・ローマンということになっており、論文出版も1ヶ月早かったのですが、これはフィスケの研究室をマイヤーホフが訪問したときに聞いた話をローマンに漏らしたせいであり、本当の発見者はサイラス・フィスケ(1890-1978)とイェラプラガダ・サバロウ(1896-1948)だそうです(4,9)。理系の方の多くは学生時代にフィスケ・サバロウ法でリンを定量したと思います。丸山工作はフィスケとサバロウの実験ノートを調べて、彼らが1927年から1928年にかけて、ATPを発見していたことを確認したそうです(4)。

そして松田誠によると、アデノシン3リン酸の分子構造を解明したのもローマンではなく、牧野堅(1907~1990、図6)だそうです(10,11)。これには私も全く知らなかった話で、仰天しました。牧野がどのような方法で解明したのかも文献(11)に詳しく記載してあります。松田誠は実験を行った場所こそ大連という辺境の病院でしたが、論文はドイツ語で書いてドイツの雑誌に受理されているわけですから(10)、もっと正当に評価されるべきだったと思います。

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すでに核酸のところでも出ましたが、ATPの構造を再揭します(図7)。ATPは図のように高エネルギー結合を2ヶ所に持っており、加水分解されてADPあるいはAMPに代謝されると、エネルギーを放出します。狭い場所に酸素原子が5個も存在して、電気的反発で非常に居心地が悪いのに、酸素を挟んで並ぶPとPが中間にある酸素のローンペアを綱引きしているので、いわゆる共鳴による安定化ができないため、非常に不安定な状態にあります。両側からバネで無理矢理圧縮されているような状態なので、加水分解で解放されると激しく振動し、温度を上昇させます(4)。

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またATPは図8に示したように、共役反応によって、基質Aをより自由エネルギーの高い活性化状態に担ぎ上げることができます。この状態でBと反応が進行し、リン酸を放出して化合物A-Bが生成します。この場合AとBと酵素を単にまぜあわせても、ATPがなければA-Bという化合物はできません。ATPを使う共役反応で、生物は必要な物質を、高分子物質すら合成することができます。ATPはこのように生合成や発熱に使われるだけでなく、筋収縮や能動輸送など生物に特異な現象に幅広く関わっています。

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1937年ハンス・クレブス(1900~1981、図9)はハト胸筋のスライスにピルビン酸とオキザロ酢酸を加えるとクエン酸が生成されることを発見しました。その頃までにコハク酸からオキザロ酢酸への経路はセント・ジェルジによって、クエン酸からα-ケトグルタル酸への経路はカール・マルチウスとフランツ・クヌープによって明らかにされていたので、この両者をつなぐことができたことで、一気にクエン酸回路の完成に近づきました(4)。彼は天才的科学者でかつ医師でしたが、ユダヤ人であったためにドイツで働くことができず、英国に移住して研究を行いました。

クレブスの実験はあくまでも細胞にピルビン酸とオキザロ酢酸を加えると、途中の経路はブラックボックスで、結果的に細胞がクエン酸を生成するというもので、反応の実体は不明でした。このブラックボックスを解明したのがフリッツ・リップマン(1899~1986、図9)でした。リップマンもユダヤ人であり、ナチスの迫害を逃れて米国で研究を行いました。彼らに限らず、20世紀における科学の重要な進展の大部分は、ナチスに追われたユダヤ人によって成し遂げられたように思います。

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解糖によって生成されたピルビン酸が、どのようにしてクエン酸回路に投入されるかという問題はリップマンによって解明されました。キーとなる因子はリップマンが発見したコエンザイムA(CoA あるいは HSCoA などとも表記します)でした(図10)。まずピルビン酸はコエンザイムAと反応してコエンザイムをアセチル化し、アセチルCoAを生成します(図10、図11)。この反応で二酸化炭素とプロトンが発生し、二酸化炭素は肺から外界に排出されます。プロトンはミトコンドリアに蓄積されます。

次にアセチルCoAはオキザロ酢酸とアセチル基を連結させてクエン酸とHSCoAを生成します。クエン酸はクエン酸回路に投入され、HSCoAは再利用されるということになります。クレブスとリップマンはクエン酸回路の解明によって、1953年にノーベル医学・生理学賞を受賞しています(12-14)。

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なぜコエンザイムAのような非常に複雑な分子が、酸素存在下で生物が大発展するためのキーファクターになったのか、それは謎です。

参照

1)J.J.Beringer,  John Mayow: Chemist and Physician.,  Journal of the Royal Institution of Cornwall. Royal Institution of Cornwall. vol.IX, pp.319-324
https://books.google.co.jp/books?id=10MBAAAAYAAJ&pg=PA319&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false

2)https://archive.org/details/elementschemist00kerrgoog

3)近代化学の父:ラボアジェ
https://istudy.konan.ed.jp/renandi/materialcontents/107932/101920/2016PreLabo09.pdf

4)杉晴夫著 「栄養学を拓いた巨人たち」 講談社ブルーバックスB-1811 (2013)

5)F. G. Young, Claude Bernard And The Discovery Of Glycogen: A Century Of Retrospect., The British Medical Journal, Vol. 1, pp. 1431-1437  (1957)
https://www.jstor.org/stable/25382898?seq=1#page_scan_tab_contents

6)松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/0175.html

7)クロード・ベルナール著、三浦岱栄訳 「実験医学序説」 岩波文庫 青916-1 (1970)

8)木村光、オットー・マイヤーホッフのヒトラーとナチスからの逃脱-ピレネー越えの真相 化学と生物 vol. 53 (11), pp.792-796 (2015)
https://katosei.jsbba.or.jp/view_html.php?aid=478

9)Fiske CH, Subbarow Y.,  Phosphorus compounds of muscle and liver. Science 1929, vo. 70, pp. 381-382 (1929)

10)Makino K., Ueber die Konstitution der Adenosin-Triphosphorsaeure. Biochem Z. vol. 278, pp. 161-163 (1935)

11)松田誠 牧野堅によるATP構造解明 慈恵医大誌 vol. 125, pp. 239-248 (2010)
http://ir.jikei.ac.jp/bitstream/10328/6505/1/125-6-239.pdf

12)Award Ceremony Speech.
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1953/press.html

13)Hans Krebs: Nobel lecture, The citric acid cycle.
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1953/krebs-lecture.pdf

14)Marc A. Shampo and Robert A. Kyle., Fritz Lipmann—Nobel Prize in Discovery of Coenzyme A. Mayo Clinic Proceedings, Volume 75, Issue         1,  Page 30
http://www.mayoclinicproceedings.org/article/S0025-6196(11)64252-3/pdf

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2017年4月23日 (日)

やぶにらみ生物論70: ステロイド

ステロイドというと一般的には炎症を抑えるために処方されるコルチゾール系の薬品を意味しますが、学術的にはもっと幅広く、性ホルモン・胆汁酸・コレステロールなども含みます。

ステロイドという生体物質は、脂肪酸や油脂とは全く異なり、図1に示されるような風変わりな基本構造(ステロイド骨格)を持っています。この基本構造はA,B,Cという3つの6員環とDというひとつの5員環からなり、通常3の位置がヒドロキシル化(-OH)またはカルボニル化(=O)されています。また10と13の位置はメチル化、17の位置はアルキル化されています。アルキル化というのはCH3、CH2CH3、CH2CH2CH3、・・・ などCnH2n+1が結合するという意味です。

ステロイド骨格そのものは脂溶性で水に不溶ですが、ヒドロキシル化されていると多少水に溶ける場合があります。17位に結合しているアルキル基がヒドロキシル化されることもあります。

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ステロイドはほとんどの真核生物の体内で生合成され、細胞膜の重要な構成成分となっているほか、胆汁に含まれる胆汁酸やホルモン類(性ホルモン・副腎皮質ホルモンや昆虫の変態ホルモンなど)として、幅広く利用されています。ただしステロイドは真核生物だけに合成能力があり、細菌や古細菌にはみられません。したがって例えば化石にステロイドが含まれていれば真核生物と示唆されます(もちろん現生生物による汚染の問題は常に考慮されなければなりません(1))。

話は変わりますが、多くの硬骨魚類は鰾(うきぶくろ)を持っていますが、サメなどの軟骨魚類はもっていません。従って泳がないと海底に沈んでしまいます。このような事態をさけるために、一部のサメは肝臓に多量のスクワレンという脂質を蓄えて浮力の足しにしています(2、3)。サプリメントの肝油というのはこの種のサメの肝臓の抽出物でです(4)。辻本満丸は1906年にサメの肝油からスクワレンを発見して記載しています(5、図2左)。後日書籍にもなっているようです(図2右)。

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スクワレンの構造は、1929年になってイアン(イシドール)・ヒールブロンによって明らかにされました(6)。よく化粧品に使われるスクワランは、スクワレンの-C(?)=C(?)-をすべて-CH(?)-CH(?)-に変換したものです(?はCH3またはH)。スクワレンはクエン酸回路やβ酸化にもかかわっている、いわば代謝の交差点のようなアセチルCoAから生合成されます(図3)。そしてスクワレンがステロイド合成の起点となります。

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スクワレンはスクワレンエポキシデース(7)とラノステロールシンテース(8)という2種の酵素のはたらきで、ラノステロールというステロイド骨格をもつ化合物に変化します。

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ラノステロールはあらゆるステロイド化合物の前駆体ですが、自身もラノリンの成分として動物の皮脂腺から分泌されており、毛皮に水分が浸透しないように保護する役割があるとされています(10)。

実は毛根は表皮を経由せず直接外界と接しているので、もし皮脂がなければ容易にウィルスや細菌が侵入してきます。したがって毛穴を皮脂で埋めておくことは大事なことです。ですから、毛根鞘の死細胞を取り除くというメリットがあるとしても、毎日髪をシャンプーで洗うことは健康には良くないと言えます。どうしてヒトは髪を洗うと気分が良くなるのか、生物学的には不思議な現象です。もちろん毎日シャンプーで毛を洗う生物なんて、ヒト以外にあり得ません。

ラノステロールからコレステロールが合成される経路をウィキペディアからコピペしました(図5)。

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これらの複雑なステロイド生合成経路を解明した業績で、コンラート・ブロッホ(1912-2000)とフェオドル・リュネン(1911-1979)(図6)が1964年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。ブロッホはユダヤ人で、ナチスから逃れて米国にたどりついた人です。リュネンはミュンヘンで生まれ育ち、ミュンヘン大学教授からミュンヘンのマックス・プランク細胞化学研究所の研究所長になりました。伝説の 故沼正作先生(http://scienceandtechnology.jp/archives/9655)はこの方のお弟子さんだそうです。

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代表的なステロイド系化合物の構造を図7に示しました。コレステロールは細胞膜の構成要素、コール酸は胆汁の成分、テストステロンは男性ホルモン、エストラディオールは女性ホルモン、コルチゾールは副腎皮質ホルモンです。

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図8にみられるように、コレステロールは細胞膜の構成要素です。細胞膜の基本構造はリン脂質が「親水部位」を細胞外および細胞内の外側向け、「疎水部位」を膜内部にむけて整列した2重膜構造になっていますが、コレステロールも親水側を細胞外または細胞内に向け、疎水部をリン脂質の疎水部位に埋め込んだ形で存在します。

コレステロールが膜構造に加わることによって、膜の流動性(しなやかさ)が高くなり、温度が下がることによって発生する相転移(硬くなる)が阻止されます。細胞膜は単なる壁ではなくて、その中で化学反応や分子構造の変化、物質の出し入れなどが行われているので、それなりの可塑性の高さが必要だと思われます。

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コレステロールが特に集積している組織として、ミエリン鞘が知られています。ミエリン鞘は神経細胞の軸索を被うカバーのような組織です。その実体は図9に示すように、シュワン細胞はが「ふとん」で軸索が「人」だとすると、「ふとん」でぐるぐる巻きにしたような構造になっています。すなわち細胞膜が何重にもなっているような構造なので、細胞膜の脂質は当然大量に含まれることになります。脳の白質はミエリン鞘が集積している組織なので、特に脂質が豊富です。

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コレステロールというと、すぐに健康診断でのHDL・LDLの値が頭に浮かぶわけで、ここを避けては通れません。コレステロールは水への溶解度が低く(95マイクログラム/リットル)、体の中を移動するにはタンパク質と結合して、リポタンパク質の形をとらなければなりません。

コレステロールは主としてLDL(low density lipoprotein)またはHDL(high density lipoprotein)というリポタンパク質として移動します。LDLはコレステロールを肝臓から末梢組織へ供給し、HDLは過剰なコレステロールを末梢組織から肝臓に戻す役割があると言われています。HDLでもLDLでもコレステロール自体の分子構造に変わりはなくて、結合するタンパク質の方が異なっています。

LDLは悪玉コレステロール、HDLは善玉コレステロールと呼ばれていますが、これは害虫と益虫のような自然科学とは乖離した命名で、私たちは使いたくないのですが、LDLが動脈硬化の一因であることは確かなようです(12)。LDLが細胞内で発生する活性酸素によって酸化されると、マクロファージに貪食され、大量にLDLを取り込んだそのマクロファージが死ぬと、死んだ場所にコレステロールの塊(胆石はコレステロールの塊です)が残されます。これによって動脈硬化が促進され、最悪心筋梗塞や脳梗塞に至ります。

HDLが少なすぎると、余分なコレステロールを肝臓にもどせなくなるわけですが、かといってどんどんもどすと脂肪細胞が巨大になって、脂肪細胞が分泌するホルモンなどが過剰になり、生理活性物質のバランスがくずれると思うのですが、そのあたりのことはよくわかりません。

肥満になると脂肪細胞から分泌される物質(アディポサイトカイン)が異常となり、生活習慣病を誘発すると指摘している書物はあります(13)。ただHDLの wikipedhia をのぞいてみると、HDLのないマウスも生きているみたいなので、コレステロールを運搬する別経路もあるようです(14)。ならば健康診断の結果を見て、指導員がHDLが少ないからどうしろこうしろというのも、本当に妥当な指示かどうかは疑わしいと思います。すくなくともまだ医学的な根拠には乏しいようです。

コール酸は肝臓でコレステロールから合成されてたあと、グリシンやタウリンと結合してグリココール酸やタウロコール酸となります(図10)。これらは抱合胆汁酸と呼ばれますが、胆嚢に蓄積された後、胆汁の成分として腸内に放出され、脂肪をミセル化して腸に吸収されやすくします。脂肪をミセル化した代表的食品として図10のマヨネーズがあります。

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性ホルモンについてはあらためて述べる機会もあると思います。最後に糖質コルチコイド(=グルココルチコイド)についてすこし述べておきます。コルチコステロン・コルチゾール・コルチゾンなどがこれに相当します。デキサメタゾンなどは自然に存在するものではなく、人工的に合成された薬剤であり、主として炎症をおさえるため、または免疫反応を抑制するために使用されます。

生体に存在する糖質コルチコイドは副腎皮質で作られ、抗炎症作用や免疫抑制作用のほか、図11のようにインスリンと逆の役割で、血糖値を上昇させる作用があります。主に生体がストレスを感じたときに分泌されます。糖質コルチコイドなどのステロイドホルモンは一般的に細胞膜を通過することができ、細胞質にある転写調節因子と結合して核内に侵入し、転写を調節することによって機能が発揮されます(15)。

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参照

1)http://blog.livedoor.jp/science_q/archives/1861037.html

2)http://markpine.blog95.fc2.com/blog-entry-69.html

3)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3

4)http://www.241241.jp/products/supplement/same/

5)辻本満丸  “黒子鮫油に就て”. 工業化学雑誌 vol. 9 (10): pp. 953-958. doi:10.1246/nikkashi1898.9.953 (1906)

6)Heilbron, I. M.; Thompson, A. ,  "CXV.—The unsaponifiable matter from the oils of elasmobranch fish. Part VI. The constitution of squalene as deduced from

a study of the decahydrosqualenes."  J. Chem. Soc. pp. 883–892. (1929)  doi:10.1039/JR9290000883.

7)榊原順、小野輝夫、スクアレンエポキシダーゼ -もうひとつのコレステロール合成律速酵素 蛋白質 核酸 酵素 vol. 39 (9), pp. 1508-1517 (1994)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1994&number=3909&file=j9768PH3xxMJB18tkcGRUQ==

8)阿部郁朗、スクワレン閉環酵素の生物有機化学 蛋白質 核酸 酵素 vol. 39 (10),  pp. 1613-1624 (1994)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1994&number=3910&file=c/RbruPLUSYUeEJB18tkcGRUQ==

10)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%8E%E3%83%AA%E3%83%B3

11)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB

12)http://fmd-kensa.jp/pg2.html

13)近藤和雄 「人のアブラはなぜ嫌われるのか」 ~脂質「コレステロール・中性脂肪など」の正しい科学 技術評論社 (2015)

14)https://en.wikipedia.org/wiki/High-density_lipoprotein

15)http://kanri.nkdesk.com/hifuka/ste2.php

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2017年4月14日 (金)

やぶにらみ生物論69: 糖脂質

前回68で、スフィンゴシンやセラミドの発見者としてヨハン・トゥーディヒョウムの名前を出しましたが、彼は臨床医で科学実験は自宅でやっていたこともあって、当時の学会からは嘲笑・圧殺されるような存在だったそうです。しかし彼はスフィンゴシンやセラミドのみならず、糖脂質の研究も創始しました。トゥーディヒョウムは1901年に死亡しましたが、死後1910年代になって再評価が進み1913年以降、1870年代に彼が脳から抽出精製した糖脂質(セレブロシド)の構造が解明されて、埋もれていた研究が日の目を見ることになりました(1)。

セレブロシドの構造を解明したのはオットー・ローゼンハイムやハンス・ティーレフェルダーらで、トゥーディヒョウムが脳から抽出して精製した物質はガラクトース-スフィンゴシン-リグノセリン酸およびガラクトース-スフィンゴシン-セレブロン酸の2種であることがわかりました(図1)。いずれもスフィンゴシンに糖と脂肪酸が結合した化合物であり、これが糖脂質(スフィンゴ糖脂質)の基本構造になります。

光合成細菌や植物はスフィンゴ糖脂質とは異なるグリセロ糖脂質(図1右下)を持っており、これはグリセリンの3つのOHのうち、2つに脂肪酸、1つにガラクトースが結合している構造になります(2)。機能も研究されています(3)。私たち動物の体にも多少見つかるようですがその機能はよくわかっていないようです。

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その後エルンスト・クレンクやアルバート・キンバルらによって、セレブロシドの脂肪酸の部分が、リグノセリン酸とセレブロン酸以外にネルボン酸やα-オキシネルボン酸の場合もあることが示されました(4、5、図2)。

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セレブロシドに含まれる糖はガラクトースだけでなく、グルコースの場合もあります(図3)。ガラクトセレブロシドが脳に多いのに対して、グルコセレブロシドは全身に存在します。グルコセレブロシドをグルコースとセラミドに分解する酵素(グルコセレブロシダーゼ)に遺伝的欠陥または欠損があった場合ゴーシェ病となり、肝臓・脾臓・骨髄・脳などにグルコセレブロシドが蓄積して様々な症状を発症します。

グルコースを含むセレブロシドの存在は、ゴーシェ病の患者に蓄積されたセレブロシドの解析から明らかになりました(1)。このように、病気の解析が基礎科学の進歩に寄与することはよくあることです。

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実はクレンクらが提出していたセレブロシドの構造式には間違ってい点があって、ハーバート・E・カーターらはそれまでの間違いを正し最終的にスフィンゴシンの構造を確定ました(6)。もしろん図1に示した構造は確定されたものです。第二次世界大戦後の糖脂質の研究は、ハーバート・E・カーター(図4)を中心に進められました。彼の人となりなどは「参照」に示したメモアールに記載されていますが、学会の前日でも雨のゴルフコースに出て行くほどゴルフ好きだったようです(7)。

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さてスフィンゴ糖脂質にはセレブロシド以外にもうひとつ大きなグループがあり、それはウィキペディアの定義によれば、糖がセレブロシドでは単糖であるのに対してオリゴ糖のものということで、ガングリオシドと呼ばれています。

ガングリオシドの名の由来はガングリオン(神経節)で、脳の灰白質に多いことからクレンクが命名しました(8)。図5に代表的なガングリオシドであるGM1の構造式を示しましたが、セレブロシドとの違いは糖が単糖ではなく、オリゴ糖であることです。

ノイラミン酸という新顔も登場します。これらで構成されるオリゴ糖には多様性があり、図6に示されるように、外からひとつづつ糖を削っていくとGM2、GM3となりますし、追加や枝分かれもあるので、非常に多様な構造になり得ます。

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図6にはGM1、GM2、GM3の関係を示します。

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ノイラミン酸は糖脂質だけでなく、糖タンパク質においても頻出しますが、ノイラミン酸そのものは生体には存在せず、アミノ基や水酸基の水素が置換されてできた化合物が重要な役割を果たしているようです。N-アセチルノイラミン酸やN-グリコリルノイラミン酸はその例で、これらをまとめてシアル酸とよびます(図7)。

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細胞膜は脂質でできているので、ガングリオシドはそのスフィンゴシンやステアリン酸の疎水性の部分を細胞膜に埋め込み、オリゴ糖部分を細胞外に突き出すことができます。まさしく樹木の地下部分と地上部分のようなイメージです。そうすると地上部分のオリゴ糖の構造によって、細胞を識別することが可能です。つまり接着しやすい構造の細胞が集まって組織をつくることができるわけです。また細胞外からの情報を、あるグループの細胞だけが受けとることもできます。

第二次世界大戦前後の頃は、そんな糖脂質の機能など想像もされていなかったのですが、突破口を開いたのは戦後間もない日本の山川民夫(図8)でした。彼が目を付けたのは、ウマの赤血球をウサギに注射すると、ウマの赤血球を凝集する抗体がウサギの血清中に産生されますが、その血清は、ウシやヒツジなどの赤血球を凝集することはできないという、いわゆる種特異性凝集反応でした。彼は赤血球膜には種特異性を示す何かがあるかもしれないと考えました。

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まずウシの赤血球を水に投入して溶血させ、細胞膜を遠心分離によって沈殿させます。その沈殿(ゴーストという)を多量に集めて脂質を抽出すると、セレブロシドではなくガングリオシドに似た物質が抽出されました。これを山川はヘマトシドと名付け、ブタの脳のガングリオシドと比較研究をはじめました。ヘマトシドにはブタのサンプルと異なりノイラミン酸が含まれていることがわかりました。

その後ヒトの赤血球の糖脂質とも比較しましたが、それはウマの糖脂質とはかなり成分が異なっており、グロボシドと名付けられました。グロボシドには脂肪酸・スフィンゴシン・グルコース・ガラクトース・アセチルガラクトサミンが含まれていました。

いろいろな動物で調べてみると、ノイラミン酸がなくてガラクトサミンがあるタイプ(グロボシド型、ヒト・ブタ・モルモット・ヒツジ・ヤギ)と、ノイラミン酸があってガラクトサミンがないタイプ(ヘマトシド型、ウマ・イヌ・ネコ)に分かれていることがわかりました(1)。

カール・ラントシュタイナー(1868-1943、図7)がABO血液型を発見したのは1901年のことでした。1960年になって、山川らはグロボシドと抗A抗体の沈殿から糖脂質を抽出し、血液型物質が糖脂質であることを示唆しました。このことは多くの研究者によって追試され、赤血球表層にある血液型物質が糖脂質であることは確定しました(1)。

図9をみるとわかるように、ガングリオシド(グロボシド)のオリゴ糖部分はO型が基本となっており根元がフコースで、ガラクトース・Nアセチルグルコサミン・ガラクトースとつながっています、A型ではフコースの次に位置するガラクトースにN-アセチルガラクトサミンの側鎖があり、B型では同じガラクトースにガラクトースの側鎖がついています。AB型ではA型の側鎖があるガングリオシドとB型の側鎖があるガングリオシドの両者があります。

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血液型についての説明は下にウィキペディアをコピペしておきます。内容はちょっと難しいかもしれません。H抗原というのは図9ですべての型の人が持っているフコース+ガラクトース+Nアセチルグルコサミン+ガラクトースのチェインのことだと思います。このチェインにNアセチルガラクトサミンまたはガラクトースを結合させる際に、それぞれ別の酵素が必要で、それがA型、B型の人は1種づつ、AB型の人は2種もっていて、O型の人は両方とも持っていないということでしょう。

ただそのH抗原の糖鎖をつくるのにも酵素が必要なので、この土台をつくる酵素が欠損している場合、Nアセチルガラクトサミンまたはガラクトースを結合させる酵素が存在しても、実際にはA抗原もB抗原も形成されず、見かけ上O型と同じになってしまうので注意が必要です。

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A型はA抗原を発現する遺伝子(A型転移酵素をコードする遺伝子)を持っており、B型はB抗原を発現する遺伝子(B型転移酵素をコードする遺伝子)を、AB型は両方の抗原を発現する遺伝子を持っている。A抗原、B抗原はH抗原からそれぞれA型転移酵素、B型転移酵素によって化学的に変換される。

3種の遺伝子の組み合わせによる表現型、ABO式血液型を決定する遺伝子は第9染色体に存在する。H物質発現をコードする遺伝子は第19染色体に位置し、H前駆物質をH物質へ変換させる。この遺伝子が発現しない場合はボンベイ型となる(後述)。

  • A型 - A遺伝子をすくなくとも一つ持ち、B遺伝子は持たない(AA型、AO型)→A抗原を持つ。B抗原に対する抗体βが形成
  • B型 - B遺伝子をすくなくとも一つ持ち、A遺伝子は持たない(BB型、BO型)→B抗原を持つ。A抗原に対する抗体αが形成
  • O型 - A遺伝子・B遺伝子ともに無い(OO型)→H抗原のみ持つ。A,B抗原それぞれに対する抗体α、抗体βが形成
  • AB型 - A遺伝子・B遺伝子を一つずつ持つ(AB型)→A抗原、B抗原両方を持つ。抗体形成なし

A抗原とB抗原は、持っていないとそれに対する自然抗体が形成されることが多く、この場合、型違い輸血により即時拒絶が起こる。自然抗体がなくとも型違い輸血により1週間程度で新しいIgM抗体が生産されこれが拒絶反応をおこす。そのため、基本的には型違い輸血は行われない。輸血される血液は受血者の血液より少量のため、血漿によって希釈されて抗原抗体反応が起こらなくなる。そのため、かつてはO型は全能供血者、AB型は全能受血者と呼ばれていたが、ABO以外の型物質(Rh因子やMN式血液型など)が存在することもあり現在では緊急時を除いては通常行われない。2010年4月には大阪大学医学部附属病院で治療を受けた60代の患者が同型の赤血球製剤とO型の新鮮凍結血漿の輸血後に死亡する事故が発生している(但し、この患者は搬送当時すでに意識がなかったことから輸血が原因でない可能性もある)。

なお、自然抗体を持っている理由は、細菌やウイルスが唾液や性的接触などにより人間間で感染するように、人間の細胞や細胞の断片も人間間を移動するからであり、移動した断片はマクロファージによりファゴサイトーシスされ、これがT細胞に提示され抗体が作られる。主にIgMが作られるが、IgG抗体も作られることもある。

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糖脂質についてもっと詳しく知りたい方には総説(9、10)などがあります。

参照

1)山川民夫著 「糖脂質物語」講談社学術文庫 (1981)

2)日本光合成学会:http://photosyn.jp/pwiki/index.php?%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB

3)下嶋美恵・小林康一・太田啓之 葉緑体チラコイド膜を構成するグリセロ糖脂質の生合成と機能 化学と生物 vol.46, pp.330-337 (2008)

4)H.Thierfelder and E.Klenk., Die Chemie der Cerebroside und Phosphatide. (1930)

5)A.C.Chimball, S.H.Piper, and E.F.Williams.,  XVIII.THE FATTY ACIDS OF PHRENOSIN AND KERASIN. Biochem.XXX pp.100-114 (1936)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1263366/pdf/biochemj01065-0112.pdf#search=%27Thierfelder+and+Klenk+1930%27

6)Herbert E. Carter et al., Biochemistry of the sphingolipides. III. Structure of sphingosine.  J. Biol. Chem. vol.170, pp.285-294 (1947)
http://www.jbc.org/content/170/1/285.full.pdf

7)N a t i o n a l  Ac a d e m y  o f  S c i e n c e s,  H e r b e r t  E d m u n d  C a r t e r 1 9 1 0 — 2 0 0 7
A Biographical Memoir by Robert K. Yu and John H. Law (2009)
http://www.nasonline.org/publications/biographical-memoirs/memoir-pdfs/carter-herbert-e.pdf

8)William W. Christie., GANGLIOSIDES STRUCTURE, OCCURRENCE, BIOLOGY AND ANALYSIS (2012)
https://web.archive.org/web/20120328213709/http://lipidlibrary.aocs.org/lipids/gang/file.pdf
https://web.archive.org/web/20091217095434/http://lipidlibrary.aocs.org:80/Lipids/gang/index.htm

9)Sen-itiroh Hakomori., Structure and function of glycosphingolipids and sphingolipids: Recollections and future trends. Biochim Biophys Acta. vol. 1780(3) pp. 325–346. (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2312460/

10)Zhou and Blom. Trafficking and Functions of Bioactive Sphingolipids: Lessons from Cells and Model Membranes. Lipid Insights vol. 8 (S1) pp. 11–20 (2015) doi:10.4137/LPI .S31615.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4685176/pdf/lpi-suppl.1-2015-011.pdf

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2017年4月 3日 (月)

やぶにらみ生物論68: 脂肪酸と油脂

脂肪というとすぐ中性脂肪とかセルライトが気になるわけですが、エネルギーを蓄えておくためのツールとして脂肪は重要です。動物にとって飢餓は日常的であり、いざというときに生き残れるかどうかは、どれだけ脂肪とグリコーゲンを体内に蓄えておけるかにかかっています。人間については、現在世界で9億2500万人が飢餓状態にあり(1)、日本でも2011年の厚生労働省の調査では年間1746人が餓死しています(2)。食べ物がないときに生き残るには冬眠・夏眠が有効ですが、残念ながらヒトにはその能力はありません。

しかし生物にとってエネルギー蓄積が課題になるより進化上はるかに前の段階で、脂肪は細胞膜の最も主要な成分として、すなわち生命と外界を分かつパーティションとしての役割がはじまったはずです。これは生命誕生のひとつの条件であり、たとえ熱水噴出口近傍の金属片の上で核酸や酵素が生成されたとしても、それらが細胞膜で包み込まれるまでは生命体とは言えないでしょう。そして現在では、脂肪はホルモンや情報伝達物質としても重要な役割を果たしていることがわかっています。

脂肪の基本は脂肪酸です。最初に脂肪酸を発見したのは誰だか私にはわかりませんが、ステアリン酸やオレイン酸を発見して精製したのはミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール(1786~1889)です(図1、参照3、4)。彼はフランス革命とエッフェル塔建設を目撃した数少ないフランス人だそうです。エッフェル塔の展望室の少し下の壁に、フランスの偉人の名前が刻まれていますが、シュヴルールの名も図2の赤の矢印の下にみつけることができます。図2をクリックして拡大すると、名前が読めます。

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脂質は脂肪酸関連物質、芳香族化合物の環構造を持つ物質、複合脂質の3つのグループにわけられると思いますが(図3)、量的に言えば脂肪酸関連物質が生体内には圧倒的に多量に存在します。カルボン酸をR-COOHと書くとすると、Rが水に溶けないCとHからなる場合脂肪酸といいます。ただしRがH、CH3、CH3CH2あたりまではカルボキシル基の影響が強く、脂肪らしくない性質なので、通常脂肪酸とは呼びません。CH3CH2CH2(酪酸)あたりからは脂肪酸と呼びます(図4)。これらの脂肪の性質を与える炭素+水素の鎖を、鎖の長さを問わずアシル基と呼ぶことがあります。

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常温で液体の脂肪酸は世の中で最も臭い物質の1グループだと思います。吉草酸やカプロン酸の臭さは半端じゃありません。私が学生実習などでかいだ臭いの中では、ピリジンとトップを争う悪臭と思います。屍体の臭いは多数の物質の混合臭なので比較することはできません。

これらの低分子量の脂肪酸は確かに飲むと健康を害しますが、特別にそのような脂肪酸を忌避する能力(臭いと感じる能力)が私たちに備わっていることには何らかの理由があるまたはあったのでしょう。炭素原子数が10くらいになると常温で固体なので、臭いは気にならなくなります(図5)。図5にはR-COOHのR部分にC=Cの二重結合がない、いわゆる飽和脂肪酸のリストを示しました。カプリル酸より分子量が大きい脂肪酸は食用に使えます。

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カプリル酸はウィキペディアによると母乳に含まれているそうですが、カプリル酸には殺菌作用があるので、免疫機構が未発達の新生児には有益なのかもしれません。

脂肪酸は生合成されるときに炭素が2個単位で重合していくため(5、6)、生体内に存在する主要な脂肪酸の炭素の数は偶数になります(図5、参照5)。ただしメインであるアセチルCoAとマロニルCoAとの縮合ではなく、プロピオニルCoAとマロニルCoAの縮合を出発点とする経路もあるので、炭素が奇数の脂肪酸が全く存在しないわけではありません。

脂肪酸は数値表現されることがあり、図5の左端列に示してあります。コロンの左側が炭素分子の数。コロンの右側が二重結合(C=C)の数になります。飽和脂肪酸の場合二重結合がないのでコロンの右は0になります。数値表現はわかりやすくて便利です。

二重結合(C=C)が分子内に存在する脂肪酸を不飽和脂肪酸と呼びます。炭素数が18の例を図6に示しますが、例えば18:2(9、12)というのは炭素数=18、二重結合=2ヶ所、二重結合がカルボキシル基から数えて9番目と10番目および12番目と13番目の炭素によって形成されているという意味です。オレイン酸はステアリン酸から生合成されますが、ヒトの場合、生きていく上で必要なのにリノール酸、リノレン酸、EPA、DHAなどは生合成できないので、これらは必須脂肪酸とされています。

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図6では炭素の鎖が途中で180度折れているように描いてありますが、慣用表記のひとつであり、実際にこのように折れているわけではありません。分子の屈曲は二重結合の性質(シスかトランスか)、数、位置によって異なります。図7に例を示します。αリノレン酸は大きく屈曲しています。

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混乱して困る話しなのですが、脂肪酸の命名法のなかに、カルボキシル基と反対側のCH3から数える方法もあって、ω:オメガ法ではα-リノレン酸は3つめに最初の二重結合があるのでω3脂肪酸、γ-リノレン酸は6つめに最初の二重結合があるのでω6脂肪酸などと呼ばれます(図8)。n-数値という表現も逆から数えた表現法です。α と γ は習慣的に使用している表現法に過ぎません。

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C=Cの二重結合にはシス型とトランス型があって、一般にシス型すなわち二重結合の片方にふたつのHが来る場合、図9のように分枝は屈曲します。自然界に存在するオレイン酸はほとんどシス型なので、通常オレイン酸と言った場合シス型を意味します。

シス型がの二重結合が二つあった場合、リノール酸のように屈曲が修正されることがあります。人工的に製造されたトランス脂肪酸は食べると健康に悪影響があることがわかっています(7)。アメリカの食品医薬品局(FDA)は、マーガリンなどに含まれる「トランス脂肪酸」の発生源となる油の食品への使用を、2018年以降原則禁止すると発表しました(8)。日本政府はこの規制には消極的なようです。

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グリセリン+脂肪酸=油脂+水という公式は、中学の化学の時間に皆さん習ったはずですが、再掲しておきます(図10)。油脂は生体内では最もメジャーな脂質です。

油脂は図10のように、グリセリン(グリセロール)1分子に脂肪酸3分子がエステル結合(-OC[=O]-)したものです。これによってグリセリンのOH、脂肪酸のCOOHという親水性の部分が消滅するので、典型的な疎水性の物質ができます。

3分子の脂肪酸はそれぞれ種類が指定されないので、例えば10種類の脂肪酸が用いられるとすると、10x10x10で1000種類の油脂ができ得ることになります。実際には脂肪酸の種類はもっと多いので、油脂の種類は無数にあることになります。

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グリセロリン脂質はグリセリンのOHのうち、R1・R2は油脂と同じ脂肪酸と結合し、R3のOHがリン酸エステル(-OP[=O、-O]-)結合したものです。グリセリン以外のリン酸に結合する物質によって、フォスファチジルコリン・フォスファチジルセリン・フォスファチジルエタノールアミンなどが知られています(図11)。これらは脂質であるにもかかわらず、親水的な部分が存在するという特異な性質を持っています。この性質は両側で水と接触する細胞膜にとって、あるいは脂肪を血液中で運搬する作業にとって重要です。これらについては別のセクションで述べます。

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動植物の細胞膜中に最も多量にあるのはグリセロリン脂質ですが、次に多いのはスフィンゴ脂質です。哺乳類では特に中枢神経に多いとされています(9)。スフィンゴ脂質の基本骨格はスフィンゴシンです。アミノ基1個とOHを2つ持つ直鎖状の分子です(図12)。このアミノ基に1分子の脂肪酸がアミド結合したものがセラミドです。

セラミドの末端のOHにフォスフォコリンやフォスフォエタノールアミンが結合したものを、スフィンゴミエリンといいます。スフィンゴミエリンは神経のサヤである神経鞘の主成分です。セラミドは最近では保湿剤としてよく化粧品に配合されています(10)。「うるむセラミド」などというキャッチフレーズもありました。

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スフィンゴシンやセラミドを発見したのはトゥーディヒョウム(図13 日本ではツディクムと発音される Johann Ludwig Wilhelm Thudichum 1829~1901)です。1884年に刊行された ”Chemische Konstitution des Gehirns des Menschen und die Tiere (Chemical constitution of the brain)” という本に記載されているようですが私は読んでおりません。

竹富保の「"神経化学の父"ツディクム」という文献が廃刊となった「自然」誌にあります(11)。 ドイツ生まれで、主にイングランドで仕事をしたトゥーディヒョウムは多才な人だったようで、ウィキペディアにはお料理の本を出版しているという記載があります。山川民夫によると、トゥーディヒョウムがスフィンゴシンという名前をつけたのは、旅人になぞかけをしたスフィンクスにちなんで、「謎物質」という意味だったそうです(12)。

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アラキドン酸(5,8,11,14-Eicosatetraenoic acid)は図14のとおり何の変哲もない不飽和脂肪酸の1種なのですが、そこからプロスタグランディン、トロンボキサン、ロイコトリエン(すべて総称で特定の化学物質を指しているわけではありません)を生合成する経路が派生しています(アラキドン酸カスケード)。これらの物質は免疫反応と深い関わりがあり、薬学の分野では数十年間、間断なく注目を集めています。

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参照

1)JIFH集計: https://www.jifh.org/joinus/know/population.html

2)厚労省: http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11541237843.html

3)http://www.cyberlipid.org/chevreul/work0003.htm

4)Michel Eugène Chevreul, Recherches chimiques sur les corps gras d'origine animale. (1823)
https://books.google.co.jp/books?id=94_H7hfQfS0C&hl=fr&redir_esc=y

5)福岡大学 脂肪酸の生合成:
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/fa-syn.htm

6)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%82%E8%82%AA%E9%85%B8

7)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%84%82%E8%82%AA%E9%85%B8

8)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150619-00000009-wordleaf-soci

9)ホートン 生化学第3版 東京化学同人(2003)

10)https://www.youtube.com/watch?v=8RtDw0FKzPk

11)自然 / 中央公論社 vol. 29, 12号、pp.44-52

12)山川民夫 「糖脂質物語」 講談社(1881)

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2017年3月28日 (火)

やぶにらみ生物論67: 糖タンパク質

糖が生体構成成分となる場合、しばしばタンパク質や脂質と共有結合した複合分子として利用される場合があります。今回は糖とタンパク質の複合体に着目します。谷口直之先生によると「タンパク質のおよそ50%以上には糖鎖が付加されている」そうです(1)。これが多少盛った話だとしても、糖タンパク質が生体内でありふれた存在であることに間違いはありません。

糖がタンパク質と共有結合する場合に通常2つの方法があって、ひとつはN-結合型、いまひとつはO-結合型です(2)。N-結合型の場合、タンパク質のアスパラギンの側鎖アミノ酸の窒素原子(N)にグリコシド結合します(図1)。アスパラギンならどれでも良いわけではなく、アスパラギン-(任意アミノ酸)-セリン/スレオニンという配列に限られます。最初の糖鎖は多くの場合N-アセチルグルコサミン(GlcNAc)です。

O-結合型の場合は、タンパク質のセリンまたはスレオニンの水酸基とO-グリコシド結合します。タンパク質と結合する最初の糖鎖は多くの場合N-アセチルガラクトサミンです(図1)。ひとつのタンパク質分子が複数の糖鎖をもつこともありますし、N-結合型とO-結合型の両者の糖鎖をもつこともあります。同じ種類のタンパク質でも糖鎖の付いている分子と付いていない分子がありますし、糖鎖が付いていてもその構造が異なる場合もあります。

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糖には無数のバラエティーがありますが、タンパク質に結合する糖鎖を構成する単糖は、ほぼ図2に示した8種に限られています。これは合成する酵素の自由度やバラエティーに限界があるからでしょう。8種類とは少ないようですが、DNAが4種の塩基で構成されていることを考えると、8種類でも順列組み合わせを考えると膨大な種類の糖鎖ができ得ることは明らかです。この中にアミノ糖が3種はいっていることは特徴的です。N-アセチルグルコサミンはグルクナック、Nーアセチルガラクトサミンはギャルナックとよばれることもあります。1種の愛称のようなものです。

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N-グリコシド結合を行ってできる糖鎖は3つのグループ、すなわち複合型(コンプレックス型)・高マンノース型(ハイマンノース型)・混成型(ハイブリッド型)に分類できます(3)。いずれもアスパラギンにN-アセチルグルコサミンが結合し、その先図3の破線に囲まれた部分は共通の構造(コア)ですが、さらにその先複合型ではN-アセチルグルコサミン→ガラクトースという順に並び、高マンノース型ではマンノース→マンノース、混成型ではマンノース・N-アセチルグルコサミン・N-アセチルグルコサミン→ガラクトースという3種類構成になっています。

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O-グリコシド結合を行ってできる糖鎖は、N-グリコシド結合の場合よりもバラエティーに富んでいますが、コアは8種類に分類できます(3、4)。いずれもタンパク質のセリンまたはスレオニン残基と最初に結合する糖はN-アセチルガラクトサミンで、α型結合でアミノ酸と結合します。2番目の糖がガラクトース・N-アセチルガラクトサミン・N-アセチルグルコサミンなどとなり、分岐もあるので、8種類のバラエティーが発生します(図4、参照 3、4)。図4下方のエピトープは抗体によって認識される部位(抗原)のことで、血液型については糖脂質のところで述べます。3番目以降は千差万別で、分類する意味も多分ありません。

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これらの糖鎖の構造決定には多くの人々が関わって解明されてきましたが、N-結合型糖鎖の根元、すなわちタンパク質と結合している糖がN-アセチルグルコサミンであることを解明したのはサウル・ローズマン (1921-2011、図4)です(5、6)。彼は「セレンディピティー(思いがけない発見)のプリンス」と呼ばれていたそうです(7)。

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では個別の例についてみていきましょう。まずエリスロポエチンをみてみますと、3ヶ所にN-結合型糖鎖が、1ヶ所にO結合型糖鎖が認められます(図6)。

エリスロポエチンは主に腎臓で合成されるタンパク質ホルモンで、赤血球の増殖や分化を促進します。腎不全が貧血を伴うのは、このホルモンの合成が低下するからです。糖鎖がついていないホルモンも生理活性がないわけではないのですが、糖鎖が付くことによって生理活性が高まり、安定性も増加します。

図6に示された所定の場所に糖鎖が結合することによって最大の活性が得られることが、村上真淑らによって最近証明されました(8)。糖鎖の位置にそこまで遺伝的セレクションがかかっているとは、私にとってはちょっとした驚きでした。腎不全による貧血をエリスロポエチン投与によって治療するというやり方は、かなり以前から行なわれています。

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ムチンは納豆や山芋などネバネバした食品にはたいてい含まれている糖タンパク質ですが、ヒトの粘液などにも含まれており、なんとヒトは20種類以上のムチン遺伝子を保有しているそうです(9)。セリンとスレオニンを多数含んでいるアミノ酸配列なので、O結合型糖鎖が非常にできやすい状態にあり、タンパク質の周りに密林のように糖鎖が生えています(図7)。そのため抜群の水分保持力があり、乾燥を防ぐほか、体表にゲル状に広がっていると感染を防ぐこともできます。粘膜を保護する役割も重要です。これだけ多数の糖鎖に被われていると、タンパク質分解酵素がアクセスしにくくなるので、壊されにくい分子になっています。胃が消化液で消化されないのも、胃粘膜のムチンのおかげなのでしょう。

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最後に細菌の細胞壁に使われているペプチドグリカンをみてみましょう。図8は典型例(黄色ブドウ球菌)ですが、N-アセチルグルコサミンとN-アセチルムラミン酸がひとつのユニットになっており、糖鎖はN-アセチルムラミン酸の乳酸残基にテトラペプチドが結合しています(図8左図)。このユニットがタンデム、およびペプチドを介してラテラルに結合して細胞壁を形成しています(図8右図)。

細菌によって使われている糖の種類も変わり、ペプチドの種類や長さも変わりますが、グラム陽性菌は分厚いペプチドグリカン層で細胞全体が被われており、細胞膜が脆弱であっても生きていけるわけです(4、10)。分厚いペプチドグリカン層がクリスタルバイオレットという色素で染まるので、グラム陽性菌という名前になりました。

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参照

1)理化学研究所 研究紹介: 
http://www.riken.jp/research/labs/grc/sys_glycobiol/

2)IonSource (Mass Spectrometry Educational Resource)
http://www.ionsource.com/Card/carbo/nolink.htm

3)大阪大学 Kajihara Laboratory:
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/kajihara/background.html

4)Lianchun Wang, O-GalNAc Glycans:
https://www.ccrc.uga.edu/~lwang/bcmb8020/O-glycans-B.pdf

5)Fabrizio Monaco and Jacob Robbins,  Incorporation of N-Acetylmannosamine and N-Acetylglucosamine into Thyroglobulin in Rat

Thyroid in Vitro.,  J. Biol. Chem., Vol. 248, No. 6,  pp. 2072-2077 (1973)
http://www.jbc.org/content/248/6/2072.full.pdf?sid=b4c0f52f-ec70-497d-b615-fe3651ae6f9b

6)Saul Roseman, The synthesis of complex carbohydrates by multigulycosyltransferase systems and their potential function in

intercellular adheshion. Chem. Phys. Lipids vol. 5, pp. 270-297 (1970)

7)Biologist Saul Roseman, 90, champion of serendipitous discovery
http://archive.gazette.jhu.edu/2011/07/18/biologist-saul-roseman-90-champion-of-serendipitous-discovery/

8)ResOU: 精密化学合成により調整した糖タンパク質:エリスロポエチンの糖鎖機能を解明
http://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2016/20160116_1

9)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%B3

10)こちら

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2017年3月21日 (火)

やぶにらみ生物論66: 多糖類

多糖類はタンパク質と異なり、その構造が遺伝子によって指定されていないので、例えばグリコーゲンといっても、同じグリコーゲン分子はないというくらい多様性があります。これはたとえばケヤキの幹や枝が同じ形の樹木がないのと似ています。それでもケヤキをクスノキや桜と識別できるように、多糖類も構成ユニットである単糖の種類、結合の様式などで分類することはもちろん可能です。1種類の単糖で構成されている多糖類をホモグリカン、複数の単糖で構成されているものをヘテログリカンといいます(1)。

まずホモグリカンの代表として、グルコースだけで構成される多糖類をみていきましょう。私たちが主食としている米や芋の主成分はでんぷんです。デンプンは主に植物によってつくられる多糖類で、α-1,4-結合でグルコースが直鎖状に重合したアミロースと、α-1,4結合だけでなく、ところどころでα-1,6-結合で分岐しているアミロペクチンがあります(図1)。

お米の場合、うるち米はアミロースとアミロペクチンがおよそ2:8なのに対して、「もち米」はアミロペクチンのみでアミロースを含んでいないので、枝分かれ構造のあるアミロペクチンがお餅の粘りのもとなのでしょう(3)。アミロースもアミロペクチンもα-D-グルコースだけが重合したもので、β-D-グルコースは含まれていません(図1)。

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デンプンは唾液や膵液に含まれるアミラーゼによって分解されますが、アミラーゼは1種類ではなく、図2のようなα型、β型、γ型、イソ型という4種類があります。α型はいわゆるエンドタイプの分解酵素で鎖の任意の位置で切断します。ただし切断できるのは 1,4 結合のみで、1,6結合(分枝する位置)は切断できません。グルコースダイマーのマルトースは切断できません。

β型は植物などに存在するエクソタイプで、鎖の末端から2つのグルコースをマルトースの形で切り離します。γ型は同じくエクソタイプで、鎖の末端からひとつづつグルコースを切り離します。ヒトの場合マルトースを2つのグルコースに分解する活性も高いとされていて、マルターゼあるいはグルコアミラーゼとも呼ばれています。1,4 結合のみならず1,6結合も分解できるので(4)、αタイプとγタイプのアミラーゼがあればデンプンをグルコースにほぼ分解できます。イソアミラーゼは植物などに存在する酵素で1,6結合を特異的に切断します。

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セルロースはβ-D-グルコースだけが重合した多糖類で、α-D-グルコースは含まれていません(図3)。セルロースは主に植物によって作られますが、草食動物はセルロースを主な栄養分としています。草食動物やシロアリは腸内細菌によってセルロースを分解しており、これらの細菌を体内に共生させることによって生体の素材やエネルギーを得ているわけです。

セルロースはβ-D-グルコースがβ-1,4-結合によって重合した直鎖状のポリマーですが、直鎖同士が非常に水素結合をつくりやすい構造になっているので、シート状の形態になります(図3)。構造は非常に安定で、熱水や酸・アルカリに溶けません。ヒトはこのことを利用して衣服(コットン)や紙を製造しました。

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細菌などが持つセルロース分解システムは複雑ですが、大まかには図4のような3種類の酵素の作用で行われます。このような分解系を利用してさまざまな有用物質を生産しようとする試みは盛んに行われています(5)。特にセルロースからエタノールを得てエネルギー源にしようとする試みは注目されています。セルロースというタイトルの専門誌も存在します(6)。

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植物がデンプンを貯蔵するのに対して、動物はグリコーゲンを貯蔵します。グリコーゲンはα-D-グルコースが α1,4 および α1,6結合で重合しているという意味ではデンプンと同じです。ただ分岐は非常に多く編目のような構造になっています(図5)。分岐が多いということの利点は、少ない容積に多数のグルコースを詰め込むことができるということです。

もうひとつグリコーゲンに特徴的なのは、最初にグリコジェニンという特異な酵素が働くことです。この酵素は自らが基質となり、自分のチロシンのOHにグルコースを結合させ、そこからグルコース鎖を延長させることができます(7、8)。

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グリコーゲンをつくるための最初の反応は
UDP-alpha-D-glucose + glycogenin ⇌ UDP + alpha-D-glucosylglycogenin

次の反応は
alpha-D-glucosylglycogenin + UDP-alpha-D-glucose ⇌ UDP + alpha-D-glucosylglycosylglycogenin

となります。グルコースにUDP(ウリジン2リン酸)がくっついているのは、反応を進行させるためにグルコースを活性化するというしかけです。

ある程度鎖が延長されるとグリコジェニンはお役御免となり、グリコーゲンシンテースや分岐酵素にバトンタッチして鎖延長や分岐が続行されます。グリコジェニンという奇妙な酵素はクララ・クリスマン、ウィリアム・ウェランらによって発見されました(9-12、図6)。

クララ・クリスマンらはUDP-グルコ-スを14Cでラベルして肝臓抽出液に投入してインキュベートすると、トリクロル酢酸で沈殿する分画にラベルが移行し、これによってグルコースオリゴマーがタンパク質に結合していることを示唆しました。ウェランらはこの結合が共有結合であることを証明しました。グリコーゲンがタンパク質と共有結合しているかどうかは、昔激しい論争があったようで、ウェランも刺激的なタイトルの総説を書いています(11)。

自分が基質になる酵素というのは他にないわけではなく、たとえばタンパク質分解酵素のなかには自己消化を行うものもありますが、それはある酵素分子が自分自身を消化するという意味ではありません。

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グルコースの誘導体のひとつとしてN-アセチルグルコサミンについては前回述べましたが、N-アセチルグルコサミンがβ-1,4-結合を繰り返してポリマーになったものがキチンです(図7)。節足動物の体表を被う外骨格の素材として用いられています。セルロースと同様に分子間の水素結合が強力で、丈夫な線維・シートを形成することができます。創傷治癒のための医療用品・化粧品・衣料・農薬などの素材に用いられています(13)。

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さて私たちオピストコンタと植物(プランタ=アーケプラスチダ)というかけ離れた分類学上の位置にある生物が似たような多糖類、すなわちデンプンとグリコーゲンをエネルギー源として貯蔵しているのはちょっとした驚きですが、両者と分類学上離れた位置にあり、ストラメノパイルというスーパーグループに属する昆布などはどのような多糖類を合成しているのでしょうか? 

ウィキペディアによると昆布は夏から秋にかけて重量の40~50%を占めるくらい大量のラミナランという多糖類を合成して貯蔵しておくそうです。それはやはりグルコースのポリマーなのですが、結合様式が β1,3結合 と β1,6結合 からなっていて、オピストコンタやプランタとは大きく異なっています(図8)。

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ヘテログリカンの代表としてヒアルロン酸を紹介しておきます。ヒアルロン酸はN-アセチルグルコサミンとグルクロン酸がβ-1,4-結合した2糖を基本単位として、これらがβ-1,3-結合で重合したものです(図9)。ヒアルロン酸は主に細胞外に放出されて、細胞間のマトリクスとして存在します。ぬめぬめしたゲルのような性質で、関節がなめらかに動くように機能しています。また皮下の結合組織や眼球の硝子体に多量に存在しますが、これはヒアルロン酸が水を保持する能力に優れ、組織や細胞をひからびさせないようにする作用があるためと思われます。

膝の関節に注入することによって疼痛を軽減できますが、徐々に分解されるので、ある期間が過ぎると追加が必要になります。経口ではほぼ効かないようです(14)。毒性がほとんどないのでシワとりなど美容整形にもよく用いられますが、この場合も徐々に分解することは避けられません。また間違って動脈に針が入ると、血管が詰まって悲惨なことになってしまうので、個人的にはあまりおすすめできません。

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参照

1)https://kotobank.jp/word/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3-764487

2)ホートン 生化学第3版 p.183 東京化学同人(2002)

3)JA全農やまぐち http://www.yc.zennoh.or.jp/rice/mamechishiki/mame01-4.html

4)酵素辞典 http://www.amano-enzyme.co.jp/jp/enzyme/4.html

5)三重大学 http://www.bio.mie-u.ac.jp/~karita/sub3.html

6)http://link.springer.com/journal/10570

7)畠山巧 ベーシック生化学 第11章 グリコーゲン代謝と糖新生

8)https://en.wikipedia.org/wiki/Glycogenin

9)Krisman CR, Barengo R., A precursor of glycogen biosynthesis: alpha-1,4-glucan-protein. Eur. J. Biochem. vol.52, pp. 117–23 (1975)  doi:10.1111/j.1432-1033. 1975. tb03979.x. PMID 809265

10)Whelan WJ., The initiation of glycogen synthesis. BioEssays vol.5, pp. 136-140 (1986)

11)Whelan WJ., Pride and prejudice: the discovery of the primer for glycogen synthesis., Protein Sci. vol.7, 2038–2041 (1998)  doi:10.1002/pro.5560070921. PMC 2144155Freely accessible. PMID 9761486

12)Whelan WJ., My Favorite Enzyme Glycogenin., IUBMB Life, Vol. 61, pp. 1099-1100 (2009)

13)キチン・キトサン利用技術: http://www.inpit.go.jp/blob/katsuyo/pdf/chart/fkagaku19.pdf

14)変形性膝関節症: http://www.jcoa.gr.jp/health/clinic/knee/koa.pdf

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2017年3月13日 (月)

やぶにらみ生物論65: 糖質

生体は核酸とタンパク質だけでできているわけではなく、糖質や脂質ももちろんその構成要素です。糖質の構造の基本は19世紀末に、ここにも何度も登場しているエミール・フィッシャーによって明らかにされ、構造式の書き方も彼が考案したものが現在も使われています(1)。糖質でやっかいなのは異性体が非常に多いことで、きちんと整理しておかないと混乱します。

糖の話に入る前に、図1に異性体のおおまかな分類を示します。


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異性体:異性体(isomer)とは、同じ数、同じ種類の原子を持っているが、違う構造をしている物質のこと。

構造異性体:構造異性体(structural isomer)とは、組成式は等しいが原子の間の結合関係が異なる分子のこと。
ブタンと2-メチルプロパン:組成式はともに C4H10 であるが、ブタンの構造式は H3C-CH2-CH2-CH3 であるのに対し、2-メチルプロパンは H3C-CH(CH3)-CH3 です。

立体異性体:立体異性体(stereoisomer)は、同じ構造異性体同士で、3次元空間内ではどう移動しても重ね合わせる(スーパーインポーズする)ことができない分子。

鏡像異性体:鏡像異性体(enantiomer)とは立体異性体のうち、左手と右手のように鏡に映した形の分子を意味し、鏡像異性体をもつ分子をキラル分子といいます。炭素原子が持つ4価の共有結合の相手がすべて異なる場合、必ず鏡像異性体があり得るので、このような結合を行っている炭素を不斉炭素(キラル炭素)といいます。例えばアラニンは不斉炭素にNH2、CH3、H、COOHという4種のグループが結合しているので、LアラニンとDアラニンという互いに鏡に映した形の鏡像異性体が存在します。

ジアステレオマー(Diastereomer):立体異性体のうち鏡像異性体でない分子。シス-トランス異性体などはジアステレオマーです。

糖類を代表する分子としてまずグルコース(ブドウ糖)をとりあげましょう。グルコースは水溶液中では図2のように、α型とβ型の環状体と中央の鎖状体の3つの形が平衡状態にあります。鎖状体はα型またはβ型に対して構造異性体、α型とβ型は立体異性体ということになります(1、2)。

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鎖状構造のグルコースの異性体に着目してみます(図3)。上から炭素に番号を付けると、2番目から5番目の炭素が不斉炭素です。ここで5番目の炭素の左右と下の構造を固定し(赤で示したOHが右にある)、上だけ可変とすると、図3のように8種類の異性体が考えられます。それぞれの異性体に鏡像異性体が存在するので16の異性体が存在します。5番目の炭素のOHを左側にもってくると異性体の数は32となります。それぞれの異性体には名前があります(3)。フィッシャーは当時の研究法で III がグルコースであることを示しました。

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グルコースには図2で示した3つの形があるので、32x3=96の異性体があることになります。さらにいす型やふね型の立体配座の異性体があるので(4)、それらをカウントすると、とんでもない数になります。糖質のおそるべき複雑さを垣間見ましたが、自然界に存在するグルコースはほとんどが図3-IIIの5番目のCの右側にOHがあるD体です(5)。アミノ酸の場合H2N-C-COOHと書いて、Cの下にHを書きます。これがL体。糖の場合H-C-OHと書いて、Cの下にCH2OHと書きます。これがD体です。

歴史的には結晶に光を照射したときに、右にまがる(dextro-rotatory)か左にまがる(levo-rotatory)かで判定されました。もっと理論的な命名法がRS法ですが、ここでは説明しないので知りたい方は文献(6)を見て下さい。アミノ酸と糖に関してはDL法が一般的です。

グルコースのようにひとつの環でできている糖を単糖とよびます。単糖にはグルコースのように5つのCとひとつのOで構成される環が基本となっているヘキソースと、リボースやキシロースのように4つのCとひとつのOで構成される環が基本となっているペントースが存在します(図4)。この6員環(5C+1O)をピラン、5員環(4C+1O)をフランとよびます。ピラン環でもフラン環でもOと結合している炭素はO以外にC・H・OHと結合している場合不斉炭素であり、HとOHが上下逆のα型とβ型を生じます。リボースはRNAの構成成分ですが、2の位置のOHがHに変わったデオキシリボースはDNAの構成成分です。デオキシリボースのような糖を一般にデオキシ糖とよびます。

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グルコースの2の位置のOHはアミノ基と置換されることもあり、この場合はグルコサミンとよばれます。またアミノ基がアセチル化された場合、N-アセチルグルコサミンとよばれます。グルコサミンやN-アセチルグルコサミンは後に述べる複合糖質・ヒアルロン酸・糖脂質の材料として重要な物質です。サプリメントとしても有名ですが、関節症などに効くかどうかは疑わしいと考えられています(7)。

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鎖状の糖の上端に書かれたアルデヒドのOと下端のCH2OHのH2のうちひとつのHが失われて環状化するとラクトンが形成されます。グルコースの場合グルコノラクトンとなります。このグループの化合物にはビタミンC(アスコルビン酸)という人類には必須の物質があります(図6)。ビタミンCはグルコースからやや複雑な経路で合成されます(8)。ビタミンCは私たちの体の中でコラーゲン合成、スーパーオキサイドの除去などの重要な役割を果たしています。

ヒトはビタミンCを体内で合成することはできません。私たちの祖先のサルが果実を主食としてビタミンCを日常的に外界から得ていたため、合成経路をになう酵素が突然変異してしまったままになったため活性が失われたと考えられています。霊長類の中でも、キツネザル・アイアイ・ロリスという原始的なグループはビタミンCを合成することができますが、ヒトを含めたそれ以外のグループは合成できません。

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さて単糖だけでも膨大な異性体が存在するわけですが、これが2糖となるとそのかけ算となる上多彩な結合が存在しますから手に負えません。とはいえスキップするのもどうかと思うので、少しだけ紹介しておきます(図7)。グルコース+グルコースでできている麦芽糖(マルトース)は、デンプンがαまたはβアミラーゼによって分解されたときに生成する2糖類です。甘味料の他点滴にも使用されています。急激な血糖値の上昇を防ぐには2糖が有効です。麦芽糖はαグルコシダーゼの作用によって徐々に分解され、2分子のグルコースになります。

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ショ糖(シュークロース)はグルコース+フルクトース(フラクトース)で構成される、自然界に最も多量に存在する2糖です。自然界では植物だけが合成できる化合物です。動物はインベルターゼという酵素でグルコースとフルクトースに分解して利用することができます。どうしてサトウキビやテンサイがショ糖を大量に蓄積するのか、調べましたがわかりませんでした。想像するに、ショ糖はデンプンなどと違って、草食動物に対して歯を溶かすなどなんらかの毒性があり、サトウキビやテンサイを好んで食べる動物に危害を与えるために合成するのかもしれません。

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糖の正式な命名法は(9)を参照していただくことをおすすめします。

参照

1)http://受験理系特化プログラム.xyz/organic/fischer-3

2)グルコースの構造式:
http://sci-pursuit.com/chem/organic/glucose_structure.html

3)32コの異性体:
http://ameblo.jp/apium/entry-10212514628.html

4)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%AD%E5%9E%8B

5)http://kusuri-jouhou.com/creature1/suger.html

6)立体配置の記述法:
http://www.chiral.jp/main/R%26S.html

7)Wandel, Simon; Jüni, Peter; Tendal, Britta; Nüesch, Eveline; Villiger, Peter M; Welton, Nicky J; Reichenbach, Stephan; Trelle, Sven (2010). “Effects of glucosamine, chondroitin, or placebo in patients with osteoarthritis of hip or knee: network meta-analysis”. BMJ 341. doi:10.1136/bmj.c4675. ISSN 0959-8138.
http://www.bmj.com/content/341/bmj.c4675

8)ビタミンCの真実:
http://www.vit-c.jp/vitaminc/vc-02.html

9)http://nomenclator.la.coocan.jp/chem/text/carbohy.htm




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2017年3月 7日 (火)

やぶにならみ生物論64: 制御タンパク質他

数回にわたってタンパク質とは何かをざっくり述べてきましたが、最後に「制御因子他」のジャンルに属するものについてふれておきましょう。

酵素などは基本的には作られる量と壊される量によって制御されています。その他に他の酵素によって修飾されたり、ビタミンや生成物などの低分子物質によっても制御されます。しかし中にはわざわざ自分の活性を制御する専門のタンパク質が遺伝子として存在するようなラグジュアリーな酵素も存在します。ODC(オルニチン脱炭酸酵素)はそのひとつです。

オルニチンはすでに述べたように(1)、尿素サイクルに含まれる物質で、アンモニアを解毒し排出するうえで重要な位置にありますが、それ以外にODCによってオルニチンはプトレシンに代謝されます。

H2N-(CH2)3-CH(NH2)-COOH(オルニチン) → H2N–(CH 2)4–NH2 (プトレシン)+ CO2

プトレシンを起点として、いわゆるポリアミン類-スペルミジン・スペルミンが合成されます。ポリアミンは精液に多量に含まれますが、その機能は細胞増殖、イオンチャンネルの制御、DNAの安定化など多岐にわたっており、まだ完全には解明されていません(2)。ポリアミンは多すぎても少なすぎても生物が生きていく上で障害になるので、ODCの活性は厳密に制御されなければなりません。余談ですが、そういう意味ではオルニチンをサプリメントとして摂取するのは、体に負担をかけることになるのではないかと危惧されます。

そこで登場するのがODCアンチザイムという制御因子で、このタンパク質がODCに結合することによって、ODCは迅速に分解されます(図1、参照3)。結合状態での分子形態なども報告されています(4)。ODCアンチザイム自身がODCを分解するわけではなく、あくまでもODCの形態(コンフォメーション)を変化させて、タンパク質分解酵素が見つけやすいターゲットにするということです。

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アンチザイムとは違うアロステリックモデュレーターとして機能する因子にもふれておきましょう。図2のように細胞膜を何度も貫通するタンパク質は数多く存在しますが、それらは外界からのシグナル(例えばホルモン)を受けて、分子形態が変化し、細胞内に出ている部分を使って外界からきたシグナルを細胞内に反映させるべく仕事をします。このような機能を正方向(+)あるいは負方向(-)に導くためのタンパク質性制御因子が存在します(図2、参照5、6)。このような制御因子(アロステリックモデュレーター)は膜貫通タンパク質等に結合することによって、その構造を変化させ、機能に影響を与えています。

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制御因子のなかにはDNAと結合して転写を制御しているものもあります。これらは通常転写因子(transcription factor)とよばれています。例えばbZipというタンパク質は、C末側でαヘリックスがロイシンなどを介して結合してダイマーを形成し、N末側ではトングのようにDNAをはさんで転写を制御します(図3)。2本のαヘリックスがジッパーのように重なりあって結合している部位をロイシンジッパーといいます。

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またZif268(またはEGR1)という転写因子は、分子内にジンクフィンガーという部位(図4A)を3ヶ所持っており、その特異な構造を使ってDNAに結合します(図4B)。ジンクフィンガーというのは名前の通り亜鉛原子を抱え込んだ構造で、図4Aでは2つのシステインと2つのヒスチジンが亜鉛原子と結合しています。2つのβシートと1つのαヘリックスを含んだ構造が亜鉛原子によって安定化されているようです(図4B 参照7)

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ロイシンジッパータンパク質やジンクフィンガータンパク質は数多く存在し、またそれぞれがさまざまな遺伝子を発現させるために必要なので、機能によって分類や命名ができないため、酵素などと違って暗号のような名前になっています。タンパク質分子をいくつかの領域に分けて、それぞれをドメインとよぶことがあります。その場合ロイシンジッパードメインとかジンクフィンガードメインなどとよばれます。

もうひとつ、bHLH(basic helix-loop-helix)というドメイン(図5A)をもつ転写因子について述べておきます。このドメインは図5Aのように、2つの短いαヘリックスがループ状の構造でつながっています。このグループを代表する転写因子はMyoDです。MyoDはE12という別の転写因子とヘテロダイマーを形成して2本足のような構造をつくり、塩基性アミノ酸を使ってDNAと結合します(図5B)。

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MyoDは R.L. Davis らが発見した元締め的転写因子で、筋肉形成という極めて複雑なプロセスにゴーサインを出すマスター制御因子とされています(8、9)。発生の途中で未分化細胞を筋細胞に分化させるだけでなく、例えば筋トレをしたときもこれが発現して筋肉が増強されると考えられています。将来工場で細胞を分化させて食糧を製造するというようなことがあるとすれば、MyoDはキーファクターとして使われるかもしれません。

転写因子にはこれらの他にも非常に多くの種類があり、きりがありませんが、細胞がそれぞれ特徴を出すためにどの道を行くか決めるハンドルのようなものです。ノーベル賞の山中4因子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)もすべて転写因子です(10)。これらはいったん来た道を逆行して元に戻るプログラムを進行させる因子とも言えます。

最初に「制御因子他 」と書きましたが、「他 」というのは例えばヘモグロビンです(図6)。ヘモグロビンは(グロビン+ヘム)x4で構成されるタンパク質で、グロビンも含めると真核生物のみならず、酸素を利用する生物には細菌も含めて広範囲に分布しています(11)。このタンパク質は酵素でも、構造タンパク質でも、制御因子でもなく、酸素や二酸化炭素を運搬する担体として使われています。

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そのほかにもリボソームというタンパク質製造マシーンではRNAと共に100種類近いタンパク質がそのパーツとして働いています。メッセンジャ-RNAを製造する工場であるスプライソソームなどでも多くのタンパク質がそれぞれ役割を果たしています。すなわち酵素・構造タンパク質・制御因子以外にも重要な役割を担っているタンパク質は数多く存在します。

参照

1)http://morph.way-nifty.com/grey/2016/05/post-8705.html

2)栗原新、ポリアミンのとても多彩な機能、生物工学会誌 vol.89,p.555 (2011)
https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/8909/8909_biomedia_3.pdf

3)村上安子, 松藤千弥、迅速なポリアミン制御を可能にするオルニチン脱炭酸酵素の分解系、化学と生物 Vol. 39, No. 3, pp.171-176 (2001)・・・アンチザイム
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/39/3/39_3_171/_pdf

4)Hsiang-Yi Wu et al., Structural basis of antizyme-mediated regulation of polyamine homeostasis. Proc Natl Acad Sci USA, vol. 112 no. 36, pp. 11229–11234 (2015)
http://www.pnas.org/content/112/36/11229.full.pdf

5)Lauren T. May, Katie Leach, Patrick M. Sexton, and Arthur Christopoulos, Allosteric Modulation of G Protein-Coupled Receptors
Annual Review of Pharmacology and Toxicology  Vol. 47, pp. 1-51 (Volume publication date 10 February 2007)
http://www.annualreviews.org/doi/10.1146/annurev.pharmtox.47.120505.105159

6)J.N. Kew, Positive and negative allosteric modulation of metabotropic glutamate receptors: emerging therapeutic potential., Pharmacol Ther. vol.104(3), pp. 233-244 (2004)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15556676

7)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%A%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC

8)Robert L. Davis, Harold Weintraub, Andrew B. Lassa, Expression of a single transfected cDNA converts fibroblasts to myoblasts.
Cell, Vol.51, Issue 6, pp. 987–1000 (1987)

9)Ma, P.C.,Rould, M.A.,Weintraub, H.,Pabo, C.O.Crystal structure of MyoD bHLH domain-DNA complex: perspectives on DNA recognition and implications for transcriptional activation. Cell vol.77, pp. 451-459 (1994)

10)iPSビズ ヤマナカファクターとは http://ips 細胞.biz/dic/30.html

11)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%A2%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3

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2017年2月28日 (火)

やぶにらみ生物論63: 構造タンパク質

タンパク質をその役割で分類すると、最もおおざっぱには酵素、制御因子、構造タンパク質、その他ということになります。構造タンパク質を代表するものとして、アクチンとミオシンがあります(ミオシンは酵素でもありますが)。これらは筋肉の主成分であり、肉食動物はこの2種類のタンパク質を主な栄養源として生きています。人間は雑食ですが、多くの人々は穀物(炭水化物)の他に、特に南米などではアクチンとミオシンを主要な栄養源としています。日本人も次第にそのようなライフスタイルに近づきつつあります。動物を殺さなくても美味な食事ができるようになれば、人間はもう少し高尚な生物になれると思いますが、エミール・フィッシャーの夢はなかなか実現しそうにありません。

生物が生物であるためには、生物と外界との間に仕切りが必要ですが、それは脂質が中心となった細胞膜です。細菌や植物はその外にさらに多糖類でできた細胞壁という構造を持っています。細胞壁はいわゆる動物にはありません。脂質の膜は細胞の内部にもあり、コンパートメントや物質輸送の役を果たしています。

ではタンパク質は細胞の構造形成にどのような役割を果たしているのでしょうか。ひとつは家で言えば柱とか梁のような、細胞に一定の形をとらせることです。とは言っても静的な恒久構造ではなく、ダイナミックに変化します。例えば筋肉は休んでいるときと、力を出しているときでは形態が異なります。もうひとつは細胞分裂を実行する構造ツールとしてタンパク質が機能するということです。

これらに関与しているタンパク質はほぼ3つのグループ、すなわちチュブリン、アクチン、中間系線維(繊維でもよい)に分類できます。この3つのグループは、細菌・古細菌・真核生物のすべてに存在するユニバーサルなタンパク質です。

細菌では図1のように、チュブリン系のFtsZは細胞分裂の際にZリングという構造を作って細胞と細胞の仕切りを形成する役割を果たしています。

アクチン系のMreBは細胞膜の直下に、細胞の全長に及ぶ繊維構造からなる螺旋状のネットワークを形成しており、細菌がロッド状の形態をとるために必要な役割を果たしています。またある種の細菌では真核生物の場合と同様、収縮リングをつくって細胞分裂を実行する役割を担っているようです(図1)。

中間系繊維グループのクレセンチンは、細胞が三日月のある種の細菌に存在し、細胞を屈曲させる役割を果たしています(図1)。人間の胃に住んでいるヘリコバクター・ピロリ、いわゆるピロリ菌もこの仲間のようです。栄養リッチな環境に住んでいる細菌は、その場所から流されたくないので、ひっかかりやすい構造をめざしたのでしょうか? 細菌の細胞骨格については、ウィキペディアにもう少し詳しい解説があります(1)。

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真核生物におけるチュブリンは毛利秀雄(1930-、図2)によって発見・命名された分子量約5万の球状タンパク質で(2)、通常重合して微小管などの構造を形成しています。αチュブリンとβチュブリンは図3のようにヘテロダイマーαβを形成し、さらにそのヘテロダイマーが連結して線維状のプロトフィラメントを形成し、13本のプロトフィラメントが集合して管になったような形の微小管が形成されます(3)。微小管の直径は約25nmです。

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精子の鞭毛を輪切りにすると、中心にある1対=2本の微小管を、9ペア=18本の微小管が取り囲むという美しい規則的な構造になっています。微小管の周囲に存在するダイニンはATPが持つ化学エネルギーを運動エネルギーに変換することができるタンパク質(モータータンパク質)であり、これらの作用によって精子は鞭毛を動かし、泳いで卵に到達することができます(図4)

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アクチンはF.B.シュトラウプ(1914-1996、図2)によって発見された、分子量約4万2千の球状タンパク質です(4)。微妙に異なる6種類があり、冒頭で述べた筋肉を作るタイプのものとは異なるβ型アクチンは、重合してマイクロフィラメントという直径6nm前後の線維を形成し、微小管と同様細胞骨格の役割を果たしています(図5)。アクチン自体はモータータンパク質ではありませんが、ATPやADPと結合することによって線維形成が制御されています(5、6)。

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細胞形態がいかにチュブリンやアクチンに依存しているかということは、図6をみれば一目瞭然です。細胞質の中は微小管やマイクロフィラメントのジャングルジムのようです。これらの細胞骨格はジャングルジムと違ってフレキシブルで、次の瞬間には別の形になることもあります。微小管やマイクロフィラメントは常に多くの分子が参加したり離脱したりしているので、細胞の柱や梁といっても、非常に流動的なパーツではあります。

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細胞骨格にはもうひとつの要素、すなわち中間径線維があります。中間径というのは線維の直径が微小管とマイクロフィラメントの中間という意味で、約10nmのサイズになります。中間径フィラメントを構成するタンパク質には、ケラチン、ニューロフィラメントタンパク質、デスミン、ビメンチン、ラミンなどがあり、細胞の種類によって特異性があります。ミオシンもこのグループに近いタンパク質です。

中間径線維の代表としてケラチンに注目してみましょう。ケラチンは毛髪・爪・表皮・角・くちばし・ウロコなどの主成分となるタンパク質です。ケラチンはヒトのものだけでも54種類あり、まだ増えるかもしれません(7、8)。ケラチン分子は細長い線維性(フィブラス)の分子で、図7のように4量体(テトラマー)をつくり、それを基本単位としてタンデムに結合してマイクロフィラメントが形成されます。8本のマイクロフィラメントが集合してマイクロフィブリルを形成し、マイクロフィブリルがさらに集合して毛や皮膚などの細胞に充満しています(図7)。

A_9

図8は私が撮影した毛の断面の電子顕微鏡写真で、まだ完全にケラチン線維で埋め尽くされていない未分化な下部の構造です。ケラチン線維の束(マイクロフィブリルまたはミクロフィブリル)の間に隙間がまだみられます。

A_10

筋肉は中間径線維グループに近縁のミオシンと、全く別オリジンのアクチンなどのタンパク質が共同して作った驚異的な芸術的作品です。筋肉によって動物は歩行し、呼吸し、消化し、出産し、飛翔し、遊泳し、目のピントを合わせ、キーボードをたたくことができます。いずれまた話題になると思いますので、ここでは1枚の私が撮影した電子顕微鏡写真だけ貼っておきます(図9)。私の過去記事が(9,10)にありますので、お時間のある方はどうぞ。

A_11

参照

1)こちら

2)Mohri H., “Amino-acid composition of Tubulin constituting microtubules of sperm flagella.”. Nature vol. 217, pp. 1053-1054 (1968)  PMID 4296139

3)Nogales, E., Wolf, S.G., Downing, K.H. , Structure of the alpha beta tubulin dimer by electron crystallography. Nature vol. 391, pp. 199-203 (1998)

4)Straub FB., Actin,  Studies Inst Med Chem Univ Szeged. vol.2, pp. 3–16 (1942)
http://actin.aok.pte.hu/archives/pdf/StudiesII_1.pdf

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3

6)Geoffrey M Cooper, Structure and Organization of Actin Filaments. The Cell: A Molecular Approach. 2nd edition. Sunderland (MA) (2000).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK9908/

7)http://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/~pathology/templates/keratin.html

8)片方陽太郎 ケラチン蛋白質の生化学 -構造、機能、そして遺伝子まで-、蛋白質 核酸 酵素 vol. 38, pp. 2711-2722 (1993)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1993&number=3816&file=sU0K8gPLUSkWylrPLUS03QAhjDig==

9)ミオシン  http://morph.way-nifty.com/grey/2011/01/post-0d3e.html

10)アクチンの系譜  http://morph.way-nifty.com/grey/2013/09/post-9bba.html

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2017年2月15日 (水)

やぶにらみ生物論61: 酵素1

A酵素を誰が発見したのかというのは、やや難しい問題です。歴史をたどっていくしかないようです。

1752年、フランスの科学者ルネ・レオミュール(René-Antoine Ferchault de Réaumur、1683-1757、図1)は、消化されなかった食べ物を吐き出す習性があるトンビに目を付け、金網で囲った肉を食べさせて、はき出した金網の中の肉が溶けていたことを確認ました。さらにスポンジ(当時のことですから海綿)を食べさせて、はき出したスポンジから胃液を集め、その胃液に肉片を浸すことで肉片が溶けることも観察しました(1、2)。

この結果からレオミュールは、胃液には肉を分解する物質が含まれると考えました。

レオミュールという人は偉大な昆虫学者で、全六巻からなる大著「昆虫誌」(3)を出版しました。もちろんフランス語ですが、オープンライブラリーで閲覧可能なようです。

レオミュールの観察を受け継いだのは、イタリア人のラッザロ・スパランツァーニ(Lazzaro Spallanzani, 1729- 1799、図2)という人でした。

彼はレオミュールの実験をさまざまな動物で追試し、吐き出した海綿中に消化を行う物質があることは間違いないという確信を持ちました。それからが彼の異常なところで、1776年に同じ実験を自分自身の体を使って追試してみようと考えたのです。といっても思いつきでやってみたのではなく、イヌやヘビに布袋を飲ませようとしてかみつかれるなどの困難に直面した後の苦渋の決断だったようです。

A_14スパランツァーニはまず布袋にパンを入れて飲み込み、排泄された布袋の中からパンが無くなっていることを観察しました。

次に竹を削って木筒をつくり、そのなかにパンや肉片を入れ、小さな穴を開けた木筒を布袋に入れて飲み込みました。出てきた木筒の中の食物はなくなっていました。

これによって胃ですりつぶされて食物が粉々になったためになくなったわけではないことが証明されました。木筒に骨を入れた場合は、消化されずにそのまま出てきました。

このような実験を多数繰り返して、スパランツァーニは胃には鳥類の砂嚢のように食べ物を粉々にする作用はなく、胃液に含まれる因子によって食べ物が消化されるのだという確信を持ちました。

しかしもう一押し、胃液を取り出して、その中で食べ物が消化されるのを見たいと思うのは、科学者として必然のなりゆきでしょう。そこからがまた彼の凄いところで、指をノドに突っ込んで自分の胃液をはき出すトレーニングをして実行したのです。そして実際に自分の胃液の中で肉が消化されるのを観察しました。それは腐敗とは違うことも確認しました。さらに前記の肉片の入った木筒を飲み込み、しばらくして吐き出すという名人芸も会得し、中を調べてみると肉片が消化されかかっていました。

A_15スパランツァーニが一連の自分の体を使った人体実験から得た結論は、「消化は機械的粉砕や微生物による腐敗や発酵ではなく、胃液が促進する通常の化学反応だ」 というものでした。

彼の功績は「自分の体で実験したい」という本に詳しく記してあります(4)。この本の表紙を図3に示しました。布袋を飲み込みつつあるスパランツァーニの姿が表紙になっています。

この本にはスパランツァーニ以外にも、自分をモルモットにして命がけで実験をした大勢の科学者の業績が記されています。命を落とした人もいるということで合掌・・・・・。

18世紀におけるレオミュールやスパランツァーニの偉大な実験にもかかわらず、多くの科学者が酵素の存在を確信するまでには、さらに1世紀もの長い時間が必要でした。

19世紀に入ると、まずパヤン Anselme Payen (1795‐1871) とペルソ Jean Francois Persoz (1805‐68)(図4) が、麦芽抽出液からデンプンをグルコースに分解する酵素を分離しジアスターゼと名付けました(1833年、5)。これは現在ではアミラーゼと呼ばれています。

A_18

スパランツァーニの研究もいくつかの研究室で引き続き発展しました。1834年ヨハン・エベールは乾燥させた胃の粘膜から消化能力のある溶液を調製することに成功しました。その溶液で処理すると、卵白アルブミンは溶けてしまうだけではなく、検出できなくなりました。

細胞説で有名なテオドール・シュワンはエベールの実験結果に注目し、1836年に胃液に含まれる成分がアルブミン以外のタンパク質も分解することを確認して、ペプシンと命名しました。しかしそのペプシンを精製することはできませんでした。

19世紀の生化学で優勢だったのは、パスツールが証明した「生物は生物からしか生まれない、そして発酵や腐敗は微生物によって行われる」という考え方で、消化もやはり微生物の作用あるいは何らかの生命力によると思われていましたが、一方でパヤン&ペルソらの酵素の作用による有機物の化学変化もまた無視できないという隔靴掻痒の状況にありました。

A_16そうした中で、1897年エドゥアルト・ブフナー(Eduard Buchner, 1860- 1917、図5)がすりつぶした酵母をろ過した抽出液(無細胞抽出液)の中で、糖が発酵してアルコールと二酸化炭素になることを発見したことは大きな衝撃でした(6)。すなわち生きた細胞がいなくてもアルコール発酵が行われることが証明されたことになります。

これで生気説は否定され、有機物の生成や分解も普通の化学変化にすぎないという考え方が勝利しました。ブフナーは1907年にノーベル化学賞を受賞しました。しかしその10年後に第一次世界大戦で従軍し、戦死しました。

最終的に酵素がタンパク質であるということが証明されたのは20世紀も深まってからでした。

1919年に米国の化学者ジョン・ノースロップ(John Howard Northrop, 1891- 1987、図6)はペプシンを単離して結晶化し、それがタンパク質であることを証明しました(7)。ノースロップはウレアーゼを結晶化したサムナーと共に、1946年にノーベル化学賞を受賞しています。

A_17結論的に言えば、酵素の発見は誰がというより、ここで述べた科学者達を中心とした多くの科学者達が、200年近くの歳月をかけてなしとげた業績です。

酵素の作用機構についてはすでに1894年からエミール・フィッシャーが「鍵と鍵穴」説を発表しており(8)、基本的には現在でも正しいと考えられています。

すなわち酵素には基質(=鍵)を凸とすると凹の形態を持った鍵穴があり、そこに基質を収納すると基質がケミカルアタックを受けて生成物に変化するという考え方です(図7)。

A_7

この過程を、レオノア・ミカエリス(1875-1949)とモード・メンテン( 1879-1960)(図8)は次のような化学式で表現しました。

酵素 (E) + 基質 (S) ⇄   酵素基質複合体 (ES) → 酵素 (E) + 生成物 (P)
E: enzyme, S: substrate, ES: enzyme-substrate complex, P: product

A_10

ここで重要なのはE+S⇄ SEの1段階目の反応は可逆的なのに、2段階目のES→E+Pという反応は不可逆的だということです。もしそうでなければ、デンプンを分解してブドウ糖を生成しエネルギー源として利用しようとしても、ブドウ糖がある程度たまるとデンプンに逆戻りしてしまうという不都合が発生します。ただし生成物が少量で良い時などには、フィードバック制御という別プロセスで酵素に阻害がかかり、反応が停止するということはあります。

酵素は触媒の1種ですが、金属触媒などを用いた無機化学反応と違って、基質濃度を上昇させてもあるところで頭打ちになってしまいます。基質濃度を横軸、反応速度を縦軸としてグラフを描くと図9のようになります。

A_11

1913年にミカエリスとメンテンは、このグラフを数式で表現する、ミカエリス・メンテンの式を発表しました(図10、参照9)。

A_12

図9において、最大反応速度はVmax、その2分の1の反応速度で反応が進行しているときの基質濃度をKmとしています。ミカエリス・メンテン式において、[S] = Km とすると、v = 0.5 x Vmax となります。

ミカエリス・メンテン式の導出のしかたについて興味がある方はサイト(10)を参照して下さい。

本稿でもうひとつ触れておきたいのは、酵素が化学変化の過程において、活性化エネルギーを低下させるということです。

物質Aは自然により自由エネルギーが低い物質Bに変化していくことは、熱力学の第2法則が示していますが、それでも物質Aが存在しているのは、物質Bに変化するために要する時間が無限大に近いことによります。

酵素は物質A(基質=S)が物質B(生成物=P)に変化するために必要な、自由エネルギーが両者より高い中間段階に持ち上げるための活性化エネルギーのレベルを下げる作用を持っています(図11)。このことによって変化に必要な時間を著しく短縮することができるので、生命現象に必要な化学変化を現実的な時間で実行することが可能になるわけです。

A_13

参照:

1)こちら1

2)http://contest.japias.jp/tqj2005/80064/kousohakkenn.html

3)René-Antoine Ferchault de Réaumur, Memoires pour servir a l'histoire des insectes. A Paris : De l'imprimerie royale (1734) 
https://archive.org/details/memoirespourserv01ra

4)「自分の体で実験したい 原題:Guinea Pig Scientists」 Leslie Dendy and Mel Boring 著 梶山あゆみ訳、紀伊國屋書店 (2007)

5)A. Payen and J.-F. Persoz, "Mémoire sur la diastase, les principaux produits de ses réactions et leurs applications aux arts industriels" (Memoir on diastase, the principal products of its reactions, and their applications to the industrial arts), Annales de chimie et de physique, 2nd series, vol. 53, pages 73–92 (1833)

6)Eduard Buchner, “Alkoholische Gärung ohne Hefezellen (Vorläufige Mitteilung)”. Berichte der Deutschen Chemischen Gesellschaft vol. 30,  pp. 117–124 (1897)

7)Northrop J.H., Crystallin pepsin., Science vol. 69, p. 580 (1929)

8)Emil Fischer, Einfluss der Configuration auf die Wirkung der Enzyme. Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, Volume 27, pp. 2985–2993 (1894)

9)Michaelis, L.,and Menten, M., Die kinetik der invertinwirkung, Biochemistry Zeitung vol. 49, pp. 333-369 (1913)

10)こちら2

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