Walk down the memory lane 13: The music of Hirota Mieko
Hirota Mieko (1947-2020) from wikimedia commons
Popular music is affected generally by the atmosphere of the era. I think there were two turning points after world war II. After the war ended, the golden age of popular music had appeared. At that time, the atmosphere was filled with the delight of war ending as well as the poverty due to the defeat. After a while children who don't know the war grew and the society recovered, they made the next wave of new music (J-POP) that was not depend on the american music. Hirota Mieko (singer) and Tsutsumi Kyohei (composer) were the engines to move the wave, though (and probably because) they were the specialists of the american music. Nowadays J-POP is in the third wave that is created by ones who don't know the age of prosperity of Japan.
The end of summer (渚のうわさ Rumor of the Seaside)
https://www.youtube.com/watch?v=uotHB4Is_Ds
The end of summer (渚のうわさ Rumor of the Seaside)
colored
https://www.youtube.com/watch?v=-zlXEsRb2yA
渚のうわさ 弘田三枝子 1967 TV show
colored film
https://www.youtube.com/watch?v=UVop4gL1lwg
踊りあかして in Japanese and English (TV show)
colored film
https://www.youtube.com/watch?v=X-0_WYtIMdA
すてきな16才 in Japanese (Original:Neil Sedaka)
Happy birthday sweet sixteen
https://www.youtube.com/watch?v=nZKeR3Cwuqk
落ち葉のコンチェルト in English (Original:Albert Hammond)
For the Peace of All Mankind
https://www.youtube.com/watch?v=p7pcLWZIr_Q
Be My Baby in Japanese (Original:The Ronnetes)
https://www.youtube.com/watch?v=ikg34H4glW8
砂に消えた涙 in Japanese (Original:Mina Mazzini)
https://www.youtube.com/watch?v=BspPgnu39bk
Mack The Knife in English
https://www.youtube.com/watch?v=6d16G1ALtRw
Louisiana Mama in Japanese
https://www.youtube.com/watch?v=o0zOyMCpIkI
人形の家 in Japanese (after plastic surgery)
https://www.youtube.com/watch?v=K5G-xy2jWsM
DAM unpublished special LP (Jazz)
https://www.youtube.com/watch?v=99JSIZLulDA
太平洋戦争がようやく終わって、戦時中は戦意高揚の歌ばかりだった歌謡界も自由になって、多くのヒット曲が生まれました。リンゴの唄-並木路子、東京ブギウギ‐笠置シズ子、憧れのハワイ航路-岡晴夫、銀座カンカン娘-高峰秀子、お富さん‐春日八郎など、現在よりも庶民の生活の中に歌が深く浸透していたような気がします。でもこのような歌謡曲がその後1970年代、80年代のJ-POP全盛時代に直結するとは思えなくて、フィーリングの問題ではありますが、そこには溝があるような気がします。
現在のポップスと昭和のポップスにも溝があるような気がしますが、それは Perfume が出現したあたりから音楽が変わったように思います。でも今日はそこじゃなくて、1960年代の話です。弘田三枝子が「渚のうわさ」(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)をリリースするまで、J-POPというジャンルの音楽はないも同然でした。確かにポップスのシンガーは伊東ゆかり、中尾ミエなどをはじめとして大勢いましたが、皆さん米国の音楽を翻訳して歌っていたのです。中尾ミエの「かわいいベイビー」など大ヒットした曲もありましたが、これはコニー・フランシスの曲です。弘田三枝子も「渚のうわさ」がリリースされるまでは、米国産の歌を歌っていました。この曲が売れたので、新路線曲のリリースが続くことになり、和製のポップスもだんだん世に認められるようになったわけです。
私は1967年に日本コロムビアからリリースされた「渚のうわさ」がJ-POP最初の曲だと思っています。レコード番号はP‐1で、まさしくポップスの1番です。筒美京平の音楽とストラテジーはものすごく大きな影響があったと思います。弘田三枝子も筒美京平も米国の音楽を深く知る人々だっただけに、なんとか物真似でない日本独自の音楽を作りたいと考えていたのではないでしょうか。
「渚のうわさ」は、なんとミュージックビデオまで制作されていたというのがすごいですが、最近カラー化されてアップされているのに気が付いてさらにびっくりしました。ご存じない方は是非聴いてみてください。
この記事を書くにあたってウィキペディアは見ましたが、なんと彼女はエラ・フィッツジェラルドから直接「養女にしたい」というオファーをもらったことがあるそうです(爆)。
渚のうわさ★colorized★弘田三枝子(HIROTA Mieko)
https://www.youtube.com/watch?v=-zlXEsRb2yA
カラー化してアップしてくださった方々に感謝します。
★★★
https://friday.kodansha.co.jp/article/125494
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