« 川内原発1号機本日起動 ふぇ~~~ | トップページ | World music collection 18: Nakajima Miyuki (covers) »

2024年8月29日 (木)

続・生物学茶話244:記憶の科学のはじまり

243では記憶の源流は馴化にあり、それはニューロンにおける代謝の変化やそれに関連しておこるシナプスの電子顕微鏡的な微妙な変化がおこることを述べましたが(1)、馴化は練習することでだんだん上手にできるようになり、数分~数時間の短期的なものでなく、数日~数週間も持続する長期の記憶を獲得することもできるようになります(2)。

生化学的な反応は流動的であり、基質・酵素の量や制御因子などの反応条件が変化すれば直ちに変化するので、安定した記憶を維持するためには何か別のシステムによらなければなりません。数日~数週間も持続する変化を維持できるシステムとは何か? それに最初に答えを出したのはベイリーとチェンです。

彼らの業績を紹介する前に、「バリコシティー」という言葉の説明が必要です。専門家以外にはあまり使われませんが日本語訳は「神経膨隆部」で、神経細胞のシナプス前細胞で形成されるシナプス小胞が集積したこぶ状のふくらみのことです。一般的にはシナプスをつくらなくてもそう呼びますが(3)、ベイリーとチェンの論文にあるのは presynaptic varicosity で、シナプス前細胞の終末にあるふくらみです。

彼らは馴化の長期記憶の実験では、30秒ごとに10秒アメフラシの水管に触れるという操作を10回行い、これを1セッションとして1日10回のセッションを10日間おこないました。これによって馴化について長期間の記憶を獲得させることができます。また鋭敏化の実験では別のグループに100mA-2秒の電気ショックを1.5時間ごとに4回与えるというセッションを4日間続けました。これによって鋭敏化の長期記憶を獲得させました。そうしてコントロール群と長期記憶獲得群それぞれの感覚ニューロンのバリコシティーを数えると、図244-1の様な結果となりました(4)。

2441a_20240829111001

図244-1 馴化時・鋭敏化時における感覚神経のバリコシティーの数

馴化群と対照群の差が小さいと思われるかもしれませんが、図244-2のように馴化群の場合、それぞれのバリコシティーにおけるシナプス近傍小胞体の数が馴化群では減少している(アクティブゾーンに接する小胞体が少ない)ことを考慮に入れる必要があります。それぞれのシナプスが質的に変化しています。

ベイリーとチェンの研究によって、それまで謎に包まれていた記憶のメカニズムが、圧倒的にシンプルな形で生物学というまな板の上にのせられました。そういう意味では、彼らはカンデルと共にノーベル賞を受賞すべきだったかもしれません。小胞体がどのようなメカニズムで細胞膜とつながるかについては近々にここでも取り上げる予定です。

2442a

図244-2 バリコシティーの量的・質的変化

ペルオキシダーゼ(HRP)と適切な基質を用いると感覚神経を標識し、光学顕微鏡や電子顕微鏡写真で感覚神経末端を検出することができます。図244-3によると電子顕微鏡でみた感覚神経の軸索末端(バリコシティー)で、介在神経の樹状突起とシナプスを形成し、電子密度の高いアクティブゾーンがみられます。この介在神経には、非常に狭い領域に4つのシナプスが集中しています。

2443a

図244-3 標識した感覚神経と介在神経のシナプスの電子顕微鏡写真

彼らはさらに鋭敏化の長期記憶においては、シナプスのアクティブゾーンの増大などの質的変化よりも、シナプスの数が増えたことが決定的に重要であることを示しました(5)。図244-4は長期鋭敏化を獲得した際の感覚ニューロンの変化を示しています。

感覚ニューロンの軸索は非常に多くの枝分かれ構造を新たに形成し、シナプスの数が増加していることがわかりました(図244-4)。このような変化はタンパク質の新たな合成による細胞構造の変化を前提としているので、数時間程度では不可能で、長期の学習による継続的な構造形成が必要になります。その代わり簡単には失なわれない長期の記憶を獲得することができます。

2444a

図244-4 長期鋭敏化という学習を行った感覚ニューロンの変化

キムらはシナプスは形成されていたけれども有効に使われていなかったものが、長期記憶の際に有効なものに変化していく、すなわち小胞体が形成されアクティブゾーンから神経伝達物質を放出するようになることを報告しました(6)。このプロセスはmRNAがあれば数時間で行われますが、なければ十数時間かかります(6)。いったん構造が形成されていれば長期のトレーニングは不必要で、それより短い時間で動作を思い出すことができるということでしょう。

その後の研究によって、ベイリーとチェンがアメフラシで発見した記憶のメカニズムは、私たち哺乳類の海馬の記憶メカニズムと原理的に同じであることが明らかになってきました(7)。

参照

1)続・生物学茶話243:記憶の源流をたどる
http://morph.way-nifty.com/grey/2024/08/post-49f9de.html

2)「記憶のしくみ 上」 ラリー・R・スクワイア エリック・R・カンデル 講談社ブルーバックス (2009) p.122

3)東京医科歯科大学 教育用資料 シナプス伝達の修飾
https://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/pdf2/neuromod.pdf

4)Craig H. Bailey and Mary Chen, Long-term memory in Aplysia modulates the total number of varicosities of single identified sensory neurons., Proc. Nati. Acad. Sci. USA, Vol. 85, pp. 2373-2377, (1988)
DOI: 10.1073/pnas.85.7.2373
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/3353385/

5)Craig H. Bailey and Mary Chen, Time course of structural changes at identified sensory neuron synapses during long-term sensitization in Aplysia. The Journal of Neuroscience, vol.9, no.5, pp.1774-1780 (1989)
DOI: 10.1523/JNEUROSCI.09-05-01774.1989
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/2723749/

6)Joung-Hun Kim, Hiroshi Udo, Hsiu-Ling Li, Trisha Y Youn, Mary Chen, Eric R Kandel, Craig H Bailey, Presynaptic Activation of Silent Synapses and Growth of New Synapses Contribute to Intermediate and Long-Term Facilitation in Aplysia., Neuron, vol.40, pp.151-165 (2003)
https://doi.org/10.1016/S0896-6273(03)00595-6
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0896627303005956

7)Craig H. Bailey, Eric R. Kandel, and Kristen M. Harris, Structural components of synaptic plasticity and memory consolidation.,
Cold Spring Harb Perspect Biol., vol.7(7):a021758. (2015)
doi: 10.1101/cshperspect.a021758.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/26134321/

 

| |

« 川内原発1号機本日起動 ふぇ~~~ | トップページ | World music collection 18: Nakajima Miyuki (covers) »

生物学・科学(biology/science)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 川内原発1号機本日起動 ふぇ~~~ | トップページ | World music collection 18: Nakajima Miyuki (covers) »