続・生物学茶話242:脚橋被蓋核
前回は基底核がエディアカラ紀から存在したということを述べました(1)。プランクトンであっても触手を動かして水流を起こしたり、エサを捕獲したり、消化器官を動かしたりする生物は存在します。しかしそのような生物は基底核とか脳幹とか脊髄は持っていません。私たちとヤツメウナギの共通祖先はなぜ基底核-脳幹-脊髄というシステムを必要としたのでしょう?
それはおそらく姿勢制御・左右のバランスがとれた運動のためだったのではないでしょうか。左右相称のネクトンやベントスの場合、空間の座標軸を決めてその中で活動するために基底核-脳幹-脊髄というシステムが必要だったのではないかと推測されます。今生きている私たちの基底核は非常に多くの役割をになっていますが、現在でも歩くことや姿勢を正しく保つことは無意識のうちにこの基底核-脳幹-脊髄が行っています(2)。これはエディアカラ紀から現代まで受け継がれているシステムです。
しかし左右相称動物が最初からこのシステムをもっていたわけではなく、当初はナメクジウオのように基底核を持たない生物であったことは確かでしょう。ただナメクジウオも姿勢は制御しているし、多少は泳ぐので、その程度の運動制御なら脊髄だけで制御できると思われます(3)。ただナメクジウオもそのエディアカラ紀の祖先から数億年の進化を経て現代に至っているので、彼らなりに姿勢制御や運動制御をスムースに行うための進化を遂げてきたとも考えられます。
基底核が私たちの脳の端緒であったということ、それはエディアカラ紀に準備されたということは信じるべきことだと思います(4、5)。ここで以前に示した基底核システムの概要図とほぼ同じ図を再掲します(1、図242-1)。
図242-1 私たちの脳のシステム
しかし図242-1を眺めていると、ひとつ大きな疑問がわいてきます。それは基底核から下方(posterior)に出ているシグナルがGABA系の [not go] シグナルだけだということです。このことは基底核はすでに完成されていた [go] シグナルに基づいた体を動かす神経-筋メカニズムを制御するためのシステムなのではないかということを思わせます。そしてその [go] システムは脳幹-脊髄に追加して基底核が誕生する前からあったとしても不思議ではありません。
1936年に出版された著書の中で、クロスビーらは橋に存在する脚橋被蓋核が多くの生物で共通の構造と連結パターンを持つことを報告しました(図242-2、6)。私はこの本を読んだわけではなくて、Gut と Winn の総説(7)に書いてあったことを受け売りしているだけですが、この本はなんとアマゾンで販売していて、325ドル99セントで買えます(8)。ご興味のある方はどうぞと言いたいところですが、なんと1845ページもあるので抱えるだけでも大変そうです。
図242-2 脚橋被蓋核のユニバーサリティ
脚橋被蓋核は英語では Pedunculopontine Tegmental Nucleus で (Tegmental が省略されることもあります)、ヒトではこのブログですでに取り上げた青斑核より少し上部 (anterior) の橋 (pons)領域 に存在します(図242-3、9)。この部域はアセチルコリン作動性ニューロンが豊富に存在することが知られており、その他にグルタミン酸作動性、GABA作動性ニューロンも存在します(9、10)。同じニューロンにアセチルコリンとグルタミン酸が混在する場合があることも知られています(10)。このことは脚橋被蓋核が基本的に [go] のシグナルを出すことを意味します。またこのようなニューロンの混在、神経伝達物質の混在は始原的な神経系の状況を想像させてくれます。
図242-3 脚橋被蓋核の位置
脳が基本的に前方に新組織を形成して進化してしてきたこと(11)、基底核のなかでも脳幹に近い淡蒼球や黒質網様部は [not go] のシグナルを常時出していること(1)を考えると、基底核ができる前の生物は脳幹の最前部にあった脚橋被蓋核が行動や姿勢制御(さわる・食べる・動く)のコントロールセンターであり、その活動は内部のGABA作動性ニューロンや青斑核ニューロンの活動レベルによって制御されていたのではないかという推測が成り立ちます(図242-4)。
図242-4 エディアカラ紀における原始脳の進化仮説
すなわちエディアカラ紀において、まだ基底核が形成されていない生物では脳幹特に現在橋の一部とされている脚橋被蓋核の原型が当時の脳そのものであり、全神経・筋肉の統御を行っていたのではないかと思われます。中には当時からメモリーを担当する細胞をその近辺に持っている生物がいて、その部域が小脳に進化したのかもしれません(5)。そのような状況が図424-4の左図であり、カンブリア紀を迎える前におそらく脚橋被蓋核の上部構造である基底核が形成され、さらにメモリーシステムをになうニューロンの数が増えたのではないかと思われます(図242-4 右図)。エディアカラ紀において、どんな理由で図242-4左図のシステムから右図のシステムに進化したのかは謎です。
もちろん最初に基底核ができたときには、図242-1のような複雑な構造であるはずはなく、直接路だけだったと思われますが、線条体→ not go → 淡蒼球・黒質網様部 → not go → 脚橋被蓋核 → go というシステムがカンブリア紀には機敏な行動を行うために急速に発展したのだろうということは理解できます。
参照
1)続・生物学茶話241:基底核1 ヤツメウナギの場合
http://morph.way-nifty.com/grey/2024/07/post-35ba6c.html
2)高草木薫 大脳基底核による運動の制御 臨床神経学 49巻 6号 325-244頁 (2009)
https://www.neurology-jp.org/Journal/public_pdf/049060325.pdf
3)山田格 脊椎動物四肢の変遷一四肢の確立一 Journal of Fossil Research, Vol.23, pp.10-18 (1990)
https://www.kasekiken.jp/kaishi/kaishi_23(1)/kasekiken_23(1)_10-18.pdf
4)Marcus Stephenson-Jones, Ebba Samuelsson, Jesper Ericsson, Brita Robertson, and Sten Grillner, Evolutionary Conservation of the Basal Ganglia as a Common Vertebrate Mechanism for Action Selection., Current Biology vol.21, pp.1081–1091, (2011)
DOI 10.1016/j.cub.2011.05.001
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21700460/
5)Fumiaki Sugahara, Juan Pascual-Anaya, Yasuhiro Oisi, Shigehiro Kuraku, Shin-ichi Aota, Noritaka Adachi, Wataru Takagi, Tamami Hirai, Noboru Sato, Yasunori Murakami, Shigeru Kuratani, Evidence from cyclostomes for complex regionalization of the ancestral vertebrate brain., Nature, vol.531, pp.97-100 (2016) DOI: 10.7875/first.author.2016.015
https://first.lifesciencedb.jp/archives/12168
6)C. U. Ariens Kappers, G. Carl Huber, and Elizabeth Caroline Crosby, The Comparative Anatomy of the Nervous System of Vertebrates, Including Man., Macmillan (1936)
7)Nadine K. Gut and Philip Winn, The Pedunculopontine Tegmental Nucleus—A Functional
Hypothesis From the Comparative Literature., Movement Disorders, Vol. 31, No. 5, pp.615-624, (2016) DOI: 10.1002/mds.26556
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/26880095/
8)https://www.amazon.com/Comparative-Anatomy-Nervous-Vertebrates-Including/dp/B000MIAMJ4
9)Wikipedia: peduncuropontine nucleus
https://en.wikipedia.org/wiki/Pedunculopontine_nucleus
10)脳科学辞典:脚橋被蓋核
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E8%84%9A%E6%A9%8B%E8%A2%AB%E8%93%8B%E6%A0%B8
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