続・生物学茶話230: 睡眠-刺胞動物の場合
「あらゆる動物は眠るのか?」という質問をしようとすると、やはり睡眠という言葉の定義をしなければいけないわけです。孔子も言っているように言葉の定義をしなければ何を言っているのかわかりません。とは言え政治の場合はきちんと定義しなければいけませんが(そうしておかないと例えば何が犯罪なのかわかりません)、科学の場合は未知の部分があるのが普通なので、とりあえず大まかに定義して研究が進んだ段階で順次詳細を詰めるというのが常道です。
では睡眠の大まかな定義をするとすればどうなのか? まず意識するのは、死亡、仮死状態、意識不明、冬眠、夏眠、休養 などとは区別すべきだろうということです。このためにとりあえず、1)行動の一時的静止、2)日周性がある、3)感覚機能の低下 という定義で話をはじめることにします。たとえば休養なら感覚機能の低下はありません。
専門家は睡眠時間が短いとリバウンド睡眠が発生することを重視していますが(1)、とりあえず日周性と無関係な睡眠を排除するほうがわかりやすいので、そこからスタートします。ウィキペディアには「対象を哺乳類に限定すれば、人間や動物の内部的な必要から発生する意識水準の一時的な低下現象、これに加えて、必ず覚醒可能なこと」という睡眠学会の定義が書いてありますが(2)、これでは冬眠や夏眠を排除できませんし、敵に襲われたときに仮死状態になる状況も排除できません。
感覚機能の低下とは、金谷の言葉を引用すると「強く揺り動かされるなど強い刺激を受ければ目が覚めるものの、穏やかに刺激するぐらいでは眠ったままで、覚醒時ほど敏感に反応できないこと。」ということになります(1)。細かく吟味していくと様々な議論が出ると思いますが、それをいくらやっても科学は進展しないので、最初に述べたようにとりあえずは大まかで良いと思います。ただ感覚機能の低下という定義を入れたために、メタゾア(生物学で言うところの動物)の中で神経細胞を持たない海綿動物と平板動物は睡眠の科学から排除されることになります。もちろんこのような動物たちも睡眠と関連のある行動を取る可能性はあります。
散在神経系と集中神経系があるということは高校で学習すると思いますが、動物の中では散在神経系を持つグループは少数派で、刺胞動物・有櫛動物・棘皮動物・半索動物が相当します。これらの動物は脳をもってなくて、神経が身体全体に散在するとされています(3)。しかし小泉らも言うように、これらの脳がないと言われている生物も、それなりに神経環など神経細胞が高密度で存在する場所があり、一方で集中神経系を持つと言われている線虫は神経細胞が302個しかなく、これで脳があると言えるのだろうかという疑問は残ります(3、4、図230-1)。特にクラゲ(刺胞動物)は傘に大きな円形の神経の束を2本持っており、ここには明らかに他の部分より高密度の神経細胞が集中しています(5、図230-1)。
図230-1 散在神経系と集中神経系
井上昌次郎は2005年の総説の中で「ヒトや高等動物は連続運転に最も弱い臓器である大脳に頼って生きている.その大脳をうまく管理するための自律機能が睡眠である.つまり睡眠の役割とは大脳を守り,修復し,よりよく活動させることである.」と述べています(6)。しかしその後動物における睡眠の研究は進み、ついにナスやベッドブルックらによって散在神経系の動物と言われているクラゲも眠ることが証明されました(7、図230-2)。
彼らが実験に使用したサカサクラゲ(カシオペア)は通常は傘を下にして海底でベントスのような生活をしています。どうしてこんな生活が可能かというと、彼らは触手に大量の微生物を住まわせて共生しており、その微生物は太陽光で光合成をしてクラゲにATPを供給しているからです。それでもクラゲは海底の生物を食べたり排泄物を清掃するため、一定の間隔で傘の縁を動かしています。ですからその傘の動きを観察していれば、起きているか眠っているかを判定できるので、睡眠の研究目的には適しています(図230-2)。カシオペアという名前は、その名の星座が北極星に対して逆さ向きになっているように見えたからだそうです(8)。
図230-2 クラゲも眠る
ナス、ベッドブルックらの実験を彼らが発表している図を使って簡単に述べます。彼らのサカサクラゲは傘の縁をビートさせるのにほぼ1秒かかります(図230-3A)。そして昼間はほぼ2秒に1回くらいの割合でビートさせています。ところが夜になるとビートの間隔が広くなる上に、ときどき休むようになります(図230-3B)。これは明らかに昼のパターンとは異なります。
さらに水中に浮かべた籠でクラゲを飼い、急に籠を沈めるという操作をします(図230-3C)。するとクラゲは自分が海底(=籠の底)にいないということに気づきますが、気づくまでの時間が昼では2秒くらいなのが夜だと5秒くらいかかります(図230-3D)。そして運動して海底=籠の底にたどり着くまでの時間は昼は平均8秒くらい、夜は12秒くらいで有意の差がありました。気がつく=覚醒と考えます。
夜になると陸上の哺乳動物のように全く動かないというわけではありませんが、動きが鈍くなるということはBの結果で明らかですし、外からの刺激に対する反応も夜は鈍くなっているということで(C-E)、もちろん日周性も関係しているので、クラゲも睡眠に準ずる行動は行っていると言えるでしょう。
図230-3 クラゲが眠ることを証明するデータの一部
A:傘が1回ビートする時間 B:ビートの頻度 C:地面を移動させる D:地面の移動に気がつく、そして再び地面にたどりつくまでの時間
クラゲが眠ることはわかりましたが、図230-1のようにクラゲには神経細胞がかなり密集した部分が存在し、これは形は違ってもある種の脳ではないかという考え方もできるので、より典型的な散在神経系をもつといわれるヒドラではどうだろうかというのが次の課題です。
ヒドラはクラゲと同じ刺胞動物で海底に棲んでいますが、こちらは魚なども食べる肉食系の生物で、熱帯魚を飼っている人は水槽に混入しないように注意が必要なようです。図230-4のように通常は出芽によって増えます(9)。Basal disk で海底に吸着し、触手(テンタクル)で餌を捕らえて口に運ぶという生態です(図230-4)。図230-1には口の周りに神経環があるように描かれていますが、多少神経網が細かくなっているという程度でクラゲの神経環のようなものではありません。
図230-4 ヒドラの形態と増殖の方法
通常は分岐(バディング)によって無性的に増えますが、精子・卵子を作る場合もあります
金谷らのグループはヒドラの睡眠について研究し、確かに昼の方が夜より活発に行動していることを示しました(10、11、図230-5AB)。また休んでいるときは光やグルタチオンに対する応答が遅延することを示しました(11、12)。図230-5Cにはグルタチオンに対する応答が遅延することを引用しました(10)。すなわちヒドラのような典型的な散在神経系の生物も眠ることが証明されました(哺乳類の睡眠と同じではないので、研究者は sleep-like state といいます)。このことは睡眠は脳のためにあるという従来の考え方を否定するものです。ただしヒドラは生物時計に基づいた睡眠サイクルを持っていないので、私たちの睡眠と同じではないようです(10)。これは彼らが進化の過程で時計遺伝子を失ったからと考えられます(10、13)。
図230-5 ヒドラが眠ることを証明するデータの一部
A:昼と夜の行動頻度 B:昼と夜の睡眠パターン C:静止時間の長さとグルタチオンに応答するまでの時間
図中の参照文献9よりは10よりの間違いです 申し訳ありません
現在までにヒドラ・サカサクラゲ(刺胞動物)、線虫(線形動物)、ショウジョウバエ(節足動物)、ゼブラフィッシュ・マウス・ヒト(脊椎動物)などが睡眠することが報告されています。最近戸田らはショウジョウバエの睡眠誘導遺伝子「nemuri」を同定したそうです(14)。
生物の神経系が電線と異なるのは、それが単にイオンの輸送だけでなく、神経伝達物質の生合成・細胞膜からの物質排出・受容体による神経伝達物質の受容・受容体からの情報伝達など複雑な細胞生物学的・生化学的なプロセスを含むことです。これらのプロセスの進行はイオンの輸送に比べると時間と手間がかかるので、常識的にはこれが睡眠が必要な要因かと思いますが、ならばそのような径路がない単細胞生物や海綿は睡眠が不要なのかというと、どうなのでしょう? そのうち単細胞生物も眠るなどというデータも出てきそうな気がします。
最後に睡眠学専攻の林悠教授のサイトから(15)。
問題です──「動物はなぜ眠るのでしょうか?」
答えは──「わかっていない」
二つ目の問題──「動物は眠らないとどうなるでしょうか?」
答え──「みな死んでしまいます。その理由もわかりません」
このサイトを読んでいると、脳に必須の睡眠はレム睡眠(16)だそうです。レム睡眠時には身体は動きませんが脳の血流は2倍になっているそうで、その場合末梢血管の脈動によってリンパ液が流れ、シナプスの清掃がはかどりそうです。
参照
1)金谷啓之 生命科学 DOKIDOKI 研究室
https://www.terumozaidan.or.jp/labo/technology/50/03.html
2)ウィキペディア:睡眠
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9D%A1%E7%9C%A0
3)小泉修 神経系の起源と進化:散在神経系よりの考察 比較生理生化学 vol.33, no.3, pp.116-125 (2016)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakuseiriseika/33/3/33_116/_pdf/-char/ja
4)九州大学付属図書館 線虫 C. elegans ~約1ミリのモデル生物で切り拓く生命科学~: 神経系の構造と機能
https://guides.lib.kyushu-u.ac.jp/ModelOrg_Celegans/nervous_system
5)Richard A. Satterlie, Do jellyfish have central nervous systems? J. Exp. Biol. vol.214 (8): pp.1215–1223 (2011)
https://doi.org/10.1242/jeb.043687
https://journals.biologists.com/jeb/article/214/8/1215/10743/Do-jellyfish-have-central-nervous-systems
6)井上昌次郎 ヒトや動物はなぜ眠るのか バイオメカニズム学会誌,Vol.29, No.4, pp.181-184 (2005)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sobim/29/4/29_4_181/_pdf
7)Ravi D. Nath, Claire N. Bedbrook, Michael J. Abrams, Ty Basinger, Justin S. Bois, David A. Prober, Paul W. Sternberg, Viviana Gradinaru, and Lea Goentoro, The Jellyfish Cassiopea Exhibits a Sleep-like State., Current Biology vol.27, pp.2984–2990 (2017)
https://doi.org/10.1016/j.cub.2017.08.014
8)JICA海外協力隊の世界日記 魅惑の刺胞動物 〜クラゲから考えさせられる命名者のロマン〜
https://world-diary.jica.go.jp/takamaokuto/cat1581/1.php
9)Wikipedia: Hydra
https://en.wikipedia.org/wiki/Hydra_(genus)
10)金谷 啓之、伊藤 太一 刺胞動物を用いた概日リズム・睡眠研究 時間生物学 Vol.28, No.2, pp.87-93 (2022)
https://chronobiology.jp/journal/JSC2022-2-087.pdf
11)Kanaya, H. J.et al. A sleep-like state in Hydra unravels conserved sleep mechanisms during the evolutionary development of the central nervous system.
Sci Adv 6, eabb9415 (2020) DOI: 10.1126/sciadv.abb9415
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abb9415
12)佐藤 文, 金谷 啓之, 伊藤 太一 動物はいつから眠るようになったのか? – 脳のないヒドラから睡眠の起源を探る Academist Journal (2020)
https://academist-cf.com/journal/?p=15108
13)J.A. Chapmann et al., The dynamic genome of Hydra. Nature vol.464, pp.592–596 (2010). https://doi.org/10.1038/nature08830
https://www.nature.com/articles/nature08830
14)戸田浩史 眠気の実体を探る〜ショウジョウバエを用いた睡眠研究
https://wpi-iiis.tsukuba.ac.jp/japanese/research/member/detail/hirofumitoda/
15)リガクル 睡眠は21世紀の今も謎だらけだ
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/rigakuru/research/uu4jELQj/
16)ウィキペディア:レム睡眠
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%9D%A1%E7%9C%A0
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