半島のマリア 第14話:捜査(第1話 風穴 から続く)
第一発見者がホトケの知り合いだったとは何という幸運だろう。なにしろホトケは外国人らしい上に、スマホもパスポートも所持していなかったのだ。身元が確認できそうなので、関係者から話を聞けば自殺の理由も推定できるだろうし、すぐに処理できる案件だと小室は判断した。しかし検死の結果はあまり芳しいものではなかった。死因がはっきりとしないらしいのだ。結局血液を科捜研で検査してもらうことになって、時間がかかることになった。しかも米国人とはいえなかなか係累がみつからず、引き取り手がないまま屍体を保管することになって想定外の面倒な事態になってしまった。
そしてしばらくすると、科捜研からとんでもないことがわかったと知らされた。血液から日本でも米国でも使用が許可されていな筋弛緩剤と思われる薬物が検出されたということだ。しかもそれは非常に不安定な物質で死体が凍結状態にあったのでなんとか検出できたが、正確な化学構造は決められないというのだ。
折から富士山の噴火が近そうだと言うことで、県警は多忙を極めていたが、ともかく科捜研の報告を受けて今後の方針を決めるための会議が幹部を集めて行われた。簡単には解決できそうもない殺人事件の捜査本部を立ち上げるのは大きな負担になる。ホトケが外国人でしかも未登録の薬物による殺人と言うことになると、外国の組織による謀殺という可能性が高い。しかしそこで問題になったのは、小室刑事が第一発見者からきいたという、ホトケと関係があったとみられる日本人の女性が同時に行方不明になっているという話だった。そっちは東京の事件なので、投げられるものなら警視庁に投げたいという意見も出た。もちろん合同捜査本部を立ち上げるべきだという意見もあった。しかし会議をやっている最中にもやや大きめの地震が発生して室内灯が点滅しはじめると、みんな黙り込んでしまった。
そんなときに警視庁から朗報?がもたらされた。マノス社関連の二人の行方不明の件は公安の外事で前からやっているので、今回の山梨の事件は警視庁で非公開の捜査を行なうということだった。県警は一気に安堵の雰囲気で充たされた。しかし「どうぞ」とは言えない。ロスバーグの死体の発見現場はあくまでも山梨なのだ。小室とあと一人英語が堪能な中野を地震関係の動員からはずしてこの事件の専従とし、警視庁の了解をとって捜査に参加させることとした。
とはいっても警視庁の公安が田舎の刑事と情報共有するはずもなく、結局自分たちが東京で捜査しても黙認するということになったと小室は理解した。とりあえず樹海の死体を通報してくれた二人に会うことからはじめようと、建二が勤めるマノス社に行った。あらかじめ早智さんにも来てもらうようにと連絡を入れておいたので二人から話を訊くことができた。
「先日はご通報有難うございました。今日は亡くなったエディさんのことと、先日伺いました同時期に行方不明になったという玲華さんのことについてうかがいたいのですが」と小室が用件を告げると、建二は「それなら私は顔見知り程度なので、早智に訊いてもらったほうがいいと思います」と答えた。
「では早智さん、エディいやエドウィン・ロスバーグさんのことについて、ご存じのことをお話しいただけますか」
「エディさんのことはあまり知らないんですよ。私の友達の玲華がここからシンガーとしてデビューすることになっていて、同じ会社のエディさんとお付き合いしているという話は聞いています」
「ではエディさんが誰かに恨まれているとか、仕事上のトラブルとかはありませんでしたか」
「わかりません」
建二も「それは知りません」と答えた。
「玲華さんについてはどうですか」
「ふたりが行方不明になった年の夏頃ですが、最近エディが会ってくれないと玲華が言ってました」
「ほう でその理由はわかりますか」
「いえ わかりません。でも京子か田所先生には何か話しているかもしれません」
刑事達は彼らの住所をメモして「ご協力有難うございました」と言い、立ち去った。
小室らはマノス社の他の社員にも当たってみたが、唯一長谷川部長から有益な情報が得られた。それはエドウィン・ロスバーグはマノスに出向という形をとっていたが、実際には米国政府のエージェントだったということだ。それで血液から検出された特殊な筋弛緩剤や、警視庁の公安が関心を持っていることとつながった。ならば玲華は巻き添えを食った可能性が高い。
中野は「こんな事件 うちらで解決できますかねえ」と弱音を吐いたので、小室は「若い女性が行方不明になっているんだよ。次はロスバーグの自宅があった場所に行ってみよう」とせきたてた。
世田谷の閑静な住宅街の一角にあるマンションの管理人は、エディのことをよく覚えていた。「前にも警察に話したんだけど、おとなしくて礼儀正しい人でしたよ。よく日本語で挨拶してくれました」と話してくれたが、「何かトラブルのようなことはありましたか」と訊くと、「神奈川の警察から車が放置されていたので、警察で保管している。引き取りに来るように伝えてくれという電話がかかってきたことがありました。エディさんが不在だったので、管理人に連絡が来たたのでしょう。でもそれから一度もエディさんを見ていません」と答えた。重要な情報だが、こんどは神奈川だ。これは署長を通さないとまずい。しかしまずいついでに残る田所という人物にも会っておこうということで、翌日ふたりは半島の田所の家を訪問することにした。
早智の教えられたギター教室のパネルのある小径を下っていくと田所の家に着いた。田所は玲華やエディ、そしてひろたんやドローンのことも隠さず話した。ただ玲華の行方についてひろたんに聞いたことだけは話さなかった。
「ああそうだ。広田らが攻撃を受けた吹き矢を1本預かっているんですよ。フリーザーに入れてありますが、持って帰りますか?」と達也が言うと、小室はエディの血液から出た不安定な筋弛緩剤のことをすぐに思い浮かべた。
「それは不安定なものかもしれないので、あらためて準備をして受け取りにきます。それまでそのまま保管しておいてください」と小室は達也に頼んだ。田所邸を辞したあと、京子の家にも立ち寄ったが、残念ながら京子は不在だった。しかしたった2日間の聞き取りで大きな成果を得たことに小室達は興奮した。ただ田所の話に出た旧灯台にも立ち寄ったが、ボタンを押しても応答がなく、駐車場にも車はなくて人の気配が感じられなかった。さすがに撤収したのだろう。事件のストーリーはだいたいわかったが、玲華さんの行方については残念ながら情報は得られなかった。
山梨に帰ると、いよいよ富士山が噴火するという情報がはいっていて県警には緊張が高まっていた。小室は噴火がおきてしまったら、あのエディの死体の発見現場もどうなってしまうかわからない、もう一度みておこうという気持ちがたかまってきた。帰投翌日、中野に「神奈川はあとにして、ともかくもう一度富士風穴に行こう」と言って、二人で再び死体発見現場に向かうことにした。
富士風穴は観光客もなく、静かに彼らの到着を待っていた。発見現場はそのままというより、崩壊が進んでいてより危険な状態になっていた。中野は「もう一度大きいのが来るとうちらも埋まってしまうかもしれませんよ」としりごみしたが、小室はいさいかまわず穴に降りていこうとしたとき、中野の予想が当たって大きな揺れが来た。小室は階段を踏みそこない尻餅をついた。揺れはおさまらず、大きな崩壊が起こって、砂が舞い上がり何も見えなくなった。ふたりは砂埃がおさまるまでしばらく待つことにした。
揺れが収まり、しばらくして砂埃も薄らいでくると中野が奇声をあげた「あれー、死体がまた出ましたよ」。土砂の中に人間らしきものが横たわっているのが見える。小室は「なに あ ほんとうだ」ともう一度降りていこうとした。そのとき中野がもう一度奇声をあげた「あれー マグマです マグマ」。小室が洞窟の方を見ると、マグマが一気に噴き出してくるのが見えた。小室は大声で叫んだ「退却だ、退却」。二人は全力で車まで走り、中野が震える手でハンドルをにぎってアクセルをふかした。小室が後方を見ると、マグマの「しぶき」のようなものが見えた。全身の血が逆流してきた。無線をとって小室は署に「噴火が始まりました」と時間と場所、噴火の状況などを報告した。報告を終わり、もう一度後ろを見るとマグマは見えなくなっていた。小室は中野に「事故を起こすなよ、落ち着いて運転しろ。もうマグマは見えないから大丈夫だ」と指示した。小室は心の中で、「これでもう県警でエディ達の事件に関心を持つ者など誰もいなくなるだろう」とつぶやいた。しばらくして中野は「今日見たのは男性のようでした。玲華さんではありませんね」と言った。小室はマグマに埋まってしまうであろう、新たにみつかった死体に手を合わせた。
(完)
この作品に含まれる物語はすべてフィクションです。実在の人物、団体、事件などにはいっさい関係ありません。
通読するにはサイドバーのカテゴリー 小説(story) をクリックしていただきますと便利です。なお第14話の写真は wikimedia commons の資料を使わせていただきました。
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