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2023年6月 1日 (木)

続・生物学茶話212:ロンボメア

生物学茶話では何度も述べていますが、脳に限らず発生現象の基盤は遺伝子制御ネットワークであり、それは4次元的に刻々と変化するプロセスなので、人間にできることは大量のデータを入力してあとは知りたい時間と位置を入力して答えを得ることです。ただし切り取りであっても部分的であっても、2次元的に流れの概略を理解することはもちろん重要です。話が少しずれますが、将来AIで様々なことが決定されるような時代になっても、AIがどのようなプロセスでその決定に至ったかを、いくつか断面をつくって人間が理解できる範囲で概略的に知っておかないと、人間はAIの奴隷になってしまいます。

形態的に区切りのない、つまりナメクジウオのような始原的脊索動物から、ロンボメア(菱脳)のような区切りのある脳になる過程は脳の進化を知る上で重要ですし、個体発生の過程において「のっぺらぼう」の細胞塊に区切りができてロンボメアが形成されるプロセスは、脳形成における最初の重要な「節目」です。

ヘルナンデスらはゼブラフィッシュを使って、ロンボメア形成前史に一石を投じました(1)。レチノイン酸の濃度勾配が脊椎動物の発生において重要な役割を果たすことは昔から知られていましたが、レチノイン酸はもともと胚全体にあるものなので、その濃度勾配がなぜできるのかがわかりませんでした。彼らは Cyp26 というレチノイン酸を代謝する酵素を細胞が産生することによって、勾配と言うより 「all or nothing」 に近い形でレチノイン酸の局在がみられることを示しました(1、図212-1)。

レチノイン酸で誘導される因子はステージによって異なるので、当然 Cyp26 が抑制する遺伝情報もステージによって異なります。また中胚葉の Cyp26 の作用によって、全体的に発生のステージが進むにつれてレチノイン酸の濃度は下げられていきます(1、図212-1)

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図212-1 ヘルナンデスのレチノイン酸非勾配モデル

ロンボメア形成初期の最大の問題はr3より前部とr5より後部で発現する転写因子のパターンが異なり、中間のr4ではあまり発現がないという点です(図212-2)。ヒトではr1~r3は将来橋(+小脳)を形成し、r4~r8は延髄を形成します(2)

ロンボメアの中間領域の形成にZnフィンガー型の転写調節因子 Krox20(または Egr2 とも呼ばれる)が深く関わっていることは1993年 Sylvie Schneider-Maunoury らによって明らかにされています。マウスの Krox20 遺伝子を破壊すると、ロンボメアのr3およびr5が正常に形成されません(3)。 余談ですが毛も生えないことが知られています(4)。

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図212-2 ロンボメア(後脳)形成前史

Krox20 はロンボメアが形成される直前にr3、r5に発現し、それらの分節化に寄与しています(5、6、図212-1)。Nab1/2 は分節化などの役割を終えた Krox20 によってスモイル化され、 Krox20 を不活化する活性を持つために同じ位置に発現しているようです。スモイル化とは、SUMOタンパク質と共有結合することによるある種の翻訳後修飾です。Krox20 自身がSUMO化酵素ではなく、SUMO化酵素を活性化する作用があるようです。同じZnフィンガー型の転写調節因子である Niz1/Niz2 も Krox20 と類似した活性を持つようで、r4には発現していません(7)。

Irx3 と vHnf1 はどちらもホメオボックスタンパク質で、Hox 群とは別にロンボメアの前後を決定する役割を持つようです。Kreisler はロイシンジッパー型、Cdx1 はホメオボックス型の転写調節因子でロンボメアの後方決定に関与しているようです。

Krumlauf と Wilkinson によると、r4の前後でロンボメアが分かれるという問題のキーはr4に発現する Hoxb1 にあるようです(5、図212-3)。このホメオボックスタンパク質は Krox20 と相互に活性を抑制するという機能があり、r4では Krox20 が発現していても Hoxb1 の濃度が濃いために無効化されると考えるとr4問題が解決しそうです。またr3-r4、r4-r5の境界領域では双方が相互抑制(結合するとどちらも失活する)によって無効化され、その結果細胞増殖が抑制されて溝ができてしまうと考えるとロンボメアの分節化が説明できそうです(図212-3)。もちろん実際にはそんなに単純ではなくて多くの因子が関与しているようですが(5)。

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図212-3 ロンボメア分節形成のモデル

図212-4はポール・トレイナーの図をもとに制作しました(8)。左側はロンボメアの分節化とHox遺伝子の発現を対応させたものです。これを見るとr4より後部は概ねHoxは番号順に発現していますが、r3より前は2番のグループが規則を破って発現しています。r2とr3は後部の発生システムを臨時に追加適用して付け足したものであることがうかがえます。一方r1より前部はHoxとは別の新しいルール、たとえば Otx2 や En1 などによって形成されることになります(9)。

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図212-4 ロンボメアにおけるHox遺伝子の発現と鰓弓形成

図212-4右側はロンボメアと神経・鰓弓との関係を示したものです。ロンボメアが形成されるとそこから剥離して組織を形成する種(タネ)となる神経堤細胞も影響を受けます。すなわちロンボメアが分節化すると、それぞれを起源とする細胞も色分けされるわけです。剥離(デラミネーション)した細胞は主にまず鰓弓という組織をつくりますが、鰓弓(または咽頭弓)には番号がつけられており、ヒトの場合5つあって、前部から後部にかけて1-6という番号がつけられています(5は痕跡的で通常カウントされません、10)。

図212-5に示されているように、r1とr2から剥離した細胞から形成された鰓弓1からは顔面骨や下顎軟骨が分化し、さらに聴覚器官であるつち骨やきぬた骨も分化します。つち骨やきぬた骨は哺乳類の直接の祖先が顎の骨から分化させた骨で、哺乳類特有の進化した聴覚器官です。r3、r4から剥離した細胞からできた鰓弓からも様々な筋肉や骨ができますが、図215には一部しか示してありません。詳しくは参照10(鰓弓ではなく、咽頭弓となっていますが意味は同じです)をご覧ください。

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図212-5 ロンボメア各部域の神経堤細胞から形成される頭部の骨

頭部の前面の骨はもともとは外胚葉の神経堤細胞から分化して形成されますが、後部すなわち頭蓋骨は別途中胚葉から形成されます(11、図212-6)。ただしくも膜と軟膜は神経堤細胞から形成されます(図212-6)。

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図212-6 ヒト頭部の骨の由来

 

参照

1)Rafael E. Hernandez, Aaron P. Putzke, Jonathan P. Myers, Lilyana Margaretha and Cecilia B. Moens, Cyp26 enzymes generate the retinoic acid response pattern necessary for hindbrain development., Development 134, 177-187 (2007) doi:10.1242/dev.02706
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/17164423/

2)ウィキペディア:菱脳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E8%84%B3

3)Sylvie Schneider-Maunoury, Piotr Topilko, Tania Seitanidou, Giovanni Levi, Michel Cohen-Tannoudji, Sandrine Poumin, Charles Babinet, and Patrick Chamay, Disruption of Krox-20 Results in Alteration of Rhombomeres 3 and 5 in the Developing Hindbrain
Cell, Vol.75, pp.1199-1214 (1993)

4)Modena Hair Institute, Future cure for baldness and graying – studying the KROX20 protein.,
https://modenahair.com/future-cure-baldness-graying-studying-krox20-protein/

5)Robb Krumlauf and David G. Wilkinson, Segmentation and patterning of the vertebrate hindbrain., Robb Krumlauf, David G. Wilkinson., Development vol.148, dev186460. (2021) doi:10.1242/dev.186460
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34323269/

6)Hugo J. Parker, Marianne E. Bronner, and Robb Krumlauf, The vertebrate Hox gene regulatory network for hindbrain segmentation: Evolution and diversification., Bioessays vol.38: pp.526–538 (2016)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/27027928/

7)Pablo Garcıa-Gutierrez, FranciscoJuarez-Vicente, Francisco Gallardo-Chamizo, Patrick Charnay & MarioGarcia-Dominguez, The transcription factor Krox20 is an E3 ligasethat sumoylates its Nab coregulators., EMBO reports vol.12, pp.981-1084 (2011)
https://doi.org/10.1038/embor.2011.152open_
https://www.embopress.org/doi/epdf/10.1038/embor.2011.152

8)Paul A Trainor, Making Headway: The Roles of Hox Genes and Neural Crest Cells in Craniofacial Development., The Scientific World JOURNAL vol.3, pp.240–264 (2003)
DOI 10.1100/tsw.2003.11

9)Luca Giovanni Di Giobannantonio et al., Otx2 selectively controls the neurogenesis of specific neuronal subtypes of the ventral tegmental area and compensates En1-dependent neuronal loss and MPTP vulnerability., Developmental Biology vol.373, pp.176-183 (2013)
https://doi.org/10.1016/j.ydbio.2012.10.022
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0012160612005908

10)ウィキペディア:咽頭弓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%BD%E9%A0%AD%E5%BC%93

11)大隅典子 講義録 東北大学教育用資料
http://www.dev-neurobio.med.tohoku.ac.jp/students/lecture/pdf/med_dev/2019/med_dev_2019_21.pdf

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