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2023年1月19日 (木)

続・生物学茶話199:神経堤と頭部プラコード

節足動物の中には早くもカンブリア紀に肉食を行っていた生物がいましたが、多くの脊索動物はまだ濾過摂食(1)といって、体長が1mm 以下のプランクトンなど海水に浮遊する生物あるいは有機物を何らかの方法でトラップして食べていたようです。ただコノドント動物は歯を持っていて、肉食していた可能性があります(2)。現在の円口類の歯は私たちのとは違ってケラチンを主成分とするので、当時の大部分の円口類の祖先たちもおそらく歯はケラチンだったのでしょう。コノドントの歯は石灰質ですが、ケラチンはタンパク質なのでそれ自体は化石として残りません。オルドビス紀の魚類はまだ濾過摂食で、顎のある肉食の魚類が生まれたのはシルル紀と考えられています(3)。肉食を行うためにはエサを見つけて・捕獲し・殺さなければなりません。このためにはさまざまな進化が必要です。

脊椎動物におけるこのような進化は、主に発生過程で神経板と表皮の中間領域に存在する神経堤と頭部プラコードに由来する細胞によって実現しました(4、5、図199-1)。脊椎動物に進化する少し前の動物の姿に似ていると考えられている頭索動物のナメクジウオには、神経堤やプラコードに相当する組織が見当たりません。ただ Six1/2とEyaを産生する細胞は神経板以外の外胚葉に点在し、神経細胞に分化するようです。また神経板と外胚葉の境界には脊椎動物と同様、中枢神経系の形成に関与するPax3/7、Zic、神経堤の外胚葉→中胚葉転換に関与する Msx1/2 などの発現があり境界領域の萌芽はみられます(6)。

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図199-1 外胚葉由来の4つの部域 表皮・神経板・神経堤・プラコード

プラコードや神経堤からは脊椎動物にあるべき視覚・聴覚・内分泌・感覚神経・自律神経・骨・歯などに関連した組織が発生するので(7、図199-2)、発生過程でこの2つの部域を獲得したことは脊椎動物らしさを獲得するために重要です。脊椎動物と思われるコノドント、ハイコウイクチス、ミロクンミンギアなどはカンブリア紀に生きていましたし、ホヤらしき生物もいたようです(8)。つまり神経堤・プラコードは脊椎動物がまだ濾過摂食を行っていたカンブリア紀に、すでに存在していたということです。

図199-2に血管条という言葉がありますが、これは私も初めて聞く言葉だったので調べてみました。日比野浩氏のサイトが参考になりました(9)。音を感知する細胞は内リンパ液と接しており、その内リンパ液は高濃度のカリウムを含んでいて、細胞内のカリウムとの濃度差を利用して振動が電気パルスに変化することによって音は感知されます。血管条というのは耳の内耳蝸牛にある組織で、リンパ液のカリウム濃度を高く保つために必要であるとされています。通常の神経細胞はナトリウムの濃度差を利用して興奮するので、耳の神経細胞に相当する有毛細胞は特殊な機能を持つ細胞と言えます。このような新組織をつくるためにもプラコードという新機軸が進化の過程で必要であったと思われます。

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図199-2 プラコード、神経堤から分化する細胞

神経堤・プラコードという第4の胚葉を獲得するという進化を実現したヤツメウナギは、エディアカラ紀の生物の特徴を色濃く残していると思われるナメクジウオに比べて、脳や周辺の感覚器官が格段に複雑になっています。濾過摂食からいわゆる肉食の生物に進化するためには、視覚・嗅覚とそれらの情報を処理するための脳の構造が格段に複雑化することが必須だったと思われます(10、11、図199-3)。ヤツメウナギは私たちと同様な脳のコンパートメントを持っていますが、ナメクジウオの脳には形態学的な分化はみられません。

こうしてみるとナメクジウオが現代に生きていることは奇跡のように思われます。彼らと近縁な、しかしよりすぐれた感覚器官・運動器官・脳を持つほとんどの生物が種としての生命を終えた中で、海底の砂に潜るという一芸で絶滅をまぬがれ、また脊椎動物と非常に近い生物であるにもかかわらず、私たちがまだ知らないその能力によって5回の大絶滅時代をしぶとく生き延びたナメクジウオは、まさに「生きた化石」と言えます。

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図199-3 ナメクジウオとヤツメウナギの頭部 Vedantu free education for kids (modified by the auther) および Wikipedia: Lamprey の図を利用しました 引用文献10、11。

神経堤やプラコードができてくる過程で、そこにどんな因子(モルフォゲン)が発現してくるかというのは昔から発生生物学の基本的テーマです。とはいっても、なにしろ細胞数個分の領域に一時的に発生する多くの物質の濃度勾配や相互作用が複雑に関係して細胞の運命が決まるわけですから、最終的にはAIに答えを求めるしかないと思いますが、大雑把に理解することもまた重要であり、サワニとグローヴスが提供してくれている最新情報を図199-4に示しておきます(12)。

おおまかにはBMPやWntが濃い状態では表皮に分化し、それらのアンタゴニストが濃い状態では神経に分化するわけですが、神経堤やプラコードはその中間の微妙な状況のなかで出現する部域です。中間的であるということは分化の方向性決定を保留できるということでもあります。具体的には多能性幹細胞として残って表皮や神経に早期に分化するのを回避し、後の適切な時期や移動した場所で分化するということです。オリジナルの図(閲覧フリー)に付属している説明文をそのまま掲載しておきました。

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図199-4 脊椎動物発生過程におけるモルフォゲンの分布 Early ectodermal patterning at the anterior epiblast. Although the ectodermal patterning varies significantly across chordates, and even within amniotes, we illustrate, here, the key stages of ectodermal patterning most faithful to amniote development. The medial epiblast begins to exhibit molecular differences compared to the surrounding tissue, with the medial region expressing pre-neural/neural (salmon) markers and lateral (blue) region with predominantly non-neural/epidermal gene expression. At the initial stages of gastrulation, the transitional zone between the neural and non-neural ectoderm, called the neural plate border (yellow), becomes more defined. By the early stages of neurulation, two distinct spatially segregated populations of cells can be detected at the border region – pre-placodal ectoderm laterally (purple) and neural crest cell progenitors medially (green). Although much remains uncertain about the roles and timing of WNT, BMP, and FGF signaling pathways and associated gene-regulatory networks during the early ectodermal patterning, a general consensus of the signaling levels and classic spatially distinct markers are indicated below the epiblast cartoons. Additionally, the asymmetric WNT signaling along the anterior-posterior axis and, subsequently, key molecular expression differences are also presented on the right-most panel.

頭索動物は組織としての神経堤やプラコードがみられませんが、それに相当する Six/Eya を発現する細胞は予定表皮のなかに存在し、実際化学物質や機械刺激などに反応する感覚器や関連する神経細胞、あるいはハチェックスピットと呼ばれる分泌器官などに分化します(7、12、図199-5)。これらは表皮に分化するのをある確率で免れた細胞なのかもしれません。肉食に必要な諸器官をつくるためにはナメクジウオのような機構ではまかないきれなくて、多数の未分化細胞が予定表皮と予定神経の中間に大きな集団となって確定して出現するように進化した生物、すなわち脊椎動物の祖先にあたる生物がカンブリア紀に適応放散したのでしょう。

尾索動物は一見両者の中間のようにも見えますが(図199-5)、彼らの祖先はいったん脊椎動物と同様な進化を遂げながら方向転換して全く別の生き方を選んだので、これはそのような方向転換の結果と考えるべきでしょう。

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図199-5 脊索動物における神経・表皮境界領域の進化 Evolution of the neural plate border in chordates. The diagrams compare the neural plate border (neural – salmon; non-neural – blue) derivatives between different taxa within the phylum Chordata. The vertebrate neural plate border gives rise to two distinct cell populations – the placodes (purple) that thicken and invaginate in the anterior embryo and the neural crest cells (green) that migrate along the entire length of the embryo except for the anterior neural fold (black arrows show migratory properties). However, this feature is an evolutionary novelty in vertebrates. The embryos from the sister clade, urochordates, have a molecularly distinct border region with several gene markers common with the vertebrates (magenta and light green); however, the crest-like migratory cell populations (light green) are relatively limited, such as the bipolar tail neurons. Cephalochordates, the phylogenetic neighbors considered less evolved to tunicate-vertebrate group, have some migratory epidermal sensory cells (pink) with similar molecular signatures to the vertebrate placodes; however, these are largely scattered individual cells that delaminate from the ectoderm much lateral to the neural/non-neural boundary.

参照

1)ウィキペディア:濾過摂食
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%BE%E9%81%8E%E6%91%82%E9%A3%9F

2)ウィキペディア:コノドント
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%88

3)ウィキペディア:棘魚類
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%98%E9%AD%9A%E9%A1%9E

4)R. Glenn Northcutt and Carl Gans, The Genesis of Neural Crest and Epidermal Placodes: A Reinterpretation of Vertebrate Origins., The Quarterly Review of Biology, vol.58, no.1, pp.1-28 (1983)
https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/413055

5)G.Schlosser Evolution of neural crest and cranial placode in "Invertebrate origins of vertebrate nervous system" Elsevier (2017)
https://books.google.co.jp/books?hl=ja&lr=lang_ja%7Clang_en&id=XTUYCwAAQBAJ&oi=fnd&pg=PA25&dq=protoplacodal+ectoderm&ots=Io8phXiMHX&sig=yUOWMHO4GlFA6TlysMPUzFJrfbk&redir_esc=y#v=onepage&q=protoplacodal%20ectoderm&f=true

6)G.Schlosser, From so simple a beginning – what amphioxus can teach us about placode evolution., Int. J. Dev. Biol. vol.61: pp.633-648 (2017) doi: 10.1387/ijdb.170127gs
https://www.academia.edu/70157393/From_so_simple_a_beginning_what_amphioxus_can_teach_us_about_placode_evolution

7)G. Schlosser Evolution of neural crest and cranial placode., Elsevier (2017)
https://books.google.co.jp/books?hl=ja&lr=lang_ja%7Clang_en&id=XTUYCwAAQBAJ&oi=fnd&pg=PA25&dq=protoplacodal+ectoderm&ots=Io8phXiMHX&sig=yUOWMHO4GlFA6TlysMPUzFJrfbk&redir_esc=y#v=onepage&q=protoplacodal%20ectoderm&f=true

8)Jun-Yuan Chen, Di-Ying Huang, Qing-Qing Peng, Hui-Mei Chi, Xiu-Qiang Wang, and Man Feng, The first tunicate from the Early Cambrian of South China., Proc Natl Acad Sci U S A., vol.100(14): pp.8314–8318. (2003) doi: 10.1073/pnas.1431177100
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC166226/

9)日比野浩、内耳聴覚研究班
https://www.med.niigata-u.ac.jp/ph2/past/ri_bi_ye_yan_jiu_ban.html

10)Vedantu free education for kids  (modified by the auther)
https://www.vedantu.com/question-answer/wheel-organ-is-found-in-a-herdmania-b-amphioxus-class-11-biology-cbse-5f2235d705c8ea56440f6f8d

11)Wikipedia: Lamprey
https://en.wikipedia.org/wiki/Lamprey

12)Ankita Thawani and Andrew K. Groves, Building the Border: Development of the Chordate Neural Plate Border Region and Its Derivatives., Front. Physiol., Sec. Developmental Physiology vol.11: no.608880. (2020)
https://doi.org/10.3389/fphys.2020.608880
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7750469/

 

 

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