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2022年12月 3日 (土)

続・生物学茶話196:円口類の視覚

私たち脊椎動物のルーツに非常に近い生物と思われるカンブリア紀のメタスプリッギナは、鰓弓を持ち、脊索は分離して骨になり、眼を持つ動物でした(1)。彼らはおそらく有顎脊椎動物の祖先とはエディアカラ紀に分岐したと考えられています(2、3)。なので彼らが生きていれば、脊椎動物の眼や視覚のルーツや進化について多くの情報が得られたのでしょうが、カンブリア紀に絶滅してしまいました。円口類が分岐する前には、他にコノドント、ピピスキウス、アナスピッドという生物群が分岐しましたが、現存するものはいません。つまり有顎脊椎動物と最も近い現存生物は円口類ということになります。したがって円口類の脳神経系やそれと接続する感覚器・運動器の研究は特別な意味を持っています。

肉眼で観察すると成体のヤツメウナギにははっきりと魚類のような眼があります。魚類と哺乳類の眼はレンズを収縮するメカニズムに違いがありますが、ほぼ同様な構造です(4)。ヤツメウナギの場合、大雑把な形態は図196-1のようなものです。角膜(透明化した皮膚)、レンズ、網膜、見る方向やピントを合わせるための筋肉が装備されています。一方ヌタウナギは角膜・レンズ・筋肉がない低機能の眼しか持っていません。ヤツメウナギは左右の眼だけでなく、第3の眼である松果体が機能していて、ここに2種類の光受容細胞があって、紫外部と可視部をそれぞれ受光しています。したがって色を識別することができます(5)。ヤツメウナギの眼にはヒトの光受容細胞の始原を思わせる桿体細胞と錐体細胞のような形態を持つ2種類の光受容細胞があります(6)。ヌタウナギが非常に低機能な眼しか持っていないのは、彼らが光があまり届かない海底に住んでいるからと思われますが、このことについてはあとで議論します。

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図196-1 円口類の眼

次に円口類の網膜に言及したいのですが、その前にヒトの網膜の構造について確認しておきたいと思います。ウィキペディアにきれいな図があったので、これに字を入れました(7、図196-2)。本来なら光が当たる側に光受容細胞があって、その裏側に神経細胞が分布しているのが理にかなっていて、実際軟体動物の網膜はそうなっていますが、なぜか脊椎動物の網膜は最初に光が当たる側に神経節細胞の軸索が配置されていて、一番奥に光受容細胞と色素上皮が配置されています。これは明らかに進化上の失敗です。

図196-2のようにヒトの網膜は光が最初に当たる位置から網膜神経節細胞と脳につながる軸索、内網状層、内核層、外網状層、外核層、視細胞外節層、色素上皮という構造になっていて、ここに2種類の光受容細胞(錐体細胞、桿体細胞)、4種類の神経細胞(網膜神経節細胞・アマクリン細胞・水平細胞・双極細胞)、そしてグリア細胞であるミュラー細胞が収蔵されています。

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図196-2 ヒトの網膜

有顎脊椎動物の網膜はほとんどの場合196-2図の様な構造ですが、円口類についてはブラッドショーとアリソンが比較図を公開してくれているので、図196-3に使わせていただきました(8)。図196-2とは上下逆になっているのでご注意ください。

ヤツメウナギの場合、幼体では網膜は未発達で領域は狭く、光受容細胞は1種類、神経細胞は2種類、そしてミュラー細胞しかありません。その他の細胞は変態と同時に分化してくるようです(8、図196-3C)。しかし成体の網膜は驚くべきことにほとんど私たちと同じ構造、同じ種類の細胞で構成されています。違う点は網膜神経節細胞の軸索が網膜の外側ではなく、内側を通って脳と接続している点で、フラッドショートとアリソンはこの領域を optic fibre layer としています(8、図196-3)。このことはこのような共通構造がすでにエディアカラ紀に完成されていたと言うことを示唆し、驚くほかありません(9)。有顎脊椎動物で神経節細胞軸索が露出しているのは、硝子体が進化して保護できるようになったからと思われます。

ヌタウナギの場合、ヒトやヤツメウナギのように各層の境界線がはっきりせず、光受容細胞は1種類しかなく、ミュラー細胞はみつかっていません。しかし4種類の神経細胞は存在するようです(8、図196-3)。あと重要なのは色素上皮層がないことです。これでは散乱光を吸収できないので、光の方向さえわかりません。要するに明るいか暗いかさえわかればいいという、非常に機能の低い眼となっています。眼が松果体の役割を果たすため、松果体はないようです。ヤツメウナギは松果体を持っています。

ヌタウナギ、ヤツメウナギ、有顎脊椎動物の網膜を比較してまとめた表を図196-4に示しました。ヤツメウナギと有顎脊椎動物の組織・細胞の有無が完全に同じであるのに対して、ヌタウナギにはいくつかの欠落が見られます。大石らによってヌタウナギとヤツメウナギの近縁性は証明されているので(9、10)、これはヌタウナギが視覚を重視しない生活環境に適応する過程で失ったと考えるのが妥当でしょう。

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図196-3 有顎脊椎動物と円口類の網膜を比較する(字が小さいのでクリック拡大してご覧ください)

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図196-4 網膜を構成する組織・細胞の比較

構造にかなりの相違がみられるにもかかわらず、網膜の発生に関連するホメオボックス遺伝子は、ヌタウナギ・ヤツメウナギ・有顎脊椎動物で差はみられません(8、図196-5)。これらの遺伝子はおそらくエディアカラ紀の共通祖先が用意したものが引き継がれていると思われます。一方bHLHのグループには差が見られます。この差が網膜構造の差違に関連しているのでしょう(8、図196-5)。

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図196-5 網膜の発生に関連する遺伝子の有無

ヌタウナギの眼はヤツメウナギと比べて非常に貧弱なので、この原因についてはいろいろ議論があります。図196-6Aの考え方は、ヌタウナギがより古いタイプの円口類だというものです。しかしこの考え方はサラ・ガボットらの研究によって旗色が悪くなりました。彼女らは古生代のヌタウナギ Myxinikela siroka の化石を調べ、その眼は現在のヌタウナギより高機能と思われる形態で、当時のヤツメウナギに遜色なくメラニン色素もちゃんと存在することを示しました(11、12)。このことは眼を退化させたグループが現在まで生き残ったことを意味します(図196-5B)。眼の退化は進化というスケールで見れば、極めて短い時間で実現することが洞窟生物などの研究でよく知られています(13)。

一方でヌタウナギの眼は幼形成熟(ネオテニー)による進化によって形成されたという考え方もあります(8、図196C)。ネオテニーという現象は決して珍しい現象ではなく、たとえば鳥類の頭部は恐竜のネオテニーによってできたものだというような説もあります。確かにヌタウナギは洞窟生物のように色素を全く失っているわけではありませんし、洞窟における眼の退化の時間スケールより遙かに長い間明暗を感じることができる眼を保持しています。まあそれは中途半端な暗さの中でずっと生きてきたからだと言えばそれまでですが、真相はまだ定かではありません。

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図196-6 脊索動物における眼の進化

ヌタウナギの生態についてはナショナルジオグラフィックのサイトに動画や解説があります(14)。興味のある方はのぞいてみてはいかがでしょうか。

 

参照

1)ウィキペディア:メタスプリッギナ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AE%E3%83%8A

2)渋めのダージリンはいかが 続・生物学茶話195:円口類の源流
http://morph.way-nifty.com/grey/2022/11/post-1f4cf6.html

3)Tetsuto Miyashita, Michael I. Coates, Robert Farrar, Peter Larson, Phillip L. Manning, Roy A. Wogelius, Nicholas P. Edwards, Jennifer Anne, Uwe Bergmann, Richard Palmer, and Philip J. Currie, Hagfish from the Cretaceous Tethys Sea and areconciliation of the morphological?molecularconflict in early vertebrate phylogeny., Proc Natl Acad Sci USA vol.116, no.6, pp.2146-2151 (2019).
https://www.pnas.org/doi/suppl/10.1073/pnas.1814794116

4)髙橋恭一 魚眼の構造と機能 ――水晶体の役割を中心にして――
広島修道大学リポジトリ (2020)
https://shudo-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3062&item_no=1&page_id=13&block_id=62
file:///C:/Users/Owner/Downloads/KJ19001.pdf

5)Seiji Wada, Emi Kawano-Yamashita, Tomohiro Sugihara, Satoshi Tamotsu, Mitsumasa Koyanagi and Akihisa Terakita, Insights into the evolutionary origin of the pineal color discrimination mechanism from the river lamprey., BMC Biol vol.19, article no.188 (2021)., https://doi.org/10.1186/s12915-021-01121-1
https://bmcbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12915-021-01121-1

6)森慶二,外崎昭、ヤツメウナギの視細胞― 桿状体細胞と錐状体細胞の始まり 電子顕微鏡 Vol.31,No.1(1996) pp.40-44
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kenbikyo1950/31/1/31_1_40/_pdf/-char/ja

7)ウィキペディア:網膜
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E8%86%9C

8)Sarah N. Bradshaw and W. Ted Allison, Hagfish to illuminate the developmental and evolutionary origins of the vertebrate retina., Front. Cell Dev. Biol.10: 822358 (2022). doi:10.3389/fcell.2022.822358
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35155434/

9)Oisi, Y., Ota, K., Kuraku, S. et al. Craniofacial development of hagfishes and the evolution of vertebrates. Nature vol.493, pp.175–180 (2013). https://doi.org/10.1038/nature11794
https://www.nature.com/articles/nature11794

10)大石康博、太田欣也、工樂樹洋、藤本聡子、倉谷滋 ヌタウナギの頭蓋顔面の発生と脊椎動物の進化
https://staff.aist.go.jp/t-fukatsu/CATNewsVol3NoS2.pdf

11)Sarah E. Gabbott, Philip C. J. Donoghue, Robert S. Sansom, Jakob Vinther
, Andrei Dolocan and Mark A. Purnell, Pigmented anatomy in Carboniferous cyclostomes and the evolution of the vertebrate eye., Proc. R. Soc. B., vol.283: issue 1836 (2016)
http://doi.org/10.1098/rspb.2016.1151
https://royalsocietypublishing.org/doi/epdf/10.1098/rspb.2016.1151

12)Answers in genesis: Elizabeth Mitchell Discovery of Hagfish Eyes Debunks Claim About Eye Evolution (2016)
https://answersingenesis.org/aquatic-animals/fish/discovery-hagfish-eyes-debunks-claim-about-eye-evolution/

13)Alex Keene and Johanna Kowalko, Repeated evolution of eye loss in Mexican cavefish: Evidence of similar developmental mechanisms in independently evolved
populations., This is the author manuscript accepted for publication and undergone full peer review but has not been through the copyediting, typesetting, pagination and proofreading process, which may lead to differences between this version and the Version of Record. doi: 10.1002/jez.b.22977.
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/am-pdf/10.1002/jez.b.22977

14)ナショナルジオグラフィック:【動画】深海魚のヌタウナギ、驚異の7つの異能力
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/031600099/

 

 

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