続・生物学茶話197:円口類の嗅覚
韓国ではヌタウナギを食べるそうです(1)。私は食べたことありませんし、世界でもほとんど食用にする地域はないでしょう。粘液を出したり、かみついたりするので漁業の邪魔で、そのせいか agriculture の領域では嫌われているようで、研究は進化に興味のある生物学者たちが細々と続けてきました。ただヌタウナギが放出する粘液に含まれる繊維がクモの糸より軽くて丈夫だということがわかって、近年注目を集めているようです(2)。
今回は主にヌタウナギの嗅覚について話題にしようともくろんだのですが、どんな匂いに反応するかということについての研究がなかなかみつかりませんでした。もちろんヌタウナギの嗅覚が鈍感なわけではなく、暗い場所でも好むエサを置けばたちまち集まってくるので、彼らが嗅覚を基盤にして生活している動物であることは明らかです。
昔 Walbig という人がオスロ大学の研究施設近郊の海で53匹のヌタウナギを採集し、個体のマーキングを行って2.5km離れた場所に放流したところ、4年後に18匹が元の場所に戻ってきたそうです(3)。ヌタウナギは海底をはいずって生きているベントスであるうえに、死んだり、食べられたり、見つけられなかったりする個体もあったでしょうから、これは驚異的な帰還率だと思います。そして嗅覚をたよりにもどってきたとしか思えません。
鮭の母川回帰は有名なお話ですが、 どうもまだそのメカニズムは完全には解明されていないようです(4)。ですからヌタウナギの嗅覚に関する研究が進んでいないのも仕方ないのかなと思います。Sutterlin はいろいろなアミノ酸やその組み合わせでヌタウナギを引き寄せようとしましたが、失敗におわりました。タラの筋肉には引き寄せられましたが、何が臭いの元なのかということは突き止められませんでした(5)。2019年に出版されたグローバーらの論文には「Currently there is only a rudimentary understanding of chemosensory systems in hagfish」と書いてありました(6)。
まあ気を取り直してヌタウナギの鼻周辺の構造を文献(7、8)をたよりにみていきましょう(図197-1)。ヌタウナギの鼻は口の上にあり、喉に通じています。しかも私たち哺乳類と同様に口と鼻の間に隔壁がある高度な構造です。鼻孔の途中に臭いのセンサーがある嗅覚器官があります(図197-1)。鼻からの水量と口からの水量は、口の中にある弁で調節できます。また鰓からも排出できるので、消化管にすべて流れ込んでしまうことはありません。
図197-1 ヌタウナギ頭部断面図と嗅覚器官 ヌタウナギの鼻孔はひとつで咽頭に貫通しています。途中に囊(嗅覚器官)があり嗅上皮と神経細胞が分布しています。
嗅覚器官は脳と極めて近接した位置にあり、素早く情報が伝わるようになっています(図197-1)。歯は下向きにも使えるようになっていて、これは顎がないことの利点です。固い物は噛むのではなく、下向きの歯でこそぎとることができます。上向きにすれば石や骨を消化管にいれないようにするフィルターとしても使えます。
鼻の穴をヤツメウナギ、ヌタウナギ、ウツボ(ウナギの仲間の硬骨魚類)で比べてみると、ヌタウナギの鼻がいかに巨大であることがわかります(9-11、図197-2)。正面から見ると口は下についているので、顔のほとんどが鼻の穴という感じです。これはヤツメウナギとは非常に違う点です。ヤツメウナギの場合鼻の穴は頭の上にあるので、これはエサを探すという用途とは直接関係がなさそうな位置です。ヤツメウナギはエサかそうでないかは視覚で判断できるので、嗅覚はおそらく別の目的のために用いられているのでしょう。ヤツメウナギとヌタウナギは鼻の穴がひとつですが、魚類であるウツボは左右ふたつあります。これは発生の初期段階から原基を用意しなければならないので大きな相違です。眼の原基は円口類と魚類が分岐する以前から2つ用意されていたことは明らかなので、鼻については分岐後に大きな発生上の改変がおきたことになります。
図197-2 円口類の鼻孔はひとつですが、ヤツメウナギの場合頭の上にあり、ヌタウナギは前方に大きく開口します。ウツボは有顎動物であり、私たちと同じく鼻孔は2つです。図のソースは左から順にそれぞれ参照文献9-11です。
ヤツメウナギとヌタウナギで鼻の構造はかなり異なるのでその発生を比較したくなりますが、それは論文が出版されています(12、図197-3)。ポンセラとシメルトによれば、嗅覚器官と腺下垂体(人間の脳下垂体の一部と相同)は一体で分化し、最終的に前後に並んだ形で落ち着きます(図197-3 adult)。
しかしその部域に隣接する前部(青)と後部(緑)はかなり違った形になります。ヤツメウナギの場合前部はとても小さな部域である鼻の穴の後部領域のみを形成しますが、ヌタウナギでは鼻の穴から体内に続く長いダクトの上部全体を形成します。そして隣接する後部は、ヤツメウナギの場合反転して口の上側とここから90°折れて鼻のダクトの下部を構成する大きな部域となります。これに対してヌタウナギでは口と鼻の穴の隔壁を形成します(図197-3)。見方によれば、ヤツメウナギの鼻の穴を90°前に倒して引っ張るとヌタウナギのようになります。
ここでひとつ重要なのはヤツメウナギでは鼻の穴は盲囊になっていてつきあたりがありますが、ヌタウナギでは喉に貫通しているという違いがあることです。盲囊になっていると、そこにたまっている物質を追い出さないと次の臭いを判別できませんが、貫通していると刻々と変化する臭いをリアルタイムで感知できます。これは嗅覚に頼って生活している動物にとっては必要なことでしょう。
図197-3 ヤツメウナギ・ヌタウナギ嗅覚器官の発生
ヌタウナギはほとんどの時間を何もしないで、近くに屍体が落ちてくるのを待機するという生活をしています。エサを食べずに9~11ヵ月も生存していたという報告があります(13)。これは彼らが脂肪を筋肉に蓄積できるからと考えられています(14)。このような特殊能力こそが、彼らがさして形も変えずにカンブリア紀以来5回の大絶滅を乗り越えてきた要因なのでしょう。
少し脱線しますが、昨今の地球の危機は増加した人類が大量の食料とエネルギーを消費し始めたためといえます。その結果6回目の生物大絶滅時代がすでにはじまっています。これを止めるのは簡単なことです。全世界で株式市場を廃止すればいいのです。バースコントロールだけではなく、こうして時間を稼いでる間に科学を進展させて、人間を冬眠させるとか、記憶を転写して生命活動を停止させ後に再生するとかの技術を開発して人口を削減することによって、真のSDGsが可能となるでしょう。
元に戻してヌタウナギの話ですが、彼らはいったん活動を始めると非常に活発に動いて、時には捕食者になるようなこともあるようです。ジンツェンらはそんな様子をビデオに収録しています(15)。視覚によってエサとなる生物の位置を正確に知ることができないので、狙いをつけてからかみつくまで何時間もかかっていますが、最終的には捕食しているようです。前記のように臭いを頼りに故郷に帰るというような行動も行ないます。
ヌタウナギが臭いに関してどんな行動をとるかという実験はまだまだ始まったばかりのようで、グローバーらは迷路を使ってとりあえずエサには近づき、安息香酸の誘導体からは遠ざかるというような結果を発表しています(6)。
嗅覚情報を処理する脳の部位=嗅球はヤツメウナギもヌタウナギもはっきりとわかります(理研のグループによる16、図197-4)。特にヌタウナギの臭球は大脳や間脳に匹敵するほどのサイズとなっています。断面を見ると、ヌタウナギは臭球だけでなく脳全体がヤツメウナギに比べて容積が大きいことがわかります。
図197-4 ヤツメウナギ・ヌタウナギの脳の形態と断面図
A, B, E, F:外観、C, D, G, E:断面図 スケール・バー=1mm
同じ理研のグループは聴覚についても研究を進めていて、5億年以上前の円口類と有顎類の共通祖先が内耳半規管を持っていたことを示唆しています(17)。ヌタウナギやヤツメウナギも内耳を持っていて、重力や平衡を感知できるようです。ただ彼らに聴覚があるのかどうかはよくわかりません。魚類は外耳を持っていませんが、うきぶくろや側線を使って実は我々よりよく音が聞けるという説もあるので、円口類についても研究が必要でしょう。
参照
1)Konest ウナギ・ヌタウナギ
https://www.konest.com/contents/gourmet_guide_detail.html?sc=2091
2)National Geographic ヌタウナギの粘液が環境志向の繊維に
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9167/
3)Walving F., Experimental marking of Hagfish (Myxine glutinosa L.)., Nytt. Mag. Zool., vol.15, pp.35-39 (1967)
4)Maruha Nichiro, Salmon Museum. 鮭の母川回帰
https://www.maruha-nichiro.co.jp/salmon/jiten/jiten02.html
5)A. M. Sutterlin, Chemical Attraction of some Marine Fish in their Natural Habitat., Journal of the Fisheries Board of Canada Volume 32, Number 6 (1975)
https://doi.org/10.1139/f75-095
6)Chris n. Glover, Dustin Newton, Jasmin Bajwa, Greg G. Goss & Trevor J. Hamilton, Behavioural responses of the hagfish Eptatretus stoutii to nutrient and noxious stimuli., Scientific Reports vol.9, no.13369 doi: 10.1038/s41598-019-49863-x
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/31527627/
7)York University, Kelly Laboratory, Lecture 6, Evolution and Classification Part II, Class Myxini
https://www.yorku.ca/spk/fishbiol09/FB09lecture6.pdf
8)Kjell B. Doving, The Biology of Hagfishes (eds Jorgensen et al), Chapman and Hall 1998, p.534
9)Private Aquarium
https://aqua.stardust31.com/
10)@ニフティブログ HK21 ヌタウナギ2
http://hk21.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-2056.html
11)The Aquarium Adviser Moray Eel Size and Tank Size for Saltwater Eel Species
https://theaquariumadviser.com/saltwater-aquarium-moray-eel/
12)Guillaume Poncelet and Sebastian M. Shimeld, The evolutionary origins of the vertebrateolfactory system., Open Biology, Volume 10, Issue 12, No.200330. (2020)
https://doi.org/10.1098/rsob.200330
https://royalsocietypublishing.org/doi/epdf/10.1098/rsob.200330
13)Mario N Tamburri, James P Barry, Adaptations for scavenging by three diverse bathyla species, Eptatretus stouti, Neptunea amianta and Orchomene obtusus
Author links open overlay panel., Deep Sea Research Part I: Oceanographic Research Papers, vol.46, issue 12, pp. 2079-2093 (1999)
https://doi.org/10.1016/S0967-0637(99)00044-8
14)Vincent Zintzen, Karyne M. Rogers, Clive D. Roberts, Andrew L. Stewart, Marti J. Anderson, Hagfish feeding habits along a depth gradient inferred from stable isotopes., MARINE ECOLOGY PROGRESS SERIES Mar Ecol Prog Se, vol.485: pp.223–234, (2013) doi: 10.3354/meps10341
https://www.researchgate.net/profile/Vincent-Zintzen/publication/269336865_Hagfish_feeding_habits_along_a_depth_gradient_inferred_from_stable_isotopes/links/548761b30cf289302e2eda58/Hagfish-feeding-habits-along-a-depth-gradient-inferred-from-stable-isotopes.pdf?origin=publication_detail
15)Vincent Zintzen, Clive D. Roberts, Marti J. Anderson, Andrew L. Stewart, Carl D. Struthers & Euan S. Harvey., Hagfish predatory behaviour and slime defence mechanism., Scientific Reports volume 1, Article number: 131 (2011)
https://www.nature.com/articles/srep00131
捕食の様子を収録したビデオ
https://static-content.springer.com/esm/art%3A10.1038%2Fsrep00131/MediaObjects/41598_2011_BFsrep00131_MOESM2_ESM.mov
16)Fumiaki Sugahara, Yasunori Murakami, Juan Pascual-Anaya, Shigeru Kuratani, Forebrain Architecture and Development in Cyclostomes, with Reference to the Early
Morphology and Evolution of the Vertebrate Head., Brain Behav Evol vol.96, pp.305–317 (2021) DOI: 10.1159/000519026
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34537767/
17)神戸大学 Research at Kobe: 脊椎動物の半規管の進化 -脊椎動物の共通祖先の内耳は、思いのほか複雑だった-
https://www.kobe-u.ac.jp/research_at_kobe/NEWS/news/2018_12_05_01.html
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