続・生物学茶話187: ナメクジウオ脳の部域化
動物(生物学用語では後生動物またはメタゾア)には大きく分けて前口動物と後口動物があります。前口動物の広大なバラエティーに比べて、脊椎動物以外の後口動物は比較的地味に生きています。図187-1の系統樹のような生物がいますが、まず棘皮動物は感覚・神経系・運動器官を退化させてある意味守備的な生き方を選択しました。脳はなく、鰭や足もなく、左右相称性も喪失しています。従って脊椎動物と比較研究するには、特に神経系の研究には不適切な生物といえます。半索動物は主として海底を這いずって生きる生物で、普通の人がみかけることはほとんどないでしょう。彼らも地味な生き方をしていますが、脊索動物の起源を探るには貴重な生物です。
これらとは別の幹が脊索動物門ですが、今生きている頭索動物は食事するときに頭を出す以外は海底の砂にもぐって生活するという生き方を選択しましたが、左右相称性や神経系、鰓孔、体節などの基本構造は脊椎動物のプロトタイプを思わせるものが多い、非常に貴重な生きた化石的な生物です。尾索動物は進化的には脊椎動物と非常に近いグループ(亜門)ですが、その主要なグループであるホヤは固着生活を選択し、棘皮動物と同様、脳はなく鰭や足もなく左右相称性を捨て、神経系や運動器官を退化させてしまったので、脊椎動物と比較するのは困難な生物群と言えます。こうしてみると、よくわずかな頭索動物(ナメクジウオの仲間)がカンブリア紀あるいはそれ以前から現代まで生き残っていてくれたものだと思います(1)。
図187-1 後口動物の系統樹
ナメクジウオ成体の脳はマウスで言えば妊娠8.5日目くらいの形態に似ているそうですが、その頃のマウスの脳に発現している転写因子とホモローガスな因子がナメクジウオでも発現しているかどうかはまず見ておく必要があるでしょう。
FoxG1 はなかでも著名な因子で、ヒトのFoxG1症候群に関係しています。すなわちヒトではFoxG1遺伝子の異常によって発達障害と脳の構造異常という疾病が発生します(2)。この遺伝子のコンディショナルノックアウトマウスでは、ニューロンの多極性形態期の後半においてノックアウトすることでFoxG1の増加を阻害すると,ニューロンはいつまでたっても皮質板へと移動せず直下にとどまることが明らかになっています(3)。
BF-1(FoxG1) が胎生期のマウスの他、ナメクジウオや魚類の終脳に発現することは、20世紀末にすでに報告されていますが(4、5)、Benito-Gutierrez らは最近この種の研究を大幅に拡張して報告しました(6)。FoxG1は幼生期からナメクジウオの脳胞中央部分に発現していますが、成体では主として腹側に発現していて、図187-2に示されるように背側にいくにつれてその発現域は限局され、最も背側の図(P)では最前部直下のわずかな部分にしか発現していません。
Emxファミリーはホメオボックスタンパク質の1グループで、ショウジョウバエやマウスで中枢神経系の発達に関与することが知られています(7)。ナメクジウオの脳では腹側から背側、先端部から後端部まで(フロンタルアイから内分泌器官 infundibular organ まで)EmxA が満遍なく分布しています(図187-2 色が重なっていますがパープルの部分にも発現しています)。一番背側の切片標本の緑色染色した領域にジョセフ細胞が分化します。
Lhx2/9 はやはりホメオボックスタンパク質の1グループに属しており、哺乳類では視覚領域の形成に重要な役割を果たすと考えられています(8、9)。これも EmxA と同様終脳全体に分布していますが、最背部には分布していません。このタンパク質は1ギルステージのような幼い頃から明瞭に脳部分での発現が見られます。脊髄に相当する部分にドット状に発現しているのが特徴的で、これはゼブラフィッシュでもみられることだそうです。(6、図187-2)。
図187-2 ナメクジウオの脳に発現する因子1
引き続き重要と思われる転写因子の発現について調べた結果です。Pax4/6(脊椎動物の Pax6 のオルソログ) はペアードボックス遺伝子群のなかでクループ4に属する遺伝子の産物で、初期発生や幼生期における眼の形成に重要な役割を果たしていると考えられています(10、11)。成体ではこの因子は腹側にはドット状に発現するのみですが、背側では脳室の周辺に満遍なく発現しています(図187-3)。一番背側切片標本の水色部分にはジョセフ細胞が分化する部分が含まれています(図187-3P)。
Nkx2.1 はホメオボックスタンパク質のひとつでインターニューロンの発達などにかかわっており、この遺伝子の変異によってヒトではbrain-lung-thyroid syndrome(良性遺伝性舞踏病)を発症することが知られています(12、13)。ナメクジウオの場合腹側では脳の後ろ半分(コーダル側)に分布し、背側では前の部分(ロストラル側)に分布しています(図187-3)。Nkx2.1 の発現に FoxG1 の発現が関与しているかどうかはコーダル側(脊髄側)については関与していないようですが、ロストラル側(先端側)についてはまだ不明なようです。
Hh(ヘッジホッグ)シグナル伝達経路はショウジョウバエからヒトにいたるまで保存されている動物の発生にかかわる基本的な経路です(14)。ここではヘッジホッグリガンドの分布について調べていますが、腹側では脳胞全体に分布し、背側にいくにつれてコーダル側が薄れていくように見えます(6、図187-3)。フロンタルアイやジョセフ細胞の周辺には発現していないようです。
これらの転写因子あるいはそれらの相互作用が脳の部域化を行うと予測されますが、詳細はまだまだ不明です。
図187-3 ナメクジウオの脳に発現する因子2
グルタミン酸作動性ニューロンは脊椎動物の中枢神経系で最もメジャーな興奮性ニューロンです(15)。これがナメクジウオではどうなっているのでしょうか? グルタミン酸作動性ニューロンは、少数ですが早くも1ギルステージという幼生の段階で中枢神経系に出現しています。いくつかはフロンタルアイ周辺にみられます。成体では脳の背側部分に検出されます(6)。
成体での各種ニューロンの出現は図187-4にまとめてあります。これは Elia Benito-Gutierrez らによる作図です。GABA作動性ニューロンは脳胞前よりに、グルタミン酸作動性、ドーパミン作動性ニューロンは後ろよりにあることがわかります。転写因子の発現についてはGABA作動性ニューロンの形成には Nkx2.1・FoxG1・Emx・Lhx2/9、グルタミン酸作動性・ドーパミン作動性ニューロンの形成には Emx・Lhx2/9・Pax4/6が関わっていることが示唆されました(図187-4)。
図187-4 ナメクジウオ脳の部域化
これまでの研究により、ナメクジウオの脳にも部域による明確な違い(コンパートメンタリゼーション)があることがわかりました。Benito-Gutierrez らは、ナメクジウオ脳胞の最前部の背側を Pars anterodorsalis (PAD)と呼んで、PADが脊椎動物の脳のプロトタイプに近いことを示唆しています(6)。彼らはまたこのようなコンパートメンタリゼーションはナメクジウオ成体で確立されるものであり、また成体になっても脳室周辺の細胞が増殖・分化することによって脳細胞が補填されているとしています。
参照
1)ウィキペディア:後口動物
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%8F%A3%E5%8B%95%E7%89%A9
2)遺伝性疾患プラス FoxG1症候群
https://genetics.qlife.jp/diseases/foxg1
3)Goichi Miyoshi, Gord Fishell, Dynamic FoxG1 expression coordinates the integration of multipolar pyramidal neuron precursors into the cortical plate., Neuron vol.74, no.6, pp.1045-1058 (2012) doi: 10.1016/j.neuron.2012.04.025
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22726835/
4)H Toresson, J P Martinez-Barbera, A Bardsley, X Caubit, S Krauss, Conservation of BF-1 expression in amphioxus and zebrafish suggests evolutionary ancestry of anterior cell types that contribute to the vertebrate telencephalon. Dev Genes Evol., vol.208(8): pp.431-439. (1998) doi: 10.1007/s004270050200.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9799423/
5)K Shimamura and J L Rubenstein, Inductive interactions direct early regionalization of the mouse forebrain., Development. vol.124(14): pp.2709-2718. (1997) doi: 10.1242/dev.124.14.2709.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9226442/
6)Elia Benito-Gutierrez, Giacomo Gattoni, Manuel Stemmer, Silvia D. Rohr, Laura N. Schuhmacher, Jocelyn Tang, Aleksandra Marconi, Gaspar Jekely and Detlev Arendt, The dorsoanterior brain of adult amphioxus shares similarities in expression profile and neuronal composition with the vertebrate telencephalon., BMC Biology vol.19: article no:110 (2021) https://doi.org/10.1186/s12915-021-01045-w
https://bmcbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12915-021-01045-w
7)Chiara Cecchi and Edoardo Boncinelli, Emx homeogenes and mouse brain development., Trends in Neurosciences vol.23, issue 8, pp.347-352, (2000) DOI:https://doi.org/10.1016/S0166-2236(00)01608-8
https://www.cell.com/trends/neurosciences/fulltext/S0166-2236(00)01608-8?_returnURL=https%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0166223600016088%3Fshowall%3Dtrue
8)Roy A, de Melo J, Chaturvedi D, Thein T, Cabrera-Socorro A, Houart C, Meyer G, Blackshaw S, Tole S. LHX2 is necessary for the maintenance of optic identity and for the progression of optic morphogenesis. J Neurosci. 2013 Apr 17;33(16):6877-84. doi: 10.1523/JNEUROSCI.4216-12.2013.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3664457/
9)Zibetti, C., Liu, S., Wan, J. et al. Epigenomic profiling of retinal progenitors reveals LHX2 is required for developmental regulation of open chromatin. Commun Biol 2, 142 (2019). https://doi.org/10.1038/s42003-019-0375-9
https://www.nature.com/articles/s42003-019-0375-9
10)Wikipedia: Pax genes
https://en.wikipedia.org/wiki/Pax_genes
11)Glardon S,Holland LZ,Gehring WJ,Holland ND, Isolation and developmental expression of the amphioxus Pax-6gene(AmphiPax-6): insights into eye and photoreceptor evolution. Development(Cambridge,England)., vol.125: pp.2701–2710 (1998) https://doi.org/10.1242/dev.125.14.2701
https://journals.biologists.com/dev/article/125/14/2701/39880/Isolation-and-developmental-expression-of-the
12)Medline Plus: NKX2-1 gene
https://medlineplus.gov/genetics/gene/nkx2-1/#conditions
13)小島泰子, 跡部真人, 青木雄介, 鈴木基正, 糸見和也, 田中達之, 齋藤伸治 非典型的症状を示したbrain-lung-thyroid syndromeの1例 脳と発達 53巻 1号 pp.44-48 (2021) https://doi.org/10.11251/ojjscn.53.44
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjscn/53/1/53_44/_article/-char/ja
14)ウィキペディア:ヘッジホッグシグナル伝達経路
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%B7%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%AB%E4%BC%9D%E9%81%94%E7%B5%8C%E8%B7%AF
15)abcam: グルタミン酸作動性ニューロン・マーカー
https://www.abcam.co.jp/neuroscience/glutamatergic-neuron-markers-and-their-functions-2
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