続・生物学茶話179: 頭と胴尾、脳と脊髄
オットー・マンゴルトはシュペーマンの弟子で、その仕事を受け継いで発展させた功労者です。ドイツ動物学会の会長まで務めた著名人ですが、教科書などで取り上げられる場合も少なく、ウェブサイトの情報は多くありません。これは彼がナチの協力者であったことが影響していると思われます。Second.wiki や de.zxc.wiki などには少し情報があります(1-3)。
オットー・マンゴルトはシュペーマンと共にオーガナイザーの研究を行ったヒルデ・プレショルトと結婚しましたが、新婚のヒルデはキッチンでのガス爆発が原因で亡くなりました。さらに息子は第二次世界大戦で戦死するという家庭的には悲運の人です。彼はシュペーマンと同様両生類の胚を使って、原口背唇から外胚葉の裏側に潜り込んだ組織がその後どのような役割を果たすかについて研究を行いました(図179-1)。
図179-1 オットー・マンゴルトとイモリ
原口背唇部は原腸形成後、原腸の天井に位置することになりますが、オートー・マンゴルトはその周辺領域(ルーフ)に、将来頭部・胴部・尾部を形成する活性が前後に順に並んで存在することを証明しました(4、5、図179-2)。すなわちルーフの前部を他の個体のルーフに移植するとその部分に2次的な頭部ができ、中央部を移植すると2次的胴体、後部を移植すると2次的尾部が形成されます(尾は肛門より後ろの胴体のことです)。つまりそれぞれの部分にヘッド/トランク/テイルのオーガナイザーが存在するというオットー・マンゴルトのモデルです(図179-2)。
その後ニューコープらはマンゴルトらがみつけた誘導現象はワンステップではなく、まず原口背唇部・ヘンゼン結節・ノード・ノトコードなどによって外胚葉が前脳になるような誘導 (activation) がかかり、その後側板中胚葉などから中脳・後脳・脊髄への誘導 (activation) がかかるという理論=Activation-Transformation theory を唱えました(6)。この理論は若干の修正はあるものの現在でも概ね正しいとされています(7)。前脳とは脳科学辞典の記述によれば「大脳(扁桃体、海馬などの辺縁皮質を含む)、中隔核、乳頭体、視床前核、嗅球といった大脳皮質外の構造、視床、視床上部、視床下部などからなる領域」ということになります。
図179-2 オットー・マンゴルト、ピーター・ニューコープの理論
シュペーマン、オットー・マンゴルト、ニューコープらは両生類の胚を実験材料として使っていましたが、それと共により私たちに近いマウス、ニワトリ、ゼブラフィッシュの胚の予定領域を並べて見ると驚くことがあります。それはマウスやニワトリなどの有羊膜類では、対応する発生ステージにおいて予定脊髄領域が著しく小さいことです(8、図179-3の黄色の部分)。
哺乳類と鳥類には羊膜がありありますが、魚類や両生類にはありません。しかしこのことが予定脊髄領域のテリトリーに関与しているかどうかはわかりません。ただ前者は後者に比べて脳が格段に発達しているので、ともかく発生段階から脳と視・聴・嗅覚を先に発達させて、胴部・尾部は後回しというボディープランになったと想像できます。
図179-3 脊索動物胚背部の予定運命
頭部優先で発生を行うためには、原溝(原条)は前後平等であってはいけません。実際原溝最前部にはヘンゼン結節(鳥類)・ノード(哺乳類)など特に活発な活動を行う部位があり、ここから落ち込んだ原外胚葉細胞を中心に頭部形成の準備を始め、それが一段落してから原溝は後退して、体節中胚葉や脊髄の前駆細胞を送り出します(8、図179-4)。
図179-4 ニワトリ原溝の消長と体節・脊髄の形成
ツァキリディスらは2014年に細胞培養などの手法を用いて、多分化能を持つエピブラスト(原外胚葉細胞)がWntの作用によって体節中胚葉と神経細胞などの限定分化能をもつ幹細胞に変化し、さらに体節中胚葉を形成する細胞と、脊髄を形成する細胞を生み出すことを報告しました(9)。
すなわちヘンゼン結節やノードには分化の可能性は限定されつつも、自己増殖あるいは不等分裂によって自分自身を保存しながら分化した細胞を生み出すことができる幹細胞が存在し、その働きで幹細胞を温存しつつ予定体節細胞や予定ノトコード・予定神経細胞を結節外に送り出し、順次体節や脊髄の形成に資することができるわけです(10、図179-5)。
図179-5 ヘンゼン結節またはノードには幹細胞がある
図179-6では単純化していますが、実際には自己複製と単一の分化しか行わない細胞(図179-5)以外に、このような体節にも神経にも分化できる細胞が実際にありそうだとされています。Sox2は神経系細胞のマーカー、Brachyury は中胚葉細胞のマーカーで、バイポテンシャルな前駆細胞には両者が存在します(10)。
ただ原外胚葉細胞からは他のタイプの幹細胞・前駆細胞も形成されていると思われますし(たとえば多分化能を持つ細胞)、それぞれの分化誘導機構も様々でしょうから、実際にはコンピュータでしか答えが出せない複雑なメカニズムが潜んでいることは容易に想像できます。
図179-6 2種類の細胞に分化できる幹細胞
ここで忘れてはならないのは脊索(ノトコード)の存在です。ここまでの説明では脊索がこの種の前駆細胞とどのようにかかわっているかはわかりません。脊索が脊髄を誘導することは昔からしられていますが、新しい考え方が出てきたからには再検討が必要になります。中胚葉系の細胞群と神経系の細胞群を制御統括するのが脊索であることが示唆されていますが(11)、このあたりの問題は次の機会にとりあげたいと思います。
参照
1)second.wiki: Otto Mangold
https://second.wiki/wiki/otto_mangold
2)Qw: Otto Mangold
https://de.zxc.wiki/wiki/Otto_Mangold
3)The Embryo Project Encyclopedia: Otto Mangold (1891-1962)
https://embryo.asu.edu/pages/otto-mangold-1891-1962
4)Mangold, O., Uber die Induktionsfahighkeit der verschiedenen Bezirke
der Neurula von Urodelen. Naturwissenshaften vol.21: pp.761-766.(1933)
https://link.springer.com/article/10.1007/BF01503740
5)Claudio D. Stern et al., Head-tail patterning of the vertebrate embryo:
one, two or many unresolved problems? Int. J. Dev. Biol. vol.50: pp.3-15 (2006)
doi: 10.1387/ijdb.052095cs
https://web.mit.edu/7.72/restricted/readings/Stern%20et%20al.pdf
6)Nieuwkoop, P. D. and Nigtevecht, G. V., Neural activation and
transformation in explants of competent ectoderm under the influence of
fragments of anterior notochord in urodeles. J Embryol Exp Morphol vol.2: pp.175-193. (1954)
https://journals.biologists.com/dev/article/2/3/175/49249/Neural-Activation-and-Transformation-in-Explants
7)Fraser, S.E., and Stern C.D., Early rostrocaudal patterning of the
mesoderm and neural plate, In Gastrulation: from cells to embryo, C. D. Stern,
ed. (New York: Cold Spring Harbor Press), pp. 389-401. (2004)
http://gastrulation.org/
8)Ben Steventon, and Alfonso Martinez Arias, Evo-engineering and the cellular and molecular origins of the vertebrate spinal cord., Developmental Biology vol.432, pp.3-13 (2017)
https://doi.org/10.1016/j.ydbio.2017.01.021
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0012160616305103
9)Anestis Tsakiridis et al., Distinct Wnt-driven primitive streak-like populations reflect in vivo lineage precursors. Development vol.141, pp.1209-1221 (2014) doi:10.1242/dev.101014
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24595287/
10)Domingos Henrique, Elsa Abranches, Laure Verrier and Kate G. Storey
Neuromesodermal progenitors and the making of the spinal cord
Development vol.142, pp.2864-2875 (2015) doi:10.1242/dev.119768
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/26329597/
11)Nitza Kahane and Chaya Kalcheim, From Bipotent Neuromesodermal Progenitors to
Neural-Mesodermal Interactions during Embryonic Development., Int. J. Mol. Sci., vol.22, no.9141, (2021) https://doi.org/10.3390/ijms22179141
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8431582/
| 固定リンク | 1
「生物学・科学(biology/science)」カテゴリの記事
- 続・生物学茶話253: 腸を構成する細胞(2024.12.01)
- 続・生物学茶話252: 腸神経(2024.11.22)
- 続・生物学茶話251: 求心性自律神経(2024.11.14)
- 続・生物学茶話250: 交感神経と副交感神経(2024.11.06)
- 自律神経の科学 鈴木郁子著(2024.10.29)
コメント