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2022年5月13日 (金)

続・生物学茶話178: ラウバーの鎌

ニワトリ胚の卵割については、私は学生実習でもやったことがないので簡単に復習しておきます。カエルのような両生類は単に水中に卵を産み落とすだけですが、陸上生活をすることになった生物は殻付きの卵を産む爬虫類・鳥類のグループと、胎盤を形成する哺乳類に分かれました。殻と卵白に包まれた鳥類の胚は大部分が栄養成分である卵黄で形成されているため、卵割する胚本体は卵黄にへばりつくような薄く小さなスペース(胚盤 直径2~3mm)しか与えられていません。このため盤割とよばれるタイプの、まず薄いシート状に細胞が増殖することから発生がはじまります(図178-1)。

この胚盤周辺には学術的な名前がつけられていて、卵黄部分は Area pellucida (暗域、不透明域)、細胞部分は Area pellucida (明域、透明域)、中間部分は Marginal zone (境界域)とされています(1、図178-1)。Area の代わりに Zone が使われることもあります。

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図178-1 ニワトリの卵割

Area pellucida が細胞のシート(エピブラスト=胚盤葉上層)で埋まる頃、まだ卵白も殻もついていない卵は輸卵管を移動し始めます。このときに移動方向の前後がそのまま胚の前後となるそうです(2)。このとき後方にあたる部分のエピブラストの裏側にラウバーの鎌と呼ばれる構造ができます(図178-2)。

ラウバーの鎌(Rauber's sickle)というのは、図178-2のように胚の後方からハイポブラスト=胚盤葉下層となる細胞が増殖し始めた形が鎌に似ているからですが、コラーの鎌 (Koller's sickle)ともいうことがあるそうです。ウィキペディアによれば発見者がラウバー (August Rauber 図178-3、3)なので、ラウバーの鎌というのが適切かと思います。そのあたりの事情はおそらく Atlas of Chick Development という本(4)に詳しく書いてあると思われますが、Marc Callebaut and Emmy van Nueten の文献(5)によると、ラウバーが1876年にこの構造を発見しましたが、そこから原条が発生することを記載したコラーにちなんでコラーの鎌と呼ばれるようになったそうです。この文献の著者らはラウバーの鎌と呼んでいます。

胚盤葉上層の裏側には上層から剥離した細胞が落ち込んでいますが、後方からの増殖で伸びてきたラウバーの鎌はこれらの細胞をひろって結合し。最終的には最前方の胚盤葉上層まで到達して閉じた構造になります(6)。ラウバーの鎌が多少なりとも脚光を浴びたのは Marc Callebaut と Emmy van Nueten がウズラの鎌をニワトリに移植すると第2の原始線条(primitive streak) が発生したことを報告してからでしょう(5)。これはラウバーの鎌が両生類のオーガナイザーに相当することを意味します。

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図178-2 ラウバーの鎌と胞胚の形成

ラウバーはウィルヘルム・ヒスの弟子でドイツ人ですが、エストニアのタルトゥー大学で仕事をした発生学者です(図178-3)。タルトゥー大学は知らなかったので調べると、なんと江戸時代初期の1632年設立で、現在も150のビルを擁するエストニア最大の大学だそうです。それでも辺境の学者だったせいか、ラウバーの鎌(コラーの鎌)の発見は100年以上も前の業績にもかかわらず、発生生物学の教科書にはよくてちょっぴりふれてあるというのが普通で、私はその種の学科の出身ですがまったく習いませんでした。スコット・ギルバートの教科書(第7版)にもラウバーの名はありません(Koller's sickle という記載はあります)。

オーガナイザーに相当するラウバーの鎌は、そこに含まれる細胞から増殖した細胞群が原始線条 (primitive streak) やヘンゼン結節 (Hensen's node) を誘導するというはたらきがあり、ニワトリの胞胚・嚢胚形成=形態形成はここからスタートすると言っても良いような重要な組織です。

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図178-3 アウグスト・ラウバー

ラウバーの鎌を構成する細胞群の予定運命を Bachvarova らの知見に基づいて図示しました(7、図178-4)。ラウバーの鎌は自らが活発に増殖するとともに胚盤葉上層細胞を誘導してヘンゼン結節と原始線条を形成し、中胚葉や脳神経組織などに分化します。また下部の細胞は内胚葉となります。生殖三日月環は、原条形成期に内胚葉細胞の増殖によって胚盤葉下層の細胞群(黄色)が前方に押されてできた形態ですが、それ自身は臓器に分化するわけではありません。しかしこの領域は生殖細胞の前駆細胞を含んでおり、これらの前駆細胞は将来血流によって生殖巣に運ばれることになります(6)。

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図178-4 ラウバーの鎌の発生予定運命

ステージが進むとラウバーの鎌部分はテイルバッドと呼ばれるようになりますが、囊胚期になってもこの領域は、筋・骨格・神経などに分化する幹細胞(neuromesodermal progenitors)のニッチとして重要な役割を果たすことになります(8)。


参照

1)ボヘミアンへこっち 存在の耐えられない軽さ ニワトリ初期発生のまとめ
https://kohecchi.hatenablog.com/entry/2019/04/06/184733

2)東中川徹・八杉貞夫・西駕秀俊編 「ベーシックマスター 発生生物学」オーム社 p.53 (2008)

3)Wikipedia: August Rauber
https://en.wikipedia.org/wiki/August_Rauber

4)Ruth Bellairs, Mark Osmond “Atlas of Chick Development”Elsevier (2005) 新版(2014)
https://www.amazon.co.jp/Atlas-Chick-Development-Third-Bellairs/dp/0123849519

5)Marc Callebaut and Emmy van Nueten, Rauber's (Koller's) Sickle: The early gastrulation organizer of the avian blastderm., Eur. J. Morphol. Vol.32, No.1, pp.35-48 (1994)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/8086267/

6)Scott F. Gilbert “Developmental Biology”7th edn Sinauer Associates Inc., p.355 (2003)

7)Rosemary F. Bachvarova, Isaac Skromne and Claudio D. Stern, Induction of primitive streak and Hensen’s node by the posterior marginal zone in the early chick embryo., Development vol.125, pp.3521-3534 (1998) doi: 10.1242/dev.125.17.3521.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9693154/

8)Charlene Guillot, Yannis Djeffal, Arthur Michaut, Brian Rabe, Olivier Pourquie, Dynamics of primitive streak regression controls the fate of neuromesodermal progenitors in the chicken embryo., eLife vol.10: e64819. (2021) DOI: https://doi.org/10.7554/eLife.64819
https://elifesciences.org/articles/64819

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