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2022年2月 5日 (土)

続・生物学茶話171: ヌタウナギ

脊索動物門が頭索動物・尾索動物・脊椎動物の3つのグループからなり、ルーツは頭索動物(ナメクジウオ)に近い祖先動物であることを前回述べました。今回はその脊椎動物のルーツに関するお話です。ここで一部の動物学者達が昔から注目してきたヌタウナギという生物が登場します。ヌタウナギは5メートルから270メートルの海底に住む、一見ウナギやヤツメウナギに似た生物で食べられそうではありますが、韓国だけで食材として使われているそうです。ヌタとは彼らが分泌する粘液を意味するようです。

ウィキペディアにあったヌタウナギ、ヤツメウナギ、ウナギの図をまとめてみました(1-3、図171-1)。このなかでウナギは顎があってこの開閉で餌をかみ砕いて食べますが、ヌタウナギやヤツメウナギは顎がないので、餌に吸い付いて剥ぎ取る感じの食事になります。昆虫の幼虫も吸い込んで餌にしているようです。イールスキンの財布とかをお持ちの方もおられると思いますが、あれはウナギの皮ではなくヌタウナギの皮です。

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図171-1 ヌタウナギ、ヤツメウナギ、ウナギの外観

私たちが学生だった頃、ホルマリン漬けのヌタウナギを一匹づつ渡されて組織標本を作って観察するよう先生に言われましたが、当時はこの生物の重要性をあまり認識していなかったので、通り一遍のレポートを作って終わりにしてしまいました。もう少し深い関心を持って観察すべきだったと、今になって後悔しています。思い出深い生物ではあります。

アイヤーズとジャクソンは1901年にヌタウナギの形態について詳細な研究を行った論文を発表しましたが、その中で痕跡的な背骨が認められることを記しているそうです。この論文は現在でもお金を支払えばウェブサイトで閲覧できます(4)。しかしヌタウナギは背骨を持たず視力もほとんどないとされ、21世紀になるまで発生の様子も観察できなかったので、永年とりあえず脊椎動物とは異なる外群の生物として棚上げされてきました。

理研の太田欽也は島根の漁師柿谷氏と協力してヌタウナギの採卵を行い、発生の観察を行ったところ、なんと胚の存在を確認できるまでに5ヶ月を要したそうです。この発生の異常な遅さに誰も気づかなかったことが100年間の研究遅滞を招いたようです。彼と共同研究者が発生の観察を行い、アイヤーズとジャクソンの観察の再確認を含めて詳細を発表してからヌタウナギの研究が再開されました(5、6)。

大石康博の学位論文によれば、ヌタウナギの腺性下垂体は従来内胚葉由来とされてきましたが、実は脊椎動物やヤツメウナギと同様外胚葉由来だそうです(7、図171-2)。ヌタウナギとヤツメウナギは図171-2に示されているように、鼻孔の位置がそれぞれ前と上(背側)で異なっていますが、腺性下垂体とは繋がっており、腺性下垂体が口の一部となった魚類とは大きく異なっています。魚類のような連続した脊椎がないことや、顎がないことはヌタウナギとヤツメウナギに共通の特徴であり、これらがひとつのグループ(クレード)を形成することを示唆しています。ウナギはれっきとした硬骨魚類であり、顎も脊椎も立派なものを持っています(図171-2)。サメも古代型のものは口が前にあって円筒形の体で、形態はウナギと大して差はありません(8)。ただし現在も過去もサメは軟骨しか持っていません。

ヌタウナギのひとつの特徴は鼻孔と消化管が喉の奥で繋がっていることです。このことが何の役に立つのかはわかりません。私たちヒトの鼻孔は喉の奥で消化管とつながっていますが、もし鼻孔がヤツメウナギや魚類のように盲管なら、鼻からは空気が吸えないので餌を食べながら口から空気を吸わなければならないことになります。ヌタウナギはもちろん鰓で呼吸するので、鼻孔は盲管でいいわけですが、さて何かわけがあるのでしょうか? 鼻孔が前方先端にあるのは、視力が弱い代わりに匂いで餌を嗅ぎ分けて食べるには必須なのかもしれません。1712a

図171-2 ヌタウナギ、ヤツメウナギ、サメ、ウナギの頭部断面 (Sagittal section)

ヌタウナギの背骨については、2011年に理研が再確認のプレスリリースをしています(9、図171-3)。タイトルに「背骨の痕跡を発見」とありますが、実際は再発見なのでこれはちょっと厚かましい感じがしますが、尾部にはっきりと軟骨が並んでいるのがわかります。ヤツメウナギも明確な脊椎は持たず弓形の軟骨が並んでいるだけです。理研は様々な研究を行って、ヌタウナギの分類学的な位置の確定に貢献しました。

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図171-3 ヌタウナギには萌芽的あるいは痕跡的な背骨がみとめられる

そして決定的な結果はダートマス大学のハイムバーグらの研究によって得られました(10、図171-4)。生物のゲノムには遺伝子をコードする部分以外にも機能を持つ部分があり、そのような場所で転写されるマイクロRNA(miRNA)はメッセンジャーRNAの機能を抑制するという機能を持っていて、発生や分化など生命現象の基本的な部分にかかわっています(11)。ヤツメウナギおよび有顎脊椎動物に存在する46種類の miRNAのうち、miR-1329および miRー4541の2種類以外はすべてヌタウナギにも存在していました。そしてヤツメウナギとヌタウナギは、有顎脊椎動物にはない miR4542、miR4543、miR4544、miR4545 を持っていました。ヤツメウナギと有顎脊椎動物が共有していて、かつヌタウナギは持っていない miRNA はありませんでした。

彼らはまた miR-19に着目して、ヌクレオチドの置換状況を調べました。このマイクロRNA遺伝子にはすべての脊椎動物が持っている2つのパラログと、円口類すなわちヤツメウナギとヌタウナギだけが持つ3つめのパラログがあります(図171-4)。これらのヌクレオチド置換状況を調べると、ヤツメウナギと有顎脊椎動物が置換を共有し、ヌタウナギは共有していないという例はありませんでした。ほとんどの場合ヒトとゼブラフィッシュは置換を共有し、ヤツメウナギとヌタウナギも置換を共有しています。このような実験結果から、ヌタウナギとヤツメウナギは同じ円口類(Cyclostomata)というクレードにまとめることができることが強く示唆されました。

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図171-4 マイクロRNAパラログにみられるヌクレオチド置換

理研のグループは形態学的な解析から、デボン紀中期の化石生物 Palaeospondylus がヌタウナギの祖先生物であるとし、ヌタウナギとヤツメウナギの分岐はデボン紀初期であるという仮説を提出しています(12)。シルル紀にはもう顎と歯をもつ魚類が登場していたので、ずいぶんのんびりとした進化のように思えますが、彼らはおそらく当時からやわらかい屍体や生体にとりついて栄養分をこそぎとるという生き方をしていたので、歯や顎を使って堅いものをかみ砕いたり、運動性能を高めて餌を捕獲する必要はなかったのでしょう。その他の形態学的、遺伝学的な解析からもヌタウナギとヤツメウナギは近縁で、有顎動物(顎口類)とは別のグループとしてまとめるのが適切であり(13)、痕跡的とは言え脊椎を持つので脊椎動物には含まれるとして図171-5の新系統樹で示したような分類が妥当ということになりました。1715a

図171-5 脊索動物の新旧系統樹

余談になりますが、図171-6は私が所有している19世紀の半ば頃描かれたナメクジウオとヌタウナギの絵です。描いた人はおそらく、ナメクジウオとヌタウナギが私たちの直系祖先と深い関係があると予感していたと思います。この2種の生物はペルム紀・白亜紀の大絶滅時代を生き延びて、現在まで太古の面影を残した形態で私たちと共存しています。

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図171-6 19世紀に描かれたヌタウナギとナメクジウオ

参照

1)ウィキペディア:ヌタウナギ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%AE

2)ウィキペディア:ヤツメウナギ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%84%E3%83%A1%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%AE

3)Wikipedia: Eel
https://en.wikipedia.org/wiki/Eel

4)Ayers, H. & Jackson, C. M. Morphology of the myxinoidei. I. Skeleton and
musculature. J. Morphol. 17, 185–226 (1901)
https://www.deepdyve.com/lp/wiley/morphology-of-the-myxinoidei-i-skeleton-and-musculature-wPnh6L0XX9

5)太田欽也 ヌタウナギの発生学 (2007)
https://www.zoology.or.jp/html/04_infomembers/04_gakkaisyourei/senkoukekka/2007_ota.htm

6)Kinya G. Ota, Satoko Fujimoto, Yasuhiro Oisi & Shigeru Kuratani., Identification of vertebra-like elements and their possible differentiation from sclerotomes in the hagfish., Nature Communications vol.2, no.373, (2011) DOI: 10.1038/ncomms1355
https://www.nature.com/articles/ncomms1355.pdf

7)大石康博学位論文 ヌタウナギの頭部発生から脊椎動物の頭部形態の進化を読む
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/D1005717

8)ラブカ(古代サメ)を見る事ができる水族館の場所や値段、アクセスについて
https://hi1987.net/2019/03/17/rabuka_same/rabuka_same-3883

9)理化学研究所プレスリリース 背骨を持たない脊椎動物「ヌタウナギ」に背骨の痕跡を発見 -脊椎骨の形成メカニズムの進化について新しい仮説を提唱-
https://www.riken.jp/press/2011/20110629/index.html

10)Alysha M. Heimberg, Richard Cowper-Sal·lari, Marie Sémon, Philip C. J. Donoghue, and Kevin J. Peterson, microRNAs reveal the interrelationships of hagfish,lampreys, and gnathostomes and the nature of the ancestral vertebrate., PNAS, vol.107, no.45, pp.19379–19383 (2010)

11)ウィキペディア:miRNA
https://ja.wikipedia.org/wiki/MiRNA

12)Tatsuya Hirasawa, Yasuhiro Oisi and Shigeru Kuratani, Palaeospondylus as a primitive hagfish., Zoological Letters vol.2, no.20 (2016)
DOI 10.1186/s40851-016-0057-0

13)Naoki Irie, Noriyuki Satoh and Shigeru Kuratani, The phylum Vertebrata: a case for
zoological recognition., Zoological Letters vol.4, no.32 (2018)
https://doi.org/10.1186/s40851-018-0114-y

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