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2022年2月23日 (水)

続・生物学茶話172: ハイコウエラ

脊椎動物がカンブリア紀に生息していたかどうかという問題は、古生物学上重要な問題で永年議論されています。ハイコウエラ、ユンナノゾーン、ミロクンミンギアなどはその候補ですが、ここではとりあえずナメクジウオつながりで、ハイコウエラにフォーカスしたいと思います。ハイコウエラの化石は中国雲南省澄江(チェンジャン)で発掘されています。図172-1はグルノーブル自然史博物館所蔵のもので、多数の個体がまとまって化石となっています(1)。これは彼らが群れを作って行動していたことを示唆しています。

1体ものとしては、Palaeos Life Through Deep Time というサイトに素晴らしい化石の写真があります(2)。興味がある方は是非リンクをご覧ください。シンプルですが可愛いイラストがウィキメディアコモンズにあったので図172-1下部に貼り付けました。背中や尾の突出は魚類の鰭とは違って、筋組織が充填されている構造と考えられています。ナメクジウオと違って眼があります。

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図172-1 ハイコウエラの化石とイラスト

図172-2は古生物学者 Jun-Yuan Chen が発表したハイコウエラの解剖図です(3)。顎はありませんが、それ以外はかなり脊椎動物に近い感じのボディープランを持つ生物であったことがうかがえます。中枢神経系と鰓弓があり、プロトタイプの脊椎まであります。ヒトの背骨の役割としては 1.身体を支える(支持性)、2.神経の保護 が考えられているようですが(4)、カンブリアの海を泳いでいた彼らがなぜ脊椎を作り始めたかというのは謎です。活発に泳ぐには脊索と筋肉とひれ状の構造があれば十分で、彼らはひれは未発達だったかもしれませんが、脊索と筋肉はしっかりと保有してたと考えられます。

脊椎らしきものを彼らが作り始めたには(作り始めた者が生き残ったには)、なにか非常に重要な理由があるはずです。それは神経や神経鞘の保護のためかもしれませんが、私はひとつの仮説を考えました。カンブリア紀は多くの生物が眼を持つようになって、餌をさがして食べるというライフスタイルを持つ生物が繁栄し、毎日生活する場所が弱肉強食の戦場と化しました。こんななかで多くの弱い生物はなんらかの対策を講じました。それは敏捷に移動する、体を堅い殻で被う、棘を生やす、隠れて生活する、大量の子孫をつくる、など様々でした。ハイコウエラは体長数cmの小さな生物で、アノマロカリスなど大型の節足動物のエサとなっていても不思議はありません。それで骨を食べたアノマロカリスは、これはエサとして適切ではないと感じたのではないでしょうか? 平たくて薄い骨は刃物となってアノマロカリスの消化管を損傷したかもしれません。

現存するナメクジウオは、ハイコウエラに比べると退化していると思われる部分がありますが、そのひとつはこのプロトタイプの脊椎で、ナメクジウオではほとんど痕跡的になっています。それは彼らのライフスタイルがベントス(底生生物)に近くなったからかもしれません。ハイコウエラは真正魚類の登場によってニッチを奪われ絶滅しましたが、ナメクジウオは主に有機堆積物やプランクトンを食べるベントスに近い生活をしていたために、異なるニッチで生き残ったと考えられます。動くエサを捕らえたり、俊敏に泳いだりする機会がなければ、眼も退化してかまわなかったのでしょう。

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図172-2 ハイコウエラの体の構造

現存するナメクジウオは見た目明確に識別できる脳はありません。ただ電子顕微鏡観察や分子生物学的解析によれば、中枢神経系の一部に脳に相当する部分はあるようです(5-7、図172-3C、D)。ハイコウエラはより明確にふくらんだ脳らしきものが中枢神経の前端にあります(8、図172-3B)。これはバトラーが描いたいわゆるセファレートという脊椎動物のプロトタイプ(9、図172-3A)に似ています。前口動物と後口動物が分岐する前に脳のプロトタイプが形成されていたことが示唆されます。ナメクジウオの場合眼を使わなくなって、中枢神経系が退化したと思われます。そのかわり体中に光受容器があって眼とは全く異なる光の感知を行っているようです(10)。

図172-3の脊椎動物の脳の基本形はウィキメディアコモンズの図(11)を元に製作したもので、Telencepharon(終脳)の部分は、ハイコウエラやナメクジウオにはおそらく存在しません。それでもハイコウエラは眼をもち、エサや天敵を認識して行動していたと思われ、プロトタイプの脳を使って記憶とか意識を持って生きていたのでしょう。カンブリア紀にしてすでにエサを探して口から食べ、消化して腔門から排泄し、自在に泳いで移動し、敵が来れば逃走し、痛覚や触覚をもち、ホルモンで体調を維持し、雄雌で繁殖行動を行い、記憶や意識を持って、つまりかなりの部分私たちと同じように毎日を生きていたご先祖様がいたらしいことにはちょっと感動します。

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図172-3 ハイコウエラとナメクジウオの脳のかたち

ナメクジウオやハイコウエラのような生物から、どのように脊椎動物が分岐してきたかというのは興味深い課題です。ナメクジウオ(頭索動物)も脊椎動物も、将来皮膚となる外胚葉から神経堤が盛り上がり、その中央部(神経板)が落ち込んで神経管が形成されることに変わりはありません(12、図172-4)。しかし大きな違いは、脊椎動物の場合、神経堤の細胞が神経板とともに中胚葉に落ち込み、そこから各方面に分散して組織を形成するようになったことです。このようにもともと外胚葉性だった細胞が中胚葉細胞化することを上皮間葉転換(epithelial-mesenchymal transition=EMT)といいます(13)。

このように中胚葉化した細胞は脳や顔面の一部、神経鞘、骨格筋、平滑筋、軟骨、骨、血管壁、色素細胞、神経節、副腎髄質、その他の様々な細胞に分化し、まさしく脊椎動物において第二の発生とも言えるような構造形成を行います。そのうちのひとつが顎の形成で、頭索動物は顎の形成ができないということは、神経堤細胞が上皮間葉転換を行なわないことに起因しています(図172-4)。

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図172-4 ナメクジウオと脊椎動物の神経堤

図172-5は Meulemans と Bronner-Fraser がまとめた表(14)の一部ですが、全体的には頭索動物(Amphioxus)と脊椎動物で明らかに類縁関係が認められます。特に神経板に発現している因子はほとんど同じなので、中枢神経系の形成については特に強いホモロジーが認められます。大きく異なるのは、頭索動物の場合神経堤が形成されてもそれが神経管だけに分化し、中胚葉系細胞への分化を行わないことで、それと関連して Fox をはじめとするさまざまな転写因子の発現がありません。このあたりが脊椎動物への進化の鍵になっています

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図172-5 表皮・神経堤・神経管形成に関連するシグナルと転写制御因子

 

参照

1)File:Haikouella lanceolata Museum Grenoble 03082017.jpg (from Wikimedia Commonds)
http://palaeos.com/vertebrates/chordata/haikouella.html

2)Palaeos Life Through Deep Time. Chordata : Chordata (3), Haikouella lanceolata.
http://palaeos.com/vertebrates/chordata/haikouella.html

3)Jun-Yuan Chen, The sudden appearance of diverse animal body plans during the Cambrian explosion., Int. J. Dev. Biol. 53: 733-751 (2009) doi: 10.1387/ijdb.072513cj
http://www.ijdb.ehu.es/web/paper.php?doi=072513cj

4)特定非営利活動法人 兵庫脊椎脊髄病医療振興機構 せぼねの豆知識
http://hosd.or.jp/tips

5)デンジソウ 遺伝子で脳の進化を探る-形の進化とゲノムの変化―ナメクジウオが教えてくれること
http://denjiso.net/?p=12150

6)Èlia Benito-Gutiérrez et al., The dorsoanterior brain of adult amphioxus shares similarities in expression profile and neuronal composition with the vertebrate telencephalon. BMC Biol vol.19(1): no.110 (2021) doi: 10.1186/s12915-021-01045-w.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8139002/pdf/12915_2021_Article_1045.pdf

7)Jun-Yuan Chen, Early Crest Animals and the Insight They Provide Into theEvolutionary Origin of Craniates., Genesis vol.46, pp.623-639 (2008)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/epdf/10.1002/dvg.20445

8)Todd E. Feinberg and Jon Mallatt, The evolutionary and genetic origins of consciousness in the Cambrian Period over 500 million years ago., Frontiers in Psychology vol.4, article 667 (2013)
https://www.researchgate.net/publication/257600431

9)Ann B. Butler, Chordate evolu-tion and the origin of craniates:an old brain in a new head. Anat.Rec. vol.261, pp.111–125. (2000)
https://web.mit.edu/~tkonkle/www/BrainEvolution/Meeting1/Butler%202000%20AnatRecord.pdf

10)窪川かおる ナメクジウオの生物学 The Journal of reproduction and development., vol.47, no.6 (2001)
http://reproduction.jp/jrd/jpage/vol47/470603.html

11)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:EmbryonicBrain.svg

12)Linda Z. Holland, The origin and evolution of chordate nervous systems., Phil. Trans. R. Soc. B 370: 20150048. (2015)
http://dx.doi.org/10.1098/rstb.2015.0048

13)脳科学辞典:神経堤
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%A0%A4

14)Daniel Meulemans and Marianne Bronner-Fraser, Gene-Regulatory Interactions Review in Neural Crest Evolution and Development., Developmental Cell, Vol. 7, pp.291–299, (2004)
https://core.ac.uk/reader/82595000

 

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