続・生物学茶話163:ヘッジホッグ
ひとつの細胞=卵から、ありとあらゆる体の細胞が正しいタイミング、正しい位置に形成されるというのは生物学における最大の謎でしたが、初期発生におけるそのメカニズムの基本的な部分はエドワード・ルイス、エリック・ヴィーシャウス、クリスティアーネ・ニュスライン=フォルハルトが中心となって、20世紀のうちに解明されました(1)。
彼らはショウジョウバエにランダムに変異を誘導し、形態が異常になった個体の遺伝子を調べることによって初期発生に関与する遺伝子を同定し、それらに機能や動作のヒエラルキーがあることを解明しました。もちろん彼ら以外にも多くの研究者達が貢献していますが、その結果を図163-1に示しました。先鞭をつけたルイスはトーマス・ハント・モーガンの弟子であるスターティヴァントの弟子であり、モーガンの孫弟子ということになります。ルイスは発生遺伝学以外にも、広島・長崎における原爆被害を調査するという仕事もやっており、放射線の影響に閾値はなくリニアであるという放射線生物学の基本的なセオリーを提唱しました(2)。
エリック・ヴィーシャウスとクリスティアーネ・ニュスライン=フォルハルトはハイデルベルクで共同で研究室を立ち上げ、約2万のショウジョウバエ変異種を分離して、そのなかから初期発生に関与する遺伝子のミュータント120をみつけ、さらにその中から分節形成に関与する15の遺伝子を同定しました(3、図163-1)。彼らはルイスと共に、1995年度のノーベル生理学医学賞を受賞しました。
図163-1 形態形成遺伝子とその発見者達
ルイスが使った実験動物はショウジョウバエでした。発生学の研究はウニ・カエル・ニワトリ・マウスなどが中心だったので、当初ルイスの仕事は軽視されていたようなのですが(2)、生物にとって基本的な遺伝子であればあるほど共通性は高く、ひとつの種で同定されればその相補性配列を使って遺伝子の海から類似遺伝子を釣り上げることができますし、全ゲノム配列が解明されれば、コンピュータでこの操作を行うこともできます。ルイスの仕事は彼が高齢になった頃には非常に注目されることになりました。
ニュスライン=フォルハルトとヴィーシャウスはショウジョウバエ幼虫の表面の剛毛が正しい位置に配置されず、体表全体にはえてきてハリネズミのようになってしまう変異体をみつけ、それにヘッジホッグ(ハリネズミ)という名前をつけました(3)。これと相同な遺伝子は脊椎動物でもみつかりました(4)。類似した遺伝子を哺乳類で探すと、ショウジョウバエではこの種の遺伝子がひとつしかないのに3つみつかりました。哺乳類ではデザート・ヘッジホッグ(dhh)、インディアン・ヘッジホッグ(ihh)、ソニック・ヘッジホッグ(shh)の3種類のヘッジホッグがそれぞれ別の遺伝子にコードされています(5)。インガムとマクマホンは様々な生物で、hhがどのように変化してきたかを調査しました(6)。その結果が図163-2です。脊椎動物以前では1系統、以降では3系統となっていることがわかります。ゼブラフィッシュはdhhの系統を失った代わりに、他の2系統のバラエティーを増やしました(図163-2)。
哺乳類ではshhを中枢神経系誘導や四肢の発生など非常に重要なプロセスで利用していますが、ショウジョウバエのヘッジホッグと最も類似しているのはdhhだそうです(5)。ヘッジホッグと類縁のタンパク質は扁形動物(7)や刺胞動物(8)にも報告されていますが、襟鞭毛虫にもその萌芽が見られる(9)ということで、メタゾアを越えたユニバーサリティーと悠久の歴史を持つファミリーだとされています。なんと細菌まで遡れるという報告もあります(10、11)。
図163-2 ヘッジホッグ遺伝子進化の系譜
ヘッジホッグシグナルの伝達経路はロハジやジョンらの研究によって大筋が明らかになりました(12-14、図163-3)。ヘッジホッグ分泌細胞によって合成されたヘッジホッグはペプチダーゼドメインを持っていて、自己切断によってシグナルドメインが切り離されます(14)。シグナルドメインのN末をパルミトイル化、C末をコレステロール化してリガンドとしての形をととのえ、膜タンパク質の Dispatched によって細胞外に放出されます。
ヘッジホッグリガンドは標的細胞の膜12回貫通タンパク質である Patched 受容体に結合し、この受容体による Smoothened (SMO、膜7回貫通タンパク質) の抑制がはずれてSMOが活性化し、その結果転写因子 Ci/Gli が分解を免れ、完全な形で機能して標的細胞の転写を活性化するというメカニズムが報告されています(5、12-15)。Patched による抑制が外れるとSMOはダイマー化するようです(15)。SMOはGタンパク質共役受容体(GPCR)なので、これだけではなく、より複雑なかかわりをしていることが予想されます(16)。ソニックヘッジホッグ(shh)は中枢神経の誘導のみならず、脳神経系においてさまざまな働きをしています(17)。
図163-3 ヘッジホッグシグナルのメカニズム
ヘッジホッグリガンドが形成されるまでのプロセスはほぼ解明されています。図163-4にソニックヘッジホッグの前駆体がリガンドになるまでの概要とパルミトイル化の反応、図163-5に自己切断とコレステロール化の反応について示しました。
図163-4 ヘッジホッグタンパク質のプロセッシング、N末の修飾
図163-5 ヘッジホッグタンパク質のプロセッシング、C末の修飾
ヘッジホッグ前駆体はまずシグナルペプチダーゼによってN末側の一部が削られ、さらに前駆体自身のC末ドメインによってセルフプロセッシングが図163-4のように行われ、C末側が切り離されると共に、新しいC末にコレステロールが付加されます。N末側はヘッジホッグアセチルトランスフェラーゼによってパルミトイル化されます(図163-5)。このようなプロセスを経てリガンドとして成熟します(14、18)。
ソニックヘッジホッグとは奇妙な名前です。セガメガドライブのゲームに Sonic the hedgehog というのがあるらしいですが、この因子の研究者である Robert Riddle が好きだったようで、そう名付けたようです(19、20)。デザートヘッジホッグとインディアンヘッジホッグは、そのような名前のハリネズミが実際に存在していて、そこから命名されました。 ソニックヘッジホッグの場合KOマウスは胎生9.5日で死亡しますが、デザートヘッジホッグのKOマウスは生き残ります。ただし生殖器や精子の形成がうまくいかないようです。またインディアンヘッジホッグのKOマウスは約半数が出産時まで生き残りますが、その後呼吸器官の欠陥のためにすべて死亡します(21)。
ウィキペディアのヘッジホッグの写真がとても可愛いので、図163-6にコピペしました。
図163-6 3種のヘッジホッグ 名前の由来
ハリネズミはセンザンコウなどと違って、毛がすべて別物に置き換わったのではなく、針以外の普通の毛も持っています。体毛以外に感覚毛(ひげ)も見えます。この写真ではデザートヘッジホッグは白ひげで、インディアンヘッジホッグは黒ひげです。余談ですが、ニシナサチコ著「ハリネズミ・トントが教えてくれたこと」(KKベストセラーズ)を読むと、ハリネズミがどんな動物かよくわかります。
参照
1)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1995 NobelPrize.org.
9 October 1995 Press Release
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1995/summary/
2)Wikipedia:Edward B. Lewis
https://simple.wikipedia.org/wiki/Edward_B._Lewis
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_B._Lewis
3)Christiane Niisslein-Volhard & Eric Wieschaus, Mutations affecting segment number and polarity in Drosophila., Nature vol.287 pp.795-801, (1980)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/6776413/
http://dosequis.colorado.edu/Courses/MethodsLogic/papers/NussleinVolhardWieschaus1980.pdf
http://dosequis.colorado.edu/Courses/MethodsLogic/Docs/VolhardWieschaus.pdf
4)Krauss, S., Concordet, J.P., & Ingham, P.W. (1993).
A functionally conserved homolog of the Drosophila segment polarity gene hh is expressed in tissues with polarizing activity in zebrafish embryos. Cell, 75(7), 1431-44.
5)ウィキペディア:ヘッジホッグシグナル伝達経路
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%B7%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%AB%E4%BC%9D%E9%81%94%E7%B5%8C%E8%B7%AF
6)Philip W. Ingham, and Andrew P. McMahon, Hedgehog signaling in animal development: paradigms and principles., Genes & Dev., vol.15: pp.3059-3087 (2001) doi: 10.1101/gad.938601
http://genesdev.cshlp.org/content/15/23/3059.long
7)Shigenobu Yazawa, Yoshihiko Umesono, Tetsutaro Hayashi, Hiroshi Tarui, and Kiyokazu Agata, Planarian Hedgehog/Patched establishes anterior–posterior polarity by regulating Wnt signaling., Proc Natl Acad Sci USA, vol.106 no.52 pp.22329 –22334 (2009)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2799762/
8)David Q. Matus, Craig Magie, Kevin Pang, Mark Q Martindale, and Gerald H. Thomsen, The Hedgehog gene family of the cnidarian, Nematostella vectensis, and implications for understanding metazoan Hedgehog pathway evolution., Dev Biol, vol.313(2): pp.501–518 (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2288667/
9) Philip W. Ingham, Yoshiro Nakano, and Claudia Seger, Mechanisms and functions of Hedgehog signalling across the metazoa., Nature Reviews, Genetics, vol.12, pp.393-406 (2011)
https://www.academia.edu/13366145/Mechanisms_and_functions_of_Hedgehog_signalling_across_the_metazoa
10)Hausmann G, von Mering C, Basler K., The Hedgehog Signaling Pathway: Where Did It Come From? PLoS Biol 7(6): e1000146.
https://doi.org/10.1371/journal.pbio.1000146
11)Henk Roelink, Sonic Hedgehog Is a Member of the Hh/DD-Peptidase Family That Spans the Eukaryotic and Bacterial Domains of Life., J. Dev. Biol. vol.6, pp.12-23. (2018) doi:10.3390/jdb6020012
12)Rajat Rohatgi and Matthew P Scott., Patching the gaps in Hedgehog signalling.,
Nat Cell Biol vol.9(9): pp.1005-1009. (2007) doi: 10.1038/ncb435.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/17762891/
13)Rajat Rohatgi, Ljiljana Milenkovic, Ryan B Corcoran, Matthew P Scott., Hedgehog signal transduction by Smoothened: pharmacologic evidence for a 2-step activation process.,
Proc Natl Acad Sci USA vol.106(9): pp.3196-3201.(2009) doi: 10.1073/pnas.0813373106.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19218434/
14)Juhee Jeong, Andrew P. McMahon, Cholesterol modification of Hedgehog family proteins., J Clin Invest. 2002;110(5):591-596. https://doi.org/10.1172/JCI16506.
https://www.jci.org/articles/view/16506/figure/1
15)Jie Zhang, Zulong Liu and Jianhang Jia., Mechanisms of Smoothened Regulation in Hedgehog Signaling., Cells, vol.10, 2138. (2021)
https://doi.org/10.3390/cells10082138
16)A. H. Polizio, P. Chinchilla, X. Chen, D. R. Manning, N. A. Riobo, Sonic Hedgehog Activates the GTPases Rac1 and RhoA in a Gli-Independent Manner Through Coupling of Smoothened to Gi Proteins. Sci. Signal., vol.4, pt7 (2011) DOI: 10.1126/scisignal.2002396
https://europepmc.org/article/PMC/5811764
17)脳科学辞典:ソニック・ヘッジホッグ
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%B0
18)John A. Buglino and Marilyn D. Resh, Palmitoylation of Hedgehog Proteins., Vitam Horm. vol.88: pp.229–252. (2012) doi: 10.1016/B978-0-12-394622-5.00010-9
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4214369/
19)Wikipedia: Sonic hedgehog
https://en.wikipedia.org/wiki/Sonic_hedgehog
20)Sonic games
https://www.allsonicgames.net/
https://www.allsonicgames.net/sonic-the-hedgehog.php
21)Noriaki Sasai, Michinori Toriyama and Toru Kondo, Hedgehog Signal and Genetic
Disorders., frontiers in Genetics., Volume 10, Article 1103 (2019)
doi: 10.3389/fgene.2019.01103
| 固定リンク | 0
「生物学・科学(biology/science)」カテゴリの記事
- 続・生物学茶話253: 腸を構成する細胞(2024.12.01)
- 続・生物学茶話252: 腸神経(2024.11.22)
- 続・生物学茶話251: 求心性自律神経(2024.11.14)
- 続・生物学茶話250: 交感神経と副交感神経(2024.11.06)
- 自律神経の科学 鈴木郁子著(2024.10.29)
コメント