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2021年7月15日 (木)

続・生物学茶話150: グリシン その1 神経伝達物質としてのグリシン

グリシンはGABAと共に、哺乳類の成体中枢神経系における代表的な抑制型神経伝達因子ですが、NMDA型グルタミン酸受容体においてグルタミン酸と共同リガンドとして脱分極を促進する働きもあります(1)。後者はグルタミン酸のところで扱うことにします。いままでみてきたように、神経伝達物質は一筋縄ではいきません。

グリシンがイオンチャネルであるグリシン受容体と結合すると、アニオンチャネルが開き、細胞外から塩素が細胞内に流入するので、シナプス後細胞が過分極状態になって興奮(発火)しにくくなります(2)。このことは現在では誰もが認める事実ですが、なにしろグリシンは図150-1に示すように、生体内のアミノ酸の中では、光学異性体も存在しないという最もシンプルな構造の化合物です。このような何の変哲もないありふれた物質が神経伝達物質として機能するとは、研究者も含めて多くの人々にとって意外なことだったと思います。グリシンは必須アミノ酸ではなく、図150-1のようにセリンから合成されますが、この経路は双方向性でセリンについての教科書の記述でも、セリンは必須アミノ酸ではなくグリシンから合成されると書いてあります。結局どちらも必須アミノ酸のようなものでしょう。グリシンはさまざまなタンパク質の構成要素ですが、特にコラーゲンには大量に含まれています。

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図150-1 グリシンの分子構造と生合成

グリシンがGABAと同じく抑制性の神経伝達物質であることは、ワーマン、アプリソンらによって1967年に報告されました(3-5、図150-2)。アプリソンの肖像写真は古めかしいものしか見つからず、ワーマンの写真に至っては残念ながらみつかりませんでしたので、かわりに著書の写真を示しておきます。ワーマン(ウィアマンと発音するのかもしれません)はこの研究を行った後、イスラエルのヘブライ大学などで研究を続けましたが政治にも関心があり、「Notes from a sealed room, An Israel view of the Gulf War」という湾岸戦争についての考察を本にして出版しています。また退職後は現代版養生訓のような 「Living with an Aging Brain: A self-help guide for your senior years」という本も出版しています(6、7)。

アプリソンもユダヤ系ですが、彼は米国でずっと仕事をした研究者です。自伝を出版しているので(8)、それをたどると彼の父親はオーストリアからの移民で故国では優秀な大工だったのですが、欧州での反ユダヤを嫌って米国に移住したら、そこでも1920年代に猖獗した反ユダヤ主義によって仕事を失い、雑貨屋で生計を立てて子供を育てたそうです。現在の米国をみている私たちからすると理解できないことなので、米国の反ユダヤ主義とは何だろうと思って少し調べてみると、ひとつはロシア革命がトロツキーらのユダヤ人による陰謀であるとの流言や、米国内での労働争議が主にユダヤ人によって主導されていたことに対する反発などがあったようです。

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図150-2 アプリソンとワーマン

アプリソンはウィスコンシン大学で修士号を取得しましたが、彼が興味を持った生物物理学のドクターコースはなかったので、仕方なく印刷物関連の研究所で新聞のカラー化などについての研究を行っていました。しかしウィスコンシン大学からヒストラジオグラフィー(生体組織を感光剤に埋めて、外部からX線を照射することによって組織の成分を分析する)の装置を作る手伝いをしてくれと要請されて転職し、彼の生化学者としてのキャリアがはじまりました。結局彼はなぜか植物の窒素固定の研究を行なうことになり、ウィスコンシン大学ではじめての生化学分野での博士号を1952年に取得しました。

ところが博士号取得後、本来植物生化学者になるはずだった彼がヒムウィッチ博士から誘われたのは精神病の研究をしないかという仕事で、全く畑違いのそのポジションを受けたことがその後の成功の端緒となりました。人生のターニングポイントはどこにあるかわかりません。その後ワーマンという良き共同研究者を得て、前記のようなグリシンが抑制性神経伝達物質であるという驚くべき結果にたどりつきました(8)。受容体もGABAのところですでに登場したハインリッヒ・ベッツによって精製され(9、10)、現在ではこの事実を疑う人はいません。

まずグリシンの情報を受け取る受容体ですが、その実体はGABA受容体とよく似ていることがわかっています。すなわち図150-3に示したように、Cysループ受容体ファミリーの4回膜貫通型タンパク質が5分子集合して中央をイオンが通過する塩素イオンチャネルを形成し、グリシンが結合するとチャネルが解放されて過分極がおこるという仕組みです(11)。図ではα2β3の構成がしめしてありますが、α5などの場合もあります。またαには1~4の異なる分子種があることがしられていますが、それは次のセクションで扱います。

GABAの場合、受容体に結合して機能を阻害する化学物質としてベンゾジアゼピンが有名ですが、グリシン受容体の場合ストリキニーネが結合してアンタゴニストとして作用します。ストリキニーネはマラリアの特効薬であるキニーネとは何の構造関連性もない別化合物であり、マチンという植物の種にある強い毒薬です(横溝正史の作品「八つ墓村」では即効性の毒薬として使われています)。

以前はGABAは大脳を含む広い範囲での中枢神経系で作用し、グリシンはおもに脊髄や延髄で作用すると考えられていましたが、現在ではグリシン作動性シナプスは 1)脳幹や脊髄において呼吸や歩行などリズムを持つ運動の制御や、驚愕反射の抑制に関与する 2)大脳新皮質、扁桃体、海馬、網膜など様々な中枢神経領域にグリシン 受容体が存在し神経回路の興奮性を調節している 3)、大脳側坐核のグリシン受容体がアルコールやニコチンへの依存性形成に関与する など中枢神経系でも重要な役割を果たすことが示唆されています(12)。

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図150-3 グリシン受容体の構造

最近ではクライオ電子顕微鏡の技術を用いて超低温で資料を観察する方法が発達し、グリシン受容体の立体構造が高い解像度で報告されています(13、図150-4)。グリシンの結合位置などもX線結晶構造解析法などにより解析が進められています(14)。

図150-4をみると、細胞外の部分が巨大で頭でっかちな受容体の構造にみえます。もちろんイオンチャネル型の受容体なので、細胞内に複雑な構造が存在する必要はありません。Cysループ受容体ファミリーは一般にそのような傾向にありますが、グリシン受容体の場合、ニコチン性アセチルコリン受容体(15)よりもさらにアンバランスに見えます。グリシンというありふれたリガンドを特異的に結合させるには、それなりの複雑な仕掛けが必要だったのでしょうか。

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図150-4 グリシン受容体の分子モデル

他の神経伝達物質と同じく、グリシンにもトランスポーターが存在し、シナプス前細胞にグリシンを集積したり、シナプス間隙にあるグリシンを回収したりする仕事を行っています。GlyT1は主にシナプス近傍のグリア細胞に発現し、神経伝達終了後の余剰グリシンの回収にあたり、GlyT2はシナプス前細胞でグリシンの集積を行っています(16、17、図150-5)。図150-5は参照文献16の図を改変して表示しました。

グリシントランスポーターはGABAトランスポーターと同じく、Na+/Clー依存性トランスポーターファミリーに所属し、C末・N末ともに細胞内にある12回膜貫通型のタンパク質です。(16)。

GlyT2によって細胞に取り込んだり細胞内で生合成したりしたグリシンを神経伝達物質として使う際には、それをシナプス小胞にとりこまなければいけませんが、この仕事はGABAの小胞トランスポーターが兼業でやってくれることがわかっています(18)。ですからもとは vesicular gaba transporter (GAT)と呼ばれていたものが、vesicular inhibitory amino acid transporter(VIAAT)と改名されました。

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図150-5 グリシントランスポーターとVIAAT

参照

1)ウィキペディア:NMDA型グルタミン酸受容体
https://ja.wikipedia.org/wiki/NMDA%E5%9E%8B%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%B3%E9%85%B8%E5%8F%97%E5%AE%B9%E4%BD%93

2)脳科学辞典:グリシン受容体
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%B3%E5%8F%97%E5%AE%B9%E4%BD%93

3)Graham LT Jr, Shank RP, Werman R, Aprison MH. Distribution of some synaptic transmitter suspects in cat spinal cord: Glutamic acid, aspartic acid, gamma-aminobutyric acid, glycine, and glutamine. J Neurochem, vol.24: pp.467-472.(1967)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6022905

4)Aprison MH, Werman R. A combined neurochemical and neurophysiological approach to the identification of CNS transmitters. In Ehrenpreis S, Solnitzky OC, eds. Neuroscience research. New York: Academic Press, vol.2: pp.143-174. (1968)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/4152429

5)Aprison MH. The discovery of the neurotransmitter role of glycine. In Ottersen OP, Storm Mathisen J, eds. Glycine neurotransmission. Chichester, UK: Wiley, Chapter 1: pp.1-23.(1990)

6)Robert Werman, Notes from a Sealed Room: An Israeli View of the Gulf War.,
Southern Illinois Univ Press (1993)
https://www.amazon.co.jp/Notes-Sealed-Room-Israeli-View/dp/080931830X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=robert+werman&qid=1561257416&s=english-books&sr=1-1

7)Robert Werman, Living with an Aging Brain: A self-help guide for your senior years., Freund Publishing House Ltd., Tel Aviv (2003)
https://books.google.co.jp/books?id=wsu3hQ_meTQC&pg=PR9&lpg=PR9&dq=robert+werman&source=bl&ots=bY8YN0lILc&sig=ACfU3U2AS5_DabYtchdllYmPTRwJo75Gvw&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjOqvPzyf7iAhWSHqYKHW38Cy04ChDoATAHegQICRAB#v=onepage&q=robert%20werman&f=false

8)L.R.Squire ed., The History of Neuroscience in Autobiography. vol.3, Morris H. Aprison pp.2-37, Academic Press (2001)
file:///C:/Users/User/Desktop/グリシン/c1.pdf

9)Grenningloh G, Gundelfinger ED, Schmitt B,Betz H, Darlison MG, Barnard EA, Schonfield PR, Seeburg PH., Glycine vs GABA receptors. Nature vol.330: pp.25-26.(1987)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2823147

10)続・生物学茶話148: GABA その2 GABAA受容体
http://morph.way-nifty.com/grey/2021/06/post-f96187.html

11)Silke Haverkamp, Glycine Receptor Diversity in the Mammalian Retina by Silke Haverkamp., Web vision, The Organization of the Retina and Visual System.
https://webvision.med.utah.edu/book/part-iv-neurotransmitters-in-the-retina-2/glycine-receptor-diversity-in-the-mammalian-retina/

12)荻野一豊 グリシン作動性シナプスを増強するシグナル経路の同定 上原記念生命科学財団研究報告集, 32 (2018)
file:///C:/Users/User/Desktop/グリシン/ogino%20121_report.pdf

13)Du J, Lu W, Wu S, Cheng Y, Gouaux E., Glycine receptor mechanism elucidated by electron cryo-microscopy.Nature., vol.526(7572): pp.224-229. doi: 10.1038/nature14853.(2015)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26344198

14)Mieke Nys et al., Allosteric binding site in a Cys-loop receptor ligand-binding domain unveiled in the crystal structure of ELIC in complex with chlorpromazine., PNAS October 25, vol.113 (43) E6696-E6703; (2016)
https://www.pnas.org/content/113/43/E6696

15)宮澤淳夫・藤吉好則、ニコチン性アセチルコリン受容体の構造と機能、蛋白質 核酸 酵素 vol.49 no.1, pp.1-10 (2004)

16)Robert J. Harvey et al., A critical role for glycine transporters in hyperexcitability disorders., Front. Mol. Neurosci., 28 March (2008)
https://doi.org/10.3389/neuro.02.001.2008

17)茂里康、島本啓子,抑制性神経伝達物質トランスポーターの薬理学、日薬理誌(Folia Pharmacol. Jpn.)vol.127,pp.279~287(2006)
file:///C:/Users/User/Desktop/グリシン/抑制性神経伝達物質トランスポーターの薬理学.pdf

18)続・生物学茶話149: GABA その3 GABAB受容体
http://morph.way-nifty.com/grey/2021/07/post-8e7747.html

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