続・生物学茶話147: GABA その1
脳科学へのエントランスとしてここしばらく神経伝達物質を取り上げていますが、これまでにアセチルコリンとモノアミン類を概観してきました。今回からアミノ酸関連因子に進みます。図147-1に出てくるグルタミン酸とγ-アミノ酪酸はどちらもアミノ酸系神経伝達因子を代表するものです。γ-アミノ酪酸=γ-amino butyric acid はその頭文字をとってGABAという略称がよく使われます。
グルタミン酸はタンパク質を構成するアミノ酸のひとつであり、GABAはタンパク質の構成要素ではありませんがグルタミン酸からワンステップの酵素反応(図147-1)で生合成される分子で、両者とも細菌・古細菌・真核生物の3つの生物界(ドメイン)で共有されている化合物です(1)。したがって神経伝達物質として多細胞生物が発明した分子ではなく、当初は細菌などがモノアミンなどと同様に細胞内のpH調節を行うなどの役割を果たしていたと思われます(2)。なかには枯草菌やアカパンカビのように胞子形成に利用している生物もいます(3、4)。真核生物は他の神経伝達物質と同様、従来から存在した分子を神経伝達に流用したことになります。
GABAはグルタミン酸からグルタミン酸脱炭酸酵素(GAD=L-glutamic acid decarboxylase)によって産生されます(図147-1)。材料のグルタミン酸は細胞外からグルタミン酸トランスポーターを用いて取り込む場合と、細胞内でTCAサイクルの α-ケトグルタル酸から合成する場合があります。GADにはふたつのアイソフォーム(GAD65,GAD67)があり、GAD67が細胞質全体に存在するのに対してGAD65は神経終末部に豊富に存在することから、GAD65が抑制性シナプス伝達を担うGABA合成に主として関与すると考えられています(5)。
図147-1 GABAの生合成
タンパク質の構成要素となるアミノ酸はαの位置にアミノ基がありますが、GABAの場合図147-1のようにγの位置にアミノ基があります。したがってGABAはタンパク質の構成要素としてのアミノ酸ではありません。
GABAの発見者はアッカーマンという人で、細菌による腐敗の結果生ずるものと報告されているそうです(6)。GABAがマウスの脳に存在することを示したのはユージン・ロバーツです(図147-2、7、8)。
図147-2 ユージン・ロバーツ
ロバーツは自伝を書いていますので(7)、少し彼の人生をたどってみましょう。ユージン・ロバーツは1920年に黒海沿岸で生まれましたが、1917年にロシア革命が勃発し、いわゆるブルジョアジーだった彼の一家は1922年にラトヴィア経由で、親戚を頼って米国のデトロイトに移住しました。彼は高校時代にアンドレという女性教師に実験室を自由に使わせてもらってゾウリムシの研究を行い、それが生物学へ傾倒するきっかけとなったそうです。高校教師も科学の進歩に関係がないわけではありません。
彼はウェイン州立大学を卒業後、ミシガン大学で学位をとりましたが、太平洋戦争中ということもあって、学位取得前からニューヨークのロチェスター大学でマンハッタンプロジェクトに参加し、ウラニウムのダストをどのくらい吸い込むと危険かという研究に携わりました。
戦後の1949年になって、彼は2次元ペーパークロマトグラフィーの技術を使って、脳に大量のGABAが存在することを発見しました。これは「正常細胞とがん細胞で、フリーのアミノ酸の含量に差があるかどうか調べる」という目的の研究の副産物として発見されました。「目的指向的研究をやれ」とよく役人やその尻馬に乗る人々が言うわけですが、実際には所期の目的とは「はずれた」副産物の方が重要だったということはよくあることです。テクノロジーの進化には目的指向をはっきりさせることが大事かもしれませんが、サイエンスにとって多くの場合、当初の研究目的はきっかけに過ぎません。
脳にGABAが存在するという研究結果は、1950年に共同研究者のサム・フランケルと共に発表し、論文にもまとめました。同じ年に Udenfriend(9)と、Awaparaのグループ(10)も同様な結果を発表していますが、前者はロバーツからサンプルの提供を受けて、ラジオアイソトープを使った別法で成分を確認したものです。後者はプライオリティーの点でやや遅れをとったとみなされています(11)。ただアワパラ側がどう考えていたのかについては情報が得られなかったので、本当のところはわかりません。
発表後ロバーツはアッカーマンから祝福の手紙を受け取ったそうです(7)。アッカーマンがGABAを発見してから40年が経過しているので、もうリタイアしていたと思いますが、心温まるエピソードだと思います。その後ロバーツのグループは精力的に研究をおこない、GABAがほ乳類の脳における主要な抑制性神経伝達因子であることを示すうえで大きな貢献をしました。現在では脳のニューロンのうち約30%がGABAタイプ(ギャバージック)の抑制性ニューロンであることが知られていますが(12)、そもそも抑制性ニューロンなどというものがあることは誰が発見したのでしょうか?
最初に抑制性神経伝達の存在に気づいたのは、ロシアの「生理学および科学的心理学の父」といわれるセチェノフでした。彼はカエルの脊髄反射は脳を除去することによって促進され、脳を刺激することによって抑制されることを報告しました(13、14、図147-3)。まだ19世紀なかばの頃です。脳を科学的に考えるにはあまりに時期が早かったため、唯物論を広めキリスト者としてのモラルを低下させたかどで、迫害されたこともあったようです(15)。条件反射などの研究で1904年にノーベル生理学医学賞を受賞したパヴロフも、もともとの定義に反することであっても、後に反射に脳がかかわっていることを認めて報告しています(16)。
英国の生理学者シェリントン(図147-3)は膝蓋反射のように感覚神経と運動神経が単純に反応するような反射もあるが、ひっかき反射(17)などでは、感覚神経・運動神経以外の神経、すなわち複数のシナプスがかかわっていることを示しました。すなわち犬の肩をこすると、こすった側の後ろ足の屈筋が刺激されますが、同時に伸筋は抑制されるのです(18)。このことは抑制性の神経系の存在を強く示唆するものです。これらの業績によって、シェリントンは1932年にノーベル生理学医学賞を受賞しました。
図147-3 抑制性神経系の発見
その後グルタミン脱炭酸酵素(GAD=L-glutamic acid decarboxylase)の抗体を用いて、GABAを産生する細胞を同定する試みは、ロバーツを含む多くの研究者によって、徹底的に行われました(19、20)。文献20によると、GADが局在する場所は、cerebellum(小脳), spinal cord(脊髄), retina(網膜), habenula(手綱), olfactory bulb(嗅球), substantia nigra(黒質), corpus striatum(線状体), red nucleus(赤核), arcuate nucleus(視床下部弓状神経核),lateral cervical nucleus, tuberomammillary nucleus(結節乳頭体神経核), cochlear nucleus(蝸牛神経核), vestibular nuclei(前庭神経核), dorsal column nuclei(後索神経核), nucleus reticularis thalami(視床網様体神経核), globus pallidus(淡蒼球) and nucleus entopeduncularis(脚内神経核), visual cortex(視覚野), dentate gyrus(歯状回), superior colliculus(上丘), sensory-motor cortex(感覚運動皮質), septal area(中隔野), hypothalamus(視床下部), hippocampus(海馬), geniculate complex(膝状複合体), and nucleus tractus solitarii(孤束神経核)と広汎にわたっています。
これらの多くは後に学んでいくことになると思いますが、とりあえず大脳基底核周辺における GABAergic な伝達系を図147-4に示します(21)。GABA系細胞が集積する線状体から淡蒼球や黒質に情報が投射していることが示されています(赤矢印)。ここから視床を介して大脳皮質に連絡します。抑制性の神経細胞は、自身が抑制性の神経細胞とシナプスをつくると、シナプス後細胞による抑制作用を抑制することになり、結果的に促進細胞に変身することもあり得ます。
図147-4 GABA系神経細胞が集積するヒト脳線条体からの神経伝達
GABA作動性シナプス周辺の模式図を図147-5に示しました(22)。シナプス前後細胞の他にアストログリア細胞が描いてありますが、これはシナプス周辺のアストログリア細胞がグルタミンをシナプス前細胞に供給するという役目を担っているからです。この細胞はさらにシナプス間隙から過剰なGABAを回収してグルタミンに変換することもできます。アストログリア細胞からグルタミンを受け取ったシナプス前細胞は、リン酸活性化グルタミナーゼ=PAG(phosphate-activated glutaminase)という酵素を使ってグルタミンからグルタミン酸を合成し(グルタミン+水 → グルタミン酸+アンモニア)、その後は図147-1のようにGABAを合成します。GABAの受容体やトランスポーターについては後のセクションで取り扱います。
図147-5 GABA系神経細胞シナプス周辺
参照
1)Radhika Dhakal, Vivek K. Bajpai, Kwang-Hyun Baek, Production of GABA (γ - aminobutyric acid) by microorgamisms: A review, Brazilian Journal of Microbiology: vol.43(4), pp.1230-1241 (2012) doi: 10.1590/S1517-83822012000400001.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24031948/
2)Castanie-Cornet, M. P.; Smith, T. A. D.; Elliott, J. F.; Foster, J. W., Control of acid resistance in Escherichia coli. J. Bacteriol. vol.181, pp.3525-3535, (1999)
https://journals.asm.org/doi/full/10.1128/JB.181.11.3525-3535.1999
3) Foester, C. W.; Foester, H. F., Glutamic acid decarboxylase in spores of Bacillus megaterium and its possible involvement in sporegermination. J. Bacteriol. vol.114, pp.1090-1098.(1973) DOI: 10.1128/jb.114.3.1090-1098.1973
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/4197264/
4)Foester, H.F., G-aminobutyric acid as a required germinant for mutant spores of Bacillus megaterium. J. Bacteriol. vol.108 pp.817-823. (1971) DOI: 10.1128/jb.108.2.817-823.1971
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/5001872/
5)脳科学辞典 GABA
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/GABA
6)Ackermann, D. Uber ein neues, auf bakteriellem Wege gewinnbares Aporrhegma. Z. Physiol. Chem. vol.69, pp.273-281. (1910)
https://www.degruyter.com/document/doi/10.1515/bchm2.1910.69.3-4.273/html
7)Eugene Roberts (autobiography), in "The History of Neuroscience in Autobiography" vol.2, Ed.Larry R. Squire, Academic Press (1998)
file:///C:/Users/User/Desktop/GABA/Eugene%20Roberts.pdf
8)Roberts, E. and Frankel, S. γ-Aminobutyric acid in brain: Its formation from glutamic acid. Journal of Biological Chemistry vol.187: pp.55-63,(1950)
http://www.scholarpedia.org/w/images/2/29/GABA_abstract.jpg
9)Udenfriend, S. Identification of gamma-aminobutyric acid in brain by the isotope derivative method. Journal of Biological Chemistry vol.187: pp.65-69 (1950)
10)Awapara, J., Landua, A.J., Fuerst, R., and Seale, B. Free gamma-aminobutyric acid in brain. Journal of Biological Chemistry vol.187:pp.35-39,(1950)
11)Eugene Roberts, Gamma-aminobutyric acid., Scholarpedia, vol.2(10), p.3356.(2007)
http://www.scholarpedia.org/article/Gamma-aminobutyric_acid
12)小幡邦彦 GABAのはたらき、Riken BSI news vol.37, 10月号 (2007)
http://bsi.riken.jp/bsi-news/bsinews37/no37/special.html
13)"Refleksy golovnogo mozga." Meditsinsky vestnik 47-48 ("Reflexes of the brain", in Russian) (1863)
14)K.Obata, Synaptic inhibition and γ-aminobutyric acid in mammalian central nervous system. Proc.JPN.Acad., Ser.B89, No.4, pp.139-156 (2013)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjab/89/4/89_PJA8904B-03/_article/-char/ja
15)Wikipedia: Ivan Sechenov
https://en.wikipedia.org/wiki/Ivan_Sechenov
16)Pavlov,I.P., Conditioned Reflexes (translated by Anrep,G.V.). Dover Publications, Mineola, NY, pp.1-430 (1927)
17)Scratch reflex of dog
https://www.youtube.com/watch?v=VzCwXaU_tJ0
18)Sherrington, C.S., The Integrative Action of the Nervous System. Yale Univ. Press, New Haven, CT, pp.1-413 (1906)
19)E. Roberts amd Kinya Kuriyama, Biochemical-physiological correlations in studies of the γ-aminobutyric acid system. Brain Res., vol.8, pp.1-35 (1968)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/first-page-pdf.pdf
20)Elling Kvamme, Glutamine and Glutamate Mammals. Vol.1, CRC Press (1988)
VI Identification and localization of L-glutamate decarboxylase.
https://books.google.co.jp/books?id=rrtHDwAAQBAJ&pg=PT235&lpg=PT235&dq=BIOCHEMICAL-PHYSIOLOGICAL+CORRELATIONS+IN+STUDIES+OF+THE+v-AMINOBUTYRIC+ACID+SYSTEM&source=bl&ots=9qCEpnoL_v&sig=ACfU3U0ary3-wr0RNkPZ5O6wWhMqqiIlPg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjV26yDr8fiAhVPObwKHRPQD1IQ6AEwB3oECAQQAQ#v=onepage&q=BIOCHEMICAL-PHYSIOLOGICAL%20CORRELATIONS%20IN%20STUDIES%20OF%20THE%20v-AMINOBUTYRIC%20ACID%20SYSTEM&f=false
21)Wikipedia: Striatum
https://en.wikipedia.org/wiki/Striatum
22)from wikipedia, original source is Nissen-Meyer LSH and Chaudhry FA., Corrigendum: Protein Kinase C Phosphorylates the System N Glutamine Transporter SN1 (Slc38a3) and Regulates Its Membrane Trafficking and Degradation. Front. Endocrinol. vol.8: p.190.(2017) doi: 10.3389/fendo.2017.00190
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fendo.2017.00190/full
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