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2021年5月14日 (金)

続・生物学茶話142: アメフラシとセロトニン

セロトニンはドーパミンと同様にユニバーサルな化合物で、動物(メタゾア)のみならず植物にも普通に見られるモノアミン化合物です。アメーバにも合成する種があります(1)。原核生物には合成するものが報告されていないようですが、ただ最近話題になっているのは、腸内細菌がセロトニン合成をサポートしているという報告です(2、3)。セロトニンは図142-1に示されるように、トリプトファンからわずか2ステップの反応で合成される化合物なので、おそらくみつかっていないだけで、原核生物にも合成できる種が存在するのではないかと思います。セロトニンは別名5-ハイドロキシトリプタミンで、論文ではこれを省略した5-HTという名称で記載される場合が多いように思います。

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図142-1 セロトニンの生合成経路

血清中に筋肉を収縮させる活性のあるホルモン様因子が存在することは20世紀初頭から知られていました。その第一候補はアドレナリンでしたが、件の因子が腸の平滑筋を収縮させるのに対してアドレナリンは弛緩させました。オコナーはこの因子が血漿では検出できないことから、血液凝固の過程で血小板から血清中に漏れ出したと考えました(4)。生きて活動している人物に血液凝固がおこるということは、その人が負傷したということです。負傷すると血管の平滑筋が収縮して出血を防ぐというのは、生命維持のために重要なメカニズムです。

このホルモン様因子の分子的実体はなかなか解明されませんでしたが、20世紀半ばになってようやくラポルト(図142-2)らによって、謎の血清因子がセロトニンであることが明らかにされました(5、6)。ラポルトらは900リットルのウシ血清から2~3mgの因子結晶を得て、構造を解明することができました。そしてエルスパメルらのグループがエンテラミンと呼んでいた胃粘膜由来の平滑筋収縮因子が同じ物であることがわかりました(7)。ラポルトが当時の苦労話を回顧した文献があります(8)。

そして1953年にはウェルシュ(重要な人物だと思いますが、写真がみつかりませんでした)らがセロトニンが神経伝達物質であることを示唆する論文を発表しています(9、10)。彼らは二枚貝のガングリオン(神経節)が心臓の拍動を制御するに際して、アセチルコリンが拍動抑制、セロトニンが拍動促進という役割を持っていると考えました。その後ファルク-ヒラープの方法(11)によってセロトニンも可視化され、神経細胞での存在が確認されました。

セロトニンが記憶の形成において重要な役割を果たしていることを示したのはエリック・カンデルです(12、図142-2)。エリック・カンデルは1929年にウィーンに生を得ましたが、ユダヤ系であったためホロコーストを逃れて、9才の時に米国に逃れました。ニューヨーク大学医学部を卒業し、NIHでヒトの脳の研究、特に記憶のメカニズムについて関心を持って研究していましたが、やがてヒトの脳は記憶の研究を行うには複雑すぎることを痛感し、パリに留学してアメフラシを材料として研究するトレーニングをしてもらい、帰国後再びニューヨーク大学で記憶の研究を始めました。カンデルのチームはここでCREB(cAMP response element binding protein)という転写調節因子が長期記憶の形成に関与していることをつきとめました。CREBについては別のセクションで述べる予定です。

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図142-2 ラポルトとカンデル

アメフラシは最近高校の教科書にも出てくるようですが、見かけたことがない方もいらっしゃるでしょう。ウミウシと近縁の生物で、貝殻を失った特殊な貝類です。めずらしい生物ではないので、磯遊びをしているとみかけることがあるかもしれません。ただウミウシのような極彩色ではないので目立ちません。日本のアメフラシは体長15cmくらいですが、米国にはかなり巨大なものもいるようです(図124-3、13)。危険を察知すると粘液を放出します。

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図142-3 アメフラシ

アメフラシの神経細胞体は直径が 0.2mm~1mmと桁違いに大きい上に、神経ネットワークがシンプルなので基礎研究に適しています(13)。カンデルらがこの生物を実験動物に選んだのは正解でした。アメフラシは呼吸するためにエラ(鰓)と水管を装備しており、水管から水を吸い込みエラに送り込んで呼吸しています。この水管を触ったり電気刺激したりすると水管を引っ込め、エラも収縮します。これはある種の反射作用です。さらに尾の部分を触ったり電気刺激したりすると、上記の反応に加えて尾も収縮させます(14、図142-4)。

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図142-4 アメフラシに刺激を与える実験

このような刺激による反応を解析するためには、神経のネットワークを知る必要があります。水管に刺激を与えると、それを感知した感覚ニューロンは水管とエラの運動ニューロンに、それぞれひとつのシナプスで連絡し、水管とエラの収縮を誘導します(14、図142-5A)。感覚ニューロンからは別途介在ニューロンにも信号が伝達されます(図142-5A)。ここではひとつだけ記してありますが、実際には複数の介在ニューロンが刺激の増幅や抑制に関与しています。

尾に刺激を与えると、それを感知した感覚ニューロンは運動ニューロンに連絡して、その運動ニューロンの働きで尾は収縮します。介在ニューロンはこのサーキットを制御する他、水管の運動ニューロンを刺激して水管を収縮させるという役割も受け持ちます(14、図142-5B)。関与する介在ニューロンは複数あり、その中には興奮性のものと抑制性のものがあります。水管を刺激した場合と異なり、尾の刺激に関してはサーキットが左右両側に存在します(図142-5B)。

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図142-5 アメフラシの神経ネットワーク

ある刺激を反復すると、その刺激になれてしまってしだいに反応が鈍くなる(馴化=habituation)というのは最も原始的な学習(記憶)です。アメフラシの神経ネットワークを使ってこの学習の実験ができます。どのくらいの強さや頻度で刺激を与えると馴化が起こるかというのは基本です。ある程度以上強い刺激をあたえると、それが何度繰り返されても馴化は起こらず、むしろ鋭敏化(=sensitization)がおこります。鋭敏化には介在ニューロンが放出するセロトニンがかかわっていることがわかっています(15)。刺激の間隔が長すぎると、前に刺激されたことは忘却して馴化がおこりません。いったん馴化がおこっても、ある時間が経過すると馴化は消滅し、もとどおりの反応にもどります。

このような馴化・鋭敏化・学習・記憶・忘却などは私たちも毎日経験しているところであり、神経ネットワークを持つ生物すべてに共通する現象であり、それを研究する基盤を確立したという意味もあってカンデルは、カールソン、グリーンガードと共に、2000年のノーベル生理学医学賞を受賞しました(16)。


参照

1)Wikipedia: serotonin
https://en.wikipedia.org/wiki/Serotonin

2)腸内フローララボ
https://www.om-x.co.jp/web/urara/2015-feb-1/

3)Stephanie A Flowers, Kristen M Ward, Crystal T Clark., The Gut Microbiome in Bipolar Disorder and Pharmacotherapy Management., Neuropsychobiology vol.79(1): pp.43-49. (2020) doi: 10.1159/000504496
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/31722343/

4)O’Connor JM: Uber den Adrenalingehalt des Blutes. Arch Exp Pathol Pharmakol (founding name of “Naunyn-Schmiederberg’s Arch Pharmacol”), vol.67, pp.195-232.(1912)

5)Rapport MM, Green AA, Page IH: Crystalline serotonin., Science,vol.108, pp.329-330.(1948)

6)Rapport MM: Serum vasoconstrictor (serotonin). V. The presence of creatinine in the complex: a proposed structure of the vasoconstrictor principle. J Biol Chem,
vol.180, pp.961-969.(1949)

7)Erspamer V, Asero B: Identification of enteramine, the specific hormone of the enterochromaffin cell system, as5-hydroxytryptamine. Nature, vol.169, pp.800-801. (1952)

8)M M Rapport The discovery of serotonin., Perspect Biol Med. Winter 40(2):260-73.(1997)
doi: 10.1353/pbm.1997.0040.

9)Welsh JH: Excitation of the heart of Venus mercenaria.Naunyn-Schmiedebergs Arch Exp Pathol Pharmakol,vol.219, pp.23-29.(1953) doi: 10.1007/BF00246246.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/13099334/

10)Welsh JH, Taub R: The action of acetylcholine antagonists on the heart of Venus mercenaria. Br J Pharmacol Chemother, vol.8, pp.327-333.(1953)  doi: 10.1111/j.1476-5381.1953.tb00802.x
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1509281/

11)Falck B, Hillarp N. A, Thieme G, Torp A: Fluorescence of catechol amines and related compounds condensed with formaldehyde. J Histochem Cytochem,vol.10,pp.348-354.(1962)
doi: 10.1016/0361-9230(82)90113-7
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/7172023/

12)Wikipedia: Eric Kandel
https://en.wikipedia.org/wiki/Eric_Kandel

13)ウィキペディア:アメフラシ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B7

14)D. Fioravante, E. G. Antzoulatos, and J. H. Byrne, Sensitization and Habituation: Invertebrate., DOI: 10.13140/2.1.3071.4561 (2008)
https://www.researchgate.net/publication/268523901_Sensitization_and_Habituation_Invertebrate

15)動物の生きるしくみ事典 学習:とくにアメフラシの場合
https://cns.neuroinf.jp/jscpb/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%EF%BC%9A%E3%81%A8%E3%81%8F%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%A0%B4%E5%90%88

16)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2000 was awarded jointly to Arvid Carlsson, Paul Greengard and Eric R. Kandel "for their discoveries concerning signal transduction in the nervous system."
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/2000/summary/

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