続・生物学茶話139: パーキンソン病とドーパミン
医師であると同時に作家でもあったオリバー・サックスは、自分が慢性神経病患者にL-ドーパを投与した経験を、ノンフィクションとして出版しました。L-ドーパは少なくとも一時的には多くの患者に劇的な症状の改善をもたらしました。これをもとにした映画「Awakenings-邦題:レナードの朝」をご覧になった方は多いでしょう。ロバート・デ・ニーロの代表作のひとつです。
本来の神経伝達物質はドーパミンなのですが、ドーパミンは血液中から脳の神経細胞に移動することができないので、前駆体であるL-ドーパを投与したわけです(図139-1)。図139-1のようにドーパミンは自身が神経伝達物質であると同時に、ノルアドレナリンやアドレナリンの前駆物質でもあります。そういう事情もあって、20世紀の半ば頃までドーパミン自身が生理的に重要な作用を持つ物質であるとは考えられていませんでした。
図139-1 ドーパミンの生合成経路
ロンドン近郊の病院の研究室に勤務していたモンタギュー(図139-2)は、1957年8月に、人を含む数種の生物の脳などの組織にドーパミンが存在し、これはアドレナリンやノルアドレナリンのように季節によって変動することはないと報告しました(1)。この1957年の論文がドーパミン自体の意義に関する最初の報告とされています(2)。カールソン(図139-2)らもモンタギューに遅れ1957年の11月に論文を出版していますが、彼らの報告にはモンタギューの論文は引用されていません(3、4)。データもきちんと示されておらず、おそらく慌てふためいて学会アブストラクトのような論文を書いたものと思われます。これはフェアーな態度ではありません。ウィキペディアでも、カールソンはしばしば「自分が最初に人の脳にドーパミンが存在することを示した」と発言していると批判されています(2)。その後カールソンはドーパミンなど神経伝達物質の機能に関して詳細な研究を行ない、2000年にノーベル生理学医学賞を受賞しました(5)。彼が1994年に日本国際賞を受賞した際の講演要旨が日本語で読めます(6)。この講演でも彼はモンタギューについて全く触れていません。
ファルクとヒラープはファルク・ヒラープ蛍光法というモノアミンを高精度で検出する方法を開発し、モノアミンが神経伝達物質であることの証明に絶大な貢献をしました(7、図139-2)。ノーベル委員会もカールソンにノーベル賞を授与する際に「It was not Arvid Carlsson who had discovered that dopamine is a signal substance in the central nervous system」と述べているそうです(8)。ファルク・ヒラープ法による研究の実例をひとつ引用しておきます。この滋賀医科大学のグループの論文では、ジュウシマツの膵臓に3種のモノアミン含有細胞が存在することが示されています(9)。
図139-2 ドーパミンの生理的意義の解明に貢献した研究者達
ホーニケヴィッツはパーキンソン病の原因が、脳におけるドーパミンの減少によるものであることを証明しました(10、11、図139-2)。また前駆体のL-ドーパの投与によって症状が改善されることを示しました(12)。脳におけるドーパミン作動性ニューロンは大脳基底核の一部である黒質(図139-3)に特に多いことが知られています。この部分は尾状核(図139-3)などを通じで大脳皮質の運動野などと連携し、人間の動作をコントロールしている部位です。脳の特定の部位でドーパミンが減少しているということは、その部分のドーパミン作動性ニューロンが変性または死滅していることを意味します。図139-3は wikipedia(13)および Akira Magazine (14)の図表をもとに制作しました。
図139-3 大脳基底核の位置とその構成要素(赤い部分が基底核)
ホーニケヴィッツが子供の頃住んでいたポーランドの街(現在はウクライナ)はドイツ軍とロシア軍の攻撃をうけ、家族と彼は着の身着のままウィーンに逃れましたが、当地もやがて両軍の死闘で街と郊外に4万人の兵士の死体が散乱するという状況になりました。ホーニケヴィッツはユダヤ系ではなかったので、どうにかゲットー行きは免れました。戦後彼は半ば廃墟となったウィーン大学医学部に入学し、卒業後は薬学部でポストドクをやって、1956~1958年にはオックスフォード大学の薬学部に留学しています。そこでブラシュコに「ドーパミンは単なるアドレナリン・ノルアドレナリンを合成するための中間産物ではなく、それ自身が何かやっているはずだ」という仮説をたたき込まれました。ブラシュコはホルツが1942年に発表したドーパミンに血圧を下げる作用があるという実験結果(15)を重視していました。ホーニケヴィッツはホルツの実験の追試を行い、L-ドーパを使っても同様な結果を得られるなどの追加情報も得ることができました。オックスフォードを離れるホーニケヴィッツにブラシュコは「ドーパミンの仕事を続ければ君には輝かしい未来が待っている」とアドバイスをしましたが、ホーニケヴィッツはその通りを実行したわけです(12)。
ホーニケヴィッツがオックスフォードを離れる前に、モンタギューがドーパミンが脳に存在するという論文を発表しました(1)。ホーニケヴィッツはウィーンに戻り、カールソンの研究室で開発されたカラムクロマトグラフィーと新発売の分光蛍光光度計を使って脳のドーパミンの測定にとりかかりました。ちょうどこの頃(1959年)に バートラーとローゼングレンがイヌの線条体(corpus striatum)に高濃度で存在するという論文を出版しました(16)。線条体は行動に関与している脳の部位です。このことはヒトの大脳基底核障害とりわけパーキンソン病にドーパミンが関係しているのではないかということを示唆するものでした。
1959年の春、ホーニケヴィッツは幸運にもパーキンソン病で死去した患者の新鮮な脳を手に入れることができて、この脳にはドーパミンが不足していることがはっきりとわかりました。それから1年かけて彼らは17例の正常対照例、2例のハンチントン舞踏病、6例の原因不明の錐体外路障害、6例のパーキンソン病、2例の正常新生児、1例の幼児の脳を収集することができました。これらを解析すると、パーキンソン病で死去した患者の脳の尾状核と被殻にだけ著しいドーパミンの減少がみられることが明らかになりました(10)。これによってドーパミンの不足とパーキンソン病との関係がはっきりしたので、血液-脳関門を通過することができる前駆体L-ドーパの投与が有効な治療法であることがわかりました。L-ドーパあるいはアゴニストの投与は、現在でもパーキンソン病の有力な治療法です。
パーキンソン病はジェームズ・パーキンソンによって1817年に6つの症例を shaking palsy と言う名前で報告されています(17)。この報告はジャン=マルタン・シャルコーによって再評価され、パーキンソン病と呼ばれるようになりました(18)。図139-4はウィキペディアに掲載されていた、1886年に描かれたパーキンソン病患者が歩行する様子です(19)。ウィキペディアのパーキンソン病の項目は160もの論文を引用した大著ですが、なんと2021年4月19日の時点で、ホーニケヴィッツの論文も、カールソンの論文も引用されていません(20)。なぜなのか投稿者に訊いてみたい気がします。
図139-4 パーキンソン病患者が歩行する様子
参照
1)K.A. Montagu, Catechol Compounds in Rat Tissues and in Brains of Different Animals. Nature vol.180, pp.244-245 (1957)
https://www.nature.com/articles/180244a0
2)Wikipedia: Kathleen Montagu:
https://en.wikipedia.org/wiki/Kathleen_Montagu
3)A. Carlsson, M. Lindqvist, T. Magnusson., 3,4-Dihydroxyphenylalanine and 5-Hydroxytryptophan as Reserpine Antagonists., Nature, vol. 180, p.1200 (1957)
4)A. Carlsson et al., On the presence of 3-hydroxytyramine in brain. Science vol. 127, p. 471 (1958)
http://science.sciencemag.org/content/127/3296/471.1.long
5)The novel prize. Avid Carlsson Biographical.
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/2000/carlsson/biographical/
6)1994年 日本国際賞受賞記念講演会 脳におけるドパミンの研究: 過去、現在及び将来 アーヴィド・カールソン博士
http://www.japanprize.jp/data/prize/summary/1994_j.pdf
7)Falck B, Hillarp N-A, Thieme G, Torp A., "Fluorescence of catechol amines and related compounds condensed with formaldehyde"., J. Histochem. Cytochem. vol. 10 (3): pp. 348?354. doi:10.1177/10.3.348 (1962)
8)Wikipedia: Nils-Ake Hillarp
https://en.wikipedia.org/wiki/Nils-%C3%85ke_Hillarp
9)Katsuko KATAOKA, Keisuke SHIMIZU and Junzo OCHI., Fluorescence Histochemical Demonstration of Monoamine-Containing Cells in the Pancreas of the Finch, Uroloncha striatavar. domestica. A Preliminary Study., Arch. histol. jap., Vol. 40, No. 5, pp. 431-433 (1977)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aohc1950/40/5/40_5_431/_pdf
10)Hornykiewicz O. Topography and behaviour of noradrenaline and dopamine (3-hydroxytyramine) in the substantia nigra of normal and Parkinsonian patients.(In German) Wien Klin Wochenschr vol.75: pp.309-312 (1963)
11)Hornykiewicz O. Dopamine (3-hydroxytyramine) and brain function. Pharmacol Rev vol. 18: pp. 925-964. (1966)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/5328389/
12)Oleh Hornykiewicz., Some Thoughts on Memories., The History of Neuroscience in Autobiography. Vol. 4, Ed. L. R. Squire, Academic Press (2004)
file:///C:/Users/morph/AppData/Local/Temp/c7.pdf
13)Wikipedia: Basal ganglia
https://en.wikipedia.org/wiki/Basal_ganglia
14)Akira Magazine 大脳基底核のおはなし
https://www.akira3132.info/basal_ganglia.html
15)Holtz P and Credner K. Die enzymatische Entstehung von Oxytyramin im Organismus und die physiologische Bedeu-tung der Dopadecarboxylase. Naunyn Schmiedebergs Archivfur experimentelle Pathologie und Pharmakologie vo.200, pp.356-588 (1942)
16)A. Bertler & E. Rosengren, Occurrence and distribution of dopamine in brain and other tissues., Experientia vol.15, pp.10–11 (1959)
https://link.springer.com/article/10.1007/BF02157069
17)James Parkinson, An essay on the shaking palsy.
http://visualiseur.bnf.fr/Visualiseur?Destination=Gallica&O=NUMM-98765
18)ウィキペディア:ジャン=マルタン・シャルコー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BC
19)Wikipedia: Parkinson's disease
https://en.wikipedia.org/wiki/Parkinson%27s_disease
20)ウィキペディア: パーキンソン病
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3%E7%97%85
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