続・生物学茶話132: 化学シナプスの実在とカルシウムチャネル
シナプスといえば、通常は図132-1(1)のような化学シナプスを意味しますが、広義ではひとつ前のセクションで述べたようなギャップ結合も含まれます。この場合、ギャップ結合は電気シナプス、通常のシナプスは化学シナプスと呼ばれることになります。ギャップ結合ではイオンや電子は細胞間のトンネルを自由に往来しますが、化学シナプスでは細胞と細胞で神経伝達物質を受け渡しするという非常に複雑なプロセスを経て情報が伝わります。
どうしてこんな面倒なシステムになっているのでしょうか? 多くの細胞がまとまって同じ作業をする場合電気シナプスは効率的です。しかし細胞ごとに別の作業をやる場合や、それぞれについて制御が必要な場合などは、電気シナプスでは単純すぎて役に立ちません。複雑な作業を行なう神経系では、伝達速度を犠牲にしてでも、細かい分業や個別の制御が可能な化学シナプスが必要になります。
図132-1 化学シナプス A:模式図 B:電子顕微鏡写真
化学シナプスの存在を予言したのはカハールで、その後数十年を経てデ・ロバーティスやパラーデの電子顕微鏡を用いた研究によって、その実在がようやく証明されました(2、3)。形態学的にシナプスが同定されたので、次はそこで用いられている情報伝達物質の化学的な同定です。その物質は細胞間を移動するのですから、水溶性でなければなりません。このことについて最初に重要な実験を行ったのはオットー・レーヴィです(図132-2)。レーヴィはストラスブルク大学の医学部を卒業後いったん臨床医になりましたが、あまりに多くの患者の死を見て自分が無力であることを思い知らされ、臨床医をやめて基礎医学を志しました(4)。
彼はユダヤ系のドイツ人ですが、1902年にオーストリアのグラーツ大学に職を得て、そこで図132-2に示した重要な実験を行ない、1921年に発表しました。彼は2匹のカエルから心臓を取り出し、片方には迷走神経をつけたまま、片方は迷走神経を取り除いた状態にしました。両者ともリンゲル液(ナトリウム、カリウム、カルシウムを含む生理食塩水)に浸し、迷走神経に電気刺激を与えると心臓の拍動が低下しました。そしてそのときに心臓をひたしていた液を吸い取り、別のリンゲル液に浸しておいた迷走神経を除去した心臓に滴下するとやはり心臓の拍動が低下することを発見しました。
レーヴィの実験結果は、迷走神経の刺激によってリンゲル液に溶け出した水溶性の化学物質に、心臓の拍動を低下させる活性があることを意味します。後にこの物質はヘンリー・デイルによってアセチルコリンであることが証明されました。神経伝達物質の発見です。これらの業績によってレーヴィとデイル(図132-2)は1936年のノーベル生理学医学賞を受賞しました(5)。
図132-2 神経伝達物質の発見
レーヴィは運の良い人で、彼の実験は迷走神経の働きが活発な冬のカエルを用いた場合だけ再現できることがあとで分かりました(6)。夏に実験していたらこの発見はなかったことでしょう。その運の良いはずのレーヴィでしたが、その後とんでもない不運に遭遇します。ノーベル賞受賞の2年後にドイツ軍がオーストリアに侵攻し、レーヴィは逮捕されてポストや財産をすべて剥奪されることになりました。しかしなんとか収容所送りは免れ、米国に亡命して1961年に亡くなるまでニューヨークで暮らしました。
レーヴィとデイルの業績によって、アセチルコリンという水溶性物質が情報を伝達することはわかりましたが、シナプスがどのように関わっているかはまだ不明でした。これを解明したのがバーナード・カッツでした。バーナード・カッツ(図132-3)もユダヤ系のドイツ人でしたが、彼はライプチッヒ大学の医学部を1934年に卒業するといちはやく英国に実質亡命し、ロンドン大学で研究を行ないました(7)。その後オーストラリアに移住し、シドニーでエクレスとカフラーという共同研究者を得ました。カッツは彼らと共に、アセチルコリンエステラーゼの阻害剤であるエゼリンを用いた実験で、筋収縮が神経筋接合部からの電気刺激によって直接おこるのではなく、神経筋接合部(シナプス)でのアセチルコリンの作用によって間接的に活動電位が発生することを示し、レーヴィとデイルの理論を実証しました(8、9)。
エゼリンの投与によってアセチルコリンの代謝が阻害され、シナプス間隙におけるアセチルコリンの濃度が高まり、筋肉の受容体を刺激することによって筋細胞のイオンチャネルが開き、ナトリウムイオンが流入、カリウムイオンが流出することになり、このような一連の反応によって活動電位が発生し、筋収縮がおこります(8、9)。
カッツはその後オーストラリア国籍を獲得し、第二次世界大戦中はオーストラリア空軍に入隊しました。ニューギニアで航空管制部隊の将校として、日本航空部隊によるポートモレスビーやダーウィン攻撃をレーダーで監視していたようです。戦後ロンドンに戻って研究に復帰しました(9)。当時ニューギニアの日本軍は山越えの無理な移動を命じ、銃火を交えることなく10000名以上の将兵が死亡(病死・餓死)した所謂「イドレ死の行軍」を行ないました(10)。カッツはそのウィットネスのひとりだったかもしれません。
カッツの最大の業績はシナプス前細胞において、神経伝達物質が袋に包まれて保管されており、それが袋単位で膜から放出されてシナプス後細胞を興奮させる役割を持っていることを示したことです(11、12)。文献12にはシナプス前細胞に多数のシナプス小胞が存在することを示す電子顕微鏡写真が掲載されています。カッツのアイデアはその後多くの研究者によって実証され、図132-3のようなシナプスの模式図が描かれるようになりました。カッツは1970年にノーベル生理学医学賞を受賞しています。
図132-3 シナプスのスキーム
ニューロン軸索での電気的情報移動、すなわち活動電位が発生する位置の移動は主としてナトリウムチャネルの働きによるものですが、ニューロン末端での化学的情報移動においては主役がカルシウムチャネルに変わります。このメカニズムはウィキペディアで簡潔にまとめてあるので、コピペしておきます(13)。ただし若干の文章変更を行いました。
1.シナプス前細胞の軸索を活動電位が伝わり、軸索の末端にシナプスに到達する。
2.活動電位によりシナプス前細胞の膜上に位置する電位依存性カルシウムイオンチャネルが開く。
3.カルシウムイオンがシナプス内に流入し、化学反応のカスケードが起動され、最終的にシナプス小胞が細胞膜に接して神経伝達物質が細胞外に開口放出される。
4.神経伝達物質はシナプス間隙を拡散し、シナプス後細胞の細胞膜上に分布する神経伝達物質受容体に結合する。
5.シナプス後細胞のイオンチャネルが開き、シナプス後細胞は興奮する(脱分極する)。ただしシナプスが抑制性シナプスであった場合、シナプス後細胞の興奮は抑制される。
図132-3で興味深いのは、シナプス間隙に放出された神経伝達物質のうち、シナプス後細胞にトラップされなかった余剰分子は、シナプス前細胞の自己受容体や能動的再吸収で回収されるという機構の存在です。これは単にもったいないから再利用しようというだけでなく、拡散によって周囲のニューロンに影響を与えるとノイズになってしまうからだと思われます。
カルシウムは、昔から筋収縮に必要であることは知られていました。このあたりの話は江橋節郎の自伝にいろんなエピソードが書かれてあり、楽しく読ませていただきました(12)。そのなかでリンゲル液で有名なリンゲルが、早くも1883年に筋収縮にカルシウムが必要であることを示す実験をやっていたことが書いてあります。またポツラーがカルシウムキレート剤によって筋肉が弛緩することを発見したとも記されてあります。
細胞内のカルシウムイオン濃度は通常10の-8乗から-7乗モルという非常に低い濃度ですが、血清中の濃度は10の-3乗モルという高濃度であり、この著しい濃度差をカルシウムチャネルが維持しているわけです(15)。活動電位が神経末端に到達すると、カルシウムチャネルが開いて一気にカルシウムが細胞内に流入するわけです。この電位依存性カルシウムチャネル(voltage-dependent calcium channel=VDCC)の構造は、ウィリアム・キャテラルらが中心となって解明されました(16、図132-4、図132-5)。
骨格筋のカルシウムチャネル(L型)はα1、α2、β、γ、δ の5つのサブユニットからなり、α2とδはSS結合で共有結合しています(α2δサブユニット)。カルシウムの通り道となるチャネル自体は膜貫通α1サブユニットにより形成され、δ は細胞外、β は細胞内にあります。このほか膜を貫通するα2とγ がα1に隣接しています(図132-4)。複雑な構造のチャネルですが、このようなカルシウムチャネルの原型は細菌にもあるようです(17)。したがってもともとはホメオスタシスに用いられていたものがシナプスに流用されたものと思われます。
図132-4 キャテラルらによって解明されたカルシウムチャネルの構造
α1サブユニットは6回づつ膜を貫通するドメインを4つ持つ24回膜貫通分子で、アミノ酸の数約2000で分子量190キロダルトンの巨大なサブユニットです(18、図132-5)。α1サブユニットのN末・C末はともに細胞の内側にあります。β サブユニットとγ サブユニットはどちらも4つのαヘリックス部位を持っていますが、γ が膜を4回貫通しているのに対して、β は一度も貫通せず、細胞内に存在します(図132-5)。脳神経系におけるカルシウムチャネルの構造もこれに類似していますが、γ サブユニットについてはチャネルに含まれるかどうかまだ議論があるようです(16)。
図132-5 カルシウムチャネルタンパク質のドメイン構造
β サブユニットやα1サブユニットの細胞内領域は神経伝達物質の放出制御、シナプス小胞の移動、遺伝子発現の調節などに関与しているとされています。ここでは詳しくは述べませんが、例えばβサブユニットはRIM1という足場タンパク質と結合し、RIM1がシナプス小胞のタンパク質Rab3に結合することが報告されています(19)。このことはカルシウムチャネル複合体が、シナプス小胞を膜近傍に引き寄せる働きを持っていることを示唆しています。シナプス小胞が膜に接近すれば、エキソサイトーシス機構によって神経伝達物質がシナプス間隙に放出されます(図132-6、図132-1B)。放出されている瞬間の電子顕微鏡写真を前セクションで示しました(20)。
図132-6 カルシウムチャネルとシナプス小胞からの神経伝達物質放出
参照
1)Wikipedia: Synapse
https://en.wikipedia.org/wiki/Synapse
2)De Robertis, E.D.P., and H.S. Bennett., Some features of the submicroscopic morphology of synapses in frog and earthworm., J. Biophys. Biochem. Cytol. vol.1, pp. 47?58 (1955)
http://jcb.rupress.org/content/1/1/47?ijkey=606ed65709e41ffb73559e700fc15f6bfac2c752&keytype2=tf_ipsecsha
3)Palade, G.E., and S.L. Palay. 1954. Anat. Rec. 118:335. (1954)
4)ウィキペディア:オットー・レーヴィ
https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_Loewi
5)Otto Loewi, Novel lecture: The Chemical Transmission of Nerve Action.
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1936/loewi/lecture/
6)Elliot S. Valenstein, The Discovery of Chemical Neurotransmitters., Brain and Cognition vol. 49, pp. 73–95 (2002)
doi:10.1006/brcg.2001.1487
https://pdfs.semanticscholar.org/f7ba/4a5c744019d8e93347a9a04991d8d729a2f7.pdf#search=%27Walter+Dixon+neurotransmitter%27
7)Sir Bernard Katz, Biographical
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1970/katz/biographical/
8)JC Eccles, B Katz, and SW Kuffler., Effect of eserine on neuromuscular transmission. J. Neurophys., vol.5, no.3, pp. 211-230 (1942)
https://www.physiology.org/doi/abs/10.1152/jn.1942.5.3.211?journalCode=jn
9)Bert Sakmann, Sir Bernard Katz: 26 March 1911 - 20 April 2003., Biogr Mem Fellows R Soc. vol. 53., pp. 185-202. (2007)
https://royalsocietypublishing.org/doi/pdf/10.1098/rsbm.2007.0013
10)ニューギニア戦線の「イドレ死の行軍」について 読書放浪記録
http://yryk.seesaa.net/article/446698846.html
11)J del Castillo and B Katz., La base ‘quantale’ de la transmission neuromusculaire. Colloques Int. C.N.R.S. vol. 67, pp. 245–256. (1957)
12)R. Birks, H. E. Huxley, and B. Katz., The fine structure of the neuromuscular junction of the frog., J Physiol., vol. 150(1), pp. 134–144. (1960)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1363152/pdf/jphysiol01288-0154.pdf
13)ウィキペディア:シナプス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%97%E3%82%B9
14)江橋 節郎: カルシウムと私
http://brh.co.jp/s_library/interview/12/
15)千勝典子、松本俊夫: カルシウム代謝とその調節
http://www.nara-gyunyuya.com/contents/ca/15.htm
16)William A. Catterall、Voltage-Gated Calcium Channels., Cold Spring Harb Perspect Biol 2011;3:a003947 (2011)
doi: 10.1101/cshperspect.a003947
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3140680/pdf/cshperspect-CAL-a003947.pdf
17)Stewart R. Durell and H. Robert Guy, A putative prokaryote voltage-gated Ca2+ channel with only one 6TM Motif per subunit., Biochemical and Biophysical Research Communications
Volume 281, Issue 3, pp.741-746 (2001)
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0006291X01944080
18)脳科学辞典:電位依存性カルシウムチャネル (このサイトからの引用ですが、α1サブユニットのN末が2つあるようなエラーがある図でしたので、管理人が若干の修正を行いました)
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E9%9B%BB%E4%BD%8D%E4%BE%9D%E5%AD%98%E6%80%A7%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%83%AB
19)清中茂樹,瓜生幸嗣,三木崇史,森泰生、神経伝達物質放出におけるCa2+チャネル複合体形成の生理的意義 生化学 第80巻 7号 pp.658-661 (2008)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2013/11/80-07-08.pdf
20)続・生物学茶話131: ギャップ結合が召喚したゴルジの亡霊
http://morph.way-nifty.com/grey/2021/02/post-1e14bd.html
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