続・生物学茶話133: 毒矢とアセチルコリン
16世紀になってヨーロッパ人が南米を植民地化しようとして侵入するようになり、現地住民と戦闘を行なうようになりました。その際に現地住民が使用する毒矢によって、ヨーロッパ人が麻痺をおこして死亡するということが起こりました。クラーレと呼ばれるその毒の製造法は長い間秘密で不明だったのですが、1800年にアレクサンダー・フォン・フンボルト(ペルー沿岸のフンボルト海流で知られている地理学者)が、つる植物 Chondrodendron tomentosum などの樹皮が原料であることを確認しました(1)。
19世紀の半ば、冒険家のチャールズ・ウォータートンは英国王立科学協会の助力を得て、クラーレでロバなどを麻痺させ、その後ふいごで息を吹き返させるという実験を行って、クラーレの作用が呼吸を阻害するものであることを示しました(2)。クロード・ベルナールはこれにヒントを得て、カエルにクラーレを与えると、筋肉が電気刺激に反応しなくなることを発見しました。ベルナールはさらに研究をおこなって、クラーレは神経と筋肉の接点に作用し、ここで情報伝達を遮断する毒であることを明らかにしました(3、4)。
1930年台にハロルド・キングはこの物質を抽出し、構造式(図133-1)を決定したということになっていますが(5)、最終的に決定されたのは1970年であることがウィキペディアに記載してあります(6、7)。20世紀の半ばから後半にかけては、クラーレを麻酔剤として用いた手術が世界で行われていました(6)。現在でも補助的に用いられる場合があるようです。天木の考察によると、クラーレは私たちの胃に入ると酸で無毒化されるためクラーレで倒した獲物を食べても私たちは大丈夫ですが、草食動物の場合胃が酸性でないため死んでしまうそうです。ですからクラーレを産生する植物は、自己防衛すなわち草食動物の餌にならないためにこのアルカロイドを産生しているようです(8)。
図133-1 クラーレの毒 d-tubocurarine
ここで当初はクラーレとは全く別の話であったアセチルコリンの話題に飛びます。昔から真菌がつくる麦角の抽出液が血圧を下げる効果を持つことは知られていましたが、麦角は複数のアルカロイドを含んでいるため、その他にも様々な効果をもたらします。毒薬でもあります。1914年にユーインズは麦角に含まれる血圧降下作用を持つ化合物がアセチルコリンであることをつきとめました(図133-2)。デイルはこの物質がナノグラム単位の皮下注射でネコの血圧を下げることなどを確認し、アセチルコリンが神経伝達物質であることを示唆しました(9、図133-2)。その後のデイルやオットー・レーヴィの研究の展開は前セクションに記した通り、アセチルコリンが神経伝達物質であることを証明するものでした(10)。
デイルはクラーレ(tubocurarine)がアセチルコリンの筋肉刺激作用を抑制し、この作用はアセチルコリンが神経から分泌されるのを阻害するのではなく、アセチルコリンが筋肉に作用するのを阻害していることを証明しました(11)。図133-1と133-2を見比べると、アセチルコリンが2分子からみ合ったものがクラーレの分子構造のような感じです。これから想像される通り、クラーレはアセチルコリンが作用すべき構造に先に結合してアセチルコリンが作用できないようにしている、すなわちアンタゴニストとして機能しているわけです(12)。
図133-2 麦角に含まれるアセチルコリン
アセチルコリンはコリンとアセチルCoAを材料として、コリンアセチルトランスフェラーゼという酵素によって合成されます(図133-3)。アセチルCoAは生物が呼吸を行なっている限りミトコンドリアが産生する物質で、通常細胞質に存在します。コリンはアセチルコリン合成の材料だけではなく、細胞膜の成分でもあり生合成も可能ですが、それでは足りないので栄養として摂取することが必要です。レバー・卵黄・大豆・赤飯用のササゲなどに豊富に含まれています(13)。
図133-3を見るとわかるように、アセチルコリンエステラーゼの活性を阻害すると、アセチルコリンは代謝されないため濃度が上昇します。オウム真理教事件で名前を知られたサリンは不可逆的にアセチルコリンエステラーゼを不活化するので、神経と筋肉の接点シナプスが機能を失い極めて危険な毒物です(14)。
図133-3 アセチルコリンの合成と分解
神経細胞も必要な量のコリンを産生できないので、細胞膜に高親和性トランスポーターという装置を設置して、コリンを外界から取り込んでいます。コリンの取り込みに成功すれば、コリンアセチルトランスフェラーゼは常に十分な活性が存在するので、直ちにアセチルコリンを供給することが可能です(15、図133-4)。アセチルコリンは小胞アセチルコリントランスポーターによって、シナプス小胞に取り込まれます(図133-4)。驚くべき事に小胞アセチルコリントランスポーターの遺伝子は、コリンアセチルトランスフェラーゼ遺伝子のイントロンの中に存在しており、エンハンサーやプロモーターを共有していることが報告されています(16)。
興奮が軸索末端に伝わるとカルシウムが取り込まれ、前セクションに記載したようなプロセス(17)を経て、シナプス小胞が細胞膜と融合して中身がシナプス間隙に放出されます。シナプス小胞ひとつにつき1000~50000分子のアセチルコリンが放出されるようです(15)。シナプス後細胞におけるアセチルコリンの受容体などについては次のセクションで述べます。
図133-4 シナプスにおけるアセチルコリンの受け渡し
参照
1)ウィキペディア: クラーレ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AC
2)Wikipedia: Charles Waterton
https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Waterton
3)Bernard, C. Lecons Sur Les Eets des Substances Toxiques et Medicamenteuses; Bailliere: Paris, France, (1857)
4)梶本哲也 矢毒から開発され たアセチルコリンのアンタゴニスト-執刀外 科 手術 に必須の筋弛緩薬-
化学と教育 vol.56, no.9, pp.512-513
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/54/9/54_KJ00007744805/_pdf
5)Charles R. Harington, Harold King. 1887-1956, Biographical Memoirs of Fellows of the Royal Society, vol.2, pp.157-171 (1956)
https://www.jstor.org/stable/769483?seq=1#metadata_info_tab_contents
6)Wikipedia: Tubocurarine chloride
https://en.wikipedia.org/wiki/Tubocurarine_chloride
7)Everett AJ, Lowe LA, Wilkinson S (1970). "Revision of the structures of (+)-tubocurarine chloride and (+)-chondrocurine". J. Chem. Soc. Chem. Commun. (16): 1020., pp.1020-1021 (1970) doi:10.1039/c29700001020
https://pubs.rsc.org/en/content/articlelanding/1970/C2/c29700001020#!divAbstract
8)天木嘉清 矢毒(クラーレ)のアマゾンより手術室への遥かなる旅
慈恵医大誌 vol.119, pp.221-228 (2004)
file:///C:/Users/morph/AppData/Local/Temp/119-3-221.pdf
9)Wikipedia: Acethylcholine
https://en.wikipedia.org/wiki/Acetylcholine
10)続・生物学茶話132: 化学シナプスの実在とカルシウムチャネル
http://morph.way-nifty.com/grey/2021/03/post-bb9eed.html
11)Dale,H.H.,Feldberg,W. & Vogt,M.. Release ofacetylcholine at voluntary nerve endings., J. Physiol., vol.86, pp.353–380 (1936)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1394683/
12) Wenningmann I, Dilger JP., The kinetics of inhibition of nicotinic acetylcholine receptors by (+)-tubocurarine and pancuronium., Molecular Pharmacology., vol.60 (4): pp.790–796. (2001) PMID 11562442
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/11562442/
13)健康長寿ネット レシチン・コリンの効果と摂取量
https://www.tyojyu.or.jp/net/kenkou-tyoju/shokuhin-seibun/lecithin.html
14)ウィキペディア:サリン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3
15)脳科学辞典:アセチルコリン
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%81%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%B3
16)Lee E. Eiden.,The Cholinergic Gene Locus., Journal of Neurochemistry., vo.70, no.6, pp. 2227-2240 (1998)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9603187
17)続・生物学茶話132: 化学シナプスの実在とカルシウムチャネル
http://morph.way-nifty.com/grey/2021/03/post-bb9eed.html
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