続・生物学茶話128: パッチクランプ法
生体電気信号を勉強するためにオームの法則を復習しておきましょう。オームの法則によれば、ある物質の中を流れる電流I(単位:アンペア)は、電位差V(単位:ボルト)とその物質の電気伝導度G=コンダクタンス(単位:ジーメンス)の積になります。Gは物質の種類と温度などの環境条件で決まる定数なので、「ある物質の中を流れる電流は負荷された電位差に比例する」としてもいいわけです。これを数式で表現すると、I=GV ということになります。電気伝導度Gは電気抵抗R(単位:オーム)の逆数なので、この式はI=V/Rとも書けます。
ここで直列回路(1、図129-1A)の場合、回路上に置かれた2つの物質の電気抵抗をR1およびR2とすると、全抵抗はR1+R2です。すなわち Rtotal=R1+R2ということになります。したがってここに流れる電流は I=V/(R1+R2) です。
数値を代入すると、I=9V/(500Ω+500Ω)=9÷1000=9mA
一方並列回路(1、図129-1B)の場合、全体を流れる電流は個々の回路を流れる電流の和になります。
I=V/R1+V/R2 すなわち I=V(1/R1+1/R2)です。電気抵抗の逆数は電気伝導度なので I=V(G1+G2)とも書けます。
数値を代入すると I=9Vx(1/500Ω+1/500Ω)=9x 0.004=36mA
図128-1 直列回路と並列回路
生体電気信号を理解するためにはもうひとつ、コンデンサについての知識が必要です。コンデンサは絶縁体の両側を2枚の金属板ではさんだような構造になっています(2、3、図128-2A)。ここに電池を使って電圧をかけると、2枚の金属板にはそれぞれ+および-の荷電が蓄積します(図128-2A、充電)。このとき絶縁体内部でも非通電時にはランダムだった分子の並びが整列した状態になり、各分子の内部でも電子密度が偏った状態になります(4、図128-2、絶縁体内部での構造変化)。この状態は電池をはずしても変わりません(図128-2B、蓄電)。ところが導線を電球につなぐと、ここに電流が発生し、電球は点灯します(図128-2、放電)。
電球が点灯してエネルギーが消費されると、コンデンサにおける金属板の帯電と絶縁体での分子の状態がもとのランダムな状態にもどります(図128-2A)。ここでまた電池をつなぐと再び充電されます(図128-2A、充電)。図128-2をよく見ていただくと、絶縁体があるにもかかわらず、あたかも充電時には電池プラス極→導線→金属板→絶縁体→金属板→導線→電池マイナス極、放電時には電球→導線→金属板→絶縁体→金属板→導線→電球と逆回りに電流が流れているような状況が生まれます。
細胞膜はある種のコンデンサのような役割も果たしています。では細胞内の電池とは何でしょうか? それはイオンチャネルやイオンポンプによるイオンの出し入れが相当します。これらによって電池の役割が実現されています。そのためのエネルギーは細胞内のATPによって供給されます。たとえばひとつの細胞に1000個のイオンチャネルがあるとすると、それらは並列に並べられた電池のようなものであり、その穴が解放されると電池1000個分の放電が起きます。またイオンポンプは常にコンデンサを充電するような働きを行っていることになります。
図128-2 コンデンサのメカニズム
イオンチャネルの機能についての研究は、ネーアーとザクマンのパッチクランプ法(5、6)の開発によって著しく進展しました。電極が入った細くて精密に制作されたガラスピペットをマイクロマニピュレーター(7、8)で操作し、細胞に徐々に近づけていって細胞膜に接したところで少し吸い上げます(図128-3)。そうすると細胞膜が少しピペット内に引き込まれ、ピペットと膜の間から電流が漏れ出すことがない所謂ギガシールドの状態が確保できます。この方法ができる前は、細胞に電極を刺していたのでどうしても漏れがありましたし、小さな細胞ではそもそも実験が不可能でした(4)。図128-4はピペットを神経細胞につけてパッチクランプを実行しているところです(6)。
ピペットでトラップされたイオンチャネルが1個であれば、活動電位にともなうそのチャネルの電位変動が観察できますし、ピペット内の電極液の組成を変えることによって様々な実験もできます(9)。また膜の一部だけをピペットで吸い上げたり、膜に人為的な穴を開けて細胞質液を電極液に交換してしまうというようなことも可能です(6)。
図128-3 パッチクランプ法
図128-4 パッチクランプ法を実施している写真
ネーアーはミュンヘンのホッホシューレの出身で、これはウニベルジテートと違って技術実習を重視した大学だそうです。彼自身このことが後の自分の研究に大きな影響を与えたと述べています(9)。ネーアーは米国留学中に生物物理学者になることを決意し、帰国後マックスプランク研究所でザクマンと1967年に共同研究をはじめました。ザクマンはその後英国に留学しますが、帰国後またネーアーとの共同研究を再開します。その目的は1個のイオンチャネルの電位変化を測定することでした。幸いにして彼ら2人のための研究室を得て所期の目的を達成することができました。これによってホジキン-ハクスレイのイオンチャネル説、すなわちナトリウムおよびカリウムチャネルが実在することが証明されました(10、11)。
図128-5 パッチクランプ法を開発したネーアーとザクマン
彼らの技術はさまざまな改良が行われ、現在でも神経生理学者にとっては米の飯のように大事な技術となっています。ネーアーとザクマンはこの功績によって1991年のノーベル生理学医学賞を受賞しました(9)。
参照
1)ウィキペディア: 直列回路と並列回路
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E5%88%97%E5%9B%9E%E8%B7%AF%E3%81%A8%E4%B8%A6%E5%88%97%E5%9B%9E%E8%B7%AF
2)ウィキペディア: コンデンサ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B5
3)村田製作所 コンデンサとは?
https://article.murata.com/ja-jp/article/what-is-capacitor
4)杉晴夫「生体電気信号とはなにか」 講談社ブルーバックス (2006)
5)ウィキペディア: パッチクランプ法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%81%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E6%B3%95
6)Wikipedia: Patch clamp
https://en.wikipedia.org/wiki/Patch_clamp
7)ナリシゲ マイクロマニピュレーター
https://www.narishige.co.jp/japanese/products/application/patch_clamp.html
8)室町機械
https://muromachi.com/index.php/archives/item_cat/06-05
9)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1991: Erwin Neher and Bert Sakmann
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1991/press-release/
10)Neher, E., & Sakmann, B.
Single-channel currents recorded from membrane of denervated frog muscle fibres. Nature, vol.260(5554), pp.799-802, (1976).
https://www.nature.com/articles/260799a0
11)Erwin Neher, Ion channels for communication between and within cells. Nobel lecture, December 9, 1991
https://www.nobelprize.org/uploads/2018/06/neher-lecture.pdf
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