続・生物学茶話 125: 背と腹 よみがえったジョフロワの亡霊
左右相称動物のなかで、私達もその一員である脊椎動物などの後口動物(deuterostome)では中枢神経系が背側にあるのに対して、昆虫などの前口動物(protostome)では中枢神経系が腹側にあります(図125-1)。始原的左右相称動物であるウルバイラテリアが生まれる前から地球上に存在した、たとえばクラゲ型の刺胞動物にも口はあったと思われるので、口のある方を腹側とすれば始原的左右相称動物であるウルバイラテリアにも背と腹は存在したはずです。当時の刺胞動物の神経系については、主なものは口を動かすための口周囲のリング状のものと、そこから放射状に伸びる触手(テンタクル)を動かすためのものがあったことが現在のクラゲなどから推測されます。
ウルバイラテリアは基本的に海底を前に進んで餌を探すという生物ですから、ここで前後という概念が生まれました。海綿動物や刺胞動物には前後の概念はありません。ウルバイラテリアでは後方より前方の情報(触覚・視覚・嗅覚)が圧倒的に重要であるというアンバランスが発生しました。ですから神経の中心が腹の中心付近にあった口の周辺から前方に移動し、脳は前方に誕生しました。もうひとつウルバイラテリアにとって重要なことは、腹側の筋肉を動かして前方に進むということです。このためには神経系は腹側にあるべきでしょう。実際、前口動物の神経は腹側にあります(図125-1)。
ところが後口動物では神経は背側にあります。前口動物の場合主要な神経索が消化管とクロスしているのが不自然な感じなので、後口動物のように消化管と主要神経索が平衡な生物が始原的な左右相称動物であり、前口動物はその基本形から派生的に生まれたと考えられがちで、図125-1の上段図で黒で描いた主要神経索が背側に描いてあります。しかし私は青で描いた腹側の主要神経索がもともとの形態だったと思います。口が下方にある上に、腹側の左右の筋肉を協調して動かし前進するというのは、ウルバイラテリアにとって本質的に重要なことであり、まず腹側の神経系が発達することは自然の理と考えます(図125-1上段図の青い神経索)。
口が下にある段階で腹背が逆転したら、ウルバイラテリアは生きていけません。消化管が貫通してからもしばらくはこの形態(図125-1上段図の青い神経索を持つ生物)は引き継がれたと思われます。ただ口が下方から前方に移動し、泳いで生活するようになったならば、主要な神経系が腹側にあるというメリットがなくなり、背側にある生物が出現するのも自然な感じではあります。前後の逆転については、より難しい問題で、また勉強不足のためここではコメントを控えます。
図125-1 中枢神経が背側にあるか腹側にあるか
主要神経索が背側にあるか腹側にあるかという生物を2分する相違については、早くも19世紀からフランスでジョルジュ・キュヴィエとエティェンヌ・ジョフロワ・サンティレール(図125-2)の大論争があったそうです。キュヴィエは前口動物と後口動物のボディプランが根本的に異なると考えましたが、ジョフロワは裏返っただけで両者は同じボディープランだと主張しました。この論争は西欧ではかなり有名らしく、私は未読ですが本まで出版されています(1)。キュヴィエが優勢だったようですが、ゲーテは持論の「Urform=原型」からすべての動物が生まれたという思想からジョフロワを支持したそうです(2)。図125-1の上段の図はある種のUrformです。
図125-2 キュビエとジョフロワ
長い空白期間の後に、キュビエ・ジョフロワ論争にとりあえずの決着をつけたのは、あのSTAP細胞の件で自殺した理研の笹井芳樹らでした(3)。デ・ロバーティスと笹井(図125-3)はマウスとショウジョウバエという系統的にかけ離れた種において、ボディープランを決定する遺伝子、特に前後軸を決定するHox遺伝子クラスターや背腹軸を決定するSog/Dpp遺伝子に共通点が多いことから、これらは進化的に保存されたものであるとし、後口動物と前口動物の共通祖先としてウルバイラテリア(urbilateria)を想定しました(3-5、図125-1上段図-左右相称動物の基本型)。キュヴィエ-ジョフロワ論争から言えば、彼らはジョフロワの亡霊をよみがえらせたというわけです。
図125-3 背腹問題の手がかりをみつけた研究者たち
Hox遺伝子クラスターは左右相称動物の最も基本的なボディープランを規定する遺伝子群と思われ、マウス(後口動物)とショウジョウバエ(前口動物)という系統的にかけはなれた生物同士でも共通点が多く、ジョフロアの正しさを示しています。ゴーンの総説(5)から図125-4を引用しておきます。
図125-4 前口動物(Drosophila)と後口動物(Mouse)におけるHox遺伝子クラスター とそこから類推されるウルバイラテリアの場合
Sog/Dppについてはショウジョウバエ(前口動物)とアフリカツメガエル(後口動物)のmRNAに互換性があることが証明されています(6)。動物が初期発生の頃、基本的な形態形成を行なうための場を形成する分子群は数百以上あるでしょうが、なかでも重要な役割を果たしているのはBMPとその関連因子です。Sog、chordin、Dpp、BMP4などもその中に含まれています。
BMPを最初に見つけたのはカリフォルニア大学の整形外科医だった Marshall R. Urist (7、図125-3)で1965年のことでした。もともとは骨の増殖促進因子として発見されたので、bone morphogenetic protein などという名前がつけられましたが、実はこの因子は生理的には骨形成と直接の関係はなく、もっと広汎な作用を持つ因子だということが後に判明しました(8)。
節足動物のSOGと脊椎動物の chordin はホモログであり、いずれも中枢神経を誘導する機能に互換性があることが証明されています(6)。ただ初期発生の頃に、節足動物のSOGは腹部に発現し、脊椎動物の chordin は背部に発現するという違いがあります。この発現位置を決める遺伝子の変異によって、位置が逆転したと思われます。このほかに腹背の特徴を制御するDPPとそのホモログBMP4の発現位置も節足動物と脊椎動物では逆転しています(図125-5)。
図125-5 中枢神経系の配置逆転
Chordin はシュペーマンとマンゴルトのオーガナイザーの分子的実体だと注目されましたが(9)、それが本当かどうかは微妙です。初期発生における3軸(前後・腹背・左右)の決定には3次元的に多数の因子が関わっており、人間の知能ではごくおおざっぱにしか把握できなのではないかと思われます。おそらくスーパーコンピュータに数値を入れると、答えが返ってくるというような課題ではないでしょうか。 それはそれとして、chordin の作用機構についてはかなり解明されているようです。Chordin は分子量約12万ダルトンのかなり大きめのタンパク質で、分子内に4つのシステインリッチドメインを持っていることが特徴です(10、図125-6)。
Chordin はTsgというタンパク質と結合しているBMPをトラップし、本来細胞膜のBMP受容体に結合すべきBMPを隔離するという作用を持っています。つまり chordin 自体が背側誘導のカスケードを起動するのではなく、BMPが起動する腹側誘導カスケードを阻害することによって、結果的に背側を誘導するということです(11)。
図125-6 コーディンと関連タンパク質
BMPは様々な形態形成過程で重要な役割を果たすので、いつまでもトラップされたままでは困ります。BMPを Chordin から解放するために、tolloid というメタロプロテアーゼが用意されています。このタンパク質分解酵素は chordin を切断してBMPを解放します(図125-6、図125-7)。
ここで crossveinless 2 というタンパク質が興味深い役割を果たします。これがないとショウジョウバエの翅脈がうまくできないというのが名前の由来です。このタンパク質は細胞膜から突き出した糖鎖に結合しており、システインリッチドメインを介して chordin-BMP-Tsg複合体に結合します(12、図125-7 のピンクで記してある cystein rich domein と CR1)。したがってCrossveinless2を特定領域に密集させておけば、Chordinが分解されたときに高濃度のBMPが放出されて、効率よくBMPカスケード(BMP→BMP受容体→Smad複合体→転写)を起動できることになります(12)。
図125-7 Crossveinless 2 の役割
前にも述べたように、腹背軸の決定などの初期発生における3軸決定には多くの因子がからんでいるので、上記のような単純な理論はひとつの切り口に過ぎず、他の側面からも見る必要があります。たとえば三品はBMPシグナルとFGFシグナルが競合的に働くことで中胚葉誘導時の中胚葉の背腹パターンを制御しているというモデルを提唱しています(8)。
参照
1)Tobey A. Appel, The Cuvier-Geoffroy Debate. French Biology in the Decades Before Darwin., Oxford University Press (1987)
https://global.oup.com/academic/product/the-cuvier-geoffroy-debate-9780195041385?cc=jp&lang=en&
2)倉谷滋 「形づくりにみる動物進化のシナリオ」 丸善(2015)
3)De Robertis EM, Sasai Y., A common plan for dorsoventral patterning in Bilateria. Nature 380: 37–40. (1996)
https://www.nature.com/articles/380037a0
4)秋山(小田)康子、小田広樹: なぜ今、クモなのか?胚発生が描く進化の道すじ、生命誌ジャーナル 2004年秋号
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/042/research_21.html
5)Stephen J. Gaunt, The significance of Hox gene collinearity. Int. J. Dev. Biol. 59: 159-170 (2015) doi: 10.1387/ijdb.150223sg
http://www.ijdb.ehu.es/web/paper/150223sg/the-significance-of-hox-gene-collinearity
6)Scott A. Holley, P. David Jackson, Yoshiki Sasai, Bin Lu, Eddy M. De Robertis, F. Michael Hoffman, Edwin L. Ferguson., A conserved system for dorsal-ventral patterning in insects and vertebrates involving sog and chordin. Nature volume 376, pages 249–253 (1995)
http://www.nature.com/articles/376249a0
7)Marshall R. Urist, Bone: Formation by Autoinduction., Science, Vol. 150, Issue 3698, pp. 893-899 (1965) DOI: 10.1126/science.150.3698.893
http://science.sciencemag.org/content/150/3698/893
8)三品 裕司 BMPシグナルの多彩な機能——初期発生から骨格形成まで Journal of Japanese Biochemical Society vol. 89(3): pp. 400-413 (2017) doi:10.14952/SEIKAGAKU.2017.890400
https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2017.890400/data/index.html
9)Edward M. De Robertis, Spemann's organizer and self-regulation in amphibian embryos., Nat Rev Mol Cell Biol., vol.7(4), pp.296–302. (2006)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2464568/
10)Juan Larraín, Daniel Bachiller, Bin Lu, Eric Agius, Stefano Piccolo, and E. M. De Robertis., BMP-binding modules in chordin: a model for signalling regulation in the extracellular space., Development. vol. 127(4): pp. 821–830 (2000)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2280033/
11)The chordin page.
http://www.hhmi.ucla.edu/derobertis/EDR_MS/chd_page/chordin.html
12)Catharine A. Conley, Ross Silburn, Matthew A. Singer, Amy Ralston, Dan Rohwer-Nutter, David J. Olson, William Gelbart and Seth S. Blair1, Crossveinless 2 contains cysteine-rich domains and is required for high levels of BMP-like activity during the formation of the cross veins in Drosophila., Development, vol. 127, pp. 3947-3959 (2000)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10952893
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