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2020年11月23日 (月)

加藤陽子 東京大学文学部教授

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学術会議任命を拒否された6人の中に加藤陽子さんという方がいます。彼女の著書「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(新潮文庫 2009年刊)を読んでみました。

まず気がつくのは、著者はなにがしかのイデオロギーを元に歴史を解釈しようとする人ではなく、純粋に科学者としてフラットな立場から、歴史の中で動いてきた様々な人物や団体の考え方をえぐり出していこうという姿勢に貫かれているということです。

ですから安倍・菅政権がやってきたことはレッドパージよりもひどいもので、自らの政策に反対する者はすべて、たとえ保守派の論客であっても、政治からは独立しているはずの学術会議からもパージしようという、おそるべきものです。彼らは自分たちを支持する周囲の人々には特にやさしいオキシトシン人種なので、羊の皮を被った狼には注意が必要です。

この本を読んで、ひとつ驚いたことがあります。それはあの昭和天皇が「松岡まで靖国神社に合祀されている」ことに不満を述べられたという、その松岡洋右についてです。彼は国際連盟の席を蹴って脱退する映像があまりにも有名で、私も日本を太平洋戦争に導いた責任者のひとりだと思っていて、実際A級戦犯となって病死しているのですが、実は内田外務大臣が彼の進言を尊重していたら、戦争は回避されたかもしれないというこの本のエピソード記述には衝撃をうけました。

松岡洋右はリットン報告書が国際連盟で議論されているときに、これを腹八分目で我慢して受け入れるべきだとの立場から、内田大臣に「ついに脱退のやむなきにいたるがごときは、遺憾ながらあえてこれをとらず。国家の前途を思い、この際、率直に意見具申す」と電報を打っているのです。内田大臣はこの意見をとらず、結局日本は連盟を脱退して戦争への道を歩み始めることになります。

しかし外務大臣になってからの松岡は、結局陸軍の圧力に屈して3国同盟を結んで戦争を推進する立場に転じてしまいました。ウィキペディアによると彼は・・・(外務大臣解任後)日米開戦のニュースを聞いて「こんなことになってしまって、三国同盟は僕一生の不覚であった」、「死んでも死にきれない。陛下に対し奉り、大和民族八千万同胞に対し、何ともお詫びの仕様がない」と無念の思いを周囲に漏らし号泣した・・・という記載があります。

安倍・菅政権は人文科学は不要な科学という立場ですが、では歴代の政府がとってきた政策を誰が評価するのでしょうか? 人文科学は自然科学とは全く異なる学問ですが、表面に見えていることだけでなく、その内側の真理・真実を知ろうとする努力に変わりはありません。

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