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2020年11月 2日 (月)

続・生物学茶話 117: 水晶体とクリスタリン

光は角膜→前眼房→水晶体→硝子体の順に体内に入射し、網膜によって感知されます(1、図117-1)。光が通過する組織は透明である必要があります。角膜・前眼房・水晶体には血管が配置されていません。このうち前眼房の中身は頻繁に入れ替わっている液体であり、涙とともに角膜や水晶体に酸素や栄養を供給する役割を持っています。水晶体を保持している組織は図117-1では提靱体となっていますが(1)、チン小帯の方がポピュラーな名称でしょう。普通に考えれば、水晶体を周りの筋肉で引っ張れば薄くなって遠くにピントが合い、弛緩すれば分厚くなって近くにピントが合うというメカニズムでよいと思いますが、実際には毛様体筋が収縮すると水晶体が分厚くなり、弛緩すると薄くなります。このメカニズムは毛様体筋とチン小帯の巧妙な配置と連携によって実現されています(2、3)。

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図117-1 ヒト眼球の断面図

硝子体 (vitreous body) 内部は、99%が水分からなる柔らかいゲルのなかにまばらに細胞が浮いているような組織です。血管が配置されていて酸素や栄養分は常時供給されています。タンパク質成分としてはコラーゲン、他に多糖類であるヒアルロン酸(ヒアルロナン)が水分以外の主成分です。コラーゲンは強大な線維を構成する性質があり、硝子体がこれだけ水分の多い組織であるにもかかわらず、ある程度弾力のあるゲルとして形を保持するのに役立っています(4)。水晶体(lens)は硝子体と違って水分は66%程度で、多量のタンパク質を含んでいます。図117-2は アルファtips のサイト(5)の図をもとにした水晶体の断面図です。水晶体はカプセル(前囊と後囊)、上皮細胞、線維細胞からなり、細胞で隙間無く埋められた組織です。

水晶体には血管が配置されていないため、特に線維細胞は周辺の上皮細胞などから栄養の供給を受けなければならず、実質的に普通に生きている細胞のような活動はできません。この細胞は細胞核・ミトコンドリアなどの細胞内構造をほとんど持たず、従ってDNA合成、RNA合成、タンパク質合成などは行わない単なる袋のような細胞です。したがって胎児の頃から死ぬまで、線維細胞は「生かさず殺さず」の状態で何十年も水晶体に蓄積されています。胎児の頃にできた細胞集団が図117-2の核(胎児核)を形成し、生まれた後は皮質(成人核)が形成されます。これらの線維細胞は年月の経過にともなって水分を失い収縮する傾向にあるので、水晶体のサイズをたもつために、上皮細胞が赤道あたりで線維細胞に分化しながら核の一部になることがあります(図117-2)。走査電子顕微鏡による写真がウェブにアップされています(6)。

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図117-2 水晶体の断面図

角膜と水晶体の水以外の主成分はクリスタリンというタンパク質です。英語のスペルは crystallin で、最後にeはつきません。これらの組織は透明ですが、本来発色団を持たないタンパク質の溶液は透明で、例えば卵白アルブミン溶液は透明ですが、加熱して変性すると卵焼きの白味のように不透明になります。しかし水晶体はレンズなので、毛様体筋の収縮に対応して迅速に形を変えなければいけません。したがって水晶体は液体と固体の中間的な弾力を持った組織でなくてはいけません(卵白アルブミンはこのような役割を果たせません)。この特殊な要求を満たすのがクリスタリンです。

クリスタリンを発見したのはウィリアム・ホルトとジン・キノシタです(7、図117-3)。ジン・キノシタは米国の National Eye Insutitute で研究を行なっていた方で、2010年に逝去されたとのことで研究所から弔辞もだされています(8)。しかしウィリアム・ホルトについては消息がわかりませんでした。またクリスタリンを精製して詳しく性質を調べたリチャード・J・アレクサンダーという人物(9)についても情報を得ることが出来ませんでした。彼は当時クリスタリンをBovine Corneal Protein (BCP) 54と命名していました。

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図117-3 クリスタリンの発見

哺乳類の主なクリスタリンはα、β、γ の3種類ですが、図117-4にそれぞれのアミノ酸配列のアラインメントを示しました。この結果からわかるように「α」と「β、γ」は一部分を除いては共通性に乏しく、別のグループのタンパク質と考えられています(10)。クリスタリンはもともと眼のレンズ(水晶体)や角膜のために出現したタンパク質ではなく、たとえばα クリスタリンは分子シャペロンという、他の分子の立体構造を保持したり修復したりする作用を持つ small heat shock protein family という分子群に所属します(11、12)。α クリスタリンはレンズにおいても、β、γ クリスタリンの構造修復に寄与していると考えられています(13)。水晶体の細胞はタンパク質合成の機能を放棄しているので、古いタンパク質を分解して新しいタンパク質で置き換える能力がありません。したがってこの修復機能は大変重要です。それでも80才くらいになると、ほとんどの人はクリスタリンの構造変化(変性)によって透明性が失われ白内障を発症します(14)。

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図117-4 α・β・γクリスタリンのアミノ酸配列のアラインメント

βおよびγクリスタリンはカルシウム結合蛋白質のスーパーファミリーに所属するタンパク質で、多くの細菌もこのタンパク質を持っており、機能は多岐にわたっていると思われますが十分には解明されていないようです(15)。レンズが機能を発揮するためには、高濃度になっても透明性や弾力が維持される必要があり(もちろん結晶化してはいけません)、光を散乱させないで、適度に光を屈折してすばやく網膜にフォーカシングしなければいけません。各クリスタリンの立体構造を図117-5に示しました(16)。αクリスタリンにはAタイプとBタイプが存在し、それぞれαA、αBとよばれています。

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図117-5 α・β・γクリスタリンの立体構造


脊椎動物はαタイプとβタイプのクリスタリンを共通で持っていますが、もうひとつのタイプ(哺乳類ではγ)は種によってさまざまなタイプがみられます(17、18)。一部を図117-6に示しました。ほとんどの生物は酵素など別の役割を果たしていたものを流用しているようです。例えば遺伝子重複が起こったような場合に、片方の遺伝子が眼で発現しやすくなってクリスタリンとして進化したというようなことがあるようです(18)。ヒトの眼について概観したい場合、文献19が発生から白内障までうまくコンパクトにまとめてあるのでお勧めします。

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図117-6 様々な動物におけるクリスタリン

ここでは述べませんでしたが、角膜には水晶体とは異なるクリスタリンが存在し、これも種によって様々なバラエティーがあることが知られています(20)。

参照

1)ウィキペディア 眼: 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE

2)若山眼科 眼の構造とはたらき
https://www.wakayamaganka.jp/archive/3558/

3)ウィキペディア チン小帯:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E5%B0%8F%E5%B8%AF

4)Toyoaki Matsuura, Shinji Maruoka, Kensuke Kawasaku and Yoshiaki Hara, The structure of Vitreous Body and Hyaluronan(硝子体の構造とピアルロナン)., 日本バイオレオロジー学会誌(B & R)第17巻 第4号 pp.1-10 (2003)

5)αtips 白内障とは:
http://inami.co.jp/inamaga/detail/?contents_type=465&id=1588

6)うしき・たつお 水晶体の構造
http://www.saitama-u.ac.jp/ohnishi/jikken/Lens.htm

7)William S. Holt, Jin H. Kinoshita., The soluble proteins of the bovine cornea., Investigative Ophthalmology & Visual Science., Vol. 12, pp. 114-126. (1973)
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0ahUKEwiQ-qCT3bTcAhUS9bwKHdkfDR8QFggtMAA&url=http%3A%2F%2Fiovs.arvojournals.org%2Fpdfaccess.ashx%3Furl%3D%2Fdata%2Fjournals%2Fiovs%2F932875%2F114.pdf&usg=AOvVaw2Z_aHRKYqdeaIVoEuTvHIm

8)NEI Mourns Jin H. Kinoshita.,
https://nei.nih.gov/news/briefs/kinoshita

9)Richard J. Alexander., Isolation and characterization of BCP 54, the major soluble protein of bovine cornea., Experimental Eye Research.,Vol. 32, Issue 2, pp. 205-216 (1981)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0014483581900099

10)Wikipedia Crystallin:
https://en.wikipedia.org/wiki/Crystallin

11)Sharma KK1, Kumar RS, Kumar GS, Quinn PT., Synthesis and characterization of a peptide identified as a functional element in alphaA-crystallin. J Biol Chem., vol. 275(6): pp. 3767-3771. (2000)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10660525

12)田中直毅 シャペロンペプチドの開発と応用 -分子シャペロンのミニマル機構に基づくタンパク質凝集抑制ペプチドの設計-  高分子 vol. 56, pp. 178-181 (2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kobunshi1952/56/4/56_4_178/_pdf/-char/ja

13)https://en.wikipedia.org/wiki/Crystallin

14)日本白内障学会 水晶体の基礎研究
http://www.jscr.net/activity/page-002.html

15)Shanti Swaroop Srivastava, Amita Mishra, Bal Krishnan, and Yogendra Sharma., Ca2+-binding Motif of βγ-Crystallins., J Biol Chem. vol. 289 (16): pp. 10958–10966. (2014)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4036236/

16)Educational portal of protein data bank.
http://pdb101.rcsb.org/motm/127

17)Tomarev SI, Piatigorsky J., Lens crystallins of invertebrates--diversity and recruitment from detoxification enzymes and novel proteins., Eur J Biochem. vol. 235(3): pp. 449-465. (1996)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8654388

18)森正敬 クリスタリン遺伝子にみる眼の便宜主義
季刊誌「生命誌」通巻12号
https://www.brh.co.jp/publication/journal/012/ss_3.html

19)Joah F. Aliancy and Nick Mamalis, Crystalline Lens and Cataract., Webvision: The Organization of the Retina and Visual System (2017)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK476171/

20)James V. Jester, Corneal Crystallins and the Development of Cellular Transparency., Semin Cell Dev Biol., vo.19(2): pp.82–93. (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2275913/

 

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