続・生物学茶話 115: 眼の進化
前項114では視覚の生化学的基盤について述べましたが、ここでは光の入り口である眼の構造について考察してみましょう。眼はカンブリア紀が始まるこ頃から、様々な形で進化したと考えられています。まずマイケル・ランドの説(1)に従って、眼の進化をみていきましょう(図115-1)。図115-1は原図を簡略化し、日本語化しました。
図115-1 マイケル・ランドによる眼の進化図
ランドの図の根元は扁形動物です。扁形動物は図115-1のaに示されている最も原始的な構造の眼を持っています。レンズも眼房もないシンプルな構造ですが、くぼみがあって、これがシェードとしての役割をはたしているようです。シェードがあれば光が来る方向を感知することができます。
代表的な扁形動物であるプラナリアやコウガイビルの仲間は数億年前からこの地球に生きているわけですが、その後こんなシンプルな眼を進化させることはありませんでした。彼らは捕食されても体の一部が残っていれば全身を再生できるという驚異的な再生力を獲得したため、高度な視覚・素早い運動能力・甲殻などは必要とせず、ゆっくり日陰に移動するという能力があれば生きて行けたというのが、眼を発達させなかったひとつの理由なのでしょう。多くの扁形動物(条虫や吸虫など)は寄生生活をするという道を選びましたが、この場合光がほとんど来ない上に、エサを探す必要もなければ敵に襲われる危険もないので、眼は退化しました。
扁形動物より原始的なグループとされている刺胞動物は、扁形動物よりはずっとアクティヴな自由生活をしてきたので、中にはハコクラゲやアンドンクラゲのように1段階進化したタイプcの眼を持つグループも出現しました。なかでもミツデリッポウクラゲは24個の眼を持っていて、そのうち2個は水晶体を持っているというのですから、これらはもうランドが記載したタイプcを越えてdに近いと思われます(3)。しかも彼らは脳らしきものを持っていないので、神経環で眼からの情報を処理していると思われますが、よほど効率的な処理を行なっているのでしょう。図115-1ではタイプ c+としました。
進化系統樹では扁形動物以降、原口陥入部が口になる旧(前)口動物群と肛門になる新(後)口動物群に分かれますが、前者の場合ヒトと同等な眼を持つ軟体動物の頭足類から、複眼を極限まで発達させた節足動物の昆虫類まで様々なタイプが存在します。複眼は図115-1のタイプb、eですが、eタイプは個々の眼にレンズがついている高級仕様です。*の部分が短いと解像度の高い像が得られ、長いとより明るい像が得られる傾向があります。複眼の場合隣接する眼に入射した光もセンサーにはいってくる可能性が高いので、この結果明るくなるのはいいのですが、一方で解像度は下がる傾向にあります。蛾などの夜行性昆虫は*の部分を長くして、なるべく多くの光をとりこむ仕様になっています。
単眼タイプと複眼タイプの両者を持っている生物もいれば、眼がほとんど退化したような生物もいます。光信号を化学信号から電気信号に変換する機構は進化の過程で1度だけつくられてそのまま使われているようですが、眼の構造の進化はそれほど長い時間を要しないと考えられています。眼という光学装置は、さまざまな系統の動物で個別に進化した結果、結果的に類似した装置を離れた系統の生物が装備することになった場合もあるようです(4)。
少し前まで旧口動物の光受容細胞は微絨毛が進化した装置を持ち、新口動物の光受容細胞は繊毛が進化した装置を持つと考えられていましたが、例外があることが明らかになったので(5、6)、旧口動物・新口動物というようなおおざっぱな分類においても、微絨毛型と繊毛型という別々の戻れない道に別れたとは言えなくなりました。なお繊毛は本来細胞の表面積を増やすためのものではなく、これを動かして細胞を移動させたり水流を起こすためのものです。つまり光受容装置としての繊毛は、後の時代に流用されたと考えられます。
脊索動物門と最も近縁な棘皮動物門は非常にユニークな視覚を持っています。ウニの場合無数の棘と管足があるわけですが、光受容細胞は管足にあり、それぞれの管足は棘で仕切られているので、体全体が特殊な複眼のような構造になっているわけです(7、8)。これにたいして脊索動物門の生物は複眼を棄て、a → c → d という単眼の進化を遂行したようです(図115-1)。両生類より系統樹の上位の生物は基本的に陸上で生活するので、網膜の乾燥を防ぐために透明な被膜(角膜)で被うのは必須で、ここからレンズが進化したと思われます。
脊索動物門の生物は門が成立した当初から眼を持っていたかというと、それは疑問です。カンブリア紀のピカイア(図115-2、参照4より)は眼を持っていません(9)。ピカイアは脊索はもっていますが脊椎は持っていないので、脊索動物門の中では原始的なグループだと考えられます。しかし同じカンブリア紀のハイクイクシスは脊椎動物であり、明らかに眼を持っています(10)。カンブリア紀以前には眼を持つ生物は発見されていないので、短い期間に図115-2のレベル1からレベル4または5あたりまでの進化が進行したと思われます。
図115-2 脊索動物における眼の進化
現代魚類の眼(11、図115-2)はレベル5くらいで、角膜はありますが光量調節機能を持つ虹彩はありませんし、レンズ(水晶体)の厚みを変えてピントをあわせることはできません。図115-3はヒトの眼の構造です。平滑筋のはたらきによって、光量に応じて自動的に虹彩が開閉して適当な明るさに調節できますし、見たいものの遠近に応じて自動的に毛様体が収縮し、レンズの厚みを調節してピントを合わせることができます(図115-3ではよくわかりませんが、ウィキペディアの水晶体の項目などに解説があります)。また多数の随意筋(横紋筋)によって目玉が向く方向を自在に調節できます(図115-3)。参天製薬のサイトでアニメーションを使ってわかりやすく説明しています(12)。
図115-3 ヒトの眼の筋肉
哺乳類と頭足類は、図115-1でわかるように系統樹上は離れた位置にありますが、眼はなぜか非常に似た構造になっています(図115-4)。図115-4はウィキペディアから持ってきましたが(4)。頭足類の眼は焦点を合わせるためにレンズを前後に動かすので、この毛様体の付き方ではそれはできそうもありませんが、これに関する情報は発見できませんでした。一つ注目していただきたいのは、図115-4でヒトなど哺乳類の場合視細胞で構成される網膜の外側(光が来る側)に視神経が分布しているのに対して、頭足類の場合網膜の裏側に視神経が分布しています。このことは発生の過程が全く異なっていることを意味しており、両者のルーツが別にあることを示唆しています。もちろん光を受ける細胞が、光が照射される外側にある方が有利かつ自然であり、脊索動物のボディープランの失敗の例と言えます。
もうひとつ言及すべきことは、タコの場合外界側に網膜(ロドプシン集積部位)があるので盲点が発生しませんが、ヒトの場合視神経の束が眼房に出てくるあたりは構造的に網膜が作れないので(図115-4の4)、受光できない盲点が発生します。もうひとつタコの方が優れているのは偏光を検出できると言う点です。ヒトでもなかには偏光が見えるという人がいるそうですが(ハイディンガーのブラシ、13)。
図115-4 ヒトの眼とタコの眼
ヒトの眼には桿体細胞と錐体細胞という2種類の視細胞があります(図115-5)。ウィキペディアによると眼一つについて、桿体細胞は1億個、錐体細胞は7百万個あるそうです。哺乳類は恐竜と同時代に生まれて生き延びてきたという歴史があるので、恐竜全盛時代には夜行動せざるをえなかったわけです。ですから哺乳類はロドプシンを1種類しか持たない桿体細胞で、モノクロの視界を得るので十分な時代が長かったのです。圧倒的に桿体細胞が多いのは、そういう歴史を背負っているからでしょう。
桿体細胞・錐体細胞共に外側にシナプス形成部位があり、その内側に核があり、さらに内側に内節があります。内接の内端に結合繊毛という部位があり、そこでロドプシンが集積する特殊な棚状の構造が内側に押し出されるようにつくられ外節が形成されます(14)。網膜はその外節がぎっしり並んでいる部分のことです(顕微鏡で見ると層状に見える)。ロドプシンは光情報を化学情報に変換するだけでなく、網膜を形成する外節構造をつくるためにも必要です。
図115-5 桿体細胞と錐体細胞
ヒトの場合錐体細胞は3種類のロドプシンを発現していて、それぞれどの波長の光に反応するかを図115-6に示しました(15)。生物は最低でも2種類のロドプシンが存在することによって、はじめて色彩を感じることができます。ロドプシンAとロドプシンBの反応のレベルの違いを色という形で認識するのです。ですからAとBが最大に反応する波長が離れているほど色の種類を多く識別することが出来ます。
多くの哺乳類は2種類のロドプシンしか持っていませんが、ヒトは3種類のロドプシンを持っているため白という色を認識できます。宮田隆によれば「南米に住む新世界ザルには色覚に関して興味深い性差がある。オスは2色の色覚しか持たないが、メスには3色の色覚を持つ個体がいる。この色覚に関する性差は、X染色体がメスでは2本あるが、オスでは1本しかないことと関係がある。」 だそうです(16)。旧世界ザルは3色の色覚があるので、3色の色覚はサルの進化の過程で獲得されたのでしょう。これは食べられる木の実が赤い・・・したがって赤い色を認識できれば生存に有利だった、ということと関係があるようです(16)。ヒトよりすぐれた色覚を持っているのは鳥類で、彼らは4種類のロドプシンを持っている上に、そのうちのひとつは紫外線を感知できます(17)。
図115-6 ヒトの視細胞が感知する光の波長
脊椎動物と同等、あるいはそれ以上に視覚を発達させた動物は節足動物です。カンブリア紀に食物連鎖の頂点に立っていたと言われるアノマロカリスの眼は32,000個の個眼で成り立つ非常に高性能な複眼であったという報告があります(18)。図115-7に現代に生きる節足動物であるトンボとハエの複眼を示します(19)。
図115-7 昆虫の複眼
複眼に含まれるひとつひとつの眼を個眼といいます。トンボの複眼は約5万個の個眼で構成されています。複眼の場合ひとつの個眼を1画素としたデジタルカメラに例えられますが、5万画素のデジタルカメラは優秀なのでしょうか? 水波誠の本によると(20)、身長と眼の解像度は比例しているというキルシュフェルトの理論というのがあるそうで、それならば体の小さな昆虫の複眼の解像度は悪いとはいえないそうです。ただ多くの昆虫は身長から考えると超高速で飛翔するので、解像度よりむしろ衝突をさけるための情報処理の速さが重要です。実際ハエは一秒間に150回の点滅を認識できるそうです(20)。
昆虫の複眼の構造を図115-8に示します。レンズ(水晶体)のすぐ下に視細胞があり、個眼は光がまじらないよう色素細胞のシェードで分離されています。個眼8個(または9個)でひとつのユニットが形成されおり、それらが花弁のように並んだ中央に桿状体というロドプシンが集積した部位が見られます(図115-8)。個眼8個のユニットは最大感知波長が緑・青・紫外の3種類の色素細胞で構成されているので、ユニットごとに色彩を感知することが出来ます(20)。
図115-8 昆虫の複眼の内部構造
昆虫が色彩を認識できることをはじめて示したのはカール・フォン・フリッシュ(図115-9)でした。彼は若い頃に魚が色を識別できることを証明し、さらにミツバチも色を識別できることを証明しました(20、21)。
図115-9のヒトとミツバチが認識する光の波長を示した図は Webexhibits というサイトからの引用です(22)。これによるとヒトほどはっきりではなくてもミツバチにも赤い色が見えていると思われます。しかし紫外線領域はミツバチにははっきり見えていてもヒトには全く見えていませんので、ミツバチの見ている色彩はかなりヒトとは異なるはずです。図115-9の花の色彩は左がヒト、右がミツバチです(23)。ミツバチの見ている色なんて、ヒトには見えないのだからこのようなプレゼンテーションは意味が無いという向きもあり、ハミルトンも "Because we cannot see UV light, the colours in these photographs are representational, but the patterns are real. " と書いていますが(23)、私はその筋の研究者から、ミツバチには多分図115-9のように見えているという話を聞いたことがあります。
図115-9 昆虫の色彩感覚 花の写真は左2枚が人が見た色彩、右の2枚がミツバチが見た色彩
鳥は昆虫と同じくらい紫外線領域が見えるので、おそらくミツバチなどと同じ色彩感覚だと思われます。ログミ-というサイトに鳥の見え方を示した記事がありました(24)。この中で、ヒトが精細にみることができる範囲(例えば文字を読んだりする)はせいぜい10度くらいの角度に限定されているという記述があります。実際今私の前にあるモニターの画面の中央を読んでいると、端っこの文字はなにか文字があるということはわかっても目玉か首を動かさないと読めません。ところが、カモメは水平に見えているすべての物を、広角にわたって精細に見ることができるそうです。つまり眼の性能で言えばカモメはヒトよりはるかに優れています。
参照
1)Michael F. Land and Dan-Eric Nillson., Animal eyes. Oxford University Press (2002)
https://books.google.co.jp/books?id=aAZ_YfVoCywC&pg=PA1&hl=ja&source=gbs_toc_r&cad=3#v=onepage&q&f=false
2)続・生物学茶話 113: 単細胞真核生物の眼点
http://morph.way-nifty.com/grey/2020/10/post-f702c4.html
3)ナショナルジオグラフィック日本版2016年2月号 不思議な目の進化
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/magazine/16/012200005/012200001/?img=ph3.jpg&P=2
4)ウィキペディア: 眼の進化
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%BC%E3%81%AE%E9%80%B2%E5%8C%96
5)中川将司,堀江健生、ホヤ幼生の光受容器 -脊椎動物の眼との比較- 比較生理生化学 vol. 26 No.3 pp. 101-109 (2009)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakuseiriseika/26/3/26_3_101/_article/-char/ja/
6)片桐展子 & 片桐康雄. イソアワモチの多重光受容系:(1)4種類の光受容細胞の特徴と光応答 比較生理生化学 25, 4-10 (2008).
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakuseiriseika/25/1/25_1_4/_pdf/-char/ja
7)Ullrich-Lüter EM, Dupont S, Arboleda E, Hausen H, Arnone MI., Unique system of photoreceptors in sea urchin tube feet., Proc Natl Acad Sci U S A. vol. 108(20): pp. 8367-8372. doi: 10.1073/pnas.1018495108. (2011)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21536888
8)ナショナルジオグラフィック日本版2011年5月号 ウニは全身が“眼”だった
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4200/
9)Morris SC, Caron JB., Pikaia gracilens Walcott, a stem-group chordate from the Middle Cambrian of British Columbia., Biol Rev Camb Philos Soc. May; vol. 87(2): pp. 480-512. (2012) doi: 10.1111/j.1469-185X.2012.00220.x. Epub 2012 Mar 4.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22385518
10)D.-G. Shu et al., Head and backbone of the Early Cambrian vertebrate Haikouichthys., Nature vol. 421, pp. 526–529 (2003)
https://www.nature.com/articles/nature01264
11)裳華房 目のしくみ (Structure of Eye)
https://www.shokabo.co.jp/sp_opt/observe/eye/eye.htm
12)参天製薬 目のピント調節のしくみ
https://www.santen.co.jp/ja/healthcare/eye/products/otc/sante_medical/eyecare/focus.jsp
13)Wikipedia: Haidinger's brush
https://en.wikipedia.org/wiki/Haidinger%27s_brush
14)今西由和 脊椎動物の視細胞をモデルとしたタンパク質輸送および膜構造形成の時間空間的解析 生物物理 vol.56(1),pp. 18-22, (2016)
DOI: 10.2142/biophys.56.018
https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/56/1/56_018/_pdf
15)ウィキペディア: 錐体細胞
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%90%E4%BD%93%E7%B4%B0%E8%83%9E
16)宮田隆 眼で進化を視る -その2- (2006)
https://www.brh.co.jp/research/formerlab/miyata/2006/post_000004.html
17)杉田昭栄 鳥類の視覚受容機構 バイオメカニズム学会誌 vol. 31, no.3, pp.143-148 (2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sobim/31/3/31_3_143/_pdf
18)ナショナルジオグラフィック日本版2011年12月号 アノマロカリスの眼、レンズ3万個?
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5336/
19)Wikipedia: Arthropod eye
https://en.wikipedia.org/wiki/Arthropod_eye
20)水波誠 「昆虫-驚異の微小脳」 中公新書 (2006)
21)ウィキペディア: カール・フォン・フリッシュ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
22)Webexhibits: What colors do animals see?
http://www.webexhibits.org/causesofcolor/17.html
23)Michael Hamilton, A bees-eye view: How insects see flowers very differently to us., (2007)
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-473897/A-bees-eye-view-How-insects-flowers-differently-us.html
24)ログミー: 鳥には世界がどう見えている? 人間にはない驚きの眼の機能
https://logmi.jp/business/articles/157552
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