続・生物学茶話 116: Pax 6の構造と機能
Pax 6というタンパク質の遺伝子の変異によって、無虹彩症やペータース異常という目の病気が発生することは、20世紀から知られていました(1-4)。Pax 遺伝子群はもともとマウスの胎生期に、組織や器官の発生において中心的な役割を果たす遺伝子ファミリーの1グループとして発見されていて(5)、Pax 6 をコードする遺伝子はそのひとつです。Pax 遺伝子群がコードするタンパク質はそれぞれDNAに結合する部位をもっている転写因子であり、転写を調節するという機能によって、発生の過程で組織や器官の位置を決めたり脳の領域わけを行なったりする作用があります。
Pax 6遺伝子をノックアウトすると、目だけではなく脳の異常も発生し死産も増加します。またPax 6は脳の発生過程で、興奮性ニューロンが集中する領域と抑制性ニューロンが集中する領域の境界部位を形成するうえで重要な役割を果たすと考えられています(3,6-8)。Pax 6 の分子構造など詳細は、カール・パボの研究室でエリック・シー(徐勇)らによって明らかにされました(9、図116-1 Biomolecules at Kenyon, Human Pax6 Paired-Domain 分子モデルは参照10より)。シー氏は分子生物学者ですが、世界でも有数のサーチエンジンに成長した Baidu(百度)の創始者のひとりでもあります。
図116-1 Pax タンパク質の分子構造
一般的に Paxグループのタンパク質はPD(Paired DNA-binding domain)、オクタペプチドモチーフ、ホメオドメインという3つの共通部位を持っていますが(図116-1)、Pax 6タンパク質はオクタペプチドモチーフをもっていません。PDは2つのDNA結合部位からなり、それぞれ3つのαヘリックスが主要な構成要素となっています(図116-1)。ホメオドメインはもうひとつのDNA結合部位です(図116-1)。
Pax 6タンパク質のアミノ酸配列をヒトとマウスで比較してみると、図116-2のように全く同じです(ただしアイソフォームがあって、多少違う配列の分子も存在します)。アカゲザル、ウシ、ラットともアミノ酸配列は一致しており、ゼブラフィッシュとも96.5%の一致です(11、12、図116-3)。これだけ進化的に保存されているタンパク質はまれです。これはもちろん、Pax6がそのわずかなアミノ酸配列の変化も種の存続に関わるくらい構造の保存が必要な、そして重要なタンパク質だということを意味します。
図116-2 ヒトとマウスのPax 6タンパク質のアミノ酸配列 (UniProt database より)
図116-3 Pax 6タンパク質構造の普遍性 (NCBI homologene より)
図116-3に示したように、Pax6および類似したタンパク質は鳥類、魚類、両生類、昆虫、線虫にも存在します(11、12)。眼の構造自体は非常に異なっている昆虫とも70%前後のホモロジーが存在することは驚きです。Pax 遺伝子群について脳科学辞典を引用しておきましょう。
脳科学辞典からの引用: 「PAX遺伝子群:Pax 遺伝子群は動物の胎生期に、組織や器官の発生において中心的な役割を果たす遺伝子ファミリーである。脊椎動物ではPax1〜Pax9の9種類が同定されている(表)。Pax遺伝子群はDNA結合ドメインであるペアードドメイン(PD)と呼ばれる領域を共通に持っている。また、Pax遺伝子にはオクタペプチドモチーフ(OP)を持つものや、DNA結合ドメインであるホメオドメイン(HD)、もしくはホメオドメインの一部を持つものがある。このようなドメイン構造の差異から、Pax遺伝子群は4つのサブファミリーに分類される。Pax遺伝子群はヒトやマウスに於いて、病気の原因遺伝子として同定されたものが多い。例えば、眼の発生のマスター制御遺伝子であるPAX6は、無虹彩症の原因遺伝子である。(13) 」(引用終了)
Pax 6タンパク質はペアードドメインとホメオドメインという二つのDNA結合部位を持っており、図116-3に示したように、それは脊椎動物から線虫まで共通の構造です。アシュレイ-パダンらは、この遺伝子が眼が形成される際にまず表層外胚葉に発現し、それを契機としてレンズが形成されるとしました。また彼らはCre-loxP法という時限的遺伝子破壊システムを用いて、Pax 6がレンズ形成や網膜の配置などに必須であることを証明しました(14、15、図116-4)。図116-4に胎仔期マウス(左:9.5日、右15.5日)に発現している位置(紫色)が示してあります。ちなみにアシュレイ-パダンのボスだったグルース(図116-4)は現在沖縄科学技術大学院大学(Oist)のプレジデント/CEOに就任しています。
図116-4 レンズ形成とPax 6の発現
おそらくPax 6遺伝子は現存するほとんどの動物の共通祖先の時代にすでに存在していたはずで、もともとは眼の発生のために存在した遺伝子ではないと考えられます(図116-5)。眼のある生物は、神経の発生など本来他の目的で存在するこの遺伝子を、眼のために流用したものと思われます。図116-5および図116-6はカリフォルニア大学バークレイ校の教育プログラムの図です。
図116-5 Pax 6遺伝子の起源
高度に発達した複雑な眼は、脊椎動物・節足動物・環形動物・軟体動物にみられるわけですが、それぞれの眼は図116-6で色分けしてあるように、独立に進化したと考えられています。それでも節足動物と環形動物の眼が似ていたり、脊椎動物と軟体動物頭足類の眼が似ていたりするのは、一つは前記のようにPax 6によって形成されたものであるということ、今ひとつはレンズの素材としてクリスタリンというタンパク質を用いていることと関係があると思われます。クリスタリンについては次のセクションで取り扱います。
図116-6 高性能の眼を持つ生物は独立に眼を進化させた
参照
1)Jordan T, Hanson I, Zaletayev D, Hodgson S, Prosser J, Seawright A, Hastie N, van Heyningen V., The human PAX6 gene is mutated in two patients with aniridia., Nat Genet., Vol.1(5), pp. 328 - 332. (1992)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1302030
2)難病情報センター 無虹彩症
http://www.nanbyou.or.jp/entry/5452
3)Davis LK1, Meyer KJ, Rudd DS, Librant AL, Epping EA, Sheffield VC, Wassink TH., Pax6 3' deletion results in aniridia, autism and mental retardation., Hum Genet., vol. 123(4) pp. 371-378. (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18322702
4)日本小児科学会 ペータース異常
http://www.japo-web.jp/info_ippan_page.php?id=page06
5)Walther, C., Guenet, J-L., Simon, D., Deutch, U., Jostes, B., Goulding, M.D., Plachov, D., Balling, R., and Gruss, P., Pax: a murine gene family of paired box containing genes. Genomics, vol. 11: pp. 424-434, (1991)
6)Jones L1, López-Bendito G, Gruss P, Stoykova A, Molnár Z., Pax6 is required for the normal development of the forebrain axonal connections., Development., vol. 129(21): pp. 5041-5052. (2002)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12397112
7)Laura A Cocas, Petrina A. Georgala, Jean-Marie Mangin, James M. Clegg, Nicoletta Kessaris, Tarik F. Haydar, Vittorio Gallo, David J. Price, and Joshua G Corbin., Pax6 is required at the telencephalic pallial-subpallial boundary for the generation of neuronal diversity in the post-natal limbic system., J Neurosci., vol. 31(14): pp. 5313–5324. (2011) doi:10.1523/JNEUROSCI.3867-10.2011.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3086773/pdf/nihms286466.pdf
8)MGI Alliance of genome resources., Pax6 gene detail.
http://www.informatics.jax.org/marker/MGI:97490
9)H. Eric Xu, Mark A. Rould, Wenqing Xu, Jonathan A. Epstein, Richard L. Maas, and Carl O. Pabo1., Crystal structure of the human Pax6 paired domain–DNA complex reveals specific roles for the linker region and carboxy-terminal subdomain in DNA binding., Genes Dev. vol. 15; 13(10): pp. 1263–1275. (1999)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC316729/
10)Alice Tillman and Alanta Budrys Biomolecules at Kenyon, Human Pax6 Paired-Domain
http://biology.kenyon.edu/BMB/jsmol2019/ABAT/index.htm
11)NCBI homologene
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/homologene/1212
12)NCBI homologene
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/homologene?cmd=Retrieve&dopt=AlignmentScores&list_uids=1212
13)脳科学辞典 「Pax遺伝子群」
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/Pax
14)Ruth Ashery-Padan, Till Marquardt, Xunlei Zhou, and Peter Gruss., Pax6 activity in the lens primordium is required for lens formation and for correct placement of a single retina in the eye.
GENES & DEVELOPMENT vol. 14: pp. 2701–2711 (2000)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC317031/pdf/X3.pdf
15)Ohad Shaham a, Yotam Menuchin a, Chen Farhy a, Ruth Ashery-Padan., Pax6: A multi-level regulator of ocular development., Progress in Retinal and Eye Research vol. XXX. pp. 1-26 (2012)
http://asherypadan.medicine.mytau.org/wp-content/uploads/2013/04/Shaham_Pax6_Review_2012.pdf
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