続・生物学茶話108: 脳のサイズ
ウィキペディアに哺乳類の体重と脳重量のグラフが出ていました(1、図108-1)。脳が巨大だと知能が高いという単純な比例はありませんが(だとゾウやクジラはヒトより知能が高いはず)、グラフの斜めの実線より上ということは体重当たりの脳重量が比較的高いということを意味し、霊長類やイルカが線より上ということは脳/体重比はある程度の指標にはなるのかもしれません。脳化指数=Kx(脳の重さ/体重の2分の3乗)などという指標を考えた人もいますが(2)、それが知能を比較する上できちんとした科学的根拠になるかというとそんなことはありません。通常ネコの脳化指数を1としてKを決めます。ネコを 1 とすると、ヒトは 7.4-7.8 となるそうです。
図108-1を哺乳類以外まで拡張したのが図108-2です。種も指定していないので精密な図ではありませんが、魚類を標準とすると(点線で囲まれたブルーの領域)、知能の高そうなヒト・カラス・イカや、無脊椎動物でもアリ・ショウジョウバエ・ミツバチなどは上にきています。ただし脳の機能が非常に高いと思われるタコが上にきていないので疑問は残ります。体重と脳重量についてより詳しくデータを出しているサイトがあります(3)。
図108-2 様々な動物の体重と脳重量
話は変わりますが、蜂といいますとミツバチやスズメバチのように、社会生活を送る、巣をつくって子供を育てる、人が近づくと刺すというようなイメージだと思いますが、それらは少数派で、多くの蜂は植物や動物に卵を産み付けて、そのまま放置するのです。蜂は世界中に10万種類くらい存在するようで、まだ知られていない種も多いと思われます。昆虫の中では圧倒的な勝ち組のひとつです。寄生する蜂の巨大な学術サイトもあります(4)。
そんな寄生蜂のなかにアザミウマタマゴバチ(Megaphragma mymaripenne)というのがいます。アザミウマという昆虫を見たことがないという人もいるかもしれませんが、それはおそらくサイズが小さくて(体長1mm弱~2mm弱くらい)見逃していたせいで、実はどこにでもいる昆虫です。植物を食い荒らすので、農家の方はよくご存じだと思います。マーチンさんという方が撮影した一種がウィキペディアに出ていたので貼っておきます(図108-3)。
図108-3 アザミウマの一種 Parthenothrips dracaenae
アザミウマタマゴバチはそんな小さな昆虫であるアザミウマの卵(サイズは成体の数分の1)に卵を産み付ける寄生蜂です(5)。自分で子供を育てるミツバチやスズメバチに比べると凶悪な生活史の生物ですが、ヒトにとってはアザミウマは害虫なので、アザミウマタマゴバチは益虫ということになります。この小さな蜂は体長がわずか0.2mmくらいで、少し前まで世界最小の昆虫と言われていました。体が小さいぶん脳も極小です。このハチの脳にはニューロンがわずかに4600個程度しかありません。ちなみにミツバチの脳には85万個のニューロンがあるのだそうです(6)。多くの寄生蜂も普通このハチより一桁多いニューロンを保有しています。それでも形態は普通のハチと変わらず(羽の形は特殊ですが、図108-4、図108-5)、ちゃんと宿主をさがして卵を産み付け、成虫になったら交尾して子孫をつくることができます。あまりにも体重が軽くて羽ばたくまでもなく風で飛ばされてしまうので、羽は風を受けることと方向舵のような役割しか持たないようです。
驚くべきはアザミウマタマゴバチのニューロンのうち95%が細胞核を失っているということです(7、8)。私達の体にも核の無い細胞は結構あって、表皮・毛髪・赤血球などは核を持っていません(9、10)。表皮や毛髪の核は分解によって(9)、赤血球の核は脱核すなわちある種の細胞質分裂によって核を失います(10)。しかし私たちのニューロンは中枢・末梢にかかわらず、すべて核を持っています。アザミウマタマゴバチはさなぎの時代にはニューロンが核をもっており、羽化するときに核が分解します。彼らは体が小さいために必要最小限のニューロンすら収容できず、窮余の一策としてこのような方法を進化の中で獲得したのでしょう。
核が分解することによって細胞の容積は小さくなり、小さな脳に多数のニューロン(といってもたかだか4600個ですが)を詰め込むことが可能になります。このことは重要な事実を示唆します。つまり空を飛び、えさや水を採取し、交尾し、宿主を探し、卵を産み付けるという活動にはニューロンのDNAは必要ないかもしれないということです。それでも5%の細胞はDNAをもっているので断言はできませんが、おそらく分解しきれなかったというだけで実は機能していない可能性が高いと思います。むしろそこまで特殊な処理を行っても、寄生蜂としての活動を行なうためには、最低でも4600個のニューロンの確保が必要だったと思われます。
図108-4 極小サイズの節足動物
クモの1種 Anapisona simoni (図108-4)は体長0.6mm、体重5μg以下ほどの小さな生物で、頭に脳が入り切りません。そこで脚や胸まで脳がはみ出しているという報告があります(11-13)。Quesada らによると足の断面の26%が中枢神経系だそうです(14)。このクモは体重の5%を脳の重量が占めており、脳/体重の比率はヒトの2倍です。一般に昆虫の脳は非常に効率の良い構造になっていることが知られていますが、アザミウマタマゴバチやこのクモの脳は、これ以上小さいと種を保存するために必要な数のニューロンを収容しきれないという限界を示していると思われます。
参照
1)Wikipedia: Brain-to-body mass ratio
https://en.wikipedia.org/wiki/Brain-to-body_mass_ratio
2)ウィキペディア: 脳化指数
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E5%8C%96%E6%8C%87%E6%95%B0
3)鳥便り: 脳
http://akaitori3.web.fc2.com/nou.html
4)Information station of parasitoid wasps.
https://himebati.jimdofree.com/
5)http://www.jppa.or.jp/kyokai/dr_takagi/037/mega.htm
6)Dangerous Insects:
http://dangerous-insects.blog.jp/archives/7285835.html/%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%9F%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%82%B4%E3%83%90%E3%83%81
7)Wikipedia: Megaphragma mymaripenne
https://en.wikipedia.org/wiki/Megaphragma_mymaripenne
8)Alexey A. Polilov, The smallest insects evolve anucleate neurons., Arthropod Structure & Development., vol. 41, pp. 29-34 (2012)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1467803911000946?via%3Dihub
9)Kiyokazu Morioka et al., Extinction of organelles in differentiating epidermis. Acta Histochem Cytochem., vol.32, pp. 465-476, (1999)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ahc1968/32/6/32_6_465/_article/-char/en
10)Hiromi Takano-Ohmuro, Masahiro Mukaida, Kiyokazu Morioka., Distribution of actin, myosin, and spectrin during enucleation in erythroid cells of hamster embryo., Cell Motil & Cytoskel., vol.34, pp. 95-107 (1996)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/%28SICI%291097-0169%281996%2934%3A2%3C95%3A%3AAID-CM2%3E3.0.CO%3B2-H
11)Rosannette Quesada et al., The allometry of CNS size and consequences of miniaturization in orb-weaving and cleptoparasitic spiders., Arthropod Structure & Development., vol. 40, pp. 521-529 (2011)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1467803911000727
12)William G. Eberhard., Miniaturized orb-weaving spiders: behavioural precision is not limited by small size. Proceedings of the Royal Society B., doi:10.1098/rspb.2007.0675 Published online
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download;jsessionid=1C3A5F0462B5FD66E9153209AEE260DC?doi=10.1.1.512.3545&rep=rep1&type=pdf
13)Peter Aldhous, Zoologger: My brain's so big it spills into my legs (2011)
https://www.newscientist.com/article/dn21285-zoologger-my-brains-so-big-it-spills-into-my-legs/#
14)Rosannette Quesada et al., The allometry of CNS size and consequences of miniaturization in orb-weaving and cleptoparasitic spiders. Arthropod Structure & Development., Vol. 40, Issue 6, No. 2011, pp. 521-529 (2011)
| 固定リンク | 0
「生物学・科学(biology/science)」カテゴリの記事
- 続・生物学茶話254: 動物分類表アップデート(2024.12.07)
- 続・生物学茶話253: 腸を構成する細胞(2024.12.01)
- 続・生物学茶話252: 腸神経(2024.11.22)
- 続・生物学茶話251: 求心性自律神経(2024.11.14)
- 続・生物学茶話250: 交感神経と副交感神経(2024.11.06)
コメント