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2019年7月12日 (金)

やぶにらみ生物論130: グルタミン酸 その1

カール・ハインリッヒ・リットハウゼン(図1)はポーランドに生まれ、ライプチッヒで研究を行った農芸化学者です。彼は小麦の成分の研究から1866年にグルタミン酸を発見しました。1866年といえばメンデルが遺伝の法則を発表した年です。その後さらにアーモンドの抽出物からアスパラギン酸を発見しました(1)。タンパク質成分としての酸性アミノ酸はこの2つしかありません。

池田菊苗はそれから約40年後の1908年に、グルタミン酸が人がうま味を感じる成分であることを発見しました(2、図1)。ウィキペディアにも誤解を招く記述がありますが、彼はグルタミン酸の発見者ではありません。しかし彼のおかげで、グルタミン酸はその後うま味調味料「味の素」として親しまれることになりました(図1)。しかし後に、味の素の過剰摂取によって中枢神経の病気が発生することがわかり(3)、そのことが多くの研究者をグルタミン酸と中枢神経の関係の研究に導くことになりました。シナプスとのアナロジーでいえば、舌の味蕾にはグルタミン酸の受容体があり、シナプス後細胞のように情報を感知して中枢神経に伝えているわけです。

戦後になって林髞(はやし・たかし、図1)は、猫の大脳皮質にアスパラギン酸やグルタミン酸を投与すると痙攣をおこすことを報告しました(4)。脳に投与すると痙攣を起こす薬物は多いので、この報告によってアスパラギン酸やグルタミン酸が神経伝達物質であるとは言えませんが、実際にこれらが神経伝達物質であることが後に証明されたので、林髞の研究は高く評価されてしかるべきだと思います。ただ発表したのがローカルな雑誌だったため、ワトキンスをはじめ多くの研究者の目にはとまらなかったと思われます(5)。林髞は直木賞作家・木々高太郎の本名で、慶應義塾大学医学部教授であると同時に作家としても大活躍しました。また松本清張を見いだした人としても有名です。

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グルタミン酸は血液中に高濃度で含まれていても、脳の神経細胞には直接届きません。脳の神経細胞はグリア細胞でびっしりと覆われているため(血液ー脳関門)、多くの場合直接毛細血管などからリリースされた栄養物質を取り込むことができず、必要な物質はグリア細胞から供給してもらうか、自分で合成するしかありません。このことについては後に別項を設けて学習することにしましょう。図2にグルタミン酸の生合成経路を記しました。グルタミン酸は必須アミノ酸ではなく、さまざまな生合成経路があります。

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ワトキンスはオーストラリア人ですが、Ph.D はケンブリッジ大学で取得し、その後渡米してポストドクとしてイェール大学で研究していましたが、友人のすすめで故国のキャンベラにいるエクレス教授のもとに移転し、そこでカーティスらと共同で神経伝達物質の研究を行うことにしました(図3)。彼らは猫の脊髄を使って、グルタミン酸やアスパラギン酸が興奮性の神経伝達物質であることを証明しました(6)。

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ところがグルタミン酸やアスパラギン酸が実際に生体内で使われる興奮性神経伝達物質であるかどうかについては、懐疑的な意見が大勢を占めました。その理由は1)酸性アミノ酸であればD型・L型どちらでもいいなど特異性に問題がある、2)有効な濃度がアセチルコリンやノルアドレナリンと比べて高すぎる、3)興奮性ニューロンの電位変化とは異なるパターンを示す、などでした。しかもグルタミン酸をマウスに皮下注射すると、数時間で網膜の神経細胞が損傷するという結果まで報告されていました(7)。その結果カーティスやワトキンスのグループは長い冬の時代を迎えることになりました。

しかしその時代も彼らは息絶えることなく、地道に研究を進めました。そのひとつはNMDA(N-メチル-D-アスパラギン酸、図4)というグルタミン酸の数十倍の活性を持つアゴニストを発見したことです。この物質はD型の方がL型よりはるかに強い活性を示しました(8)。そして状況をさらに変化させる助け船は、思わぬところから現れました。

太平洋戦争後しばらくの間まで日本では人糞を肥料として用いていたため、多くの人々が回虫に感染していて、定期的に虫下しを服用する必要がありました。そこで様々な薬品が開発されまた使用されましたが、その中にカイニン酸という海藻から抽出されたグルタミン酸骨格を有する複素環化合物がありました(9)。

篠崎温彦(しのざき・はるひこ)らはこのカイニン酸がグルタミン酸感受性シナプスに何らかの影響をあたえるのではないかと考え、ラット大脳ニューロンに適用したところ、グルタミン酸より遙かに強力な興奮作用があることを発見しました(10)。彼らはさらに使君子という植物から抽出された駆虫剤の成分であるキスカル酸が、やはりグルタミン酸より遙かに強力な興奮作用を持つことを報告しました(11,12)。これらの物質はあらかじめグルタミン酸を作用させて脱感作した細胞では無効であることから、グルタミン酸とおなじターゲット=受容体に作用することが示唆されました。

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篠崎らはさらにGタンパク質共役受容体にアゴニストとして結合するDCGIVなどについても研究を行ない(13、図5)、ほかの研究者らによるAMPAの開発(14、図5)などもあって、神経伝達物質としての酸性アミノ酸の地位は確固たるものとなり、現在ではグルタミン酸受容体の全貌が明らかになりつつあります。詳細は「グルタミン酸 その2」「グルタミン酸 その3」に譲ります。

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参照

1)DBpedia, About: Karl Heinrich Ritthausen
http://dbpedia.org/page/Karl_Heinrich_RitthausenBritishJournalofPharmacology(2006)147,S100?S108

2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E8%8F%8A%E8%8B%97

3)鈴木将貴、神経の働きを調節する新たなメカニズムを発見 KOMPAS
http://kompas.hosp.keio.ac.jp/sp/contents/medical_info/science/201508.html

4)T.HAYASHI, A physiological study of epileptic seizures following cortical stimulation in animals and its application to human clinics.  Jpn. J. Physiol.: vol.3(1); pp.46-64 (1952)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/PVA09UPG/3_46.pdf

5)Jeffrey C.Watkins & David E.Jane, The glutamate story., British Journal of Pharmacology, vol.147, pp.S100-S108 (2006)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16402093

6)D. R. CURTIS, J.W. PHILLIS & J.C. WATKINS., Chemical Excitation of Spinal Neurones., Nature vol.183, pp.611-612 (1959) 
https://www.nature.com/articles/183611a0

7)Lucus DR and Newhouse JP: The toxic effect of so  dium L-glutamate on the inner layers of the retina.   Arch Ophthalmol 58, 193-201 (1957) 

8)CURTIS, D.R. & WATKINS, J.C., The pharmacology of amino acids related to gamma-aminobutyric acid. Pharm. Rev., vol.17, pp.347-391.(1965)

9)カイニンソウ
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AA-669613

10)Haruhiko Shinozaki, Shiro Konishi., Actions of several anthelmintics and insecticides on rat cortical neurones. Brain Research,vol.24,issue 2, pp.368-371 (1970)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0006899370901228?via%3Dihub

11)シクンシ
https://www.weblio.jp/content/%E4%BD%BF%E5%90%9B%E5%AD%90

12)Shinozaki H and Shibuya I: A new potent excitant, quisqualic acid: effects on crayfish neuromuscular junction. Neuropharmacology vol.13, pp.665-672 (1974)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0028390874900562

13)篠崎温彦 グルタミン酸受容体の薬理学 一 アゴニストを中心として 一 日薬理誌(FoliaPharmacol.Jpn.) vol.116, pp.125~131 (2000)
file:///C:/Users/User/Desktop/グルタミン酸/116_125.pdf

14)Tage Honore,Jorn Lauridsen,Povl Krogsgaard‐Larsen, The Binding of [3H]AMPA, a Structural Analogue of Glutamic Acid, to Rat Brain Membranes.Journal of Neurochemistry, vol.38, pp.173-178 (1984)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1471-4159.1982.tb10868.x

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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