やぶにらみ生物論101: 脳科学の世界を初訪問
「やぶにやみ生物論」も記事が100になって、ほぼ生物学の基礎的な分野は網羅したように思います。まとめて読みたい方は、ほぼ同じ記事が「生物学茶話@渋めのダージリンはいかが」にまとめて掲載してありますので、そちらでお読みいただければ幸いです。
http://morph.way-nifty.com/lecture/
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101からはさてどうしょうかということですが、私にとっては未知分野である脳科学に挑戦してみようかなと思っています。といっても試験管とピペットを持って何かやるわけではなく、駄文をアップするだけです。それでもウソは書きたくないので、遅遅とした歩みでも慎重にやりたいとは思っています。
脳というのは独立した臓器ではなく、脊髄・末梢神経ひいては感覚器官や運動器官と繋がっているので、体全体に広がっている漠然とした臓器あるいはシステムの一部と考えることも可能です。ですから脳科学(ブレインサイエンス)というのはどちらかといえば一般用語であり、専門的にはニューロサイエンスと言うのが普通でしょう。中枢も末梢もその構成中心となるのは神経細胞(ニューロン)であり、これをサポートする様々な細胞達と協力して組織を構成しています。
ではまず科学の眼で脳について考察した古代の人々をみていきましょう。医学の父と呼ばれるヒポクラテスは、古代ギリシャで紀元前5世紀から4世紀を生きた人物であるとされています。彼が実在の人物であることは、同じ時代に生きていたプラトンやアリストテレスの著書などで紹介されていることから明らかです(1)。
ヒポクラテスはトルコに近いコス島の出身で、経験に基づいたまともな医療を行なう医者のグループを結成し、ギリシャ全土にその名を知られるようになりました。図1のようにコス島はギリシャ本土から離れた辺境の地で、このような場所であったからこそ、既得権益から離れた革命的な医療集団を結成することができたのかもしれません。現代でも手かざしで病気が治るというようないかがわしい施術をやっている集団はいくらでもあります。
彼がその木の下で講義したという「すずかけの木」がいまでもコス島の広場にあります(図2)。後の時代に植え替えられた物だとは思いますが、多分場所は同じだったのでしょう。彼の技術や思想は、死後に刊行された「ヒポクラテス全集」によって知ることができます。彼のグループや弟子達の知識は西洋医学に大きな影響を与えました(2)。
アリストテレスはニワトリが首を切られた後も走り回るとか、死者の心臓は温かいのに脳は冷たいなどの知見から脳を重視しませんでしたが(3)、ヒポクラテスはてんかんの原因が脳にあることを指摘していました。
「脳科学メディア」というサイトの記事を引用すると「ヒポクラテスは自身の著書『神聖病論』の中で、大脳は知性を解釈するものであるとして“我々は、とりわけ脳によって思考したり理解したり見聞きしたりし、醜いものや美しいもの、悪いものや良いもの、さらには快・不快を知るのである”と述べた。心が脳にあるというヒポクラテスの考えは、脳の働きに関する真理としての初めての発見であるといわれている。今日に至る脳研究の歴史は、この時代から始まったといえる。」と述べられています(4)。
さらに古代ギリシャ・アレキサンドリアの解剖学者ヘロフィロス(B.C.235-B.C.280)は脳と脊髄に神経が集中していることや、脳の中に脳室が4つあることを発見し、4つの脳室の内第4の脳室に心の座があると考えていたそうです(4、図3)。彼はヒトの屍体をはじめて組織的かつ科学的に解剖した人物としても知られています(5)。彼の主な業績はハインリッヒ・フォン・シュターデンによって翻訳され、英語で出版されています(6)。
紀元前1世紀以降医学の発展が滞ってしまったのは、当時から勃興してきたキリスト教では「死者たちは生きていた時の肉体をともなって最後の審判で神の前に呼ばれる」と考えていたため、人体の解剖が禁止されてしまったことが一つの要因とされています(4、7)。この間ヒポクラテス医学のエヴァンゲリオンとして、ローマ帝国時代の2世紀に活躍したガレノスが有名ですが、彼は解剖学を革命的に進展させることはできませんでした。
中世において滞っていた解剖学をルネサンスの時代に復活させたのは、16世紀のベルギー人解剖学者アンドレアス・ヴェサリウス(1514-1564)でした。彼はガレノスの教科書がヒトではなく動物の解剖に基づいていることを指摘し、自分で人体を解剖して正しい知識を教科書にまとめました。それが通称ファブリカと呼ばれる大著「 “De humani corporis fabrica” (人体の構造)」で、ここに掲載されている人体解剖図は現代でも通用する正確さで描かれています。
図4左はヴェサリウスの肖像画、図4右はDe humani corporis fabrica の表紙で、屍体の左側に居るのがヴェサリウス、上には死神が見えます(8)。
図5はDe humani corporis fabrica
に記載されている脳底部の解剖図で、視神経交叉、嗅球、小脳などが精細に描かれています。当時は屍体がなかなか入手できませんし、防腐処置や冷蔵が上手くできない時代だったので、正確な解剖図を描くには途方もない努力が必要だったと思われます。私は未読ですが、ヴェサリウスについて詳しく知りたい方は日本語の書物も出版されています(9)。推理小説もあります(10)。一部は電子書籍として安価に入手できます(11)。
ここからは現在の知見ですが、とりあえずおおざっぱにヒトの脳の構造をみてみましょう。ヒトの脳を外側からみると大脳・小脳・脳幹の3つの部域からなりたっていることがわかります(図6)。大脳は4つの深い溝、すなわち中心溝・外側溝・頭頂後頭溝・後頭前切痕によって、図6のように前頭葉・頭頂葉・側頭葉・後頭葉に分かれています。脳幹は中脳・橋・延髄からなり、延髄は下方で脊髄と繋がっています(12、図6右図)。脊椎動物では脳と脊髄を合わせて中枢神経と呼び、それ以外は末梢神経ということになります。
図7は前後軸で切った(サジタルセクション)ヒト脳の断面です。正中線で切ると海馬はみえないはずですが、重要な部分なので重ね書きしてあります。実際には手前と奥に存在することになります。大脳はウィキペディアによれば「知覚、知覚情報の分析、統合、運動随意性統御、記憶、試行」を司っています(13)。これに加えて臭覚は大脳で情報処理されています。
視床と視床下部はあわせて間脳と呼ばれますが、視床は臭覚以外のあらゆる感覚の中枢であり、視床下部は自律神経の中枢です。脳下垂体はさまざまなホルモンを分泌する器官です。
小脳はウィキペディアによれば「小脳の主要な機能は知覚と運動機能の統合であり、平衡・筋緊張・随意筋運動の調節などを司る」ということになっています(14)。海馬は記憶と密接な関係があるとされています(15)。
脳や脊髄は内側から軟膜・くも膜・硬膜という3種の膜(髄膜)によって被われています(図8)。最も内側の軟膜は毛細血管に富んだ組織であり、それは軟膜の細胞ではなく脳細胞に栄養を供給するためとされています(16)。軟膜とくも膜は密着していなくて、間に脳脊髄液が満たされており、小柱という線維の束で軟膜とところどころで結合しています。この小柱の構造が蜘蛛の巣に似ていることからくも膜と呼ばれています。くも膜は硬膜を貫通して、血洞に突出するパッキオーニ小体(図8)を形成しており、脳脊髄液内の物質循環に有効な役割を果たしていると思われます(17)。
硬膜はいわば脳のパーティションであり、大脳鎌などによって柔らかい脳組織を小室に分けて壁構造で強度を与えていると考えられます。また内部に静脈血胴をかかえており、血液循環に寄与しています(18)。
硬膜の外側には頭蓋骨があり、脳を保護しています。頭蓋骨と密着して外側に骨膜があり、その外側に結合組織(帽状腱膜)があり、その外側に皮下組織と皮膚があります。ここに毛根を持って頭髪が生えています(図8)。
参照
1)二宮睦雄 「医学史探訪 知られざるヒポクラテス ーギリシャ医学の潮流ー」 篠原出版(1983)
2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%9D%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9
3)http://sora-shinonome.jp/brain/post_35.html
4)脳科学メディア 紀元前4世紀から21世紀まで、脳研究2500年の歴史を辿る。
http://japan-brain-science.com/archives/59
5)https://en.wikipedia.org/wiki/Herophilos
6)Heinrich von Staden, Herophilus: The Art of Medicine in Early Alexandria:
Edition, Translation and Essays., Cambridge University Press (1989)
https://books.google.co.jp/books?id=rGhlIfJZkVoC&redir_esc=y
7)akihitosuzuki's diary ルネサンスの解剖学とその発展 はじめに 古代・中世の解剖学と近代解剖学の連続と断絶
http://akihitosuzuki.hatenadiary.jp/entry/2015/07/29/185102
8)https://en.wikipedia.org/wiki/De_humani_corporis_fabrica
9)坂井建雄 「謎の解剖学者ヴェサリウス」 ちくまプリマ-ブックス (1999)
10)ジョルディ・ヨブレギャット 「ヴェサリウスの秘密」 集英社 (2016)
11)ヴェサリウス解剖図: De corporis humani fabrica libri septem Kindle版
こちら
12)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3
13)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%84%B3
14)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%84%B3
15)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%A6%AC_(%E8%84%B3)
16)https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E8%BB%9F%E8%86%9C
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