やぶにらみ生物論94: ノックアウトマウス
1970年代後半から、遺伝子クローニングやDNA塩基配列解析の技術が飛躍的に進歩しました。それにともなって、構造はわかったが機能がわからない遺伝子がたまっていくことになりました。このような未知遺伝子の機能を解析するには、とりあえずその遺伝子を無効化して何が起こるか見てみたいわけです。
1980年代になってエヴァンスらが胚盤胞の内部細胞塊から多分化能をもつ細胞株(ES細胞)の樹立に成功し(1、図1))、ES細胞由来のマウスを作成することが可能になりました。
1985年には、スミティーズらが相同遺伝子組み換え法によって、ベータグロビン遺伝子領域に外来のDNAを挿入できることを示しました(2、図1)。そしてついに1987年になって、カペッキらは、ヒポキサンチン-グアニンホスホリボシルトランスフェラーゼ (HPRT)という酵素の遺伝子の一部に、ネオマイシン耐性遺伝子を組み込んだベクタ-作成し、ES細胞内で相同遺伝子組み換えを起こさせてHPRTを欠損する細胞を作成しました(3、図1)。個体レベルでは、HPRTを欠損すると体内に尿酸が蓄積して痛風や腎不全が引き起こされます(4)。
エヴァンス・スミティーズ・カペッキらによって開発された技術は一般化され、どの遺伝子でも人為的に欠損させてその機能を調べられるようになりました。この功績によって彼ら3人に2007年のノーベル生理学・医学賞が授与されました(5)。マリオ・カペッキはイタリア人ですが、父親は戦死、母親は反ファシスト運動でダッハウ収容所に送られ、4才から放浪して数年間コチェビのような生活(ストリート・チルドレン)をしていたそうです(6)。
ノックアウトマウス作成の概要は次のようになります。まず標的遺伝子と似ているが不活化した遺伝子を含むベクターを用意します。通常この内部にはネオマイシン耐性遺伝子などの、組み換えが成功した細胞を選択するための遺伝子を挿入しておきます。このベクターを胚性幹細胞(ES細胞)を培養しているシャーレに投入して、電気ショック・リン酸カルシウム処理などで細胞内に侵入させ、標的遺伝子との組み換えを行なわせます(図2)。
組み換えに成功した細胞はネオマイシン耐性などで選別します。生き残ったES細胞(相同遺伝子組み換えに成功した細胞)を胚盤胞に注入します(図2)。注入された細胞は、内部細胞塊の細胞と混ざって、これから生まれる個体の一部になります。つまりこの胚盤胞はキメラ動物になります。
通常図2のような操作を行なう場合、分子生物学担当、細胞培養・胚操作担当、などとは別に動物実験担当者を決めておき、担当者はまずパイプカット手術(無精子となる)をした♂と正常なメスを交配させて、偽妊娠状態の♀を作成しておきます。偽妊娠状態の♀に図2で作成した胚盤胞を移植して着床させます(図3)。この仮親となった♀から生まれた子供は、本来の親由来の細胞とES細胞由来の細胞の両者を持っており、いわゆるキメラの状態になります(図3)。
キメラマウスの卵または精子のなかにはES細胞由来の遺伝子を持つものがあるはずで、そのような生殖細胞と正常な動物の生殖細胞が接合すると、ES細胞由来の遺伝子をヘテロで保有する動物が生まれてきます(図4)。そのヘテロ動物同士をかけあわせると、メンデルの法則に基づいて25%の確率でホモの生物が生まれます。
このマウスは本来持つべき遺伝子を2本の染色体共に喪失しているので、当該遺伝子に関していわゆるノックアウト状態になります(図4)。このような状態のマウスをノックアウトマウスとよびます。
相同組み換えを起こさせるために、通常はES細胞の培養系にベクターを投入するのですが、もともとは図5のように、受精卵の核にDNAを注射する(マイクロインジェクション)という方法も採られました。
吸引用の毛細管で吸引することによって卵を固定し、反対側から注射用毛細管でDNAを卵核に注入します。難しい技術で効率もよくないのですが、この方法でもノックアウトマウス作成が可能です(図5)。
遺伝子は必要であるからこそ代々受け継がれてくるわけで、ノックアウトすれば当然不都合が発生するはずです。特に日常的に必要とされるタンパク質をコードする遺伝子をノックアウトすると、胚または胎仔のうちに死亡して生まれてさえこないということになります。それでは遺伝子の機能解析ができません。
そこで外部からなんらかのシグナルを送らない限り遺伝子の喪失がおこらないような生物が、ブライアン・ザウアーらによって考案されました(7、8、図6)。それはCre/loxPというシステムですが、このシステムのルーツはバクテリオファージP1にあります。このファージは環状化するためにloxPという配列(図6)を両端に持っており、この2ヶ所にCreというリコンビナーゼが結合し、その後それぞれのCreが結合することによって反応がはじまって、ホストDNAからファージDNAが切り出されて環状化します。
ブライアン・ザウアーという人はもともと天文学者になりたかったそうですが、ウィスコンシン大学の数学科を卒業してから縁あってデュポン社の研究所で仕事をするようになり、そこで同僚がバクテリオファージのCre/loxPシステムを研究していたので、それを真核生物の研究に役立てる方法はないかと考えるうちに、遺伝子ノックアウトに使えるのではないかと思いついたそうです(9)。
標的遺伝子と相同組み換えを行なうDNAの両端にloxP配列を入れておくと、そのDNAが標的遺伝子と同じ機能を持つとしても、Creが作用すればloxPにはさまれた部分は環状化してゲノムから切り離され、遺伝子機能は失われます(図6)。ここでCreを核内に侵入させる方法を考えます。あるシグナルがあると核内に移行するタンパク質があれば使えるかもしれません。
たとえばエストロジェン受容体にCreを結合し、タモキシフェンを作用させるとエストロジェン受容体はCreと共に核内に移行します。そうするとCreはloxPと反応して標的DNAを切り出し無効化させることができます。すなわちタモキシフェンの投与によって、随時遺伝子をノックアウトできるのです(10、図6)。
このCre/loxPというシステムは大変便利なもので、例えばCreの上流にあるプロモーターを組織特異的に機能するプロモーターに付け替えておくと、例えば筋組織だけで機能するプロモーターだと、筋組織だけでCreが発現して遺伝子が無効化する生物を作成することができます。
また、標的遺伝子をloxPではさみ、さらにレポーター遺伝子(たとえば細胞を緑色に光らせるGFP遺伝子など)をつないだ相同組み換えを行なったマウス(floxedマウス)を作成し、これとCreをゲノムに組み込んだマウスを交配するとCre/loxPマウスが作成できます(図8)。あとは上記の通り、時期特異的なり組織特異的なりの方法で遺伝子機能を解析することができます。これらのプロセスのかなりの部分は、お金さえあれば業者に委託してやってもらうことも可能です(11)。また胚や精子を大学や業者に預けて保存してもらうことも可能です(12、13)。
1) Evans, M. J., and Kaufman, M. H. Establishment in culture of
pluripotential cells from mouse embryos. Nature, vol. 292, pp. 154-156 (1981).
doi:10.1038/292154a0
http://www.nature.com/articles/292154a0
2) Oliver Smithies, Ronald G. Gregg, Sallie S. Boggs, Michael A. Koralewski
& Raju S. Kucherlapati., Insertion of DNA sequences into the human
chromosomal β-globin locus by homologous recombination., Nature vol. 317, pp.
230–234 (1985) doi:10.1038/317230a0
http://www.nature.com/articles/317230a0
3)Thomas, K. R., and Capecchi, M. R. Site-directed mutagenesis by gene
targeting in mouse embryo-derived stem cells. Cell, vol. 51, pp. 503-512
(1987).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2822260
5)The Nobel Prizein Physiology or Medicine 2007 is awarded jointly to Mario
R. Capecchi, Martin J. Evans and Oliver Smithiesfor their discoveries
of “principles for introducing specific gene modifications in mice by the use of
embryonic stem cells”
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2007/popular-medicineprize2007.pdf
6)https://en.wikipedia.org/wiki/Mario_Capecchi
7)Sauer, B. "Functional expression of the Cre-Lox site-specific recombination system in the yeast Saccharomyces cerevisiae". Mol Cell Biol. vol. 7 (6): pp. 2087–2096. (1987)doi:10.1128/mcb.7.6.2087. PMC 365329 Freely accessible. PMID 3037344.
8)Sauer, B.; Henderson, N. (1988). "Site-specific DNA recombination in mammalian cells by the Cre recombinase of bacteriophage P1". Proc. Natl. Acad. Sci. USA. vol.85 (14): pp. 5166–5170. (1988) doi:10.1073/pnas.85.14.5166. PMC 281709 Freely accessible. PMID
9)https://www.dnalc.org/view/16868-Biography-41-Brian-Sauer-1949-.html
10)D Metzger, J Clifford, H Chiba, P Chambon., Conditional site-specific recombination in mammalian cells using a ligand-dependent chimeric Cre recombinase. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., vol. 92(15); pp. 6991-6995 (1995) [PubMed:7624356] [WorldCat.org]
11)http://www.funakoshi.co.jp/contents/7812
12)http://www.transgenic.co.jp/products/mice-service/modified_mouse/icsi.php
13)http://www.anim.med.kyoto-u.ac.jp/NEW_ILA/reports/v2/2seijyou.htm
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