バルサ無念 優勝を逃す
「mes que un club クラブ以上のもの」が宗教(メッシ教)であってはなりません。バルサはメッシを信じるあまり現実がみえなくなりつつあります。優勝したレアル・マドリーとどこが違っていたのか?
それはマドリーがCロナウドの体調が万全でないとみると、すぐに休養の措置をとったのに対して、バルサはメッシを故障以外の時はずっと出し続けました。体調が万全でなくてもメッシなら何とかしてくれるという期待です。メッシも出場し続けなければならないという使命感でやっているようです。おかげで、ネイマールやスアレスまで、メッシを探し求めるプレイスタイルになってしまっています。
このような状況はレベルの高い戦いでは致命的です。冬から春にかけてパフォーマンスが落ちてしまったのは、言うまでもなく週に2回のゲームが主力選手の集中力と精度を奪ってしまったからです。ルーチョにくらべてジダンは思い切ったローテーションで、最後まで選手達のパフォーマンスを高い状態で維持することができました。Cロナウドも、「ジダンのおかげで最後の数試合を最高の体調でプレーできた」と語っていました。
もう一つはペップ時代のバルサ・スタイルへのノスタルジアではないかと思います。ずっとオーソドックスなスタイルのアレイシ・ビダルを使わなかったのもそのせいではないでしょうか。使ったらうまく回り出したというところで負傷長期欠場というのは皮肉でしたが・・・。今のバルサにはメッシとイニエスタがいなければ、全く違うスタイルのサッカーを創出できる選手が揃いつつあります。
新しいバルサに生まれ変わるにはメッシを放出するしかないというのが私の個人的意見ですが、同じことを感じた人もかなりいるような気がします。しかしクラブでそういう意見をあからさまには表明できない雰囲気があることもうかがわれます。パージされた人もいるようです。バルトメウは「メッシはバルセロナのドラえもんだ。なぜなら、彼はいつも難しい状況を解決してくれるからだ。一方、その点から言っても、私はのび太だ。なぜなら、いつも彼に問題を解決してくれるようお願いしているからね」などと言っているところをみると、メッシ派だと思います。
バルサは極端ですが、このようなことはチームでやるスポーツではよく問題になることで、名選手といえども遅かれ早かれ退かなければいけないときがきます。メッシの場合は、来年もゴールを量産するでしょうが、彼がバルサにいる限り、監督が交代しても多分バルサは変われない、そしてまた2位か3位でしょう。
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