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2016年10月17日 (月)

やぶにらみ生物論39: DNAの発見

Friedrich_miescher_2フリードリッヒ・ミーシャー(1844-1895 図1)の父親はスイスのバーゼル医科大学解剖学・生理学の教授でした。ミーシャーは父の跡を継いでバーゼル医科大学を卒業し、耳鼻科の医師になるトレーニングをはじめましたが、子供の頃からの難聴のせいで診察はうまくいきませんでした。

また彼自身はもともとそんなに医師への興味はなく、むしろ生命現象の科学的解明に強い関心を抱いていたので、ドイツのチュービンゲン大学ホッペ=ザイラー教授の下で1868年から生理学の研究をはじめました。

ミーシャーは畑違いなので勉強していなかったと思いますが、1866年にはメンデルが遺伝の法則を発表しており、また同じ年にエルンスト・ヘッケルは遺伝情報が核にあるという説を発表していました。後者はおそらくミーシャーも知っていたと思われます。

ミーシャーは当初から生命現象を化学によって解明しようという目的で、生化学の創始者であるホッペ=ザイラーを師に選んだのです。ホッペ=ザイラーの研究室は中世からあるチュービンゲン城を改装した場所にあり、図2はミーシャーの研究室の有名な写真です(ウィキペディアより)。この部屋は中世には厨房として使われていたそうです。

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ミーシャーはまず細胞の化学組成を解明しようと考えました。選んだ細胞はシンプルな球形で、遊離細胞であるリンパ球です(図3)。最初はリンパ球を実験動物のリンパ節やヒトの血液から採取しようとしましたが、採取できる量が少なすぎたため、ホッペ=ザイラーの助言に従って、患者の膿(うみ)から採取することにしました。当時は消毒もいいかげんで、負傷者や手術した患者の包帯から大量の膿がとれたので、実験は軌道に乗りました。

膿というのは、若い人の中には見たことがない人もいるかもしれませんが、生体防御反応のひとつで、細菌を殺すために出動した白血球やリンパ球およびそれらの崩壊産物が主成分です。

800pxlymphocyte2

ミーシャーの実験プロトコルは次のようなものでした。

1: 当時核の未知タンパク質が遺伝物質ではないかというヘッケルらの考えがあったので、ミーシャーはまずこのアイデアが正しいかどうか検討することを目的として、核と細胞質の分離を試みました。

試行錯誤の結果、ブタの胃の抽出物に含まれるペプシンというタンパク質分解酵素を含む液に、膿の細胞を数時間浸しておくと、細胞が溶けて核が分離できることがわかりました。ペプシンはあの細胞説で有名なテオドール・シュワンが1836年に発見していました。

2: こうして得られた核を弱いアルカリで処理し、抽出した物質の溶液に酸を加えると、未知物質の沈殿が生じることを見つけました。同じような物は肝臓、睾丸、酵母、鳥の赤血球からも抽出可能でした(哺乳類の赤血球には核がない)。ミーシャーはこの物質が、それまで知られていたどのタンパク質とも異なることを確かめ、ヌクレインと命名して1869年に学会で発表しました(論文出版は1871年(1))。

このヌクレインが、現在の知識に照らせばまさしくDNAだったわけです。論文(1)はホッペ=ザイラーが出版する雑誌に投稿されましたが、ホッペ=ザイラーは1年間かけて、自分ですべて追試した上で掲載を許可しました。当時としてはリン酸が多量に含まれていたり、強い酸性だったりすることが、なかなか信じてもらえなかったわけです。そのくらい異常で重要な意味のありそうな論文だと、ホッペ=ザイラーも感じていたと思われます。

3: ミーシャーはヌクレインの元素分析を行ない、通常タンパク質が含む炭素、水素、酸素、窒素以外にリンを含むことを明らかにしました。ミーシャーはヌクレインの成分に多量のリン酸が含まれることから、ひょっとするとこれはタンパク質ではないかもしれないとは考えていたようです。

その後ミーシャーはバーゼル医科大学の生理学の教授となってヌクレインの研究を続けましたが、講義は苦手で研究環境としてはあまり良くなかったようです。さらに彼のヌクレインのサンプルは単に普通のタンパク質に無機リンが混入しただけだろう、という批判にはっきり答えられなかったため、しだいに忘れられそうになっていました。しかしそれでもミーシャーはこつこつとヌクレインの精製法の改良を続け、材料として理想的な鮭の精子から、かなり純粋な段階にまで精製することに成功しました。

細胞の染色法やミトコンドリアの発見で知られているリヒャルト・アルトマンは、タンパク質をほとんど含まない画分にヌクレインが存在することを確かめ、ヌクレインを核酸 (nucleic acid) と改名することを提唱し、この物質がタンパク質とは異なることをアピールしました。残念ながらこのアルトマンの論文はみつかりませんでした。ヌクレイン=核酸の精製法の進展はミーシャーの死後、シュミーデベルクによって論文にまとめられています(2)。

彼らは核酸をバラエティーのない固定した構造の物質と考えていたので、大きなバラエティーが必要な遺伝子の担い手としては不適切だと考えざるを得ませんでした。しかしいろいろな時代的制約などによる限界がありましたが、もちろんミーシャーやアルトマンと共同研究者達こそがDNAの発見者であり、彼らの萌芽的研究から20世紀の輝かしい分子生物学の歴史が誕生したことに疑いの余地はありません。ミーシャーの業績は Ralf Dahm によってまとめられています(3)。

P_04717322ミーシャーにはヌクレインの精製以外にもうひとつの業績があります。それは鮭の精子からプロタミンを発見し、精製したことです(4)。

プロタミンは塩基性のタンパク質で、ヌクレインの酸性を中和する役割が考えられました。現在から見ても、核の基本的な構成要素であるヌクレオソームは核酸とヒストン(またはプロタミン)の複合体であり、重要な知見であると言えます。

鮭の精子から採取されたDNAは現在でもよく研究用に使用されます(図4)。精製されたDNAは白い繊維状のもので、使うときはピンセットで一部を引き裂いて使います。

スイスのバーゼルにはミーシャーの名を冠した ”Friedrich Miescher Institute for Biomedical Research” が1970年に設立され、現在も活発に活動しています(5)。またチュービンゲンのマックス・プランク研究所には Laboratory of Friedrich Miescher があります(6)。

参照:

1) Miescher F. Uber die chemische Zusammensetzung der Eiterzellen. Med.-Chem. Unters. 4, 441-460 (1871)

2) Schmiedeberg O., and Miescher F. Physiologisch-chemische Untersuchungen uber die Lachsmilch. Arch. Exp. Pathol. Pharm. 37, 100-155 (1896)

3) Ralf Darm, Friedrich Miescher and the discovery of DNA. Develop. Biol. 278, 274-288 (2005)

4) Miescher F. Das Protamin - Eine neue organische Basis aus den Samenfaden des Rheinlachses. Ber. Dtsch. Chem. Ges. 7, 376 (1874)

5) http://www.fmi.ch/

6) http://www.fml.tuebingen.mpg.de/





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