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2016年10月 9日 (日)

やぶにらみ生物論38: ハエ部屋

メンデルの法則と染色体の挙動を結びつけたサットンの業績は大きかったわけですが、まだメンデルの言うエレメント=遺伝子が染色体上にあるという証明にはなっていません。染色体の上にあると考えるとメンデルの法則をうまく説明できるというレベルです。

サットン廃業のあとを受け継いで染色体説を発展させたのはトーマス・ハント・モーガンです。モーガンはもともと遺伝学者ではなく、発生生物学者でプラナリアなどの再生や発生を研究していました。プラナリアというとよく教科書に出てくる、頭を切れば頭が生えてくる、尾を切れば尾が生えてくるというあの生物です(図1)。モーガンは再生に必要な物質の勾配という概念を提出し、それは最近になって阿形らによって証明されました(1)。

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Tsuda_umekoモーガンは若い頃ブラインマーカレッジという女子大学で教鞭を執っており、この頃の彼の学生の中には後に津田塾大学を創設する津田梅子(図2)もいて、彼女にはカエルの発生の研究をやらせていたそうです(2)。

発生生物学をやっていると、遺伝学者の考えていることが単純すぎるようにみえることは理解できます。というのは、たいして特徴のない受精卵から、さまざまな組織・器官が時間の経過と共にできてくることを観察していると、形質というものはどんどん動的に変化するもので、遺伝子で単純に規定される静的なものではないという考え方になりがちだからです。

しかし当時はメンデルの再発見で大騒ぎとなっており、彼がウィルソンに呼ばれて来たコロンビア大学にはサットンという減数分裂を目視した俊英の大学院生がいました。モーガンがメンデルの法則や染色体説の真偽に関心を抱いたのは当然でしょう。モーガンはまたド・フリースの突然変異説に傾倒し、ダーウィンの自然選択が成立するためには突然変異が重要な役割を果たすものと考えました。そして1907年頃から、それらの課題を研究するために最適な実験動物としてキイロショウジョウバエを選択しました。

キイロショウジョウバエ(図3)はいわゆるコバエの一種であり、体長2~3ミリで、乾燥酵母・オートミール・蔗糖などで手軽に飼育することができます(図4)。メスが10日で成熟して、一度に50個前後の卵を産むことができるというのが研究上の魅力です。モーガンはこれで飛躍的に研究が進むと期待したのでしょうが、最初の頃はまったくうまくいきませんでした。それは突然変異体を検出するのが非常に難しかったからです。何千何万という小さなハエを観察して変異を同定するのは骨が折れます。

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しかし1910年になって彼の前に救世主が現れました。それは白眼の突然変異体(ミュータント)で、これを野生型のメス(赤眼)と交配させるとF1はすべて赤眼となりますが、F2のオスは50%の確率で白眼になることがわかりました(図5、参照3)。

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この少し前にウィルソンとスティーヴンスはショウジョウバエのメスは2本(1対)のX染色体を持つが、オスはX染色体を1本しか持っていないことを観察していました。このことを考え合わせて、オスの1本のX染色体に変異が発生すると白眼になり、それはメンデルのいう劣性変異のため2本の性染色体を持つメスでは発現しないとするとうまく説明できます。すなわちこの白眼の変異は性染色体Xと挙動を共にすることがわかりました。

ショウジョウバエはヒトと同じくメスはXX、オスはXYという性染色体をもっていますが、オスが父親から引き継ぐY染色体には眼の色にかかわる遺伝子は存在しないので、この場合考慮しなくていいのです。

この研究結果によってモーガンは染色体説に強固な根拠を与えることになりました。モーガンの研究室にはスターティバント、ブリッジス、マラーなどの多くの優秀な学生が集結するようになり、人海戦術でショウジョウバエのミュータントを解析すると、次々と変異が見つかり(図6)、モーガン研究室はまさしく世界の遺伝学の中心となっていきました(4)。
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カルヴィン・ブリッッジスは突然変異体を探し出す特異な才能があり、1925年にカタログ記載された突然変異体365種類のうち240種類は彼が発見したものだそうです(5)。モーガンが最初の2~3年全く突然変異体を検出できなかったことを考えると、これは驚異的です。

そのほかにもブリッジスはいろいろと研究室発展の基盤となるような知見や技術を開発しました。ただ彼は知り合った女性すべてを口説くというドン・ジョバンニのような男で、ドン・ジョバンニはつきあった女性のカタログを従者につくらせていましたが、彼は自分でつくっていたそうです。そして寒い日にカブリオレでデートして心臓麻痺をおこし、若死にしてしまいました。

ショウジョウバエの染色体はわずか4対で、しかもそのうち1対は非常に小さなもので(図7の中央あたりにみえる)、わずかな遺伝子しか乗っていません(図7)。ですから2つの形質に着目したとき、それらが同じ遺伝子に乗っている確率はほぼ30%で、23対の染色体を持つヒトなどと比べると非常に高い確率です。すなわちメンデルの独立の法則が成立しない場合が非常に多いということです。

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図8のようにAとbという形質が同じ染色体に乗っていれば、遺伝の際にまるで一つの形質のように行動を共にするはずなのですが、時にそれが分かれてしまうことがあります。このことについて、1909年にベルギーの生物学者ヤンセンスが、減数分裂で4つの染色体が集合した際に、それぞれの染色体の1部が交換されるということを発見していました。Aとbの形質の間で染色体がちぎれて、a、Bの相方と交換されるとAB、abという新しい連鎖が成立します。染色体の一部が交換されてできた新たな染色体を組み替え型染色体といいます(図8)。

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ここでアルフレッド・スターティバントは考えました。染色体がランダムな位置でちぎれるとすると、染色体上で離れた位置にある遺伝子は別れやすく、近傍にある遺伝子は分かれにくいと想定されます。すなわち「組み換え型染色体ができる確率は遺伝子A、Bの染色体上の距離に比例する」という公式が成立します(図9)。ですから組み替え型染色体ができる確率を多くの遺伝子について調べれば、遺伝子地図の作成が可能であることに気がついたのです。

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例えばAという形質とBという形質に注目したとき、両者が組み替えによって別れる確率が10%であるとします。そしてBとCは5%だとすると、さらにAとCについて検査してみると15%だった場合、A、B、C という形質は染色体上に図9に示されるような順と距離で配列されているということが推定されます。

組み替え確率の%を距離に置き換えて、センチモルガンという単位を使用します。染色体全体を100センチモルガンとして、多くの形質について上記のような検査を行うと、原理的には何百何千という遺伝子を染色体上に並べることができます。こうして染色体地図を製作することができます。これは遺伝子が染色体上にあるということの決定的な証明となりました。

ハーマン・マラーはX線照射によって突然変異が誘起されることを発見し、遺伝学・放射線医学生物学の進歩に大きな足跡を残しました。彼は筋金入りの共産主義者で、一時期レニングラード(現サンクトペテルブルク)に移住して、ソ連の科学アカデミーで活躍していたこともあるそうです。しかし彼の理想とは裏腹に、次第にソ連の遺伝学界はルイセンコに汚染され、彼を招いてくれたヴァヴィロフも獄死しました。

「ハエ部屋」と呼ばれていたモーガンの研究室からは、モーガン自身以外にも上述のマラーや後で登場するビードルというノーベル賞受賞者をはじめとして多くの遺伝学者が輩出し、スターティバントの弟子のデルブリュックやルイスもノーベル賞を受賞しました。

「非凡な農民:http://www.agr.ryukoku.ac.jp/teacher/nakamura_george_beadle/chapter5.html」 というサイトに興味深い記述があったので、最後に引用させてもらいました。

以下引用:
モルガンと彼の学生達が生み出す知的なエネルギーは物理的な環境の劣悪さをものともしなかった。コロンビア大学構内のシェルマホーン・ホールの6階に位置する彼らの仕事場は16 x 23 フィートの広さの一部屋で、そこには8つの机が所狭しとばかりに詰め込まれていた。コロンビア大学はまだ大きな居住用アパート群に囲まれてはおらず、実験室からは近くの牧草地で草を食むヤギの群れが見えた。訪問客は即座に部屋の汚さと乱雑な様子に気づいて驚くのだった。中でハエが飛び回るガーゼで蓋をしたガラス瓶が紙切れや終了した実験から出た屑ゴミで溢れた机と棚の空間を奪い合っていた。ハエ・グループの神秘的雰囲気の一部は、ハエを収めるミルク瓶が近くの家々の玄関先から収穫されたものではないかという疑いから来ていた。ハエは割り当てられたミルク瓶に閉じ込められてはいたが、あらゆる隙間と割れ目に潜むゴキブリがハエの餌や他の食物の残り滓の上を自由に這いずり回っていた。もちろんネズミが部屋の汚物置き場に集まった残り物の中から食物を探して運動会をしているような有様だった。部屋には酵母と腐りかけたバナナの匂いが漂っていた。時折、建物の友人や同僚達が壁を飾るバナナの茎をもらいにやって来たりした。
:引用終了

図の多くはウィキペディアから借用させていただきました。

参照:

1)http://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/news_data/h/h1/news6/2013/130725_1.htm
The molecular logic for planarian regeneration along the anterior-posterior axis. Umezono et al. Nature 500, 73-76 (2013)

2)http://argmyntbk.exblog.jp/9395215

3)https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Hunt_Morgan

4)「細胞学の歴史 生命化学を拓いた人々」 Arthur Hughes 著 西村顕治訳 八坂書房 1999年刊

5)http://www.agr.ryukoku.ac.jp/teacher/nakamura_george_beadle/chapter5.html

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