« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月30日 (日)

リーガ2016~2017第10節: よかったのは結果だけ

Braugrana勝ったとはいうものの、メスタージャでひどい目にあったバルサですが、今日は最下位のグラナダとの対戦で、体勢をたてなおすことができるでしょうか? メスタージャでの一件は、リーガ会長とバルサとの対決にまで発展して、後をひいているようです。故障者多数の上、ブスケツを休ませたバルサはマルロン・アラニャ・ニリのカンテラ選手達をベンチに入れました。

FW:ネイマール・スアレス・メッシ、MF:ラフィーニャ・デニス=スアレス・ラキティッチ、DF:ディニュ・ウムティティ・マスチェラーノ・セルジ、テア=シュテーゲン。相手がグラナダということで、両SBは上がりっぱなし、ラキもDFラインに入らず、2バックです。

グラナダはウクライナ人のクラヴェツの1トップで、541で厳しく守ります。2バックには寄せてきませんが、ラキに球が入ると厳しく寄せてきます。5人のDFの規律統制もとれていて、なかなかバルサも突破できません。バルサの3トップ、ネイマール・スアレス・メッシは最近プレイの精度が落ちています。シュートがGKの正面に行きますし、トラップも長かったり、パスもずれたりで、攻めてはいるんですが一発がきまりません。

結局0:0のままハーフタイム。カンテラーノを出すどころではありません。グラナダの戦い方をみて、後半はラキを左DFとして3バックでカウンターに備え、ディニュとセルジを攻撃専念としました。DF中央はウムティティ、右はマスチェラーノです。WOWOWでは中盤に人が多すぎたので少しスペースを作ったと言っていました。都並の言うことはわかりますが、なぜあんな小声でぼそぼそしゃべるのでしょうかね。何を言っているのか聞こえませんよ。

後半開始早々、メッシが持ち込み、ネイマールのシュートがポストで跳ね返されるところを、ラフィーニャがバイシクルで決めてくれました。このあとボガに左サイドを抜かれて、非常に危ない場面もありましたが、何とか助かり、1:0でバルサが逃げ切りました。全く低調な試合でした。

https://www.youtube.com/watch?v=jewrSXAtitg
https://www.youtube.com/watch?v=eLjm1seGRLQ
https://www.youtube.com/watch?v=XzLn2A7eJI4


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月29日 (土)

やぶにらみ生物論42: 二重らせん

アーウィン・シャルガフ(1905年~2002年 図1)は現在のウクライナで生まれたユダヤ人です。ベルリン大学で研究をしていましたが、ナチの台頭でフランスに逃れ、さらにニューヨークのコロンビア大学に職を得て、40年間勤めました。

シャルガフはもともと核酸の研究者ではありませんでしたが、1944年に発表されたエイヴリーの論文の結論「遺伝物質はDNAである」(やぶにらみ生物論41に詳述)に「筆舌に尽くしがたい衝撃」を受け、それまでやっていた研究を全部やめて核酸の研究にのめりこんでいきました(1)。

発表された当初、多くの研究者がエイヴリーの論文に衝撃を受けたというわけではなく、シャルガフによればほとんどの科学者が関心を持たなかったそうです。それは彼の言葉によれば「みな権力の回廊で自らのコマ廻しに忙しすぎたので見逃してしまったから」ということになりますが(1)、当時の知識では、DNAの種特異性がわかっていなかったので、あまり重要なことではないとみんな注目しなかったのでしょう。

180pxerwin_chargシャルガフにとって幸運だったのは、ちょうど1944年にペーパー・クロマトグラフィーという分析技術が報告され、DNAに含まれる4種の有機塩基をきれいに分離することができるようになった上に、同時期に紫外線分光光度計が売り出され、各塩基の検出も簡単にできるようになったことです。

シャルガフと共同研究者達はこれらの先進的な技術を使って、様々な生物のアデニン(A)・グアニン(G)・シトシン(C)・チミン(T)の量を測定し、それらの比率が生物の組織・器官では同じですが、種によって様々に異なることを示しました(図2)。

これは当時主流であったエイヴリーのテトラヌクレオチド仮説の理論には相反するものでした。しかし彼はさらに研究を進めて1950年に、

A=T、G=C、しかし A=G=C=Tではない

という驚くべき法則を発表しました(2)。

Photo


生物種によってA・G・C・Tの割合はまちまちですが、AとTの比率およびGとCの比率は極めて1に近いということがわかりました。シャルガフもこのことを論文に書くのは怖くて、結局校正の段階で追加して発表したそうです。

この発表は主にDNAの構造をX線解析によって研究していた人々の注目を集め、実際英国のウィルキンスをはじめ何人かの研究者にDNAのサンプルを譲渡したそうです(1)。

シャルガフは1952年に英国のケンブリッジ大学に行って、ジェームス・ワトソン(1928年~)とフランシス・クリック(1914~2004)(図3 ウィキペディアより)にこの法則について説明したそうですが、その時の詳しいいきさつは文献(1)に詳述してあります。ワトソンの著書にもこのことは書いてあって、シャルガフの法則はDNAの分子モデルを考える際に大いに参考になったと思われます。

シャルガフはこの時に二人かららせん構造についての話しを聞いていたのですが、彼はDNAの特異性に関してはトポロジーが重要だとは思っていたものの、らせん構造については余り興味を持たなかったようです。

シャルガフはAとT、およびCとGが構造的に隣接しているという考え方を以前にしていたことがあるが、それは廃棄したとこの会談で述べたことを記してします(1)。その廃棄した理由が、本の説明(1)では私にはよくわかりませんでした。ワトソンとクリックも廃棄する十分な理由はないと考えたと思います。

Photo_2

結局この会談はシャルガフが、ワトソンとクリックはふたりとも化学のど素人だと判定した段階でうまくいかず、気まずく終わったようです。シャルガフのもっと重要な用はパリでの国際会議で、そこではハーシーとチェイスがDNAが遺伝物質であるという決定的な証拠を示し(詳細はやぶにならみ生物論41に記述)、いよいよDNAが分子生物学の主戦場となることは明らかになりました。

その頃英国ではDNAの構造研究の中心は、ワトソンとクリックがいたケンブリッジ大学ではなく、ロンドン大学のモーリス・ウィルキンス(1914~2004)の研究室でした。そこでは若手研究者だったロザリンド・フランクリン(1928~1950)とボスのウィルキンスが激しく仲違いをして、プロジェクトがうまくいっていませんでした。

その間隙を縫ってワトソンとクリックはDNAの3重らせんモデルを考案し、フランクリンに見てもらったのですが、リン酸がらせんの内側にあると水分子を置くスペースがなくなると即座に否定され、彼女におもちゃを使って遊んでいるバカ者共という印象を与えてしまったのです。これでふたりはDNAの研究から手を引かされるという羽目に陥りました(3)。

しかし二人にとって、ここで思わぬ幸運が舞い込んできました。それは1953年に当時生体物質の構造化学では第一人者であるライナス・ポーリング(1901年~1994年)が、二人が考案したものに近い間違った3重らせん構造のモデルを提出したことでした。しかも彼のモデルではリン酸基がイオン化しておらず、それじゃあ核酸は酸じゃないのかというおまけまでついていて、これでワトソンとクリックは俄然勢いづきました。

彼らはロンドン大学のグループにもう一度らせん構造を考えてみようと説得に行き、ウィルキンスにフランクリンの学生であるゴスリングのX線回折写真を見せてもらうことに成功しました。それはまさしくらせん構造を示す回折像だったのです(3)。ところがこれはフランクリンの許可を得ていなかったため、後に問題になりました。

ウィルキンスに写真をみせる権限があったことはわかりますが、フェアーなやり方とは言えません。またフランクリンが書いた非公開の年次レポートを、閲覧する権限のあるペルーツが部下のクリックに渡したとされており(4)、これもさらにフェアーとは言えません。ただこのようなことは研究の世界では日常茶飯事であることもまた事実です。

ワトソンはアデニンとチミン、グアニンとシトシンがそれぞれペアで存在するために可能な構造を示し(図4)、それを見たクリックは鎖が逆向きの2重らせんの構造をすぐに思いついたそうです(図5)。このモデルは直ちに Nature 誌に投稿され、受理されました(5)。

ワトソン・クリック・ウィルキンスは、「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」に対して、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。ロザリンド・フランクリンは1958年に37才の若さで亡くなっていたので、受賞対象にはなりませんでした。

Photo_4

Photo_5
ワトソンとクリックにしてみれば、フランクリンは執拗にDNAのモデル構築に反対して、まるで自分たちの仕事が妨害されたように見えたでしょうし、フランクリンにしてみれば荒唐無稽なモデルをもてあそんでいる彼らとまともにつきあう必要はないと考えたというのもうなづけます。ただフランクリンの写真を見なければ正しい分子モデルはできなかったはずで、DNAの二重らせんモデルはこの3人に等しく栄誉が与えられるべきだったと思います。

ロザリンド・フランクリンの業績については友人のアンネ・セイヤーが1975年に本を出版しており(6、図6)、最近ではきちんと評価されています。また最初に鮮明なDNAのX線回折写真を撮影したレイモンド・ゴスリング(1926~2015)は、当時博士課程の学生だったので蚊帳の外になってしまいましたが、その後も素晴らしい写真を撮影して、大いにDNAの分子モデルの作成に貢献しており、本当は彼もノーベル賞をもらうべきだったのかもしれません。

Photo_6


参照:

1) 「ヘラクレイトスの火 (Heraclitean Fire)」 アーウィン・シャルガフ著 村上陽一郎訳 岩波書店 (1990)

2) Chargaff, Erwin; Chemical specificitiy of nucleic acids and mechanism of their enzymatic degradation. Experientia vol.6, pp.201-209 (1950)

3) DNA: The secret of Life. James D. Watson and Andrew Berry, Arrow Books, 2004.  邦訳:青木薫 講談社刊

4) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B6%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3

5) J.D. Watson and F.H.C. Crick: Molecular structure of deoxypentose ribonucleic acids. Nature vol.171, pp.737-738 (1953)
http://www.nature.com/nature/dna50/watsoncrick.pdf

6) Rosalind Franklin and DNA, written by Anne Sayre, W.W. Norton New York and London (1975)







| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月27日 (木)

2020東京オリンピック-問題多すぎです

A0027_000624だいたいごく一部のアマチュアが楽しんでやっている競技に、税金を含む莫大な資金を投入すること自体が理解できません。オリンピックは既存の施設でやれば良いのですよ。私の個人的意見ですが、旅費と宿泊費以外は支出する必要もないと思います。選手は国家が養成しなくていいんですよ。国威発揚をしたい国には勝手にやらせておけばいいのです。

どうして莫大なお金をかけてボート競技場とか有明アリーナとか建設するのか、狂気の沙汰としか思えません。同じお金を投入するなら、国民の多くがプレーしている、あるいは興味がある、野球場・サッカー専用スタジアム・ゴルフ場・つりぼり・マラソンコースなどを整備するならまだ話はわかりますよ。それでも多くの国民が貧困に苦しんでいる中での支出には疑問がわきますがね。

国立病院や国立大学をリストラし、奨学金も卒業後返せと言っているような国が、オリンピックで大盤振る舞いとはおかしな話です。

小池都知事は当初は意外によくやっていると思いましたが、ここにきてしぼんでしまいそうです。IOCーJOCの壁を乗り越えないとどうしようもないと思いますが、まああと少しはみてみましょう。

IOCもこれからは、開催都市にすでにある施設、あるいはその改良工事だけでオリンピックを行うように、考え方を変えた方が良いと思います。ボート協会なんて、選手の多くが埼玉でやって欲しいと言っているのに、強引に海でやれと怒鳴り散らすならずものの集団ですから、無視していいですね。

「小池都知事は「闇の五輪3施設」にメスを入れられるのか?」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49820

「東京五輪の運営費、2兆円過小に間違っていたと判明…すぐ壊す仮設施設に3千億税金投入」
http://biz-journal.jp/2016/08/post_16153.html

「群を抜く新国立競技場の建設費2500億円 費用の膨張はロンドン五輪でも問題に」
http://newsphere.jp/national/20150626-2/

「世界一カネのかからない」はずだった東京オリンピック費用が予定の6倍の1.8兆円」
http://buzzap.jp/news/20151219-tokyo-olympic-2trillion-yen/

「東京五輪、建物はほとんど「プレハブ化」せよ」
http://toyokeizai.net/articles/-/141039

「驚愕の東京五輪費用報告」
http://carp-to-sonzai.blogspot.jp/2016/09/blog-post_30.html

「過去と比べて何故高い?東京五輪新国立競技場建設費が高い5つの理由」
http://world-news.beauty-box.tokyo/entry/2015/09/13/193000

「オリンピックにはいくらかけられるのか」
http://blogos.com/article/150941/

「東京五輪の運営費、2兆円過小に間違っていたと判明」
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1470474108/

「東京オリンピック」って、果たしてやる価値あるんでしょうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11120531136?__ysp=44Gp44GG44GX44Gm44Kq44Oq44Oz44OU44OD44Kv44Gr6I6r5aSn44Gq44GK6YeR44KS5L2%2F44GG44Gu44GL

「国立病院・療養所の再編成等について」
http://www.mhlw.go.jp/topics/2002/bukyoku/kenkou/1-5.html

リオデジャネイロ・オリンピックと東京オリンピックの誘致: 買収疑惑に対する捜査」

http://d.hatena.ne.jp/mouf-jp/20160612/1465747399


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月26日 (水)

やぶにらみ生物論41: 遺伝情報を担う物質は何か?

フレデリック・グリフィス(1879年 - 1941年)は第一次世界大戦中に設立された英国保健衛生省の病理学研究室で研究を行いました。彼の仕事は多くの患者から肺炎菌を集めて培養し、分類を行うことでした。

この仕事を進めているうちに、グリフィスは菌の種類・株によってホストの免疫機構に対する耐性が大きく異なることに気がつきました。細菌のなかには細胞壁(セルウォール)の外側に莢膜(カプセル)というオーバーコートをかぶっているものがあり、これらの菌は感染した際に、ホストの免疫機構によって排除されにくいのです。この理由としてカプセルの主成分である多糖類がタンパク質に比べて抗体との反応が弱いということがあげられますが、その他にもカプセルをもつ細菌は、白血球やマクロファージに食べられにくいという性質があります。後者の理由は正確にはいまでもわかっていないようです。

カプセルを持つ菌はヒス染色(ゲンチャナバイオレットという色素で染色する方法)という方法で識別できます。カプセルを持っている場合、菌体は強く紫色に染色され、そのまわりでピンク色で囲まれているような感じに染色されます(1)。

肺炎菌のR株(図1青)はカプセルを持たず病原性がありませんが、S株(図1赤)はカプセルを持っており病原性があります。S株は熱処理によって病原性を失いますが、この熱処理したS株と非病原性のR株を同時にマウスに投与すると、意外にも病原性が復活してマウスは死亡しました。グリフィスは死んだS株の形質転換因子(transforming principle) がR株の形質を転換し(transform)、病原性を与えたと説明しました(2)。この形質転換因子こそDNAだということが後にわかるのですが、当時は全くわかりませんでした。

A_2

A_3形質転換のメカニズムを解明しないまま、グリフィスはナチス・ドイツによる1841年のロンドン・ブリッツ(ロンドン大空襲)によって不慮の死をとげてしまいました。

彼が実験室で爆撃を受けたという説がありますが、研究によって、自宅に居たときの空爆で死亡したということになったそうです。

1941年のランセット5月3日号には obituary (=死亡記事、参照3)が掲載されています。それによるとグリフィス(図2)は犬の散歩が趣味の、大変慎重な人で、一生涯 「Almighty God is in no hurry - why should I be?」 という主義を貫いたそうです。同じページに、彼の同僚で著名な細菌学者のウィリアム・スコットも空爆で死亡したという記事が掲載されています。

A_4グリフィスが残した課題はオズワルド・エイヴリー(1877年 - 1955年、図3)によって引き継がれました。

彼はグリフィスが言う形質転換の原因は細菌がまわりの環境から遺伝物質をとりこむことができるからだと考えました。

そこでS菌の細胞を破壊し、内容物をタンパク質分解酵素で処理してR菌の培養液に加えました。するとこの処理が無効だったことがわかり、タンパク質は形質転換に関与していないことが示唆されました。

ところがDNA分解酵素で処理すると、R菌は形質転換を起こさなかったのです。これはDNAが形質転換に関与していることを強く示唆しました(4)。

この論文が発表されたのは1944年ですからエイヴリーはすでに67才でした。しかも太平洋戦争の真っ最中です。日本ではほとんどの学術雑誌が休刊していましたが、米国では発行されていて、しかもこのような重要な基礎研究の論文が発表されていたということです。私はこれは国力の違いもありますが、さらに文化の違いもあると思います。基礎科学の振興が民族・国家さらには人類にとって決定的に重要だということは、現在の日本人にも浸透していないと思います。

ハーシーとチェイス(図4 左:アルフレッド・ハーシー 1908年 - 1997年、右:マーサ・チェイス1927年 - 2003年)は大腸菌に感染するT2ファージ(ある種のウィルス)を使って実験しました。このときチェイスはまだ博士号を取得していませんでしたが、共同研究者の扱いになっています。T2ファージはタンパク質とDNAだけからなっており、大腸菌に感染すると菌内で増殖して、菌細胞を破壊して外界に出て、また大腸菌に感染するというライフサイクルを行います。ですから子孫をつくるための情報はタンパク質かDNAのどちらかが持っているはずです。

A_5

そこで彼らはまずシャーレAの培地に放射性のリン(P32を含むオルトリン酸)を加え、もうひとつのシャーレBには放射性の硫黄(S35を含む硫酸マグネシウム)を加えてT2ファージと大腸菌を培養します。それらからP32を含むファージとS35を含むファージを分離します。

DNAは硫黄を含まず、ファージのタンパク質はリンを含まないので、シャーレAから分離したファージはDNAが放射性Pを含み、シャーレBから分離したファージはタンパク質が放射性Sを含んでいます。それぞれを大腸菌に加えて感染させます(図5)。

ファージは細菌にくっついて自らの遺伝物質を細菌に注入します(図5の1)。


A_6

感染したタイミングを見計らって、培養液をブレンダーに入れて激しく攪拌し(図5の2)、ファージを菌体から引きはがします。次に遠心分離法によってファージと菌体を分離します(図5の3)。上清がファージで沈殿が菌体というかたちで分離できます。

そして沈殿から回収された菌体に含まれる放射性物質を検査するとそれはP32で、S35は含まれていませんでした。すなわち遺伝情報の担い手はDNAであり、タンパク質ではないことが示されました(図5の4、参照 5)。この研究はエイヴリーが提唱していた<<DNAが遺伝情報の担い手である>>という説を強くサポートするものであり、この研究などによってハーシーは1969年にノーベル医学生理学賞を授与されています。一方チェイスは離婚や痴呆症のため後半生はよい人生を送ることができなかったようです。

ウィルスによって被害を受けるのは細菌だけではなく、哺乳動物なども被害を受けるわけですが、哺乳動物に感染するウィルスはT2ファージのようにDNAを細胞に注入するというような方法ではなく、細胞に吸着したあと、そのまま細胞に食べられるというような形で取り込まれるとか、ウィルスの外殻と細胞膜が融合して、中身が細胞内にはき出されるとかさまざまな形で細胞に侵入します。メカニズムの詳細は現代医学においても重要な研究課題です。

参照:

1) http://www.mutokagaku.com/products/reagent/bacterialstain/hisstain/

2) Frederick Griffith, THE SIGNIFICANCE OF PNEUMOCOCCAL TYPES. Journal of Hygiene, vol.XXVII, pp.113-157, (1928)
  https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2167760/

3) Obituary, The Lancet vol.237, no.6140, pp.588-589, (1941)   http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0140673600951742

4) Oswald T. Avery, Colin M. MacLeod, and Maclyn McCarty, STUDIES ON THE CHEMICAL NATURE OF THE SUBSTANCE INDUCING TRANSFORMATION OF PNEUMOCOCCAL TYPES. Journal of Experimental Medicine vol.79, no.2, pp.137-158, (1944)   https://profiles.nlm.nih.gov/CC/A/A/B/Y/_/ccaaby.pdf

5) A. D. HERSHEY AND MARTHA CHASE:INDEPENDENT FUNCTIONS OF VIRAL PROTEIN AND NUCLEIC ACID IN GROWTH OF BACTERIOPHAGE. The Journal of General Physiology vol.36, pp.39-56 (1952)
http://jgp.rupress.org/content/jgp/36/1/39.full.pdf










| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月25日 (火)

民進党に望むこと

Minshinto_logo民進党は党内対立がこのままの状態では選挙なんて戦えるわけがありません。
http://tanakaryusaku.jp/

総務省統計局の集計によると、日本の非正規労働者は1989万人だそうで、これは連合組合員689万人よりはるかに多い数です。
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/4hanki/dt/

<<民進党は連合べったりではなく、非正規労働者をサポートする政党になるべきです>>。連合も利害関係が一致する自民党を支持するのが自然ではないかと思います。賃上げをやれと言っているのは晋三ですよ。民進党はこのままでは野党共闘は実現せず、次の総選挙で壊滅的な打撃を受けます。新潟知事選挙で明らかなように、すくなくとも地方では連合と決別した方が、公約がシンプルになってわかりやすく、選挙に勝てます。大都会でも前回より後退することはないと思います。

公約としては、総花的にしないで:

「TPPとTiSAを認めない」
「食糧自給率を50%以上にする」
「原発を数年以内に廃止する」
「停戦協定が破綻している場所にはPKO部隊を出さない」
「年金で株を買わない」
「待機児童をゼロにする」
「非正規労働者の労働組合を支援する」
「共同体社会の発展をめざす」

あたりでいいのではないでしょうか。

註:私は個人的には駆けつけ警護は必要だし、PKO部隊には十分な武器を持たせるべきだと思いますが、それは停戦協定がちゃんと成立しているにもかかわらず、突発的で予想外の事態が発生する場合に備えての話で、南スーダンのように内戦が勃発しているところに派遣するなんてとんでもないことです。だいたい当事者のトップが「停戦協定は破綻している」と言っているじゃありませんか。

個人的には誰かと同じようにアメリカさよなら、中国・ロシアこんにちわでいきたいところですが、それは公約にはふさわしくありません。ただ経済を発展させようとすれば、中国・ロシアとの関係を好転させて、経済交流を拡大させることが必須だと思いますけどね。今の米国の状況をみれば、これ以上米国に経済進出するのは無理だと思います。また日本人は弱者救済には極めて冷たい気質なので、弱者救済はあまり言わない方がいいと思いますね(政策としてやるべきだと思いますが)。

野田佳彦という男は政治家なのに世の中・時代の変化を感じていない、旧社会にどっぷりひたっているガチ昭和人間です。新潟に投票前日とはいえ、野党候補のサポートにはいった蓮舫の方が機を見るに敏なところがあります。野田は結果的に自分が晋三の独裁を蔭でサポートしている存在であることを自覚し、かつ国民が晋三への明確な対立軸をどのような政党に求めているかを深刻に考えるべきです。

民進党は・・・非正規労働者、ブラック企業の社員、農民、失業者、苦学生、病人、身体障害者、年金では生きられない年寄り、離婚して最低生活の母子、路上でライヴをやっているシンガー、ピペット奴隷とよばれている研究者、給料では生活できないオケマン、奨学金返却で破産しそうな若者・・・の味方であるべきです。ですから枝野か赤松あたりを幹事長にして、蓮舫の好きなようにやらせてみてはどうでしょう。

最後の最後の話ですが、どうしても野田が態度を改めないのなら、他の野党との共闘をめざし、連合と決別できる党員が脱党して新政党をつくるべきです。連合に頼っていてはもう永久に与党にはなれません。まあ自民党と連立政権でもつくるなら別ですが(笑・・・?)。

余談: 民進党のロゴは評判悪いようですが、私はすぐシャガールの絵を思い浮かべました。彼の絵にはよくこんな感じで人が空にうかんでいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月24日 (月)

リーガ2016~2017第9節: ゴロツキ大集結のメスタージャで辛勝

Braugranaメスタージャでバレンシアとの対戦ですが、私はマドリーよりもこのチームが嫌です。ペジェグリーノのときに一瞬紳士的なプレイのチームになったのですが、だいたいは相手チームの選手がケガをしても仕方がないようなラフプレーが当たり前という伝統があります。多分若い頃のエメリがそういうチームにしたのでしょう。またマスコミが厳しいサッカーということで持ち上げて助長したのでしょう。WOWOWも例外ではありません。だいたい反則を礼賛するようなスポーツがサッカー以外にあるでしょうか? 今日も開始早々イニエスタが膝にアタックされて負傷退場させられました(全治6~8週の重傷)。

もちろんレフェリーにも問題があります。今日のレフェリーはおかしな判定が多かったと思います。最初のバルサの得点はメッシのシュートでしたが、オフサイドの位置にいたスアレスが飛び上がってシュートにあたらないよう避けたのです。これは普通プレーに参加したとみなされ、得点にならないはずです。これを得点にするのはレフェリーの哲学として、まあ容認しても良いのですが、カードをどんなときに出すのかについてバラバラなのはいただけません。ブスケツなど、エリア外しかもかなり離れた位置で、ほんの一瞬相手のシャツをつかんだだけでイエローカードをもらいましたが、これ自体は素晴らしいジャッジです。ただそれなら、シャツをつかんだらかならず即カードを出すというようなジャッジをして欲しいと思います。

前置きが長くなりましたが、バルサはFW:ネイマール・スアレス・メッシ、MF:イニエスタ・アンドレ=ゴメス・ブスケツ、DF:ディニュ・ウムティティ・マスチェラーノ・セルジ、GK:テア=シュテーゲン。上記のようにイニエスタがすぐに退場になったので、代わりにラキティッチがはいりました。最初は442でスタートしましたが、先制点が入るとブスケツが下がって3バックに変更しました。バルサの場合4バックだと、すぐに2バックになりがちなので、3バック固定の方が守備的なのです。ただしブスケツが下がるときと、どちらかのSBが上がらないようにするという二種類のやり方があります。

バレンシアは1トップがロドリゴで4231。かなり前線から押さえにきますが、球が自陣にはいるとすぐに44の2列がきちんと整列してがっちり守備です。マンガラ・ガライのCBはかなり優秀とみました。前線では右のカンセロが素晴らしく、26分に右を突破されてクロスを供給されましたが、わずかにロドリゴが間に合わず助かりました。あとGKにあのジエコ・アウヴェスがいます。36分そして38分スアレスのはいりそうなシュートを止められてしまいました。テア=シュテーゲンも負けじとナニとパレホのシュートを止めました。バレンシアはガヤが負傷退場し、アブデヌールに交代。47分にはネイマールのオーバーヘッドもはずれました。これでハーフタイム。

後半5分、ラキティッチがGKと1:1のシュートを外してからツキがバルサから離れていきました。8分右サイドを押し込まれたときにバルサの3バックがラインを下げたのですが、このときMFとの距離が開きすぎて、がら空きのところから後半モントーヤと交代して出場したムニルにやられました。ただし私が見た限りでは、ムニルにパスしたパレホがオフサイドの位置で球をもらったように思いました。WOWOWでは「これは疑惑のゴールじゃないですね」などとしたり顔で言っていましたが、これも疑惑のゴールですよ(笑)。さらに11分、ナニの浮き球のパスにロドリゴが反応してゴール。逆転くらいました。

バルサも必死です。17分、ラキティッチのヘディングをGKはじいたところをスアレスがゴールし同点。バレンシアも必死の守備で、エンパテやむなしとがっかりしていたところ、アディショナルタイムになんとスアレスが倒されてPK。バレンシアもドジを踏んでくれました。
メッシがきわどく決めてなんとか2:3で勝ちました。やれやれです。

最後にネイマールがスタンドから飛んできたものに頭をやられました。無事ならいいですが。メスタージャのガラの悪さは相変わらずです。ゴロツキ大集結のスタジアムですが、絶対犯人を逮捕して欲しい。

バルサの故障者は多く、大ピンチです。

MF アルダ 10/21、左ヒジの打撲。経過次第。
MF イニエスタ 10/22、右ヒザ靭帯一部断裂。全治6-8週間。
MF ラフィーニャ 10/21、左肋骨の打撲。経過次第。 
DF ピケ 10/19、右足首の捻挫。全治3週間。
DF アルバ 10/19、左大腿二頭筋の肉離れ。全治2週間。
GK シレセン 10/08、右ヒザ靭帯を捻挫。全治3週間。
(ブラウグラナの故障者情報です)

https://www.youtube.com/watch?v=pNx0ee2-hws

https://www.youtube.com/watch?v=3HPqtVLSa_E

https://www.youtube.com/watch?v=S1FlZiokxJ4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月22日 (土)

JPOP名曲徒然草174: 「最高の片想い」 by タイナカ彩智

Imgaタイナカ彩智さんは加古川生まれ(1986年)で神戸育ち。すでにオリジナルアルバムを7枚出版しているそうですが、この「最高の片想い」はデビューアルバム「Dear...」(GNCX-1002、geneon)に収録されています。デビューの年、2006年に3曲目のシングルCDとしてカットされました。

スローバラードが素晴らしい、息の長いシンガーソングライターです。タイナカ(田井中)は本名だそうです。

2016年10月26日(もうすぐ)にニューアルバム「「蒼い背中 (あおいせなか)」 を発売予定だそうです。楽しみですね。

「最高の片想い」 作詞・作曲 タイナカ・サチ
https://www.youtube.com/watch?v=V28GJtf9vZI
https://www.youtube.com/watch?v=b1925VG7Dqc
https://www.youtube.com/watch?v=064WH4MVAno

「sakana」
https://www.youtube.com/watch?v=18Vxc_nhX-4

「灯り」
https://www.youtube.com/watch?v=OwITeQlXEHo
https://www.youtube.com/watch?v=SZP-7VZcm0U

「また明日ね」
https://www.youtube.com/watch?v=Jk9MB6IVISs

「愛しい人へ」
https://www.youtube.com/watch?v=9i57xtP7Cnk
https://www.youtube.com/watch?v=VJ2uj-eCBwE

「一番星」
https://www.youtube.com/watch?v=Sr4QIbAbBFI

「FlowerDance」
https://www.youtube.com/watch?v=EX05_QikX6o

「innocent」
https://www.youtube.com/watch?v=VM0gNktiwjM

「Lipstick」
https://www.youtube.com/watch?v=SeXUu7z3Dog

「Shadow」
https://www.youtube.com/watch?v=f_7flPd6ojQ

HP:http://tainakasachi.net/
ブログ:http://ameblo.jp/tainakasachi/
Twitter:https://twitter.com/tainakasachi

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月21日 (金)

やぶにらみ生物論40: 核酸構造解析のはじまり

Photo_2アルブレヒト・コッセル(図1)はミーシャーが生化学・生理学を学んだホッペ=ザイラーの研究室、といってもチュービンゲンではなくてストラスブール(現在はフランス)にあった研究室で1877年から1881年まで助手をしていました。

当時ホッペ=ザイラーはミーシャーが発見した奇妙な酸性物質ヌクレイン(後に核酸と呼ばれる)に関心を寄せていて、コッセルも巻き込まれることになりました。その後ベルリン大学、大学、マールブルク大学、ハイデルベルク大学で教鞭をとりながら研究を進めました。

19世紀末から20世紀初めにかけてコッセルは、化学の手法のみによって、エミール・フィッシャーをはじめとする多くの研究者の協力を得て、核酸(DNA)が4種類の成分、アデニン・グアニン・シトシン・チミンと糖を含むことを証明しました(図2)。

現在では低分子物質の化学構造は分析機器によって簡単に判るわけですが、当時は大変な作業で、いろいろと紆余曲折を経てようやく構造決定にこぎつけました。アデニン・グアニン・シトシン・チミンはまとめて核塩基と呼ばれます。

Photo_3

コッセルはこの業績によって1910年にノーベル賞を受賞しています。受賞講演の中で彼は、「核酸などの生体分子はビルディング・ブロックにたとえられる部品(ある種の原子のグループ)の集合体で構成されており、部品の段階で体内に吸収されて、体内で計画に基づいて生体分子が形成される」という考え方を述べています(1)。これは非常に先進的な考え方であり、コッセルのセンスの良さを感じます。

もうひとつの核の塩基ウラシルは、1900年にアルベルト・アスコーリによって酵母の核酸から発見されました。現在ではウラシルはDNAにはほとんど含まれず、もうひとつの核酸であるRNAの成分であることが知られています。現代的表現の構造式を図3に示します。

Photo_4

コッセルは核酸には糖が含まれることを見いだしましたが、糖と核塩基との関係、さらにミーシャーが核酸の成分としているリン酸との関係は明らかではありませんでした。これらの構造的関係を明らかにしたのがフィーバス・レヴィン(図4)です。

レヴィンは1905年にニューヨークのロックフェラー医学研究所の研究室長に抜擢され、ずっとそこで研究を続けました。当時この研究所には野口英世も在籍していました。

Photo_5レヴィンは1909年に核酸に含まれている糖がリボース(D-ribose)であるとし、1929年にはこれがデオキシリボース(2-deoxy-D-ribose)であると修正しました。

現在ではDNAの成分がデオキシリボース、RNAの成分がリボースであることが判っています。ここにいたってようやく ミーシャーのリン酸、コッセルの有機塩基、レヴィンのデオキシリボースというDNAのすべての構成要素が出そろったわけです。

レヴィンのもうひとつの大きな業績は糖・核塩基・リン酸の構造的関係を明らかにしたことです。

図5で示されるように、リン酸-デオキシリボース-塩基が化学結合し、核酸の基本的な構成ユニットとなっていることをレヴィンは解明しました。このユニットはヌクレオチド(nucleotide)と命名されました。

Photo_6

ここまではよかったのですが、レヴィンはこの構成ユニットがどのように連結されているかについて、テトラヌクレオチド仮説という誤った仮説を発表し、大きな混乱をもたらしました。彼の仮説によると、アデニン-糖-リン酸、グアニン-糖-リン酸、シトシン-糖-リン酸、チミン-糖-リン酸という4つのユニットが図6のように連結されて核酸を構成していることになります。レヴィンの業績については文献(2)にまとめられています。

Photo_8

テトラヌクレオチド仮説に対する決定的な反論はスウェーデンの科学者、スヴェドヴェリ(Theodor Svedverg 1884-1971、参照3)によって行われました。スヴェドヴェリは超遠心機を開発し、分子の沈降速度からその分子の大きさを計測しました。それによれば、DNAはテトラヌクレオチドのような分子とは比較にならないくらい巨大な分子であることがわかりました。

このほかもしレヴィンの説が正しければ、アデニン・グアニン・シトシン・チミンは常に1:1:1:1で存在しなければなりませんが、測定が精密になればなるほどそうではないことが明らかになってきました。こうして謎が深まる一方の状況で、レヴィンは1940年に亡くなってしまい、世界は第二次世界大戦に突入します。

最後にヌクレオチド関連物質の命名法について述べておきましょう(図7)。

5炭糖(炭素原子5個を含む糖、時計回りにそれぞれの炭素原子に1~5の番号がつけられています)のデオキシリボースまたはリボースは、炭素原子4個と酸素原子1個からなる複素環にもう一つ炭素原子(5番)が結合した形になっています。1の位置の炭素が有機塩基(ここでは adenine だとします)の窒素と結合してC-N結合でつながっています。このデオキシリボース(またはリボース)と有機塩基が結合した分子をヌクレオシド(nucleoside, ヌクレオサイド)と呼びます。

ヌクレオシドの5炭糖の5の位置の炭素にリン酸が結合した分子をヌクレオチド(nucleotide, ヌクレオタイド)と呼びます。ヌクレオチドにはリン酸が1個または2個または3個結合する場合があり(図7)、区別が必要な場合はそれぞれ、ヌクレオシド1リン酸、ヌクレオシド2リン酸、ヌクレオシド3リン酸と呼びます。

A


ヌクレオシドには塩基として、アデニン、グアニン、チミン、シトシンが結合している分子があり、糖の2の位置がHだった場合、それぞれデオキシアデノシン、デオキシグアノシン、(デオキシ)チミジン、デオキシシチジンと呼びます。糖の2の位置がOHだった場合は、それぞれアデノシン、グアノシン、RNAの場合にはチミンでなくウラシルが結合していて、この場合ウリジンと呼びます、そしてシチジンです。チミジンの場合、ウリジンと判別が容易なので、頭にデオキシをつけないことがあります。

5炭糖の2の位置の炭素にHが結合する場合の糖の名称はデオキシリボース、OHが結合する場合リボースです。DNAの構成要素はデオキシリボースです。アデニンとグアニンをまとめてプリン、チミンとシトシンとウラシルをまとめてピリミジンと呼ぶことがあります。

次にヌクレオチドですが、例えば図7のようにアデノシンに3つのリン酸が結合している場合で糖がリボースの場合、アデノシン3リン酸(ATP=adenosine triphosphate)と呼びます。2つのリン酸が結合している場合はアデノシン2リン酸(ADP=adenosine diphosphate)、ひとつだとアデノシン1リン酸(AMP=adenosine monophosphate) ということになります。これらの物質の名前は、生化学を学ぶときには嫌と言うほど頻繁に登場します。

糖がデオキシリボースの場合、例えばアデノシン3リン酸はデオキシアデノシン3リン酸ということになり、dATPと表記します。2リン酸の場合dADP、1リン酸の場合dAMPです。

参照:

1)アルブレヒト・コッセルのノーベル賞受賞講演
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1910/kossel-lecture.html

2)レヴィンの業績:PHOEBUS AARON THEODOR LEVENE 1869-1940、Proc NAS USA XXIII  pp.75-126 (1943)
http://www.nasonline.org/publications/biographical-memoirs/memoir-pdfs/levene-phoebus-a.pdf

3)https://en.wikipedia.org/wiki/Svedberg













| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月18日 (火)

上野動物園のフォッサ 再び & 都響ティータイムコンサート

フォッサに会いに上野動物園に行ってきました。平日ですが、動物園は大盛況です。やはり外国人に来てもらうというのが、日本を賑やかにするには必要ですね。最近は中国人より、欧州やアメリカ大陸の人が多いような気がします。

フォッサというのはマダガスカルの動物で、犬と猫の共通の祖先に近いと言われています。相変わらずメスは展示していません。しかし天気が良かったせいか、オスは表のスペースに出てきてウロウロしていました。この写真はちょっと怖い。中型の犬くらいのサイズですが、マダガスカルでは百獣の王だそうです。

Aimg_1540

閉じられているドアの向こうにメスがいると思われ、オスはぐるぐる回ってはドアの前に立ち止まって「ドアよ開け」と念じているようです。

Bimg_1555

確かに犬のようでもあり、猫のようでもあります。

非常に細かいメッシュの檻の中で飼われていますが、これは手を突っ込んで噛みつかれたりしないように配慮されているのでしょうが、写真を撮影するには障害になります。不鮮明な写真ばかりでストレスがたまりました。

非常に神経質な動物らしく、動物園もなるべく見物人がこないよう、地図に名前を書かないとか、最辺境で飼育するとか、かなり配慮しているようです。それでもこの動物のサポーターになっている人がひとりいらっしゃるようで、お名前が動物園の入り口近くに張り出してありました。

今日は12時に東京文化会館のロビーに行きました。1時から都響メンバーによる無料のコンサートがあるというので行ってみたのですが、はやくも30人くらい並んでいて、開場がせまるとドアの外まで列がつづくという大盛況でした。用意したパイプ椅子では全然間に合わず、階段に座っている人が大勢いました。

Cimg

モーツァルトのディベルティメントは、とても上品かつチャーミングな演奏で本当に感動しました。「アメリカ」もぴったり息の合った演奏で、かつ出過ぎず引っ込みすぎずのバランスが素晴らしいと思いました。唯一第2楽章のヴァイオリンのピチカートは全然聞こえませんでしたけどね。

本日都響の来シーズンラインアップが発表されました。再来年の3月までのスケジュールなので、早々と思われるかもしれませんが、他のオケと比べて都響は遅い方です。スペシャルでインバルが「大地の歌」を振る以外、マーラーのシンフォニーが全くないのには唖然。国塩はファンに<<喧嘩を売っている>>のかと思いました。

指揮者がみんななじみの人たちばかりなので、国塩・大野が面倒なこと(仕事が増える)は避けたくさいという気もします。でもエヴァ・オリカイネン、フランソワ=グザヴィエ・ロトは起用しないのね・・・残念。シモーネ・ヤングやMTTを呼ぶ気はないのでしょうか?

インバルが80歳越えて「レニングラード」、大野のトゥーランガリラと天地創造、フルシャのブラームス・チクルス、ソリストはイヴラギモヴァに期待。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月17日 (月)

やぶにらみ生物論39: DNAの発見

Friedrich_miescher_2フリードリッヒ・ミーシャー(1844-1895 図1)の父親はスイスのバーゼル医科大学解剖学・生理学の教授でした。ミーシャーは父の跡を継いでバーゼル医科大学を卒業し、耳鼻科の医師になるトレーニングをはじめましたが、子供の頃からの難聴のせいで診察はうまくいきませんでした。

また彼自身はもともとそんなに医師への興味はなく、むしろ生命現象の科学的解明に強い関心を抱いていたので、ドイツのチュービンゲン大学ホッペ=ザイラー教授の下で1868年から生理学の研究をはじめました。

ミーシャーは畑違いなので勉強していなかったと思いますが、1866年にはメンデルが遺伝の法則を発表しており、また同じ年にエルンスト・ヘッケルは遺伝情報が核にあるという説を発表していました。後者はおそらくミーシャーも知っていたと思われます。

ミーシャーは当初から生命現象を化学によって解明しようという目的で、生化学の創始者であるホッペ=ザイラーを師に選んだのです。ホッペ=ザイラーの研究室は中世からあるチュービンゲン城を改装した場所にあり、図2はミーシャーの研究室の有名な写真です(ウィキペディアより)。この部屋は中世には厨房として使われていたそうです。

Schloss_chemisches_labo

ミーシャーはまず細胞の化学組成を解明しようと考えました。選んだ細胞はシンプルな球形で、遊離細胞であるリンパ球です(図3)。最初はリンパ球を実験動物のリンパ節やヒトの血液から採取しようとしましたが、採取できる量が少なすぎたため、ホッペ=ザイラーの助言に従って、患者の膿(うみ)から採取することにしました。当時は消毒もいいかげんで、負傷者や手術した患者の包帯から大量の膿がとれたので、実験は軌道に乗りました。

膿というのは、若い人の中には見たことがない人もいるかもしれませんが、生体防御反応のひとつで、細菌を殺すために出動した白血球やリンパ球およびそれらの崩壊産物が主成分です。

800pxlymphocyte2

ミーシャーの実験プロトコルは次のようなものでした。

1: 当時核の未知タンパク質が遺伝物質ではないかというヘッケルらの考えがあったので、ミーシャーはまずこのアイデアが正しいかどうか検討することを目的として、核と細胞質の分離を試みました。

試行錯誤の結果、ブタの胃の抽出物に含まれるペプシンというタンパク質分解酵素を含む液に、膿の細胞を数時間浸しておくと、細胞が溶けて核が分離できることがわかりました。ペプシンはあの細胞説で有名なテオドール・シュワンが1836年に発見していました。

2: こうして得られた核を弱いアルカリで処理し、抽出した物質の溶液に酸を加えると、未知物質の沈殿が生じることを見つけました。同じような物は肝臓、睾丸、酵母、鳥の赤血球からも抽出可能でした(哺乳類の赤血球には核がない)。ミーシャーはこの物質が、それまで知られていたどのタンパク質とも異なることを確かめ、ヌクレインと命名して1869年に学会で発表しました(論文出版は1871年(1))。

このヌクレインが、現在の知識に照らせばまさしくDNAだったわけです。論文(1)はホッペ=ザイラーが出版する雑誌に投稿されましたが、ホッペ=ザイラーは1年間かけて、自分ですべて追試した上で掲載を許可しました。当時としてはリン酸が多量に含まれていたり、強い酸性だったりすることが、なかなか信じてもらえなかったわけです。そのくらい異常で重要な意味のありそうな論文だと、ホッペ=ザイラーも感じていたと思われます。

3: ミーシャーはヌクレインの元素分析を行ない、通常タンパク質が含む炭素、水素、酸素、窒素以外にリンを含むことを明らかにしました。ミーシャーはヌクレインの成分に多量のリン酸が含まれることから、ひょっとするとこれはタンパク質ではないかもしれないとは考えていたようです。

その後ミーシャーはバーゼル医科大学の生理学の教授となってヌクレインの研究を続けましたが、講義は苦手で研究環境としてはあまり良くなかったようです。さらに彼のヌクレインのサンプルは単に普通のタンパク質に無機リンが混入しただけだろう、という批判にはっきり答えられなかったため、しだいに忘れられそうになっていました。しかしそれでもミーシャーはこつこつとヌクレインの精製法の改良を続け、材料として理想的な鮭の精子から、かなり純粋な段階にまで精製することに成功しました。

細胞の染色法やミトコンドリアの発見で知られているリヒャルト・アルトマンは、タンパク質をほとんど含まない画分にヌクレインが存在することを確かめ、ヌクレインを核酸 (nucleic acid) と改名することを提唱し、この物質がタンパク質とは異なることをアピールしました。残念ながらこのアルトマンの論文はみつかりませんでした。ヌクレイン=核酸の精製法の進展はミーシャーの死後、シュミーデベルクによって論文にまとめられています(2)。

彼らは核酸をバラエティーのない固定した構造の物質と考えていたので、大きなバラエティーが必要な遺伝子の担い手としては不適切だと考えざるを得ませんでした。しかしいろいろな時代的制約などによる限界がありましたが、もちろんミーシャーやアルトマンと共同研究者達こそがDNAの発見者であり、彼らの萌芽的研究から20世紀の輝かしい分子生物学の歴史が誕生したことに疑いの余地はありません。ミーシャーの業績は Ralf Dahm によってまとめられています(3)。

P_04717322ミーシャーにはヌクレインの精製以外にもうひとつの業績があります。それは鮭の精子からプロタミンを発見し、精製したことです(4)。

プロタミンは塩基性のタンパク質で、ヌクレインの酸性を中和する役割が考えられました。現在から見ても、核の基本的な構成要素であるヌクレオソームは核酸とヒストン(またはプロタミン)の複合体であり、重要な知見であると言えます。

鮭の精子から採取されたDNAは現在でもよく研究用に使用されます(図4)。精製されたDNAは白い繊維状のもので、使うときはピンセットで一部を引き裂いて使います。

スイスのバーゼルにはミーシャーの名を冠した ”Friedrich Miescher Institute for Biomedical Research” が1970年に設立され、現在も活発に活動しています(5)。またチュービンゲンのマックス・プランク研究所には Laboratory of Friedrich Miescher があります(6)。

参照:

1) Miescher F. Uber die chemische Zusammensetzung der Eiterzellen. Med.-Chem. Unters. 4, 441-460 (1871)

2) Schmiedeberg O., and Miescher F. Physiologisch-chemische Untersuchungen uber die Lachsmilch. Arch. Exp. Pathol. Pharm. 37, 100-155 (1896)

3) Ralf Darm, Friedrich Miescher and the discovery of DNA. Develop. Biol. 278, 274-288 (2005)

4) Miescher F. Das Protamin - Eine neue organische Basis aus den Samenfaden des Rheinlachses. Ber. Dtsch. Chem. Ges. 7, 376 (1874)

5) http://www.fmi.ch/

6) http://www.fml.tuebingen.mpg.de/





| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月16日 (日)

リーガ2016~2017 第8節: 4位転落のバルサ奮起

Braugranaテア・シュテーゲンの珍プレーで前節苦渋の敗戦となったバルサ。気を取り直して、ホームの対デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦に再出発しなければなりません。カンプ・ノウは早い時間の試合ということもあって8万8千人以上の大盛況です。

しかしこんな時にジョルディ・アルバとセルジ・ロベルトの両SBが負傷欠場ということで、普通ならディニュとビダルでいくところでしょうが、おそらくビダルは対談したときに何かルーチョの逆鱗に触れるようなことを言って、「何が何でも使わない」という立場に追いやられたのだと思います。その証拠に、こんなSBひでりのゲームでもベンチにも入れてもらえません。

苦肉の策ということもありますが、バルサは今回は非常に考えた3バックで試合に臨みました。マチュー・ピケ・マスチェラーノの3バックですが、中盤の左ディニュ、右アルダにいつものSBの機能をもたせて、常時エストレーモ(左ネイマール、右ラフィーニャ)の外に上がらせるようにしました。3バックは行けるときには中央で押し上げるという作戦です。

FWはネイマール・スアレス・ラフィーニャの南米トリオです。ラキティッチとブスケツは、このフォーメーションではダブルボランチ的な位置づけだと思います。3バックの両サイドが上がることはまずないので、ブスケツが臨時にセンターバックにはいる義務がなくなり、前でプレイする機会を増やせます。幸いにしてデポルは442で(放送では433とか言ってましたが、どうみても442)、3バックでやるには有難い布陣です。アンドネさえ抑えておけば大丈夫です。バルサは主に右ライン際のアルダを起点として、クロスで攻撃する作戦です。デポルの守備的なサッカーの御陰でバルサペースで球をまわせるのも有難い。

21分、ラフィーニャが右サイドからスアレスとのワンツーですり抜けて、シュートがゴールマウスに突き刺さりました。2点目はFKをピケが頭で合わせ(このとき10cmくらいオフサイドだったかもしれません)、GKが跳ね返したところをラフィーニャが押し込みました。

3点目は芸術的なゴールでした。ネイマールからスアレスにスルーパスが出るとみせて、一瞬スアレスが止まって後ろに下がり、そこにネイマールから時間差攻撃のパスが出てゴール。ネイマールとスアレスの素晴らしいコンビネーションプレイでした。

後半はメッシも登場。早速ネイマールのノールックパスに反応してゴール。躍動するバルサです。テア・シュテーゲンも今日は珍プレーはなく、めでたしめでたしでした。ひとつだけ心配なのは、パコ・アルカセルが打てども打てどもはずしたり、GKに止められたりでゴールがないことで、本人も相当へこんでいることです。バーモ パコ。

https://www.youtube.com/watch?v=njFq4Iv7tq0

https://www.youtube.com/watch?v=24H-CUEjz6o

https://www.youtube.com/watch?v=qZtwM8dQA3s


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月15日 (土)

都響-下野竜也 チャイコフスキー「交響曲第5番」@東京芸術劇場2016年10月15日

Img池袋はバイトしたこともないし、学校・仕事・ねぐらとも関係なかった街ですが、多少の懐かしさもあります。

昔北口に「京」という美味しいお好み焼き屋があって、時々来ていました。今はもうありません。ジュンク堂はまだあるようですね。

サンシャイン方面に行く途中にあるカメラの「さくらや」の地下に、よく超軟調の印画紙(電子顕微鏡用に使った)を買いに行きました。そのさくらやも今はありません。はじめて芸者さんの芸をみせてもらったのも池袋北口の料亭。もう芸者さんなんて池袋にはいないのでしょうね。諸行無常です。

そんななかで、芸劇と都響がまだ存在するのは有難いことです。本日の指揮者は下野竜也氏、コンミスは四方さん、サイドはゆづき。

前半のペンデレツキの「シャコンヌ」は都響の弦の美しい響きが心地よい曲。しかし次の武満の曲「ア・ストリング・アラウンド・オータム」はよくわかりません。ひとつのメロディーをこねくり回しているような感じで退屈です。まわりでも2~3割の人は寝ていました。これで秋を感じよと言われても無理難題ですね。私が起きていたのは、鈴木さん(Vla)の演奏が気持ち良かったからです。

DVDを作成するらしく、マイク林立の上に、あちこちでビデオカメラが動いていました。指揮台も2段重ねで見栄え良くしていたようです。インバル以外のものはなかなか発売されないのが難ですが・・・。

後半のチャイコフスキー交響曲第5番は下野さんにぴったりの曲かな。彼はメリハリつける方だと思いますが、常に下品にならない程度でとどめるというのが流儀。危険な香りとか鳥肌立つような進行とかは無縁なタイプだと思います。西條さん(ホルン)のソロも深みのある演奏でしたし、終楽章の盛り上がりも素晴らしく、チャイコフスキーの音楽を堪能できました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月14日 (金)

棋士と将棋ソフト そして嫌な感じ

A1180_008696将棋の三浦九段が公式戦の出場停止になりました。対局の途中に将棋ソフトをみたのではないかという疑いですが、もし確証がないのにこのような処分がなされたのならおかしな話です。単にボディチェックをしてスマホを預かれば良いだけの話だと思いますが? 
http://www.asahi.com/articles/ASJBD6GMGJBDUCVL02R.html

まあそれはそれとして、この話に気持ち悪い思いがした人は多いのではないでしょうか。バレーボールなどではコンピュータを見ながら選手に指示を出していますし、サッカーも選手の動きをコンピュータで徹底的に分析して、作戦の指示を出しています。将棋や囲碁ほどダイレクトではないですが、もしコンピュータに相談するのがいけないのなら、これも灰色でしょう。

日銀・民間銀行・保険会社などもコンピュータを駆使して政策や投資を決めていると思われますし、そのうち警察・軍隊・裁判所などもコンピュータに相談して逮捕・釈放・攻撃・守備・有罪・無罪などをきめることになるでしょう。飛行機の操縦も自動化されていますし、車の運転もそのうち自動化されるでしょう。家事や介護もロボットにおまかせになろうかと言う時代に、テーブルゲームだけコンピュータ禁止というのは奇妙な感じがします。

その奇妙な感じというのは、「もう人間なんて存在が無意味なのではないか」という疑念がわいてくるからです。テーブルゲームも人間が対戦するのは2軍戦で、1軍戦はコンピュータソフト同士の対戦というのが今や本当のところでしょう。何でもコンピュータの方が上手にできるのなら、人間は不用なのでしょうか? 

それでおおいに結構。人間は適者生存の法則に従って次第に滅び、人工知能に進化していくというダーウィニズムを受け入れるなら問題ありません。 しかし、それが嫌なら人工知能は厳しく規制することが必要です。

私の意見を言わせてもらえば、人間の記憶の管理という作業には、大いに人工知能に頼るべきだと思いますが、その他の分野においては、人間の知能に勝る人工知能は厳しく規制すべきだと思います。

人間の記憶の管理というのは、今までは書籍・辞書・写真・ビデオ・CD、そしてこのブログもその役割を果たしていると思いますが、これらを人工知能で整理していつでもとりだせるようにしてもらえると有難いと思います。これは何か人間が行動や判断を行うときに 「どうすればいいか?」 と人工知能に相談するのとは、本質的に違うように思います。

人工知能の記憶整理機能を究極的に発達させれば、肉体が死んだあとも、墓の中で記憶の中に浮遊できるという楽しみが期待できるかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月12日 (水)

「政府はもう嘘をつけない」 by 堤未果

Img「政府はもう嘘をつけない」 堤未果著 角川新書 2016年刊

ヒラリー・クリントンの言葉:「私は御社(ゴールドマン・サックス)からの支援を決して忘れません。そしてどんな時も、あなたがたの要望を他の何より最優先させていただきます」

彼女がこのように考える企業は金融だけではなく、保険・軍需・医療・エネルギー・食糧・農薬など多岐にわたっています。これらの企業の莫大な政治献金で大統領の地位を得たとしたら、ヒラリーがどういう政策をとるかは明らかでしょう。

堤氏は第1章で米国の金権腐敗政治を指摘した後、第2章では転じて議論を日本の政治の独裁化にフォーカスしています。現在でも晋三周辺による政治の独裁下は顕著ですが、それは憲法改正によって完成します。堤氏が特に注目しているのは「緊急事態条項」で、これがフランスの非常事態宣言よりもかなりひどいものであると指摘しています。

さらに「テロとの戦い」というのを錦の御旗にしますと、この戦いは(テロ組織とは交渉しないので)事実上終わりがないわけですから、好きなだけ緊急事態を延長できるわけで、これでは憲法も法律もないも同然で、独裁政権の思いのままとなります。日本にはドイツのような憲法裁判所もないので、歯止めがききません。第2章では学資ローンの問題も指摘されています。このことは自衛隊員の確保と密接に関連しているというお話です。

第3章はまず軍需産業から。米国の投資家達はパリのテロで何を考えたかというと、軍需産業の株を死にものぐるいで買いあさるということです。「テロとの戦い」は儲かりすぎてやめられないというのが軍需産業と投資家の本音です。こう考えると誰がISISをサポートしているかも想像がつきます。ISISがだめになったら、別のテロ組織を支援するでしょう。まさしくマッチポンプ式経営術です。

ギリシャはIMFへの借金が返済できなくて破綻しましたが、その真相を私たちは知らされていませんでした。NATO加盟国のなかで、米国を除くとギリシャの軍事支出は第1位だということを日本のニュースは教えてくれません。ドイツやフランスはギリシャに大量の武器を売ってボロ儲けしていたのです。ギリシャが1300両の戦車をもっているなんてこの本ではじめて知りました。

これからは一般市民・農民 vs グローバル企業の戦いの時代です。TPPはもろんですが、さらに留意すべきは公共事業の民営化です。保険・病院・教育・上下水道などをグローバル企業にゆだねるための国際交渉がジュネーヴで秘密裏に行われており、もちろん日本も参加しているという驚愕の事実をこの本ではじめて知りました。この協定はTiSA ( Trade in Services Agreement) という名前で、2030年に調印予定だそうです。これを暴露したのはウィキリークスで、いまや頼りになる報道機関はウィキリークスだけというのは嘆かわしい事実です。このようなことが実現すると、貧乏人の生活はますます苦しくなり、グローバル企業はボロ儲けということになるのは明白です。TiSA が秘密裏の交渉の結果締結されても大丈夫なように、自民党は新憲法草案にこっそり条文を忍び込ませているようです。

私たちはこのままグローバル企業のなすがままになってしまうのでしょうか? それを拒否した国アイスランドのお話が第4章にあります。是非この本を購入して、この章を読んで欲しいと思いますね。日本の野党統一組織はアイスランドの制度をモデルにして、政権をめざすべきだと思います。その際新自由主義者でかつTPPやTiSAを支持する人々だけは統一組織から排除すべきです。

米国もトランプはスキャンダルでつぶされると思いますが、ヒラリーの後は必ずサンダースの考え方を引き継ぐ革命家が現れて、コンセプトの異なる政権が成立することを期待したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月11日 (火)

富士通PC部門の身売り キーボードはどうなる

富士通のパソコン事業がレノボに売却されるそうです。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ05IEW_V01C16A0000000/

これは私にとって iPod classic の廃止に続く大ショックです。なぜなら富士通のキーボードだけが、私に言わせれば、まともなキーアレンジメントだからです。レノボはおそらくこのキーボードを廃止し、すでに傘下になっているNECタイプに統一すると予想します。

1

日本語をキーボードで打つとき、英語とは全く異なる点があります、それは変換→確定を繰り返しながら漢字を入力しなければならないということです。これをスペース→エンターでやると、どうしてもエンターを小指で押さえるときに、右手がホームポジションからはずれてしまうのです。これが非常に不快なので、私はVJEスタイル(富士通スタイル)で、右手親指で変換キーをおして変換、左手親指で無変換キーを押して確定という手順でやっています(図の矢印、右で変換、左で確定)。これなら両手をホームポジション(赤丸)に置いたままで日本語入力ができます。

このようなやりかたは、スペースキーが幅広いタイプだと不可能です。富士通は伝統的にスペースキーが幅狭な製品が多く、日本語入力がやりやすいような設計になっています。これは偶然ではなく、わざわざ変換(XFER)・無変換(NFER)キーをスペースキーの手前(図の下側)に置いたキーボードを販売していたこともあるくらいです。デスクトップPCなら、そのタイプのキーボードを別に購入して使うという手もありますが、ノートパソコンだとちょっとその気にはなれません。

サンヨー・東芝は中国、シャープは台湾に家電部門などを売却して、日本企業の脆弱さが目立つ昨今ですが、これでTPPをやろうというのですからあきれます。まあそれはさておいて、日本語入力に配慮したノートパソコンをはたしてどこかのメーカーで販売してくれるのか、わずかな期待を持って注目しています。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月10日 (月)

都響-藤岡幸夫 ベートーヴェン「田園」@江戸川総合文化センター2016年10月10日

Img_1515江戸川総合文化センターで都響の演奏を聴いてきました。江戸川総合文化センターは新小岩からバスで3駅あるので、少し不便です。

ただ新小岩は総武線快速停車駅なので船橋から2駅目ということで、北総線→野田線→総武線の乗り継ぎですが、1時間と少しで着きました。

文化センターの建物は、清流をあしらったなかなか素晴らしい公園(写真)の中にありました。ホール自体はやや小ぶりなサイズで、シートの座り心地は良好です。満席ではなく、8分くらいの客席でした。今日は名演奏だったのでもったいない話です。都響主催でないと、やはりプロモーションが少し足りなくなってしまうのでしょうか。

本日の指揮者は藤岡幸夫さん、コンマスは山本さん。あれれ髪留めで髪くくってる!? あの部分モヒカンと言おうか部分弁髪と言おうかは、切らずに髪留めで処理するとはいったいどうするつもりなのでしょうか・・・。サイドはゆづき。

広田さんが客席の誰かと話してたり、南方さんを中心に木管奏者が談笑していたりと、辺境の演奏会とあってか皆さんリラックスしている雰囲気でした。それにしても横山和加子はピンヒールが似合いますね。

Imgaa前半はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ソリストは坪井夏美さん。なかなか可愛い方です(https://twitter.com/sacchiy0608/status/785408588864827392?lang=ja)。

紺にキラキラをあしらったコスチュームで登場です。

演奏はなかなかガッチリした本格派。坪井さんは若気の至りなどと言うところは全くなく、しっかりとこの名曲を聴かせてくれました。

都響と丁々発止もあり、カデンツァも落ち着いてたっぷり聴かせてくれましたし、充実した内容の演奏だったと思います。海千山千のソリスト界でもまれるのもいいけれど、こんな人が都響のコンマスをやってくれるといいなと思いました。

後半は藤岡さんの18番らしいベートーヴェンの「田園」交響曲。

都響は直近に調布で一度演奏した曲目ということもあってか、素晴らしいアンサンブルで指揮者とのコンビネーションもバッチリです。ひょっとすると、今まで聴いた「田園」のなかで1番かなと思いました。かなり前の方の席で聴いていたので、音量や弦の厚みもたっぷりで圧倒的でした。

アンコール: エルガー:夕べの歌 op.15, No.1

坪井夏美:

自己紹介
https://www.youtube.com/watch?v=ov402inzIcU

演奏1(本日と同じドレス)
https://www.youtube.com/watch?v=XFv9QbDS4ag

演奏2
https://www.youtube.com/watch?v=HIZXvzvxv6g

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 9日 (日)

やぶにらみ生物論38: ハエ部屋

メンデルの法則と染色体の挙動を結びつけたサットンの業績は大きかったわけですが、まだメンデルの言うエレメント=遺伝子が染色体上にあるという証明にはなっていません。染色体の上にあると考えるとメンデルの法則をうまく説明できるというレベルです。

サットン廃業のあとを受け継いで染色体説を発展させたのはトーマス・ハント・モーガンです。モーガンはもともと遺伝学者ではなく、発生生物学者でプラナリアなどの再生や発生を研究していました。プラナリアというとよく教科書に出てくる、頭を切れば頭が生えてくる、尾を切れば尾が生えてくるというあの生物です(図1)。モーガンは再生に必要な物質の勾配という概念を提出し、それは最近になって阿形らによって証明されました(1)。

Photo


Tsuda_umekoモーガンは若い頃ブラインマーカレッジという女子大学で教鞭を執っており、この頃の彼の学生の中には後に津田塾大学を創設する津田梅子(図2)もいて、彼女にはカエルの発生の研究をやらせていたそうです(2)。

発生生物学をやっていると、遺伝学者の考えていることが単純すぎるようにみえることは理解できます。というのは、たいして特徴のない受精卵から、さまざまな組織・器官が時間の経過と共にできてくることを観察していると、形質というものはどんどん動的に変化するもので、遺伝子で単純に規定される静的なものではないという考え方になりがちだからです。

しかし当時はメンデルの再発見で大騒ぎとなっており、彼がウィルソンに呼ばれて来たコロンビア大学にはサットンという減数分裂を目視した俊英の大学院生がいました。モーガンがメンデルの法則や染色体説の真偽に関心を抱いたのは当然でしょう。モーガンはまたド・フリースの突然変異説に傾倒し、ダーウィンの自然選択が成立するためには突然変異が重要な役割を果たすものと考えました。そして1907年頃から、それらの課題を研究するために最適な実験動物としてキイロショウジョウバエを選択しました。

キイロショウジョウバエ(図3)はいわゆるコバエの一種であり、体長2~3ミリで、乾燥酵母・オートミール・蔗糖などで手軽に飼育することができます(図4)。メスが10日で成熟して、一度に50個前後の卵を産むことができるというのが研究上の魅力です。モーガンはこれで飛躍的に研究が進むと期待したのでしょうが、最初の頃はまったくうまくいきませんでした。それは突然変異体を検出するのが非常に難しかったからです。何千何万という小さなハエを観察して変異を同定するのは骨が折れます。

Drosophila_mela

800pxdrosophil

しかし1910年になって彼の前に救世主が現れました。それは白眼の突然変異体(ミュータント)で、これを野生型のメス(赤眼)と交配させるとF1はすべて赤眼となりますが、F2のオスは50%の確率で白眼になることがわかりました(図5、参照3)。

Sexlinked_inh



この少し前にウィルソンとスティーヴンスはショウジョウバエのメスは2本(1対)のX染色体を持つが、オスはX染色体を1本しか持っていないことを観察していました。このことを考え合わせて、オスの1本のX染色体に変異が発生すると白眼になり、それはメンデルのいう劣性変異のため2本の性染色体を持つメスでは発現しないとするとうまく説明できます。すなわちこの白眼の変異は性染色体Xと挙動を共にすることがわかりました。

ショウジョウバエはヒトと同じくメスはXX、オスはXYという性染色体をもっていますが、オスが父親から引き継ぐY染色体には眼の色にかかわる遺伝子は存在しないので、この場合考慮しなくていいのです。

この研究結果によってモーガンは染色体説に強固な根拠を与えることになりました。モーガンの研究室にはスターティバント、ブリッジス、マラーなどの多くの優秀な学生が集結するようになり、人海戦術でショウジョウバエのミュータントを解析すると、次々と変異が見つかり(図6)、モーガン研究室はまさしく世界の遺伝学の中心となっていきました(4)。
Drosophila_gene

カルヴィン・ブリッッジスは突然変異体を探し出す特異な才能があり、1925年にカタログ記載された突然変異体365種類のうち240種類は彼が発見したものだそうです(5)。モーガンが最初の2~3年全く突然変異体を検出できなかったことを考えると、これは驚異的です。

そのほかにもブリッジスはいろいろと研究室発展の基盤となるような知見や技術を開発しました。ただ彼は知り合った女性すべてを口説くというドン・ジョバンニのような男で、ドン・ジョバンニはつきあった女性のカタログを従者につくらせていましたが、彼は自分でつくっていたそうです。そして寒い日にカブリオレでデートして心臓麻痺をおこし、若死にしてしまいました。

ショウジョウバエの染色体はわずか4対で、しかもそのうち1対は非常に小さなもので(図7の中央あたりにみえる)、わずかな遺伝子しか乗っていません(図7)。ですから2つの形質に着目したとき、それらが同じ遺伝子に乗っている確率はほぼ30%で、23対の染色体を持つヒトなどと比べると非常に高い確率です。すなわちメンデルの独立の法則が成立しない場合が非常に多いということです。

Photo_2

図8のようにAとbという形質が同じ染色体に乗っていれば、遺伝の際にまるで一つの形質のように行動を共にするはずなのですが、時にそれが分かれてしまうことがあります。このことについて、1909年にベルギーの生物学者ヤンセンスが、減数分裂で4つの染色体が集合した際に、それぞれの染色体の1部が交換されるということを発見していました。Aとbの形質の間で染色体がちぎれて、a、Bの相方と交換されるとAB、abという新しい連鎖が成立します。染色体の一部が交換されてできた新たな染色体を組み替え型染色体といいます(図8)。

Photo_4


ここでアルフレッド・スターティバントは考えました。染色体がランダムな位置でちぎれるとすると、染色体上で離れた位置にある遺伝子は別れやすく、近傍にある遺伝子は分かれにくいと想定されます。すなわち「組み換え型染色体ができる確率は遺伝子A、Bの染色体上の距離に比例する」という公式が成立します(図9)。ですから組み替え型染色体ができる確率を多くの遺伝子について調べれば、遺伝子地図の作成が可能であることに気がついたのです。

Photo_3


例えばAという形質とBという形質に注目したとき、両者が組み替えによって別れる確率が10%であるとします。そしてBとCは5%だとすると、さらにAとCについて検査してみると15%だった場合、A、B、C という形質は染色体上に図9に示されるような順と距離で配列されているということが推定されます。

組み替え確率の%を距離に置き換えて、センチモルガンという単位を使用します。染色体全体を100センチモルガンとして、多くの形質について上記のような検査を行うと、原理的には何百何千という遺伝子を染色体上に並べることができます。こうして染色体地図を製作することができます。これは遺伝子が染色体上にあるということの決定的な証明となりました。

ハーマン・マラーはX線照射によって突然変異が誘起されることを発見し、遺伝学・放射線医学生物学の進歩に大きな足跡を残しました。彼は筋金入りの共産主義者で、一時期レニングラード(現サンクトペテルブルク)に移住して、ソ連の科学アカデミーで活躍していたこともあるそうです。しかし彼の理想とは裏腹に、次第にソ連の遺伝学界はルイセンコに汚染され、彼を招いてくれたヴァヴィロフも獄死しました。

「ハエ部屋」と呼ばれていたモーガンの研究室からは、モーガン自身以外にも上述のマラーや後で登場するビードルというノーベル賞受賞者をはじめとして多くの遺伝学者が輩出し、スターティバントの弟子のデルブリュックやルイスもノーベル賞を受賞しました。

「非凡な農民:http://www.agr.ryukoku.ac.jp/teacher/nakamura_george_beadle/chapter5.html」 というサイトに興味深い記述があったので、最後に引用させてもらいました。

以下引用:
モルガンと彼の学生達が生み出す知的なエネルギーは物理的な環境の劣悪さをものともしなかった。コロンビア大学構内のシェルマホーン・ホールの6階に位置する彼らの仕事場は16 x 23 フィートの広さの一部屋で、そこには8つの机が所狭しとばかりに詰め込まれていた。コロンビア大学はまだ大きな居住用アパート群に囲まれてはおらず、実験室からは近くの牧草地で草を食むヤギの群れが見えた。訪問客は即座に部屋の汚さと乱雑な様子に気づいて驚くのだった。中でハエが飛び回るガーゼで蓋をしたガラス瓶が紙切れや終了した実験から出た屑ゴミで溢れた机と棚の空間を奪い合っていた。ハエ・グループの神秘的雰囲気の一部は、ハエを収めるミルク瓶が近くの家々の玄関先から収穫されたものではないかという疑いから来ていた。ハエは割り当てられたミルク瓶に閉じ込められてはいたが、あらゆる隙間と割れ目に潜むゴキブリがハエの餌や他の食物の残り滓の上を自由に這いずり回っていた。もちろんネズミが部屋の汚物置き場に集まった残り物の中から食物を探して運動会をしているような有様だった。部屋には酵母と腐りかけたバナナの匂いが漂っていた。時折、建物の友人や同僚達が壁を飾るバナナの茎をもらいにやって来たりした。
:引用終了

図の多くはウィキペディアから借用させていただきました。

参照:

1)http://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/news_data/h/h1/news6/2013/130725_1.htm
The molecular logic for planarian regeneration along the anterior-posterior axis. Umezono et al. Nature 500, 73-76 (2013)

2)http://argmyntbk.exblog.jp/9395215

3)https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Hunt_Morgan

4)「細胞学の歴史 生命化学を拓いた人々」 Arthur Hughes 著 西村顕治訳 八坂書房 1999年刊

5)http://www.agr.ryukoku.ac.jp/teacher/nakamura_george_beadle/chapter5.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 7日 (金)

Raferio: 「雨音はショパンの調べ」

Hqdefault9月は野菜の値段が高騰するほど雨が多かった今年ですが、ようやく晴れっぽくなりそうです。

こんなときに、東芝は野菜の室内栽培工場を放棄するとは・・・。

雨の日にしっとり聴こうと思ったら、意外にテンションが上がる Raferio さんの演奏。

演奏もそうだけど、ビジュアル的にもひきこまれます。

https://www.youtube.com/watch?v=C4rN90OYDqs&spfreload=10

ケラ
https://www.youtube.com/watch?v=UqgSx6JHCOM

Gazebo
https://www.youtube.com/watch?v=61AoMeNd8KY
https://www.youtube.com/watch?v=eDiPsdpIjGQ
https://www.youtube.com/watch?v=7v3MA7obylU

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2016年10月 5日 (水)

やぶにらみ生物論37: 染色体説

Birthofthドイツの生物学者シュライデンとシュワンが細胞説(生物の体は一般に細胞から成り立っている)を発表したのは1838・1839年ですが、1832年にベルギーの生物学者デュモルティエが細胞分裂を報告しているにもかかわらず、シュライデンとシュワンは細胞の増殖については正しい理論に到達しませんでした(1)。

ドイツの病理学者ルドルフ・フィルヒョウが「すべての細胞は細胞から生じる」という理論を提唱したのは1958年であり、メンデルが1860年代に遺伝の法則を発表する直前でした。その頃にはまだフィルヒョウの考え方が一般に認められていたわけではないようです。

ドイツの生物学者テオドール・ボヴェリはウニの発生の研究から、正常な胚発生のためには分裂した細胞それぞれにすべての染色体が存在することが必要であることを示しました。また染色体が異常になることが「がん」の原因であるという学説を提唱しました(2)。すなわち生物の形質には染色体が大きな影響を与えることを示唆したわけです。

細胞説誕生に関する詳細は文献(3、表紙は図1)に詳しい記述があると思われます(私は未読)。

Suttonメンデル再発見直前の1898年、ウォルター・サットン(図2)はカンザス大学の細胞学者クラレンス・E・マクラングの学生として染色体研究を始めました。

1900年からはマクラングの勧めでニューヨークのコロンビア大学に移り、細胞学の大家であるエドマンド・B・ウィルソンの元で博士課程の大学院生として研究を行いました。

Photoマクラングはバッタ Brachystola magna (図3)において性染色体を発見し、その研究を行っていました。このバッタは染色体が大きく、観察しやすいという細胞学研究上の利点がありました。

サットンはこの昆虫のオスの精子形成では、生殖細胞に特異的な細胞分裂=減数分裂の過程にある染色体が大きくはっきりと観察できることを見いだし、その観察を行いました。

彼はこの研究をウィルソンの研究室で発展させ、減数分裂における染色体の挙動はメンデルの法則に従うとする「染色体説」を提唱しました (4,5)。

もしメンデルの言うエレメントを母親からひとつ、父親からひとつ受け継ぐとすると、F1のもつエレメントは2つです。そうするとF2は4つ、F3は8つのエレメントをもつことになり、もしエレメントに物理的実体があるとするとすぐに膨大な数になって理論は破綻します。親が持つエレメントの数を常に同じ数にするためには、生殖細胞(動物の場合は精子と卵子)のエレメント数は親の半分でなければいけません。

サットンは精子形成過程において、この減数がおこなわれているのではないかと考え、顕微鏡で熱心に観察しました。皆さんも中高時代にムラサキツユクサ(図4)などで観察したことがあると思います。

Photo_2

この結果図5のように精子の染色体の数は体細胞の半分で、これは精子形成過程で減数分裂という特殊な細胞分裂が行われることを示しています。親細胞と同じ娘細胞が2個できる通常の体細胞分裂と違って、減数分裂では染色体の数が半分の娘細胞が4個できることがわかりました。

このことからサットンは体細胞はメンデルの言うエレメント=染色体を2セットずつ持っており、精子は1セットづつ持っていると考えると、それまで概念的な理論であったメンデルの法則が染色体という実体をともなってうまく説明できると考えました。簡単に言えばこれがサットンの「染色体説」です。サットン自身の記述を引用しておきましょう(4より)。
--------------------
I may finally call attention to the probability that the association of paternal and maternal chromosomes in pairs and their subsequent separation during the reducing division as indicated above may constitute the physical basis of the Mendelian law of heredity.
--------------------

Photo_4


きちんと述べると次のようになります。

1.メンデルの言うところの”要素=エレメント”は卵や精子(花粉)のような配偶子を通じて次世代に伝達される。卵と精子には均等に要素が含まれる。

2.細胞核の構成成分のうち、染色体は細胞分裂のとき娘細胞に均等に分配される。”要素”は卵と精子が均等にもっているはずなのに、卵の細胞質は巨大で、精子の細胞質は非常に乏しいことから、細胞質ではなく核(染色体)に要素が含まれると考えられる。

3.染色体は核の中で、メンデルの考えた”要素”という考え方に沿ったかたちで、対になって存在する(相同染色体) → ”要素”は染色体の上に乗っていることが示唆される。

4.卵や精子がつくられるときは、通常対になっているはずの染色体が分離し、そのうちの一つづつがランダムに選ばれて卵や精子に受け継がれる。たとえば体細胞がAaBbCcという要素をもっているとすると、卵や精子は、ABC, ABc, AbC, Abc, aBC, aBc, abC, abc の2の3乗通りの種類が考えられる。人の場合だと23組なので2の23乗通りの卵と精子が存在する。

5.染色体の数に比べて要素の数は非常に多いので、ひとつの染色体に多数の要素が相乗りしており、これらの相乗りしている要素についてはメンデルの独立の法則は成立しないと予測できる。

これは大発見であり、サットンは生物学を担う次代のホープと期待されました。しかし生来の熱血漢である彼は、あまり薄暗い実験室で顕微鏡を覗いてばかりというような生活は、自分の性格や生きていくポリシーと合わないと考えたのでしょう。大学院時代に歴史的論文を2編発表した後、研究をやめてカンザスにもどり外科医に転業します。そして第一次世界大戦のときにはヨーロッパに渡り、フランスで兵士の治療にあたっています。サットンの面目躍如というところです。

デンマークの遺伝学者ウィルヘルム・ヨハンセンは1909年にメンデルの「エレメント」を遺伝子(gene) と呼ぶよう提唱しました。そして形質という漠然とした概念をはっきりと「遺伝子型 genotype」と「表現型 phenotype」にわけて定義しました。

ヨーロッパから帰還してまもなく、サットンは虫垂炎にかかってしまいます。そしてこの手術が失敗に終わり、わずか39年の生涯を終えることになりました。もう少し生きていれば、間違いなく1901年からはじまったノーベル賞を受賞していたと思われるので、誠に残念な悲劇でした。彼の遺骸はサットン家の立派な霊廟に眠っています。

減数分裂について、より詳しい知識や顕微鏡写真に興味がある方はサイト(6~8)を参照されることをお勧めします。

参照:

1) 細胞説:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E8%83%9E%E8%AA%AC

2) ボヴェリ:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2247478/

3) 「The birth of the cell」 by Henry Harris, Yale University Press, 1999
https://www.amazon.com/Birth-Cell-Professor-Henry-Harris/dp/0300073844/ref=mt_hardcover?_encoding=UTF8&me=#reader_0300073844

4) W. S. Sutton. "On the morphology of the choromosome group in Brachystola magna" Biological Bulletin, 4:24-39, 1902.
公開されています--- http://dev.esp.org/foundations/genetics/classical/wss-02.pdf

5) W. S. Sutton. "Chromosomes in heredity" Biological Bulletin, 4:231-251, 1903.

6) 細胞分裂と細胞周期 http://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textbook/celldiv.htm

7) ムラサキツユクサを使った減数分裂の観察 http://www.aichi-c.ed.jp/contents/rika/koutou/seibutu/se22/gensuubunretu/gensuubunretu.html

8) 走査型電子顕微鏡による減数分裂の観察: 鈴木晶子、高橋正道 香川生物(Kagawa Seibutsu)(19):53-58,1992.   閲覧できます→AN00038146_19_53.pdf




| | コメント (0) | トラックバック (0)

土砂降りの基礎研究

A0960_002811大隅先生のノーベル賞受賞は遅きに失したくらいで当然だと思いますが、意外に思ったのはインタビューで基礎研究の危機について話されたことで、実際現在はかなり危機的な状況なのだと思います。

文部科学省が行ったアンケートによると「個人研究費はここ10年減額され続け、今では6割以上の研究者が年間50万円以下の研究費で研究活動を続けている」という結果が出ています。

50万円以下というと、まず純系マウスなどを使った研究はできないですね。まあその辺で実験用の動植物を拾ってきて何かやってみようというレベルであり、アマチュアと大して変わりません。

研究者の立場に立てば生活がかかっているので、だからどうしようもないというわけにはいきません。たいてい有限期間の非正規労働者なので、なにもやらなければ雇い止めで廃業です。

なんとか短い期間で成果が上がる企業との共同研究などのプロジェクトに入れてもらって、論文をかせぐしかありませんが、そういう仕事ばかり蔓延してくると、大隅先生のように誰もやっていない分野の研究に取り組むなどということはできません。研究のレベルは低下するばかりです。

いくら大隅先生達が声を上げても、国家のコンセプトが逆方向に進んでいるのですから、すなわち政治のコアの問題なので、別のコンセプトを持った政権に交代しなければ、現在の状況はますます悪化するばかりです。ところが困ったことに、私は民進党や共産党が別のコンセプトをもっているかというと疑いを持っています。彼らもおそらく短い期間で金になる研究だけを重視する可能性が高いのではないでしょうか。

研究者というのは、最低博士号を持っていないといけないので、最短で27歳まで賃金収入がありません。その後もいわゆるポストドクという非正規労働者をやって、才能と運があればパーマネントポストにつける可能性がありますが、40歳まで非正規でそのまま雇い止め、就職先は無しという可能性もあります。大学・大学院時代に奨学金をもらっていると返済しなければいけません。こうなると退職金なし、借金有り、年金も最低レベルになってしまい、生活困窮者になってしまうことでしょう。22歳で企業や官庁に就職した人々に比べると天と地の違いです。

ノーベル賞の内容について
http://mainichi.jp/articles/20161004/ddm/001/040/160000c

研究者の貧困問題について
http://www.data-max.co.jp/281004_dm1771/
http://hinkonken.org/?author=1&paged=2
https://www.jst.go.jp/crds/sympo/20131203/pdf/20131203_10th_crds06.pdf

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 4日 (火)

サラとミーナ177: ソファを占拠するサラ

Img_1507bサラは閉所恐怖症で、オープンスペースで眠ることが多いネコです。割と珍しいのではないでしょうか? 

ミーナは本格的に熟睡するときは、むしろシーツの下とか、ペットハウスとか、こたつとか、暗くて閉鎖的な場所で人が見えない場所を好みます。これは哺乳類の本来のあり方だと思います。

サラの最近のお気に入りはソファの上で、私が座っていてもどけと騒いで占拠します。一番ナーバスで怖がりなのに、一番大胆でもあるという不思議なネコです。

Img_1509aどうしても占拠できなかったときは、背もたれの上に陣取ります。ここもそんなに嫌いじゃないみたいです。




| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 3日 (月)

リーガ2016~2017第7節: GKミス連発では敗戦もやむなし

Braugranaセルタ・デ・ビーゴとエスタディオ・デ・バライードスで対戦。ビーゴはポルトガル国境に近い風光明媚な漁港の町だそうです。バルサはやっとこさ勝ったチャンピオンズリーグ・ボルシアMG戦から中2日で、厳しい日程の中での遠征戦です。

FW:ネイマール・スアレス・ラフィーニャ、MF:アルダ・ゴメス・ブスケツ、DF:アルバ・マチュー・ピケ・セルジ、GK・テア=シュテーゲン。ビーゴの前の3人、パブロ=エルナンデス・イアゴ=アスパス・ピオネ=シストはテクニックもスピードもあるクセ者揃いで油断できません。シストはウガンダの難民で、デンマークに亡命した選手だそうで、エールを送りたいと思います。

セルタはマンマークという懐古的な戦術をとってきましたが、これが結構バルサには効いて、なかなか攻めきらないうちに、GKテア=シュテーゲンのブスケツへのパスミスを拾われ、シストにぶち込まれました。2点目はカウンターから2:2をつくられ、イアゴ=アスパスにやられました。そして3点目はイアゴ=アスパスの絶妙のスルーパスをギリギリではじこうとしたマチューのオウンゴール。

マンマークをやると後半はバテてガタガタになりがちなのですが、実際後半はバルサの一方的な攻勢で、ピケのヘッドで2点、ネイマールのPKで1点獲得したのですが、勝負を分けたのはテア=シュテーゲンのパスで、右に二人待っていたのに、なぜか左に出してパブロ=エルナンデスの頭に命中し、リフレクションでゴールというほとんどGKのオウンゴールという大失態でした。前節はボールを持って足付いたらエリア外だったとか、お茶目が過ぎます。3:4で信じられない敗戦です。

GKのミスが目立った試合でしたが、ブスケツとスアレスが調子落ちの感じが不安です。疲れているのかもしれません。ブスケツは途中で交代しました。パコも17分プレイしましたが見せ場なしでした。

https://www.youtube.com/watch?v=_L32Snr-c48
https://www.youtube.com/watch?v=tDLEd5S_tfI
https://www.youtube.com/watch?v=CixPMqf4zQI


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 2日 (日)

やぶにらみ生物論36: メンデルの再発見

「メンデルの再発見」というのは科学史上の大事件ですが、「再発見」というのに少しひっかかります。昔の論文の追試をしたら、その通りの結果が出たとも言い換えられるわけで、そんな実験結果が次々と発表されたのが1900年という年だったのです。

中沢信午氏の著書「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」(1)を読むと、メンデルの論文が発表された1866年から、再発見される1900年まで、誰もがメンデルの研究を忘れていたわけではないそうです。実際メンデルの論文はスウェーデン・ロシア・ドイツ・USAの科学者達によってい引用され、ブリタニカ百科事典第9版(1881~1895)にも紹介されているそうです。

気にしていた科学者はそこそこいたのですが、きっちり検証しようとした人は少なかったということでしょう。ド・フリースはケシの花色について、メンデルを意識した実験を行いました。そうすると花色の遺伝の様式がメンデルの法則にきっちり合っていることがわかり、さらに他の多くの例を追加して、メンデルの正しさを証明しました。

普通ならド・フリースがメンデル再発見の栄誉をひとりじめできたのかもしれませんが、彼はちょっとした失敗をしてしまいます。1900年に彼は研究結果をほぼ同時にフランス語とドイツ語の論文にして発表したのですが、そのフランス語の論文にメンデルの論文が引用されていなかったのです。後の検証によって、これは編集上のミスだったとされています。家族の不幸のためにきちんと校正をやってなかったらしいです。

しかしこのフランス語の論文を読んだチェルマクとコレンスはびっくりしました(彼らのところに送られてきたのはフランス語の論文でした)。彼らもメンデルの実験の追試をやっており、メンデルの正しさを確認していましたが、コレンスは追試なので発表するほどの価値はないと思って、データをしまっていたのです。まるでド・フリースが自分でメンデルの法則を発見したかのような論文の書き方に、彼らが激怒したのは理解できます。しかもチェルマクは1898年にド・フリースを訪問しており、そのときにド・フリースがメンデルの研究を知っていることを確認していました。コレンスはあわてて論文をまとめて発表しました。チェルマクもも同じ年に論文を発表しました。このような事情によって、この3人がメンデルの再発見者ということになっています(図1)。

Photo_2

メンデルの法則が動物にも適用できることをはじめて証明したのはカイコ研究の泰斗である外山亀太郎です。農学関係者は誰でも知っていることですが、意外に他分野の研究者には知られていません。若い頃は設備がなく自宅で研究していて、カイコのエサは窃盗で調達していたそうです。もうすこし設備があれば1900年までに研究が発表できて、あの3人に並んで再発見者になれたのにと悔やんでいたとのこと(1)。メンデルに関しては公益財団法人日本メンデル協会という組織があって、雑誌 Cytologia 刊行・講演会・展示会など活発に活動しています(3)。

メンデルの論文「雑種植物の研究」は、はやくも1928年に小泉丹によって翻訳されて岩波文庫で出版されています。私が持っているのは第14版ですが(図2左)、これはさすがに旧仮名遣いで読みにくいので、  岩槻 邦男 ・須原 凖平 によって再翻訳され1999年にやはり岩波文庫で再出版されました(図2右)。

Photo_3

Trofim_lysenko_portrait


メンデルの理論はその後染色体説などによって補強され、遺伝の原理として認められましたが、1934年にルイセンコ(図3)が獲得形質の遺伝を主軸とした反メンデル理論を発表し(4)、これがスターリンや、第二次世界大戦後もフルシチョフ、毛沢東、金日成などによって支持され、特にソ連(現ロシア)ではメンデル支持者の投獄や処刑が行われるという、まさしく焚書坑儒のような悲惨な事態を招くことになりました。

ここまでひどくはありませんでしたが、欧米や日本でもメンデルに固執する学者は守旧派で、遺伝を説明する新しい理論を求めるのが新時代の科学者という風潮はひろがっていました。これを見事に粉砕したのがワトソンとクリックによるDNAの構造解明で、これによってメンデルの正当性に分子生物学による基盤が付与されることになりました。この点については後にふれることがあると思います

参照:

1) 「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」 中沢信午著 新日本新書 1998年刊

2) 外山亀太郎が興したカイコの遺伝学の今日的意義  嶋田透 第33回東京大学農学部公開セミナー
http://www.a.u-tokyo.ac.jp/seminar/33-yousisyu.pdf

3) 日本メンデル協会HP: http://square.umin.ac.jp/mendel/

4)こちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »