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2016年9月26日 (月)

やぶにらみ生物論34: 19世紀のヨーロッパ

突然ですが、話は19世紀のヨーロッパに飛びます。現代生物学の基礎を築いたのは、19世紀のヨーロッパで活躍した科学者達です。図1の5人はその中でも卓越した業績を残し人々です。

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英国のダーウィンは、生物は限られた資源を個体で争ううちに、生存に有利な変異を行った個体が子孫にその変異を伝えることによって進化がおこるという「自然選択説」を提唱し、生存中にこの理論は人々に受け入れられて、亡くなったときには国葬まで行われました。またパスツールは医学に貢献したほか、自然発生説の否定、牛乳を日持ちさせる方法の開発など社会に大きく貢献する業績があって、存命中から大変有名な科学者でした。

しかし残りの3人、ミーシャー・アルトマン・メンデルは全く無名で、論文もあまり注目されないまま亡くなりました。ダーウィンもメンデルの仕事を知っていたふしはあるのですが、獲得形質の遺伝というラマルク的な間違った理論を信奉していたくらいです。しかしDNAを発見したミーシャーとアルトマン、遺伝の理論を確立したメンデルは20世紀以降の生物学の根幹となる圧倒的に重要な業績を残したと言えます。

3人の業績について述べる前に、ここではパスツールとダーウィンに少しだけ寄り道したいと思います。パスツールの業績は多岐にわたっていますが、生物学の観点からみると、生命の自然発生説を否定したことが際立っています。生命はもちろん20億年以上前に自然発生したわけですが、19世紀の生物が自然発生するわけがありません。さすがにパスツールの時代には、ネズミがゴミ箱に自然発生するというような説は否定されていましたが、微生物は自然発生すると思われていました。パスツールはこれに反論するため、有名な「白鳥の首フラスコ」の実験を行いました(図2)。

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フラスコの中に肉汁を入れて煮沸滅菌し、そのままフラスコの口をバーナーで熱して伸ばし、図のような湾曲した細い管にします。フラスコと外界は細い管でつながっていますが、このような状況でフラスコを放置しても肉汁は腐敗しませんでした。

自然発生派は煮沸滅菌した密閉容器で腐敗が発生しないのは、腐敗菌に必要な外気が供給されないからだと言っていたわけですが、この実験によって外界との通路が確保されていても腐敗はおこらないことが証明されました。

ところが白鳥の首を根元から折ったり、一番低い部分に無菌液をいれて(この状態だと左の入り口から液に落下菌がたまる)、しばらくしてからフラスコに流入させるとたちまち腐敗が誘導されました。つまり上から落下してくる菌がフラスコの中の液にはいると腐敗することがわかりました。菌は肉汁から自然発生するのではなく、空気中から落ちてきて増殖することが判明したわけです。

これで自然発生説は否定されたように見えましたが、肉汁の代わりに干し草の抽出液をいれると、煮沸滅菌しても枯草菌が自然発生してしまいました。ティンダルは枯草菌が芽胞という耐熱性の状態になる場合があるため、煮沸滅菌しても死ななかったということを解明して、ようやくこの問題に決着がつきました(1)。現在では完全に滅菌するためにはオートクレーヴという料理で使う圧力釜のような装置を使って、120°C、2気圧で15分以上処理します。

ダーウィンの自然選択説はいろいろ修正を加えられながらも、現在ではほぼすべての生物学者に認められた考え方です。しかし例えば2016年に米国の共和党大統領候補選挙に出馬して、そこそこ人気があったテッド・クルーズなどは進化論否定論者ですし、米国では進化論と同時に「インテリジェント・デザイン説=何らかの知的な存在がすべての生物を創造した」も学校で教えなければならないという勢力が健在で、激しい論争が続いています。現在(2016年)でも米国人の1/3強は進化論を否定しています(2)。

メンデルの法則もソ連(現ロシア)などでは20世紀になってからも激しい抵抗があり、ルイセンコ(1898年~1976年)は農業技師ミチューリン(1855年~1935年)の仕事(寒いロシアに適応した栽培品種をつくる研究、寒さに晒した種子は寒さに強い品種となり、それから採れる種子も寒さに強い品種になっている)を評価し、メンデルを否定しました。つまり、獲得形質の遺伝(ラマルク説)を支持したわけです。ルイセンコは政府にとりいりメンデル支持派を粛清・シベリア送りにしました。まさか自分の理論を支持したために処刑される人がでるとは、メンデルも墓の中で腰を抜かしたことでしょう(3)。

メンデルはチェコのブルノ市郊外の農家で生まれました。彼は大変苦学してオロモウツ大学付属の哲学学校に入学し、ここで宗教・ラテン語・自然科学などの勉強をして、宗教家・科学者としての基礎を身につけました(4)。オロモウツ大学は1576年創設で、日本では織田信長の時代です。いかにチェコの学問研究の土壌が古くから培われてきていたかということがわかります。哲学学校を卒業したメンデルは、1843年にブルノ修道院に修道士見習いとして就職します。日本は江戸時代でしたが、1839年にはすでにブルノ~ウィーン間に鉄道が敷設されていました。地名とその位置については図3を参照してください。これは高速道路地図ですが、チェコの西側(ボヘミア)の中心はプラハ、東側(モラヴィア)の中心はブルノであることがよくわかります。ブルノ修道院の現況は図4に示します。

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当時の修道院は宗教の中心であるのみならず、科学技術の中心でもありました。1840年にはブルノ修道院が主催してドイツ農業技術会議という大規模な学会が開催されています。院長のナップはメンデルの優秀さを認め、修道院の植物園を管理し、ブルノ哲学学校の教授でもあったクラーツェルにつけて植物学の研究をやらせようとしました。これがメンデルの生物学者としてのキャリアのはじまりだったわけです。

クラーツェルは1848年までメンデルと共に、修道院の植物園を管理し、植物学の実験研究をやっていたそうです。しかしクラーツェルは当時チェコを支配していたウィーン政府からのチェコ独立を指導する反逆者として追放され、後に米国に渡って客死しますが、彼はダーウィンの「種の起源」を読んでいて信奉していたので、メンデルも当然影響を受けていたと思われます。つまりダーウィンはメンデルを知りませんでしたが、メンデルはダーウィンをよく知っていた可能性が高いということです。

メンデルは植物学のキャリアは積みましたが、決して優秀な修道士ではありませんでした。教員資格試験に落第し、看護師の仕事をさせると評判が悪いということで、困ったナップは彼をウィーン大学に留学させることにしました。

当時のウィーン大学は世界最高クラスの科学者が集まっていた大学で、メンデルは多くの知識や考え方を学ぶことができたのでしょう。特に植物生理学者のフランツ・ウンガーはメンデルの法則の基礎となるような考え方をすでに持っていて、メンデルに影響を与えたと思われます。またメンデルはカール・ゲルトナーの植物の交配に関する実験結果を熱心に勉強していたようです。ゲルトナーは交雑一代目は親のどちらかの性質を受け継ぎ、交雑二代目に、交雑に用いた元の植物のそれぞれの性質が現れることをすでに見いだしており、このことは後のメンデルの法則の基盤になる知見です。

メンデルはもともと記述的な生物学が得意ではなくて(だから教員資格試験に落第した)、物理学や数学が好きだったようです。ブルノに帰ったメンデルは遺伝という現象をなんとか数式で表現できないものかと考えて実験計画を練り上げました。メンデルはまず次のような仮説をたてました。

メンデルの仮説: 生物体は各種の遺伝子の組み合わせで出来ており、その組み合わせに対応して形質が発現する。この過程は何らかの数学的な法則に従う。

1)この仮説を検証するため、メンデルは遺伝的に均一な(つまり雑種ではない)エンドウマメを自家受粉を2年間繰り返して作成し、こうしてできた純系のエンドウマメを出発点として交配を行い、上記の仮説の数学的法則があるかないかを検討しました。

2)メンデルはエンドウマメの形質のなかから、解析しやすいものを慎重に選択しました。メンデルは遺伝子のはたらきが現れた表現形質の集合体が生物だと考えていました。

3)メンデルが偉大だったのは、ひとつの形質はひとつの遺伝子によって決定されるものではなく、ある遺伝子とその対立遺伝子の優劣や相互作用によって決定されると考えたことです。これはあとでわかったことですが、実際に遺伝子は多くの場合ペアとなる染色体にひとつづつ存在し、それらのはたらきによって形質が決定されます。

次回はメンデルの法則についてみていくことにしましょう。

参照:

1) こちら1

2) こちら2

3) こちら3

4) 「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」 中沢信午著 新日本新書 1998年刊

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