細胞を培養するということ
成人の赤血球は総計20兆個もあるそうです。最近の研究によると成人のすべての細胞の数は40兆個くらいだそうなので、約半分は赤血球ということになります。
それにしてはそれほど目立たないのは、赤血球のサイズが小さい(直径6~7μm)というのが主な理由でしょう。昔イモリの赤血球を見たことがありますが、直径がヒトのものの10倍くらいあって、びっくりしました。こんなに大きいと、ヒトではおそらく毛細血管を通過出来ません。
哺乳類では脳の毛細血管が発達して、かつ非常に重要なので、赤血球は小さくしかも核がありません。これは細い毛細血管をスムースに通過する上で重要でしょう。遺伝子をすべて捨てるわけですから、赤血球はヒトの細胞の中でも最も思い切った決断をした細胞と言えるでしょう。赤血球のサイズが小さければ、相対的に表面積が増えてガス交換の時に有利になるというメリットもあります。
赤血球はヒトの場合120日で役目を終えて破壊されます。ということは毎日20兆/120=約1700億個の細胞が製造されなければなりません。他の生体細胞はもちろんのこと、どんな悪性の癌細胞でもこんなに細胞が増えることはありません。もし赤血球に核があると、赤血病という癌がヒトのありふれた病気になったことでしょう。このことからもすべての遺伝子を捨てることの重要性が示唆されます。遺伝子のない細胞は癌細胞にはなりません。ヒトの場合赤血球の製造工場は主として骨髄にあります。
そんなにじゃんじゃん製造されているなら、骨髄細胞を培養すると、毎日多数の赤血球がシャーレのなかでじゃんじゃん生まれてくるか・・・というとなかなかそういうわけにはいきません。研究者達は数十年前から試験管内で赤血球を増やす方法を研究してきましたが、いまだに献血車は走り回っています。赤血球を培養したという論文は多いのですが、なかなか効率よく増やすことはできないようです。
細胞を培養するとき研究者はひとつの決断をしなければなりません。それは血清を使うかどうかということです。血清を使うと決断した場合、血清の種類やロットによってうまくいくかどうかが決まります。血清はたいていの場合日本製は調達出来ず、オーストラリアなど外国から購入することになります。私が培養の仕事をしていたとき、最も苦労したのはこのロットをチェックするという作業です。実験がうまくいくかどうか結論を得るのには時間がかかるので、最小限のサンプルでテストしていた場合、やっとうまくいくと結論が出た頃には、そのロットが売り切れている場合があります。したがって無駄を承知で多くのロットをそれぞれかなりの量確保する必要があります。例えば10ロットをストックしたとして、1ロットがベストだとわかると、他の9ロットは全部捨てることになります。
もし研究室全体で多量の血清を扱っていて、かつ資金が麗澤なら、業者の協力によって多数のロットを低価格で確保できたり、期日を指定してそれまでは売らないようにとキープすることもできます。しかし小規模な実験を細々やっている場合、血清を調達するだけで研究費が終わってしまいます。しかもうまくいくかどうかはツキに左右されることになります。
http://www.saibou.jp/service/know07.php
血清を使用しないで、市販の試薬を添加するだけで培養がうまくいけばそれにこしたことはありません。しかし私の経験では、このカクテルでうまくいくという論文があったとして、その通りやってうまくいくことはあまりありませんでした。できることはできるけれど、効率が悪いという場合が多いと思います。その一つの原因は加えるホルモンなどの試薬の活性がきちんとあるかどうかということでしょう。輸入する際の温度管理とか日数とかで左右されることもあります。クール宅配便がきちんと温度管理されていないということは報道されました。まして飛行機や船での温度管理はいい加減でしょう。
もうひとつの血清を使用しない場合の問題点は、多数の薬品を添加するため、なかには高価なものもあって、研究費が続かない場合があることです。私が造血幹細胞・赤血球を培養していた頃はエリスロポエチンの価格が高価で、なかなか手広く実験出来ず、あきらめた経験があります。かなり長い期間この難しい実験に関わったことは私の人生の最大の失敗であり、それを思い切ってあきらめて別の道に進んだことは最大の決断だったと今でも思います。
例えば iPS細胞を無血清で培養できたという論文がありますが、よしこれでいこうと思ってもそう簡単にはいかないでしょう(論文を批判しているわけではありません)。
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0014099
もう少し高度なテクニックとしては、別の細胞を培養していた液をストックしておいて使うとか、シャーレの底に別の細胞のシートを培養しておいて、その上で培養するとかという方法もあります。その場合別の細胞の状況によって、培養がうまくいくかどうかが左右されます。実際赤血球は骨髄の中でマクロファージ様細胞のまわりにとりついた前駆細胞から生まれてくるように見えます。したがってこのようなマクロファージ様細胞を培養して、それに赤血球の前駆細胞を加えてとりつかせ、赤血球を製造させるというのが正攻法かもしれません。
(写真はウィキペディアより 左から赤血球、血小板、リンパ球)
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