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2014年1月25日 (土)

私たちはまだここにいる

「原発は安全だ。放射能は大丈夫だ。再稼働を急ぐべし。」などという人が多い昨今ですが、もういちどあの事故は何だったのか反省してみてはどうでしょうか? それにしても命がけで事故の収束にあたった人々に、どうして国民栄誉賞が授与されないのか不思議でなりません。

カレイドスコープから引用させていただきました。日付など若干私が修正した箇所があります。
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1168.html

===あらためて戦慄が走る4号機のカタストロフィー===

2011年3月15日、午前6時過ぎに福島第一原発4号機の原子炉建屋が水素爆発を起こしました。

その瞬間、日本国民のみならず、世界中の、特に北半球の人々の眼の前には、本当の意味でのカタストロフィーが迫っていました。それでも私たちは、今、こうして生きています。

これは、偶然に偶然が重なったからです。ハリウッドの映画制作者なら、これを奇跡的な出来事と呼んで、早速、脚本家に仕事を依頼したかもしれません。

3月15日の水素爆発から、3月20日頃までが、この大災害のクライマックスでした。

まず、アメリカでは、日本政府からの情報を元に、NRC(米・原子力規制委員会)の技術者たちによるタスクチームが編成されていました。これは日本時間で17日の午前0時過ぎのことです。

3月18日の夜から、自衛隊と米軍の消防車による注水作業が行われました。少し後になってからですが、敷地内に散らばった瓦礫の撤去のために、陸上自衛隊の戦車まで出動しました。次に、3月18日深夜から19日にかけては、東京消防庁のハイパーレスキューによる注水活動が行われました。このうち、ひとつでも失敗していたら、日本は、もう無かったのかもしれません。

2012年3月8日の朝日新聞(ネット記事)が、4号機の使用済み燃料プールが壊滅的なカタストロフィーに至らなかった本当の理由について、原子力安全・保安院の幹部からの聴き取りなどから、明らかにしています。

一回目は、4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発
二回目は、一回目に加筆した震災4日前の水抜き予定が遅れて燃料救う…です。

この記事は、そのまま転載すると、どうも著作権法に抵触しそうな雰囲気があるので(通常は、ソース元をしっかり明記しておけば、「引用」ということで、クレームは出ません)、両方の記事を読み込んだ上で、さらに周辺で起こった事実などで肉付けしながら新たに書き起こしたものが以下の記事です。

3月15日、4号機の使用済み燃料プールに大量の水を注水したのは誰か?

日米両政府が、3月12日の最初の水素爆発以来、もっとも警戒していた4号機建屋の使用済み燃料プールの崩壊ですが、原子炉内の大掛かりな工事をする際に使用する器具の不具合と、すでに工事のために大量の水を入れてあった工事用水槽の仕切り壁が壊れたことによって、カタストロフィーを免れたことが分かりました。

4号機原子炉は、2010年11月から定期点検に入るために、すでに原子炉の運転を停止。震災が起きた翌年の2011年3月11日には、原子炉の中にあった548体の燃料棒はすべて取り出され、使用済み燃料プールの中に移されて冷却されていました。

今回の定期点検では、営業運転開始以来初めての大工事となる原子炉圧力容器内にあるシュラウドという隔壁(高さ6.8メートル、直径4.3~4.7メートル、重さ35トン)を新しいものに交換するため、あらかじめ、作業用水槽に水を満杯になるまで入れていました。原子炉のほとんどの作業は、作業員が被曝しないように、水の中で行われるのですが、それが、作業用の水槽です。水槽に、合計1,440立方メートルの水が入れられていたのです。

シュラウド交換の作業手順は、原子炉の中に満杯に入れられた水の中で、大きな工具を使ってシュラウドを切断し、その分断された残骸を、原子炉の真上にある原子炉ウェルの水槽まで引き揚げて、さらに、高い放射能を帯びた機器を一時、仮置きしておくためのDSピットに移して、ホッと一息つく、という手順。

普段は、原子炉の真上の水槽である原子炉ウェルには水が入っておらず、こうした部品の交換工事をするときだけ水を入れるのです。作業時には、隣の仮置き場となるDSピットとの間には、水槽を仕切る「仕切り壁」は設置されおらず、作業が終了した後で、原子炉ウェルの水を抜くときになって仕切り壁を落とします。つまり、原子炉ウェルとDSピットは、つながっていて、ひとつの大きなプールになっているのです。もうひとつの「仕切り壁」は、原子炉ウェルの水槽の隣にある使用済み燃料プールとの間に設置されており、この仕切り壁を取りはずせば、この三つの水槽の水は、自由に行き来することができるような設計になっています。

DSピット|原子炉ウェル|使用済み核燃料プール

        原子炉

原子炉ウェル(同時に、DSピットにも)水を入れ、いざシュラウドの切断作業に取り掛かろうと、作業員がシュラウド切断工具を原子炉内に入れようとしたところ、はて?となったわけです。シュラウド切断工具は大変大きいので、その工具自体を原子炉の所定の位置に入れるためには、別の補助器具が必要なのですが、その補助器具の寸法が4号機原子炉に合致しないサイズだったのです。

(管理人:つまりその補助器具の寸法を間違えた人が救世主だったというわけですね)

それで作業員は、この補助器具を改造しなければならなくなり、工程が遅れてしまったというわけです。

工程どおりシュラウドの交換作業が進んでいれば、すで切断されたシュラウドの残骸は、原子炉ウェルに引き揚げられ、いったん隣のDSピットに移されて、作業に当たった現場の人たちも、いったんは極度の緊張を解いていたはずなのです。

作業が終了すれば、DSピットと原子炉ウェルとの間に仕切り壁が入れられて、原子炉ウェルの水が抜かれていたはずなのです。これが工程表の上では3月7日にやるべきことになっていました。これが、日本列島が壊滅し、北半球にカタストロフィーが訪れるかどうか明暗を分けたのです。

2011年3月11日、午後2時46分、東北を未曾有の巨大地震が襲いました。間もなく福島第一原発の全電源が喪失して、各号機の循環冷却システムは作動を止めました。

4号機に関しては、原子炉の中にあった548体の燃料棒は、すべて使用済み燃料プールに移されていたので、原子炉に注水ができなくなっても問題はありませんでしたが、一方の使用済み燃料プールには、新たに移動してきた548体の燃料棒が入れられて、計1331体の使用済み燃料がありました。

この1331体という、他の原子炉に入っている3倍近い量の燃料棒は、崩壊熱を出し続けているので、もし使用済み燃料プールに冷却された水が送り込まれなくなれば、水は蒸発する一方。やがては空炊き状態になり、プールで放射能火災が起こるはずです。そうなれば、すべて終わりです。

しかし、使用済み燃料プールの水は、3月11日以降も、燃料棒の上まで満ちた状態を維持しており、結果として燃料棒は、ほとんど無傷の状態のまま保たれたのです。これは、3月11日に地震が起こったときに、原子炉ウェルと使用済み燃料プールとの間を仕切っている壁が、地震の震動によってズレて、そこから原子炉ウェルの水が使用済み燃料プールに流れ込んだからです。

これらの事実は、東電や政府の後の調査によって分かったことです。

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もし、シュラウドの交換作業が工程表のとおり終了していたら、そして、原子炉ウェルの水が抜かれていたら、使用済み燃料プールへ水が回ることなく、“蓋の無い炉心”である使用済み燃料プールからは、かつて人類が経験したことのないほどの量の放射性物質が大気中に放出されていたのです。

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それだけでなく、福島第一原発の敷地内には誰も立ち入ることができず、冷却できなくなった1、2、3、5、6号機の原子炉では、次々と別の水素爆発が起こり、各号機建屋の使用済み燃料プールの水がすべて蒸発して、空炊き状態になるのも時間の問題だったでしょう。そして、原子炉、プールともに核燃料の溶融が始まるのです。

さらに、当然のことながら、福島第一から南方20kmに位置する福島第二原発も全面撤退を余儀なくされ、ここも時間の問題で、福島第一原発と同様、破滅的事態に陥っていったでしょう。さらに、東海第二原発、女川原発にさえ、大量の放射能が襲い掛かり、とんでもない数の作業員の人たちが犠牲になったでしょう。そして、最後には、こちらのほうも撤退ということになるのかもしれません。

4号機の使用済み燃料プールの崩壊は、日本列島、そして全世界の破滅の序章に過ぎなかったでしょう。本当に世界が終っていたのです。

すでに出てしまった犠牲者のことを思うと、これを無闇に奇跡と呼べないかもしれません。

しかし、シュラウド交換時に使用する補助器具の寸法を作業員に錯覚させ、原子炉ウェルと使用済み燃料プールの仕切り壁が開いた原因を、「たまたま偶然が重なった」で切り捨ててしまうには忍びないのです。

普通なら、私たちの多くは、今頃、今までのような日常的な活動ができなくなっていたかもしれないのです。そうだとしたら、私たちの受けた恩恵は、実はとんでもなく大きいものであったかもしれません。

このように不思議な采配によって、使用済み燃料プールには原子炉ウェルから新しい水が流れ込んだものの、依然として電源は回復せず、いよいよ使用済み燃料プールの水面から燃料棒の頭が出るかもしれないという局面に入ってきました。命を捧げようとしていた人々は、誰に言われるでもなく、最終的な重苦しい決断をしたのです。

東京消防庁のハイパー・レスキューと、Fukushima50(フィフティー)が、恐ろしい被曝にさらされながら、電源のない暗闇の中で、にわか照明だけを頼りに外からの注水作業を行い、電源の復旧工事を行っていたのです。真っ暗闇の中、自分が浴びている線量も分からず、放射能の水蒸気でスチームサウナ状態の建屋の中にヘッドライトの灯りだけを頼りに入っていったのです。

それは、まさにコッポラの「地獄の黙示録」以上の光景であったことでしょう。
彼らは、完全に死を覚悟していました。

結果は成功でした

訳知り顔の一部の評論家たちは、このカタストロフィー手前の事態を、1年経った今になっても理解できません。彼らは、「Fukushima50を英雄視し過ぎだ」という意味の評論をしていました。とても悲しい哀れな人々です。

これは日本ではなく、世界が称讃していることなのです。
彼らがいなかったら、あなたは、私は本当にここにいなかったでしょう。

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重要な動画:

https://www.youtube.com/watch?v=WL2E0vwb3Zc

http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/7516103.html

https://www.youtube.com/watch?v=aJtfB0saVVI

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