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2012年6月 4日 (月)

福島第一原発事故経過覚え書き

「レベル7 福島原発事故・隠された真実」 東京新聞原発事故取材班著 幻冬舎2012年刊などを参考として、原発事故経過覚え書きを作成しました。東京新聞取材班はすばらしい活動を行ったと高く評価すると共に、深く感謝します。

●2011年3月11日14時46分 震度6強の地震が発生、続いて津波が襲う。
福島第一原発1~3号原子炉に直ちに制御棒が挿入され、とりあえず原子炉の緊急停止には成功した。しかし停電のため外部からの電力供給が絶たれ、非常用電源で原子炉を冷却せざるを得なくなる。

●3月11日15時36分 津波第2波来襲 全非常用交流電源が水没し使用不能。
原子炉冷却システムが停止。1,2,4号機は直流バッテリーも使用不能。冷却水の水位測定も不可。数分後吉田発電所長が保安院に事態を報告。この頃1号機では非常用復水器が動いていると、所長をはじめみんな思っていたが、実は非常用バッテリーの電源が切れて動いていなかった。したがって誰も知らないうちに、原子炉の温度が上昇しつつあった。直流バッテリーはその後復活したりまた切れたりしたが、いずれにしても若干の時間的余裕をもたせるためだけのものであった。

●3月11日16時00分 官邸で緊急災害対策本部会議 自衛隊・警察の投入を決定。

●3月11日16時45分 吉田所長が保安院・双葉町・大熊町に緊急事態を通報。しかし保安院では地震による不具合で原発のデータがモニターに表示されなかった。東電本店には独自システムがあり、現地情報がはいっていた。保安院と東電の連携が悪く、保安院の職員が東電本店に出向いて情報収集することはなかった。この頃1号機冷却水の水位が急速に下がっていることが判明。17時には水位計が動かなくなった。

●3月11日16時55分 菅総理記者会見 緊急事態の通報があったが、その他の情報がなく原発事故には詳しくは触れることはできなかった。記者会見の直後、菅総理は保安院長の寺坂氏と東電元副社長の武黒氏らを官邸に呼び待機させる。

●3月11日17時40分 吉田所長の通報を受けて、海江田大臣が菅総理に原子力緊急事態宣言を出すよう進言。しかし菅総理は与野党党首会談を優先し、すぐには宣言を出さず。

●3月11日18時18分 1号機の非常用復水器が実は機能していなかったことが判明。オペレーターはここで作動させると配管が損傷すると判断して作動を回避した。しかしこの情報が上に伝わらず、所長・東電本社・保安院は冷却が開始されたものと誤解していた。

●3月11日18時20分 与野党党首会談 菅総理は各党党首に協力を要請。

●3月11日19時03分 菅総理 原子力緊急事態宣言を行う。

●3月11日19時45分 枝野官房長官が記者会見で、原子力緊急事態宣言を公表

●3月11日20時00分 1号機で核燃料が水面から頭を出し損傷が始まったが、そのことには誰も気がついていなかった。

●3月11日20時45分 東電はすでにメルトダウンがはじまっていた1号機ではなく、2号機について心配していた。2号機で非常用冷却装置が作動していないと考えて、21時40分くらいには炉心損傷が始まると予測し、地域住民の避難が必要だと保安院に通報した。

●3月11日21時23分 官邸は3キロ圏内の住民に避難を、3~10キロ圏の住民に屋内待避を指示する。

●3月11日22時~ 東電から保安院に、2号機の水面が燃料の3.4メートル上にあり、まだしばらく保つとの報告がある。この頃1号機の建屋の放射線量が上昇し、所長は立ち入り禁止にする事態となる。これでようやく運転員が水位計の故障を疑うようになった。

●3月11日23時50分 1号機格納容器の圧力が600キロパスカルとなり、耐久限度の528キロパスカルを超えていることが判明。配管が壊れて蒸気が漏れていることが予想された。この配管破損は現在では地震で発生したと考えられている。この時点において、吉田所長はようやく1号機の非常用復水器が作動していなかったことを悟る。だとすればあとはベント(弁を開放して圧力を逃がす)しかない。電源はないので手動で開けるしかない。

●3月11日深夜当時、重大事故に備えて事故対策本部を置くべく用意してあったオフサイトセンターが、停電のため全く機能していなかった。

●3月12日2時30分 1号機格納容器の圧力が840キロパスカルとなり爆発の危険が高まる。ベントしなければならないが、建屋の放射線量が高い上に、熱い蒸気が充満していて建屋にはいることができない。しかしそのような情報は官邸にはもたらされず、海江田大臣や菅総理はなぜベントしないのかと焦燥にかれらていた。

●3月12日4時30分 ベントしていないにもかかわらず、正門で0.59μシーベルトを計測。6時50分には4.92μシーベルトに上昇。すでに放射性物質は盛大に漏れていた。

●3月12日6時14分 菅総理がヘリで福島第一原発に飛び立つ。機内で菅総理は、「メルトダウン中にベントすると爆発するんじゃないか」と班目氏に訊いたが、班目氏は「格納容器は窒素で満たされているので爆発はしない」と答える。しかし実はすでに格納容器は一部破損していた。

●3月12日7時11分 菅総理が福島第一原発サイトに到着。命がけでベントしろと吉田所長に命令。吉田所長は決死隊を組織してベントを決行。

●3月12日~12時 3号機で頑張っていたバッテリーが切れて、冷却停止。原子炉内の圧力が上昇しはじめる。

●3月12日14時30分 決死隊による1号機ベントが成功。圧力が下がって皆安心したが、なんと15時36分に1号機が爆発。メルトダウンで発生した水素が建屋に漏れて酸素と反応し爆発した。ヘリの中での菅総理の危惧が的中した。この爆発の様子は日本テレビによって放映された。班目氏は頭をかかえ、枝野官房長官は激怒した。爆発を受けて、保安院の中村審議官は寺坂院長の許可を得て、原発のメルトダウンを示唆する記者会見を行う。これが官邸の怒りを買い、中村氏は以後記者会見から姿を消す。

●3月12日~18時 海江田大臣は1号機の炉内を海水で満たすよう命令を出す。菅総理が班目氏に「海水を入れると再臨界(核分裂)の恐れはないか」と訊くと、班目氏は「心配はあまりない」と答えるが、菅総理は信用せず、再臨界にそなえて避難指示を10キロから20キロに拡大する。

●3月12日 19時~ 吉田所長は海水注入を指示。菅総理が再臨界を恐れていることを受けて東電本社や武黒氏は海水注入の中止を指示するが、吉田所長は面従腹背で、独自判断で海水注入を続行した。菅総理は武黒氏らの説明を受けて海水注入を了承。吉田所長は慎重を期してホウ酸を混ぜた海水を注入。しかし2・3号機への海水注入は東電が渋る(廃炉にしたくないためと思われる)。

●漏れた放射性物質がどのように流れていくかを予測するSPEEDIというシステムが用意されていたが、原子炉のデータをSPEEDIに送ることができず、保安院は仮定の数値をいれて試算して官邸に送ったが、受け取った内閣官房の職員が重要でないデータと判断して(仮定の数値によるなどと書かれていた)総理には上げなかった。文部科学省も独自に計算して、結果を大臣にあげたが、会議で混乱を招くという意見があって、文部科学省レベルで握りつぶされた。この結果逃げる方向を誤った住民が被曝することになった。

●3月13日5時00分 すでに3号機の炉心が水面から20cm露出していた。8:40にはベントが成功したが、東芝は「3号機も爆発する」と官邸に伝えた。

●3月13日16時30分 福島瑞穂氏が菅総理を訪ね、3号機はプルサーマル(プルトニウムをウランに混ぜて燃やす)であると告げる。このときまで菅総理はこの事実を誰からも知らされていなかった。

●3月14日11時00分 3号機爆発。このときジープで応援に来ていた自衛隊員が飛び散った瓦礫に当たって負傷、かつ被曝する。すでに1号機爆発の時に瓦礫が飛んでいるので、本来は政府か東電が装甲車か化学防護車で来るように指示すべきだった。これにより不信感を保った自衛隊は基地に引き返す。逃亡した自衛官は処分されたが、処分されても逃亡が正解。現場にいた自衛官・作業員に死者が出なかったのは奇跡としか言いようがない。

●3月14日13時35分 2号機の非常用冷却装置がストップ。

●3月14日19時00分 2号機炉心がメルトダウン。20:00海水注入。

●3月14日夜 東電清水社長が海江田大臣に「撤退したい」と電話。海江田大臣は総員撤退と受け取り、菅総理に報告。菅総理は激怒し、官邸に清水社長を呼びつけ、撤退不可と指示。

●3月15日5時30分 細野補佐官と菅総理が東電本社に乗り込み、菅総理は「命をかけろ」と指令。以後海江田大臣と細野補佐官が東電本社に常駐することになる。

●3月15日6時00分 停止しているはずの4号機がなぜか爆発。吉田所長は最初2号機が爆発したものと思っていた。4号機にはメルトダウンすると日本の大部分に人が住めなくなるくらい、大量の使用済み核燃料が保管されており、吉田所長は決死の70人を残して650人を撤退させた。しかし4号機の使用済み核燃料プールには、爆発によって壊れた隔壁の向こうにあった水が偶然流入して空だきを奇跡的に免れ、私たちは多少の被曝を受けながらも、いまだ関東に住んでいる。この奇跡を「天から与えられた日本人に対する執行猶予」と考えるならば、原発再稼働などあり得ない。

葛飾市民テレビ: http://www.youtube.com/watch?v=Tt8IkXzo8Nc

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投稿: HP Pavilion DV7ラップトップ 充電池 | 2012年6月 4日 (月) 15:52

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