刑罰を考える
私は5年前に「さらば文明人」という西丸震哉さんの本についての感想記事を書きました(↓)。
1.http://morph.way-nifty.com/grey/2006/07/post_8a37.html
2.http://morph.way-nifty.com/grey/2006/07/post_1c40_1.html
3.http://morph.way-nifty.com/grey/2006/07/post_bfd3.html
西丸さんの本によれば、地球上には第2次世界大戦の直後まで、文明人未接触で旧石器時代と同じ生活をしていた人々がいたことがわかってるそうです。彼らには刑罰という概念がありませんでした。集団生活を送っていますが、法律とか酋長とかはなくて、かなり自由な生活を送っていたようです。彼らの世界でもたまに殺人事件が発生しますが、ほとんどは女性を巡るトラブルで、不倫などの理由があるので殺されても仕方がないという考え方なのだそうです。たいした持ち物はないので窃盗はありません。つまり刑罰は本来人間という種のDNAに刻まれたものではなく、文明の発展によって発生してきたものと言えます。
ミツバチなどある種の昆虫などは、遺伝的に規定された高度な社会生活を送りますが、そのような生物も、ルールを破った個体に刑罰を与えるということはありません。例えば仕事をサボったからといって攻撃されることはありません。刑罰を与えるための警察や裁判所のような組織を持つこと、あるいは刑罰実行の際の闘争などにコストがかかりすぎて、集団の利益にならないことがその理由だと思われます。ヒト(ホモ・サピエンス)も本来刑罰など与えない生物だったのですが、ごく最近になって(多分新石器時代以降)、あらゆる生物がやってこなかった大きな冒険=刑罰を実行しています。現在刑罰のない国家などはまずないので、地球上どこに行ってもヒトである限り刑罰の存在からは免れられません。
あらゆるヒト以外の生物が刑罰という行動を採用しなかったのはコストがかかりすぎるからだと想像されますが、国家もどれだけ資金があるかによって刑罰も変わっていきます。貧困な国家は社会保障が行き届かず、貧富の差が拡大して犯罪が増加し、その犯罪者をきちんと取り締まるには大量の警察官(公務員)が必要なので、きちんと取り締まるのはやめて一罰百戒主義となり、重罪・みせしめによって法律を守らせようとします。現在の日本が転落しようとしている方向がまさしくそうです。北総線の沿線、西白井・白井・小室・千葉ニュータウン中央・印西牧の原・印旛日本医大の間には警察署がひとつもありません。一番近い印西警察署は成田線の沿線にあります。私が住んでいる建物でも空き巣が入った家があり、そこは民間のセキュリティー会社の世話になっています。昔は交番には交代制でかならず巡査が居て、自転車巡回も頻繁に行っていましたが、今の交番は誰もいない場合も多いです。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2624892.html
裁判員制度が日本でもはじまりましたが、それもこの重罪化をいかにも国民が主導して行ったかのようにみせかけるための手段です(もうひとつ裁判を短期化して、裁判官を増やさないためという目的もありますが)。全体的に重罪化しているのに、日本には欧米のような終身刑がありませんが、これはそうすると刑務所が半ば老人ホーム化してコストがかかるからでしょう。無期懲役なら、働けなくて世話が必要になったら刑務所から放り出すこともできます。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2692090.html
いまや先進文明社会もジョージ・オーウェルが想像したより恐ろしい社会になりつつあります。そこいらじゅうに氾濫する監視ビデオではあきたらず、最近英国ではそこいらじゅうが盗聴されているということが明らかになりました。政府や警察が盗聴マスコミとズブズブだったことが明らかになっていますが、日本でも多分すでに同じか、将来そうなるでしょう。
http://www.47news.jp/47topics/premium/e/215820.php
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1311041309/
| 固定リンク | 0
「私的コラム(private)」カテゴリの記事
- 本を読まない人(2024.09.18)
- ブログを書こう(2024.09.14)
- 立憲民主党代表選挙(2024.09.07)
- わが家を終焉の地に選ぶ者 セスジスズメ(2024.08.21)
- 残暑お見舞い申し上げます(2024.08.17)
コメント